2017年 12月 24日
信号待ちで ~ 冬至の頃‘17
「あ、またあの親子がいる。」
そう思ったのがつい先週のこと。若いお母さんと幼稚園に通うぐらいの女の子というどこでも見かけるような母親と子どもが、仕事場近くの狭いながら交通量の多い通りの交差点で信号待ちをしているのを目撃したのは、もうこれで4度目くらいでしょうか。
考えてみれば、ご近所にお住まいか通学の送り迎えの途中であれば、だいたい同じ時間帯に行き来するので、出会うことなどそう特に珍しいことではないのです。ただ、その親子のことがなぜ印象に残っているのかといえば、いつも同じ光景を目にするからです。お母さんが娘さんを厳しく叱責、お説教する光景です。
私立の幼稚園とおぼしき制服に身を包む幼い女の子と、シンプルな濃紺のスーツに身を包んだお母さん。交差点脇で屈みこみ、小さな女の子の顔を下から睨み付けるかのように何事かしゃべっているお母さんはいつも苛立っており、そして女の子は真っ赤な泣き顔であることが、道路のこちら側からもよくわかります。私はデジャヴのように同じ光景をいつも目撃していたのでした。
親子といっても事情はさまざまです。ある一場面のみを切り取ってその親子関係のすべてを語ることなどとうていできません。また親とて人間、いつも完璧とはいかないし、幼い我が子とは言いながら感情をむき出しにして当たり散らすことだってあるでしょう。叱ることも時には必要、そんな親子も普段はとても愛情たっぷり仲良しなのかもしれません。
実は最初この親子を見かけた時、交差点の同じ側のすぐ隣にいて、この親子のやり取りをすぐ近くて見聞きしていました。
「ねぇちょっと。お母さんどうしても理解できないんだけど、教えてもらえる?どうしてああなっちゃうわけ?」
「あり得ないよね。他のお友達見てごらんなさい。ちゃんと説明して?ねぇ、~ちゃん。」
「返事は?聞こえてる?」
「そういう返事の仕方でいいって誰から教わったの?手はどうするんだっけ?~ちゃん。」
「いい加減にしてもらえる?」
ひっきりなしの車の往来の騒音の中から漏れ聞こえてくる言葉の断片の抑揚や言い回しは辛辣で威圧的、またとても幼い子どもへ向けるべき言葉の選択ではないようにも思えました。それは間違いを叱責するというより繊細な自尊心を傷つける感情にまかせた「言葉のナイフ」のようにも感じられました。
何よりも気になったのは、その親子の「目」でした。私の主観からくるうがった印象であることは否めない事実ですが、お母さんの目の表情の奥に見え隠れする、弱い立場の人間に対する優位性と支配性を誇示するかのようなやり込めた感と、一方、矢継ぎ早に繰り出される言葉と大好きなお母さんの鬼のような形相に頭が一杯で、ひたすらに委縮する女の子の目。
こうした関係が知らず知らずのうちに常態化すると、後々健全な親子関係の構築や維持には困難が生ずるかもしれませんが、これ以上詳しい事情を知らない親子のことをあれこれ詮索すべきではないでしょう。
でもただひとつ言えるのは、このお母さんだって懸命に頑張っているに違いないということです。子育てに伴うストレスでつい家族や子どもにハラスメント行為を働いてしまうお母さんの相談も時折寄せられます。今どきの学校の先生が激務とストレスで身動きの取れない状況にあるのと同様に、お母さんとて仕事に子育て・教育、地域や学校から寄せられる様々な要求や人間関係をこなすなど、直面し処理しなければならない課題は日々パンパンの山積みです。子どもや家族に対しめったに弱音を吐けないお母さんには、それをしっかり受け止め、こころのうちを明かすことのできる身近な存在もまたあるようでないのです。冷たく余裕のない表情の裏には、優しいゆえの懸命なこころの葛藤があるのでしょう。人生において人が人に優しくいられるということはそれほど簡単ではありません。実際は自分自身もまた傷ついている(きた)のであって、まずもって癒しや許しを必要としているのは自分自身であることもしばしばです。そのことを理解しなければ、自分が身の回りの人たちを傷つけていることにもまた気づくことはできないでしょう。
仮に交差点で見かけた親子にどんな言葉掛けができるだろう?ふと考えて、過去のある母親との会話を思い出しました。しばらくのやりとりのあと、雑談の最中彼女の表情を見てふと何の根拠もなくこんな質問をしたことがありました。
「あの、最近泣いたことってあります?」「泣いたことですか?」
「ええ、悲しくても感動でもいいんですけど。自分の感情が溢れるにまかせて涙することってありますよね。そんな経験最近なさいました?」そんなこと考えてみたこともなかったとおっしゃいました。
私はそのお母さんに、親子で感動するような映画やテレビ番組、本などを一緒に読んでみることを勧めてみたのです。季節もクリスマスを迎える今頃のことでした。カウンセラーらしからぬいささか直観的場当たり的な提案とはわかりつつも、ただ、何度かのカウンセリングを通じた相互交流と相互了解の延長線上に素直に頭に浮かんだ根拠のないこうした提案が、往々にして奏功するケースもしばしば経験するのです。
子供向けのアニメでも、ちょっと子どもには難しいかなぐらいの大人向けの映画でもいいのです。親子でこころから「泣ける」ひとときを共有できるような作品に接する機会をぜひ作ってみて欲しいのです。一緒に感動し泣いて(できなければそれでもいいのです)、そのことについてできるだけ言葉を投げ合ってみる。親子の間だって、いえ逆に親子だからこそ本当にオープンになることなんて少ないかもしれません。
クリスマスは、きらびやかなイルミネーションや美味しい食べ物や物に囲まれることだけがすべてではありません。こころ揺さぶられる素敵な体験が共有できる絶好の季節でもあります。
お母さんの涙や告白は、本当は子供だって見たいし聞きたいのです。それが親子なのですから。
人の親の 心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな
(後撰集・藤原兼輔)
最後までお読みいただきありがとうございます。
メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂