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戒め、慰め、救いの言葉 ~ 小雪の頃’16

 ちょうどこのブログを書いている時、明日は都心でも積雪が観測されるほどの極寒である云々のニュースを聞いて、思わずえっ、と声に出してしまいました。昨年の今頃に書いた「読書の秋」の続編めいたことを書こうとした矢先だったので、さすがに「読書の秋」と強弁するのはどうだろうかとしばし考え込むことに(それでもやっぱり書くことにしましたが)。それにしても小雪の頃とはいいながら11月に雪とは、東京都心ではちょっと記憶にないので驚きです。慣れない積雪に危うく転倒しそうになりながら、通りを歩く明日の自分の姿を一瞬思い浮かべ、我ながら自分の心配性振りにあきれてしまいます。


 ところで、上述昨年のブログでも触れていましたが、日頃本を読んだり映画や芸術作品を鑑賞した折に、何だか妙に心に引っ掛かってきた言葉をできるだけノートやメモ書きに残して、後で折に触れ眺めるようにしています。ときに、切りのいいところが見つからず結局何ページにも渡ってヒーヒー言いながら書いてしまうこともあります。パソコンで打てばいいのに、と言われたり考えることもあるのですが、悪筆コンプレックスの塊のような私でも、何故だがこればかりはちまちまと続けています。自分で書いて文字にすると、不思議と文章を「深く」というより「強く」読んでいる感覚があります。ですから、何かをしていると急にフッとそうした言葉の断片が浮かびあがってきて(すべての言葉は思い出せないので)あとになってメモ書きしたノートに目を通す、ということになったりします。「妙な時に妙なことを思い出す」という感じに近いかもしれませんが、書いていた時には気が付かなかった意味合いやメッセージが別の形になって浮き上がってきたり、想像力が掻き立てられ関係のないシーンで思わず役に立ったりと、オリジナル作品の文脈や作者の意図とは違えども、それはそれで悪くない体験かなと思っています。


 先日渋谷で用事を済ませた帰り、ハチ公広場前スクランブル交差点を少し離れた距離からしばし眺めていた時思い浮かんだのは:

「人生はクローズアップでみると悲劇だが、ロングショットでみると喜劇だ。」

                          (チャールズ・チャップリン)

「人が交差点を渡っているような状態を考えた時、人が渡っている様子のような「外」から見える活動は、みな同じことをしているようにしか見えない。しかし、その時、一人ひとりの心の中では、外から見えるのとは違うことが起きている。心の中で起こっていることはそれこそ十人十色、多様である。」(三宅芳雄、三宅なほみ『教育心理学概論』)

 さらには何故だか、

「みんなを喜ばせようとしてごらん。誰も喜ばせることはできないから。」(イソップ)

「ただ、数字は抽象概念でしかない。すべてをひとくくりにすることが目的だから、人格は完全に無視される。私だって理屈は飲み込めるー犯罪被害者を助けるためには、数値化する必要があるのだ。しかし、ともすると、血の通わないただの数字になりかねないー女の子、3千人から5千人―。

 一人ひとりに事情がある。事情は少しずつ違うものの、ため息の出るほど、大まかには同じだ。」(ドン・ウインズロウ『報復』青木創訳)


 

 福島県沖を震源に再び大きな地震が起き、小規模の津波が東北地域一帯で観測された報道に接した時:

「災害―洪水やハリケーン―で生き残った人々に、記者はどうやって乗り切ったのかと尋ねることが多い。それに対し、神が祈りを聞き入れてくれたと答える者もいれば、それぞれに隠された寿命が具わっているかのように『まだそのときではなかった』と言う者もいる。たいていの場合、答えなどない。秘密もない。特別な技術もない。だからこそ、生き残った者の多くが後ろめたさを感じる。幸運を得たのは、他者より勇ましいからでも、賢いからでも、強いからでもない。ただ、ついていただけだ。」 

                  (マイケル・ロボサム『生か死か』越前敏弥訳)


 映画「スター・ウォーズ」のレイア姫役を演じたハリウッド女優のキャリー・フィッシャーが、当時共演者であったハリソン・フォードと不倫関係にあったことを雑誌インタビューで曝露し、却って多方面から非難を浴びたというニュースが報じられた時:


「その時思いましたよ、ミロのヴィーナスが最高の美女としての名声を幾世紀も持ち続けられたのは、結局のところ、単に彼女がものを言わないからにすぎないのだ、と。」

         (ローザ・ルクセンブルグ『獄中からの手紙』大島かおり編訳)



 ある相談者から、遠い過去に自分の身内の一人が唐突に自殺してしまったという話を聞かされたとき:


 「何か共通するものがあるはずだと思うんですが。」

 「自殺する人間に?」彼女はまた紅茶をすすり、今度も首を振った。

 「ひとり残らず落ち込んでることは確かだね。でも、そうじゃない人間なんている?あんたは毎朝、《ああ、生きてるってなんてすばらしいんだろう》なんて思いながら目を覚ます?」

 「誰にだってあることさ。誰でも過去をしょっていて、現在をめちゃくちゃにしながら、大して意味もないような日々を未来に向かってあがき続けてる。自殺する人間は自分を追い込んじまうんだ。『またか、もううんざりだ。そろそろバスを降りようか』ってわけ。そして大体の場合、彼らがそんな大それたことをするきっかけになったのはなんだったのか、誰にもわからないのさ。」(デニス・ルヘイン『雨に祈りを』鎌田三平訳)



夜、仕事の合間に古いジャズやブルースに耳を傾けていた時:

 「なぜ、黒人だけが芸術において死をリアリスティックに扱うのだろうか、と私は思った。白人は死を抽象観念としてとらえ、詩の材料に用い、気にかけるのは死とは縁遠いときだけだ。」(ジェイムズ・リー・バーク『ネオン・レイン』大久保寛訳)


 

仕事中のある時:

「上手なアドバイスや励ましよりも、ただ必死に分かろうと聴くことのほうが関係を支えるには大事であるということに気づくには何年もかかります。その間に、何度も自分の傲慢さに出会います。」(富田富士也『心理カウンセラーを目指す前に読む本』)


「誰一人自分が高貴な動機のみを持っていると言い切ることはできない。われわれは自分自身をあまりによく知っているので、われわれが百パーセント善人であってけっして骨の髄までエゴイストではない、などと自分をごまかすことはできない。最良と思ってやっても、われわれの背後にはいつも悪魔が立っていて、父親のように肩をたたいて『うまいことやったな!』とささやくのである。」(カール・G・ユング『心理療法論』林道義訳)



 「人はそれぞれの顔を与えられながら、それぞれの人生を、幸せを、不幸を授かっている、とオーディは思う。多くを手にする者もいれば、少ししか手にしない者もいる。わずかばかりのごちそうをじっくり味わい、あらゆる骨の髄までしゃぶりつくす者もいる。雨の音にも、刈られた草の匂いにも、見知らぬものの微笑みにも、暑い日の夜明けの気配にも、喜びを感じることがある。さまざまなことを学び、それでもまだまだ知らないことの方が多いと気づく。風邪をひくように恋をして、嵐の漂流物のようにそれにしがみつく。」

          (マイケル・ロボサム『生か死か』越前敏弥訳)

 


最後までお読みいただいてありがとうございました。

メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂

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by yellow-red-blue | 2016-11-23 00:48 | Trackback | Comments(0)

メンタルケアと心の相談室 C²-Waveのオフィシャルブログです。「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、思いつくまま綴っています。記事のどこかに読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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