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ルノワールと幸福な日常 ~ 大暑の頃’16


オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵 ルノワール展(427日―822日 国立新美術館)


国立新美術館で開催中のルノワール展は、開催期間も残すところあと1ヶ月あまりとなりましたが、すでに来場者数40万人を突破する人気ぶりだそうです。これから夏休みに入ることもあって、入場者数はさらなる勢いで伸び続けることでしょう。

 ピエール・ オーギュスト・ルノワール(1841-1919)と言えば、ゴッホやピカソ、モネなどと並んで、世界的に最も知られ人気の高い西洋画家のひとりであり、絵画芸術史上不動の地位を占める印象派絵画の巨匠であることはご存知の方も多いと思います。美術や絵画に興味のない人でも、その名前ぐらいなら聞いたことはあるでしょう(関東の方でしたらよくご存じの喫茶室「ルノアール」も彼の名前からとったものです)し、ルノワールという名前は知らなくても、その作品はポストカードや本や雑誌の挿絵、はたまたジグソーパズルやCD・レコードのジャケット、企業カレンダーの素材などの定番として私たち日本人にもお馴染みで、その作品のいくつかはどこかで一度は目にしたことのある方が多いはずです。その彼の珠玉の作品が、印象派絵画の世界的コレクションで知られるオルセーとオランジェリーの両美術館から大挙してやってきているわけですから、その人気ぶりは当然と言えるかもしれません。   

  

 私も早々に展覧会を訪れ素晴らしい作品の数々を堪能しましたが、ルノワールがテーマで何なのですが、実は今回強く印象に残ったのは、その展示作品もさることながら、むしろ鑑賞にそこを訪れていた人々と会場内をただよう空気でした。美術館通いをするようになって随分とたちますが、展示作品以上に観る側の人々の様子や会場の雰囲気がより印象深かったというのは今回が初めてです。かといって、その日が何か特別な日であるとか、特定の団体が訪れていたなどというわけではもちろんありません。その日も全く普通の、普段の展覧会の一日に過ぎませんでした。

開催前より話題となっていた人気の展覧会ですから、事前に覚悟していた通りの混雑ぶりの中での鑑賞とはなったのですが、不思議と穏やかでゆったりとした空気が流れていたことに、少々驚かされました。特別静寂なわけでもなく、かといって人込みでごった返してどことなく落ち着かないざわついた感じでもなく、なんとも「感じのいい」雰囲気と静粛感とが会場全体を覆っている感覚を覚えたのです。

言葉を発せずに作品をじっくり鑑賞したりメモをとったり、音声ガイドに耳を傾けるたくさんの人に交じりながら、様々なひそひそ会話が自然と耳に入ってきます。こんな感じです。

「あの横に咲いている花なにかしらね?」

「あの女の子の肌見てよ、きれいよね~」「でもちょっと腕太いかしらね。今だとダイエット必要かもね。」

「いいお宅だな~。向こうはこんな家が今でもたくさんあるんだよね。」

「これこれ、オルセーで観たの。やっぱりいいね~」「ところで旅行一緒だった山崎さん最近どうしてるか知ってる?しばらく会っていないけれど。」

「お腹空いてきたわね~、お昼どこにする?」

 展覧会でよく耳にするこうした類の会話には、人が絵画について無知であるとか、退屈なものあるいは難解であるからなどという理由から発せられるとは必ずしも言えないですよね。楽しみ方はそれぞれなのですが、むしろ私は今回、会場内外の雰囲気と行き交う人の笑顔や表情に接して、こうした光景こそがルノワール作品の魅力の秘密なのではと感じたのです。ではそもそもなぜルノワールの絵画は「人気がある」のでしょう?


ルノワール絵画の魅力とは、誰にも了解可能な「わかりやすさ」をもって、「日常の幸福」をいきいきと、そしてどこまでも美しく描いたことにあるでしょう。彼の作品には、その主題や対象、構図や構成、色彩と筆致など、すべてにおいて群を抜いてすぐれた明朗さと美しさの深みがあります。それらがもたらす安心感に何の迷いもなく浸ることができるその幸福感こそが、ルノワール人気を支えているのです。

 「わかりやすさ」とは言ってみれば、私たちに何も求めてはこない、ということでもあるかもしれません。私たちは、提示されたものを純粋受け身的に受け取るだけでいいのであって、そこに作品の背後に読み取るべき画家の積極的なメッセージや世界観、メタファを意識する必要はありません。ルノワールはそのすべてをキャンバスの中で表現しつくしており、それ以上でも以下でもなく、私たちはそれにただ身をゆだねれば、ただ受け取ればいい。その心地よさにひたすら浸っていればいい、というわけです。

それはちょうど、私たちが自宅のリビングのソファや映画館の座席に腰掛け、スナック菓子でもつまみながら、娯楽映画を見ているようなものでしょうか。ゆったりとリラックスしながら、画面やスクリーンに映し出される映像に身をゆだねていればいいだけです。まさに見えること(seeing)がすべて、それですべて事足りる、といった状況に近いといえるかもしれません。


 一方で「わかりやすい」「人気が高い」ということは、ルノワール作品の評価をめぐって、一般的な人気と芸術美術専門家の評価との間にしばしば見られるギャップを意味しているともいえます。見えること(seeing)よりも意識して見ること(looking)、作品をどう読みどう解釈するかに重きを置き、その歴史的社会的背景や絵画芸術史上の意義と価値について探り評価しようとする専門家から見れば、ルノワールの絵画は、批評的分析的に見る余地をほとんど与えない芸術であるとして、ときに「物足りない」との評価につながることにもなります。

 いってみればより通俗的で、古典的自然主義的な方向へと回帰しつつ、独創的かつ自由な表現技法を追い求めたルノワールの作品は、一般的人気を博しても、印象派という近代に起こった斬新かつ挑戦的な一大芸術運動における表現技法を含めた存在感や、その後の絵画芸術の歴史的展開へ与えた影響などにおいて、たとえばエドアール・マネ、クロード・モネ、エドガー・ドガ、ポール・セザンヌ、あるいはポスト印象派としてのヴィンセント・ファン・ゴッホやポール・ゴーギャンなどと比較し、諸説あるもののその芸術的価値において一歩譲るという評価にもなり得るのです。


 しかし、磁器の街として名高いフランスのリモージュで洋服屋兼仕立て屋の家庭に生まれ、若いころ磁器の絵付け職人として修業を積んだルノワールは、画家や芸術家である以前に「職人」であったのでしょう。彼の作品に共通する洗練と精緻を極めた筆遣いと巧みな配色、芳醇な色彩表現とが生み出す、思わず引き込まれるような美しさと安心感には、そうした職人としての職業的背景が色濃く反映されているように私には感じられます。

ルノワールの絵画が本質的に語り掛けてくるものは、野や川の風景や親しい人々の肖像や少女たちの姿、踊り集う人々、近代の自然や都市の姿そのものです。彼の描く日常の幸福と安心に、芸術運動における思想的メッセージ、人生における複雑な陰翳、時の移り変りへの感慨、内面的自我の表象といった要素が入る余地はありません。印象派が絵画芸術史上画期的な芸術的意義を持ち、近代の精神性を色濃く反映する芸術であったとしても、彼にとってまず絵画とは、うごめく複雑な感情体験の表象や内的世界との対峙とは無縁の、あくまで日常を題材とした職人技術の究極的な表現の場だったでしょう。すべてが私たち誰にも了解可能な意味世界の領域のなかで繰り広げられる芸術であり、そしてそれが彼の職人としての匠の技により、限りなく美しい日常世界となって表現されつくされているのであれば、それに抵抗することは私たちにはもはや不可能です。


だからこそ、ルノワールの作品には常に時代を超える「今」があります。そして観るものの側の「今」と呼応し、私たちの日常を支え希望を託すことのできる力強さがあるのです。冒頭の会場の雰囲気や会話する人々の情景は、ルノワール作品のこうした不思議な魅力を物語るものであるかもしれません。どの作品も、私たちが誰一人見たこともなければ経験したこともない時代を彼が主観的に描いた世界です。にもかかわらず、これほど皆が了解する美しいものが表現されうるのであれば、そしてそれがとても明瞭に私たち一人一人の心に届くのであれば、きっとこうした世界はいつの時代にも生まれるだろう、そして希望は今でもあるに違いない、と私たちが無意識直観的に確信できるほどに、彼の芸術は永遠を宿しているのです。

複雑で世知辛く、そして気持ちが萎えるようなニュースや情報が次々に世界中から飛び込んでくるのが当たり前の、言ってみれば「わかりやすさ」と「美しさ」とは対極の空気と時間が流れがちな私たちの日常の中で、ルノワールの作品は単なる過去の美しき芸術を超え、今とこれからを生きるためのぶれることのない心の主軸のありかを確認し、回復するためのエネルギーに満ちていることに気づかされるのです。




 つい先日、美術館での鑑賞を終え、都心から郊外へと帰宅するとおぼしきひとりの女性を地下鉄車内で見かけました。その手には、ルノワール展の作品目録とミュージアムショップの袋が握られていたので自然と彼女に目がいってしまったのです。その表情や物腰、着衣などから勝手な想像をするに、70歳代半ばぐらい、すでに年金生活に入りささやかな暮らしをしていらっしゃるような、よく見かけるごく普通のご婦人でした。ひょっとしてお一人で質素にお暮らしなのかな、と感じさせるような雰囲気もお持ちでした。

 車中その女性は大切に作品目録を見開き、あたかも想像の中でもう一度展覧会場を巡っているかのような優しい微笑みを浮かべ、心奪われたような面持ちで一心に目録に見入っていらっしゃいました。とても好ましいお姿でした。恵比寿駅を過ぎ中目黒駅に差し掛かる手前、地下鉄が地上に出るあたりで彼女は目録から目を上げ、陽光注ぐ車窓を背にしばしぼんやりとその視線を外の景色へと移していました。ひたすらうつむき加減にスマホ画面を見つめる列車内の人々とあまりに対照的なその姿と表情は、大袈裟ながらとても凛々しく私の目に映りました。降りる駅まではまだしばらくあるのでしょう。

そのときの彼女は、そして目録に魅入られたかのような表情の彼女はたしかに、ルノワール作品に登場する踊り、読書し、野外カフェでくつろぎ、野の小道を辿る、幸福な人そのものでした。

ルノワールが私の最も好きな印象派画家であり、彼が他の画家より優れて偉大であると考える理由がまさにそれなのです。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

メンタルケア&カウンセリングスペース 六本木けやき坂

ルノワールと幸福な日常 ~ 大暑の頃’16_d0337299_17442570.jpg


Tracked from dezire_photo.. at 2016-08-02 19:58
タイトル : 光と色彩を愛し生きる喜びを表現した画家・ルノワール展
オーギュスト・ルノワールPierre-Auguste Renoir 国立新美術館で日本では最大級のルノワール展が開催されています。日本でのルノワールの人気は絶大で、一時的に一大ブームとなった伊藤若冲や歌川国芳やフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』などの例外を除くと、日本で一番安定した人気を誇る画家と言えます。... more
Commented by desire_san at 2016-08-02 19:57
私もルノワール展を見てきましたので、興味深い内容を一気に読ませていただきました。「ルノワールの作品には常に時代を超える「今」があります。そして観るものの側の「今」と呼応し、私たちの日常を支え希望を託すことのできる力強さがあるのです。」のお言葉は大変共感しました。ルノワールの最高傑作と言われる『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』には人々の生きる喜びがあふれていて、私たちに元気を与えてくれるのは、ルノワールのそのような本質が凝集されているからだろうと感じました。

私も今回のルノワール展からルノワールの絵画の魅力となぜルノワールの絵画が見る人を魅了するのかと、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌとの芸術の本質的の違いを考察してみました。読んでいただけると嬉しいです。ご意見・ご感想などコメントをいただけると感謝いたします。


Commented by yellow-red-blue at 2016-08-04 18:40
> desire_sanさん
はじめまして。このたびは、私の拙いブログをお読み頂き、また暖かなコメントも頂いてとても嬉しく感じました。ひるがえって、desire_sanさんの素敵なブログとその内容の素晴らさに思わず溜息です。普段思いつくまま書きっぱなしで放置している自分を反省するよい機会になりました。
『ルノワールとゴッホやゴーギャン、セザンヌとの違いは、ルノワールと自分が生きている時代で最も美しい絵画を目指した』『自分も含めた、庶民たちの今を生きることの喜びを表現かることがルノワールの探求していた最大の関心事だった』私も本当にそう感じました。知的探究よりも、むしろ職人気質からくる日常の美的表現の追求こそがルノワール芸術の本質なのかもしれないことを、desire_sanさんの『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』の考察を読んでも改めて考えさせられました。ありがとうございました。これからもブログ楽しみにしております。
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by yellow-red-blue | 2016-07-22 22:50 | Trackback(1) | Comments(2)

メンタルケアと心の相談室 C²-Waveのオフィシャルブログです。「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、思いつくまま綴っています。記事のどこかに読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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