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過ぎにし方、恋しき人 ~ 穀雨&立夏の頃’19


 例年にも増して天気と空模様が日ごとめまぐるしく変わる4月のようです。初夏を感じさせるまばゆい陽光の汗ばむ日があるかと思えば、季節外れの北西の冷たい季節風があたりに散る桜の名残りを空高く舞い上げ、衣替えを後悔するような日があったり、雲が低く垂れこめうっとおしい梅雨空と見まがう日もあれば、朝晩冷え込んでいた空気を朝日が急に温め、春霞があたりをぼんやりと覆い、その湿気を含んだ空気に新緑が濃厚に香る日もあります。予測のつかないこの頃の天候のゆらぎに、体調管理や衣服の選択などつい日常に煩わしさを覚えてしまいますが、同時にあたかも季節が平成最後の春を惜しむかのように足踏みしながら、新時代へと急ぐ私たちに日ごとちょっぴり贅沢な自然の息吹きのうつろいをサービスしてくれているようにも感じられます。



 過去にカウンセリングにいらした方々のことを何かの拍子にふと思い出すことがあります。随分と前のことだったり、たった一回お会いしてもうそれっきりの方だったりといろいろなのですが、そんな人達に思い巡らせていると、それから幾日も経たないうちに今度はその方々から急に連絡がある、という経験を過去に何度かしています。それらは単なる偶然なのですが、でもやっぱり不思議な感じもします。久しぶりにお会いして挨拶代わりにそのことを告げると、みなさん一様に驚かれたり、やっぱりまたここに来たのは正しかったかもしれない、来るべき時期だったのかもしれない、などとちょっとしたこの偶然体験になにがしかの意味を探すようなものの言い方をされます。心身に悩みや不調を訴えていらっしゃるからこそまた訪ねてこられるわけですから、そんな時人はどこか偶然では片づけてはいけない希望のようなものを見出したい気持ちになるのかもしれません。



 以前相談に訪れていたМさんから、彼女が体験したある不思議な出来事について話をうかがったことがありました。Мさんはしばらく前から原因不明の体調不良を訴え病院通いをしていたのですが、ある時病院でいつものように診察の順番を待っていると、案内の看護師が待合スペースにやってきて周囲を見渡しながら「~さんお入りください」と呼んだのです。その名前を聞いたМさんは一瞬はっとなりました。なぜならそれはさんの父親の名前だったからでした。Мさんの父親はすでに数年前に他界されていました。こんな偶然もあるものだと驚いたものの、考えてみれば同姓同名などはそれほど珍しいことでもないかと思い直し、それでも自分の父と同じ名前の人とはどんな人なのかとそれとなくきょろきょろあたりを見回していました。ところが、看護師の掛け声に応える人は誰もいませんでした。看護師が何度か名前を繰り返したり、それほど広くないクリニック施設内をあちこちきょろきょろ探すのですが、やっぱり該当者は現れません。なにかの理由で席を外してしまったとか途中で帰ってしまったとか、あるいは事前予約をした時間に来られなかったであるとか、普段なら気にも留めないところですが、父親の名前などその死後耳にすることなどなかったその時のМさんは、何かとても落ち着かないものを感じたのでした。

 しばらくしてふたたび自分の父親の名前が呼ばれ、でもやはり誰も姿を見せないため戻っていく看護師の後ろ姿を見て、どうしても事情を知りたくなったМさんは、受付に歩み寄り担当と思しきその看護師の方に話しかけたそうです。

「あのすみません。呼ばれていた(父親の名前)のことですが」

「はい、~さんは?ご家族の方ですか?」

「いいえそうじゃないんですが、その名前は~で間違いありませんか?」

 それを聞いてけげんそうな表情をした看護師さんでしたが、念のため名前をチェックしようと手元の書類に目を落としました。けれどもしばらくするとあれ、という表情に変わり、そのうちきょろきょろあたりを探し始めたそうです。その後急ぎ足で診察室にも入っていったのですが、しばらくして首をかしげながら戻ってきました。どうやらほんの数分前に呼んだ名前の元となる書類やカルテ、保健証といった記録のたぐいがどこを探しても見つからなかったというのです。では自分はいったい何を見てその人の名前を呼んだのか、その看護師もキツネにつままれたような表情だったといいます。

 その時なぜかМさんの頭を、遠い故郷の老人ホームにひとり暮らす高齢の母親のことがよぎったそうです。施設に連絡を入れお母さんの無事を確認し安堵したものの、その日はその後もずっと父親の名前が頭から離れず、結局急に思い立って母親に会いに田舎へ戻ったのでした。Мさんの母親が突然体調の不調を訴え入院し、そのまま亡くなったのはそれからほんの数日後のことだったそうです。久しぶりに母親としばし一緒の時間を共にし最期を看取れたことがせめてもの救いだった、と話してくれたМさんは、実は自分は母親に対して引け目のようなものをずっと感じてきたことを告白してくれました。父に先立たれ一人寂しく暮らす母親をひとり残したまま自分は都会暮らし。忙しさにかこつけたまの休みにしか顔を見せずろくな話し相手にもならず、それどころかただ自分の生活の都合を優先して老人ホームに押し込めるように入居させてきてしまったことをずっと心の奥底に罪悪感として抱えていたのでした。あの病院での出来事は亡き父親からのメッセージのようなものだったかもしれない、としみじみお話してくださったのでした。Мさんの原因不明の体調不良はしばらくして徐々に消えていきました。



 Wさんは、娘夫婦とお孫さんと暮らす80代の女性。長年連れ添ったご主人と死別して数年がたちます。Wさんのご主人は、亡くなる数年前に認知症を発症し症状はその後急速に進行、たった一人で身の回りの面倒を見てきたWさんは、肉体的にも精神的にもほとんど限界まで追い込まれていたそうです。亡くなってしばらくは、悲しみと様々な重荷から解放された安堵感とが複雑に入り混じった状態だったものの、周囲にはむしろ冷静に夫の死を受け止めていたかに映っていたWさんでしたが、数年が経った頃からかえって夫がいなくなったことの強烈な喪失感と悲しみの感情がWさんを襲うこととなりました。旺盛だった食欲もめっきり衰え、ふさぎがちで日常生活から次第に気力と活力が失われていきました。私は心配した家族の相談を受け、しばらくご自宅に伺って話し相手のようなものをしていましたが、半年ほど経過しても状態にさしたる改善は見られませんでした。


 ところがそれからしばらくたったある時、Wさんのお部屋にお邪魔すると、いつもはただぼーっとテレビを見ていたり何もせずに遠くを見ていたWさんが、せっせと部屋のタンスを開け身の回りの衣服の整理をしていたのです。私が声をかけると、振り返り挨拶するWさんの表情はいつになく明るく声にも元気があったのでとても驚きました。何かあったのかと尋ねると、私にお茶を淹れながらさんが最近体験したあるエピソードを嬉しそうに話してくれたのでした。


 その日もいつものようにボーっとテレビを見ながら過ごし、夜中も過ぎる頃になってそろそろ寝なければと、部屋の明かりを消そうとしたときのこと。突然あたりに強烈な臭気が漂ってきたそうです。Wさんはすぐに、それが夫を介護していたつらい日々、毎日のように部屋に漂い嗅いできた夫のおむつの排泄物の匂いであることに気が付いたのでした。今のWさんにとってそれは、介護する日々には決して思いすることのなかったほどの、懐かしく恋しい夫の存在の証しである「香り」でした。はじめは孤独を感じるがゆえの気のせいかと思っていたそうですが、その翌日もほぼ同じ時間に確かに匂いが漂ってい来ることを経験したさんは、ご主人が会いに来てくれたのだと、匂いそのものに癒されるようになっていったそうです(後で気が付いたそうですが、においが漂ってくる時間はご主人のなくなった時刻あたりだったそうです)。その後ご主人の匂いは次第に消えていったそうですが、Wさんは夫がけっして自分を忘れたまま逝ってしまったのではなく、今でもそばに寄り添い続けてくれていると信じられるようになった、それで十分と笑顔で語ってくださいました。悲しみは消えることはないけれど、そんなことをきっかけとして自分と折り合いをつけ少しずつ元気を取り戻していったのでした。



 不思議とも思えるこうした出来事を合理的にさまざま説明することはできるでしょう。心理学的な解釈も可能です。けれども私たちが人生において実感する真実とは、事実や世の常識とはまた別に存在し、私たちそれぞれに価値あるものとして受けとめられていくものです。それが偶然であろうと錯覚であろうと思い過ごしであったとしても、そうした体験は、時として私たちの心に科学や常識、知識を超え得難いものをもたらし、悲しみや苦しみの底から回復する手掛かりすら与えてくれることがあります。カウンセリング技法がなにやら小手先の言葉の遊びにすら感じさせ、データや科学に基づく人間理解の限界に出くわす瞬間でもあります。けれどもそれは決して無力感にさいなまれる瞬間なのではなく、無限で自由な可能性に常に開かれている存在としての人間の価値を改めて確認する瞬間でもあると感じます。



 

 間もなく終わろうとしている平成の時代は、インターネット革命と急速なデジタル化の時代でした。それに続く令和の時代はさらに進んでAI社会へとひたすら疾走するかのようです。AIが急速に進みGAFAと言われる巨大プラットフォーマーの出現によって近年私たちがようやく気付きつつあるのは、平成の時代から盛んに言われてきたインターネットで広がる自由で無限のネットワーク社会などというのは実は甘い幻想でしかなく、私たちが日常接し利用しているインターネット情報やサービスは必ずしも中立・公正・多様なものではないということです。

 私たちのありとあらゆる個人の情報は、インターネット利用により提供される無料サービスの対価として、毎日絶えず企業等に提供され利益を生み出すための道具として無尽蔵に利用されています。ITAIが収集する膨大な情報を利用したプロファイリングやスコアリングによって、内心や動機、個人的信条といった絶対不可侵であるはずのプライバシーまでも含めた私たちの人格・パーソナリティが、私たちのあずかり知らぬ間に推定、格付けされ、それらが果たして私たち人としての存在の真実であるのかどうかなどほとんど考慮されることなく、ひたすらデータにより推断されたもう一人の「わたし」が社会で独り歩きする時代がすでに到来しつつあります。そして、そのプロファイリングされたもう一人の私をターゲットに、その私が好み求めるであろう、あるいは利用する側の目的にかなう、予測され、視野の狭い、恣意的で一面的な世界の情報が日々供給され、それをひたすら受け取り反応することにのめり込む人々の塊の社会が生まれつつあります。そこに果たして、ランダム性や偶然性に満ちた自由、主体性や自立性がもたらす可能性といった人間に真に必要な価値や理性ある存在としての尊厳の居場所などあるのだろうか、とふと不安も感じてしまいます。

 AIの時代が後年、結局はまわりまわって人間の得難い価値への尊厳に気づき、それを再び取り戻すもうひとつその先の時代への必然的プロローグに過ぎなかった、と評価されるような未来社会の到来をひそかに願わずにはいられません。

 


最後までお読みいただいてありがとうございます。

メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂

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by yellow-red-blue | 2019-04-22 17:38 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、カウンセラーとして、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。ブログのどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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