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生きるは芸術 ~ 寒露の頃’18


仕事場の窓の外にある手すりに最近トンボが止まっているのを、ふとよく目にするようになりました。街中でもあちこちさまよう姿を時折見かけます。近くの通り沿いに立ち並ぶけやきの木のいくつかの葉がほんのりと色づき始めたのを眺めながら、こうして東京にも秋の気配が徐々に深まりつつあることに気づかされます。街中ではすでにハロウィンの気配が濃厚な一方、日本各地では稲刈りも終わり、秋の実りも収穫の時期を迎え、本格的な紅葉の便りが各地から聞かれ始めるそんなこの頃はまた、今年も残すところいくらも残されていないことにふと少し寂しく気づかされる季節でもあります。



先日、俳優の國村隼さんが、ある国際映画祭の審査員を務めた折に次のような発言をしたと、インターネット上のニュースが伝えていました。


「人々には今起きている葛藤や苦痛の中で生きるよりも、明るい未来の希望や温かい過去の記憶が必要だ。だから、なぜ今このように厳しい状況になっているのかが知りたいから、多くの映画が作られているのではないか」

 

 このシンプルなコメントは、映画に限らずすべての芸術や創作表現活動の根底に共通する本質的な問い、なぜ人間にとって芸術や文化が必要不可欠な営みなのか、に対するひとつの答え(あくまで一面についてですが)として、とてもしっくりくるように私には思えました。なぜなら、私たちにはそれらが必要であり、社会においても人間が生きるにおいても不可欠のものであると感じてはいながら、それはいったいどうしてなのかということについては、あまりよくわからずにきたからです。

考えてみれば、私たち人間が、身のまわりに起きている物事や存在する対象について、現実的、即物的な意味以上の何かを感じとる必要がないとしたら、そうした芸術や文化は必要ないでしょう。そんな面倒なことは考えずに、目に映る世界をただありのままのものとして捉え、実際起きたり見えている事物や関係、客観的な数字やデータだけに目を向け生きていくだけでいいではないか、その方が世の中はずっとうまく流れるかもしれず、少なくとも物質的には恵まれた世界を作ることができるであろう、という考えもある意味悪くはありません。

けれども、なぜか私たちは、文学を単に「インク」+「文字」+「紙」とは考えないし、絵画とはキャンバスに塗りたくられた絵具の複雑なパターンとは考えられない。さまざまな楽器の発する音の重なりに、わざわざ「音楽」という感動と精神的高揚までも植え付けようとする。私たちは、そこに客観や事実以上の捉えがたい何かしら深い意味やメッセージを込めたり読み取る作業過程を通じて、私たちの人間性や社会、文化がより豊かで洗練されたものに鍛えあげられていくと信じているのです。つまり、芸術や文化のような創作表現活動の本質が、現実や事実とは次元の異なる、いってみればさまざまなフィクションや錯覚、バイアスによって支えられているにもかかわらず、私たちはそれを渇望すらする不思議な生き物ものなのです。

もしかするとそれは、私たち人間が、自分の身の回りの現実である外側の世界だけでなく、内的な世界の存在をどこか信じて疑わず、それに生きることもまた必須であることを本能的に「わかっている」からなのかもしれません。心的な世界は限りなく広く、私たち一人ひとりが独自の宇宙を持っている。それは他者からは伺い知れないことはもちろん、自分ですら自分の本当の世界について全てを知っているわけではない。そうした内の世界と外の世界、自分と周囲との間の架け橋あるいは媒介として、知的で情緒的な相互作用を創生する役割を芸術もまた担っているとするなら、私たち一人ひとりは、同じ人類という種でありながら、実はそれぞれがまったくの別種ほどの個体差を有しているに違いない、とも感じるのです。



ところで、冒頭で引用した國村隼さんのコメントは、そのままカウンセリングに訪れる人の心境といえるかもしれません。人は今起きている葛藤や苦痛の中で生きるよりも、未来に明るい希望を抱き、過去の温かな記憶を生きる糧としたいと願っている。だれもがストレスのない人生に憧れる。だから、今の厳しい状況をなんとかしたい思いカウンセリングにやってくる、のですから。映画や芸術より一歩踏み込んで、それぞれ具体的に救われる方法を求め問題を解消したい、といったほうが正しいかもしれませんが、だからと言って、カウンセリングもまた芸術であるとは到底言うことはできません。けれども、両者に共通あるいは類似することはいくつかあるようにも感じます。

まずカウンセリングでは、客観的事象だけでなく、相談者の心の働きや内面世界に意識を向け、そこで起きていることを探りながら、現実社会との調和を図るための様々な働きかけを相談者に対して行っていきます。物事の客観的な理解や科学的なデータや数値では把握し得ない心の世界や、葛藤や苦悩の本質を相談者ごとに個別具体的な形で表現(対話・コミュニケーション)していくという点では、両者の類似性はわかりやすいと言えるかもしれません。

もう一つは、これも先に述べましたが、芸術同様カウンセリングもまた、見たままの事実や対象とは異なるフィクション、錯覚に目を向けているということです。カウンセリングでは、それは相談者の主観的判断や決定、評価であり、バランスを欠いた思い込みであったり、物事のとらえ方や言動の偏り、極端な執着などと言い換えられるかもしれません。しかし、本人にとってはそれはとてもリアルな実感です。安易にそれは間違っている、思い過ごしだ、客観的評価とは異なるなどと決めつけてしまうのもまた正しい接し方ではない、というところに気づいていくこともまた大切です。不安や悩みを抱えている人にとっては、自分の思いや感情の状態はとても自然で自明であり、それは疑問を差し挟む余地のない実体・真実として映るがために、そのような状態にあることには無理からぬ理由があり、思いもよらない心理的因果関係が絡んでいる可能性にひとりではなかなか気づかないこともあります。「私のことは私が一番よくわかっている」「これが私の人間としての本性なのだ」という実感が、一種の錯覚かもしれないというわけです。そこに分け入って、複雑に絡み合った問題の糸を丁寧にほぐしていくお手伝いをするのがカウンセリングです。

 もちろんネガティブに働く錯覚やバイアスばかりではありません。根拠に薄かったとしても、健全な楽観性やポジティブな思考、自信の錯覚やそれに基づいて起こす行動は、時として個人や社会にとっていい結果をもたらす活力ともなり得るからです。そこもまた芸術との共通点といえるかもしれません。



 私たち一人ひとりの人生そのものが芸術(作品)である、とはよく言われることです。それがたとえどのようなものであったとしても、人生という唯一無二の物語を完成させる過程をたどることそのものが人生の意味であり目的であり、そのために私たちは生きているのだ、という確信は、人生においてさまざまな困難や悩みに直面する経験が、たとえそれにどれほどの時間とエネルギーを費やし、精神的辛苦を味わおうとも、決して無駄でも失敗でも挫折でもないことを教えてくれます。カウンセリングを通じてそれが決して安易な気休めの言葉ではないことを体験するとき、私はほんのつかの間、素直に幸せを感じます。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

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by yellow-red-blue | 2018-10-10 20:19 | Trackback | Comments(0)

「家族」という事情 ~ 秋分の頃’18


数か月ほど前のある日、毎日のように届けられる封書手紙や荷物にまじって、小ぶりな郵便物ひとつが届いていました。差出人もあらためずつい無造作に封を切ると、中には大きめの手帳サイズぐらいの薄い本1冊が入っていました。同封の手紙や説明案内書きもなし。本のタイトルは、「歌集 欅(けやき)の広場」とありました。そんな本を注文した覚えのない私は、そこではじめて差出人をあらためると、それは私の伯父(父の兄)からでした。さらによく見れば、歌集の著者もまた伯父その人でした。ごく普通に会社に勤め家族を養ってきた伯父が、文化芸術に深い造詣と愛着を抱く人であり、仲の良かった弟である私の父もそれに深く影響を受けていたことを何となく知っていた私は、さもありなんと思いつつしばしその歌集に見入っていました。ごく身内向けのいわば私家版として出版し配った旨があとがきとして添えられていたその歌集は、自らも年を重ね、老いと病に向き合いながら過ごすここ何年かの日々の日常を、季節と家族、音楽や文学を織り交ぜ綴ったものでした。

その多くの歌の中に、3年ほど前に肺病でこの世を去った弟である私の父を歌ったものがあることに気づきました。「永遠の別れ」と題された数首の短歌俳句ののうちの一首にはこう歌われていました。


「疲れ果てたよ」独りで耐え来たこの言葉鮮烈なるか弟の声


亡くなるまで56年に及ぶ一人暮らしの病気療養生活を送り、老いてしまった自分を自虐まじりに多少卑下するところはあったものの、私たち子には、弱音や気弱なところを決して見せなかった父が、自分の兄にだけはその絶望にも似た悲痛な心の叫びを吐露していたことに、深いショックを受けたのでした。

幼くして早々に両親を失くし、貧しい中助け合い支え合って生きてきた父の兄弟4人のあいだには、私たち子に伺い知れない深い絆があったであろうことは理解できます。それでもやはり、私の中にはなんとも行き場のない戸惑いと後悔、苛立ちのようなものが沸き上がるのを抑えられなかったのでした。多少離れているとはいえ、病気になってからもできるだけ父のもとへ顔を見せ、会話をし、気づかいと支えになってきたつもりであったのに、せめてひと言私たちにそれを告げてくれなかったのか?

歳を重ねても親は親で、親であるからこそ打ち明けられなかった。実生活でも面倒かけていた分、それ以上の弱音を聞いて欲しいとは求めづらかったかもしれません。でも本当のところは、上述の「~つもりであった」の通り、私たちの思いとはこちら側の勝手な解釈でしかなく、私たちに打ち明けたとして何が変わるわけではないことのあきらめが父にはあったのではなかったか、と思うのです。結局私は父に対し、その兄弟ほどには信頼も安心も与えることができなかったことを悟ったのでした。



今も昔も、家族にまつわる問題や相談をカウンセラーが扱うことは多いかもしれません。相談者自身の悩みの主訴はまったく別のところにあるようでいて、結局掘り下げれば自分の家族(原家族や現家族)に行きつくということは珍しくありません。また、たとえ悩みが家族以外の全く別のところにあったとしても、真の意味で家族の支えがあったなら、それら抱える問題の負担はずっと軽いものとして受け止められたり、何とか対処する見通しも立てられるものです。私たちの社会が「人間関係」で成り立っている以上、その最も基本的で重要な関係が家族であることは疑いもなく、だからこそ家族は私たち一人ひとりの人格形成にどこまでも深い影響を与え続けるのです。

家族はまさに「有り」難い、つまり他にはない稀有な存在といえます。有難いその理由の一つは、生きる上に何よりも誰よりも一番頼りになる(はずの)存在だからです。家族とは、たとえどんなことが起きようとも、どんな結果がもたらされようとも、決して見捨てることなく一人にはしない、自分の側にいてくれる、どのような言葉や気持でも無条件に受け止めるよというメッセージを送り続ける、他の人間関係では決して経験されることのない「根源的」な安心と相互信頼そのものです。私たちは別個の人格でありながら家族はひとつであり、不可分一体の存在として意識しているものなのです。



けれども、家族はそれほどまでに近しい存在であるがゆえに、同時にまた厄介な存在でもあることが、「有り難い」存在であるもう一つの理由でしょうか。お互いが自分との区別、それぞれの領域に境界線を引きにくい存在であるがゆえに、ありとあらゆることにおいて、「他人事」ではいられない、という意味でまた稀有な関係です。

だからこそ、実は一番相談しづらく打ち明けづらく、自分を明らかにすることができない存在と感じる人もまた多いのです。迷惑をかけたくない、きっと悩む、言ったら家族がもっと困るだろう。そんなことに向き合う勇気はとても持てない。もっと多いのが、話してもむなしく(返ってくる言葉や反応があらかじめ予測がつくから)、結局ひとり自分で解決するしか方法はないと信じているから、という思いが心のどこかに潜んでいるのかもしれません。

一方、他人事でないがために、自身の心配や不安の解消、期待や願望の実現に執着してしまい、悩んでいる本人に向かってあれこれ求め、管理しようとしていることに気づくことがなかなかできない周囲にいる私たちは、つい妥協なき辛口コメンテーターや評論家と化してしまいます。悩んでいる本人の欠点や弱みを平気であげつらい傷つけるかと思えば、ただ無責任に励ましたり勇気づけたり、優しさたっぷりの愛情表現をしたり、ときに誇ったりもする。本人以上に深刻に悩みそれは自分の責任に違いないと苦悩を深めたりもする。そして、何もできないことが分かると途方に暮れてしまう。ちょうと私が経験した「~してきたつもりなのに...」のように。


そうした言葉や行動は、悩んでいる当の本人にしてみれば結局のところ、つまりあなたの悩みは分からなくもないが、それはやっぱりあなたのほうが間違っている、あなた自身の問題なのだ、そして私たちは家族に「過ぎない」、と突き放されているようなものかもしれません。だからつい自分にこもってしまう。世間体や周りの状況、社会的正論、家族の都合という条件付きの愛情で説得され、返り討ちに合うことがあまりにも自明だから、何も言えないのかもしれません。傷つき、敗北感を味わうすることが分かっている相手に話をすることにわざわざ無駄なエネルギーは使いたくないのです。

つまり、周囲の人々が何とかしなければのあまり、無条件にただ「聴いて」あげていないのです。悩む本人に、無条件に受け入れられ安心できる存在として家族が映っていないのです。あまりに長い間、私たちはただ「家族でいた」ために、安心と信頼の関係が、親子だからという理由だけでオートマチックにいつでも発動されるわけではなく、そうしたメッセージをお互いが受け取るためのそれなりの配慮や努力が欠かせないことに気づくことができないのかもしれません。ただ「家族でいる」それだけでは十分ではないのでしょう。


どうしたらいいのでしょう?

家族にできることの選択肢は多くはないかもしれません。ただ家族にしかできないことがあります。それが少し上で書いた、根源的な安心と信頼そのものである「有り難い」存在のままでいることです。

私たちは、コメントも質問も解決策も口にせず、ただ、「打ち明けてくれてありがとう」「ごめんね」「ゆっくりでいいんだ」「勇気がいったね」と穏やかに寄り添うことができるでしょうか。辛抱強くただ聴き続けること、本当の気持ちが表れるまで、本人が納得のいくまで聴き続けることができるでしょうか。何度かせいぜい数十分のところ話し合いを求め、その後は疑問への回答を求める質問の雨嵐。ひとたび言葉に詰まれば、思いやり半分にありがちな正論という名の条件付き愛情の表現をちりばめてはいないでしょうか?それらは、単なる予期された回答への説得でしかないかもしれません。


 無条件に受けとめられ安心できる存在として、悩んでいる本人に家族が映り始めるには、時間がかかるかもしれません。そんなときの一番の近道は、自分達もまたしくじり間違いを犯す存在であり、だから失敗しても実はまったく構わないのだと、心の底からまず認めることかもしれません。本人よりもまずは自分達の心に問いかけることが大切なのだと思います。まずもって自分達が開かれているからこそ相手も開かれる。悩む本人がかたくなであるなら、それは自分達もまた開かれてこなかったことを意味します。親子は、夫婦は、家族とは似た者同士なのです。

家族のことは自分が一番よくわかっているという幻想を捨て話しを聴くこと。たとえ周囲からはどのように映ろうとも、本人にとってはリアルな実感であることを認め、気持ちや苦しさに寄り添い想像する努力をしてみること。そして家族だからこその心からのありがとうや謝罪、支えの言葉を口にできる素直さは誰しにも必要なのではないでしょうか。たとえ今は、自分達には何の問題もなくよい家族だと思えるとしても。誰しもにいつかは訪れるであろう、家族の危機のときを乗り越えていくために。



伯父から「欅の広場」を送られてからというもの、カウンセリングを終え相談者の背中を見送るたび、果たして私にあの人達の相談に乗る資格があるのだろうか、との疑念が頭をよぎります。家族という存在のあり難さとむずかしさとの複雑なアンビバレンツのはざまで揺れ動き、思い悩む人々と日々向き合い、そうしたことを日頃痛いほど分かっているはずなのに、何のことはない、自分とその家族のことには全くの無知蒙昧であったのかと思うと、気持ちが萎えてくるのです。

けれども同時にまた、自分がカウンセラーを職業として選択したことを、父に深く感謝する気持ちがなぜかふと沸き上がってもきます。私もまた複雑でアンビバレントなただの人間でしかないのだと気づかされます。

人はどうしてかくもややこしい存在なのか?きっとそれが分かったとき、私が相談者の背中を見送ることをやめるときなのでしょう。

それがまだはるか遠い先の事のように思えてしまうのが少し悲しいです。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

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信号待ちの母子 ~ 冬至の頃‘17

メランコリィな9月 ~ 白露の頃’17

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by yellow-red-blue | 2018-09-23 11:10 | Trackback | Comments(0)

「最近何となく...」になってしまったら ~ 白露の頃’18


 ようやく暑い夏が過ぎ去ったかと思ったら、一気に朝晩を中心に冷え込む地域も多いようです。長袖上着が欠かせない季節が一気にやってきてしまった印象ですが、それにしても最近の気候の極端な様子には戸惑ってしまいます。

 9月に入って私の周囲の会話でよく聞かれるのが、「何となく~」というフレーズです。何となく最近「だるい」「疲れている」「気持ちがふさぐ」「落ち着かない」等々。ハッキリとした原因やさしたるきっかけに覚えがないというところが、この「何となく病」のやっかいなところでしょうか。これがしばらくほっておいて、1~2週間経ち気が付けば解消されていた、ということであれば問題はないのですが、それ以上か場合によっては数ヶ月たってもまだもやもやするとなれば、だれでも心配になってしまいます。でも、この感じは意外と多くの人が経験しているようです。

 それぞれの個人的な事情もあるでしょう。目まぐるしく変わる季節と天候に体のバランスを崩すということもありがちです。また、かつて経験したことのないような異常気象や深刻な自然災害の頻発、人々の不安を喚起させるような痛ましく凶悪な犯罪や事件のニュースなど、人々の不安を喚起させる情報が洪水のごとく、私たちの日常の中にいやおうなく侵入してくれば、それらは確かに私たちの心身に微妙な影響を及ぼし、「気疲れ」も起こすかもしれません。

 でも、そんなときどうしたらいいのでしょう?原因やきっかけをあれこれ追究しても確たる回答は得られないとなると、いったいどうしたらいいのでしょう?そんなときにもしかすると役立つかもしれない簡単な方法をご紹介します。簡単とは書きましたが、方法はシンプルなのですが、人によってはちょっと苦手と感じるかもしれません。ちょっとした言葉の遊び程度に思って試してみてください。もしかすると意外な発見があるかもしれません。


 

 心や身体の不調とは、簡単に言ってしまえば、私たちが普段意識することなく自然にしてしまっている「無理」です。無理なのですが、本人にその自覚があまりないため「なんとなく~」になってしまいます。こういう場合にありがちなのは、経験や見聞などを参考にしてあれこれ試してみる、つまり物事を新たに取り入れてみるというものですが、それはあまり効果がないかもしれません。どこかに「無理」があるのですから、何事かをさらにプラスして無理をすることよりもむしろ、何事かを控え諦め、緩めることがむしろ役にたつかもしれません。私たちが自分に課してしまっているなんらかのルールの縛りを変更することが求められるのです。

 できればそのあたりを自分自身に慎重に問い直してみたいところです。ところが、私たち人間はそうしたフレッシュな問い直しが実はあまり得意ではありません。私たちの頭は実によく回転はしてくれるのですが、頭の中でさまざま思い巡らせているばかりでは、思考という機能が勝手に先走り、あることないことさまざまなストーリーであふれかえってしまうことになります。

 そこで、頭からいったん取り出して、思考というジェットコースターからいったん降りてみます。私たちが今までの人生で学んできたり経験したりしたこと、こうあるべきだと思っている「自分」に尋ねずに、あくまで自然体、何の縛りも制限も常識もなく、無防備のまま心がおもむくままにまかせてみます。



 

私たち一人ひとりが、いったいどんなルールにしばられているのかを探り出す簡単な方法、それは意外なことかもしれませんが、「紙に書いてみる」です。

前述の「思考」でも触れましたが、頭の中にだけため込んであれこれと思いを巡らせるのは精神衛生上あまりよくありません。モヤモヤを吐き出すように我慢せずに言葉にしてオープンにするのはなかなか気持のよい体験であるように、文章にして具体的な表現で外に書き出してみると、私たちの中に意外な変化が起きます。

文字に集中すると勝手な思考が抑えられ、より奥深くに迫れることがあります。じっくりと時間をかけ、沸き上がってくる言葉を待つようにします。実際には考えること(思考)を止めることなんて不可能ですが、気にする必要はありません。ただ、自分に素直に、なにも弁解も防衛もしようとせず、ただありのままに沸き上がってくるどんなものでも待って書き留めるようにします。

たとえば、「最近なんとなく気持ちが沈んでしまう」と考えていたら、紙でもノートにでもこう書いてみます。


わたしは、最近なんとなく気持ちが沈んでいる。

なぜなら、わたしは、「         」だから。

 

そして、しばらくじっと眺めながら、空欄に入る言葉を思い浮かべてみます。コツは、書いてすぐ頭に浮かんだことを記入するというより、じっくり言葉がやってくるのを待ってみることです。文章を自分で考え出そうとするのではなく、文章の方から勝手にやってくるような感覚を大切にします。あくまでイメージですが、頭のあたりに浮かんでくる、頭上から考えがやってくるというよりも、下からじわじわ上がってくる、体の中から広がってくる感覚の方を拾ってみます。難しく考える必要はありません。イメージするのが得意でない人は気にせず、すぐに浮かんだ言葉でもいいから書いてみてください。

 二行目はいろいろな表現が考えられます。それは、「~したい(したくない)から」や「~する必要があるから」かもしれないし、誰か他の人についての気持ちかもしれません。主語が「私」ではないかもしれません。なんだかしっくりくる、気になる表現が見つかればとりあえず書いておいて、後で見直します。正しいか間違いかを問う必要はありません。

 

 

 たった一つの文章が浮かぶこともあるし、いくつも浮かぶことともあるでしょう。気にしないで、でも、とにかく「書く」こと、そして書いたことを眺めることがとても大切です。そしてそれが今の自分にしっくりくるかどうかを見守ってみてください。どんなに理不尽で現実的でない内容でも構わないのです。根拠を探さそうとせず、自分の中の「常識」や「学習経験」で検閲しようとしないでください。

 紙を眺める状況や作業する日で違った言葉が浮かんでくるかもしれません。それでも構わずになんとなく一番しっくりくるような表現を最終的に選んでみますが、無理に一つに絞ろうとしないで構いません。後で別の言葉がよりふさわしいと思ったら変えて構いません。何か唐突な、思ってもみなかった言葉が妙にハマっていくかもしれません。

 


私は、最近何となくやる気が起こらない。

なぜなら、私は、「時計を見たくない」から

なぜなら、私は、「家族が嫌い」だから

なぜなら、私は、「海が見たい」から

なぜなら、私は、「寂しい」から


すぐには納得できないかもしれないが、そこに何か気になるものがあったとしたら、さきほどと同じように、言葉の意味について考えようとするのではなく、言葉から語り掛けてくるような感覚を大切にします。それはどのようなメッセージなのかを好奇心を持って待ちます。

うまくいかないと感じたら、その二行目を一行目に持ってきてもう一度問い直してみてもいいかもしれません(しなくてもいいのです)。


 私は、最近時計を見たくない(と考えている)。

 なぜなら、私は(       )だから。

 

 あるいは、次の文章をさらに加えてみてもいいかもしれません。

 だから、私は(       )したい(したくない)。

 

 

 完全な文章が浮かばない場合のほうが多いかもしれません。述語(動詞)は浮かぶのだけれど、「何が」がよくわからない場合です。


 私は、最近何となくやる気が起こらない。

 なぜなら、(私は)嫌だから。

 なぜなら、怖いから。

 なぜなら、知りたいから。

 なぜなら、足りないから。


 無理やり結論をひねり出そうとしないことです。自分をやさしくいたわるようにたずねていきます。以下のように続けてみてもいいかもしれません(しなくてもいいのです)。

 

 私は、嫌だ(と感じている)。

 私が嫌なのは、(      )だ。

 だから、私は(      )したい(したくない)。

  

 

上で挙げたような作業はあくまで例です。これが決まった方法だなどというものはありません。自分なりにアレンジして取り組んでOKです。ただ、文章構造はシンプルな方がよりいいでしょう。そうやって、じっくりと自分と対話していきます。すべて書き出してみます。うまくいかないこともあるでしょう。何だかへんてこな文章になるかもしれません。でも、書き出してみる、待ってみることにチャレンジしてみます。日を変えて、あるいは同じ問いをあらためて繰り返してもいいです。結論が出なかった、何だか混乱してきた、と感じたらそのまましばらく放置しておいて構いません。何か実行可能なものと思えたら少しだけでも行動に移してみます。でも、できてもできなくても、どのような選択をしようとOKです。

 

このような話になると、根拠のない心理理論やスピリチュアルな体験などと混同されるかもしれません。そうではなく、こうあるべき、これが普通一般常識、世の中ははこうなのだから、と頭でっかちになっている普段の私たちのこころと生き方について、たとえ根拠があろうとなかろうと、もう少し自分の中にあること、内からわいてくる「感覚」や「気持ち」にもっと信頼を置いてみるのも悪くないということです。大切なメッセージはいつも外から、他人からやってくるとは限らないからです。結論を出すことが大事なのではありません。大切なのはただ「なんとなく」を問い直すしてみること、そして「自分の」人生を生きようとすることです。「誰かの」でも「社会みんなの」でも、そして「世の常識」という人生でもなく。

私たちの日常行っている「思考」だったり「選択」は良くも悪くもない、一つの可能性に過ぎないと時として考えることができれば、私たちのこころの自由はいっそう広がります。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

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夏期短期終結カウンセリングの実施について

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by yellow-red-blue | 2018-09-10 21:30 | Trackback | Comments(0)

かべ工場(こうば)~ 立秋&処暑の頃’18


 40℃に達しようかという連日の灼熱の陽気に、立秋という表現がなんだか虚しくうつろに感じられてしまいます。夏の暑さは気にはなるけれど、つい窓を開け放ったり外へ出かけたりして、時を急ぐかのように幾重にも鳴り響く蝉の音に耳を傾けるのが毎夏のささやかな楽しみでしたが、さすがに今年ばかりはそのような気持ちにもなれずに、エアコンの人工的な涼しさと送風音に引きこもりがちな日々が続いています。

ところで蝉の鳴き声もそうですが、夏は花火や風鈴の音、かき氷を削る音や盆踊りの歌声、テレビから漏れ聞こえる夏の甲子園の応援と歓声など、私たちそれぞれの記憶深くに刻み込まれ、さまざまな感情体験を思い起こさせる特別な「音」の行き交う季節といえるかもしれません。

私にも、夏といえばなぜか思い出す遠い昔の「音」の記憶があります。


 

 横浜の戸塚は、かつては東海道の宿場町で、今でも町の中心部を旧東海道がJR東海道線と交差するように走っています。駅前再開発の波が押し寄せている昨今ですが、周辺にはまだ昔日の面影をしのばせるたたずまいもちらほらと散見されます。駅前をちょっと離れた周辺は低い山や丘陵が多く、そこを切り開き斜面や高台に沿って住宅やアパートが幾重にも立ち並び、バイパス高速道路がその間を縫うように走る緑と坂の多い町です。

 昭和40年代がもう終わるという頃、まだ幼かった私が暮らしていた父の会社社宅も、そんなゆるやかな坂道に沿って団地や住宅がずらり建ち並ぶ地域にありました。駅からだいぶ離れていたためかとても閑静な住宅地で、それでいてすぐ近くには清水湧き出る小山や水田もあり、子供にとってはたくさんの遊び場のある恵まれた環境でした。

 小学校へ入学した当初は、駅近くの小学校に通っていましたが、半年してほどなく社宅近くの山を切り開き歩いてもほんの数分という距離に新しい小学校が完成し、以来そこへ通うこととなりました。社宅のすぐ前の道路はアスファルト舗装の結構な幅の道でしたが、当時はまだ車を持っている家はとても限られていたせいもあって、車の通行はまばらで静かで安全な界隈でした。その道路は緩やかな坂道でそのまま新しい小学校の方角へ伸びており、道路向かって左側は私の住んでいたような会社社宅や独身寮などがずらり並ぶ一方、反対の道路右側にはコンクリートや大谷石を積み上げた長い壁がそそり立ち、その上には快適な一軒家が立ち並び、そのまま丘陵に沿うように上へ上へと段々に住宅が並ぶ地区でした。学校とは反対方向に坂を下ればほどなくバス通りである旧鎌倉街道へと突きあたり、交差点あたりにはお肉屋さんや食品雑貨など小さなお店がいくつか固まる昔よくあったストアが1件あるだけ。それ以外周辺にさしたる施設もなく戸塚の中心街はそのずっと先で、私の住んでいた社宅周辺はいたって静かな郊外住宅地でした。

 そんな住宅地にどうしたわけか、その小さな工場(こうば)はただ1軒ぽつんとありました。1軒ぽつんとという言い方はちょっと違っていて、その工場は、社宅前の道路をはさんですぐ反対側の、上には住宅が立ち並ぶ、灰色のコンクリートで塗り固められたごつごつとした高い石壁の中に埋め込まれるようにしてあったのでした。すりガラスの入った一間分の木製の引き戸と工場の名前が書かれた小さな木製看板があるだけ。一見すると物置小屋の扉のようだし、知らない人だったらそのまま通りすぎてしまいそうなほど、壁に溶け込んでいるほんの小さなまち工場。そんな工場が小さかった私のお気に入りの場所でした。まだ小学校低学年だった私は、夏休みともなればそれこそ一日の大半を社宅内の庭や公園、近くの山野などいくつかお決まりの遊び場で友達と一緒に過ごしていたものでしたが、かべ工場はそんな遊び場のひとつでした。暑い昼下がり時の蝉の鳴き声以外はひっそりとした中、その工場の引き戸の奥からはいつも規則正しいガチャンガチャンという独特の機械音が心地よく響いていました。

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 古い引き戸を少しだけガラッと開け首だけをのぞかせる。いきなり増幅された機械音が耳に飛び込んでくる。と同時に、機械油と錆びた金属を削ったような独特の匂いが私たちの鼻をつく。いつも一番手前に座り汚れた作業着を着た、無精ひげを生やした色黒のおじさんが一瞬手を休めてこちらを向き、白い歯をのぞかせニヤッと笑いながらうなずく。私たちもニヤッとうなずく。お互いなぜだか無言。音がうるさいため声など聞こえないとお互いわかっているからだったかもしれません。そして素早くみな中へ入り戸を閉める。

中はかなり薄暗く作業場全体が銅褐色一色に包まれ、天井も低くエアコンもなくとても蒸し暑い環境でした。大抵2~3人の大人が作業をしていて工場はほぼそれで満杯という狭さ。丈夫そうな古い木製の机の上に機械や部品やらが雑然と置かれ、おじさんたちは手元だけ眩しくライトを照らしながら機械を操作し、プラスチックを加工した成形部品のようなものを次々と作っていく、そんな本当に小さな下請けのそのまた下請けのような工場。

私たち子どもは体を摺り寄せるようにして立ち、おじさんたちの仕事ぶりを後ろからしばらく見学します。見飽きるとまたニヤッと顔をお互い見合わせ、私たちはさよならして無言で出ていく。ほんのひと時何か別世界に紛れ込んだかのような秘密の社会科見学。


「ほら、これ」たまにおじさんが帰りがけに作っているプラスチックの部品をくれたりする。琥珀色のちょっと分厚いプラスチック部品。何なのかわからないけれどなんとなく内緒のおみやげみたいで嬉しかったのです。

 外へ漏れる機械音はごく控えめでしたが、朝早くから一日中、学校の登下校時もそばを通るといつもその機械の音がしていました。おじさんたちが工場へ入ったり帰るところを見たことは一度ありません。いつ来ていつ帰るのかしら?お昼はどうするんだろ?あそこトイレはあったっけ?ひょっとしてあそこに住んでいるのかな?でも奥にドア何かなさそうだし。いろいろと疑問を持ちつつも一度も尋ねたことはなく、知らないほうがなんだか謎めいて自分達だけの秘密の場所という感じがしたのでした。お互い何もしゃべらない。おじさんたちは黙々と機械を操作して部品を作っていく。私たちはただそれをじっと眺めている。その繰り返し。時間はほんの10分くらい。でもそれだけでなぜかとても楽しいひと時。引き戸をぴしゃんと閉め、再び陽光を浴びながら深呼吸、楽しい映画を観終わって映画館から出てきたような満足感をいっとき覚えつつ、次の遊び場へと駆け出していったものでした。


 当時は、工場のおじさんたちに限らず、私たち子どもたちの周りには日常身近なところにいつも働くおじさんやおばさんがいました。野菜売りのトラックに豆腐屋さん、チリ紙交換屋さんに郵便屋さん、そして酒屋さんに交番のおまわりさん。彼らが毎日のようにやってきては仕事をこなす間、短時間ながら私たちの話し相手になることで、大人の世界をほんのちょっぴり垣間見せてくれたものです。それは私たち子どもにとっては学校では学ぶことのできないとても貴重でワクワクするような経験だったのです。



私はしばしば一人でも時には下校途中ランドセルを背負ったままで工場へ遊びに行きました。工場へ遊びに行っていることは母たちには内緒にしていました。最初工場のことを話した時、危ないからと叱られたからでしたが、もっと嫌だったのは、工場の話が出るたび工場のすぐ真上の立派な家に住む家族の話を何度となく聞かされていたからでした。一流高校に合格した長兄をはじめ、勤勉で秀才ぞろいの子どもたちの話を羨ましそうに話す母を見ると、何故だか落ち着かない気分になったものでした。

タイミングの悪いことに、私は夏休みに入る直前の春学期、成績が下がり散々叱られお小遣いまで下げられる始末で、今度成績下がったら塾へ行かせるなどと凄まれ、どうしてそんなに勉強しなければならないのだろう、怖い顔して母に言われるたびになんだか暗い気持ちになったものでした。思えば、右肩上がりの経済成長が続く一億総中流社会と言われた昭和のこの頃は、一方で学歴・偏差値偏重社会を象徴する受験戦争や受験地獄、教育ママ、モーレツ社員などの言葉があたりまえのことのように受け入れられていた時代でした。

さらにそのころ私を憂鬱にさせていたのは、来春には社宅を引っ越すと両親から高らかに宣言されていたことでした。両親が念願の一戸建てを買ったため他県へ引っ越すことになっていたからです。いつかは社宅や借り住まいを出て一戸建て、というのが当時の家族(親)の夢であり目標でした。住み慣れ親しんだ町と友達と離れるのが絶対に嫌だった私でしたが、喜ぶ両親の表情を見て何も言えず、つい自分も楽しみに振る舞いながらも密かに悩んでいたものでした。


 

 そんな夏休みも終わったある日の朝、いつものように登校し工場の近くまで来た時のこと。工場の前に何人かの大人が立って大声でしゃべっている姿が見えました。良く見ると工場のおじさんと1人の女性が激しく口論しており、その横にもう一人中学生くらいの男の子がなにか所在なげに立っていました。見ればその女性にそっくりで、ぶ厚い黒ぶち眼鏡をかけ神経質そうな感じの子でした。

私は、そこで初めて工場のおじさんの姿を屋外で見ることになりました。思ったより背が高く、色黒でがっしりとした体格。陽の光に照らされた作業着は工場の中で見るよりもずっと汚れてくたびれて見えました。私は緊張しながら道路の反対側を通り過ぎて行きました。


「冗談じゃないわ。毎日毎日朝から夜遅くまで騒音巻き散らして。受験を控えて今が一番大事な時なのにもういい加減にしてよ、ウチの息子は半分ノイローゼなのよ」

「奥さんどうか落ち着いてください」

 落ち着かせようと冷静な口調でした。そういえばおじさんの生声をはっきりと聞いたのもはじめてでした。おじさんがなだめようとして手を伸ばそうとしました。

「すぐに機械を止めて!もう我慢の限界よ。いい加減ここから出て行って。受験に失敗したらどう責任とるつもり?早く止めなさい!」

「よくわかります、でもすぐには無理です。とにかく話し合いましょう」

「なにのんきなこと言ってるの。この子の将来がかかっているのよ!」


 朝の静かな住宅地にヒステリックな金切り声が響き渡りました。登校途中の私たち小学生は立ち止まりはしないものの、何が起きたかと喧嘩の方へと視線が釘付けでした。私にはショックでした。あれは前に母が話していた工場のすぐ上に住む家の母親と子どもに違いないと。

僕らのおじさんが困っている!責められている!どうしてそんな...言い争いをしているおじさんと母親、そしてその横の少年の姿を見たとき私の頭を直感のようなものがよぎりました。あのおばさんはまるでうちの母さんみたいだ。そしてその横の少年、きっとあれは僕なのだと。いつか将来、引っ越したら、大きくなったらああなるんだ。変わってしまうのだと。どうやっても僕はおじさんの側にいられないのだ。何か自分の秘密が明らかにされてしまうような恥ずかしさを覚え、おじさんと目を合わすことができずうつむいたままそこを通り過ぎました。やっぱり引っ越しなんかイヤだ。このままいたい、また昼下がりのあの工場へ行きたい…そう心の中で叫んでいました。

 ひょっとしたら、あの工場は上の家と何らかの関係があったのかもしれません。工場が場所を借りていたとかご主人の会社関係の工場だったとか。記憶は定かではありませんが、その後工場の前を通っても機械音のしない時がありました。朝もあまりしなくなったように思います。壁に埋め込まれそのまま上から押しつぶされそうなそんな引き戸を見るたび、おじさんたちはどうしているのか、中へ入りたい衝動にかられました。でもどうしてもできませんでした。そしてその後二度とその戸をあけて中を覗くことなく、やがて私は戸塚を離れました。いつまでも何か自分がおじさんを責め立てたそんな気分がしていました。

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あれから何十年も経ちますが、そんな今でも私はごくたまにふっと懐かしさがこみあげ、戸塚へとぶらりひとり足を運ぶことがあります。戸塚駅前は大規模な再開発がおこなわれ、かつてアメ横を思わせる雑然とした賑わいを見せていた駅前の商店街は、そのほとんが姿を消していきました。駅からあんなに遠いと思っていた社宅周辺も歩いて15分くらい。あたりの閑静な雰囲気は昔とさほど変化はないものの、全てが小さく感じられそしてやはり古くなっていました。ずらっとならんでいたかつての社宅や独身寮は姿を消し、いくつかのマンションと立体駐車場へと変わっていました。社宅前の道路は意外にも狭く、今ではそこを車がひっきりなしに通ります。

今ではもう新しいマンションが建ってしまいましたが、何年か前までは私の住んでいた社宅はそのまままだありました。すでに取り壊しが決まっていたのか、入口に立ち入り禁止の黄色い看板が立てかけられていました。その奥にひっそりと立つ4階建てのコンクリート社宅はこんなにも小さかったのかと思うほど弱々しい姿でした。


驚いたことに、道路反対側の斜面に立ち並ぶ家々は、私が小さな頃とその印象と大きさにほとんど変わりはありません。今でも快適そうでした。建て替えた家もあまりなく、私がいたころのままの懐かしい住宅がそのまま残っています。何人かのクラスメートの家々もそのままです。決して豪華な邸宅ではありません。そこそこの土地に端正な住宅と庭がバランスよく配置され、入口の門の通路の先にドアが見えるそんな幸せそうな普通の家々。でももはや都市部ではほとんど見ることができなくなってしまった普通の家たち。私たちは一体あれから本当に幸せになったのかしら?ふと考え込んでしまいます。

そして高台の住宅の下、かベ工場の跡は今も残っています。入口の引き戸だった場所には、物置小屋か車のガレージのような使われ方をしているかのような小さなシャッターが下ろされているだけ。そこではかつて、朝から晩までガチャンガチャンと音をたてて、数人の職人が働くだけのちいさな町工場があったことをうかがい知る形跡はありません。覚えている人ももうあまり残っていないでしょう。


 

私はそこを訪れるたびに、いつの日かここを訪れることもなくなるときが来るのだろうか、それともやっぱりまたふらっと来てしまうのか、などとぼんやりと考えてきました。そこで暮らした日々は、私の人生で一番素敵な時代だったのかもしれません。悩みや不安はそれなりにあるものの、皆に愛され、将来に限りない夢と希望を抱く、好奇心あふれる単純で幼い日々だったからでしょう。  

 人には皆帰るべき場所や日々があるといいます。自分の原点、人格形成に深く影響を与えた日々や想い出や出来事、そうしたものは私たちが生き、成長する上で愛すべき大切なものなのかもしれません。しかし、それらは所詮もはや帰らざる日々なのだと痛感することもまた人生なのでしょう。過去の延長線上に今の自分があるとは限らない。また、今現在の自分がこれから1020年後の未来の自分へと続いているかどうかは実は定かではない。あの頃の私は今の私とは全く違う自分。今は今、明日は明日。過去は事実であっても今の自分にとっては必ずしも真実でなく、私たちの明日はどのようにも変化し、今ある自分が明日の自分であると断言はできないとするなら

 だから人生とは、ただ前に進むこと、そのものなのでしょう。 

 そしていつもそれができるのなら、私たちはどんなに幸せでしょう。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

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by yellow-red-blue | 2018-08-07 14:31 | Trackback | Comments(0)

カウンセリングとはなんですか? ~ 大暑の頃’18



『人間の発達過程において認知的、情動的、行動的機能に影響を及ぼし得る遺伝と環境の相互作用の多様性は、事実上、無限の広がりを見せている。』

 (「DSM-5精神疾患の診断・統計マニュアル」米国精神医学会編、染矢俊幸 他訳、医学書院、2014年)

私たちは長い人生を生きていく中、日常生活のさまざまな場面でストレスを感じる出来事や問題に直面し、悩みや不安を抱えます。そうした状況に継続的あるいは常態的に置かれれば、さまざまなストレス症状や病気を発症することもあります。うつ病などに代表される精神疾患は、今やがん、脳卒中、急性心筋梗塞、糖尿病とともに、国民に広く関わる疾患として、国として重点的に対策が必要とされる5大疾病のひとつにまでかぞえられるようになりました。

今日の社会において、私たちは目まぐるしく変化し多様化する社会環境や人間関係への適応と自己のアイデンティティの見直しを絶えず迫られつつあります。それなりに努力を重ね身につけてきたはずの過去の経験や学習が、十分生かされないまま時は進み、それらはすぐ役割を終えて過去のものとなってしまう時代といえるかもしれません。かつて私たち一人ひとりが当たり前のように頼り、支えられてきたはずの家族血縁や地域社会、伝統規範などの精神的絆の求心力が急速に衰える中、変化に耐え順応することを求める社会の流れに心理的な抵抗や不安を抱えながら生きる人びとが世代を超えて増えているのが実情と言えます。ストレス社会と言われる今の世の中では、むしろ何のストレスも抱えずに生きている人の方が少ないのでしょう。

症状の重い精神疾患から、学校・友人関係、親子・夫婦関係などの家庭問題、結婚や離婚、職場や仕事、病気や経済的問題といった、日常生活の中で起こりがちな困難から来るストレス性のメンタルの不調まで、症状の程度の差こそあれ精神的に苦痛を感じ生きている人は少なくないでしょう。またストレスは誰にでもあることだとして、つい私は大丈夫だ、あいつも大丈夫だろう、あるいは気にはなるが相談しづらい、などと判断を誤ってストレスフルな状態を放置すれば、より症状が深刻化し日常生活にもさまざまな影響が出てしまうリスクにも直面します。

そのような精神的困難の問題解決の一役を担うのが、カウンセラーでありカウンセリング(精神療法、心理療法、セラピーなど、治療対象や使う立場、療法などで呼び名・定義はそれぞれですが、ここではカウンセリングという言葉を主として使うことにします。)と呼ばれるものなのですが、ではそもそもカウンセリングはどのようなものなのでしょう。なぜそれが必要だと言われているのでしょう。あらためてカウンセリングについて少し考えてみたいと思います。




私たちが何らかの体調不良や身体的に異常を覚えたら、まず内科や外科などお医者さんへ行きます。専門の医師などから問診や検査を受け、なんらかの診断病名を伝えられ必要な治療を受けます。その治療方法といえば、病気によっては入院手術ということもあるでしょうが、私たちの多くが経験上知る治療の主体は、処方された薬を服用したり注射をされたりするいわゆる「薬物療法」であることはお分かりと思います。

これは、精神的な不調や異常を訴える場合も基本的には同じです。(一般の医療機関に比べてまだまだ受診にためらいはあるとはいえ)精神科や心療内科などの専門機関を受診し検査診断を受ければ、その治療の基本となるのもやはり薬物療法です。

一般の病気が、何らかの臓器など身体器官の異常を原因とするものであると同じように、精神的異常ないし不調もまた「脳」という臓器の何らかの異常である、という生物学的精神医学の立場に基づいたこの薬物療法の有効性は高く、多くの精神疾患などには欠かせない治療法です。

けれどもそのいっぽうで、薬物による治療だけでは疾患の治療や精神的問題が解決しないのもまた事実です。心の働きが脳という臓器によって実行されるもので、薬物療法がその症状をコントロールするうえで大きな力を発揮するのは事実なのですが、私たちの心の悩みや葛藤そのものについては薬だけで必ずしも解消されるものではなく、生物医学的な立場だけでは語れないむずかしさを含んでいます。




そのむずかしさについては二つのことが言えると思います。ひとつには、問題の起きている現場がいわば「身体」ではなく目に見えない「心」であるということ、そこがむずかしいところです。つまり、私たち人間の心の中で起きている人それぞれの「主観的な」体験や思考、感情を扱う必要があることから、一般の内科や外科で扱うような目に見える病気の治療とは違ったアプローチなり方法が必要なのです。

むずかしさの二つめは、精神的問題はさまざまな要因の複雑な相互作用によって起きるということです。先天的要因、幼児期の生活体験や、成長過程での学習や体験とその結果形成されたパーソナリティ、社会環境や養育環境、さまざまなライフ・イベントで直面するストレス状況など各種の要因がさまざまな割合で関与し、冒頭にも引用したように、症状も含めそのバリエーションはまさに無限です。そうしたことについて心理的な視点も考慮に入れなければ、問題を理解することがむずかしかったり、薬物による治療効果が十分に発揮されないこともあり得ます。特に精神的な問題は、生物学的な治療法に100パーセント還元することのできない微妙な問題を含んでおり、そこに対処するのが「薬物」療法に対する「精神」療法、つまりカウンセリングです。カウンセリングは薬物療法と並んで精神的問題を治癒するため不可欠の柱であり、このふたつは車の両輪といえるようなものです。重い症状の人には薬物療法が、軽症の症状がカウンセリングである、などと一概に言うことはできません。精神的問題への対処はあらゆる点であくまで柔軟かつ慎重な姿勢が求められます。「精神科を受診したり精神病の薬を飲むのは嫌だから、代わりにカウンセリングで治せないか」などと誤った認識を持っている人もいますので、誤解のないよう丁寧な説明や正しい知識の伝達が大切です。




カウンセリングとは、心理的なコミュニケーション・対話を通じて相手の気持ちを支え楽にし、抱える問題や症状を治癒へと導く総称であり、数多くの技法や療法も存在し、すそ野の広い概念といえます。カウンセラーと呼ばれる職業の人々だけでなく、医療現場の医師やその他の医療従事者、社会の現場でさまざまな立場の人が行う教育や生活相談、生活指導なども心の治療といえます。たとえば信頼のおけるお医者さんから、丁寧でわかりやすい病状や治療方針についての説明を受け、「それはつらかったですね。でも必ず治りますからいっしょに頑張りましょうね」「まずは休養を十分とりましょう」などと優しく接してもらえれば、患者さんも不安な気持ちが和らぎ治療に前向きにもなれます。これも広義な意味での精神療法、カウンセリングといえます。単に専門のカウンセリング・ルームでカウンセラーと一対一で向かい合うことだけを意味するものでもありません。

そのカウンセリングが私たちの精神にさまざまな効果をもたらすことができる理由は、私たち人間が、親密なコミュニケーション関係を構築することによってきびしい環境を生き延び、進化してきた動物であり、そしてその長い間に培われてきた心を通わせるための経験と知恵がカウンセリングのルーツであるからだといえます。カウンセリングとは、そうした私たち人間に脈々と受け継がれてきた優れたポテンシャルを精神医学あるいは臨床心理学的な知見や技術に基づいて解釈し直し、より一層困難な問題解決に特化させたコミュニケーション技法といえます。こんにちの私たちが抱えるストレスや問題、願望は様々ですが、そうした課題の多くは、私たちが人生を送る中でそれぞれが自然と身につけてきた実践知(経験・学習知)に頼るだけでは対処しきれなかったり理解することが難しいものです。それらを上手に乗り越えていくためのより洗練されたツールとしてカウンセリングがあると考えていただけるとわかりやすいかもしれません。相談者や患者がストレスや身体症状という「姿」を借りることなしに、その背後にある自分のもっと深いところの気持ちに気づいたり言葉で表現できるようさまざまお手伝いすること。そこがカウンセリングが単なる「お悩み相談」でないゆえんです。




ただし、カウンセリングはそうした学術的・科学的根拠などに基づくものではありながら、あくまで相談者やクライアントのためにあるものであり、わかりにくいプロセスであってはならないと思っています。カウンセリングの実践では、単に学んだ知識や技術の適用では解決できない予想外に困難な事態の連続です。今日の複雑な社会状況において私たちの抱える心理的ニーズは多様で、したがってよりきめ細やかで柔軟な対応が求められます。一見すると精神的分野とは異なる日常のさまざまな相談事がカウンセリングに持ち込まれることも珍しくありません。そうしたことにも丹念に耳を傾け相談者に安心を提供することもカウンセラーの大切な責務です。相談者の疑問に対して誠実に向き合わずに、つい専門的知識や抽象的な表現に逃げてしまったり、心の問題は複雑であるからとして長期にわたるカウンセリングを安易に選択してしまうことのないようカウンセラーは十分な配慮をする必要があります。また、心という目に見えないものを扱うことで、相談者がカウンセリングやカウンセラーに何か非日常的、万能的な力の源泉を期待させるような言動の誘導も慎まなければならないことも言うまでもありません。

相談者が自分の状態やカウンセリングに関して、率直な疑問を口にしたり、納得のいく説明を求めたりすることのできる環境と信頼関係づくりに常に開かれているかどうかが、カウンセラーに最も問われることだと思っています。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

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by yellow-red-blue | 2018-07-26 00:09 | Trackback | Comments(0)

恐れる私たち、頑張る私たち ~ 小暑の頃’18


活発な前線の影響がもたらす西日本を中心とする数十年に一度といわれる集中豪雨による甚大な被害は、すでに100名を超える死者行方不明者を数え、これを書いているちょうど七夕の日でもその数字は増える一方です。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、いまだ救出を待っている多くの方々に一刻も早い救いの手が差し伸べられ、また多くの避難されている方々に少しでも早く必要とされる救援物資が届けられ、もとの日常が戻るのをただ願うばかりです。


今回のような私たちの想定をはるかに超える自然災害の被害は、近年世界各地で起きています。それは温暖かつ安定した気候帯にあり、高度な土木・治水技術水準を備えた日本や欧米のような地域においてもまた例外ではありません。とりわけ、安全と安心がいわば当たり前のような国に住む私たちのような人間にとっては、こうした人智を超える圧倒的な自然の猛威に曝され予想を超える犠牲者が出ると、それに対するショックは逆に相当なものです。自然災害は避けられない現象であるにしても、少なくとも災害対策が進み防災意識もそれなりに高い国では、それはあくまで「対処可能な」現象で、滅多なことでは犠牲者など出ないし出さないことが当たり前のこととして受け止められてきたからでしょう。いつしか私たちは自然の脅威に対して、すでにおおむね「克服している」との過信と錯覚があるのかもしれません。

こうした異常気象が、温室効果ガスを原因とする地球温暖化にあるとされているのはよく知られています。しかし考えてみれば、原因が人為的なものであるにせよないにせよ、地球の歴史とはある意味大規模で不規則な気候変動の連続であり、それが同時に様々な生命と種の勃興と進化を促してきたと言えます。人類もまた何度となくそうした試練を乗り越え、そして今の私たちがあるのですが、その乗り越えてきた試練とはすなわち、ここに至るまでのおびただしい数の命の犠牲にほかならない。今度の災害を目の当たりにしてそのことをあらためて痛感します。



ひょっとすると、日本列島というこの海に囲まれた小さな島国に生きてきた日本人は、とりわけこうした自然の猛威に人一倍神経質な民族だったといえるかもしれません。

日本列島は、本来稲作に適さない風土、気候だったと言われています。稲作の発祥は、日本よりずっと南の緯度に位置する中国南部の揚子江沿岸で、つまりより温かい地域に適した作物でした。稲作がその後中国大陸を徐々に北上し伝播されたとする縄文後期~弥生初期は、日本は今よりずっと寒冷な気候であったため、日本列島は稲作を中心とする定住農耕という生き方が馴染むには、かなりの困難が伴う風土であったのでしょう。今回の集中豪雨の被害のように、わずか数時間前までは何の異常もなかったのに、気が付けばあっという間に洪水の波にあたりすべてが押し流され身動きも取れなかった、と似通った非常事態は、おそらくかつてはもっと日常的にあったはずです。そして私たちの暮らす今の社会と決定的に違うのは、ひとたびそうした事態が起これば、それはほとんど例外なく生命の危機を意味していたということです。立ちはだかる圧倒的な自然の脅威への恐怖は尋常ではなく、私たちの祖先は過去のほとんどの時代を、犠牲と恐怖、無力感とに打ちひしがれてきたのかもしれません。

日本の八百万(やおよろず)の神の信仰とは、いってみればそれほど数えきれない数々の自然の脅威にさらされてきたことの裏返しでもあります。そこから逃れることはできないことを悟った私たちの祖先の叡智であり、生き残っていくための救いの指針だったのでしょう。無力な人間がなんとか生き抜いていくために自然とどう折あっていくのか。自然を恐れ、明日への不安と隣り合わせの毎日に生きながら、同時に生きる恵みをもたらす生命の根源を神々として感謝、敬い、そして祈ることが、唯一の希望であり生き伸びるための条件だったに違いありません。

自然とともに生きるとはそういうことなのでしょう。自然と対峙し、それを探求し、科学し克服するという西欧的な考え方とはそもそも異なる自然観・宗教観が私たち日本人には備わっていると言われるのもうなずける話しです。

こうして、常に周囲と自然に敏感に気を配りながら生活をし、その脅威とどう折り合っていくかが生きる目的そのものですらあったかもしれない私たちの祖先達の深層心理には、精神的バックボーンとしての「恐れる」ことが深くに刻み込まれていったように思えます。そしてまた、社会的動物である人間にとってやがてその「恐れる」とは、自然との関係のみならず社会に共に暮らす人間同士の関係においてもまた必須の精神となり、今に受け継がれてきたと言えます。集団生活の中で生きていくしかなかった私たちの祖先達にとって、仲間外れにされ疎外感と孤独を味わうことほどの「恐れ」はなかったであろうからです。行き過ぎた周囲への配慮と空気を読めの圧力に始まり、昨今世界的にも注目されているとしてさかんにもてはやされている、おもてなしの精神やきめ細やかな日本式サービスの精神に至るまで、肉体労働でも頭脳労働でもない、「感情労働」化が著しい社会現場でのこうした日本独特の配慮の根底にあるのは、案外この「恐れ」なのかもしれません。



その「恐れる」と並んで私たち日本人の持ついま一つの深層心理、それは「頑張る」ではなかったかと思っています。理由は「恐れる」とほとんど同じものです。つまり日本人の生きてきた小さな島々は、人が頑張らなければ生きるに困難な場所で、そしてこれからもずっとそうであり続けるということです。

 とても小さなわが島国は、そのほとんどが人の住むことの困難な山間部です。人が住めるのはほんの3割あるかないかです。そこに数多くの人間がひしめき合い暮らさなければなりません。地震や火山、大雪や頻繁にやってくる台風、ひっきりなしにやってくる自然災害・天災のオンパレードに加え、資源のほとんどない日本列島に生きてきた日本人にとって、残された資源・財産は人間、つまり頼れるのは人だけでした。懸命に「頑張る」ことそのものが唯一の資源・財産であったのです。「頑張る」は実に便利な言葉であり、私たち日本人はそこに多様な意味・思いを含ませ使ってきましたが、それこそが「頑張る」がまさに私たち日本人を支えてきた精神的支柱の証と言えるかもしれません。何もなく生きるに厳しい土地、だから人が頑張らなければならない、他者あっての自分。自然や人について「恐れ」「頑張」ることで何とか生き延びてきたのが私たち日本人なのかもしれません。


そうした私たち深くにある「恐れる」と「頑張る」がどのような形で現われるのか、人それぞれ、また時代の要請でもまたそれぞれでしょう。しかしそれらはことによると、ときに人をたやすく疲弊に追い込む心理かもしれません。

「頑張る」と「恐れる」の折り合いが今の日本人にとりわけ必要なことなのでは、とも思います。なんとなく今の社会は、「頑張る」だけがその先に必ず進歩や豊かさであるとして、突出して優先・称賛される社会に思えるのです。豊かさや便利さ、進歩とは実際のところ何なのかをいったん考え直し、ときにあらため方向転換をし、どこで「恐れる」こととと折り合うのかを一人ひとりが考える。それらをすることなしにつき進めば、後日必ず同じくらい大きな災いが身に降りかかることとなるか、あるいはまた、すでにそうした犠牲がさまざま起きているのに見てみぬふりをすることになる。それは自然だけでなく人間の社会生活においてもまた同じだと思うのです。


昭和の有名な流行歌で水前寺清子さんの唄う「365歩のマーチ」の歌詞の中に、『三歩進んで二歩下がる』とあります。苦労もあるし失敗もある、だけれどもひたすらみんな頑張って前へ進もうよ。幸せはお金で買えると信じ、物質的豊かさと経済成長に向かってひたすら前進していった、昭和高度成長期の時代のムードそのままのような唄ですが、三歩進みながらほんとうに二歩「下がる」のであればある意味大変結構なことです。しかし実のところ、三歩進んで「二歩切り捨て」きたのが日本ではなかったかと、ふと思ってしまうのです。決して後戻りせず待たずに、三歩進むだけ進み、あとのことは後回しにする。そしてその負の遺産を押し付けられてきたのが、責任を取るべき者ではない他の誰か、将来の誰かであり続けるとするなら、よほど私たちは今の時代状況を憂慮すべきであると思うのです。



私たちは、いつの時代も「恐れる」と「頑張る」の両極のどこかに絶えず揺れ動きながら生きる存在です。人生を通してアクセルとブレーキを上手に使い分けることは予想以上に難しいことかもしれません。ひたすらアクセルを踏み続けようとする人、せっかく青信号なのにブレーキペダルから足を離すことのできない人、アクセルとブレーキの両方を踏んでいることに気づかず、なぜ自分はうまくいかないのか悩む人。「頑張る」は過信と自他への配慮と思いやりの欠如をはらみ、「恐れる」は自尊心の低下や悲観的な思考感情と無縁ではありません。自然との共生や社会における共生とはいったい何なのか。「頑張る」の意味を問い直し、「恐れる」ことに無条件に配慮してみることが今求められているかもしれません。

人間とは、常に最善を嬉々として期待しながら、それでいて最悪につい身構えてしまう生き物であり、人生とは、良くも悪くも、なにごとも決して思い描いた通りに運ばないことを知ることなのでしょう。心の深層から立ち現れるそうした人間や人生のさまざまな課題に取り組むのがカウンセラーの仕事なのかもしれません。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

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by yellow-red-blue | 2018-07-08 15:17 | Trackback | Comments(0)

シャボン玉飛んだ ~ 芒種&夏至の頃‘18


Yさんは古くからの知り合いで、そろそろ還暦を迎えようかという女性。いつもニコニコ、朗らかで落ち着きに満ちた物腰は、自分とはまるで正反対の「できた人」という感じで、何かと教えられることも多く、親しいながらもいつも少々気後れしてしまうような存在の方です。

 彼女の個人事務所は私の仕事場からまずまず近い距離にあることから、たまにぶらっと立ち寄らせていただくこともあるのですが、その仕事場もこれまた彼女のキャラクターにピッタリと言う感じの雰囲気。こじんまりとして落ち着いた色で統一され、無駄を省きすべてがきちっと整理整頓されている、清潔感と高級感溢れる企業の重役室さながらの、まさに大人の仕事場という感じのお部屋。これまた真逆の雰囲気をさらけ出している仕事場を持つ私にとっては、最初はいつも少し緊張感をおぼえてしまう場所です。

 先日そんなYさんとしばしの会話の後、失礼しようと席を立とうとしたとき、ふいに彼女の広いデスクの隅にぽつんと置かれていた妙なものに自然と視線の注意が向きました。ダーク調のウッディなお部屋の雰囲気には似つかわしくない、何ともカラフルで安っぽいというか子供っぽいおもちゃのような感じ。よく見ればソフトクリームの形をしたプラスティック製の小さな置物のようでした。



なんですか、それ?

「あ、ふふ、見られちゃったか」少し恥ずかしそうなYさん。

お孫さんにでももらったお土産のおもちゃかなにかみたい。

「ううん、この間近くの文房具屋さんに買い物に寄ったら、目に留まって自分で買ったのよ。これシャボン玉のおもちゃよ」

 シャボン玉、ですか?

「大人のくせして恥ずかしいわね。何だか妙に懐かしくて。昔みたいに近所の駄菓子屋さんや文房具屋さんなんてもう最近見なくなってるから。」

そういえば、むかしの近所の文房具屋さんって、小さなお店のなのに他にはない変なものをけっこう売ってたりしてましたね。駄菓子屋さんやおもちゃ屋さんを一つにした感じのような。

「そうそう、最近の大きなお店やインターネットとは違うわよね。そっちの方が安いし品数も多いし簡単に手に入るけど。ペン1本から自宅まで届けてくれるし。」

「でも近所にあって、隣近所の人が経営するお店にはやっぱり親しみやひいき感情が芽生えるでしょ。自分が生まれ育ち成長していくあいだのほんの一時期、ちょこんと脇役のようにいつも思い出の片隅にある存在のああいうお店ってなんだか特別な感じがあるものなのよ。」

成長とともに変わっていく、大きくなっていく自分に対していつも変わらぬ小さな姿で町なかにある文房具屋さんは、何ともいとおしい存在かもしれません。

「コンビニやインターネットはそれは便利な存在よ。大きなスーパーだってね。でも何かが欠けているような気がして。便利さだったりなんでも豊富に安く簡単に手に入れることだけの価値尺度では動けない自分がいることにふと考えさせられる。たぶん歳なのよね。」

 買い求めに出かけていく。見る、人と接し会話する。また出かけていく。町の中へ人の中へ。地元で味わうささやかなコミュニケ―ションが、世代を超えた良好な人間関係の絆を生んでいた時代があったのかもしれません。



それで、そのシャボン玉どうするんですか?

「もちろん、自分で吹くのよ。暇なときなんかにね。こんな感じで。」

 ソフトクリーム型のクリームの部分をひねるとスティック状のシャボン玉をふくらませる部分が出てきて、下のコーン部分のシャボン玉水につけてフッと吹く簡単なおもちゃ。Yさんは重役イスに少々のけぞりながら、そのおもちゃを吹くと、あっという間に数十個の色とりどりのきれいなシャボン玉が部屋中に飛び交います。

「ほら、結構楽しいでしょ、窓から乗り出して外へ向かって吹くとさらに楽しいのよ。とてもやっている姿を人には見せられないけどね」

そ、そうですか...

「最初は単に懐かしくて、童心に返る感じでひとりひそかにやっていたのだけれど。」

「なんだか最近は何につけ、時々シャボン玉飛ばすようになりましたよ。ストレス解消にはもってこいよ。」

 それはそうかもしれないですね。

「でもインターネットで調べてみたら、あの童謡の『シャボン玉飛んだ』ね、生まれてすぐ亡くなってしまった自分の子の魂をなぐさめる歌として作詞したという説もあるみたいよ。シャボン玉で無邪気に遊ぶ子供たちやふわふわ飛んでははかなく消えていくシャボン玉を、ほんの短い生涯だった自分の子やその命と魂に重ね合わせて作ったとかね。もしそうだったら本当は切ない歌なのかもしれないわね。」

 それは初耳でした。

「わたしの場合は、こころのモヤモヤを全部自分の中から出してシャボン玉に載せて遠くへ飛ばすように吹いていく感じかな。でも乱暴に吐き出すんじゃなくて、優しく、感謝してさよならするようにね。」

感謝してさよなら、ですか。

「だって、悩みだろうが嫌なことだろうが、言ってみれば自分の一部のようなものだから。自分の考えや気持ち、過去を七色のシャボン玉に見立てて、送り出していけば心が晴れやかになることもあるから。」

 そんなことを話すYさんがとても意外でした。

「でもごちゃごちゃ思うのは最初だけ。あとはただひたすら飛ばしてシャボン玉の行方を見送るだけよ。10分もやっているとね、気持ちが本当にスッキリするんだから。絶対お試しよ。本当に遠くまで飛んでいくのよ。」

 10分もですね...


「ね、どう?これいけるんじゃない?」

何がイケるんですか?

「現代人の心を癒す『シャボン玉セラピー』なんて、流行らせてみたら?」

 は!?

「考えてもごらんなさいよ。子どもだろうが大人だろうが誰もが机の引き出しやカバンやどこかにシャボン玉のおもちゃを忍ばせておいて、いつどこともなくシャボン玉を吹く。学校だろうがオフィスだろうがいつもどこかでシャボン玉が漂っているなんてちょっと素敵なじゃない。ふっと気持ちが和んで、邪魔だと思う人なんでいないと思うけど。あたしが流行らせようかしら」と一笑。




Yさんにさよならを告げ自分の仕事場へと戻りながら、ちょっと迷った挙句に近所の文房具屋に立ち寄り、結局シャボン玉を買い求めることに。さすがにそれだけ買うのは何とも恥ずかしく、必要のないノートやペンも一緒にレジに差し出したのでした。

 カウンセリングルームのバルコニーに出て早速、夕暮れの梅雨空にシャボン玉を飛ばしてみました。

や、これはイケる(何がイケるのだか正直よくわからないのですが)。本当になんだか心が和む。ゆらゆら飛んでいく大小さまざまなシャボン玉をみつめているだけで。そしてまた吹く。



 シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ

 屋根まで飛んで こわれて消えた

 風 風 吹くな シャボン玉飛ばそ

  (作詞:野口雨情作詞 作曲:中山晋平)



いつも誰かがどこかでシャボン玉を吹かせている。

つらいこと、悲しいこと、喜びや願いもシャボン玉にのせて

自分のために、ときにはまわりの人のために

それで何が変わるのではないとしても、ただ優しく見送るだけ


私も仕事場にいつもそれを忍ばせることに。

なにやら人生いつも教わることばかりです。



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by yellow-red-blue | 2018-06-10 10:57 | Trackback | Comments(0)

とても気になること ~ 小満の頃’18


“矛盾をはらんでいない文学はありえない、と言うのがわたしの信念だ。矛盾があるということは、文学はそれ自体が無意味なるものだということだ。作品が無意味なら、その作家の人生を知ることになんの意味がある?それだけじゃない。たいていの作家の人生は、ふつうの人間の人生と似たようなものだ。自分の欠陥や欠点を文章で補おうとしてむやみにあがく、その点が違うだけだろう。そんな人生、誰が見ても面白いわけがない” (デボラー・クロンビー『警視の死角』、西田佳子訳、講談社)

 

 なるほど文学や作家についてこのような見方もあるのかと一瞬ドキリとしつつ、しょせん文学作品は、その作者が自分の人生や人間性の欠陥を言葉でとりつくろうとした結果の矛盾に満ちた無意味な個人的たわごとに過ぎない、と言われると、でもやっぱりそうではないだろうと抵抗を感じてしまいます。

 言葉の持つ真の意味や重みをさまざま創造的に表現することによって、定量的な分析や統計的な数字データに基づく科学的検証では把握し難い人の心の深層の理解が、一層深くリアルな実感を伴って私たちに迫ることだってあるからです。



 私が「自殺」という言葉を本当の意味で理解したのは、医学専門図書を学んだからでも学校教育で教わったからでも、また保健行政機関が発行する啓発パンフレットで知ったからでもなく、随分と昔、文学作品中のある一節を読んだからでした。


“死んだつもりで生きていこうと決心した私の心は、時々外界の刺激で躍り上がりました。しかし私がどの方面かへ切って出ようと思い立つや否や、恐ろしい力がどこからか出て来て、私の心をぐいと握り締めて少しも動けないようにするのです。そしてその力が私にお前は何をする資格もない男だと押さえ付けるように云って聞かせます。すると私はその一言ですぐぐたりと萎れてしまいます。しばらくしてまた立ち上がろうとすると、また締め付けられます。私は歯を食いしばって、何で他の邪魔をするのかと怒鳴りつけます。不可思議な力は冷ややかな声で笑います。自分でよく知っている癖にと云います。私はまたぐたりとなります。

 波瀾も曲折もない単調な生活を続けてきた私の内面には、常にこうした苦しい戦争があったものと思ってください。(中略)

 私がこの牢屋の中にじっとしている事がどうしてもできなくなった時、必竟(ひっきょう)私にとって一番楽な努力で遂行できるものは自殺よりほかにないと私は感じるようになったのです。あなたはなぜと云って目を瞠る(みは)かもしれませんが、いつも私の心を握り締めにくるその不可思議な恐ろしい力は、私の活動をあらゆる方面で食い留めながら、死の道だけを自由に私のために開けておくのです。動かずにいればともかくも、少しでも動く以上は、その道を歩いて進まなければ私には進みようがなくなったのです。”   (夏目漱石「こころ」筑摩書房)


そこで私が理解したことは、自ら命を絶ってしまわれる方にいわゆる「(自殺)願望」などないということです。つらい、死にたいと思って自殺を選択するという「願望」なのではなく、それ自体がうつ病など精神疾患の症状であるということでした。いかんともしがたい症状の一つに過ぎず、結果として彼らはいやおうなく追い込まれるのです。インフルエンザにかかってしまったら高熱発症をとめることなど不可能であると同じように、それはただ起こることなのです。そこにもはや意思や体質、性格の入る余地はほとんどありません。精神医学や臨床心理学では、「希死念慮」といいますが、これはけっして「自殺願望」という言葉をマイルドなオブラートで包んだ言いまわしなのではなく、「自殺願望」という言葉が誤解を生むからなのです。

 ですから大切なのは、その希死念慮を本人や周囲がタブー視するのではなく、むしろ病気であれば無理からぬ症状として受け入れられるよう配慮することです。本人は生きていたくない、周りに迷惑をかけて自分などいないほうがいいのではないかと内心感じながら、そうしたことを人に言えず苦悩しているものです。「生きていることがつらいと思うことはありませんか」「でも、死にたいと思う気持ちはこの病気の症状として誰しもに起きることで、無理もないことをぜひ知っておいてください」「ですからあなた自身が本当に自殺したいわけではないのです」「治療していけば症状はなくなり必ず楽になりますから、一緒に頑張っていきましょうね」こうしたやり取りが本人の心の安堵に役立つことも知っておく必要があります。

うつ病の患者さんには、とかく「励まさない」「自殺のきっかけになるような話題は触れない」などと言われますが、症状経過を気づかいながら、正しい知識と気持ちに寄り添うような励ましはとても大切なのです。ところが...



「命を粗末にしてはいけない」「命の尊さを知って」「心の教育が大切」 

悲劇が起こるたびに、とりわけまだ若い児童青少年の痛ましい死の際に繰り返されるこうした主張。言葉の意図を重々承知しつつも、所詮生きている側の自己満足としか思えないなんと虚しい言葉であることかともときに思ってしまいます。訴える相手も言葉も違うのではないかと。これらは必要な励ましでも知識でもありません。むしろそういう言動の空気が彼らを精神的に追い詰めるのです。なにかいかにも死を選択せざるを得なかった人たち(そしてその何十倍もの数にのぼる未遂の人たちを含め)が、命を軽視してきたかのような物の言い方なり風潮が依然として根強いのには、強い抵抗を感じます。生きている側の人間、生きるに不都合を感じていない人からすれば、理性ではわかっていても共感することは難しいことかもしれません。「私たちだって思い悩みながらも精一杯生きている」「命を絶つ勇気をなぜ生きることに使わないのか?」

 

彼らだって死にたくはなかったのです。生きていたかったのです。命を大切に思い、死ぬことがどんなことか彼らほど痛切に感じていた人もまたいないのです。そして彼らほどその恐怖と闘った人もまたいないのです。それでも自死せざるを得なかった。そこまで追いつめられる人が何故かくも多いのかについて、私たち側がまず深く省みなければなりません。医療やメンタルケアの支援の充実は何よりですが、私たちが変わらなければ、それらの効果は限られたものとなってしまうからです。

私たちが命を大切に思うこころは、ただ命を自ら断つことはしない、できないという生物的防衛本能と、私たちがそれを「生きる中」で日々数えきれないほどの社会経験や情緒体験、学習を経て、血肉となって徐々に習得されてきたそれぞれの「感覚」であって、知識や理屈で教え込まれる類のものでもありません。生きる中に根ざさない、単なる上からの命と人権の教育が、一線を越えてしまうことを防ぐ効果的なストッパーになる保証はありません。「生きる中」のその中身が他を優先してきたがために貧相なものになってしまっている社会の現状こそ見つめ直さなければならないと思うのです。



参考ブログ記事(遠い夜明け

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by yellow-red-blue | 2018-05-21 13:48 | Trackback | Comments(0)

刺激ある人生、けれども... ~ 立夏の頃’18


ゴールデンウィークの後は、全国的に雨模様の肌寒い陽気へと逆戻りの予報が出されているようです。それでも、花粉や黄砂が舞いまだまだ冷たい春風に上着やコートが欠かせなかった(私にとって)つらい季節もようやく終わりを告げ、早朝から窓を開け放ち、爽やかでみずみずしい大気を思い切り室内に招き入れ、初夏の心地良さを日々味わえるようになったのは嬉しい限りです。

元気よくあちこち飛び交う小さなツバメの姿や、早朝の静かな空気によく響く野鳥の一風変わったさえずり、新緑を優しくなでるように流れるそよ風と柔らかな木洩れ日、お目当ての草花を求めてあたりをひらひらと舞う蝶の姿。初夏にふさわしいあたりの情景にふと気づかされると、せっかくのゴールデンウィークだからとレジャーに特別足を伸ばさずとも、なんだかもうそれだけで満ち足りた気分になってしまいます。


かくも安上がりにできている私ですが、ところで、人には外界からの刺激や社会環境に対する感受性の程度にかなりの個人差があることがわかっています。そしてこのことが私たちそれぞれの性格形成にも少なからず影響を与えています。

その感受性の程度の個人差をもう少しわかりやすい別の言葉で言い換えると、「刺激欲求」の個人差と言ってもいいでしょうか。刺激欲求とは、多様で新奇、刺激的な物事の経験や感覚を欲し、身体的、社会的、法的、経済的冒険を志向する傾向にあることを意味します。ごく大雑把に言って、刺激欲求の強い人は外向的な性格傾向を持つ人、逆に刺激欲求の強くない人は内向的な性格傾向の人に近いと言われています(心理学では、人格やパーソナリティ、性格、気質など、人の性質を表す言葉をそれぞれにある程度定義されて使いますが、ここではより一般的、通俗的な使い方としてそれらをあまり区別することなく使っています)

この「刺激欲求」については、たとえば最近の研究から身体の神経システムにおける「最適覚醒水準」との関連性も示唆されています。つまりたとえば、刺激欲求の強い外向的な性格傾向を持つ人は身体の神経システムが興奮しにくく、強い刺激でないと当人が快適満足できる水準に達しない一方、内向的な人は、外向的な人が要求する水準の刺激では、神経システムが興奮しすぎ不快な覚醒の水準に至ってしまうというものです。

こうした神経システムにおける体質的な個人差と心理学的な性格の理論の関連性はまだはっきりとはわかっていませんが、私たちが外界刺激に対してそれこそ三者三様の感受性を持っていることは確かなようです。その一方で私たちはまた、自身を取り巻く複雑で多様な人間関係をはじめとする社会環境情報の処理をまずまず的確に行い、適応することを日々求められます。そうした社会的要求と自らの個性との間のバランスというか、さじ加減が実に難しく悩ましい時代に私たちは生きています。結果そのはざまで、精神的困難や変調に苦しむ多くの人々が存在しているのです。


“外界への関心と依存が高く、積極的に外に向けて行動する傾向で、社交的でポジティブな思考を持ち、物質的価値観や上昇志向が強く、興奮することや刺激を求めるエネルギッシュな特性で、自己表現が得意なある意味自信家でもあり...”

これがいわゆる外向的性格特性です。これだけを見れば、なるほど今の社会において、特に職業生活上の適性としては、まことに望ましいというか喜ばしい性格傾向といえるかもしれませんね。

けれども、私たちの性格や人格は、代表的な際立った1つの要素だけで説明なり決定されているわけではありません。内向性をはじめその他重要な様々な性格的要素がミックスされそれぞれに唯一無二の個性をかたちづくっています。それらは等しく価値があり、上手にバランスされているのが本来好ましい人間像と言えるべきなのですが、今の社会を見ていて、またカウンセリング現場で感じるのは、国の施策や企業活動が暗に求めている人物像が結局のところ、いわゆる刺激欲求の強い外向性に傾いた人に集約されているようにも思えてくることです。

また、私たちの性格は決して固定されているものではありません。持って生まれた気性のようなものはあるとは言いながら、それぞれの人生の過程で(特に若い世代においては)絶えず変容・成長するものであり、状況に適応する力もあります。ところが本来予想だにできない複雑で豊かな存在であるはずの生身の私たち人間の個性が、昨今話題のビッグデータやAIによる評価システムやプロファイリングによるデータ数値化された固定的人間像に取って代わり、そうした属性に基づいた個人の選別化、セグメント化が様々な分野局面において今後急速に進むことが予想されることについては、なにか強烈な違和感と危惧とを感じてしまいます。歴史的にまた現在においても、欧米的諸価値観の強い影響を受けながら、経済先進国として経済成長や企業利益確保がまずもって優先され、物質的価値至上主義がある意味本音であるような資本主義体制のわが国においては、無理からぬ時代のすう勢なのかもしれません。



本来、外向的な人間として真に価値があるのは、その特性が際立っているからなのではなく、他者理解や内的洞察の深みと複雑さ、思いやりと共感力の高さといった、内向性をはじめとするその他の人格的諸要素との間に豊かなバランスが備わっている場合に限ります。にもかかわらず、ややもするとたとえば内向性は単純に「外向的でない」性格ベクトルとしてネガティブなレッテルをとかく張られがちです。それは心理学におけるパーソナリティ評価であったり、インターネットなど各メディアでさまざま取り上げられる簡易で安直ともいえる性格判断や適性診断などでもそうした傾向があるようでとても気になります。外向性にも内向性にもとても素晴らしい素質がたくさんあり、本来は価値平等的に評価されなければならないはずです。多かれ少なかれ私たちは皆こうした多くの性格特性を何らかの割合で持っており、それらの特性が著しくバランスと柔軟性、適応性を欠き、持続的に精神的な苦痛を伴う場合に限って、パーソナリティの問題として慎重に考慮すべきなのですが、それをあまりに安易に色分けしたりレッテルを貼ったりするのは誤った判断といえます。

こうした偏った性格特性の重視や社会の精神性の在りかたには、必ずもう一方、足りないものへの要請なり揺れ戻しが、たとえば精神障害や格差社会、社会的弱者やハラスメントといった深刻な社会のひずみとなって表面化していきます。すでに十分すぎるほどのSOSを発している現状があると思うのですが、それらを国としての成長と繁栄のためにはやむを得ないコストであるとして暗に切り捨て見過ごすような社会の在り方は、とても健全なものとはいいがたく、むしろ病的ですらあるのでは、とふと考えてしまいます。

 

 ちょっと大げさな話になってしまいました。カウンセリングにおいてもまた、相談に訪れる方々の悩みと対峙しながら、それを単なる個人の問題に矮小化することなく、彼らの心の叫びの背後にある社会的文化的要因や国の舵取りへの深い問題意識と批判的精神が必要であることをも日々痛感しています。

 


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by yellow-red-blue | 2018-05-06 21:59 | Trackback | Comments(0)

名前は魔法 ~ 穀雨の頃’18


先日出席したとある懇親会の会場で、荒井さんとおっしゃる方にお会いしました。苗字が私と同じなので、何やら親近感を覚え初対面ながらつい話し込んでしまったのですが、その折やっぱりこの方も私と同じく、日常のある小さな悩みを抱えていることを知ったのでした。

それはつまり、あまり正しく名前を覚えたり表記してもらえないという悩み。

これはもしからしたら難解な漢字や読み方のお名前をお持ちの方には、めずらしくないことなのかもしれませんが、荒井という比較的よくあると思われている苗字を持つ者にとってもそれなりの悩みはあるものです。

「荒井」はかなりしばしば「新井」と誤変換され、電子メールや郵便物・ハガキ、招待状や通知文などのあて名となり視覚的に私に伝えられます。もちろんたいがいはよくある変換ミスじゃないか、とさらっと済ませられるのですが、こうも頻繁に起きると正直あまり気分は良くないのです。これが知らない人や通販業者からの荷物やダイレクトメールのあて名ならまだしも、知らない間柄ではない方や重要な書類などに間違って表記されることもよくあるので少し悩ましいです。結構な知り合いからの、優しく気遣いのこもったメッセージの冒頭いきなり、「新井さんへ」などとされると、何だかその文面の誠実性まで疑ってかかりたくもなる気分にさせられてしまうことも。相手にはそんな意図がないことは百も承知ながら、「あなたにとっての私はその程度か」「またか」の一方的なひがみ根性を時として抱いてしまったりするのです。



また、電話をはさんでの氏名のやりとりなどで、「新(井)」ではなく「荒(井)」であることを相手に説明するのにもけっこう骨が折れます。

「荒井様の『あら』は新しいの『新』でよろしいでしょうか」

「いえ、そうではなくて」と伝えるやすかさず、

「あ、ではくさかんむりのほうですね。失礼いたしました」

ひと昔前なら、スムーズにこれで終わるのが普通でした。

ところが最近は「くさかんむりのほう」と言っても、その意味が分からない世代が多くなったのか、伝わらないことが多いのです。そこで、「荒川の『荒』です」「荒川区の『荒』です」などともうひと工夫凝らす必要がでてくるわけです。


しかし、そこでも大きな難関がさらに2つ立ちはだかるのです。ひとつは、「荒川」や「荒川区」は東京・関東近辺限定でなら通用するものの、他地域の人との電話口では「荒川?」と相手がわからないことも多いのです。

かくして、くさかんむりもダメ、荒川・荒川区も通じないとなると、お互い別の表現で意思の疎通を図らなければなりません。歴史上の有名人やスポーツ芸能人で広く一般的に知られている人がいればその名前を挙げればいいのですが、悲しいかなあいにくそのような「荒井」の覚えもない。そこで相手となにやらめんどうなやり取りがかわされることもあったりします。電話の向こう側の相手が引用する例えがまた傑作です。「荒ぶるの『荒』」「荒れくれ者の『荒』」「荒野の七人の『荒』」「荒っぽいの『荒』」など、聞いているこちらが思わずふきだしたりしてしまうのですが、名前の表記は意外とやっかいなものです。


そしていまひとつ立ちはだかるもっと深刻な問題が(しつこくてごめんなさい)、「『新』ではなく『荒』ですよ」問題をようやくクリアした後にやってきます。なぜか「荒」に続くのは「荒(井)」ではなく「荒(川)」であるとほぼ自動的に考える人が思いのほか多いことです。そして『「荒川」「荒川区」の荒です』と言ったが最後、以降私はいつのまにか「荒川さん」と認知され、その後荒川さん宛てのメールや郵便物が洪水のごとく押し寄せるのです、新井さんとおなじくらい。

当然のことながら直接「荒川さん」と呼びかけられることもしばしば。これが過去に1度や2度程度しか面識のない方に言われるのならまだしも、結構なお付き合いのある方からも、単なる言い間違いなのか完全に誤解しているのか判断しづらい程度に「荒川さん」を使われていると、これがなにやら今さら訂正しづらく、みずからのほろ苦い存在の軽さを味わったりします。

たとえばデータ上の氏名リスト上のような場合には、一度訂正すれば事足りるのですが、人間の認知においてはたとえ一度訂正が入ったとしてもそれがなかなか定着しないことがあるのでとてもやっかいなのです。

仕事やお付き合いの場面ではこうした間違いの連発は致命傷にもなりうるので、相手や状況によってはさりげなく訂正することもありますが、なんだかそんなことをいちいちあげつらうのも大人げないと思い諦めてしまいます。とはいいながら、なんだか基本的人間関係の入り口でまずもって誤解があるような気がして、何となく気分がすっきりしないのです。

冒頭で紹介したもう一人の荒井さんも、これら私と全く同じエピソードをお持ちで、慣れているとはいいながら、そのたびに心の中の苦笑を抑えられなかったのだそうです。



個人的な愚痴をたらたらと書いてしまいましたが、ある人と親しい関係になりたいと思う、あるいは良好な人間関係を築きたいと思ったら、その人の名前をできるだけ素早く覚え、さりげない会話の中で直接相手や相手の周囲に対して使うことは、とても大切な方策と言えます。誰でもないあなたという一人の人間に私は話しかけている、好意を持っている、信頼している、あの人は私を覚えていてくれる、自分を多少なりとも意識していてくれるなど、じつに豊かなニュアンスをこめたり、また感じることのできる名前は、私たち人間が元々持っている親和欲求を巧みに満たしてくれるいわば魔法の言葉です。状況や関係性を無視して、やたら人を親しげに名前で呼ぶのは逆効果ですが、たいがい悪い気はしないものです。人の名前を覚えることはそう簡単なことではありませんが、名前の上手な使い方を日常で少し意識すると、人間関係がより潤滑に進むことは覚えておいて損はありません。たとえば、名前は知らないのだけれど日常生活のちょっとした場面でしばしば出会い、挨拶や短い雑談を交わす程度の顔見知りの人の存在は誰にでもあるのではないでしょうか。そんなときは少し勇気がいるかもしれませんが、今度その人を見かけたらこちらから自己紹介してみる、もう少し長く話かけてみる、などはとてもいいトライかなと思います。たとえほんの少しの前進や積み重ねだったとしても、お互いの名前を知らずにいることと比べて随分と人間関係に幅が出るものです。


日本語の会話では、必ずしも主語は必要とされません。「私は」とか「~さんは」と言わなくても話は通じる場合が多いのですが、一方カウンセリングの対話場面では、できるだけ話の主体、主語をはっきりさせることを意識します。

「~さんはどう思いますか「「~さんが期待することはなんですか」「~さんがそう信じているのですね」確認と繰り返しがその思考感情や行為の主体は自分であることの意識付けになり、あらためて内省する機会をもたらすことにもなるのです。

たとえば、家庭内で暴力をふるってしまう人の中には、暴力や暴言の事実は認めることはできても、「私が~」というところは微妙に避けて表現する人がいらっしゃいます。自分が主体的に行っている行動であることから目を背けて、何かが(状況や他者)がそうさせているかのようなニュアンスを強調したり思い込んだりしてしまう。そこで「あなた自身が」ということに、優しくそして共感的に焦点を当て続けながら、さまざま対話をしていくことはとても大切なプロセスです。もちろん強引に相手に何かを認めさせるということは控えますが、あくまで主体はだれで何が目的なのかを探る、確認し続ける過程を通して、問題の背景や原因、良否の判断を導き出すのもカウンセリングの重要な役割なのです。



ところで名前について、過去に恥ずかしい失敗の思い出があります。夫婦関係の問題で相談に訪れていた女性とのカウンセリング中のことでした。長いカウンセリング期間の間にその方は結局離婚なさったのですが、離婚後もしばらく続いたあるカウンセリングの最中に、突然その方が私に訴えたのです。

「あの、すみません。先生わたしもう『鈴木』ではなく、『菊池』なんです。鈴木と呼ばれるのはちょっと...』

私は無神経にも、離婚後もそのまま婚姻時の姓で話しかけてしまっていたのです。

「ああ、申し訳ありません。配慮が足らず本当に申し訳ありません。」

見た目にも私はかなり落ち込んでいたのでしょう。

「大丈夫ですよ、先生。私もだいぶ強くなりましたから。」

今までに見たこともない明るい表情でそう話すその方が確実に立ち直りつつあることを、自分の失敗を通して気づかされたという、何ともほろ苦い思いです。

 

ちなみに、カウンセリングの場面では「先生」とよばれることが多いのですが、あくまで治療者と相談者は対等の立場での対話が基本の立場からすると、もっと気さくにお互いに名前で呼び合っても場合によってはいいのかなとも思わないではありません。お医者さんや学校教諭、政治家の方々と同じような呼び方をされるのがどうも苦手なのです。ただ、カウンセリングにおける関係は一般の人間関係とは異なり、治療という目的達成に焦点化された関係であって、相談者がその性質を親しい友人や家族関係の代わりのように過度にとらえることのないような配慮は必要です。問題解決への親密な協力関係を維持しながら、余計な感情や情緒と距離を置き、互いの立場を尊重するためには「先生」であることのほうがむしろいいのかもしれません。

でも本当は、名前で交流する方ずっと気が楽で嬉しいのです。『新井さん』や『荒川さん』ではちょっとつらいですが。


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by yellow-red-blue | 2018-04-20 21:57 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、カウンセラーとして、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。ブログのどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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