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生きづらさの季節 ~ 穀雨&立夏の頃’21


 青葉生い茂る木や草花のみずみずしい香りがやわらかな風に乗ってあたりに漂う素敵な季節がやってきました。新緑と青空のコントラストが目にも鮮やかな大気の中、鳥の楽しげなさえずりがあちこちに響き渡るのに耳を傾けていると、やはり自然と心安らぐのを感じます。暖かくなってきたからでしょう、春から初夏へと移りゆく季節の機微をそれこそ体一杯心ゆくまで味わいたいとの思いはここ最近募る一方で、もうすっかり慣れたと思っていたはずのマスクを介しての呼吸や生活習慣がいっそう恨めしく思えてしまいます。

 いつ終息するともしれないコロナ禍の生活が続く中、どことない不安感や閉塞感、苛立ちにも似たストレス感覚を覚える人もいまだ少なくないようです。こうしたいわゆる「コロナ疲れ」の背景には、コロナウイルスがもたらす病気への恐れやリスクそのものよりも、不幸にもコロナ感染してしまう人に周囲から向けられる、通常であれば当たり前の同情やお見舞いの気持ちとは真逆の、いわば独特の心理的「ケガレ」の忌避感情ともいうべき迷惑非難や差別といった陰性感情を向けられることへの恥と怖れの心理が見えてきます。病気そのものよりも世間に「晒し物」にされることをいっそう私たちは恐れるのです。そしてそうした心理的圧迫感を共有し続けることによってパンデミックに対処するほかないと感じているがゆえのストレスなのかもしれません。

 そもそも、我が国に比してコロナの被害が極めて深刻な欧米をはじめ諸外国で当然のごとくに行われている、ロックダウンをはじめとする強烈な私権と自由の制限、移動の禁止制限措置、それらに違反する者への厳罰といった、国家存亡の危急的状況下における公共秩序の安定と維持を目的とする一方的な強権的法的措置は、国民の自由と権利を保障する憲法を始め、非日常的状況を想定「しない」諸法規範で済ませてきた我が国においては実現不可能に近い方策といえます。

 そこで私たちは、はなはだあいまいに空気を「察する」ことによる自粛と相互監視を通じた世上安定という、文化的”お家芸”をあれこれ駆使することによって何とかしのいでるようにも見えるのです。冷静な根拠判断に基づく事実なり現実とは一見次元の異なる「空気」への過剰適応を利用した国政なり統治のあり方は、もはや文化というよりもこの国の宗教(性)に近いものと言えるのかもしれません。
 こうしたや明確な法規範に根拠を置かず「文化」に期待する日本ならではの姿勢について、その是非を問うことは容易ではありません。世界経済と産業技術の発展をリードする先進国の立場にありながら、同時に非西欧的な独自文化伝統が抜きがたく根付いているというパラドキシカルな側面をもつ日本の国柄を象徴するような現象かもしれませんが、そのことがいったい私たちの将来にどのような教訓なり課題をもたらすことになるのか、いかなる代償を払うことになるのかが明らかになるのは、まだしばらく先のことになりそうです。


 人は身の回りで起きる出来事、外からもたらされる情報や働きかけに対して常に何らかの思考や感情を抱くものですが、そんな時私たちはそれらが正しい反応、あたかも実体や事実であると無意識的に受け取る傾向にあります。湧き上がる思考感情といった心の働きの背景に、実際には無自覚に意外な因果関係が絡んでいたり、少し距離を置いて冷静になってみれば、思い描いていることと実際との関係性はずっと違ったものになることに思い至ることが難しいのです。
 とりわけ悩みを抱え精神的余裕のないつらい時ほど、私たちの注意関心は外の事物や他者の言動に過敏に向きすぎ、自分のこころの内側や心身の状態への心配りをついおそろかにしがちになります。周囲から響いてくる声や意見、目に留まりがちな情報や言葉こそがあたかも従うべき正しい考え、多くの人が共有する意見なり考え方であると反射的にとらえてしまい、それに抵抗感や苦痛を密かに覚える自分にこそ問題がある、間違っているに違いないとのラベルを貼ってしまいがちになります。やっかいなことにそうなると私たちは、そうしたラベル意識に沿った自己否定的、自責的な考えや記憶といったネガティブな情報をとかく芋づる式に導き出しがちで、それがまた不安や焦りをあおり、精神的苦痛の圧力を余計高めるという悪循環に陥ってしまうのです。

 
 本当に耳を傾けるべき声は、案外私たちそれぞれの心の片隅に今までひっそりと、とても肩身の狭い思いで息をひそめてきたかもしれません。そうしたことに気がつくためには、自分を信じる勇気なり力が求められるし、ときに他者からの励ましや支えも必要となります。けれどもそれらはまったく簡単なことではありません。
 カウンセリングに訪れる多くの人が抱える漠然とした「生きづらさ」の根底に、人生の成長の過程において、周囲から自分という存在がきちんと受けとめられ、生きることへの安心感や安らぎを十分に体験し味わうことが叶わない生き方を余儀なくされてきた本当にさまざまな事情があります。その多くは周囲からは見えにくく理解しがたく、本人もまた気づくことが容易でないものがほとんどです。
 私たち一人ひとりの人生なり人格は、持って生まれた素質や気質、育ちや環境、偶然と幸運、出会い、そして努力の相互作用の無限のバリエーションが折り重なりできあがるものです。誰一人として同じ境遇や状況にはないそうした自分達が、「生きる」価値のある存在であり、また同時に「生かされる」存在でもあることを知るためには、安心感や安らぎといった「生きやすさ」という成功体験をそれなりに積み重ねることが本来必要なのです。自己を信頼し、他者との信頼関係を築く基盤となるそうした安心感と安らぎをいったいどうすれば日常に取り戻すことができるのかを日々相談者と共に葛藤することもまたカウンセリングである、そう実感しています。


最後までお読みいただきありがとうございます。
メンタルケア&カウンセリングスペース C2-Wave 六本木けやき坂

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by yellow-red-blue | 2021-04-21 08:57 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、仕事、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。記事のどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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