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冬来たりなば ~ 大寒&立春の頃’21


 『一月は往き二月は逃げ、三月は去る』

 年が明け新年早々から大切な行事やイベントがなにかと多い一月、月の短い二月に続き年度末の締めと新年度の準備に追われる三月。年明けの三か月が忙しさにまたたく間に過ぎ、寒さ厳しく心身の安定も定まらないことも手伝って、何かと物事が思うように運ばぬ日々にもなりがちなことを言葉巧みに表現した古くからの言い回しですが、今ではここにコロナ禍の影響下のストレスフルな状況が加わり、通常運転ままならない日常生活を私たちは送りがちです。大寒を過ぎ寒さがピークに達する今の季節こそ、心身の不調をできるだけ最小限に抑える工夫をさまざましたいものです。


 北日本を中心とする記録的な大雪が地元の人々の日常生活を直撃し大きな影響が出ています。何百台という車が道路上に立ち往生し救援部隊の到着を待ちかねる事態の続発や、電力需要の急騰がもたらす停電リスクで明らかとなった、大規模自然災害の危機に対する再生可能エネルギーと電力自由化政策の脆弱性と限界、そしてもちろん未だ犠牲者が増え続ける新型コロナウィルスが引き起こす世界的な惨事など、私たち人間文明の進化と努力を嘲笑うかのような手痛いしっぺ返しを次々と繰り出す自然の脅威は、見方を変えれば自然との共生の必要性をさかんに強調しながらも、自らの快楽快適志向の利便性向上と経済効率優先の前にそれらが結局腰砕けに終わざるを得ない社会の現実への痛烈な警告の一面もあるのでしょう。文明とはそもそも自然の摂理に背く性質のものであるには違いなく、荒ぶる自然はこちらの都合など気にも留めない存在であることにあらためて気づかされます。あちら(自然)にはあちらの都合があるというものです。


 

都市のなかでは自然は無力だ。誇りは高くとも、力はない。”(ティム・ベイカー『神と罌粟(けし)』)


 人が普段の暮らしの中で経験する自然、目にする自然は、質的にも量的にも人間に優しく仕えるため人工的に調整されたいわば「不自然な」自然といえます。普段ひと様に対してはゆめゆめ牙をむくことなど考えられないこうした(不)自然に慣れ本当の姿を見失い、もはや自然の存在をほとんど意識しないままに暮らしていることが多い私たちは、ひとたび圧倒的な真の自然の猛威に直面するたびにうろたえ、無力感に包まれ犠牲を出すことを性懲りもなく繰り返しているように見えます。

 



 人類の歴史上、圧倒的大半の年月を私たちの祖先たちは科学技術とは無縁の、それこそ食べ物があるだけ、何とか生き延び歳を重ねるだけでまずまず幸せとする生涯を送ってきました。彼らは自然の猛威と脅威に常にさらされ圧倒されながらも、いやそれだからこそかえって自然に畏敬の念を抱き敬意を払い、一歩二歩引いて生きることに腐心してきたといえます。

 とりわけ日本人は、過去から現在まで途切れなく続いてきたその長い歴史や文化、伝統的な価値観の中で、すべての自然に神が宿りそこに人は生かされ共に生きることを日々無意識のうちに感じ取る大切さを受け継いできたように思います。

 日本国内ではコロナウィルスによる被害や不安が連日さまざまに取りざたされる陰で、大変奇妙なことに、統計データや国際比較調査指標で今や明らかとなったのは、日本がその経済規模や地理的状況、人口の多さと高い人口密度、世界に例を見ない超高齢社会や強権的私権制限措置の不採用といった、パンデミックの脅威に対しきわめてハイリスクな環境であるにもかかわらず、コロナ被害が圧倒的例外的に少なく、世界の専門家達を驚かせまた悩ませてもいることです。

 いずれ科学的知見の一層の蓄積により詳しい要因や背景は明らかにされることでしょう。けれどもそうした日本の不可解な現実は、荒ぶる自然であるがゆえにかえって争わずに敬意を払い、ささやかな日常の自然の営みにさえ神秘が宿ることを意識してきた日本人の生き方や生活態度と何か無縁ではないのではとふと考えるのです。『令和』などという元号をなお頑なに守り続け密かな誇りとする日本人アイデンティティのあり方、目に見えぬなにごとかに向かい手を合わせ続ける私たちに受け継がれる非合理的な伝統価値観と行動様式とが、場合によっては科学合理的な常識を凌駕し、かえって自然との折り合いを思いのほかうまくつけることを可能にするかすかな証しにも勝手ながら思えてくるのです。



“一神教のように明確な超越者の存在を意識しないのだが、あいまいな形で、自分を超えたものに対する感謝の念を表現する。日本人の場合、自分に対する存在としての神、というよりは、自分を包む存在としての自然ということが、宗教の中核にあると思う。自然の移ろいに対して極めて敏感である。それに美的感覚が結びついて、日常生活のなかでもそれに呼応するかずかずの行事を持っている。このような体験のなかで、仏教の言う「無常」は感じ取られるし、人生を支える「循環」のイメージが体感される。これはおそらく輪廻という思想に結びつくことだろう。”(河合隼雄『現代人と宗教』)

 




 世界の人々が一刻も早く豊かで健康的な暮らしを実現するための技術開発援助や基本インフラの整備普及、紛争や貧困の撲滅といった課題克服に欠かせない経済成長を止めることが許されない世の中に生きている私たちには、現実社会優先の生き方を選択せざるを得ない現実を否定しようもありません。

 ただ世知辛く慌ただしい暮らしの中で私たちがなんとか自分らしさや充実した暮らしを志向するその傍らには、常にさまざま感謝すべき物事や営みが満ちていることも忘れないでいたい、そう思います。

 カウンセリングで出会う人々の多くは、自分の抱える悩みや不安、精神的葛藤に圧倒される日常を送りがちです。そんな時、自分自身や周囲を冷静に見渡すことなどできようもないし、自分が価値ある存在とも思えず生きるにつらいと考えてしまうのもまた無理もないことです。それでも私は、余裕のないつらい状況に置かれているとしても、決してそれを過大に膨張した姿に見積もってしまうことのないよう、日常のささやかな幸せや感謝すべきものごと、幸運や善きもの美しきものによって自分たちは支えられており、自分もまた恵まれている面優れた面に事欠かない存在なのだ、ということを繰り返し意識する姿勢を日常に取り込むよう説くことがあります。

 今あるのだが、見えてなかったかあるいは目を向けてこなかった生きるに値するそれぞれの手がかりを探し集め、感謝できる可能性に広く開かれた心の余裕を日常に見出そうとする努力が、健全な自我を支える力にもなれば、自然との共生の必要性に一層のリアリティをもたらしもする、そしてまた私たちの行動や生き方に変化を与えもする。そう考えています。


 

 『雪は豊年の瑞(しるし)』。豪雪地帯で暮らす友人から教わったことわざです。大雪が降った冬は、雪解け水が豊富で干害の心配がなく、翌春以降天候も安定し、米や農作物が豊作を迎える前兆であるという意味のだとか。まさに『大雪に飢餓なし』。自然はかくも厳しくしかしそれ以上に優しいことを私たちの祖先は知っていました。 

 寒さは今がピークと言いながら、同時に長い冬も最終コーナーへと突入し、暖かな春までもう少しの辛抱であることも季節は教えてくれます。今は何かと不運な時期であってもじっと耐え忍んでいれば、いずれ花咲く季節はやってくる。

 『冬来たりなば春遠からじ』。

 幸せもまたきっとめぐってくる。

 



いつもお読みいただいてありがとうございます。

C2-Wave 六本木けやき坂

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by yellow-red-blue | 2021-01-24 10:33 | Trackback | Comments(0)

メンタルケアと心の相談室 C²-Waveのオフィシャルブログです。「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、思いつくまま綴っています。記事のどこかに読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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