2018年 07月 26日
カウンセリングとはなんですか? ~ 大暑の頃’18
『人間の発達過程において認知的、情動的、行動的機能に影響を及ぼし得る遺伝と環境の相互作用の多様性は、事実上、無限の広がりを見せている。』
今日の私たちは、目まぐるしく変化し多様化する社会環境への適応と自己のアイデンティティの見直しを絶えず迫られる時代を生きている、などとしばしば言われます。人生を生きる過程でそれぞれが身につけてきた学習経験や知識、社会的スキルが十分生かされないままそれらがすぐに過去のものとなり、私たちはいわば生き方のアップデートを常に求められているというわけです。
ほんの少し前の時代まで、私たちが頼り支えられてきた緊密な家族血縁関係や地域社会といった社会文化的規範が持っていた精神的絆の力が急速に薄れ、社会環境の変化に耐え順応することを個人で対処することが求められる社会の流れに、心理的な抵抗や不安を抱えながら生きる人が世代を超えて増えているというのが実情なのだと言えるようです。
症状の重い精神疾患から、学校・友人関係、親子・夫婦関係などの家庭問題、結婚や離婚、職場や仕事、病気や経済的問題といった、日常生活の中で起こりがちな困難から来るストレス性のメンタルの不調まで、症状の程度の差こそあれ精神的に苦痛を感じながら生きている人は少なくありません。けれども、ストレスは誰にでもあることだとして、つい私は大丈夫だ、あいつも大丈夫だろう、あるいは気にはなるが相談しづらい、などと判断を誤ってストレスフルな状態を放置すれば、より症状が深刻化し日常生活にもさまざまな影響が出てしまうリスクにも直面します。
そのような精神的困難の問題解決の一役を担うのが、カウンセラーでありカウンセリングと呼ばれるものなのですが、ではそもそもカウンセリングはどのようなものなのでしょう。なぜそれが必要だと言われているのでしょう。あらためてカウンセリングについて少し考えてみたいと思います。
✽
私たちが何らかの体調不良や身体的に異常を覚えたら、まず内科や外科などお医者さんへ行きます。専門の医師などから問診や検査を受け、なんらかの診断病名を伝えられ必要な治療を受けます。その治療方法といえば、病気によっては入院手術ということもあるでしょうが、私たちの多くが経験上知る治療の主体は、処方された薬を服用したり注射をされたりするいわゆる「薬物療法」であることはお分かりと思います。
これは、精神的な不調や異常を訴える場合も基本的には同じです。一般の医療機関に比べてまだまだ受診にためらいがある人も多いとはいえ、精神科や心療内科などの専門機関を受診し検査診断を受ければ、その治療の基本となるのもやはり薬物療法です。
一般の病気が、何らかの臓器など身体器官の異常を原因とするものであると同じように、精神的異変や不調もまた「脳」という臓器の何らかの異常である、という生物学的精神医学の立場に基づいたこの薬物療法はその有効性が(完全ではないものの)確認されており、多くの精神疾患などには欠かせない治療法です。
けれどもその一方で、薬物による治療だけで常に疾患の治療や精神的問題が解決するわけではないこともまた事実です。心の働きが脳という臓器によって実行されるもので、薬物療法がその症状をコントロールするうえで大きな効果を発揮するのは事実であるにしても、私たちの心の悩みや葛藤そのものについては薬だけで必ずしも解消されるものではありません。生物医学的な立場だけでは語れないむずかしさを含んでいるのです。
✽
そのむずかしさについては二つのことが言えると思います。ひとつには、問題の起きている現場がいわば「身体」ではなく目に見えない「心」であるということ、そこがむずかしいところです。つまり、私たち人間の心の中で起きている人それぞれの「主観的な」体験や思考、感情を扱う必要があることから、一般の内科や外科で扱うような誰の目にも把握できる病気の治療とは違ったアプローチなり方法が必要なのです。
むずかしさの二つめは、精神的問題はさまざまな要因の複雑な相互作用によって起きるということです。生物的先天的(遺伝)要因、幼児期の生活体験や、成長過程での学習や体験とその結果形成されたパーソナリティ、社会環境や養育環境、さまざまなライフ・イベントで直面するストレス状況など各種の要因がさまざまな割合で関与し、冒頭にも引用したように、症状も含めそのバリエーションはまさに無限です。
精神的な問題は、生物学的な要因や因果関係ですべて説明することのできないに微妙な問題を含んでおり、そこに対処するのが「薬物」療法に対する「精神」療法、つまりカウンセリングです。カウンセリングは薬物療法と並んで精神的問題を治癒するため不可欠の柱であり、このふたつは車の両輪といえるようなものです。重い症状の人には薬物療法が、軽症の症状がカウンセリングである、などと安直に考えることはできません。精神的問題への対処はあらゆる点であくまで柔軟かつ慎重な姿勢が求められます。「精神科を受診したり精神病の薬を飲むのは嫌だから、代わりにカウンセリングで治せないか」などと誤った認識を持たれている人もいますので、誤解のないよう丁寧な説明や正しい知識の伝達が大切です。
✽
カウンセリングとは、対話・コミュニケーションを通じて相手の気持ちを支え楽にし、抱える問題や症状を改善ないしは治癒へと導く総称であり、数多くの技法や療法が存在しすそ野の広い概念といえます。カウンセラーと呼ばれる職業の人々だけでなく、医療現場の医師やその他の医療従事者、社会の現場でさまざまな立場の人が行う教育や生活相談、生活指導なども心の治療といえます。たとえば信頼のおけるお医者さんから、丁寧でわかりやすい病状や治療方針についての説明を受け、「それはつらかったですね。でも必ず治りますからいっしょに頑張りましょうね」「まずは休養を十分とりましょう」などと優しく接してもらえれば、患者さんも不安な気持ちが和らぎ治療に前向きにもなれます。これも広義な意味での精神療法、カウンセリングといえます。単に専門のカウンセリング・ルームでカウンセラーと一対一で向かい合うことだけを意味するものでもありません。
そのカウンセリングが私たちの精神にさまざまな効果をもたらすことができる理由は、私たち人間が、親密なコミュニケーション関係を構築することによってきびしい環境を生き延び、進化してきた動物であり、そしてその長い間に培われてきた心を通わせるための経験と知恵がカウンセリングのルーツであるからだといえます。カウンセリングとは、そうした私たち人間に脈々と受け継がれてきた優れたポテンシャルを精神医学あるいは臨床心理学的に蓄積されてきた知見や理論に基づいて解釈し直し、より一層困難な問題解決に特化させたコミュニケーション技法といえます。
こんにちの私たちが抱えるストレスや問題、願望は様々ですが、そうした課題の多くは、私たちが人生を送る中でそれぞれが自然と身につけてきた実践知(経験・学習知)に頼るだけでは対処しきれなかったり理解することが難しいものです。それらを上手に乗り越えていくためのより洗練されたツールとしてカウンセリングがあると考えていただけるとわかりやすいかもしれません。相談者や患者がストレスや身体症状という「姿」を借りることなしに、その背後にある自分のもっと深いところの気持ちに気づいたり言葉で表現できるようさまざまお手伝いすること。そこがカウンセリングが単なる「お悩み相談」でないゆえんです。
✽
一方、援助する側としてのカウンセラーとして注意すべき点としては、カウンセリングは専門的な知識や理論、科学的根拠に基づくものではありながら、カウンセリングの実際は、単に学んだ知識や技術の適用では解決できない予想外に困難な事態の連続です。今日の複雑な社会状況において私たちの抱える心理的なニーズは多様で、したがってよりきめ細やかで柔軟な対応が求められます。一見すると精神的分野とは異なる日常のさまざまな相談事がカウンセリングに持ち込まれることも珍しくありません。そうしたことにも丹念に耳を傾け相談者に安心を提供することもカウンセラーの大切な責務です。相談者の疑問に対して誠実に向き合わずに、つい専門的知識や抽象的な表現に逃げてしまったり、心の問題は複雑であるからとして長期にわたるカウンセリングを安易に選択してしまうことのないようカウンセラーは十分な配慮をする必要があります。また、心という目に見えないものを扱うことで、相談者がカウンセリングやカウンセラーに何か非日常的、非科学的な万能の力の源泉を期待させるような言動の誘導も慎まなければならないことも言うまでもありません。
相談者が自分の状態やカウンセリングに関して、率直な疑問を口にしたり、納得のいく説明を求めたりすることのできる環境と信頼関係づくりに常に開かれているかどうかが、カウンセリングに最も問われることだと考えています。
最後までお読みいただいてありがとうございます。
メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂