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「令和」をいまこそ ~ 立秋&処暑の頃'20



 立秋からお盆の時期といえば暦の上ではすでに秋に入っていることになるのですが、少なくとも東京あたりの例年の体感としては、残暑と秋の気配のはじまりというより盛夏真っただ中、伝統の暦とは半月ほどは季節がずれたような厳しい暑さです。

 毎年、東北に暮らす友人が盛大な夏祭りを終えお盆の過ぎる頃、地元産の旬の夏野菜をたっぷり送ってくれます。が、今年のそれはいつもよりだいぶ早く届きました。普段は夏祭りにお盆の帰省、家族のレジャーやらに忙殺され何かと慌ただしく過ぎていくという彼の地の短い夏ですが、今年ばかりはそうした行事とは無縁で拍子抜けの物足りなさを感じてしまうとのこと。けれどもまた、世界中が直面するコロナ禍のただ中にあっては、特別なことなく過ぎる日常の暮らしのありがたさを今ほど気づかされることもないといいます。

 どことなく活気に欠け落ち着かなさのままの世の中がこのまま続いてほしくないなと思う一方で、生活行動パターンの変化がもたらすどこかもの静かな日常の体験は、友人から届く朝露と土で湿ったままの色鮮やかな大地の恵みに似て新鮮に感じるのも事実で、気のせいかひと昔前の時代に戻ったかのようなのどかさすら錯覚すら覚えます。いかに自分があわただしさが加速する都会生活をあたりまえのことと受け流しているのかをちょっぴり痛感させられてもいます。





 そろそろお盆の時期ですが、コロナ禍の影響で墓参や法事関連行事が中止延期となったり、人数規模をかなり制限して催されることが多いと聞きます。実際、都心に位置しながら意外や大小の寺社墓所が多い私の職場の周辺を歩いていても、黒装束に身を包んだ人の姿や読経の響きなどは例年に比べぐっと減って静かなものです。それでも、ときおり墓地周辺にただよう線香の香りとそこここでか細く立ち昇りお盆の空へと消えていくその煙には、墓参を欠かさぬ人々の別れた故人への変わらぬいっそうの思いが重ね合わされているようで、こちらまで心穏やかになります。

 ところで夏空に立ち昇る煙といえば、『源氏物語』の中にこんな歌があります。



 のぼりぬる 煙はそれとわかねども

 なべて雲ゐの あはれなる哉 (九帖 葵)


(訳)空に昇る火葬の煙は どの雲になったことやらわからないけれど

(亡き妻に恋焦がれ)雲のかかる大空すべてがしみじみ懐かしまれるよ



 生霊(いきりょう)に取りつかれ不慮の死を遂げる妻、葵(あおい)の死を悼み、荼毘(だび)に付された亡骸より立ちのぼる煙に亡き妻への慕情をかきたてられ(光)源氏が詠んだものです。



 また、雲の浮かぶ大空を亡き人を慕う心のよりどころとするこの歌は、べつの歌からその着想を得たいわゆる引歌(ひきうた)のようです。9~10世紀に生きた官吏歌人の酒井人真(ひとざね)の名歌です。


 大空は 恋しき人の形見かは 物思ふごとにながめらるらむ

               (古今集 巻第十四 恋歌四) 



 

 森羅万象季節の移り変わりや自然と生命の営みすべてに霊威が宿り、人の人生もまたそこに抱かれ生かされることをたおやかに歌い上げた古代万葉の人々の歌から導かれた言葉「令和」の時代が高らかに始まったのは、つい一年余り前のこと。それがもう随分と前のことのように思えてしまうほど、世の中はすっかり変わってしまった感もあります。

 けれども令和という年号には、今後幾年か私たちのこれからの時代の生き方の基調となる意思や精神もまた込められているはずです。

 うつむき加減でこもりがちな生活に反映される、どちらかといえばやや憂うつで不穏な気分の今だからなおのこと、目の前の閉塞状況を超えもっと広い世界に包まれていることをさまざまに意識しようとすることは大切なことかもしれません。大げさかもしれませんが大空もそのひとつ。古き伝統とはいえ亡き人や法事の時期のためだけに空があるのもちょっぴりもったいない気もします。

 永遠の昔より生きる人すべての上にあまねく広がる無限の夏空、空を見上げ胸をしっかりと開きながら、その霊威をめいっぱい自分に取り込むかのようにゆっくり息を吸い、そしてまた自分の中にあるうっ積したものすべてを解き放つようゆっくりまた息を吐く、そんな呼吸をしばらく繰り返せば、自然と顔もほころび気持ちも軽くなってきます。些細なことにこそ力は宿ります。





 昨日用事ついでに通りかかったある小さなお寺の入り口に掲げられた標語にはこうありました。



   道は近きにあり

   迷える人は

   これを遠きに求む 



 明治期の真宗大谷派の僧侶で、宗教哲学者の清澤満之の言葉です。清澤は夏目漱石や正岡子規にも影響をあたえたといわれ、漱石の「坊ちゃん」や「こころ」の登場人物のモデルのひとりとなっているともいわれています。

 

 カウンセリングの要諦をさらりと表現したかのようでもあり記憶したのですが、本来こうした言葉に定見はなく、言葉に出会う人が置かれた境遇や時期その都度、それぞれに意味を感じ取るもの、言葉のどこかに読む人それぞれの「わたし」や「なすべきこと」を発見するものなのでしょう。

 お盆の時期に偶然出会い頂戴したお言葉、せっかくですのでこれを読んでいただいている方それぞれへのメッセージとして、なにかを受けとめていただけるといいなと思います。




最後までお読みいただいてありがとうございます。

メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂

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# by yellow-red-blue | 2020-08-10 10:08 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、仕事について、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。記事のどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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