2018年 09月 10日
「最近何となく...」になってしまったら ~ 白露の頃’18
ようやく暑い夏が過ぎ去ったかと思ったら、一気に朝晩を中心に冷え込む地域も多いようです。長袖上着が欠かせない季節が一気にやってきてしまった印象ですが、それにしても最近の気候の極端な様子には戸惑ってしまいます。
9月に入って周囲でよく聞かれるのが、「何となく~」というフレーズです。何となく最近「だるい」「疲れている」「気持ちがふさぐ」「落ち着かない」等々。はっきりとした原因やさしたるきっかけに覚えがないというところが、この「何となく病」のやっかいなところでしょうか。これがしばらく放っておいて、1~2週間程度で気が付けば解消されていた、ということであればいいのですが、それ以上場合によっては数ヶ月たってもまだもやもやするとなれば、だれでも心配になってしまいます。でも、この感じは意外と多くの人が経験しているようです。
それぞれの個人的な事情や生活背景もあるでしょう。目まぐるしく変わる季節と天候に体のバランスを崩すということもありがちです。また、かつて経験したことのないような異常気象や深刻な自然災害の頻発、人々の不安を喚起させるような痛ましく凶悪な犯罪や事件のニュースなど、人々の不安を喚起させる情報が洪水のごとく、私たちの日常の中にいやおうなく侵入してくれば、それらは確かに私たちの心身に微妙な影響を及ぼし、「気疲れ」も起こすかもしれません。
でも、そんなときどうしたらいいのでしょう?原因やきっかけをあれこれ追究しても確たる回答は得られないとなると、いったいどうしたらいいのでしょう?そんなときにもしかすると役立つかもしれない簡単な方法をご紹介します。簡単とは書きましたが、方法はシンプルなのですが、人によってはちょっと苦手と感じるかもしれません。ちょっとした言葉の遊び程度に思って気軽に試してみてください。もしかすると意外な発見があるかもしれません。
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心や身体の不調とは、簡単に言ってしまえば、私たちが普段意識することなく自然にしてしまっている「無理」です。無理なのですが、本人にその自覚があまりないため「なんとなく~」になってしまいます。こういう場合についしがちなのが、経験やさまざまな情報を参考にしてあれこれ試してみる、つまり物事を新たに取り入れてみるという方略ですが、それだとあまり効果がない場合もあるかもしれません。どこかに「無理」があるのですから、何事かをさらにプラスして無理をすることよりもむしろ差し引く、何事かを控え諦めたり、緩めることがむしろ役立つかもしれません。私たちが自分に課しているなんらかのルールの縛りを変更することも一つの考え方です。
できればそのあたりを自分自身に慎重に問い直してみたいところです。ところが、私たち人間はそうしたフレッシュな問い直しが実はあまり得意ではありません。私たちの頭(脳)は実によく回転はしてくれるのですが、頭の中でさまざま思い巡らせているばかりでは、思考機能が勝手に先走り、あることないことさまざまなストーリーであふれかえってしまうことになります。
そこで、いわば頭からいったん取り出して、思考というジェットコースターからいったん降りてみます。私たちが今までの人生で学んできたり経験したりしたこと、こうあるべきだと思っている「自分」に尋ねずに、あくまで自然体、何の縛りも制限も常識もなく、無防備のまま心がおもむくままにまかせようと、ほんのちょっとだけ意識してみます。
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私たち一人ひとりが、いったいどんなルールにしばられているのかを探り出す簡単な方法、それは意外なことかもしれませんが、「紙に書いてみる」です。
前述の「思考」でも触れましたが、頭の中にだけため込んであれこれと思いを巡らせるのは精神衛生上あまりよくありません。モヤモヤを吐き出すように我慢せずに言葉にしてオープンにするのはなかなか気持のよい体験であるように、文章にして具体的な表現で外に書き出してみると、私たちの中に意外な変化が起きます。
文字に集中すると勝手な思考が抑えられ、より奥深くに迫れることがあります。じっくりと時間をかけ、沸き上がってくる言葉を待つようにします。実際には考えること(思考)を止めることなんて不可能ですが、気にする必要はありません。ただ、自分に素直に、なにも弁解も防衛もしようとせず、ただありのままに沸き上がってくるどんなものでも待って書き留めるようにします。
たとえば、「最近なんとなく気持ちが沈んでしまう」と考えていたら、紙やノートにこう書いてみます。
わたしは、最近なんとなく気持ちが沈んでいる。
なぜなら、わたしは、「 」だから。
そして、しばらくじっと眺めながら、空欄に入る言葉を思い浮かべてみます。コツは、書いてすぐ頭に浮かんだことを記入するというより、じっくり言葉がやってくるのを待ってみることです。文章を自分で考え出そうとするのではなく、文章の方から勝手にやってくるような感覚を大切にします。あくまでイメージですが、頭のあたりに浮かんでくる、頭上から考えがやってくるというよりも、下からじわじわ上がってくる、体の中から広がってくる感覚の方を拾ってみます。難しく考える必要はありません。イメージするのが得意でない人は気にせず、すぐに浮かんだ言葉でもいいから書いてみてください。何も浮かばなかったらその場では放置しても構いません。意識の隅にこの問いを置いておくだけでも十分です。
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たった一つの文章が浮かぶこともあるし、いくつも浮かぶことともあるでしょう。気にしないで、でも、とにかく「書く」こと、そして書いたことを眺めることがとても大切です。そしてそれが今の自分にしっくりくるかどうかを見守ってみてください。どんなに理不尽で現実的でない内容でも構わないのです。根拠を探さそうとせず、自分の中の常識や学習、経験で「検閲」しようとしないでください。
紙を眺める状況や作業する日で違った言葉が浮かんでくるかもしれません。それでも構わずになんとなく一番しっくりくるような表現を最終的に選んでみますが、無理に一つに絞ろうとしないで構いません。後で別の言葉がよりふさわしいと思ったら変えて構いません。何か唐突な、思ってもみなかった言葉が妙にハマっていくかもしれません。
私は、最近何となくやる気が起こらない。
なぜなら、私は、「時計を見たくない」から
なぜなら、私は、「家族が嫌い」だから
なぜなら、私は、「海が見たい」から
なぜなら、私は、「寂しい」から
すぐには納得できないかもしれないが、そこに何か気になるものがあったとしたら、さきほどと同じように、言葉の意味について考えようとするのではなく、言葉から語り掛けてくるような感覚を大切にします。それはどのようなメッセージなのかを好奇心を持って待ちます。
うまくいかないと感じたら、その二行目を一行目に持ってきてもう一度問い直してみてもいいかもしれません(しなくてもいいのです)。
私は、最近時計を見たくない(と考えている)。
なぜなら、私は( )だから。
あるいは、次の文章をさらに加えてみてもいいかもしれません。
だから、私は( )したい(したくない)。
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完全な文章が浮かばない場合のほうが多いかもしれません。述語(動詞)は浮かぶのだけれど、「何が」がよくわからない場合です。
私は、最近何となくやる気が起こらない。
なぜなら、(私は)嫌だから。
なぜなら、怖いから。
なぜなら、知りたいから。
なぜなら、足りないから。
無理やり結論をひねり出そうとしないことです。自分をやさしくいたわるようにたずねていきます。以下のように続けてみてもいいかもしれません(しなくてもいいのです)。
私は、嫌だ(と感じている)。
私が嫌なのは、( )だ。
だから、私は( )したい(したくない)。
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上で挙げたような作業はあくまで例です。これが決まった方法だなどというものはありません。自分なりにアレンジして取り組んでOKです。ただ、文章構造はシンプルな方がよりいいでしょう。そうやって、じっくりと自分と対話していきます。すべて書き出してみます。うまくいかないこともあるでしょう。何だかへんてこな文章になるかもしれません。でも、書き出してみる、待ってみることにチャレンジしてみます。日を変えて、あるいは同じ問いをあらためて繰り返してもいいです。結論が出なかった、何だか混乱してきた、と感じたらそのまましばらく放置しておいて構いません。何か実行可能なものと思えたら少しだけでも行動に移してみます。でも、できてもできなくても、どのような選択をしようとOKです。
このような話になると、根拠不確かな心理(学)理論や科学的根拠に欠ける超自然的体験などとあっさり切って捨てる方もいらっしゃるでしょう。そうではなくただこうあるべき、これが普通一般常識、世の中ははこうなのだから、と頭でっかちになっている普段の私たちのこころと生き方について、たとえ根拠があろうとなかろうと、もう少し自分の中にあること、内からわいてくる「感覚」や「気持ち」にもっと信頼を置いてみるのもときに悪くないということなのです。大切なメッセージはいつも外から、他人からやってくるとは限らないからです。結論を出すことが大事なのではありません。大切なのはただ「なんとなく」を問い直すしてみること、そして「自分の」人生を生きようとすることです。「誰かの」でも「社会みんなの」でも、そして「世の常識」という人生でもなく。
私たちの日常行っている「思考」だったり「選択」は良くも悪くもない、一つの可能性に過ぎず、他の選択だって実は同じくらい可能性に開かれていることに思いを馳せることができれば、私たちのこころの自由はいっそう広がります。
最後までお読みいただいてありがとうございます。
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