2018年 03月 21日
寒空の向こう ~ 春分の頃’18
これを書いている今日は春分の日ですが、東京は季節はずれの雪が舞い、厳しい寒さにふるえるあいにくの一日。行きつ戻りつを繰り返しながら春へ向かうこの季節ならではの一日とはいえ、これほどの極寒の日になるとはビックリでした。祝日のこの日はカウンセリングも普段はお休みなのですが、片付けなければならない仕事があって、やむなく仕事場へと足を運びました。途中見かけるどの桜も2~3分咲きといったあたりで足踏みしているようでした。
それでも新しい季節は確実にそこまでやってきています。近くの公園を流れる小さな渓流のせせらぎは水量を増し、日の出はずっと早くなり、そよぐ風は朝夕などはまだ冷たさを感じさせながらもそのみずみずしさは春模様そのものです。
この時期は、学校や職場、ご近所などさまざまなシーンで別れと出会いの生まれる季節、来る人去る人が行き交い涙が似合う季節とも言われますが、冷静に考えてみればこの時期にそんな出会いや別れを経験するのは、日本人全体からすればむしろほんの一部の人に過ぎません。人生区切りの情報に接する機会が増える時期であるためそのような空気がありますが、実際私たちの多くにとっては、さしたる別れも出会いもない、いつもの普段通りの日々でなのでしょう。
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そんな普通の人のひとりである私にも、今朝方はちょっとした出会いがありました。薄暗い仕事場の部屋の電気をつけようとスイッチに手を伸ばした時、ふと窓の外のバルコニーの手すりに気配を感じ、カーテンの窓越しによく見ると、そこに一羽の野鳥の姿がありました。もっと姿をよく見ようと、音を立てないよう抜き足差し足慎重に窓に歩み寄ると、それは冷たい風雪の中、雨宿りするかのようにじっと羽を休めていました。これからどこへ行こうか思案しているようでもあり、仲間とはぐれひとり途方に暮れ、雨空を遠く見つめているようにも見えました。灰色と白色が美しく交じった羽毛に包まれたかわいい姿は、あとで調べてみるとどうやらハクセキレイという名の野鳥でした。やがて何かを決断したかのように、雪の舞う寒空高く飛び去っていってしまいましたが、ごく近い距離でその姿に魅せられていたそのほんの10分という時間は、めったに体験のできない心休まるひとときでした。
これもまた出会いのひとつ。こんなことでもなければハクセキレイという名もこの小鳥のことについて知ろうとすることもなかったでしょう。またやってきてくれるかも、と小さな期待に心躍ることもなかったでしょう。たまにはこんな出会いもいい、休日出勤もよしとしよう、単純ですが気持ちが少し明るくなりました。
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いっぽう季節や時期を問わずいつも出会いと別れを繰り返し、常に涙する人と向き合うのが私のようなカウンセラーでありカウンセリングルームといえるかもしれません。
こんなに日常から涙する人々と接する仕事は、葬儀屋さんとカウンセラーぐらいだと、ある人に冗談まじりに言われたことがあります。確かに日々人の死と向き合うお仕事をなさっている方々同様、カウンセラーほど人の涙と出会う職業はないかもしれません。こんなにも人が哀しさやつらさを切々と語り、人生の辛さに向きあう場所は他にはないかもしれない、と身勝手な自負めいた感慨がわき上がらないことも時にないではありません。けれどもそうした人の苦悩をしっかりと受け止め、期待にこたえていくのはとても困難でつらい作業であることを日々痛感してもいます。こころ折れそうになることもしばしばです。そんな時私も、カウンセリングの只中でも、相談のメールを読んでいても、つい涙してしまいます。治療者が涙することはあまりほめられたことではないとする考え方もあります。でも「もらい泣き」するこころを忘れない人間でいたい、ひそかに私はそう思うのです。
“雲と小鳥と人の涙のあるところ、そこがすべてわが家なのです”
ローザ・ルクセンブルグ
最後までお読みいただいてありがとうございます。
メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂