2018年 11月 08日
ふたりの老人 ~ 立冬の頃‘18
以前のブログ(『パワースポット(Ⅱ)』)でも触れた、個人的にお気に入りの散歩コース途中にある運河沿いのとあるベンチに久し振りに腰掛けしばしくつろいでいた先日のことです。やはりお散歩の途中とおぼしきひとりのご老人が、ゆっくりとこちらのベンチに向かってくるのが目に入りました。年の頃80は下らないように見えた細身の方で、ステッキをつきながら足元が少々おぼつかない様子でゆっくり一歩一歩を踏みしめ、ここよろしいですか、とご丁寧に会釈をしてこれまたゆっくりとベンチへ腰を降ろしたのでした。そろそろ立冬を迎えようかという、おだやかながらやや冷たい秋風の吹け抜ける休日の運河の景色を眺めながら、しばしの会話が始まりました。
近くの高層マンションに奥様とお二人で暮らしているこの方は、中学を卒業すると同時に遠い田舎から上京し、すぐに地下鉄マンとして就職し長年働き、定年後を含め、かれこれ60年以上もずっとここ芝浦に暮らしてきたとのことでした。
「いい時代でしたよ。まだ右も左もわからない田舎者に、仕事も住まいもお給料も何から何まで世話してもらったようなものでね。一人ぼっちだった私でしたが、いい先輩や同僚にも恵まれて皆が家族のようでしたから。仕事は大変でしたが皆がそんな時代でしたからね。幸せでしたよ。」ゆっくりと丁寧な言葉遣い一語一語に過去の日常への郷愁を織り込むかのような話振りは、自分なりに想像する老人の過去へと私を心地よく引き込んでいきます。
最近の大規模再開発を機に住み慣れた自宅から高層集合住宅への移住を余儀なくされたとのこと。では随分とこの辺りも変わってしまったのでちょっとお寂しいのでしょうねと話しを向けると、
「いやいや、そんなことないですよ。あまりに規模が大きいのでちょっと戸惑うこともありますが、とても立派だし快適なので感謝してますよ。みんなよくしてくれますし。一階なのでこの辺りは土地が低いですから、いざ大地震が来たときが心配なことぐらいですか。まぁこの年だからいざという時さっと逃げるわけにもいかないでしょうからあきらめてますけど。」とあくまで和やかです。
そばの運河に沿った遊歩道を、小さな姉弟がペットの犬を散歩に連れて通りかかると、顔見知りなのかお互いに挨拶を交わしていました。
「知り合いでもないのに、ここに腰かけているだけで、ああやって私のような老人にも声かけてくれるしね。やっぱり恵まれているんでしょうね、私は。」
ふと気づけば、季節にピッタリの柿渋色の暖かそうなニットセーターに、今どき珍しい赤が基調のタータンチェック柄のハンチング帽にボーダー柄マフラーがとてもよく似合っていらっしゃいました。奥様の見たてかあるいはお子さんやらお孫さんからのプレゼントなのでしょう。驕奢は感じさせない庶民性がありつつ、どことない品の良さを感じさせる方でした。会話の中の言葉遣いや初対面の私へのそれとない気遣いからその人柄と言葉通りの幸せな人生が伝わってきたのでした。
「さて、寒く成りましたらそろそろ引き上げますか。」いま、家には家内の友人がいましてね。二人集まるとこれが結構なおしゃべりになるので避難してきたようなもので。でも散歩が唯一の楽しみのようなものですからね。ここはいいところですよ。ゆっくりゆっくりと立ち上がって軽い会釈とともに遊歩道をまた来た方向へとゆっくりと戻っていきました。そんな後ろ姿に私はつい見入ってしまっていました。
「ああ、失礼、ここいいですか?」
突然そう言われてハッと振り向くと、やはり一人のご老人が隣のベンチに腰掛けようとしたところでした。ビックリしたような私の顔をしばしねめつけながら、どっかと腰をおろし、座るやいなや懐からたばこをやおら取り出して一服。心地よさそうに煙をはき出してから、「ああ、煙草構わないかな?」とひと言。
先ほどのご老人とほぼ同じ世代に見えましたが、こちらは対照的にやや恰幅のいいガッチリとした体格の赤ら顔の方で、足元はやや弱っているようでしたが、杖もつかず堂々としている雰囲気。一見して値の張る衣服に身を包んだその方の、あきらかな若輩者の私への言葉遣いのトーンはざっくばらんなものでした。企業でそれなりの地位まで上り詰めたかご自身で会社を経営なさっていた方、あるいは職人の親方さんのようでもあり、人を率いたり指示することに慣れてきた人のような、引退してなお壮健なお人柄が漂ってきました。
辺り一帯があきらかに喫煙NGの環境のようでしたが、ええ、どうぞと気にしない風を装うと、それをも察知してか、「最近は落ち着いてたばこを吸う場所もないんだからね」と美味しそうに煙を出しながらもかなりの不満顔をしていらっしゃったのでした。
そうですねと、今どきの喫煙者の肩身の狭さに同情するコメントをすると、
「自宅でもそうだからね。ベランダの喫煙はもちろんだが、自分の家の中で吸ってもそれが外にちょっと漏れると文句言ってくる人もいるしね。」聞けば住んでいるところは、さきほどのご老人と同じくすぐ近くの高層マンションのひとつ高層階。立派なところにお住まいですね。
「いや、まぁまぁだよ。でも見た目よりいろいろと不便だね。風も強いし。近所の騒音やペットなんか結構気になるね。もうちょっとご近所迷惑を考えてもらいたいんだが、今どきの人はあんまりそういうことには...」と最後はぶつぶつ声に。
最初のご老人が自分の過去やよき思い出の話を柔らかく語っているのとは対照的に、この方は過去や自分のことにはほとんど触れることなく、どちらかといえば変わってしまった今の世の中に何か納得がいっていないかのようなトーンに終始していたのでした。私のプライベートな話にもあまり興味がないご様子でした。
すぐ前の運河沿いの遊歩道をジョギングする人が行き交います。
「休日なのにああやってせかせか走って。みんなマラソンでも走るのかね。」そういう人も結構いらっしゃるみたいですよ。最近は健康志向の方も多いですしね。
「そんなことわざわざやらなくったって、わたしなんか何もやってこなかったが、この通り身体は丈夫だし元気だけどね。ただ豊かになって食い物や生活がぜいたくになったせいなんじゃないかね。」とちょっと手厳しいですが、たしかに本当にお元気そうです。
犬を何匹か連れスマホに見入っている若い今どきのご夫婦が通り過ぎるのを眺めていたかの老人は、「うちの近所にもいるけどさ。最近多いね。何匹も飼っていたり、文字通り猫かわいがりというんかさ。ペット飼わずに子ども作れと言いたくもなるよ。」「なんというか、もうちょっと今の人が世の中や社会のこと考えればいいんだが...」
そんなご自分のお考えに同意を求めるかのような苦笑顔を向けられ、当たり障りのない同意の言葉を向けると、そんな私もまた自分とは違う側の世代であることに気が付いたかのように、「いや、そんなこと言うとまた文字通り煙たがられるかな」とたばこをまた深々と一服し、しばし無言の後、「じゃ失敬」といきなり席を立ち、また来た遊歩道を足早に戻っていったのでした。
ゆっくりくつろぐつもりで来たのに、私が相手ではお役不足、折角の散歩が台無しにされたかのようなせっかちな歩みに勝手ながら私には思えてしまったのでした。ただ、ぶっきらぼうながら悪い感じがしなかったのは、その方がある意味表裏のない率直な方であったように感じられたからかもしれません。
ほぼ同時代、同じ場所で生きたであろうお二人が、同じ風景を目の前にしてこんなにも対照的な物事のとらえ方、お話しをなさるのかと思うと、今さらながらそして当たり前のことながら、私たちはそれぞれが本当に「ただ違う」のだ、と改めて思い知らされます。
その後もしばし私はそのままベンチに腰掛けながら、何だか一人その場に取り残されたかのような、ちょっと不思議な感覚を覚えてしまいました。しいて言えば、ポツンとあるベンチが舞台設定の演劇か何かに出ているかのようなそんな感覚です。
出演者:老人A、老人B、そして中年男C、以上。
さしずめ、舞台に最後一人残された私は、なにがしかの気の利いたセリフでこの舞台を締めなければならないか、あるいはラスト幕が降ろされる間際、ささやきめいたメッセージが天上から聞こえてくる...などと勝手な思いが頭をよぎります。
『おまえもいずれ老人だ。それで一体お前はどちらの老人になるのだ?』
『いやいや、結局どちらもお前なのだ。そうではないか?』
『いろいろと勝手なことを妄想しているようだが、当の老人たちには、今のお前はいったいどんな人間に映ったのだろうな?』
穏やかで謙虚、自分が周囲の助けや犠牲のもとで生かされてきたことに素直に感謝できる人もいれば、頑固一徹に一人道を切り開いて必死に生きてきたと信じている人もいる。現実に妙に逆らったり疑問を感じたりせず、受け入れ流れに任せる人もいれば、現実からの距離が取れて、世俗的な価値観を相対視することができたり、周囲をありのままをそっくりそのまま受け入れるのではなく、自らの価値基準と正義感覚を保ち続け、納得のいかないことには異議申し立てもいとわない人もいる。そして、結局そのどちらがより悪くてより好ましいというものでもないのでしょう。そんなふうに考える私もまた歳を重ね衰えゆく年代にさしかかったのだと気づかされます。
一個人をどこまでも他に例を見ないひとりとして肯定し、理解し、支え続けること、そして周囲からはどう見えようとも、あなたの、わたしの事情や気持ちそれはそれで十分にくみ取る価値のあるものであって聴くに値するものである、との姿勢をメッセージとして送り続けることがなにより大切なのだということを、今の仕事を通じて少しずつ学んでいるように思います。そしておそらくそれは、私たち一人ひとりの人生においてもまた同じなのではないか。とにもかくにも元気そうなお二人を見てなぜかそんなことをふと考えさせられたのでした。
最後までお読みいただいてありがとうございます。
メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂
