2018年 05月 06日 ( 1 )

刺激ある人生、けれども... ~ 立夏の頃’18


ゴールデンウィークの後は、全国的に雨模様の肌寒い陽気へと逆戻りの予報が出されているようです。それでも、花粉や黄砂が舞いまだまだ冷たい春風に上着やコートが欠かせなかった(私にとって)つらい季節もようやく終わりを告げ、早朝から窓を開け放ち、爽やかでみずみずしい大気を思い切り室内に招き入れ、初夏の心地良さを日々味わえるようになったのは嬉しい限りです。

元気よくあちこち飛び交う小さなツバメの姿や、早朝の静かな空気によく響く野鳥の一風変わったさえずり、新緑を優しくなでるように流れるそよ風と柔らかな木洩れ日、お目当ての草花を求めてあたりをひらひらと舞う蝶の姿。初夏にふさわしいあたりの情景にふと気づかされると、せっかくのゴールデンウィークだからとレジャーに特別足を伸ばさずとも、なんだかもうそれだけで満ち足りた気分になってしまいます。


かくも安上がりにできている私ですが、ところで、人には外界からの刺激や社会環境に対する感受性の程度にかなりの個人差があることがわかっています。そしてこのことが私たちそれぞれの性格形成にも少なからず影響を与えています。

その感受性の程度の個人差をもう少しわかりやすい別の言葉で言い換えると、「刺激欲求」の個人差と言ってもいいでしょうか。刺激欲求とは、多様で新奇、刺激的な物事の経験や感覚を欲し、身体的、社会的、法的、経済的冒険を志向する傾向にある性格を意味します。ごく大雑把に言って、刺激欲求の強い人は外向的な性格傾向を持つ人、逆に刺激欲求の強くない人は内向的な性格傾向の人に近いと言われています(心理学では、人格やパーソナリティ、性格、気質など、人の性質を表す言葉をそれぞれにある程度定義されて使いますが、ここではより一般的、通俗的な使い方としてそれらをあまり区別することなく使っています)

さらにこの「刺激欲求」については、最近のさまざまな研究から身体の神経システムにおける「最適覚醒水準」との関連性も示唆されています。つまりたとえば、刺激欲求の強い外向的な人は神経システムが興奮しにくく、強い刺激でないと当人が快適と感じる覚醒水準に達しない一方、内向的な人は、外向的な人が求める快適と感じるような刺激では神経システムが興奮しすぎてしまい、不快な覚醒水準に至ってしまうというものです。

こうした神経システムにおける体質的な個人差と心理学的な性格の理論の関連性はまだはっきりとはわかっていませんが、私たちが外界刺激に対してそれこそ三者三様の感受性を持っていることは確かなようです。その一方で私たちはまた、自身を取り巻く複雑で多様な人間関係をはじめとする社会環境情報の処理をまずまず的確に行い、適応することを日々求められます。そうした社会的要求と自らの個性との間のバランスというか、さじ加減が実に難しく悩ましい時代に私たちは生きています。結果そのはざまで、精神的困難や変調に苦しむ多くの人々が存在しているのです。


“外界への関心と依存が高く、積極的に外に向けて行動する傾向で、社交的でポジティブな思考を持ち、物質的価値観や上昇志向が強く、興奮することや刺激を求めるエネルギッシュな特性で、自己表現が得意なある意味自信家でもあり...”

これがいわゆる外向的性格特性です。これだけを見れば、なるほど今の社会において、特に職業生活上の適性としては、まことに望ましいというか喜ばしい性格傾向といえるかもしれませんね。

けれども、私たちの性格や人格は、代表的な際立った1つの要素だけで説明なり決定されているわけではありません。内向性をはじめその他重要な様々な性格的要素がミックスされそれぞれに唯一無二の個性をかたちづくっています。それらは等しく価値があり、上手にバランスされているのが本来好ましい人間像と言えるべきなのですが、今の社会を見ていて、またカウンセリング現場で感じるのは、国の施策や企業活動が暗に求めている人物像が結局のところ、いわゆる刺激欲求の強い外向性に傾いた人に集約されているようにも思えてくることです。

また、私たちの性格は決して固定されているものではありません。持って生まれた気性のようなものはあるとは言いながら、それぞれの人生の過程で(特に若い世代においては)絶えず変容・成長するものであり、状況に適応する力もあります。ところが本来予想だにできない複雑で豊かな存在であるはずの生身の私たち人間の個性が、昨今話題のビッグデータやAIによる評価システムやプロファイリングによるデータ数値化された固定的人間像に取って代わり、そうした属性に基づいた個人の選別化、セグメント化が様々な分野局面において今後急速に進むことが予想されることについては、なにか強烈な違和感と危惧とを感じてしまいます。歴史的にまた現在においても、欧米的諸価値観の強い影響を受けながら、経済先進国として経済成長や企業利益確保がまずもって優先され、物質的価値至上主義がある意味本音であるような資本主義体制の日本においては、無理からぬ時代のすう勢なのかもしれません。



本来、外向的な人間として真に価値があるのは、その特性が際立っているからなのではなく、他者理解や内的洞察の深みと複雑さ、思いやりと共感力の高さといった、内向性をはじめとするその他の人格的諸要素との間に豊かなバランスが備わっている場合に限ります。にもかかわらず、ややもするとたとえば内向性は単純に「外向的でない」性格ベクトルとしてネガティブなレッテルをとかく張られがちです。それは心理学におけるパーソナリティ評価であったり、インターネットなど各メディアでさまざま取り上げられる簡易で安直ともいえる性格判断や適性診断などでもそうした傾向があるようでとても気になります。外向性にも内向性にもとても素晴らしい素質がたくさんあり、本来は価値平等的に評価されなければならないはずです。多かれ少なかれ私たちは皆こうした多くの性格特性を何らかの割合で持っており、それらの特性が著しくバランスと柔軟性、適応性を欠き、持続的に精神的な苦痛を伴う場合に限って、パーソナリティの問題として慎重に考慮すべきなのですが、それをあまりに安易に色分けしたりレッテルを貼ったりするのは誤った判断といえます。

こうした偏った性格特性の重視や社会の精神性の在りかたには、必ずもう一方、足りないものへの要請なり揺れ戻しが、たとえば精神障害や格差社会、社会的弱者やハラスメントといった深刻な社会のひずみとなって表面化していきます。すでに十分すぎるほどのSOSを発している現状があると思うのですが、それらを国としての成長と繁栄のためにはやむを得ないコストであるとして暗に切り捨て見過ごすような社会の在り方は、とても健全なものとはいいがたく、むしろ病的ですらあるのでは、とふと考えてしまいます。

 

 ちょっと大げさな話になってしまいました。カウンセリングにおいてもまた、相談に訪れる方々の悩みと対峙しながら、それを単なる個人の問題に矮小化することなく、彼らの心の叫びの背後にある社会的文化的要因や国の舵取りの在り方への深い問題意識と関心が必要であることを日々痛感しています。

 


最後までお読みいただいてありがとうございます。

メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂

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by yellow-red-blue | 2018-05-06 21:59 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心安らぐ経験や出会いなど、時にカウンセラーとして、時に仕事から離れ、思いつくままつらつらと綴っています。


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