2018年 06月 10日
シャボン玉飛んだ ~ 芒種&夏至の頃‘18
Yさんは古くからの知り合いで、そろそろ還暦を迎えようかという女性。いつもニコニコ、朗らかで落ち着きに満ちた物腰は、自分とはまるで正反対の「できた人」という感じで、何かと教えられることも多く、親しいながらもいつも少々気後れしてしまうような存在の方です。
Yさんの事務所は私の仕事場からまずまず近い距離にあることから、たまにぶらっと立ち寄らせていただくこともあるのですが、そこもこれまた彼女のキャラクターにピッタリと言う感じの雰囲気。こじんまりとして落ち着いた色で統一され、無駄を省きすべてがきちっと整理整頓されている、清潔感と高級感溢れる企業の重役室さながらの、まさに大人の仕事場という感じのお部屋。これまた真逆の雰囲気をさらけ出している仕事場を持つ私にとっては、最初はいつも少し緊張感をおぼえてしまう場所です。
先日そんなYさんとしばしの会話の後、失礼しようと席を立とうとしたとき、ふいに彼女の広いデスクの隅にぽつんと置かれていた妙なものに視線の注意が向きました。ダーク調のウッディなお部屋の雰囲気には似つかわしくない、何ともカラフルで安っぽいというか子供っぽいおもちゃのような感じ。よく見ればソフトクリームの形をしたプラスティック製の小さな置物のようでした。
なんですか、それ?
「あ、ふふ、見られちゃったか」少し恥ずかしそうなYさん。
お孫さんにでももらったんですか?
「そうじゃなくて、この間近くの文房具屋さんに買い物に寄ったら、目に留まって自分で買ったのよ。これシャボン玉のおもちゃよ」
シャボン玉、ですか?
「大人のくせして恥ずかしいわね。何だか妙に懐かしくて。昔みたいに近所の駄菓子屋さんや文房具屋さんなんてもう最近見なくなってるから。」
そういえば、むかしの近所の文房具屋さんって、小さなお店のなのに他にはない変なものをけっこう売ってたりしてましたね。駄菓子屋さんやおもちゃ屋さんを一つにした感じのような。
「そうそう、最近の大きなお店やインターネットとは違うわよね。そっちの方が安いし品数も多いし簡単に手に入るけど。ペン一本から自宅まで届けてくれるし。」「でも近所にあって、隣近所の人が経営するお店にはやっぱり親しみやひいき感情が芽生えるでしょ。自分が生まれ育ち成長していくあいだのほんの一時期、ちょこんと脇役のようにいつも思い出の片隅にある存在のああいうお店ってなんだか特別な感じがあるものなのよ。」
成長とともに変わっていく、大きくなっていく自分に対していつも変わらぬ小さな姿で町なかにある文房具屋さんは、何ともいとおしい存在かもしれません。
「コンビニやインターネットはそれは便利な存在よ。大きなスーパーだってね。でも何かが欠けているような気がして。便利さだったりなんでも豊富に安く簡単に手に入るだけの価値尺度で動けない自分がいることにふと考えさせられる。たぶん歳なのよね。」
買い求めに出かけていく。見る、人と接し会話する。また出かけていく。町の中へ人の中へ。地元で味わうささやかなコミュニケ―ションが、世代を超えた人同士の豊かな絆を紡いでいた時代があったのでしょう。
それで、そのシャボン玉どうするんですか?
「もちろん、自分で吹くのよ。暇なときなんかにね。こんな感じで。」
ソフトクリーム型のクリームの部分をひねるとスティック状のシャボン玉をふくらませる部分が出てきて、下のコーン部分のシャボン玉水につけてフッと吹く簡単なおもちゃ。Yさんは重役イスに少々のけぞりながら、そのおもちゃを吹くと、あっという間に数十個の色とりどりのきれいなシャボン玉が部屋中に飛び交います。
「ほら、結構楽しいでしょ、窓から乗り出して外へ向かって吹くとさらに楽しいのよ。とてもやっている姿を人には見せられないけどね」
そ、そうですか...
「最初は単に懐かしくて、童心に返る感じでひとりひそかにやっていたのだけれど。」
「なんだか最近は何につけ、時々シャボン玉飛ばすようになりましたよ。ストレス解消にはもってこいよ。」
それはそうかもしれないですね。
「でもインターネットで調べてみたら、あの童謡の『シャボン玉飛んだ』ね、生まれてすぐ亡くなってしまった自分の子の魂をなぐさめる歌として作詞したという説もあるみたいよ。シャボン玉で無邪気に遊ぶ子供たちやふわふわ飛んでははかなく消えていくシャボン玉を、ほんの短い生涯だった自分の子やその命と魂に重ね合わせて作ったとかね。もしそうだったら本当は切ない歌なのかもしれないわね。」
それは初耳でした。
「わたしの場合は、こころのモヤモヤを全部自分の中から出してシャボン玉に載せて遠くへ飛ばすように吹いていく感じかな。でも乱暴に吐き出すんじゃなくて、優しく、感謝してさよならするようにね。」
感謝してさよなら、ですか。
「だって、悩みだろうが嫌なことだろうが、言ってみれば自分の一部のようなものだから。自分の考えや気持ち、過去を七色のシャボン玉に見立てて、送り出していけば心が晴れやかになることもあるから。」
そんなことを話すYさんがとても意外でした。
「でもごちゃごちゃ思うのは最初だけ。あとはただひたすら飛ばしてシャボン玉の行方を見送るだけよ。10分もやっているとね、気持ちが本当にスッキリするんだから。絶対お試しよ。本当に遠くまで飛んでいくのよ。」
10分もですね...
「ね、どう?これいけるんじゃない?」
何がいけるんですか?
「現代人の心を癒す『シャボン玉セラピー』なんて、流行らせてみたら?」
は!?
「考えてもごらんなさいよ。子どもだろうが大人だろうが誰もが机の引き出しやカバンやどこかにシャボン玉のおもちゃを忍ばせておいて、いつどこともなくシャボン玉を吹く。学校だろうがオフィスだろうがいつもどこかでシャボン玉が漂っているなんてちょっと素敵なじゃない。ふっと気持ちが和んで、邪魔だと思う人なんでいないと思うけど。あたしが流行らせようかしら」と一笑。
✽
Yさんにさよならを告げ自分の仕事場へと戻りながら、ちょっと迷った挙句に近所の文房具屋に立ち寄り、結局シャボン玉を買い求めることに。さすがにそれだけ買うのは何とも恥ずかしく、必要のないノートやペンも一緒にレジに差し出したのでした。
仕事場のバルコニーに出て早速、夕暮れの梅雨空にシャボン玉を飛ばしてみました。
や、これはイケる(何がイケるのだか正直よくわからないのですが)。本当になんだか心が和む。ゆらゆら飛んでいく大小さまざまなシャボン玉をみつめているだけで。そしてまた吹く。
シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで こわれて消えた
風 風 吹くな シャボン玉飛ばそ
(作詞:野口雨情 作曲:中山晋平)
いつも誰かがどこかでシャボン玉を吹かせている。
つらいこと、悲しいこと、喜びや願いもシャボン玉にのせて
自分のために、ときにはまわりの人のために
それで何が変わるのではないとしても、ただ優しく見送るだけ
私も仕事場にいつもそれを忍ばせることに。
なにやら人生いつも教わることばかりです。
最後までお読みいただいてありがとうございます。
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