青春のとき ~ 雨水の頃’18


「結局、あの子たちはいまだ『青春』してるんです。いい加減いい大人なのに、いつまでも足元見ないで夢を追っかけてばかりいる」

「そうですか?いまだ青春なんて素敵だと思いますけど」

すると半ばあきれ顔で、「あんたも若いね。身内じゃないからそう言えるんですよ。あの子たちには、きっと自分たちがまだ子どもだってことがわかってないんだ」


溜息まじりにこうつぶやくAさんは、一年以上前から私のところへ通っていらっしゃる70代の会社経営者。別の相談でカウンセリングにいらっしゃっているのですが、結局なぜだかいつも、ご自身の二人の子ども達のことへと話は向かいます。なかばあきらめとも怒りともつかない言葉や表情に、寂しさと後悔がにじむようでした。Aさんが最も感じている思いは、「なぜこんなことになってしまったのか」という子と自分自身について、ぬぐいさることのできない疑問の数々だったようでした。

お話をお伺いする限りにおいて、二人の子どもさんが特段道を外れただめな人生であったわけではありません。学校を無事卒業し、安定した就職先を見つけ、結婚し家を買って子どもをもうけ、幸せな家庭を築き穏やかな老後を迎えるという、いわば普通のありふれた人生が、いまでは数多い人生の選択肢の一つでしかなくなりつつある私たちの社会を考えれば、お二人の生き方は、よし悪しとはまた別の、よくある多様な人生模様の一エピソードにすぎないといえます。しかし、Aさんからみれば、結婚してもすぐ離婚してしまい、子や家庭も持たず(したがって、Aさんには孫の顔も見るチャンスもなく)Aさんの表現を借りるなら、ただ仕事にしがみついているばかりの娘と、大学にもやり海外留学までもさせておきながら、ある日突然医学の途もAさんの後継者となることも放棄し、180度方向転換の人生を歩み、あげくには家族が反対する結婚を強行した息子の2人は、たまに会えば喧嘩口論を繰り返す、いまではすっかり絶縁状態の、言ってみれば「できの悪い子ども達」でしかないように思えているのかもしれません。

自らの人生と子ども達に思い描いたはずの理想と現実とのギャップ、奥様に先立たれ年老いていく身の孤独と不安、会社経営者として立派に頑張ってきた人間の自信とプライド。多くの複雑な思いが交錯しながらも、どこで間違ってしまったのか首をかしげる苦しい日々を送られてきたようでした。


 

 世界トップクラスの長寿を誇るわが国ですが、日本人の平均寿命が50歳を超えたのは、今とは医療や衛生・生活環境が異なるとはいえ、実は第二次世界大戦後にしかすぎません。そして今や、いずれ人生100歳の時代がやってくるであろうというのが大方の予想といいます。すべてが目まぐるしく変わる今の社会の中で、100年を生きるというのはある意味とても大変です。ライフサイクルは大きく変化し、青年期や成人期、あるいは老年期といった従来の人間の発達過程の境界もあいまいで流動的になり、かつて思い描いていた人生設計は、幾度となく見直しや仕切り直しを迫られる時代です。むしろそうした柔軟性と適応力を持つことが、より豊かな人生を送る必須条件ともいえる時代にすでに私たちは生きているのかもしれません。だとすれば、そんな中で青春時代が長引こうが、あるいは幾度となく訪れようとも、それぞれが悩んだり迷ったり目標を追い続ける過程に身を置くことそのものが、最後の結果がすべての人生よりもむしろ価値あることかもしれないのです。


    A rolling stone gathers no moss(転石苔を生ぜず)

 この古いことわざには2つの意味があります。歴史と伝統の国イギリスでは、一貫性がなく職業や住まいを転々とする者は成功することはできないことを意味し、一方チャンスと自由の国アメリカでは、ひとつの物事にとどまらず、いつも活発に行動するものの才能は決して錆びつかない、ということを意味するとか。

 どちらが正しく間違っているということではありません。人生それぞれ人それぞれです。『人生は醜くくもなければ、美しくもなく、ただそれぞれに唯一無二なだけである』(イタロ・スヴェーヴォ)であって、そもそも正しい答えなどありはしないのです。そして、それでいいのではないでしょうか。

 人生に失敗はありません。失敗があるとすれば、それは自分を、そして人をこうあるべき、こうあるべきだった、と決めつけることそのものではないでしょうか。「青春」と言う言葉は、大人になり切れない青臭さが漂う言葉かもしれません。でも人生は一生青臭くても本当はいいのです。そして青臭いと密かに笑う人こそ、人生の敗者、失敗者なのです。



長く続いたAさんとのカウンセリングが終結を向かえた最後の別れ際、私は1冊の本をプレゼントしました。古い本なのでインターネットで中古を探してお渡ししたものです。Aさんが大好きだという往年の昭和の大スターの自伝(口伝)本なのですが、この中に青春について語っているとても素敵な文があるからでした。青春については、歴史上の多くの偉人や有名人が、金言・至言・魔法の言葉を残しているのはご存知の通りです。ですが、私はこの言葉(文)が一番好きです。わかりやすく率直で、とても爽やかだからです。

 少し長いのですが、そのお気に入りのくだりを以下に引用して、今回のブログを閉じます。




「青い春」と書いて青春と読む。

だから、青春時代と言うと、若いときになってしまう。

でも、振り返って見ると、僕はずっと青春だったような気がする。

一週間を振り返って、

(ああ、よかったな)

と思える人は幸せだと思う。

十年、二十年という、セピア色の思い出ではなく、

一週間、一か月、あるいは一年前という鮮明な“昨日”を振り返り、

その時の喜びを将来の励みにできる人は幸せだ。

「ああいうことが一年前にできたんだから、今年もやろう」

「来年は、それに輪をかけてトライしてみよう」

それは何でもいい。

ちっちゃなことでも構わない。

バカバカしいことでもいいのだ。

「縄跳びが今年は百回できた。よし、来年はそれを二十回増やそう」―そんなことでもいい。ちっちゃいこと、ささいなことが積み重なり、相乗し、やがて大きなものに膨れ上がっていく。

その過程を「青春時代」と呼ぶのではないか。

十代は十代の、四十代は四十代の、そして六十代は六十代の青春があると、僕は思っている。

「青春時代」は、そこにあるものではない。

自分で作るものだ。

「死ぬまで青春時代」

そう言える自分でありたい。

いや、自分にそう言い聞かせ、前途に希望と期待を抱き、今日という一日を全力で生きる悔いのない自分でありたいと願っている。

          (「口伝 我が人生の辞」石原裕次郎、主婦と生活社)


最後までお読みいただいてありがとうございます。

メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂

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by yellow-red-blue | 2018-02-20 13:38 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、カウンセラーとして、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。ブログのどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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