指輪ものがたり(Ⅱ)~ 立春の頃 ‘16


 ― 女性の場合は問題ないのですよね?つまり女性の指輪を見ても大丈夫ということですね?

「はい、そうですね。」とAさん。

― 変な話ですけど外国の方、例えばアメリカ人男性の指輪を見ていかがでしょう?やっぱりダメでしょうか?

Aさんはしばらく考えて、「それは大丈夫ですね、たぶん。」

― そうですか。ではAさんのお父さんのような高齢の男性が指輪をしてらっしゃる場合はどうでしょうか?いらっしゃいますよね、おじいちゃんでも指輪なさっている方が。いかがですか?

Aさんはまたしばらく考えて、「ええ、それも気にならないかもしれないです。」


― ところでなぜ女性は大丈夫なのでしょうね?どう思いますか?

Aさんのお答は、「それはやっぱり女性ですから。女性が結婚したら指輪をするのはごく普通で当たり前ですよね。むしろ指輪はしているべきかなと。ですからそれについて何も感じることはありませんね。」

― なるほどそうですか。では外国人男性についても大丈夫なのはどうしてだと思います?

「だって指輪をするという習慣がもともとは欧米のものでしょう?あちらでは誰でも当然指輪をするし、しない方がおかしいと思われますよ。」

― だからなんの嫌悪感もない、と?

「ええ、たぶんそういうことだと思います。」

― ではおじいちゃんはどうなんでしょう?どう思われますか?

「う~ん、よくわからないのですが、やっぱり人生の先輩である目上の方の手と指輪には、なんというか人生の年輪と落ち着きを感じさせる何かがあるような気がするからでしょうか...」

― なにやらこう納得させられる感じ?従うべき気持ちにさせられるといった感じがあるでしょうか?

「そうですね、なんとなく。」


― そうするとAさんとほぼ同年代あたりかそれより若い世代の男性の指輪が苦手ということなんですね?

 「ええ、そうだと思います。」

 ― あらためてそれはなぜだと思いますか?

「え?」

― 彼らに対して特別に感じることは何かありますか?何かとっさに心に浮かぶ感情のようなものがあるでしょうか?


Aさんはこのとき初めて言葉に詰まったように私には感じました。

― 女性も外国人もかなり年配の方も問題なく、問題なのはそれ以外の成人の男性世代の場合だけなんですね。それは何か意味するものがあるでしょうか?

Aさんはしばらく考え「競争相手、とか。でもちょっと違う気がする。」

― ライバルというか、「比較する(される)相手」と言う感じですか? それともかつてのあるいは今の自分自身が重なる感覚でしょうか?

「ええ、そういった感じかもしれないです。うまく言えないですが。」


この後もしばらく会話は続きます。

 ― ご自分でも指輪なさっていませんね。いつ頃からか覚えていらっしゃいますか?

「はい、それは転職後に結婚しましたが、新しい仕事では指輪が邪魔になるので、外して出かけていたのが始まりで純粋に仕事上の都合でしたね。いつごろから他人の指輪が苦手になったかどうかははっきりしませんが、その後しばらくたってからでしょうか。」

 ― ご自分であらためて指輪をしてみようと思いませんでしたか? もし自分で指輪をしたらどうでしょう?何を感じるでしょう?

 Aさんはここで再び言葉に詰まりました。

 ― ずっと拒絶感とか嫌悪感と言う言葉をお使いになられていますが、もっと別の感情というかお気持ちはないでしょうか?他の表現や言葉で思い当たるものはないか考えてみてもらえますか?たとえばもし拒否したいのが指輪ではないとしたら、どんな感情や気持ちを本当は「拒絶」「嫌悪」したかったのでしょうか?たとえばご自分で指輪をしたとしてどんな感情が浮かぶでしょうか?」

 こうした問いかけは、正直自分でもよくわからないで発したものだったのですが、しばらくしてAさんの口から徐々に出た言葉は、「不安」「焦り」「恐れ」そして「挫折」というものでした。


 実はAさんのカウンセリングはかなり長くかかりました。くわしくご紹介することはできませんし、また対話がこのよう順調に進んでいるわけではなく、その都度いろんな方向へと向かい行きつ戻りつを繰り返しながら、様々展開していきました。あらかじめ考えていたり意図した質問項目もあるわけではなく、その場その場で心に浮かんだことを中心に対話を繋いでいくというニュアンスですので、上でも白状しておりますが、自分でもよくわからない雲をつかむような感覚の語りかけをしてしまうこともしばしばでした。


他人(男性)の指輪を見ることへの嫌悪というAさんの悩みの根底には、ご自身の人間性や存在価値に対するある種の悲観的な思い込みが存在していました。無意識の奥底に存在する、自己否定的な思い込みのゆがみとそこから導き出される完璧主義的な世界観と思考パターンが、その後の自分の人生やキャリアについて折に触れ自らダメ出しを行い、あたかも人生の敗北者としてのレッテルを貼り続け、そんな中、自分に「指輪をはめることを許さない」という苦しい選択をしてきたのでした。自身が指輪をしないということは、自分を恥ずかしく思い、他者に比べ劣っている(と信じている)過去や現状に対する劣等コンプレックスが引き起こす結婚前の若い時代への退行感情からの行動とも言えます。他男性の指輪への思いはそこに自分自身を見るがゆえの感情に感じられました。


Aさんが原因と考えていた苦手の上司のことについても、上司との相性そのものよりも、上司が実は家族思いの父親であり、その優秀さゆえにその後も順調なキャリアを積んでいたという事実が裏付けする、Aさんの上司への「見立て違い」から来る苦い敗北感や恥辱感、自己嫌悪が、この悩みの引き金になったというべきかもしれません。そして、その後の辞職という挫折と転職によるキャリア再スタートの不安とがAさんご自身のご結婚の時期と重なったことも、本人のこうした想いに拍車をかける結果となったようです。転職やその後の進路についてはAさんご自身の熟慮の結果の納得の判断でした。しかし常に他者目線や周囲との比較が自分の価値を決定してしまうというAさんのいわば体質が、理由はどうであれ一流企業での順調なキャリアや成功の約束された人生からのドロップアウトであり、それは人生における「汚点」「失敗」であり、決して他者に打ち明けることのできない「恥」であるとの烙印を密かに自らに押してしまうこととなったのです。


Aさんには(そしてこれは誰しもに言えることですが)、幼少の頃から両親や周囲から受けた様々な言動を通じて経験、学習し、その後の発達成長の過程で、彼のパーソナリティに組み込まれてしまうまで繰り返し強化され続けてきた、物事のとらえ方の根底を支える強烈な思い込みがありました。それは言ってみれば、かつてまだ発展途上の幼いAさんが、自身の人間性や価値観について自らに下した揺るぐことのないファイナルジャッジであり最終的な結論のようなものです。その小さなしかし確固たる思い込みの断片は、人格の一部となって心の隅に棲みついていきました。決して意識に上ることはなく、自分の意志や理性とは一致しない、何らかのこころの作用があると気づくことなく、自分の人生の様々な局面に不快な影響をおよぼしてきたようです。そうした思い込みから抜け出すことなく、それら歪んだ認知はその後の人生のことあるごとに顔を出し、それが以降Aさんの思考や行動パターンを決定づけ、確認・強化を繰り返し、ときとしてより適切な自己変革と成長を阻んでいった可能性があると考えられます。


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by yellow-red-blue | 2016-02-12 19:00 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、カウンセラーとして、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。ブログのどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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