2017年 06月 21日
悩みの作法 ① ~ 夏至の頃’17
夏至と言えば、1年で最も昼間の長い日と言われる日です。暦のうえでは本格的な夏の到来を告げる日でもあるのですが、日本ではほとんどの地域で梅雨の真っ只中ですから、実際にはジメジメあるいはやや肌寒い雨曇りの空模様が続いたり、たまの晴天の日はえらく蒸し暑かったりと、気温だけみればちょうどいいぐらいのはずなのですが、体感としてはやや不快な陽気といえます。そろそろエアコンつけようか、あるいは夜は窓をちょっと開けたままにして寝ようか、仕事帰りにビアガーデンへもそろそろ、などとさまざまに迷う季節かもしれませんね。
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「ほら、また力が入ってますよ。もっと肩から力抜いて。」「え?」
しばらく前から通っているマッサージのお店で施術を担当するYさんとの間でしばしば交わされる会話です。日頃溜まりがちな心身の疲労やストレスを効果的にほぐしてもらっているさなか、本人としてはぁ~気持ちいいなどとリラックスした気分に浸っているつもりなのですが、身体ケアのプロから見ればどうやらちっとも肩から力が抜けていないようなのです。それで横になっている私が思わず「本当?」と振り返ると、「ええ、もうパンパン。」苦笑交じりのYさんの視線と目が合うというわけです。
肩に限らず、首、腕(特に上腕部と手首)のような、ストレスと疲労が溜まりやすい場所から力や緊張が抜けずにいわゆるスタンバイモードのまま日常を送っている人が多いのだそうです。だからこそ心身のリラクゼーション効果を提供するYさんのようなお店やトレーニングジム、ヨガスタジオといったさまざまな身体ケアの方法を私たちはあれこれと模索するようになったといえるのですが、元々体質的に疲れやすかったりストレスを感じやすい人に加え、長時間パソコンに向かってのデスクワークや、スマホなどの小さな画面を良くない姿勢でずっと眺めるような生活スタイルが定着してしまった現代人が共通して抱えがちな悩みといっていいのかもしれません。
こういった身体各部の張りに加え、私たちの身体的不健康さの特徴の典型としてあるのが、「浅い呼吸」と「姿勢の悪さ」の2つです。なにかとストレスや緊張、あせりや不安の多い社会で暮らす私たちは、日常生活できちんとした姿勢を保つことや深くゆっくりと呼吸することが思いのほか少なくなっているのです。
こうした身体に負荷のかかった状態が長く続くと、それが普通であると身体が間違って学習しクセがついてしまい、たとえストレスや緊張から解放された状況や気分に戻っているにもかかわらず、身体の方は依然としてスタンバイ状態をそのまま維持し、なかなかリラックス状態に戻ってくれません。結果高血圧や心臓への負担、腰痛や睡眠不足、頭痛や視力の低下、不摂生の継続などの生活習慣の病や、慢性的な抑うつ不安感などの心の病へとつながったりさえします。
友人でもあるYさんにはプライベートでも何かと気づかいとアドバイスをもらったりするのですが、恥ずかしいことに、肩や首の張りに加え、猫背と浅い呼吸という3条件を見事にクリアしている私は、Yさんに言わせればまさしく現代ストレス社会の申し子のようです。そんな自分の状態に気付けないばかりか、年齢相応にそこそこ生活習慣に気を使い、運動も適度にこなし健康的と密かに自負していた私にとっては、自分の身体に関していかに無知で関心を払っていなかったのか、なかば自嘲気味に反省させられてしまいます。
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こころと身体の関係はとても密接です。さまざま作用しお互いに影響を与えます。身体の状態はこころの状態でもあり、身体の姿勢はこころの姿勢といってもいいかもしれません。人は自信ややる気に満ちている時、こころなしか胸が張り上向きの姿勢をとり、表情や振る舞いも生き生きとしているものです。好きなことをしている時、幸せを感じる時には、その表情は穏やかで笑顔もこぼれ、楽しくめったに疲れを感じません。呼吸も深くゆっくりです。ところが、緊張したり不安を抱えているときは、表情はどことなく暗く目は笑わず、姿勢は前かがみにうつむき加減で、肩には力が入り過ぎ、呼吸は浅く小刻みで安定しません。疲労感が常について回ります。
心の状態が身体の状態を生み出すということでいえば、逆に身体の状態が調えば新たな心の状態を作り出すことも可能であることを意味しています。このことは必ずしも誰しもにあてはまるものではないにせよ、さまざまな医学的・心理学的な研究と実験により確認されています。
私たちは、好きなことやしたいことを楽しんだり、自分の望みや前向きに取り組みたいと思うことを実現するためにであれば、いつもそれらにふさわしい準備や環境整備を怠らないものです。存分に時間や費用をかけることさえします。つまり私たちはそうしたことに対しては、意識して注意を傾けそれなりの敬意を払い、思いやりの気持ち込めて接する。つまり何かと気づかうことができるのです。
ところが、ひとたび自分の悩みや不安、心配事ということになると、直視することが苦手で、それを苦痛と感じ、避けようなかったことにしようとどこか心の隅の方に追いやろうとします。向き合いたくないのは当たり前のことなのですが、結果として私たちは逆に状況や場に関係なく、時に無頓着そして唐突にネガティブ感情の渦をさまざま心の中でめぐらせ氾濫させてしまうことを放置し、いたずらに時間とエネルギーを消費してしまいがちです。
人はどのみち悩みを抱えます。悩みはそう簡単には消えてくれません。解決に向かって果敢にそして迅速に行動することなんてできはしないし、他人にやすやすと悩みを打ち明けることなどできません。それができる人はただ、そうできる人である、ということに過ぎません。ですからなかなかできないことで自分を責めたりすることは間違っているし、そういう自分に気が付いたらただ自分に寛大になっていればいいはずです。相談できる相手がいないからといって孤独を感じる必要もないのです。私たちは本来、常に合理的で真っ当な判断をする生き物ではないし、それができないことは普通でなく損失や欠点だ、などと思う必要なく生きていくべき生き物です。たとえ不器用だろうと弱気であろうと人それぞれ、生き方それぞれがあるだけだからです。
「人間はむしろ困難を必要とする。困難は人間の健康にとって欠かすことができない。ただそれが余計な重荷になるかどうかという、程度の問題にすぎないのだ。」(C.G.ユング)
であれば少し考え方を変えて、私たちは、悩みや不安があることにもっと敬意を払ってふさわしい扱いをしてはどうでしょうか。思う存分に悩むための準備や環境づくりをもっと意識してもいいのではないでしょうか。悩むことを回避することなく、正しい悩み方で向き合ってみてはどうでしょうか。無理に否定しようとしたり避けようとする必要もないのかもしれません。
では「悩みの作法」つまり「正しい悩み方」なんてあるものでしょうか?詳しくは次回で触れたいと思いますが、冒頭で触れた「力を抜く」「呼吸」「姿勢」あたりにその手がかりのひとつがありそうです。
最後までお読みいただいてありがとうございます。
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