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雨に歩けば ~ 大暑の頃’20

 

 先週のはじめあたりから、私の住む界隈でも蝉(セミ)の声が時折ちらほら耳に届くようになりました。梅雨の晴れ間などのまだほんの短い合間だけですが、間近に近づく梅雨明けと真夏の到来を計っているかのような慎重でか細い響きです。

 何年もの間地中深くじっと過ごし、命の途絶える前のわずか一か月ほどだけを成虫として地上に姿を現し、競争相手より素早く自分の遺伝子を広めようとひたすら鳴き続ける蝉は、人間とあまりにかけ離れた謎に満ちた生涯を送る生き物ですが、ある意味これほど日本人の感性を刺激してきた生き物もそうはいないかもしれません。

 その鳴き声は、ときに厳しい暑さにさらに追い打ちをかける激辛スパイスであり、また他の季節にはない開放感に満ち、何やら胸うずくひと夏を引き起こす呪文の調べでもあり、そしてしばしば私たちを遠い過去や記憶の回帰と共鳴へといざなう心地よくもほろ苦いBGMでもあるのでしょう。はるか昔の頃からこの季節に、それは多くの人の「生」の背景に幾度となく登場しさまざまに鳴り響いてきたに違いありません。

 今年はいつもとは違う夏になってしまうかもしれない、そんな不安定で不穏な空気がいまだ社会を覆うなか、せめて季節だけは、日本の夏は変わることなく国じゅうあますことなく巡ってきて欲しい。まだ淡い蝉の声にそんな思いをつい託したい気持ちにさせられます。



 そうはいっても東京はいまだ梅雨真っただ中、毎日どんよりムシムシとうっとおしい不安定な雨模様はやはりどこか気持ちの良いものではありません。そんな時はだれでも体調も心身の働きもなにかと不安定になりがちです。今もって続くコロナ禍の影響下にあって、日常生活でのアクセルとブレーキの踏み加減に苦慮する今はなおのことストレスがさまざま溜まりがにもなります。

 天候や環境といった要因が人の身体や精神に微妙な影響を及ぼすことはよく知られるようになりましたが、状況や個人によってもその現れかたはそれこそ千差万別。こうすればいいとか効果的な対策はあれこれあるにしても、それはあくまで個別の経験や医学健康上のひとつの目安の域を出ないのであって、結局はそれぞれ自分なりの対処方法をあれこれ試してみるしかないのが実際のところなのでしょう。



 はや半年が過ぎたコロナ禍の日常のなかで気がつくのが、散歩のためなのかちょっと近所をひとり(あるいは二人程度)外出する人が増えたかなという印象です。レジャーや出勤、登校など社会活動の基本要素であったはずの人の交わりがさまざまな制約を受けてきた中で、それぞれが考えられるうる非日常への対処方略のあらかたを試し、それでもまだなにかとストレスを感じる人びとに最後に残された行動様式のかたちといったら大げさですが、案外それが「ぶらり歩き」かもしれません。

  

 人混みや往来の多い通りや時間帯を避け、できるだけ静かで気持ちの良い界隈やルートをたどる、密を避け普段なら交通機関を利用するところをあえて歩いてみる、これを機に軽い屋外運動を始めてみるなど、動機なり目的はそれぞれであっても、そんな日常行動上の変化によって、自分のごく身近にありながら今まで気づいてこなかった「発見」が、周囲の物事やすれ違う他人だけでなく、自分自身についてもまたあるものです。

 そしてそんなささやかな発見は、しばしば生きる喜びや楽観的希望のエネルギーで私たちの心身を多少なりとも癒してくれます。



”美しい景色を探すのではなく、景色の中に美を探すのだ”


 いつ聞いたのか、昔からなんとなく覚えていながら誰が言い放った言葉なのかも知らず、調べもせずに放っておいたこの言葉がごく最近になって、あるSNSのサイトのおかげで、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホのものだったことを知りました。

 

 人によって「美」の定義、感じ方はさまざまでしょう。ただ普段気づくことのない何気ない日常の景色の中にこそ、ささやかだが力強い美があるのかもしれません。 

 ぶらり歩きで言えば、たとえいつも変わらぬ同じルートだとしても毎日出会う人々や風景、季節の機微はさまざまに変化し同じ日は一日とない事に気づく。と、さらにいっそう細やかな違いや発見に触発され、ささやかな「美」を心に収めることで、一日一日をなんとかやり過ごすことだって不可能ではないのだとふとささやかな勇気も湧いてきます。



 どんより雨の日のとある通りの交差点。横断歩道の反対側で信号待ちするひとりの女子高校生。嬉しいことがあったのでしょうか、何かあるいは誰かに想像をめぐらせているのでしょうか、あたりに目をやりながら年頃に比べ少し大人びた絵柄模様の傘がゆったりとクルクル。すっかり日常化してしまったスマホにうつむき加減な人々の姿とのギャップに、なぜだか新鮮さと懐かしさが入り混じった心地よさを覚えてしまいます。

 

 普段何気なく通り過ぎているとあるお店の入口近くの傘売り場。その横にステッキも並べられていることにある日気付きました。ある年配男性が、ステッキを様々手に取りながら具合を確かめているのを目にしたからなのです。ときおり横の鏡で自分のシルエットを確認しながらためつがめつステッキを品定めしている姿は新鮮で、どことなく品のある自然体の所作にしばしうっとり。こちらも心なしか姿勢を正し店の前をあとにします。

 

 雨の日、通りがかりの誰もいない公園のベンチの背もたれに、イチョウ並木の青葉がひとひら雨に濡れて頑固にこびりついていました。それはあたかも最初からデザインされていたかのように、アールデコ調に縁取り装飾された古びたベンチと妙に溶け合っていて、ひとり得したような気分で気持ちよくまた歩き出す。


 こんなささやかな日常の美にひととき感じ入ることは、人生は生きるに値するものであることを都度確認するためのサプリメントのようなものです。サプリメントは飲んですぐその効果が具体的に実感できるものでもありません。長く続けていれば結果健康で順調だった、災禍なく過ごしてきたねと気づかされるものです。気がつけば特別なところへ行かずとも、何をしなくても素晴らしいものごとが遍在する世を生きていると気づくことは、生きる勇気を、今日を生き明日もまたあるはずだと確信する一歩となるはずのものです。



 そんなとき私の中にもこんな言葉が巡ってきます。


 ”明日は明日の風が吹く”


 ”案ずるより産むがやすし”


 ”目の前にどちらか二つの選択肢があるのなら、たいてい三つめだってあるものだ”


 最初の二つのお馴染みのことわざ慣用句は、私が幼い頃母から何度なく諭された言葉です。さぞかし私は心配性な子どもだったに違いありません。それは今でも大して変わりはありません。

 三つめはゴッホの言葉同様、誰が言ったか知らずにいつの頃からか覚えてきたものです。調べる気もなくそのままにしているのですが。

 

 最後にニューヨークの街と人を生涯撮り続けた偉大な写真家ソール・ライターの言葉をいくつか紹介します。



 ”重要なのは、どこで見たか、何を見たかということではなく、どのように見たかということだ。” 


 ”神秘的なことは、馴染み深い場所で起きると思っている。なにも、世界の裏側まで行く必要はない。”


 ”幸せの秘訣は何も起こらないことだ。”


 ”取るに足りない存在でいることには、計り知れない利点がある。”


 ”私が大きな敬意を払うのは何もしていない人たちだ。”


 ”いちばん良いものがいつも見えているとは限らない。”


 ”肝心なのは何を手に入れるかじゃなくて、何を捨てるかなんだ。”





ReOPA〜うつ病当事者向け自助グループ〜 

「メンタル散歩のすすめ」(仲 真紀子:立命館大学総合心理学部教授) 

幸せの鍵は新しい場所!人の脳は「移動」を快楽と捉えていた (ナゾロジー)

* 東京ウォーキングマップ(東京都福祉保健局)


最後までお読みいただいてありがとうございます。

メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂

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by yellow-red-blue | 2020-07-22 12:35 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、仕事、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。記事のどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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