六本木、冬夜景 ~ 冬至の頃‘16


 「お久しぶりです。」

クリスマスを間近に控えたある夜、六本木駅交差点からほど近い書店の前で待ち合わせたのは知人のFさん。お会いするのは6,7年ぶりでした。ベージュのカシミアのセーターに真っ赤なオーバーコートに身を包んだその日のFさんは、寡黙で控え目な50代の女性という私の抱いていた印象とは随分と違って見えました。

「そのコート、今のシーズンにピッタリですね。よくお似合いですよ。」

「年齢に不釣り合いで派手でしょ。恥ずかしいけど。思い切って着てきちゃいました。なんたって六本木ですから。」と、少し恥ずかしそうに笑顔を返してきました。

「いえいえ、とってもお似合いですよ。すみません、遅れまして。」

「ぜ~んぜん。なんだか六本木が懐かしくて周辺少しウロウロしちゃった。思ったより変わっていなくてホッとしたかな。」

外見と同様に、以前とは随分と印象が異なる、陽気なトーンの口調や表情に少し驚きつつお店へと向かいました。


 

 席につき注文を済ませ、改めてお互い再会の挨拶をし、会話が始まりました。

 「なんかこんなところまで押しかけてしまったようでちょっと申し訳ないですね。」とFさん。

 「いえいえとんでもない。こちらこそいろいろとお世話になりながらなんのお返しもできなくて。今日は好きなもの何でも召し上がってくださいね。」

「え~でもそれは申し訳ないですよ。ここ高そうだし。でもすごくいい雰囲気のお店ですね。」

「大丈夫ですよ。そんなに高くないしとってもおいしいんです。地元だし知ったお店なのでご馳走させてください。」

「ヒヤ~六本木が地元なんて、カッコイイ~、あたしもそんなこと言ってみたい。今日はラッキーだな。」

やや濃いめのメークや身に着けているアクセサリーなども今までとは違う印象に拍車をかけていたようでした。久し振りの六本木の街がそうさせるかのようなFさんのプライベートな顔。人はいろいろな顔を持っているものだとつくづく感じました。

「そういえば、お仕事何をなさっていらっしゃるんでしたっけ」

「小さな出版社の契約社員よ。休みはあまりないし朝も早いし正直キツイです。でも昔やっていたことを何とか生かせる仕事だから」

 Fさんは独身の一人暮らしでご結婚の経験はありません。以前はプライベートなことについての会話はほとんどありませんでしたが、今回は料理とお酒が進むにつれ、Fさんの口はいっそう滑らかになり、こちらから話題を向けなくてもいろいろなお話をしてくださいました。何かそれを待ち望んでいたかのようにもわたしには感じられました。



「お住まいは?」

「所沢の奥の方。都落ちもいいとこね。通勤は大変だけど居心地はいいですよ。自然も多くて空気もおいしいし。ホッできるところね、でも」「でも?」

「今日六本木来てみて、やっぱりなつかしいというか違った意味でホッとしちゃった。」

「なんかお話聞いていると、本当に六本木がお好きなんですね。」

「好きというか、バブルの頃もその前からもなんか特別な街だったな。あの頃の東京の街はどの街もそれぞれが違っていて、街ごとに集まる人も目的というか役割がハッキリしていた。今はどこへ行っても同じような感じで、誰もかれもが行けるようなところばかりよね。」「あの頃はね、仕事終わって六本木へ繰り出して深夜まで騒いでいたものよ。一人でもよく行ったけどでもちっとも寂しくなかった。いつでもだれとでも知り合いっていう空気があったもの。なじみの店も何軒かあってね。古き良き時代の思い出だけれど。」

心なしかFさんの表情が生き生きと若々しく見えました。

Fさんは若い頃は広告代理店に勤務するごく普通のOLさんでした。バブルも終わろうかという頃、一念発起し自分のお店を開くという長年の夢を実現させました。友人と二人で、カフェを併設したアンティーク雑貨のお店を代官山の少し外れたあたりに構えたのでした。オープン当初はコンセプトの新しさと豊富なカフェメニューが評判を呼び、メディアなどでも紹介され、忙しくてうれしい悲鳴の毎日だったそうです。しかし、それも長続きせず、次第に客足は遠のき経営は苦しくなっていきました。それでも一度はつかんだ夢を手放すのは忍び難く、あらゆる努力やテコ入れに奔走したものの結局数年で店じまい、かなりの借金だけが残ってしまったそうです。借金返済のためOLにしばらく戻ったものの、無理とストレスが重なり、重い心臓病をわずらい長期の入院を余儀なくされたそうです。その後結局自己破産の手続きを取り、以降は知人に仕事を時々世話してもらいながら、何とか生活してきたことを打ち明けてくれました。

「でも、後悔はないのよ。つらいこともあったけれど、すごく楽しかったし、人生生きてるって感じだったから。OL時代には味わえなかった充実感があったから。」

「じゃ、その頃からも六本木にはよく来ていた?」

「お店やるようになってからはめったに来なかったけど。今じゃこんなところ来れる身分じゃないし。でも六本木でいろいろと学んだから自分のお店を出すことができたのは事実。だから六本木はいまも特別なのよ、私にとっては。」

Fさんの本当に意外な過去に内心驚きつつも、小柄で控え目な容姿には似つかわしくない、かつて抱いた人生への飽くなき情熱を垣間見た気がしてふっと心が和む思いでした。

「ずっと、独身だったのですか。お話聞いているとなんとなく結構男性にモテた感じが伝わってきますけど。」と、すかさず

「イヤ~、まあまあだったかな(笑)。結構付き合った男性はいたけど。でも結局いつも最後はフラれちゃった形かな~。」

「またそんなことないでしょう。ご自分から振ったほうじゃないですか。」

「え~、そう見える~?じゃそうしとく(笑)。ここのお料理本当においしいわね。こう見えて料理には詳しいからよくわかるのよ。感激だな~、こんなところもう滅多に来れないし。」

とにもかくにも楽しそうだったのでよかったな、と思っていると、まだ男の話は終わってはいなかったのでした。

「男運がなかったと言えばそうかもしれないけど。いつも同じような男性を好きになって希望を持つんだけど。」

「同じようなタイプって?」

「年上のオジサンよ。しかもたいていは家族持ち。」

それじゃ不倫じゃないですか男運云々というより、とツッコミを入れたかったのですがそこはこらえました。

「そう、わかってるんだけど。なんだかそこに行っちゃうのよ。で、別れるのが怖いから相手のナマ返事にすがってズルズルとね。よくあるパターン。」と苦笑いするFさん。

「結構尽くすタイプだけどな、自分で言うものあれだけど。料理の腕にも自信あるし。」


「趣味は?」

「しいて言えば食器集めかな~、お店やったのも半分はそれ目的なところもあるし。昔からいろいろなお店覗いちゃ買いそろえるのが好きで。これで結構目も肥えているのよ。お店始めた時も一生懸命探し回ってそろえて。おかげでひと財産使っちゃったけど。すごく評判よかったな。」

借金返済に少しでも充てたかったが、愛着がわいてどうしても処分できず、大半は今でも自宅の押し入れに眠っているのだとか。

「相手もいないのに、将来の結婚生活夢見てペアのグラスやお皿もつい買いこんだりしてね。今でも本当に好きで、お金もないくせについ買ってしまうこともあって。使うあてなんてないのに...


「ご家族は?確か北海道のご出身ですよね。」

「3人兄妹の末っ子。両親はまだ元気みたい。でももう誰とも何十年も連絡とってない。あまりその話はしたくないなぁ。」

Fさんがその晩はじめてみせた、伏し目がちの硬い表情でした。

その後デザートまでは何とか明るい差し障りのない話題で乗り切り、陽気さを取り戻したFさん。

「いや~でも今日はなんだかラッキーだな。こんな美味しいイタリアンを食べるのも男性と一緒に食事するのも久し振りだし。なんかたまにはいいことがないとね。」

わずか数時間の間にめまぐるしくその表情を変えるFさんの姿は、少し酔っているせいもあったのでしょう、私の目には視点と時空間が複雑多面にからみ合うキュビズム画家の描く自画像のように映りました。


 

 気が付けばもうそろそろ日が変わろうかという時間になり、急ぎ地下鉄の入り口へ向かおうとお店を出ました。

「やっぱり六本木ね、いいな~。折角来たからもう一軒寄ってみたいところ思いついたんだけど、ちょっとだけつきあってもらえます?すぐ近くだから。」

 正直もう帰りたかったわたしでしたが、お酒の入ったディナーの後の寒い夜風は少々心地よく、心から嬉しそうなFさんの表情を見て、付き合うことを承諾したのでした。

 歩いてほんの5分ほど、細い路地裏に立つ雑居ビルの地下がFさんお目当てのお店。

 「やっぱりまだあった。ここここ。懐かしい~、マスターまだいるかなぁ?」

 お店のドアを開けると目の前に広がるのは、昭和のいかにもな雰囲気のバー。店内正面奥には馬蹄形の堂々としたカウンターがあり、その周囲にベロア地の様々な形のソファや、重厚な木製椅子とテーブルがいくつか並べられていました。お酒とたばこの匂いと穏やかに流れるジャズの音色の染みついた室内には2組のカップルがいるだけ。ごく控え目なシャンデリアの照明とカウンター奥にずらりと並べられた様々な色や形のボトルの輝きが、カウンター後ろの壁一面に張られたミラーに反射し、室内を実際よりより広くそしていかにもなムードたっぷりに演出していました。そしてそのカウンター後ろに一人立つバーテンさんの姿。

「いらっしゃいませ。」

暖かなもてなしを期待させる落ち着いて穏やかなトーンの声が耳にとても心地いい。わたしたちは無言でカウンターバーに腰かけました。Fさんを覗くと無言で、「そう、このマスターよ。」と目配せしてきました。

 「ずいぶん久し振りですね。お元気でしたか?」なんと声をかけてきたのはマスターのほうからでした。

 「びっくりした。え~覚えていてくれたんですか?」大きく目を見開いたFさんの驚きは相当なものでした。

 「もちろん覚えていますよ。もう10年以上お見えになっていないですよね。でもすぐわかりましたよ。」

 と優しく語るマスター。背が高く痩せていて白髪交じりの短髪をきれいに整え、彫の深い顔立ちにあごひげがよく似合う、まさにこれ以上ないほどの典型的なバーのマスター。何だろう、普通なら毛嫌いするはずのたばこと酒の混じった匂いにもかかわらず、この引き込まれるように和む感覚は?お酒がはいっていることもあるけどでも...

 「本当に?確かに良く通ったけれど。まさか覚えていてくれるなんて思ってもみなかった。」

 「よく来てくださってましたし、いつもとても楽しそうに会話してらっしゃいましたから。そういえば連れの男性も色々でしたよね。今日もまた違いますけど」とニヤリ。

 唖然とFさんを振り向くわたしを見て、「やだ~恥ずかしいな、全部バレてたか。」といいつつ、まんざらでもなさげな嬉しそうな表情で切り返します。


 ✽


 その後しばらくは、一軒目のお店でわたしと交わした話題を繰り返したり、六本木の昔話をしたりで時間が過ぎて行きました。お店がつぶれ自己破産した段になると、マスターは本当に残念そうな表情を見せたのでした。

「お店始めたのは聞いていたけれど、どうしてもっと早く話してくれなかったの。いろいろ相談に乗れたし方法もあったのに。」

 「ゴメン、恥ずかしいやら落ち込むやらで気持ちの整理ができなくて。」

 「でもマスターはちっとも変わらないね。相変わらず素敵だな。」話題を変えるかのように、マスターをカウンター席から崇め呟きました。

 「冗談でしょう。もうすっかり歳とりました。実は偶然だけど今日で僕定年なんです。」

 「え、どういうこと?ここ辞めるの?」

 「ええ、もうかれこれ30年以上になりますから。朝になったら片付けてハイ終わりです。明日からは若い代わりが来ます。」

「ええ、そんなショック!」

「もういい加減こんなことやる年齢じゃないですよ。」

「じゃあでも、マスターの最後にここにまた来れたってこと?すごい偶然!感激!今日はなにもかもがラッキー。なんだかあたし何かに導かれているのかな?何かが変わる前兆かな。」

今日何回目かのラッキーと感激を口にするFさんのろれつは、すでにかなり怪しくなっていました。Fさんがよろよろと化粧室に立つのを見て、そろそろ帰らなければ、明日もまた仕事があるし、と思いつつ、残された二人でしばらくまた会話をしていました。いやそれにしても、マスターの話し上手聞き上手っていったらありません。なぜかしゃべりたくなってしまう、優しく導かれる、そんな感じでした。

「彼女遅いですね。」とマスター。そういえばかれこれ20分以上経つのにいまだにトイレから戻ってきません。トイレをノックしても返事はなし。もう少し大きなノックをして「大丈夫ですか?」と声を大きくすると、やっと小さな声で返答ともうめきともつかぬ声が返ってきました。

「大丈夫ですよ。もう少し待ちましょう。」

マスターが微笑みました。しかし、やはりいくら待っても出てこない。やむを得ずマスターが鍵を使ってゆっくりとドアを開けると案の定、酔っぱらったFさんはトイレの床の上に伸びていました。

「大丈夫ですか?どこか気分悪いですか?」

身体をゆすってもフニャフニャうめくばかりで起きようともしません。困ったなと思いつつ、既にもう時計は夜中の1時を回っています。ここは何が何でも起こさねばと思い、

「ほら、Fさん、もう起きましょう。もう帰らなきゃ。タクシー呼んであげますから。ね?さぁ起きましょう。」

少し強い口調でFさんに話しかけましたが、Fさんは目を閉じたままで反応はありません。やむを得ず彼女を抱きかかえるように少し起こしにかかろうとしたとき、Fさんが目を閉じたまま蚊の鳴くような声でつぶやいたのです。

「わたし寂しい」

「え?」わたしはハッとしました。

「帰りたくない。帰ったって誰もいやしない。寂しい」

「でもね、ここにはいられないですよ。もうやっぱり帰らないと。明日だってお仕事ですよね」

「どうしてそんなひどいこと言うの?ちっとも優しくないじゃない。これからわたしどうして生きていけばいいの?もう疲れた。わたし疲れた」

途切れとぎれに絞り出すようなFさんの声に、わたしはなすすべもなく固まってしまいました。少し汚れのついた赤いコートが化粧室の薄暗い照明に痛々しく映えます。

「わたしが面倒見ますよ。大丈夫。タクシー呼んできてもらえますか」

落ち着きはらったマスターが笑みを浮かべながらわたしの傍らに立っていました。マスターはそのまま倒れ込んでいるFさんの傍らに屈んで、右手をFさんの肩に優しく手をかけながら、囁くようにゆっくりと話しかけます。かける言葉はわたしと全く変わりません。しかし、その言葉にはFさんへの思いやりが滲み出る、心からの言葉がけでした。一方のわたしときたら、Fさんを気遣いつつも、早く帰らなければ、明日の仕事が待っている、が見え見えの二枚舌ゼリフに過ぎなかったのでした。だいぶ時間が経過した後、やっとFさんはもうろうとしながら私とマスターの肩を借りて立ち上がり、階段を上って無言のままタクシーに乗って帰っていきました。


 ✽


「お疲れ様でした。これどうぞ。」

バーに戻りカウンターに疲れたようにどっかと腰かけているわたしにマスターが差し出してくれたのは、いつの間に外で買ってきたのか缶コーヒーでした。しばらく2人して黙々とコーヒー缶を傾けていました。気が付けばもう時刻はまもなく午前3時。

「やっぱり彼女も歳をとったんでしょうか。昔はいつももっと明るく楽しい方でしたよ。」しみじみとマスターがつぶやきました。「残念ですね。もっと早く教えてくれれば本当に何とでもできたのに。」繰り返すマスターの言葉がわたしの胸にも痛々しく突き刺さりました。Fさん大丈夫だろうか、ちゃんと無事に家まで帰れるだろうか、明日の仕事は大丈夫だろうか?そんな気持を察したかのようにマスターは微笑みながら、

「大丈夫ですよ。明日になればほとんど覚えていないでしょうし、女性はああ見えてやっぱり強いんですよ。」「そうでしょうか。」

「切実な思いも時々ああやって吐き出してしまえば、その後は何事もなかったかのようにしっかりと生きていく人を何人も見てきましたから。本当ですよ。内心つらくてもそれを抱えていく力があるのは女性ですよ。それに比べたらわたしたち男なんて弱いですよ。弱音を吐く勇気すらない人がほとんどですから。」

「確かに。そうかもしれませんね。」そういうのが精一杯のわたしでした。

すっかり酔いは覚めましたが、早く帰られなければという思いはとっくになくなり、まだしばらくここにいたいと感じていました。

「本当に今日で最後なんですか?」

「ええ、そうです。」

「じゃ、寂しいでしょうね。思い入れもおありでしょう、六本木には。」

「いや思い入れなんて大してないですよ。」と意外な言葉を返すマスター。

「毎日、夕方に来てそのまま翌朝まで店で働いて、またバイクで帰るだけをずっと続けてきただけです。六本木のことだって本当はよくは知らないんです、ずっと店にいるわけですから。お客さんの話にいろいろと耳を傾けてきただけです。仕事と割り切って生きてきましたから。」

「じゃもうここへは来ないのですか?」

「もう来ないでしょうね、六本木には。来たい理由もないですし。帰るべき場所に帰るだけですね。子どもも独立してもう十分仕事したと言う感じですから。もう来なくてもいいんだと思うと、逆にうれしいぐらいです。」



「いろいろとお世話になりました。おやすみなさい。」

「こちらこそ。最後のお客さんがお二人でよかったです。どうかお元気で。」

 クリスマスシーズンの眠らない街とはいえ夜中の3時を回った六本木は、建物の中はともかく、少なくとも外は大夫静かで人通りも多くはありません。急に冷え込みが厳しくなり冷たい風が身に染みる中、とぼとぼと家路を急ぎました。Fさんとマスターのことを思うにつけ、結局六本木にひとりこれからも取り残されるのは自分であることになぜか気分が沈んでいきました。

また負けか...。ふとそう思ってしまったのでした。Fさんにも、そしてバーのマスターにも。最近負け多いかな、よりによってクリスマスにまた

随分と前、小さなライブハウスでのコンサートに友人に誘われて行ったことがありました。名前も聞いたこともない、老いてなおロックンローラーという感じの方の演奏でした。歌詞にしろ旋律にしろどこかで聴いたようなものばかりだし、曲より語りが多くなんだかひどく居心地が悪かったのですが、ただそのミュージシャンがこんなような言葉を言ったことをおぼろげに覚えていました。

「僕はね、いまだにギター一本だけ持ってよく海外を放浪するんです。で何しに行くかといったら、ひとことで言えば、人生負けに行くんですね。外へ行ったら誰も自分を知らないし、簡単には誰も助けてはくれない。おのれの小ささ、足りなさをいつも忘れないために放浪するんです。」

年甲斐もなくキザなセリフだな、と思ったものですが、何だかその言葉がその時身に染みてきたのでした。負けるのも学び。でも負け続けるのは誰でも正直しんどい。いつかまた必ず勝つと信じ生き続けるのも本当は難しくそして孤独であることを、Fさんを思うと痛感させられるのでした。

翌朝、Fさんからは精一杯明るく振る舞った謝罪と感謝のメールが届きました。今日も仕事に行ってます!と元気に書いてありましたが、あんなに遅く遠くまで帰ったFさんは、本当は仕事へ行っていないのでは、とも感じました。わたしも精一杯の気遣いを見せながらも無難なメールを返しました。当たり障りのないお互いのやりとり。もう二度と会うことはないだろうとお互い薄々感じるには充分なほどに。それはFさんをどうしてさしあげることもできないだろう、力にはなることはできないだろう自分と向き合うことに耐えられなかったわたしの選択でもありました。

あれからもう随分たちますが、なぜか時折まるで昨日のことのように思い起こすある冬の夜の出来事です。



 12月も半ばを過ぎ年末の街はクリスマスムード一色。大通りの並木は鮮やかなイルミネーションで彩られ、夜ともなればまぶしいばかりの色とりどりの光が街をロマンティックに演出します。通り沿いや巨大商業施設内に立ち並ぶお店も、クリスマスの買い物客を惹きつけようとアイディアの限りをつくしその魅力にいっそう磨きをかけることに余念がありません。そうした華やかさに吸い寄せられるように、街は夜遅くまで家族連れや観光客、会社帰りのグループやカップルであふれかえり、それが平日も週末も変わることなく続きます。

 これが六本木の今の姿です。六本木といえば夜の街、眠らない街、大人が遊ぶ街。いつも世相と景気とに敏感に反応し時代を映す鏡ともいえる界隈です。同時に年齢、職業、国籍、身分を問わず、人と価値観が混沌と交錯し集い、騒ぎ、そしてまた散っていく欲望と夢の街でもあるでしょうか。気がつけば、日々の暮らしでどっさりこびりついてしまっている心の垢を少しでも落としにやってくる場所。時に息詰まる毎日からほんのひと時逃避できるかのような、決してどこの街とも似ていない非日常の空間。美しいわけでも上品でもないし、時と場合によっては不穏かつ不快ですらあるのですが、でも多くの人々にとって普段省みることない隠された自己の一部と遭遇する場所なのかもしれません。

 そんな六本木もこの10年ほどの間に劇的に変わっていきました。六本木ヒルズ、東京ミッドタウン、新東京国立美術館、六本木一丁目再開発地区など、次々と新しく巨大な商業オフィス施設・レジャースポットが誕生していきました。これからも新たな新名所が次々と誕生を待つ六本木エリアは変化のとどまることを知らないようです。 

 非日常的空間に持ち込まれる巨大な日常と家族、観光レジャー、ベッドタウンライフスタイル。依然として深夜を迎えればそれらしいこの街も確実にその性格を変えようとしています。そのことをいいとも悪いとも思いません。常に時代を映し出す鏡でありながら、でも自らを決して変えることをしてこなかったこの街も、もはや変わっていかなければならないのでしょう。でも、「どこか他(の街)と同じように」変わっていってしまうことに少し寂しい思いがないわけではありません。

Fさんやバーテンさん、そしてこれを読んでいただいた皆さんにとって幸せ一杯の今年あと少しと新年になりますように。


(※当ブログの各記事の中で言及されているエピソードや症例等については、プライバシー配慮のため、文章の趣旨と論点を逸脱しない範囲で、内容や事実関係について修正や変更、創作を加え掲載しています。)

メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂

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by yellow-red-blue | 2016-12-23 23:26 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、時にカウンセラーとして、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。ブログのどこかに、読む人それぞれの「わたし」を見つけてもらえたら、と思っています。


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