平成最後の... ~ 大寒の頃'19


「君、三猿って知ってる?」

 三猿ですか?知ってますよ。例の「見ざる言わざる聞かざる」ですよね。

「そうそう。その『見ざる言わざる聞かざる』の本当の意味知ってる?」

 ええと、はい。確か悪いことを見たり、言ったり、聞いたりせず、ひたすら良いものだけを学び、豊かな心を育み成長してほしいといった先達の教えや願いのようなものですよね。

「ほ~よく知っているじゃないか。それでそれってどこにあるか知ってる?」

 ハイ、日光の東照宮ですよね。

「彫刻はね。でも今でも生きてるって知ってた?」

 何がですか?

「そこいらにたくさんいるよ。街歩いてごらんよ。電車やバス乗ってみな。三猿だらけだよ。ただいろいろと間違ってるけどね」

 は?

 

 「わからない?マスクしてさ、耳栓(イヤホン)してさ、携帯(スマホ)ばかり見てる人間多いだろ?電車の中でもお年寄りに気づきもせずに携帯画面とにらめっこしてさ、ゲームしたりニヤついたり。駅じゃ降りる人間がいるのに画面に熱中してかまわずまず乗ろうとするしさ。マスクにしたって風邪とか花粉症のためならわかるよ。だけど、中にはファッションや年齢隠しなんかでやっている人間もいるっていうじゃないか。そのほうが実際よりいい男とかかわいい女に見られるとか、人に話しかけられたり、顔見られたくないだの。サングラスかけているみたいに安心感があるって、いったいいつからみんな有名人気取りなのかって言ってやりたくなるよ。」

 「ああいう周りのことにはかかわりたくありません、関係ないです、みたいな態度で、携帯の中じゃいつでもどこでも友達とどうだこうだなんて、あきれるよまったく。若いもんならまだ子どもだからしょうがねぇなと思うけど、いい歳した大人までそうだから最近は。そこいらの通りをベビーカー押しながら携帯よそ見してる母親なんかしょっちゅう見かけるけどさ、世の中どうなってるんだよって思うよね。」

 「年寄りに見えていろいろ詳しいでしょ。まぁ暇でテレビばっかり見てるからってこともあるけどさ。だけど、世の中おかしいことは、コンピュータやら携帯なくったって、わかる人間にはわかるんだよ。そういうおかしな人のこと何ていうか知ってる?『草野球のキャッチャー』って言うんだよ。わかる?(キャッチャー)ミットもない、みっともねぇってことだよ。うまいこと言うでしょ?昔見た映画で(高倉)健さんが...」


 年明け早々、Sさんお得意の毒舌独演会がまた始まったと思いつつ、70半ばを過ぎてなお血気盛んな正義感の塊のような江戸っ子Sさんのご意見に耳を傾けるのは、自分がお説教されているようでなかなかにエネルギーが必要です。けれども同時に、ご意見はごもっとも、でも今の時代感覚からは残念ながらズレています、まともに取り合ってはもらえないですよ、と受け流してしまっている私たち身の回りのどこか「まともでない」部分にふと気づかされ内省させられるひと時でもあるのです。

 相手がお偉い社長や役人や政治家だろうが、過去にお世話になった恩人のような人であろうと、納得のいかないことについては、絶対に引かずに生きてきたと自他ともに認める、そんな気骨ある人情家のSさんですが、しかし今実際それを貫こうとすると、やれ認知症が入ってきただの、クレイマーだ、プライバシーの侵害だのと周囲から逆にとがめられるのがまったく納得がいかないとおこぼしになります。

 高校を早々に中途退学、家を飛び出し日本中をさまよいながらさまざまな仕事に就き、苦労しながらも若くして多くの事業を起こし財を成したSさん。けれどもそのあわただしく駆け抜けていた人生半ばにして、Sさんを早すぎる危機が襲いました。突然燃え尽き症候群を発症し、その後も次々に深刻な精神疾患症状に見舞われ、長い間入院生活と治療薬投与(本人にいわせれば薬漬け)の日々を送ることとなったのでした。その後周囲の懸命の支えもあって見事にカムバックなさったのでしたが、Sさんの詳しい話を聞けば聞くほど、人が一度の人生でこれほどの経験をできるものかと耳を疑いたくなるようなまさに波乱万丈、壮絶な人生だったのです。

 読書の虫で教養の塊のようなSさんに「あんたは友達だから言うけれど」と前置きされると、Sさんほどブレない生き方をしてきたとは到底言えない私は相当な気後れを感じてしまうのですが、

「いいんだ。あんたは友達だと思ってるから。年齢差なんて関係ないよ。あのさ、先生って字はつまり『先に生まれた人』という意味でしょ。先に生まれているということはやっぱりそれだけいろいろとわかっていることもあるんだよ。だから若いもんはそこは敬意を払わなくちゃいけない。真剣に耳を傾けなくちゃいけない。だけど、同時にこっちも『せいぜい先に生まれた』程度だということも決して忘れちゃいけないんだ。そこが上手にかみ合っての人生だろ。それが最近は『先生』って言われている人ほど勘違いしている人が多いのも情けないやね。俺の周りにもいるよ。結局どっちもどっちなんだけどな」

 

 精神的な支えとなり援助する側であるはずの私が、仕事の現場ではかえってクライエント(相談者)に教えられたり救われることがまぁなんと多いことでしょうか。それはなにもSさんのような人生の先輩のような方々からだけではありません。私よりずっと若く人生経験が一見浅くみえるかのような人に感嘆させられることだって珍しくはありません。話を聴けば、その抱えきれないほどの苦しみの深さに、いったいなぜこの人はまだ頑張れるのか、それでもまだ人生突き進もうとできるのか、自分ならとっくに途中下車しているに違いないと感じ、ほとんど尊敬と感動の念すらおぼえてしまうのです。彼らは決して弱い人間、欠陥ある人だから問題を抱えるのではなく、逆に強くてしぶといから、そして誠実さといじらしさゆえに苦悩するのだということを痛感させられます。その強さ、しぶとさが実は自分にはあるのだ、ということに気づいてもらえたら、それでカウンセリングの目標の半分は達成したようなものだ、そう考えてもいるくらいです。

 ただ同時に、ひょっとすると私がこの仕事を続けているのは、けっして清廉で崇高な目的意識ややりがいを感じてきたからでもなければ、職業的に適性を感じているからでもなく、ただ人々からそうした感動を分けてもらいたいからかもしれない、ということに恥ずかしならが気づかされます。それは他人の悩みで酔うことでもあり、人に仕え、人を助けるというよりは、自分に仕え、自分を助けているだけなのかもしれない、自分もそんな矛盾を抱えた考え違いの三猿のままなのかもしれない、自戒を込めつつふと考え込んでしまうときがあります。



 ところで、Sさんには口癖があります。「人間はいちばん優れた生き物かもしれないが、同時に最も愚かな生き物だよ。」Sさんの言葉は、自らはまだ幼子だった時代の戦争の記憶と、戦死したりあるいは帰郷は遂げたもののその後決して普通の生活には戻れず精神的に病んでいった身内に接した体験から出たものでしたが、私は偶然にも昨年行われたある学術専門会議で講演者のひとりから同じセリフをすでに聴いていました。ただし、そのテーマは人間とAIの葛藤と未来に関するもので、人間の課題を克服するAIのポテンシャルについての内容だったのでした。

 そのことを伝えるとSさんは、「長年生きてきてひとつわかったことがある。『戦後日本(人)は豊かになった』なんてセリフは何度も聞いたことはあるけど、『人間が豊かになった』とはただの一度だって聞いたことはないということさ。それはなにかが間違っているということだろ。」「AIなんてよくわからんが結局は同じだよ。それで生活はなにがしか便利に快適にはなるさ。解消される問題もあるだろうよ。けれども、決して人間は豊かにはならないよ。生きる選択肢なんか結局増えないんだ。想定もしていない問題がこれでもかと噴出して、結局は常に弱いものが犠牲になるのさ。どうして科学や人間はそこのところがわからんのかね。欲張るのもいい加減にしろといいたいよ。」

 


 Sさんからいただいた何とも重い、最近何かと言われがちな「平成最後の」お年賀の言葉でした。私も年はじめのあいさつ代わりに正月休み中に読んだ本の中から一節。ウクライナ生まれの詩人アルセーニィ・タルコフスキー(19321986)の詩集から一篇をご紹介します。彼は、映画「鏡」「惑星ソラリス」「ノスタルジア」などで知られるロシア(旧ソビエト連邦)の名匠アンドレイ・タルコフスキーの父です。彼の多くの詩に接すれば、それが息子アンドレイの数々の名作の原風景であることが確かによくわかります。



自分になれ

     君がそれであるものになれ(ゲーテ)

               

どうにもならなくなったときに君は、

百ルーブルでも友人でも見つけるだろう。

自分を見つけるほうがよほど難しい、

友人やら百ルーブルよりも。


君は裏返しになって、

自分を朝早くから探し回り、

ひとつに現実と夢をまぜあわせ、

世界をはたから眺めてみる。


そして何もかも、誰もがもち場にいるのを見つけるだろう。

それなのに君は―まるでクリスマス週間の仮装者―

自分を相手にかくれんぼ、

君の芸術と運命を相手に。


他人の衣装を着けたハムレット、

なにやらむにゃむにゃ言っている、

彼の望みはモイッシを演ずること

父のあだ討ちなどではない。


百万の可能性のうち

君はそのひとつにめぐりあう、

だが、あてつけのように、

与えられない、君の聖なる数は。


空の半分を囲い込んだ天才、

その高さに届かなくても、

彼の足もとにすら及ばなくても、

君は自分になるべきなのだ。


預言者の言葉も君は見つけるだろう、

だが、聾(ろう)者の言葉はもっと素晴らしい、

盲人の色彩はもっとあざやかだ、

視角が探し出されて、

君がまばゆい光のもとで、

自分にすべてを見通されるときに

(アルセーニィ・タルコフスキー「雪が降るまえに」1962、坂庭淳史訳、鳥影社)

※「持つべきは百ルーブルよりも百人の友」というロシアのことわざがある。

※モイッシ:ドイツの名高い俳優のアレクサンダー・モイッシ。シェイクスピアやイプセン、トルストイの戯曲の役者として名高いことが知られていた。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂

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by yellow-red-blue | 2019-01-21 22:48 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、カウンセラーとして、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。ブログのどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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