指輪ものがたり(Ⅲ) ~ 雨水の頃 ‘16


『自分はダメな人間だ。』

『自分は情けない人間だ。』

『自分は誰からも愛されない人間だ』


こうした自分自身に対して下した全面否定的な信念は、さらにそんな自分がこれからの長い人生を、そうした自分の本性と自信の欠如が露呈することなく生き抜くための実践法として、様々な厳しいルールを編み出しAさん自らに課していくことになります。

・人生は成功しなければならない(失敗は許されない)。

・常に努力しなければ、人に認められない。

・人前で恥をかくようなことはできない(他者に助けを求めることはできない)。

・常に優秀で他人より秀でなければならない。

・本当の自分を知られてはならない(ダメな自分が曝露されるくらいならそこを避けるべきだ)。


 こんな具合です。本人がこうしたルールを意識することもまたほとんどありません。

 おわかりと思いますが、これを実行し人生を送るには常に困難が付きまといます。人生に完璧などあり得ないからです。Aさんのような人は、その成長の過程で人生は失敗や挫折を経ながら成長していくものだということを十分に理解していながら、しかし同時にかつて彼が自分に下した「最終結論」はゆるぎないもので、「本当の自分」が曝露されるような事態を恐れるのです。それが動機となり、必死にそして過剰に頑張る行動様式が定着します。結果を残し、称賛され成功を収めることもしばしばです。そのような姿勢は社会的に高く評価される資質でもあり、それなりに達成感や喜びも味わえることになります。

 

 しかしそれらは、真の自己実現や人生の醍醐味、目標に向けてのチャレンジとモチベーションとを味わうこととは異なる意味をもつかもしれません。それらはひたすら罰への恐怖、本当の自分が知られてしまうことに対する恐怖から逃れるための性格防衛的な努力と、それによって辛うじて得ることのできる成果にすぎないかもしれません。低い自尊心と自己否定的信念がベースにあるこうした努力やもたらされる結果は、自身に対する不適切な信念や評価が正しいことをあらためて確認、維持・強化するものでしかなく、結局自己批判と自信喪失の悪循環が心の奥底で果てしなく続くというリスクをはらんでいます人生の様々な局面においてこうした人々に残された選択肢は、必死に努力しその有能さと社会的有益性を証明し続けるという補償的構えを続けるか、あるいは全く逆に劣等コンプレックスとして逃避を選択する(行動を回避するため、自分の信念やルールが果たして正しいのかどうか確かめることができず、同じ歪んだ認知・行動パターンを繰り返す)かのどちらかしか残されかねません。こうした自己否定的信念に基づく完璧主義的習性はまた、自分自身を「監視」するだけでなく、他者の「監視」も怠りません。周囲に対しても同じ心構えを期待し、それが実現しない状況に苛立ち、他者を一方的な思い込みや価値観で判断してしまうという副作用ももたらします。Aさんは後になって、仕事を辞めたことも、こうした完璧主義を演ずることができなくなりエネルギー枯渇状態に陥ったことが原因でもあると打ち明けてくれましたが、これでは誰でも苦しいのは当たり前なのです。


 Aさんのお話からは、様々な可能性と彼ならではの個性とを持ちながら、それらを大切に育む周囲のバックアップを受けられず、結果として自らの意思を健全に発達させることなく流されていった過去の人生に対する悔悟も伺えました。比較と競争とに明け暮れ、常に優秀であること、よい人であることを家族や周囲から期待され続ける中で形づくられていったAさんの無意識の中の信念は、彼の生きた時代の精神、共通した価値基盤であり、極めて社会的に好ましい性質でもあったでしょう。それが行き過ぎであり間違ったことかもしれないと成長していくAさんの理性や自我は理解しても、内なる声は絶えず自分と周囲とを比較し、他者や所属集団、社会的な配慮が評価軸となり、あるがままの自分固有の価値と選択を認めることのできない体質を今日まで存続させていたようです。


こうした自滅的な思考パターンと行動パターンの見えざる悪循環は、そのほとんどがまだ人間的に未熟な人生早期(幼少~思春期)においてそれぞれに起きた、様々な体験と学習とにそのルーツがあると考えられています。世間の目、周囲との比較と競争にさらされる人生の中で受ける周囲からの絶えざる叱咤激励は、たとえその動機が子への愛から出たものだとしても、あるがままの自己を受け入れることや自分の力で環境をコントロールしていく自己達成感の萌芽と促進が不十分な子どもにとって、そうとは受けとめることはできないかもしれません。そこには、自分なりの努力や進歩、成長を認められることなく、どこか心の底でいつも「十分でない」と自分を責め重箱の隅をつつくようなあら探しを繰り返し、雪だるま式に増え続ける自己批判の渦をみずから引き起こし続ける自信のない子どもを生み出す危険性もはらんでいます。人生早期にはありがちなちょっとしたつまずきや傷つき、親の口癖や皮肉、純粋素朴な好奇心や発展途上ゆえの浅慮、欲望から生まれた罪なき行為に対する大人目線的、後知恵的な否定や不信の眼差しは、以後決して消えることのない残像として子どもの心に奥深く刻まれるかもしれません。

私たち人間には、誇りと尊厳が必要であり子どももまた同じです。子どもは温かな愛情と関心、励ましを受けることが必要で、それを通じ自分自身であることそれだけで十分受け入れられている存在であることを確認していきます。親は子どもにとって常に安心と安全を保証するこころの安全地帯であることが求められます。悪い行いや失敗を叱責しても、人格そのものを否定するような言動は慎まなければなりません。


誰が悪い、間違っていると決めつけることではありません。互いの心のやり取りのすれ違い、思い違い、とらえ方の温度差は私たちが人間として生きていく以上避けられないものです。成長の過程で、あるいは治療やカウンセリングを通してそれらを克服することも可能です。ですが自分に対する誤った信念と、その信念が生み出す生きるための様々なルールという見えないハンディを背負いながら生きることは、ブレーキを踏みながら同時にアクセルをふかし前に進むことのように、人より何倍もの精神的負荷を日々味わうことでもあるのです。Aさんは教養も社会的分別も備え、人生の何たるかを年齢相応に十分に承知し生きていらっしゃる明るく素直な性格の持ち主です。しかし同時に、心の奥底にある全く背反する歪んだ思い込みが当然のごとく頭をもたげ、その両者の内なる葛藤に常に悩み続けてきたと感じました。


 カウンセリングのアプローチはまさに抱える問題や相談者の症状などにより本当にケースバイケースです。ごく常識的なアドバイスや対処法を提案することや、悩みの胸の内を徹底的にさらけ出すことで何らかの解決をみる比較的シンプルなものから、何度もカウンセリングを重ねる必要のあるケースまで様々です。また、問題の根底にあるものが何であるのかが判明した(クライエントとカウンセラーとの間で了解と理解を共有できた)としても、それを消去するための心理的療法を重ねることが常によいとは限りません。

 Aさんの無意識的な構えが続いてきたのには、そこに過去において確かにメリットと意味があったからであり、彼が頑張ってきた人生の証であり能力の高さともいえるからです。いわばAさんのお人柄や存在そのものと不可分の関係です。そのことをあたかも間違いであるとして治療的に変えるようなことは、中年期を生きるAさんの今後にとってはマイナス面が大きい可能性もあります。


 Aさんのような悩みや症状は、決して健常者と質的に区別されるような別次元の病理ではなく、状況や環境に応じその適応性のレベルに偏りが出てしまうといった捉え方のほうがよりわかりやすいかもしれません(だからといってそれがあまり深刻なものではない、という意味ではありません)。わたしたちは多かれ少なかれ何事かについて、適応的だったり不適応だったり、耐性があったり脆弱になるものです。わたしたちの中にある「正常」と「正常でない」部分とは、連続性のあるいわば同一レール上の繋がりであり、その状況は誰でも常に変わり得るという認識を持つことも必要です。


 このあたりは確かに微妙です。問題がすべてスッキリ解決するわけではないが、むしろそれをあえて引きずっていけるエネルギーが芽生えてくることが大切です。私はカウンセリングを通じAさんにはその力と意志があると感じました。彼の人格や知性、無意識との折り合いへの理解は、私よりずっと優れているとさえ感じていたからです。

 過去を悔やみ、将来を不安に思い、今という現状に悩み、人生の意味や目標の喪失にあらためて苦しむ代わりに、過去を許し、未来に目標と希望を思い、今はできることをただ「する」ことに集中する。簡単なことではありませんが、Aさんの表情には少し安堵と希望が見えたように思いました。


最後に私は一つだけ提案をしました。

「ご自身で指輪をもう一度なさってみてはいかがですか?」

 あらためて新しい指輪を奥様とご一緒に選ぶことを楽しむことだっていいかもしれません。

 そこに特別な意味付けはありません。単に「指輪をする」ただそれだけです。あなたはあなたなのですから。


指輪は何かを達成しやり遂げたご褒美でもなければ、人生勝ち組としてのステータスの証でもありません。たとえ満足していなくても、苦しい状況であっても、自分から目を背けず等身大の自分がまさに尊く価値ある存在であることを認め、そして受け入れること。指輪は決してその足かせではなく、そう思えるきっかけを逆に与えてくれるものであることを、今のAさんなら理解しているに違いないと感じたのです。


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メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 麻布十番

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by yellow-red-blue | 2016-02-19 19:55 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心安らぐ経験や出会いなど、時にカウンセラーとして、時に仕事から離れ、思いつくままつらつらと綴っています。


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