2018年 01月 05日
イスが教えてくれるもの ~ 小寒&大寒の頃’18
年末最後のカウンセリング業務も終わり、恒例となっているカウンセリングルームの大掃除をスタッフさんと一緒にしていたときのこと。カウンセリングに利用しているテーブルの下に潜り込み、床やテーブルの脚などを入念に拭き掃除をしていて、ふと相談者がいつも腰掛けるイスの脚の部分を目にしたとき、「何かおかしいな」と感じたのです。よくよく眺めてみると、なんと椅子があらぬ方向へと歪んでいることに気が付いたのです。椅子が左斜めにかなり傾いていました。
椅子は新調してからまだ2年たらず。カウンセリング中はできるだけリラックスして過ごしてもらおうと、丈夫でかけ心地の良さそうなたっぷりとしたサイズの椅子を選んだのでしたが、どう見てもそのスチール製の脚の骨格部分が斜めに傾いている。念のため、普段私が使用する同じ椅子やスペアの椅子をチェックすると、どれも異常はなく曲がってはいません。
その椅子を普段他の用に使用することはなく、あくまで相談者専用。体格もさまざまな不特定多数の人がひとつのものを使用すれば、使い方にいろいろな癖がつくもので、劣化や変形は珍しくはないのかもしれません。が、相談に訪れる方のほとんどはただ静かに腰掛け話をするだけ、体格もたいていは私より小柄な方ばかりなので、まさかこんな形でイスに負担が来ているとはそれまで思いもしませんでした。
清掃の手をふと止め、ちっぽけな部屋を眺めながら、その椅子が語り掛けてくるもの、この一年もまたこの部屋をさまざまな人が訪れ、それぞれの事情を語りそして去っていったことと向き合ってきたことが思い出されました。
ある人は何度となく訪れ、今もって続く人もいれば、一度限りで去っていく人もいる。せっかくいらしてもただ無言を貫く人、ものの数分で席を立ち出ていった人もいれば、こちらの穏やかな制止を振り切り長時間、自分の思いのたけをぶつけ続ける人もいる。悲しい話を穏やかな笑みさえ浮かべ気丈に語る人もいらっしゃれば、ほとんど言葉を発することなくただ涙の止まらない人もやってくる。
その人の語る言葉だけでなく、カウンセリング中相談者が発するありとあらゆるメッセージに注意を向け、彼らのこころに真摯に耳を傾けるのがカウンセリングという仕事ですが、その傾いたイスは、私がまだ彼らが発するメッセージのほんの一部分を受け止めていたにすぎないことを物語っているようでした。
昔読んだ本の中に出てきた、ある名の知れた寿司職人さんのエピソードが思い出されます。アメリカのワシントンのポトマック河畔の有名な桜まつりに寿司職人として呼ばれ、各国の要人にお寿司を振る舞った後のインタビューの席上、
「あなたの握る寿司は、回転ずしといったいどこが違うのですか?」とある現地のジャーナリストからちょっと意地悪な質問を向けられ、彼はこう答えたそうです。
「わたしの寿司は、『あなた』のために握る寿司なんです。」
誰彼となく毎日機械のようにただ同じものを作っているのではない。一人の客と真摯に向き合い、その人となりに思いを巡らしつつ心を込めて一つひとつ握っていく。それを淡々と続けていくことは実は容易ならざることであって誰しもにできることではないのでしょう。
私たち人間は、置かれた状況や環境の影響にとても敏感でそしてさまざまな感情の彩りを持った生き物です。いっぽうで先進のITやAI技術が推し進める高度デジタル情報化社会がめざすのは、どうやらすべてをなにがしかの客観的な尺度で把握し、あるいはデータ処理することで多くの価値判断や意思決定をおこない、最終的には私たちの主観なり感情を克服することをもって良しとする、ある人々にとっては都合がいいけれど、有機的生物としての人間の本質から言えばかなり窮屈な社会のあり方ようにも見えてしまいます。
カウンセラーの仕事もあの寿司職人さんと同じ姿勢で臨むべきなのでしょう。一人として同じ悩みはありえない。「あなた」のためにその場かぎり精一杯クライアントと向き合うこと。そんなことを忘れずに今年もまた、一年という時を重ねていこうとあらためて思います。
“人間には、人間としての能力を持ったロボットを造ることはできない。まして、よりまさったロボットなんて無理な話だ。美的センスとか倫理観とか、信仰心を備えたロボットも造れない。電子頭脳は、唯物主義から一インチも出ることはできない。
そんなことはできない相談で、ぜったいにできないのだ。我々の脳を動かしているものが何かを理解しない限りできない。科学が測定できないものが存在する限りできない。美とはなにか、あるいは良心とは、芸術とは、愛とは、神とは、我々は永遠に未知なるものの淵で足踏みしながら、理解できないものを理解しようとしている。そこが、我々の人間たる所以なのだ。“
(アイザック・アシモフ『鋼鉄都市』、福島正実訳、早川書房)
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