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非日常の日常・スキーマという呪縛③ ~ 雨水の頃'19


 人はみなそれぞれに違います。歩む人生もまたそれぞれです。もともと持って生まれた生物遺伝学的あるいは先天的な素因だったり、育った生活や環境の質の違い、幼少期以降に親や家庭、周囲から受けてきた教育やしつけ、成長過程でのさまざまな学習・経験、日々体験する日常の出来事といった、さまざまな要因が複雑に網の目のように絡み合い関与しながら私たちの人格、パーソナリティは形成されていきます。したがって、それぞれの人生の過程で私たち個人に備わるスキーマもまたきわめて多彩多様です。  

 個人的スキーマは、自分や他者、世の中や人生についての動かしがたい信念であり、絶対服従ともいうべき人生ルール、疑問を挟む余地のない「事実」であるとしてしみ込んでいるマイ・ルールといえます。

 それなりに健全なスキーマを持ち人生においてそれらを柔軟に行使しなが生きることが望ましいのでしょうけれど、前回もお話した通り、スキーマにはひどく柔軟性に欠けるところがあって、それは個人レベルでのスキーマもまた同じです。つまり、そうはなかなか上手に働いてくれないのが私たちが持つスキーマなのです。あまりにネガティブで現実とはつり合わないような非合理的で極端な思考や行動パターンを生み出してしまう個人的スキーマが染みついてしまうと、人生を生きることがとてつもなく困難なことのように感じられてしまいます。



 

 とりわけ、過去において虐待や肉体的精神的暴力、ネグレクト、貧困といったトラウマになり得る逆境的困難や問題ある社会生活環境、対人関係に継続的にされされてきたような人々、非日常的かつ異常な災害や事故、犯罪に巻き込まれるなどの強烈な被害体験をした人々にとっては、そのあまりに過酷な体験に圧倒され深刻に傷ついた自尊心、しみついた自己否定的感情、根源的恐怖心ゆえに、不適切で生きるにつらいスキーマが形成されると、その後の人生において心身の健康や社会適応に悪影響がもたらされ、場合によっては情緒・認知面での深刻な疾病や障がいにつながるケースもあることが知られています。

 

 「人生は苦痛でしかない」「だれも信用できない」

 「失敗や叱責、間違いは決してあってはならない」

 「私は欠陥ある人間だ。だれも相手にしてはくれない」

 「安全な場所などない」「私は汚れた存在だ」


 スキーマはたいていの場合、このように自覚して明確に言葉にできるようなものではなく、ほとんどの場合自動無意識的にこれらに沿った行動、判断、振る舞い、対人関係、生き方という形を通して「選択」されていきます。

 トラウマなどを受けたことによる根源的な恐怖、不安、恥辱感や自責感情と、そこから発生sるスキーマが生み出す行動や振る舞いは、周囲からはほとんど理解しがたいものであり、本人もまたそうした不適切なマイ・ルールを持って生きていることを容易に自覚することはできません。こうしたマイ・ルールを持ちそれでもなんとか生きていくことは、絶えずブレーキを懸命に踏みながらアクセルを吹かせ必死に前に進もうとするような苦しいものなです。けれども本人にとっては、スキーマに基づいた破滅的な人生観と生き方のほうが、むしろ当たり前の「日常」にほかならず、元々そうしたことに疑問を持つことがありません。そうすることは人生を生きる上でその人なりの精一杯の対処法であり、自分の身を護るためのもろい心の鎧なのです。

 非日常的な世界に対処するためのスキーマが当たり前になってしまった人の目には、他者が普通に受け入れている日常こそが「非日常」であり、そこには恐怖と不安、乗り越えるにはあまりに高いハードルが日々待ち構えているように映ります。そして結局その日常にすら逃げ場がないとすれば、残された逃げ場は自分のこころの中にしかなく、そこへ退避しひたすら閉じこもることしか他に道は残されていないのです。

 

 

 カウンセリングを通して、私はこうしたスキーマにまつわる問題は、述べてきたような必ずしも誰にもわかりやすいあまりにひどい体験や過去を経る必要などなく、普通に暮らしている(ように見える)多くの人もまた、その人なりのオリジナルな人生の事情なり体験からくる、他者から見て理解困難なスキーマを抱え悩んでいるのだということを知りました。

 人間である限り私たちは誰もがスキーマを持ち、そのすべてが健全なものであるとは限りません。そのことが意味するのは、社会を揺るがせ私たちを不安にさせる虐待やいじめ、ハラスメント、凶悪犯罪、ひきこもりといった痛ましい社会問題が根絶に程遠いのは、自分達とはまったく無関係でかけ離れた、まともでない人間の所業ではなく、それはまさに誰の運命にも起こり得る(た)共通の課題であり、被害者と加害者とはある意味混然あるいは同居しうるのだ、という目をそむけたくなる現実だろうと思います。

 社会に生きている以上、そこで起きるさまざまな現象の背景に私たち一人ひとりは直接的間接的に「加担」しています。そうである以上、今身の回りで起きている様々な問題について、表面上の異常性ゆえにそれは自分達とは無縁の特別事情でしかないと否認や合理化をするのでなく、私たちがあらためて真剣に受けとめ考えるべき時にきているのではと考えています。


 *指輪ものがたり


最後までお読みいただいてありがとうございます。

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# by yellow-red-blue | 2020-02-19 10:42 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、カウンセラーとして、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。ブログのどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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