2017年 08月 10日
言葉のゆくえ ~ 立秋&処暑の頃’17
暦の上では秋の始まりを告げる立秋を過ぎ、そろそろお盆を迎えようというこれからしばらくの時期は、全国的に一年で最も暑い時期に入ります。そうは言いながらも注意してあたりを眺めていると、秋の気配がこの東京でさえどこかしら感じられる時期でもあります。今年特に感じるのが、秋空によく見かける巻雲(けんうん)のような空高い位置に発生する雲がよく観察されることでしょうか。天候の変化著しい今年の夏の空模様は、まるで台風や移動性低気圧の接近が多い秋空を先取りしているかのようです。夏もまだまだこれからとはいいながら、入道雲のそれらしい「立ち姿」をなかなか見ることができないのが少し残念で、最近少ない晴れ間の日にはつい何かと空を見上げてしまいます。
お盆休みが近づくにつれ、次第に東京にも静けさが漂い始めるのを感じます。夏休みの時期ですからたくさんの人も逆に東京を訪れるのですが、早朝に窓を開き外をしばしうかがっていると、いつもの車や人波の通勤ラッシュの気配、仕事現場から漏れる作業音といったさまざまな生活音よりも、むしろ蝉や虫の鳴き声や遠くに舞う鳥のさえずり、ときに風にのって漂ってくる船や列車の警笛、はるか羽田空港を飛び立つ旅客機の上昇音などが、いつもよりクリアに耳に届いてきます。風向によってはあたりにほのかに漂う東京湾の潮の香りと相まって、こうした夏の音(ね)は今日これから一日の暑さを思うことの憂うつさをしばし忘れさせてくれます。
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「なにか問題に直面したらそれをよく調べ分析する。それが解決可能な問題なら心配しなくてもよいし、解決できない問題ならなおさら心配しても仕方がない。」どこで見聞きしたかは定かではなく、正確な表現ではないと思いますが、これはチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世が、古いインド仏教哲学者の言葉としてあるインタビューに答えて引用したものだと記憶しています。見事に現実的かつ単刀直入なアドバイスで、よくよく考えてみれば至極ごもっともな意見なのですが、やはりダライ・ラマのような偉大な人物の口から出るとひどく納得させられてしまいます。
こうした金言・至言の類を編み出し、それらを巧みに繰り出す能力があれば、随分と今の仕事にも役に立つかもしれないなぁと思うこともあります。けれども現実には、そのような魔法の杖のひと振りをきっかけに、悩みを抱え精神的に余裕がなく苦しんでいる人が心から納得され癒され、問題の解決へとスムーズに導かれることはほとんどないといっていいかもしれません。少なくとも私にはそうした経験がないのです。
むしろ実際のカウンセリングの場においては、そのような巧みな言葉掛けをする状況というのはほとんどない、もっと複雑で、相互に探りを入れながら「ギクシャクして」進んでいく、という表現が最も近いように感じます。経験のあるその道の専門家なり権威者からのシンプルながら耳に心地よい言葉掛けに勇気づけられる経験もとても大切です。けれど、そこになんとはなしの、切れ味のいい言葉を発する側の達成感と救われたい受け取り側の安堵感との間に発生する、いっときのはげましあるいは妥協的的高揚感の芽生えが、逆にかえって相談者の心に混乱なり負担感を与えてしまうおそれも感じないわけではありません。大切なのは「問題はその後である」という相互の理解の共有とあわてることのない辛抱強いサポートです。クライエントの心にどういった変容もたらすことができるか(あるいはもたらすことになるのか)について慎重に観察し、間違った方向へたどっていないかを常に確認しながら寄り添う姿勢が、カウンセラーやセラピストには常に求められるのでしょう。
現実と推測とを区別すること、(自分で)変えられることと変えることができないことを区別すること、あるいは私たちの抱える問題という「実体」と、沸き上がる様々な感情や反応といった心の「現象」や思考の「思い癖」とを区別することなど、ダライ・ラマの言葉と相通ずるところもあるこうしたアプローチは、いくつかの心理療法の場面でもしばしば実践されます。しかし頭では理解できてもそれが実際の思考行動様式として定着するには時間も訓練も必要なことに加え、なによりも心の働きの個人差たるや尋常ではないことを常に肝に銘じる必要があります。そうなのです。私たち人間は、抱える悩みの大きさや人間関係の困難さについて、怒りや憎しみ、悲しみや不安、憶測からは決して平和的で幸福な解決は見いだせないことが分かっていながら、ついそうした執着を断ち切ることができない生き物です。「わかっちゃいるけど…」だからなおさら苦しいのです。
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カウンセリングにあたっては、毎回十分に準備・計画し、解釈や見立てを持ち、掛ける言葉なども用意しておきつつも、実際の場面においてはそのほとんどすべてを白紙に戻しクライエントと相対するよう極力心がけています。たとえ予定通りに進行せず、思い描いていた成果を感じられなかったとしても、クライエントとカウンセラー相互から発せられるいわば予期せぬ言葉や態度に注意と関心を払いながら、その「ギクシャク感」を相互に埋め合わせながら進んでいく過程を維持する力が、やがてかえってクライエントが自ら「治っていく」実感を生み出すことをしばしば経験するからです。「治す」のではなく「治っていく」過程をどれだけ敏感に感じ取りその場その場に適応していくことができるか。「すべてのケースはあくまで個別のもの」であり「自分は何も知っちゃいない」、そして「与える」のではなく「教わる」「導かれる」のだということ。座学で身につける一般原則や理論知識に偏ることのないよう肝に銘じる大切さを日々実感します。
“療法家としては、この場合どんなア・プリオリにも従ってはなりません。むしろ個々のケースにおいて具体的状況の要求することに耳を傾けて下さい。それがあなたの唯一のア・プリオリです。”
“ですから私は若い療法家たちに言うのですが、最良のものを学び最良のものを知りなさい。そして患者に会うときにはすべてを忘れなさい。教科書を暗記したからといって立派な外科医になった人はいません。ところが私たちが今日直面している危険は、現実が言葉にとってかわられているということです。”
(C.Gユング「心理療法論」林道義訳 みすず書房)
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