フロイトと絵画 ~ 啓蟄の頃’16

 
 最初にお断りしなければなりませんが、タイトルから想像されるような濃厚な精神分析の世界や臨床心理学的知見のお話とは全く無縁の、たわいもないごく日常のお話ですのでどうかご容赦のほどを。


「ちょっと、これって詐欺だわよね~まったく。」

 まあまあと言いつつ、しかし密かに笑いを噛み殺しながらその方のお話を伺っていました。先日ある知人宅にお邪魔した際、彼女が最近訪れたある美術館で開催されている展覧会に対して一言モノ申していらっしゃったのです。

日本ではつとに人気の高いヨーロッパ絵画の巨匠2人の特別展ということで彼女が友人を誘い出かけたところ、その告知ポスターやパンフレットの宣伝文句とは裏腹に、有名作家2名の作品はそれぞれわずか1点ずつ、あとは別作家の作品ばかりだった、ということで冒頭のセリフとあいなったわけです。

 注意深く見れば、どうやらすべての作品が2人のものではないことは伺えるものの、確かに展覧会タイトルやポスターデザイン、宣伝パンフレットのうたい文句などから察するに、客寄せのための「誇大広告」「抱き合わせ商法」的と言えなくもない内容にも思えました。芸術鑑賞に慣れていらっしゃる方ならそのあたりは織り込み済みで特別珍しいことではないと考えるところかもしれませんが、巨匠の作品の鑑賞を期待して訪れた多くの方々は、やはり彼女と同じ思いをされたに違いありません。


 「そりゃこういう絵画を持ってくるのは大変でしょうから、展示作品の全部とまではいかないのはわかるわよ。でもあの宣伝のしかたで、展示の中のたったの2作品だけというのはあまりにひどいでしょ?」

ええ、まぁたしかに。事実、彼女によれば美術館側もそれを薄々承知して、チケット販売スタッフの方がそのあたりわざわざ確認をとっていたそうです。つまり「実際には2作品しかありません。それでよろしいですか?…」ということを。そんなあたりも彼女にとってはなおさら気に障ったようで、「そんなお断りしておきますがみたいに言うなら、もっと事前にはっきりしておくべきじゃない?あんなポスター作って一般常識人ならあれ見たらどうとるかなんてわからないはずないでしょう。全く頭にきちゃう。ああいう商売しちゃダメですよ。」

ええとハイ、確かに美術館も商売には違いはないですからその通りですね。で、それで頭にきて観るのをおやめになったのですね?

「観たわよ~もちろん。交通費と時間をやりくりしてきたんだから、今さらハイじゃやめておきます、なんて言えるわけないじゃありません?ホント癪に障るったらありゃしない。」

ハハハ、そうでしょうね。(気持ちを切り換えるつもりで)でその2作品はやはり期待通り素晴らしかったのでしょう?他の作品にしても優れた芸術には違いないでしょうからいい作品なんかあったのではないですか?私も絵画鑑賞は好きな方ですのでそのあたり

「え?もう何だか最初からガッカリさせられちゃったから、特に印象に何も残ってないわね。どれもこれもそう。まあまあだったかしらね。ササーッと見て出てきちゃったわよ。」


ササーッとですか、と思いつつも、私たちにはそんなところもあるかなとも思いました。こうしたネガティブな情報が事前に脳にインプットされ、期待はずれというマイナスな思いのフィルターができてしまうと以降フィルター越しに物事を認識しがちな傾向にある私たちの脳は、言ってみればかなり気まぐれな存在です。逆に言えば私たちの行動は、ある種の権威や社会的評価、ブランド志向によるお墨付きがあると、つい無条件に信じ受け入れてしまうといった心理的傾向があるために、ときにある意味合理的でない判断をしてしまうということがあるのは、皆さんもご経験がおありなのではないでしょうか。こうしてみると、ぶれることのない自分自身の評価や判断、それに基づく選択がなかなかできないのがわたしたち人間なのかもしれません。



話は変わりますが、私も時間があると美術館へたびたび足を運びます。私にとってそれは気分転換あるいはストレス解消の方法でもあり、現実逃避の一手段ともいえなくもない、いってみればこころのオアシスのような存在です。最近では、より多くの方々に飽きさせることなく芸術作品に親しんでもらえるよう、美術館も様々な工夫を取り入れているようです。テーマや切り口が斬新な展覧会を催したり、より詳細でわかりやすい解説用パンフレットや作品リスト、会場に設置される凝ったディスプレイや音声ガイド、専門家による講演会や付随イベントなどなど、おかげで私たちも様々な楽しみ方ができるようになりとても喜ばしいことのように思います。

こうした展覧会での芸術作品の楽しみ方は人それぞれですが、私にもいつ頃からか私なりの鑑賞スタイルというか独特の一風変わった鑑賞のコツが身につくようになりました。


その1つは、作品や作者に関する情報、見どころや作品の芸術的・歴史的評価などの情報に事前に接することはせず、また展示の順番にも関係なく、ひたすらゆっくり接することができる作品から始めて、じっくりひとつひとつの作品と向き合う、というものです。もちろん展覧会について最小限の情報や知識は持ちあわせますが、その他の予断や予備知識を捨て、作品をランダムに自分なりの感性でまずはよく味わってみるのです。そして自分が感銘を受けた作品は繰り返し戻っては見るを繰り返す。パンフレットや解説、展覧会場での文字情報(特に作品の表題など)は鑑賞後にゆっくりと確認したりりします。多くの来場者で混雑しがちな優れた作品の展覧会をどうしたら自分のリズムで心行くまで楽しめるだろう、と思いあれこれ模索の結果からこの方法に落ち着きました。


2つめは、作品の見方というか態度です。作品をじっと見つめはするのですが、あまり細部にこだわらずむしろ絵全体として、そのまま自分の中に写し取るイメージ、あるいは逆に作品に身をゆだねる感じというのでしょうか。力を抜いてリラックスしながら、視覚を用い頭で理解しようとするよりも、むしろカラダの中にそのまま取り込み受け取るような意識とイメージを持ってみることにしています。

そうしてしばらく作品に接していると、自分の中で次第に様々な想像力や情念(のようなもの)が活性化され、じわじわと湧き出してくるものに気がつくことがあります。それはもはや作家の作品意図を超えたところのものかもしれませんが、より一層その作品の深部に到達したような感覚を覚え、結果細部へのこだわりや芸術性がいきいきと感じられるようになってくるのでちょっと不思議です。あとになって作者や作品についての詳しい解説や知識に触れ、自分の中の評価との比較を楽しむことにより作品の本質への理解がより一層深まるという次第なのです。こうすることで正しい鑑賞距離や作品と額の関係、額縁そのものの素晴らしさなど、作品周辺のいろいろなことも次第に理解が深まった気がします。あくまで「気がします」というレベルですが。

かの作品を客観的な評価に即座に浴するのではなく、主観的にそっくり取り込みそれを自分の内面(主観)と対峙対話させ相互反応させることによって、無意識的に浮かび上がるメッセージ性を楽しむとでも言ったらいいのでしょうか。


ただ、何かこういわく表現しがたいとても感覚的な話なので、うまい説明が見つからなかったのですが、あるときまさにピッタリの言葉に思い当たったのです。私にとってはまさに『灯台下暗し』と言う感じなのですが、心理学に明るい方ならよくご存じの精神分析学の祖、フロイトのあまりに有名な一説がそれです。

『どのようなものに対してであっても同等に向けられる漂うような注意のあり方、ボーッとした態度』

これは精神科医など精神療法を施すセラピストが相談者の話を聴く際の基本的な態度や姿勢として、フロイト先生が答えた言葉です。短いながらなかなかウンチクと噛みごたえある表現であり、カウンセラーにとってはある意味とても共感し得る姿勢に思います。観察することを放棄するわけでもなく、またただ漠然と接するわけでもないが、さりとて様々な予断や考え、意識や集中にとらわれ過ぎない絶妙なるバランスと自然体をもって臨むことが求められるということでもあるでしょうか。かえって対面していた時には気づかなかった部分があとからじわじわと浮かび上がるということがあります。集中力と観察力、事前情報や経験に基づいた現象の把握だけが人を見ることではないのでしょう。あまりに話の内容を理解することに集中しすぎていたり、相手のことを聴いているようで実は自分の考えを思い巡らせているだけで、結局相手から発せられているその他多くのメッセージを見逃していたり意味を取り違えてしまったりすることはしばしばあることです。「木を見て森を見ず」ということなのですね。


ついでと言っては何ですが、ここまで書いてきた文脈と少し異なりますが、フロイト先生同様なかなか味わいのある表現をちょっと長いのですが引用します。


『一つか二つの点は並外れて明晰に見るんだが、そうすることで必然的に、全体を見失ってしまう。深く掘り下げすぎて過(あやま)つ、ということもあるのだ。真実はつねに井戸の中にあるとは限らない。実際、重要な事柄に関しては、決まって表層にあるものだと僕は思う。深さは我々が真実を探す谷間に存するのであって、真実が見つかる山頂にではない。この手の過ちがどんな形をとり、どう生まれるかを考える上で好例となるのが、天体を眺めるという営みだ。ある星をはっきり見ようと思ったら、それをチラチラ横目で見るのが一番だ。その星に、網膜の外側(こっちの方が内側より弱い光に対して感度がいい)を向けることで、その光具合が一番よくわかる。全面的に目を向けてしまうと、それに比例して光は弱まってしまう。目に当たる光線の数としてはその方が多いんだが、チラチラ見る方が光を把握する力は精緻なのだ。過度の深みによって、我々は思考を惑わせ、弱めてしまう。あまりに長時間見たり、あまりに集中したり直接目を向けすぎたりすることで、金星それ自体すら天空から消してしまいかねない。』

エドガー・アラン・ポー『モルグ街の殺人』(「アメリカン・マスターピース古典編」柴田元幸訳、スイッチパブリッシング出版)


芸術鑑賞がカウンセリングスキルの向上に一脈通ずるものがある、と断言するにはちょっと都合のいいあまりに我田引水に過ぎる話でしたが、密かに私が日頃実行していることなのです。




私たちの生きる社会はとかく慌ただしく複雑で、肉体以上に精神を酷使しがちです。ありふれた言い方になるかもしれませんが、心のオアシスと呼べるそんな心のあり場所(居場所)をさまざま模索してみるのも大切です。あまり堅苦しく考えずに、とにかく好きだ、特別に理由はないがなんとなく続けている、気持ちが落ち着いたり前向きになれる、といった「日常のささやかな営み」を大切にしたいですね。そうしたことが日々の行き詰りを解消する何らかのきっかけを与えてくれものと考えているからです。


メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 麻布十番 

 ~いつもお読みいただいてどうもありがとうございます。


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by yellow-red-blue | 2016-03-04 20:30 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、カウンセラーとして、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。ブログのどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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