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ある日の光景 ~ 冬至・小寒の頃'15

もうしばらく前の話になります。ちょうどクリスマスシーズンを迎えたある早朝、仕事場へと地下鉄に乗り込んだ時のことです。普段この時間帯の車内はまだ人が少なく座席には余裕があり、ラッシュ時の混雑ぶりとは無縁の快適な空間です。乗客は職場へと向かうサラリーマンや早朝勤務あるいは夜勤明けの人々、そして少しばかりの中高生程度。朝早いせいでしょうか、誰一人しゃべらず眠っている人も多く、車内は地下鉄の走る音以外はとても静かです。

 で
もその日はちょっと様子が違いました。めずらしいことに親子の姿がありました。若いお母さんとその膝の上に座る男の子の姿。男の子は何らかの障害を持っているように見えました。


年は5歳くらいでしょうか。お母さんが膝の上に乗せるにはちょっともう大きい体格の男の子です。じっと座っていることなく常に落ち着かない様子で、ぼーっと車内を見まわしているかと思うと突然、手足を激しく動かし、奇声を発しながらお母さんから離れようともがいているようでした。男の子は普段乗る機会のない地下鉄に喜びのあまり興奮しているのか、それとも不安で怖がっているのかは私にはわかりませんでした。そしてそんな男の子に笑顔で絶えず話しかけながらやさしく、でもしっかりと男の子を掴んで離さないお母さん。


「大丈夫心配いりません。ただ親子で楽しく遊んでいるだけ。私たちこうしてコミュニケーションしているのでどうか少し我慢してくださいね。」
 

 そんなことを無言のうちに周囲にアピールするかのようなお母さんの姿。でも私はひそかに感じていました。お母さんが男の子を抑えるのにけっこうな力を必要としていること。そしてどれだけ本当は必死なのか。どれだけ複雑な思いが絶えず心の中を交錯しているのか。そしてそれがこれからどのくらい続いていくのか。

私はいつしか力をこめ真っ白なお母さんの手の関節に視線を向けていました(もともと色白だっただけかもしれません)。

 まだ若いお母さん。実際の年齢より少し老けて見え、そして少し疲れている様子(早朝が苦手なだけだったのかもしれません)。

 いつもの静かな空間がその親子によって少々騒がしく落ち着かない空間へと変わることとなりました。でも周囲はもちろん大人。たとえ早朝から安眠や読書を妨げられ内心穏やかではないけれど状況を瞬時に把握し、いかなる態度も表に出さず親子には視線を向けず淡々を装います。お母さんの大変な事情をわかっている私達周囲の乗客と私達がわかっていることをまたわかっているお母さん。そんな少し気まずく重苦しい地下鉄の車内で、降りるまでの時間がいつもより妙に長く感じられ、それでいてどうしてもその親子のことから目をそらすことができない私。

男の子の落ち着きのなさは段々と激しさを増して、隣の乗客に男の子の手足が当たり始めたあたりで、突然お母さんが周囲に聞こえるかようなちょっと大きなそして精一杯明るい声で男の子に話しかけます「そう、外が見たいんだ。ねぇちょっと見に行こうよ。」

 お母さんは笑顔で、でもちょっぴりいやがる男の子を少し強引に引きずるようにして地下鉄最前車両の窓際へと向かいました。


 でも乗っているのは地下鉄。窓から見えるのは通り過ぎていく暗いトンネルの壁とそれに映し出される自分達の姿だけ。一瞬躊躇したようなお母さんでしたがめげずに窓を覗き込みながら、笑顔で男の子を両腕でしっかりと抱きしめています。少し離れてしまったので地下鉄の音に声はかき消されたものの、お母さんと男の子の様子はドアの窓に映し出されていました。

 と、ずっと男の子にうつむき加減で話しかけていたお母さんが顔を上げ、自分の顔が窓の暗闇に映し出された瞬間、その表情が一変するのを私は見ました。さびしそうで今にも泣き出しそうで、心身の疲労だとかつらさを超え、暗い闇の淵をのぞきこんでいるかのような表情。

 私は一瞬凍りつきました。ほんの数秒のことです。すぐにお母さんは我に返り笑顔を見せ、男の子をしっかりと抱き直しました。でも、私にはもう抱いているというよりもお母さんが男の子に必至にすがっているようにしか見えませんでした。

 私はその時、心からその親子を抱きしめたいと思いました。たとえ私のこの親子についての思いが根拠のない身勝手な妄想であり、無責任な憶測に過ぎないとわかっていても。その親子の間に流れる、せつないでも確かな情緒的絆に胸打たれつつ、しかし結局私がしたことは、いつも降りる駅でお母さんと男の子を車内に残して先に降り、二人の乗った地下鉄の過ぎ去るのを目で追いながらいつものように出口へと向かうことだけでした。

 あたりまえです。いったい何ができるというのか...

 なんでもない、こんなことは誰しも経験するよくある世の中の一風景にすぎないのでしょう。結局のところ人生は続き我々にできることは先へ先へと進むだけ。でも、そのお母さんの一瞬の表情は脳裏に焼き付いて離れない、私にとって忘れられない光景となりました。そんな光景と出会ったとき、人は今まで人生に対して多少なりとも抱いていた希望や幸せが存在することへの確信がゆらぎ、不安にかられはじめる自分を発見します。いったいその光景は何を意味するのか。自分はなにをすべきなのか、そしてこれから自分はどう生きてゆけばよいのか...
 

 もう12月。クリスマスや忘年会、年末の駆け込み的な忙しさ等であっというまに過ぎてしまうそんな師走。そしてまた、今年は自分にとってどんな一年だったか、また来年はどういう一年にしたいかなんてふと考える頃でもあるかもしれませんね。でもこの時期、この一年の忘れられない光景や出来事の中で出会った人達に様々想いをめぐらせるのも時にはいいのではないでしょうか。


 きっと誰かが自分のことだって忘れずにいてくれると信じながら。

 そう信じましょうね。

 あのお母さんと男の子、そしてこれを読んでいただいた皆さんにとって幸せ一杯の今年あと少しと新年でありますように。(20151224日)

メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 麻布十番


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by yellow-red-blue | 2015-12-24 00:11 | Trackback | Comments(0)

メンタルケアと心の相談室 C²-Waveのオフィシャルブログです。「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、思いつくまま綴っています。記事のどこかに読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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