「心配」と「頑張る」の私たち ~ 小暑の頃’18


活発な前線の影響がもたらす西日本を中心とする数十年に一度といわれる集中豪雨による甚大な被害は、すでに100名を超える死者行方不明者を数え、これを書いているちょうど七夕の日でもその数字は増える一方です。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、いまだ救出を待っている多くの方々に一刻も早い救いの手が差し伸べられ、また多くの避難されている方々に少しでも早く必要とされる救援物資が届けられ、もとの日常が戻るのをただ願うばかりです。


今回のような私たちの想定をはるかに超える自然災害の被害は、近年世界各地で起きています。それは温暖かつ安定した気候帯にあり、高度な土木・治水技術水準を備えた日本や欧米のような地域においてもまた例外ではありません。とりわけ、安全と安心がいわば当たり前のような国に住む私たちのような人間にとっては、こうした人智を超える圧倒的な自然の猛威に曝され予想を超える犠牲者が出ると、それに対するショックは逆に相当なものです。自然災害は避けられない現象であるにしても、少なくとも災害対策が進み防災意識もそれなりに高い国では、それはあくまで「対処可能な」現象で、滅多なことでは犠牲者など出ないし出さないことが当たり前のこととして受け止められてきたからでしょう。いつしか私たちは自然の脅威に対して、すでにおおむね「克服している」との過信と錯覚があるのかもしれません。

こうした異常気象が、温室効果ガスを原因とする地球温暖化にあるとされているのはよく知られています。しかし考えてみれば、原因が人為的なものであるにせよないにせよ、地球の歴史とはある意味大規模で不規則な気候変動の連続であり、それが同時に様々な生命の種の勃興と進化をもたらしてきたのです。ヒトもまた何度となくそうした試練を乗り越え、そして今の私たちがあるのですが、その乗り越えてきた試練とはすなわち、そこに至るまでのおびただしい数の命の犠牲にほかならなかったことを、今度の災害を目の当たりにしてあらためて痛感します。


ひょっとすると、日本列島というこの海に囲まれた小さな島国に生きてきた日本人は、とりわけこうした自然の猛威にそれこそ人一倍神経質な民族だったといえるかもしれません。

日本列島は、本来稲作に適さない風土、気候だったと言われています。稲作の発祥は、日本よりずっと南の緯度に位置する中国南部の揚子江沿岸で、つまりより温かい地域に適した作物でした。稲作がその後中国大陸を徐々に北上し伝播されたとする縄文後期~弥生初期は、日本は今よりずっと寒冷な気候であったため、日本列島は稲作を中心とする定住農耕という生き方が馴染むには、かなりの困難が伴う風土であったのかもしれません。今回の集中豪雨の被害のように、わずか数時間前までは何の異常もなかったのに、気が付けばあっという間に洪水の波にあたりすべてが押し流され身動きも取れなかった、という事態は、おそらくかつてはごく日常的にあったのでしょう。私たちの暮らす今の社会と決定的に違うのは、ひとたび命を紡ぐすべが失われたら最後、それはほとんど生存の危機を意味していたということです。立ちはだかる圧倒的な自然の脅威への恐怖は尋常ではなく、私たちの祖先は過去のほとんどの時代を、犠牲と無力感とに打ちひしがれてきたのかもしれません。

日本の八百万(やおよろず)の神の信仰とは、いってみればそれほど数えきれない数々の自然との脅威にさらされてきたことの裏返しでもあります。そこから逃れることはできないことを悟った私たちの祖先の叡智であり、生き残っていくための指針だったのでしょう。無力な人間がなんとか生き抜いていくために自然とどう「折り合い」を付けていくのか、自然を恐れ、明日への不安と隣り合わせの毎日に生きながら、同時に生きる恵みをもたらす生命の根源を神々として感謝し敬うことが、唯一の希望と拠り所であったに違いありません。

自然とともに生きるとはそういうことなのでしょう。自然と対峙し、それを探求し、科学し克服するという西欧的な考え方とはそもそも異なる自然観・宗教観が私たち日本人には備わっていると言われるのもうなずける話しです。

こうして、常に周囲と自然に敏感に気を配りながら生活をし、その脅威とどう折り合っていくかが生きる目的そのものですらあったかもしれない私たちの祖先達の深層心理には、精神的バックボーンとしての「心配」が深くに刻み込まれていったように思えます。そしてまた、社会的動物である人間にとってやがてその「心配」は、自然との関係のみならず社会に共に暮らす人間同士の関係においてもまた必須の精神となり、今に受け継がれてきたと言えます。



その「心配」と並んで私たち日本人の持ついま一つの深層心理、それは「頑張る」ではなかったかと思っています。理由は「心配」とほとんど同じものです。つまり日本人の生きてきた小さな島々は、人が頑張らなければ生きるに困難な場所で、そしてこれからもずっとそうであり続けるということです。

 とても小さなわが島国は、そのほとんどが人の住むことの困難な山間部です。人が住めるのはほんの3割あるかないかです。そこに数多くの人間がひしめき合い暮らさなければなりません。地震や火山、大雪や頻繁にやってくる台風、ひっきりなしにやってくる自然災害・天災のオンパレードに加え、資源のほとんどない日本列島に住む日本人にとって、残された資源・財産は私たちだけ。つまり頼れるのは人だけ、人が懸命に「頑張る」ことしか生きる術はなかったのです。「頑張る」は実に便利な言葉であり、私たち日本人はそこに多様な意味・思いを含ませ使ってきましたが、それこそが「頑張る」がまさに私たち日本人を支えてきた精神的支柱の証と言えるかもしれません。何もなく生きるに厳しい土地、だから人が頑張らなければならない、他人あっての自分。自然や人について「心配」し「頑張」ることで何とか生き延びてきたのが私たち日本人なのかもしれません。


そうした私たち深くにある「心配」と「頑張る」がどのような形で現われるのか、人それぞれ、また時代の要請でもまたそれぞれでしょう。しかしそれらはことによると、ときに人をたやすく疲弊に追い込む心理かもしれません。

「頑張る」と「心配」の折り合いこそが今の日本人に必要なことなのでは、とも思います。なんとなく今の社会は、「頑張る」だけがその先に必ず進歩や豊かさであるとして、突出して優先・称賛される社会に思えるのです。豊かさや便利さ、進歩とは実際のところ何なのかをいったん考え直し、ときにあらため方向転換をし、どこで「心配」と折り合うのかを一人ひとりが考える。それらをすることなしにつき進めば、後日必ず同じくらい大きな災いが身に降りかかることとなるか、あるいはまた、すでにそうした犠牲がさまざま起きているのに見てみぬふりをすることになる。それは自然だけでなく人間の社会生活においてもまた同じだと思うのです。


昭和の有名な流行歌で水前寺清子さんの唄う「365歩のマーチ」の歌詞の中に、『三歩進んで二歩下がる』とあります。苦労もあるし失敗もある、だけれどもひたすらみんな頑張って前へ進もうよ。幸せはお金で買えると信じ、物質的豊かさと経済成長に向かってひたすら前進していった、昭和高度成長期の時代のムードそのままのような唄ですが、三歩進みながらほんとうに二歩「下がる」のであればある意味大変結構なことです。しかし実のところ、三歩進んで『二歩切り捨て』きたのが日本ではなかったかと、ふと思ってしまうのです。決して後戻りせず待たずに、三歩進むだけ進み、あとのことは後回しにする。そしてその負の遺産を押し付けられてきたのが、責任を取るべき者ではない他の誰か、将来の誰かであり続けるとするなら、よほど私たちは今の時代状況を憂慮すべきであると思うのです。


私たち一人ひとりは、いつの時代も「頑張る」と「心配」の両極のどこかに絶えず揺れ動きながら生きる存在です。人生を通してアクセルとブレーキを上手に使い分けることは予想以上に難しいことかもしれません。ひたすらアクセルを踏み続けようとする人、せっかく青信号なのにブレーキペダルから足を話せない人、アクセルとブレーキの両方を踏んでいることに気づかず、なぜ自分はうまくいかないのか悩む人。「頑張る」は過信と自他への配慮と思いやりの欠如をはらみ、「心配」は自尊心の低下や悲観的な思考感情と無縁ではありません。自然との共生や社会における共生とは何なのか。「頑張る」の意味を自ら問い直し、「心配」に無条件の配慮を行ってみることが今求められているかもしれません。そして、そうした心の深層の現れとしてのさまざまな心理的課題を日々扱うのもまた、私たちカウンセラーの仕事です。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂

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# by yellow-red-blue | 2018-07-08 15:17 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心安らぐ経験や出会いなど、時にカウンセラーとして、時に仕事から離れ、思いつくままつらつらと綴っています。ブログのどこかに、読む人それぞれの「わたし」を見つけてもらえたら、と思っています。


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