2019年 02月 17日
カウンターが効く!? ② ~ 雨水の頃'19
数年前、夕食に招待され知人宅を訪問した時のことです。中へ案内されると、そこには予想に反して、知人の勤務する企業の同僚の方6~7名も招待されていました。お互い自己紹介などを済ませ、しばし楽しい夕食の宴が進んだ後に、その知人がおもむろに、実は会社でちょっと困った問題があって意見をききたいのだ、という話を持ち出してきたのでした。
聞くところによれば、先日会社であるプロジェクトがひと段落し、同僚社員や一緒に仕事をしてきた他社の仲良しのスタッフ十数名で、打ち上げの飲み会があったのだといいます。そこに、今年入社したある新人の女性職員も初めてその飲み会に加わったのだが、その席上、彼女に対して年輩の職員などからセクハラ行為があったのだというのです。
付き合いの長い仲間に新たに加わる社会人一年目の新人へのある種の通過儀礼のような軽い冷やかし的な言動に始まり、お酒が進むにつれそれが次第にエスカレートし、ついには彼女の体にまで触れる行為もあり、最初は我慢していた彼女もしまいにその場で泣き出してしまい、一気にその場が気まずい雰囲気になってしまったということでした。その場はそれで収まったものの、翌日からハラスメント行為を受けたその女性はショックから会社を休んでしまう事態にまでなり、同席していた同僚の若手職員が会社に報告し問題が大きくなってしまっているということでした。
今どきの会社内セクハラ問題で起こりがちな話ですが、彼女が受けたセクハラ行為については、私が呼ばれた席の全員が何らかの行為を目撃しているか、なかには実際に彼女にそうした行為を行ってしまった当人も混じっていました。つまりは、そこにいた男性女性含め全員が、いわば直接的であれ間接的であれ加担者側の人間で、私もそうした側の方から話を直接聞くのは初めての体験でした。
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話を聞いた限りでは、明らかにハラスメント行為であると断じられるものが多いように思えました。しばらく前の話なので、今ほど個人レベルでも企業レベルでもハラスメントに対する意識が高いものではなかったのかもしれませんが、私がお会いした人もみな一様に反省はしているようでした。が、何か今一つ納得がいっていないような空気もあったのでした。実際、その飲み会の席は男女含め幅広い世代が参加しており、意見は様々だったそうです。参加者のほぼ半数を占めた女性ですら意見が分かれたといいます。ただどちらかと言えば若い世代は男女ともにセクハラだと断じているのに対し、中年世代以降は意見は男女とも半々、さらに上の世代はそもそもセクハラという認識が薄いとのことのようでした。こうした場合、セクハラ行為に一切の言い訳は通用しません、それはあなたの単なる認識不足ですから必要なのは今時の常識と教育です、などとあっさり決めつけるだけでは決して問題は解決しないでしょう。またそのために呼ばれたのでもないとも思っていましたので、その場にいた方々の考えについて率直に話してもらうことにしました。
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彼らの意見をいろいろと聞いていると、2つに集約されているようでした。ひとつには、その場の空気や状況、参加者間の信頼関係などを抜きにしてその行為がハラスメントに当たるか当たらないか判断するのはどうか、というものでした。
その場にいない冷静な立場で特定の場面だけ切り取れば確かに問題と判断されてしまうかもしれないが、定期的に開かれお互い勝手知った同士の飲み会のあの場の状況やお互いの話しっぷりや態度、雰囲気の進み具合を考えれば、これから長い間一緒に仕事を共にする仲間の一員に入るための通過儀礼的なフレンドリーな”イジリ”であって、新人でまだ慣れておらずひとりやや緊張気味の中とはいえ、そのあたりもう少し空気を「読んで」大人の振る舞いで接してもよかったのではないか、などというものでした。もちろんセクハラ行為には明らかに悪質な犯罪行為もあるが、一切そんな一線は超えておらず、徐々にお互いの反応をうかがいながら親しさの表現が増していった「場」があったのだというのです。実際同じようなイジリは他の若手職員も同様に受けていたものの、彼らは慣れもあってなのか、それなりに状況に合わせたりやんわり反撃するなりの振る舞いを半ば「楽しんで」いたといいます。
もうひとつは、セクハラ行為が、受けた側の主張のみで成立するその「恣意性」に納得がいかないというものでした。相手なりにそれこそ相手の好みや気分でそれはセクハラ、~さんだから問題ないなどといったら差別もいいところである。例えば文化的背景の異なる外国人の親しみを込めたスキンシップやハグをいきなりされても、それは(外国の人だからという状況を理解して)セクハラとは断じないではないか、などという主張なのでした。
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私たちには「内心の自由」が保証されています。自分一人の内側に思いがとどまる限りは、どのような想像や妄想、怒りや偏見であれそのことで罪に問われたり非難されたりはしません。けれども、それが何らかの形や表現をもって、ひとたび自分という領域を超え、いわば公共的な領域に持ち込まれ、第三者領域に踏み込んで投げ出されたときに、今度は「他者関係」という自分と異なる主観や感情の世界を持った相手の領域と対峙しているという認識を持つ必要があります。よくよく考えてみれば当たり前のことなのですが、そのあたりをしっかり線引きなり柔軟に切り替えることは意外や難しいのです。
また、私たちは他者関係において、それぞれの相手に対しある種の役割や行動・ふるまいのパターンを無意識に期待しています。親友は親友の、親は親の、会社の上司は上司としての役割や行動パターンを、自分に対して果たしてくれるはずだ、と(お互いが)無意識に期待しており、それがおおむねその通りになるから良好な人間関係を築くことができるといえます。
ところが、そうした期待に反するような行動なり態度を相手が示してくる場合、私たちはそれに違和感あるいはもっとはっきりとした衝撃を受け拒否反応すら引き起こします。たとえば会社の上司であるという立場だけの関係の人間が、酒の席でいきなり部下の女性の体を触ってきたりペアでカラオケ熱唱を強要にされたりすれば、される側はそれはショックです。なぜならそうした女性は、上司と部下という関係性にそのような役割や行動パターンを期待ないし想定はしていないからです。もう一つたとえを挙げれば、電車内で座っていたところ、向かいの座席に腰掛けていた見ず知らずの人が自分に向かっていきなりプライバシーに関する質問をずけずけしてきたとしたらそれは確実にショッキングな出来事でしょう。なぜなら私たちは赤の他人に対しては、「自分のことは無視してほっておいてくれる存在」という役割と行動を期待、想定しながら日常生活を送っているからです。
このように、相手への期待や予想を超えた行為に対しては人間は衝撃を受けるものですが、当然それには個人差があります。ちなみに今回の件で被害に遭われた女性は、お酒が飲めない方だったそうですが、そんな方に少なくないのが「酔っ払い」への苦手意識です。そうしたことも一因にあるのかもしれませんが、お酒の席における「人が変わってしまったような」酔っ払いの言動は、まさに上で述べてきたような、お互いの役割や行動パターンの期待に大きなギャップを生じさせてしまう状況まさにそのものでもあるのです。
ここはハラスメントの定義やハラスメント対策のお話ではないのでこれ以上は詳しく説明しませんが、いずれにせよハラスメント行為とは、状況や関係がどうであれ、行う側が自分の領域にとどめておかなければならない期待を勝手に相手に押し付け、それが当然であるかのような行為にほかなりません。
お互いの役割や振る舞いのパターンがお約束として共有されているからこそ信頼関係が築けるのであって、そのための手段がコミュニケーションなのです。ですから、ただお酒の席だから、上司と部下だから、先輩後輩だから、などというだけで、なんらかの信頼関係が築かれていると勘違いし、いとも簡単に相手の領域に踏み込む言動をするような人は、実はコミュニケーション力が貧弱な方だといえます。本当のコミュ力とは、単に話し上手だったり、交際が幅広い、気配りが細かいなどで測れるものでは決してないことは知っておいていいと思います。
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しかしそうはいっても、やはりなかなか理屈では理解できるがやっぱり納得できないとおっしゃる方もいらっしゃいます。実はハラスメント行為は、その場の状況や人間関係、行為の種別・程度の問題もさることながら、同時に理屈抜きの生理的衝動や反応、感覚主観の問題でもあるのだということも知っておく必要があります。私たち人間の意識や自我には常に社会的側面と生物的側面が存在します。求められるのは理性や理解の力だけではなく互いを想像し感じる力だといっていいかもしれません。
ところで私は、その知人宅に集まっていた方々にこんな問いかけをしてみました。
皆さんちょっと一度じっくり想像してみてください。(男性陣に向かって)もしあなたの大切なひとり娘や奥様、愛する恋人が他人の男性から(新人女性職員が受けたと)同じような行為を受けているところをあなたが目撃したとしたら、その瞬間どんな感じがしますか?どのような思いが頭をよぎりますか?(同じように女性陣に)、もし仮にあなたの大切な恋人やひそかに思いを寄せる素敵な男性が、飲み会の席上他の女性に対して同じような行為をしているところを目撃したら、その瞬間なにを感じるでしょうか?
まず不快を感じるでしょうか?あるいは胸がうずいたりざわつく感じがするでしょうか?もし一瞬でもそう感じたのなら、はずかしめを感じたのなら、やっぱりそれはセクハラ行為なんです。簡単なことです。後から状況や関係を加味して感じ方を社会的に修正する必要があるでしょうか。ハラスメントはむしろ感覚・直観的に判断察知されるものだと思うのですがどう思いますか?
この問いかけは、前回のブログで話題に取り上げた、カウンタークエスチョンのちょっとひねったバ―ジョンです。この場合普通考えるカウンタークエスチョンは、「もしあなたがその女性の立場だったら...」ですが、今まで上述してきた話の流れからからすると、それではあまり効果的なカウンター(パンチ)にはならないことは、何となくおわかりいただけるでしょうか。
シンプルな問いかけ一つでしたが、「そう言われると確かに言葉がない。認識が違っていたかもしれない」と幾人かの方がおっしゃっていただいたので、ある程度私の意図は伝わったようでした。
ただし、こういったカウンタークエスチョンは、決して他者を非難し間違いを断ずるためのスキルではありません。むしろ何かに悩み、怒り、不安な気持ちでいる自分や相手に向けて、説得力のある別の受け止め方や冷静で公平な視点という素敵な贈り物を届けるためのワザなのです。
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私たちの社会は「空気を読む」社会だといわれています。それはつまり物事や大切な決定が時に「人」よりも「空気」で決まりかねないリスクをはらんでいる社会を意味します。それではしばしば必要なコミュニケーションをおろそかにして空気を押し付け、空気のせいにすることで対人関係を済ます生き方にもなりがちです。
空気とはすでにそこにある(はず)ものではなく、良好なコミュニケーションを通じて、互いの気持ちや期待を推し量りながら共有し尊重することによってはじめて成立する真の意味での信頼によって、都度作り出されていくものではないでしょうか。
最後までお読みいただいてありがとうございます。
メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂
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