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このままでいい ② ~ 雨水&啓蟄の頃’21


 実は、私は恵三さんとは過去にお会いしていました。まだ学生だった頃にFさん宅に友人達と何度かお邪魔し、おいしい食事をご馳走になるなどいろいろお世話になったものでした。ご夫婦そろって高校の教職を長年にわたり務められ、教養と知性にあふれた優しく穏やかなお人柄を覚えていた私は、あの頃にぎやかだったFさんのご実家が、奥様が亡くなりやがて子供たちも巣立った後、今では老いた恵三さんおひとりで寂しく暮らしているのかと思うといたたまれなくなり、Fさんとの会話の際もつい、「久しぶりにぜひまた一度、お会いしたいなぁ」などと口にしていたのでした。
 すると話は何やらトントン拍子に進み、行動力の塊りのようなFさんに誘われるまま、その後しばらくして本当にご実家にお邪魔することとなりました。以来、Fさんの恵三さんに対する懸念や意向は伏せたまま、私は仕事や用事ついでの立寄りと称して、しばらくの間月1~2度くらいのペースで恵三さんを訪ねることとなったのです。久しぶりにお会いした恵三さんが私との再会をとても喜び、再訪も是非にとおっしゃって下さったこともその後の予想外の訪問の継続を後押ししたのでした。

 私はいつも2時間ほどお邪魔するだけでしたが、独り暮らしを何とか考え直してほしいと願うFさんの心配をよそに、恵三さんは私との会話でも自分の置かれている状況や健康問題、ご家族とのことにはほとんど触れず(触れたがらず)、もっぱら仕事のこと昔のこと、いまどきのご時世などたわいのない会話を楽しむだけなのでした。
 恵三さんが体や生活の不自由を感じていることは明らかで、外見や日常動作にも衰えを感じさせる一方で、優しくおだやかな物腰は昔と変わらず、口調も滑らかで会話内容も話題性に富み、制約のある時間の中で言動や生活状況を観察している限りにおいては、少なくとも認知症やうつ病を疑われるような気配は感じられず、そのあたりをFさんに伝えると少しホッとしたようでした。

 
 その後も進展のないまま、夏の終わりに始まった恵三さんの訪問はあっという間に年を越し真冬の季節になっていました。Fさんからは「さすがにもういいわよ、わざわざご迷惑でしょうに。」などと言われていたのでしたが、実はこの頃はむしろ私の方が自分の日常の新たなルーティンとして加わったこの訪問を次第に楽しみにするようになっていました。

 Fさんの実家は、直線距離にすると都心からさほど遠くない隣県郊外に位置するものの、近隣に鉄道路線や主要幹線道路もなく、さしずめ都市化や産業化の波に取り残された空白地帯といった風情の田園地帯にありました。
 一番近い鉄道駅からバスを2路線乗り継ぎさらに徒歩で十数分、街並みがほぼ途絶え周囲には農家や住宅がポツポツ、あとは田畑や雑木林、枯野の原野や低い丘陵がのどかに続く農村といった風情は、はるか昔に学生の頃お邪魔した時からかなりの年月が経過していたにもかかわらず、ずっと時計が止まっていたかのように変わっていないように感じられました。
 国木田独歩の『武蔵野』や田山花袋の『田舎教師』に点描されるような風景を彷彿とさせる風情ただよう道すがら、素朴で自然豊かな武蔵野台地に吹き通う風にただよう香りは冷たくもどこか懐かしく、都会暮らしにまみれる私にとってこの上ない悦びとも癒しともなっていたのでした。


 その日は晴天ながら、北西からの強烈なからっ風が吹き荒れる冷え込み厳しい日でした。恵三さんの家は北西部を低い防風林に囲まれた古い農家を改築した立派なお宅でした。けれども老朽化は著しく、ギシギシと結構な音を立てて文字通り家を揺らす強烈な風は、防風林をいとも簡単に突破し冷たい外の空気を古家のすき間のそこここから屋内に容赦なく送り込んできます。部屋は照明をつけてもどことなく薄暗く寒さが余計に身に染みてきます。

「やっぱり自分の家は古くなったとはいえ捨てがたいですよね。Fさんの心配する気持ちもよくわかりますが。やっぱり都会暮らしって窮屈に感じられるでしょうね。」
 暖房はあるもののその暖かさなどみじんも感じられず、さすがに冬の訪問のたびに寒さが身に堪えていた私は、持って回った言い方ながら自然とFさんの懸念や願いに加担するかのような、次第に恵三さんに諭すような口調にもなっていたようです。

「え、なんですか?」ボソッと恵三さんが呟いた気がしたので問いかけると、しばしの沈黙の後に恵三さんはひと言。
「いいんだよ、この寒さが。」

 北の窓に目をやりながらそう言う恵三さんの表情はとても穏やかでした。
 北風にふるえる防風林のざわめきだけが部屋の中に響く中、私はしばらく何と言い返してよいやら言い淀んでいましたが、ふと恵三さんの生まれ故郷が群馬県中部の小さな寒村であることを思い出し、直観的に思いついた言葉を口に出していました。
「ああ、赤城おろしですか。」

 恵三さんは、少し驚いたように私を向きました。
 「いえ、私が通っていた埼玉県の高校には『赤城おろし』という伝統の古い応援歌があるんです。良く歌いました、というか歌わされましたね。」私は続けました。「晴れた日には私の自宅の裏窓からもずっと遠くに赤城の山々が小さく見えたんです。冬の自転車通学は北風でペダルをこげどもこげども前に進まず、辟易したのをよく覚えています。」
 しばらくしてこう続けました。
 「ふるさとの寒さ...なんでしょうね。」

 何となくそう言ってみたくなったのです。
 恵三さんは何も言わず北窓をずっと眺めていました。


 帰り際、「いろいろとありがとう。もう大丈夫だから。娘にもそう伝えておいてください。」と恵三さんは頭を下げられました。私の訪問がFさんからの依頼だったことを薄々感じていらっしゃったのでしょう。私は少しがっかりしながら帰宅後Fさんに連絡を取りました。「いいんだよ、この寒さが」という恵三さんの言葉が頭から離れなかった私はFさんにもその言葉を伝えると、「やだ、まだつまらない意地なんか張ってるつもりかしらね。それともやっぱり認知症かも。」と、いつもの朗らかでちょっとピント外れ気味のFさんへの報告を最後に私の恵三さん宅への訪問活動は終わったのでした。


 それからひと月も経たないうちにFさんから、恵三さんが実家を処分しFさんと同居することになったと嬉しそうに連絡があったのにはびっくりしました。そのまたさらに数か月後、恵三さんは早くも都内でFさんご家族と新しい暮らしをスタートさせたのでした。Fさんによれば恵三さんは毎日とても機嫌よく暮らしていらっしゃるということでした。
 「お風呂に入ってあ~極楽だとかやっぱり鍋うまいねぇ、とかね。早く来ればよかったってそりゃそうよね。でも本当良かった。これも荒井君のおかげだよ。」
 そんなことはないですと、恵三さんの笑顔を思い喜びつつも、でもなぜだか私が聞いたあの「いいんだよ、この寒さが」というふるさとの寒さへ寄せる恵三さんの特別な心象風景の行方が気がかりだったのでした。


 それからわずか半年後、私が恵三さんの実家を最後に訪問してからちょうど一年たった頃、恵三さんは突然の体の不調を訴え入院、そのまま帰らぬ人となりました。穏やかな最期だったといいます。
 Fさんは、最後の短い月日をせめて一緒に過ごすことができて幸運だったと振り返る一方、これ以上ないはずの快適な暮らしを手に入れるためのまさにその急激な環境の変化が、かえって恵三さんの心身に重く負担となってのしかかっていたのでは、もしかするとあのまま実家で生活を続けることを選択していたら今頃もまだ元気だったかもしれない、ともふと考えるのだと胸の内の苦しさを打ち明けてくれました。
 
 「秘密が語られるには、それにふさわしい時熟を必要とする。」(河合隼雄)
 いかに良しとされる外からの働きかけであったり行動を促ながされようとも、結局のところ我々人の心に決定的な変化をもたらし新たな可能性に開かれる準備が本当に整うには、誰にも予想などできようもない「とき」の流れが満ちるのを待つことが必要なのかもしれません。
 
 少し話題がそれますが、昨年末に亡くなった作詞家で直木賞作家のなかにし礼氏が、あるテレビドキュメント番組の中で私の記憶している限りで正確な表現ではありませんが、こんな言葉を残しています。

 ”いい歌を作るには技術だけじゃだめなんだ。99パーセントはテクニックなんだけれどプラス残り1パーセント、たったひとつの「ひらめき」がいるんだ。ひらめきというと何か神がかりのようだから、言い換えればたったひとつの真実、たった一つの哲学、あるいは記憶でもいいんだ。たったひとつその人にとっての有無を言わさぬ何かがないと、歌は絶対にヒットしないし将来に残ることはないんだよ。”
 
 人の生き方もなんとなくそれと似ているかなと感じます。私たちは誰もが一人で生きているのではありません。家族や社会、文化などといった周りの環境とさまざま関係を持ち影響を受け合いながら、そうした環境に順応するすべを身につけることを求められます。そのこと自体がある意味人生といえばそうかもしれません。
 けれども同時に私たちは、たとえ誰に理解されずとも、かけがえのないその人だけが知る真実を求め知ることを通じて築かれていく個人の文化や物語に生きる存在でもある。たとえそれがなかにし礼氏が言う残りのたった1パーセントにすぎないのだとしても、それはひとり一人の生き方にとって決定的に重要なことなのだろうと思うのです。

「いいんだよ、この寒さが。」
 ひとり寒い不自由な日々を重ねる中で、恵三さんの心の中で時熟し発せられたこの短い言葉には、老いゆく自身のそれまでの人生と今を凝縮した有無を言わさぬ「真実」が込められていたように思えました。けれども、どのようにそれを私は受け止めるべきだったのか、残念ながら自分があまりに未熟だった気が今でもしています。


 外山吹く嵐の風の音聞けば
 まだきに冬の奥ぞ知らるる(和泉式部集、千載集・冬)

 北風を 来しとは誰も 語らずに(中村汀女)


 
最後までお読みいただきありがとうございます。

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by yellow-red-blue | 2021-02-26 23:41 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、仕事、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。記事のどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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