2016年 11月 07日
試験の季節 ~ 立冬の頃‘16
気がつけばもう立冬。暦の上では年が明け春分の日を迎えるまでの間、冬の季節がいよいよ始まったことになります。日はどんどん短くなり、朝夕を中心にすっかり冷え込むようになり、木々も本格的に色づき始めました。木枯らしが東京を吹き渡るのもそう遠いことではないのでしょう。
こんな季節になると、仕事や移動の合間につい暖かい飲み物を求めてカフェにぶらっと立ち寄りたくなってしまいます。コンビニとカフェの場所だけは不自由しないのが東京ですが、私の仕事場周辺もカフェが多く、平日週末、早朝夜遅問わず、いつ行ってもどこも席を確保するのがむずかしいくらいの盛況振りです。
同じコーヒーやお茶なら、もっと気軽にしかも安く飲める仕事場や自宅で事足りるだろうと思うこともないのですが、考え事をしたり仕事の作業に煮詰まるときがよくあります。そうした状況を打開するため外の空気を吸いに出かけ、いつもとは違う居心地いい場所へ身を置いて気分転換することが、逆に集中力とやる気を復活させたりするものです。時にひとりで作業していると、集中している時には気にならない、ふとした孤独感のようなものがこみ上げ、ついつい他人の穏やかな存在と喧騒を求めて、そんな場所へ出かけていくなんてこと、みなさんにもあるでしょうか。
カフェへ行けば、それこそいろいろなことをしている人がいるわけですが、なかでもいわゆる「受験組」とでも言うべき、入学受験や資格試験勉強など、勉学にいそしむ社会人や学生さんの姿をよく見かけます。自宅の一人だと甘えや誘惑にかられて逆に集中できなかったり、休日でも勉強しなければならない自分がちょっと虚しかったり。かといって図書館は遠いか、何だか勉強組ばかりの重苦しい緊張感もないではない。それなら、多少のうるささが気にはなるけれど、柔らかな雰囲気に穏やかなBGMも流れ、適度にリラックスできる居心地のいいカフェ空間のほうが、落ち着いて勉強できるし寂しさも感じることはない、そしてもちろんお茶も美味しい、というわけなのでしょう。
先日も仕事場近くのカフェに立ち寄り空いている席に腰かけると、隣はやはり黙々と勉強なさっている社会人男性でした。休日でしかもこんな朝早くなのに、と思ったのですが、普段仕事で忙しい会社勤めだからこそ休日こんなところに来てまで勉強しているのだ、とすぐに考えを改めました。チラリ書籍を覗けば、偶然にも私もかつて受験したある国家資格受験用の参考書でした。暑い夏を過ぎ、年明け冬の学校受験期前の今の季節は、国家資格などの資格受験シーズン真っ只中でもあることにちょっぴり懐かしく思い当たりました。
言ってみれば、年に1回(の場合が多いと思いますが)のチャンスをものにするため長い間必死に頑張ってきた多くの皆さんが、緊張と闘志を胸に各地の試験場に足を運ぶシーズンでもあるのでしょう。カフェを見渡せば、そんな人達がそこここにいらっしゃるようでした。
そんな中、居心地のいいカフェでコーヒーをすすりながらふと、随分と前のちょうど今頃のある日のことを思い出しました。
その国家資格試験の試験監督の一人であった私は、朝からどんよりとした雲が立ち込め今にも雨が降りそうな寒々とした空の下、都内某大学キャンパスの試験会場の一つに足を運びました。
電車で会場に向かう途中、受験生でもないのにピリピリと緊張感に包まれている自分にちょっと驚きました。たかが試験監督、むしろ気楽な気持ちでできるはずと思っていたのに、ほんのその数年前は受験生の立場だった頃の自分の心境が無意識のうちに込み上げてきたようなそんな感じでした。そしてそれは、受験会場の担当教室(小さな教室でせいぜい30数名ほど)に入り、受験生の一人一人の表情を眺めているとより一層実感することになりました。
皆さんの表情に特別なものはありません。でも内心は痛いほどわかるような気がしました。試験に合格しなければ何もならない。結果が全て。落ちたらどうしよう、わからない問題が出たらどうしよう…いや、やるだけのことはやった、自信を持ってやろう…。きっとここに来るまでにそれこそ様々な困難や葛藤に遭遇し、犠牲を払い頑張ってきたのでしょう。そしてそのこと自体すでに十二分に素晴らしいことだということに、関係のないこちらの方がなんだか妙に胸が一杯になっていたのを思い出します。
随分と昔のつらかった勉強の日々も心に沸き上がってきます。やろうと心に決めほとんど独学で始めた受験勉強。勤め人として毎日の仕事でくたくたで家に帰り、机に向かい本を開いてもちっとも頭に入らず、「もういいじゃない。別になんで今さら資格試験なんて。」と「途中で投げ出す?逃げるわけ?」、やる気みなぎる日とモチベーション低い不安と妥協の日。そうした悪戦苦闘と葛藤の繰り返しの日々を送る中で芽生え始める、ほんのわずかな自信と希望にすがりつつ(かなり大袈裟ですが)、なんとかたどり着くのがこの受験日なのでしょう。
でも、孤独の闘いとは言いながら、決して一人でそこまで来ることができたわけではなかったはずです。常に周囲の支え、はげましがあってこその成功への道。受験後まだ合否も決定しているわけでもないのに、なにやら感謝の気持ちがこみ上げてきたのが今でも忘れられません。ところがおもしろいことに、周囲の支えといって思い浮かんできたことが、何も直接励ましや支えを受けることに限ったことではなかったのです。
たとえば週末のある日。たっぷり勉強の時間が取れる(はず)のとても貴重な日。そんな週末に限って、「もう限界だぁ~!、今日くらいすっかり勉強のことなど忘れて一日遊んでしまえ。うん、そういうときも必要だ。気ばかりあせってもしかたないし」と自分に言い聞かせるサボりを決め込む。
自宅をを出でれば外は本当に気持ちの良いぽかぽか陽気。こんな日に家に閉じこもってるなんてやっぱり間違っている。そうだそうだ。街へ出ようと地下鉄に乗る。吊革につかまりふと目を落とすと、前の席で黙々と国家資格の試験問題に取り組んでいるスーツ姿の男性。そして今日は週末の休日....
気を取り直し、居心地のいい今どきのカフェでコーヒー飲みながらのんびり読書。いやなんて素晴らしい。ふと、はす向かいのテーブルに目をやれば、懸命に世界史の暗記に取り組んでいる女子高校生とおぼしき二人組の姿.....
しばらく読書。でもやっぱり気になる(小心者)。逃げるように早々にカフェを後にして表通りへ。場所を変えバスへ乗ろうと停留所で待っている。すると、目の前に停車するバスの側面を飾る某有名資格受験予備校の大きな宣伝文句...
結局溜息ひとつ。「やっぱり今日もちょっとはやらないと...」
地下鉄の男性やカフェにいた女子高校生、はたまたバスの運転手さんとはもちろん全くの他人、会話を交わすことだってありませんでした。でも後になって思えば、そんな人達にだって「ありがとう」と言いたくなる心境。決して孤独ではない、みんなも頑張っている。そんな勇気をもらえたからこそ耐えられた厳しい勉強の日々だったのでしょう。
試験終了のチャイム。「皆さん、長い時間本当にお疲れ様でした。これで試験は終わりです。くれぐれも忘れ物のないようどうかお気をつけてお帰り下さい。」試験監督マニュアルには載っていない言葉も最後にもごもごと口にしたことを覚えています。
でも、受験生の皆さんの耳には入っていなかったことでしょう。あるのはやっと終わったことへの安ど感、どっと押し寄せてきた疲労感に違いありません。一刻も早く会場を後にしたいとの思いから足早に教室を出ていく皆さん。寒々とした空は相変わらずでしたが、試験時間中降り始めていた雨はすっかり上がっていました。
「あの頃と同じくらい自分は今も頑張っているだろうか?」
居心地のいいカフェに腰かけ、今日も勉強に励んでいる皆さんの姿は、そう自分に問いかけるチャンスを与えてくれます。お疲れ様です。ありがとう。
最後までお読みいただいてありがとうございました。
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