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このままでいい ① ~ 雨水の頃'21


「話は分かりました。でもいいんです、私このままで。」
「どうしてですか?う~んちょっと理解できないのですが。追加費用はほんのわずかで済むし圧倒的に時間の節約にもなるんですよ。よろしいですか...」
と、提案のメリットをもう一度繰り返そうとパワポの資料をめくろうとするのを、いえそういうことではないんですが、とできるだけ穏やかに制止しようとする私。

 デジタル社会の今どきはぐっとその頻度は減っているとはいえ、営業のための訪問やお電話が時折仕事場にもかかってきます。ほとんどはお断りする、つまり門前払いの体となってしまのですが、知人からの紹介であったり何かの折に面識があるような場合など無下に断れない事情の場合、また業務上信用のおける相手からの誘いの話だったりすることもあります。そうなるとしばしば上のようなやり取りをすることになります。
 先日もあるIT企業の営業担当の若くまじめそうなエンジニアの方と上記のような会話があったのですが、私にとっていいことずくめでしかない、これぞまさしくウィンーウィンな関係と言わずして何とする、といった風情のご自身の提案に乗ってこない慎重な私の態度が、商売抜きに理解できないと本気で考えているようなのでした。

 けれど人は必ずしも常に客観性や合理的判断に基づく損得勘定や費用対効果のみで重要な意思決定を下すわけではありません。とりわけ私的領域に留まるようなものごとについては、我々はその時々で置かれている状況や個別の事情、主観的要因ゆえに別の選択肢をもって良しとすることもしばしばであることは言うまでもありません。持って回った言い方ですが、相手の選択に全面的に自分を委ねずに、結果を含め自己の責任への信頼を解除したがらない存在でもある、という当然のような人間の関係性の理解をそうした方が前提としていないことにちょっと驚かされたのです。
 ましてや結論を急ぐ意味も必要もこちらにない場合、今日中明日中に返事が欲しい、この絶好のチャンスはもう二度とないなどと、テレビショッピングよろしく言われればなおさら、はいそれならやはり結構です、となろうものですが、そのあたりのやり取りの匙(さじ)加減というか機微が感じ取れないのか、納得いかないと真剣に思われている節があるのです。

 営業は得てして断られるものだ、目の前の性急な成果もさることながらじっくりお付き合いを重ねながらお互いに利する機会もあろうという前提にそもそも立っていないというか、メリットを了解しているのならこの提案にすぐに飛びつかないはずがない、普通は契約するはずだ、と信じて疑わず真剣にこちらを心配(!?)するか、さもなくば自分の手法のいったいどこに落ち度があったのかと、営業を忘れさながら研修会の後の反省会のごとく素になり途方に暮れている様子さえあったのです。

 場所柄もあるのでしょう、私のクライエントさんにはIT企業の経営者やそこに勤務する人もいらっしゃいますので、雑談ついでの話題としてこうした話を向けてみると、「言いたいことの意味は分かります」と前置されつついろいろとお話しくださいます。彼らの話では、IT業界といっても取り扱う分野や業種のすそ野は広く、厳しい過当競争の中安定してうまく回っているように見えるところでも一寸先は闇、いつどうなるかは不透明なところが少なくないようです。性急な結果や成果が常に求められる事情を背景に、若く優秀でも世知にそれほど長けているわけでなく、価値の重きの置き方に偏りがある技術者もこの業界にいるのだとか。営業の考え方や方略そのものが従来とは様変わりしていることや、対人関係に優れた人材の不足ということもあるのかもしれません。
 いずれにせよ今をときめく業界とはいいながら、部外者にはうかがい知れない難しい内部事情もあって、厳しい状況の中懸命に営業する方の苦労を思い知らされたのでした。
 客観的に見れば明らかに理にかなっていることと、「いやこのままでいい」ということについてあれこれ考えていると、ふと私の脳裏に数年前のある人のことが浮かび上がってきました。


 Fさんは私の大学の先輩にあたる友人で、現在ご主人と子供二人と仲良く都心に暮らしています。そのFさんから、近郊のご実家で独り暮らしをする父親の恵三さん(仮名)について、雑談ついでの相談があったのは数年ほど前のことでした。70歳も半ばにさしかかる恵三さんは、もともと心臓に持病がありその他に高血圧や腰痛も抱え、交通や買い物など日常生活には不便な場所に家があることから、独り暮らしにはかなりの不自由を強いられていました。
 家も老朽化が進み快適とは言い難く、健康に不安のある恵三さんをFさん家族は心配して、そろそろ実家を処分して都心で一緒に暮らすか、さもなければFさんの近所に小さなマンションでも購入して生活してはどうか、などと盛んに説得にあたってきたのですが、当のお父様は一向に首を縦に振ろうとはしなかったのです。

 やむなく時間をやりくりしFさんが様子を見に行ったり世話をしていたのですが、やはり身体不自由な独り身の高齢男性の暮らしは乱れがちで、病院通いもつい怠りがちの様子に、ついいろいろと口出しをしたくなるといいます。
 近頃は家族で様子を見に行っても、どうせ小言を言われるか移住の説得をされると思っているのか、ムスッと黙って口をほとんどきかないか、ほんの些細なことで言い争いになってしまい喧嘩別れに終わってしまうとFさんはこぼします。時々様子がおかしいと感じるときもあり、ひょっとすると認知症や老人性のうつ病なのではと気が気でない様子でした。

 「今の場所はどう考えても父の生活には不適当だし、近所にはお付き合いのある知り合いやお友達もほとんど残っていないのよ。そりゃ長年住み慣れた家を手放すのは寂しい気持ちもあるでしょうけれど、自分の体の現実も考えてもらわないとこっちが神経をすり減らしちゃう。」
 「何が不満なのかなとも思うのよ。せっかく家族と一緒に住んで何もかも面倒みるというのに。快適な住まいに移れば生活も身体も楽になるし、孫の顔だって毎日のように拝める。近くにはいい病院もたくさんあるのよ。最初は戸惑うかもしれないけれど、施設に入居するというならともかく、一緒に住もうといっているんだから。長い目で見ればどう考えてもベスト、なにからなにまでいいことずくめなんだけど。」とため息をこぼすFさんなのでした。(次回に続く)



最後までお読みいただいてありがとうございます。

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by yellow-red-blue | 2021-02-18 10:07 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、仕事、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。記事のどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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