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二つの脳・ストレス社会を生きる① ~ 白露&秋分の頃’20


 最近の日本列島は、大型台風が通過した後一気に秋の気配が深まるといった地域や場所がだんだん少なくなっているようです。低気圧と高気圧が日本の上空をせわしく交錯し、不安定な気圧配置が局地的に大荒れの天候をもたらす時期が続くことも珍しくなくなりました。

 変わりやすい秋の天気を、これまた移ろいやすい人の心になぞらえ「男(女)心と秋の空」とかつてはよく言われたものですが、ここ何年かの東京の初秋の空は、変わりやすいというよりむしろいっそう複雑な空模様になった感もあります。

 夏の太平洋高気圧の湿った空気をたっぷりと含んだモクモク巨大な威容の積乱雲が依然として居座り、あちこちで立ち昇るかと思えば、そのはるか上空には大陸性の移動性高気圧の乾いてすみきった空気が織りなすすがすがしい秋の巻雲が広がるそのまた一方で、頭上低くを台風の最後の名残のような小間切れの灰色の雨雲が矢継ぎ早に通り過ぎ、あちこちに気まぐれな通り雨を降らせ、すぐにまた灼熱の太陽が顔を出し蒸し蒸しジリジリと大気と地表を熱する。そんな空模様がけっこう頻繁に見られるのに気がつかれた人も多いかもしれません。

 夏秋それぞれに特有の雲がさまざまな方角や高度に競演し、そこに朝昼夕刻の太陽の光が乱反射し、複雑で彩り豊かな陰影を醸す空模様は圧巻と言ってもいいほどの美しさです。せわしない大都会の上空で、どのような芸術をもってしても表現しつくせないほどの自然美の悠々たる奇跡が実は起きています。



 秋の空の複雑さは見ていて楽しいものですが、同じように複雑で変化も激しい私たちの暮らす社会はといえば、そんな悠長な感傷にひたる暇などあるものか、などと一蹴されてしまいそうなほどのせわしさかもしれません。

 社会は人と人の間の関係(性)で構成されるいわば人工の共同世界ですがそこで生きるにはストレスが何かとつきものです。ストレスを感じるとき私たちの脳の中ではいったい何が起きているのでしょうか?脳と言っても大変複雑な構造と機能を有した中枢神経ネットワークですので簡単には説明できませんが、ストレス状態とは簡単に言えば、人類(ヒト)という種に備わってきた本能生理的な自己保存機能を持つ「自己保存脳」と、社会という絶えず複雑に変化する共同世界に適応するための知性としての「社会脳」という二つの脳(中枢神経)の間のやりとり・調整の過程で起きる摩擦あるいは緊張(状態)といえます。この二つの脳は役割がはっきりと分かれているわけではなく、様々な機能がオーバーラップし複合的に作用するものですが、ざっくりと言えば、より古い時代に形成され受け継がれてきた脳と比較的新しい歴史を持つ新世代の脳という二つの中枢神経系の領域があると考えるとわかりやすいかもしれません。

 普段何気なく使われている「社会」という言葉ですが、私たちが考える意味での今のような社会のあり方は、人類の気の遠くなるような長い進化の過程と比べれば、ほんの一瞬とも言っていいほど短い歴史ししかまだ持っていないと言えます。 

 そのことは、私たちヒトが実は、自分達が多くの困難を経て作り上げてきた社会という共同世界に本性的にはなかなか「慣れていない」生き物なのだということを意味しています。さまざまな環境の変化に適応してきたのがヒトであるとはいいながら、社会の変化のスピードは量的にも質的にも大きく、そのギャップを埋めるのは容易ではなく、むしろ広がる一方であるとさえいえる現実があるようです。



 本能的というと何か生命身体を守るための単純で素朴な「古い」能力、動物本能の原始的反射などととらえられがちですが、実際はそのように単純には定義することはできません。人間の肉体的精神的ポテンシャルを十全、健全に発揮するために長い期間かけて備わってきた、心身のより精緻で高次な諸能力の総称ともいえるものです。

 確かに私たちの祖先はその後成立していく社会への適応の必要性から、より高次の判断・思考を可能にする理性的で知的な社会脳を進化させてきましたが、それは一方の自己保存脳が古く低次な精神機能で、今の社会生活には不向きで不要であることを意味しません。先ほど述べたように、むしろ社会脳の方はいまだ歴史が浅く発展段階にあると言え、複雑不安定で無謬ではなく、個人差が激しく環境にも容易に左右されます。一方自己保存脳は圧倒的に歴史が古く、同じく無謬性ゼロではないにせよ、私たちにはなじみのいわば信用のおける安定した能力です。

 ただその一方で、社会脳はより柔軟性と客観性を備えているのに対して、強固な自己保存脳はかえって頑固で主観的基盤に偏りがちなため、ときに現実にそぐわない考えや感情を優先してしまう傾向にあります。例えば、現在のコロナ禍のようないまだ経験したことのなかったような危機的状況においては、ひとたび未知なるウィルスがもたらす深刻な生命への脅威なり恐怖がインプットされてしまうと、多くの人々が先行する不確かな情報や憶測、風評に容易に影響を受けてしまい、その後の冷静で科学的な分析や事実に基づく論説にはなかなか耳を傾けることができない、といった事態も起こるのです。

 ここで考えなければいけないのは、だから私たちのあてにならない自己保存脳は軽視してもよいというわけではないということです。自己保存脳も社会脳もどちらも必須の車の両輪であって絶えず変化・進化を遂げていくものです。その相互反応性と両価性の絶えざるバランスの下に人間性は存在するのだという本質を直視する必要があります。

 新世代である社会脳をフル稼働させ、旧世代に属する自己保存脳に基づく活動を抑制し克服することが望ましい人間像で、これからの社会を生き残る成功の秘訣であるかのような風潮、たとえば理学系偏重文系不要論であったり、なにごとも定量的(数値・データ)価値評価基準に置き換えることで正しい理解がなされるといった、一方に偏りがちな時代的精神については慎重に吟味されるべきでしょう。社会におけるストレスを考える上では、人が社会生活実践上とかく陥りがちな単純な優劣比較、二者択一論的な射程を超えたより全人的、包括的な人間理解が必要であると考えます。



 メリットも数多くある一方で不安定で競争的、無秩序な側面も持つ社会をストレスなく生きるには、ヒトはいまだ進化途上であるといえるかもしれません。多数の人が生きる社会とは、100%パーフェクトに適応可能な人とほとんど不向きな人の両極の間に横たわる広大な連続体のようなもので、そのどこかに私たちの一人ひとりがいて、その多数性と多様性の中それぞれにさまざま関わり合いを持ちながら成立しています。本来それ以上のものではなく、そこには個人差が生じるのはごく自然であって、そうした「個のデコボコ」というコストを引き受けてでも社会という共同世界を築いていこうと選択したのが私たちの祖先といえます。

 それぞれに完全オーダーメイドの服のごとく快適な社会環境があてがわれることが理想ですが、そのような恵まれた人は多くはありません。人生とはもともと偶然や予測不可能性に満ちているものです。フェアではありません。加えて持って生まれた先天的あるいは遺伝的素因や生い立ちや家族・社会環境はさまざまであり、成長するための本人の学びや努力もまた必要なのは言うまでもありません。人生はフェアでないのは当然だとしても、限られた種類とサイズの既製服に無理やりにでも体のサイズをあわせることを過度に求めるような社会であってはならないよう、常にバランスと配慮も十分に求められなければならないところに社会を生きる難しさがあります。



最後までお読みいただいてありがとうございます。

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by yellow-red-blue | 2020-09-11 09:58 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、仕事、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。記事のどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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