深く、静かに(Ⅱ) ~ 立夏の頃’17


「あ、どうもSさん。あれ、ひょっとしてここにお住まいなのですか?」

びっくりしたような私の第一声に、Sさんは笑顔と不思議そうな面持ちで挨拶を返します。「ええ、ここにお住まいですよ、もう何十年も前から(笑)。元気でしたか?しばらくです。」

散歩が趣味みたいなところのある私は、少し空いた時間や暇を見つけては、ついブラブラと自宅の近所周囲を散策するのが習慣となっています。それは仕事場でも同じで、麻布・六本木界隈は多くの人が訪れる人気の美術館や小さなアートギャラリ―、展示スペースも結構多いエリアです。芸術鑑賞も好きな私にとっては、息抜きにそうしたアート・スポットを短時間訪れては散歩を兼ね仕事場へと戻るのが、日々のささやかな贅沢でもあるのです。

そうした散策のルート上で、以前から「素敵なお宅だなぁ。」とひそかに気になっていた住宅がありました。モダンで贅沢な邸宅の立ち並ぶその界隈にひっそりとたたずむ、レトロな洋館風のこじんまりとした、でもとても素敵な家で、やや古さを感じさせるものの、住人のお人柄がにじみ出ているかのようなきちんと手入れの届いた外観とお庭のたたずまいに、「どんな人が暮らしているのだろう」といつも憧れと好奇心の気持ちでそばを通り過ぎていたのでした。

その邸宅から出てきたSさんと散歩途中にバッタリ出くわした結果、冒頭の会話となったわけです。ある地元の会合でご一緒した時以来の知り合いで、特に親しくお付き合いしているわけではないものの、会うたびに他の人達を交えよく歓談する間柄でした。控え目ながら朗らかでユーモアもある60代後半の健康的な男性というイメージのSさん。聞けばSさんは、貿易会社を長く経営していらした実業家で、今はすでに引退されここにはもう40年以上お住まいだとか。今日はお仕事か何かでこちらへ?と聞かれたので、私の散歩習慣やSさんのお宅の経緯のあたりを話すと、「いやぁ、そんな立派だなんて。もう中もあちこちかなりガタがきているし、すきま風で冬は寒かったりで、ひとり暮らしの年寄りには住みづらくて苦労しますよ。」同居のご家族はいらっしゃらないことにちょっと意外なものを感じたものの、「お一人でお住まいなんですね。やっぱり贅沢だなぁ。」とついつい家の外観に魅せられていたのでした。

しばらくの立ち話の最後に、ところでお仕事はなにをなさっているのでしたか、とのSさんの問いに私が自分の職業を答えると、それまでのSさんの笑顔に、驚きと戸惑いが入り交じった複雑な表情が一瞬見えたように感じました。

「カウンセラーさんですか、そうですか...それは大変なお仕事ですね...

私の短い回答の何かを知っているかのような、何かが引っかかるような感じの言葉に思えました。一瞬何かを言い淀んでいたかのようなSさんは突然、「よかったら、お入りになりませんか?中をお見せしますよ。」と話されたのです。

意外な展開に、仕事もあるのでとご辞退申し上げようと考えたのですが、素敵な家の中身を拝見したいとの願望とSさんの表情の裏にある何かへの好奇心に逆らえず、お言葉に甘えることとしたのでした。


外観同様、建築職人の技術の高さと品の良さを感じさせる素敵な家の中を一通り案内された後、質素ながら落ち着きのあるリビングに腰かけお茶をご馳走になっていました。絵がお好きだと聞いたのでお見せしようと思って、の言葉通り、たくさんの油絵や水彩画が家のそこここに掛かっていることに気が付きました。その多くは明らかに同一作者と思える作品で、有名な作家さんではないものの、観るものを納得させる技術と表現力があるように感じました。リビングに掛かっているいくつかの絵も同様にとても好ましい絵に思えました。思えたのですが、ただ「ちょっと数が多いかな」とも感じたのです。玄関や廊下、階段や各部屋と恵まれたスペースのすべてに絵画が掛かっていましたが、なにか「空いている隙間を埋める」かのように掛けられている、という感じもなくはなかったのです。これはひょっとしてご自分で描かれた絵なのでは、と直観的に思いました。なんとなくSさんのイメージにぴったりだったからです。

ところが、Sさんは「実はこれは娘が描いたものなんです。」と話し始めました。お一人暮らしということなのでつい私は、「そうなんですか。いやとても素敵な絵ばかりで感心していました。娘さんは別の場所にお住まいなんですね。こんないいお宅お一人で住むのもちょっともったいないですね。」と言葉を向けると、Sさんは穏やかな笑顔を続けながら、静かにおっしゃったのでした。

「ええ、まだどこかで元気でいるようです。ただ随分前に突然家を出ていってしまいましたが。」

私はなんと反応してよいかわからず理由も訊けず、ただ「そうでしたか。娘さんひょっとしてプロの画家さんでいらしたのですか?」と聞くのが精一杯でした。

「いえいえ、普通の大学生でした。絵を描くこともそんな才能があることも全く知りませんでしたよ。あることがきっかけで、突然たくさんの絵を描き始めたんです。」

重苦しい空気をそのままにしておくように沈黙を保ち、私はSさんが続けるのを待つことにしました。

「玄関と廊下にいくつかの絵がかかっているでしょう?気が付きましたか?」

「ええ、娘さんとはべつのどなたかが描かれた作品のようですね。」その絵は、どれも静かなタッチながら、デッサン力も表現手法も娘さんの絵と比べるとだいぶ力強さに欠けているように思えました。物静かな中に確固とした自信と描く喜びのようなものが感じ取れる娘さんの絵画とは対照的に、粗削りの魅力が滲み出る絵もあるかと思えば、どことなく弱々しく繊細な作品もあり、同じ人による作品とは思えないどこかばらばらな感じが見て取れたのです。なぜこのような絵を誰にも目に付くような場所に飾っているのかなぁ、と内心ひそかに思ってもいたのです。

「実はあっちの絵は妻が描いたものなんです。」

なるほど、親子で絵に才能がおありなんて素敵ですね、やっぱり遺伝なんでしょうか、と明るく会話をつないで収めるには程遠い事情がやがてSさんの口から明らかにされました。

「実は妻は亡くなってるんです。随分と前のことでまだ若かったのですが。自殺でした。」

「病院通いの頃にぽつぽつと絵を描き始めたんです。随分元気になったと思った頃もありましたが。でも駄目でした。娘が絵を描き出したのは家内がなくなってしばらくたってからのころからでした。」

「さっきカウンセラーという言葉を聞いて、つい家内のことを思い出して。長い間精神的な病で通院し、当時いろいろなお医者さんやカウンセラーの先生と会って随分とお世話になりましたから。お仕事を聞いてとっさに話をしたいと思ったんです。絵を見てどう思うのか、何か意味しているのかとふと思ったもので。すみません。」

「いえ、とんでもない。そうだったのですか」私はあまりそれ以上の言葉を続けることができませんでした。そしてできるだけ絵の率直な感想をシンプルにお話しました。そこに何か深い心理的なメッセージを読み取れるものはなくまたその必要もなく、純粋に創作活動の作品として楽しむべきいい絵画なのでは、と。『対象喪失』を乗り越える回復過程としての執着対象からの離脱と新たな創造性の発露だとかなんとか専門家ぶった言葉や解釈が、その場にそぐわない何とも陳腐でばかばかしく思える空気がそこにはあったのです。

それを聞いたSさんは、「そうですか。私もどの絵もみんな好きなんです。」納得も不満もない淡々とした笑顔でした。「でも本当にカウンセラーは大変なお仕事ですね。ご苦労も多いでしょうが大変意義深いお仕事ですよ。」

「いえ、本当のところ自分の知識や経験、推測がいかに役に立たないか痛感しています。結局は何も役に立っていないんじゃないかと恐れる毎日です。仕事を重ねれば重ねるほど、『実はほとんど何もわかっていないかもしれない』と感じるのですよ。分かったことといえばせいぜい、似たケースはあるけれどその結末に至るまで同じケースは二つとない、ということぐらいでしょうか。」Sさんの隠された痛々しい過去の告白の後を追うように、私の口からもつい率直な心情が出ていました。

Sさんはまた少し驚いたように、「妻を診て下さっていた何人かの先生が全く同じ言葉を口にされていましたよ。やはりそうなんですよね

Sさんの二人のご家族が絵を描くことに没頭し始めた本当の理由は誰にもわからないし、そしてまた二人がさよならもいわずになぜSさんのもとを去っていったのかその理由もまた誰にもわからない。なにひとつ明らかにされない重すぎる喪失体験を抱えたまま、Sさんご自身は今を生きながら、その心は今後もずっとその家の中で、数々の絵画とともに過去を繰り返し再生し続けていくのかもしれません。その素敵なお宅とそこに暮らす幸せな住人の生活について妄想してきた自分もまた、結局なにもわかっていなかったことを虚しく感じながら、丁寧なお礼の言葉とともにSさん宅を後にしました。

職業としてのカウンセラーのむずかしさには3つあるように思います。ひとつには、「こころ」という言わばこの世でもっとも不確かで不明な存在の、しかも特に人生における困難な状況にあるそれを扱わなければならない職業であることです。「心理援助職」とか「心を扱う専門職」という、利他的で向社会的な言葉の響きが耳に聞こえはいいけれど、実はその出発の場所もゴールの場所もその解釈も明確でなく、成果や結論もまた実は明確ではない仕事です。今の私たちの社会で今後なお一層必要とされるであろうとは言われながら、どのような明確な評価軸と存在意義をもって職業として成立させていくかは、常にそしてこれからも難しい問題であり続けます。

二つめは、人にとってカウンセラーとは、自分の人生でできれば出会わずに済ませたい、関わりを持たずに人生を送りたいタイプの職業であることです。それならガン治療の専門医や警察官、法廷や刑事事件を取り扱う弁護士もそうかもしれません。しかしそうした仕事は、同時にいざという時にはやむを得ずすがるしかない、頼れる職業でもあります。しかし、カウンセラーが扱うのは人の「こころの事情」です。私たちの人生には、個人差はあるにせよ自分をオープンにし、すべてにおいて前向きに努力していけることもあるでしょう。しかし、思考や感情という領域では、とくにそれが自分では直視できないほどつらかったり自己批判的な側面を持つ状況では、そのようにポジティブな姿勢でいることはとても難しいのです。私たちはとても後ろ向きで、自分を一番大切にするある意味臆病な生き物でもあるので、そうした精神的困難に直面するとあらゆる自己防衛手段を使ってそれを隠し、拒否し、直視しないことに懸命になります。私たちの社会では、精神的な困難を抱えるということは、どこかいまだ身体的な病や事故災害のように何らかの外的要因に責任転嫁しうることのかなわない個人的落ち度を意味し、その人の本性についての決定的な評価である空気があります。こうしてあたかも社会における落伍者の烙印を押されるにも等しいことであるとして、私たちは長い成長と発達の過程で無意識のうちに様々学習してきたともいえるのです。

三つめの困難さとは、だからそうであるがゆえに、カウンセラーが真に向き合うべきは、決して社会の表に出ることも察知されることもなく、深く、静かに生きている人々であるということです。人も羨む素敵な家に暮らすSさんのように、むしろ外から見れば何の問題もなく、世の中に普通に適応しているかに見える人の中においてさえもまた、想像もつかないような哀しみと孤独、苦痛が隠れています。そうした人にとって、医療機関や相談窓口の単なる数だけの充実、インターネットを含めたあらゆる媒体メッセージも、ほとんど何の救いにもならないのかもしれません。ひたすら自らの喪失体験に浸り、耐えていらっしゃる人々に対し、ただ「ある」とか「そこでおこなわれている」「いつでも相談できる」ではない、偶然でも必然でもなんでもいいから一人でも多くと出会い、何かしら語り掛けることができる方法はないものか、Sさんのお人柄とその素敵なお宅のことを思うと、真剣にそう考えさせられます。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂

(※当ブログの各記事の中で言及されているエピソードや症例等については、プライバシー配慮のため、文章の趣旨と論点を逸脱しない範囲で、内容や事実関係について修正や変更、創作を加え掲載しています。)
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by yellow-red-blue | 2017-05-05 12:54 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心安らぐ経験や出会いなど、時にカウンセラーとして、時に仕事から離れ、思いつくままつらつらと綴っています。


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