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かべ工場(こうば)~ 立秋&処暑の頃’18


 40℃に達しようかという連日の灼熱の陽気に、立秋という表現がなんだか虚しくうつろに感じられてしまいます。夏の暑さは気にはなるけれど、つい窓を開け放ったり外へ出かけたりして、時を急ぐかのように幾重にも鳴り響く蝉の音に耳を傾けるのが毎夏のささやかな楽しみでしたが、さすがに今年ばかりはそのような気持ちにもなれずに、エアコンの人工的な涼しさと送風音に引きこもりがちな日々が続いています。

ところで蝉の鳴き声もそうですが、夏は花火や風鈴の音、かき氷を削る音や盆踊りの歌声、テレビから漏れ聞こえる夏の甲子園の応援と歓声など、私たちそれぞれの記憶深くに刻み込まれ、さまざまな感情体験を思い起こさせる特別な「音」の行き交う季節といえるかもしれません。

その「音」といえば、私にも夏といえばなぜか思い出す遠い昔の音の記憶があります。


 

 横浜の戸塚は、かつては東海道の宿場町で、今でも町の中心部を旧東海道がJR東海道線と交差するように走っています。駅前再開発の波が押し寄せている昨今ですが、周辺にはまだ昔日の面影をしのばせるたたずまいもちらほらと散見されます。駅前をちょっと離れた周辺は低い山や丘陵が多く、そこを切り開き斜面や高台に沿って住宅やアパートが幾重にも立ち並び、バイパス高速道路がその間を縫うように走る緑と坂の多い町です。

 もう昭和40年代も終わるという頃、まだ幼かった私が暮らしていた父の会社社宅も、そんなゆるやかな坂道に沿って団地や住宅がずらり建ち並ぶ地域にありました。駅からだいぶ離れていたためかとても閑静な住宅地で、それでいてすぐ近くには清水湧き出る小山や水田もあり、子供にとってはたくさんの遊び場のある恵まれた環境でした。

 小学校へ入学した当初は、駅近くの小学校に通っていましたが、半年してほどなく社宅近くの山を切り開き歩いてもほんの数分という距離に新しい小学校が完成し、以来そこへ通うこととなりました。社宅のすぐ前の道路はアスファルト舗装の結構な幅の道でしたが、当時はまだ車を持っている家はとても限られていたせいもあって車の通行はまばらで、静かで安全な界隈でした。その道路は緩やかな坂道でそのまま新しい小学校の方角へ伸びており、道路向かって左側は私の住んでいたような会社社宅や独身寮などがずらり並ぶ一方、反対の道路右側はコンクリートや大谷石を積み上げた長い壁がそそり立ち、その上には快適な一軒家が立ち並び、そのまま丘陵に沿うように上へ上へと段々に住宅が並ぶ地区でした。学校とは反対方向に坂を下ればほどなくバス通りである旧鎌倉街道へと突きあたり、交差点あたりにはお肉屋さんや食品雑貨など小さなお店がいくつか固まる昔よくあったストアが1件あるだけ。それ以外周辺にさしたる施設もなく戸塚の中心街はそのずっと先で、私の住んでいた社宅周辺はいたって静かな郊外住宅地でした。

 そんな住宅地にどうしたわけかその小さな工場(こうば)はただ1軒ぽつんとありました。1軒ぽつんとという言い方はちょっと違っていて、その工場は、社宅前の道路をはさんですぐ反対側の、上には住宅が立ち並ぶ、灰色のコンクリートで塗り固められたごつごつとした高い石壁の中に埋め込まれるようにしてあったのでした。すりガラスの入った一間分の木製の引き戸と工場の名前が書かれた小さな木製看板があるだけ。一見すると物置小屋の扉のようだし、知らない人だったらそのまま通りすぎてしまいそうなほど、壁に溶け込んでいるほんの小さなまち工場。そんな工場が小さかった私のお気に入りの場所でした。まだ小学校低学年だった私は、夏休みともなればそれこそ一日の大半を社宅内の庭や公園、近くの山野などいくつかお決まりの遊び場で友達と一緒に過ごしていたものでしたが、かべ工場はそんな遊び場のひとつでした。暑い昼下がり時の蝉の鳴き声以外はひっそりとした中、その工場の引き戸の奥からはいつも規則正しいガチャンガチャンという独特の機械音が心地よく響いていました。

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 古い引き戸を少しだけガラッと開け首だけをのぞかせる。いきなり増幅された機械音が耳に飛び込んでくる。と同時に、機械油と錆びた金属を削ったような独特の匂いが私たちの鼻をつく。いつも一番手前に座り汚れた作業着を着た、無精ひげを生やした色黒のおじさんが一瞬手を休めてこちらを向き、白い歯をのぞかせニヤッと笑いながらうなずく。私たちもニヤッとうなずく。お互いなぜだか無言。音がうるさいため声など聞こえないとお互いわかっているからだったかもしれません。そして素早くみな中へ入り戸を閉める。

中はかなり薄暗く作業場全体が銅褐色一色に包まれ、天井も低くエアコンもなくとても蒸し暑い環境でした。大抵2~3人の大人が作業をしていて工場はほぼそれで満杯という狭さ。丈夫そうな古い木製の机の上に機械や部品やらが雑然と置かれ、おじさんたちは手元だけ眩しくライトを照らしながら機械を操作し、プラスチックを加工した成形部品のようなものを次々と作っていく、そんな本当に小さな下請けのそのまた下請けのような工場。

私たち子どもは体を摺り寄せるようにして立ち、おじさん達の仕事ぶりを後ろからしばらく見学します。見飽きるとまたニヤッと顔をお互い見合わせ、私たちはさよならして無言で出ていく。ほんのひと時何か別世界に紛れ込んだかのような秘密の社会科見学。


「ほら、これ」たまにおじさんが帰りがけに作っているプラスチックの部品をくれたりする。琥珀色のちょっと分厚いプラスチック部品。何なのかわからないけれどなんとなく内緒のおみやげみたいで嬉しかったのです。

 外へ漏れる機械音はごく控えめでしたが、朝早くから一日中、学校の登下校時もそばを通るといつもその機械の音がしていました。おじさんたちが工場へ入ったり帰るところを見たことは一度ありません。いつ来ていつ帰るのかしら?お昼はどうするんだろ?あそこトイレはあったっけ?ひょっとしてあそこに住んでいるのかな?でも奥にドア何かなさそうだし。いろいろと疑問を持ちつつも一度も尋ねたことはなく、知らないほうがなんだか謎めいて自分達だけの秘密の場所という感じがしたのでした。お互い何もしゃべらない。おじさん達は黙々と機械を操作して部品を作っていく。私たちはただそれをじっと眺めている。その繰り返し。時間はほんの10分くらい。でもそれだけでなぜかとても楽しいひと時。引き戸をぴしゃんと閉め、再び陽光を浴びながら深呼吸、楽しい映画を観終わって映画館から出てきたような満足感をいっとき覚えつつ、次の遊び場へと駆け出していったものでした。


 当時は、工場のおじさん達に限らず、私たち子どもたちの周りには日常身近なところにいつも働くおじさんやおばさんがいました。野菜売りのトラックに豆腐屋さん、チリ紙交換屋さんに郵便屋さん、そして酒屋さんに交番のおまわりさん。彼らが毎日のようにやってきては仕事をこなす間、短時間ながら私たちの話し相手になることで、大人の世界をほんのちょっぴり垣間見せてくれたものです。それは私たち子どもにとっては学校では学ぶことのできないとても貴重でワクワクするような経験だったのです。



私はしばしば一人でも時には下校途中ランドセルを背負ったままで工場へ遊びに行きました。工場へ遊びに行っていることは母には内緒にしていました。最初工場のことを話した時、危ないからと叱られたからでしたが、もっと嫌だったのは、工場の話が出るたび工場のすぐ真上の立派な家に住む家族の話を何度となく聞かされていたからでした。一流高校に合格した長兄を始め勤勉で秀才ぞろいの子ども達の話を羨ましそうに話す母を見ると、何故だか落ち着かない気分になったのでした。

タイミングの悪いことに、私は夏休みに入る直前の春学期、成績が下がり散々叱られお小遣いまで下げられる始末で、今度成績下がったら塾へ行かせるなどと凄まれ、どうしてそんなに勉強しなければならないのだろう、怖い顔して母に言われるたびになんだか暗い気持ちになったものでした。思えば、右肩上がりの経済成長が続く一億総中流社会と言われた昭和の頃は、一方で学歴・偏差値偏重社会を象徴する受験戦争や受験地獄、教育ママ、モーレツ社員などの言葉があたりまえのことのように受け入れられていた時代でした。

さらにそのころ私を憂鬱にさせていたのは、来春には社宅を引っ越すと両親から高らかに宣言されていたことでした。両親が念願の一戸建てを買ったため他県へ引っ越すことになっていたからです。いつかは社宅や借り住まいを出て一戸建て、というのが当時の家族(親)の夢であり目標でした。住み慣れ親しんだ町と友達と離れるのが絶対に嫌だった私でしたが、喜ぶ両親の表情を見て何も言えず、つい自分も楽しみに振る舞いながらも密かに悩んでいたものでした。


 

 そんな夏休みも終わったある日の朝、いつものように登校し工場の近くまで来た時のこと。工場の前に何人かの大人が立って大声でしゃべっている姿が見えました。良く見ると工場のおじさんと1人の女性が激しく口論しており、その横にもう一人中学生くらいの男の子がなにか所在なげに立っていました。見ればその女性にそっくりで、ぶ厚い黒ぶち眼鏡をかけ神経質そうな感じの子でした。

私は、そこで初めて工場のおじさんの姿を屋外で見ることになりました。思ったより背が高く、色黒でがっしりとした体格。陽の光に照らされた作業着は工場の中で見るよりもずっと汚れてくたびれて見えました。私は緊張しながら道路の反対側を通り過ぎて行きました。


「冗談じゃないわ。毎日毎日朝から夜遅くまで騒音巻き散らして。受験を控えて今が一番大事な時なのにもういい加減にしてよ、ウチの息子は半分ノイローゼなのよ」

「奥さんどうか落ち着いてください」

 落ち着かせようと冷静な口調でした。そういえばおじさんの生声をはっきりと聞いたのもはじめてでした。おじさんがなだめようとして手を伸ばそうとしました。

「すぐに機械を止めて!もう我慢の限界よ。いい加減ここから出て行って。受験に失敗したらどう責任とるつもり?早く止めなさい!」

「よくわかります、でもすぐには無理です。とにかく話し合いましょう」

「なにのんきなこと言ってるの。この子の将来がかかっているのよ!」


 朝の静かな住宅地にヒステリックな金切り声が響き渡りました。登校途中の私たち小学生は立ち止まりはしないものの、何が起きたかと喧嘩の方へと視線が釘付けでした。私にはショックでした。あれは前に母が話していた工場のすぐ上に住む家の母親と子どもに違いないと。

僕らのおじさんが困っている!責められている!どうしてそんな...言い争いをしているおじさんと母親、そしてその横の少年の姿を見たとき私の頭を直感のようなものがよぎりました。あのおばさんはまるでうちの母さんみたいだ。そしてその横の少年、きっとあれは僕なのだと。いつか将来、引っ越したら、大きくなったらああなるんだ。変わってしまうのだと。どうやっても僕はおじさんの側にいられないのだ。何か自分の秘密が明らかにされてしまうような恥ずかしさを覚え、おじさんと目を合わすことができずうつむいたままそこを通り過ぎました。やっぱり引っ越しなんかイヤだ。このままいたい、また昼下がりのあの工場へ行きたい…そう心の中で叫んでいました。

 ひょっとしたら、あの工場は上の家と何らかの関係があったのかもしれません。工場が場所を借りていたとかご主人の会社関係の工場だったとか。記憶は定かではありませんが、その後工場の前を通っても機械音のしない時がありました。朝もあまりしなくなったように思います。壁に埋め込まれそのまま上から押しつぶされそうなそんな引き戸を見るたび、おじさん達はどうしているのか、中へ入りたい衝動にかられました。でもどうしてもできませんでした。そしてその後二度とその戸をあけて中を覗くことなく、やがて私は戸塚を離れました。いつまでも何か自分がおじさんを責め立てたそんな気分がしていました。

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あれから何十年も経ちますが、そんな今でも私はごくたまにふっと懐かしさがこみあげ、戸塚へとぶらりひとり足を運ぶことがあります。戸塚駅前は大規模な再開発がおこなわれ、かつてアメ横を思わせる雑然とした賑わいを見せていた駅前の商店街は、そのほとんが姿を消していきました。駅からあんなに遠いと思っていた社宅周辺も歩いて15分くらい。あたりの閑静な雰囲気は昔とさほど変化はないものの、全てが小さく感じられそしてやはり古くなっていました。ずらっとならんでいたかつての社宅や独身寮は姿を消し、いくつかのマンションと立体駐車場へと変わっていました。社宅前の道路は意外にも狭く、今ではそこを車がひっきりなしに通ります。

今ではもう新しいマンションが建ってしまいましたが、何年か前までは私の住んでいた社宅はそのまままだありました。すでに取り壊しが決まっていたのか、入口に立ち入り禁止の黄色い看板が立てかけられていました。その奥にひっそりと立つ4階建てのコンクリート社宅はこんなにも小さかったのかと思うほど弱々しい姿でした。


驚いたことに、道路反対側の斜面に立ち並ぶ家々は、私が小さな頃とその印象と大きさにほとんど変わりはありません。今でも快適そうでした。建て替えた家もあまりなく、私がいたころのままの懐かしい住宅がそのまま残っています。何人かのクラスメートの家々もそのままです。決して豪華な邸宅ではありません。そこそこの土地に端正な住宅と庭がバランスよく配置され、入口の門の通路の先にドアが見えるそんな幸せそうな普通の家々。でももはや決して都会では見ることができなくなってしまった普通の家たち。私たちは一体あれから本当に幸せになったのかしら?ふと考え込んでしまいます。

そして高台の住宅の下、かベ工場の跡は今も残っています。入口の引き戸だった場所には、物置小屋か車のガレージのような使われ方をしているかのような小さなシャッターが下ろされているだけ。そこではかつて、朝から晩までガチャンガチャンと音をたてて、数人の職人が働くだけのちいさな町工場があったことをうかがい知る形跡はありません。覚えている人ももうあまり残っていないでしょう。


 

私はそこを訪れるたびに、いつの日かここを訪れることもなくなるときが来るのだろうか、それともやっぱりまたふらっと来てしまうのか、などとぼんやりと考えてきました。そこで暮らした日々は、私の人生で一番素敵な時代だったのかもしれません。悩みや不安はそれなりにあるものの、皆に愛され、将来に限りない夢と希望を抱く、好奇心あふれる単純で幼い日々だったからでしょう。  

 人には皆帰るべき場所や日々があるといいます。自分の原点、人格形成に深く影響を与えた日々や想い出や出来事、そうしたものは私たちが生き、成長する上で愛すべき大切なものなのかもしれません。しかし、それらは所詮もはや帰らざる日々なのだと痛感することもまた人生なのでしょう。過去の延長線上に今の自分があるとは限らない。また、今現在の自分がこれから1020年後の未来の自分へと続いているかどうかは実は定かではない。あの頃の私は今の私とは全く違う自分。今は今、明日は明日。過去は事実であっても今の自分にとっては必ずしも真実でなく、私たちの明日はどのようにも変化し、今ある自分が明日の自分であると断言はできないとするなら

 だから人生とは、ただ前に進むこと、そのものなのでしょう。 

 そしていつもそれができるのなら、私たちはどんなに幸せでしょう。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

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by yellow-red-blue | 2018-08-07 14:31 | Trackback | Comments(0)

カウンセリングとはなんですか? ~ 大暑の頃’18



『人間の発達過程において認知的、情動的、行動的機能に影響を及ぼし得る遺伝と環境の相互作用の多様性は、事実上、無限の広がりを見せている。』

 (「DSM-5精神疾患の診断・統計マニュアル」米国精神医学会編、染矢俊幸 他訳、医学書院、2014年)

私たちは長い人生を生きていく中、日常生活のさまざまな場面でストレスを感じる出来事や問題に直面し、悩みや不安を抱えます。そうした状況に継続的あるいは常態的に置かれれば、さまざまなストレス症状や病気を発症することもあります。うつ病などに代表される精神疾患は、今やがん、脳卒中、急性心筋梗塞、糖尿病とともに、国民に広く関わる疾患として、国として重点的に対策が必要とされる5大疾病のひとつにまでかぞえられるようになりました。
複雑多様化し、変化のスピードが激しい今日の社会では、過去の経験や学習は十分生かされないまますぐ過去のものとなり、私たちは、新たな環境や状況への適応と自己のアイデンティティの見直しを絶えず迫られるようになりつつあります。かつて不安定な個人を支えてきたはずの家族血縁や地域社会などの絆の力が急速に衰える中、そうした社会支配的な流れに心理的な抵抗や不安を抱えながら生きる人びとが世代を超えて増えているのが実情といえます。ストレス社会と言われる今の世の中では、むしろ何のストレスも抱えずに生きている人の方が少ないのかもしれません。

症状の重い精神疾患から、学校・友人関係、親子・夫婦関係などの家庭問題、結婚や離婚、職場や仕事、病気や経済的問題といった、日常生活の中で起こりがちな困難から来るストレス性のメンタルの不調まで、症状の程度の差こそあれ精神的に苦痛を感じ生きている人は少なくないでしょう。またストレスは誰にでもあることだとして、つい私は大丈夫だ、あいつも大丈夫だろう、あるいは気にはなるが相談しづらい、などと判断を誤ってストレスフルな状態を放置すれば、より症状が深刻化し日常生活にもさまざまな影響が出てしまうリスクにも直面します。

そのような精神的困難の問題解決の一役を担うのが、カウンセラーでありカウンセリング(精神療法、心理療法、セラピーなど、治療対象や使う立場、療法などで呼び名・定義はそれぞれですが、ここではカウンセリングという言葉を主として使うことにします。)と呼ばれるものなのですが、ではそもそもカウンセリングはどのようなものなのでしょう。なぜそれが必要だと言われているのでしょう。あらためてカウンセリングについて少し考えてみたいと思います。




私たちが何らかの体調不良や身体的に異常を覚えたら、まず内科や外科などお医者さんへ行きます。専門の医師などから問診や検査を受け、なんらかの診断病名を伝えられ必要な治療を受けます。その治療方法といえば、病気によっては入院手術ということもあるでしょうが、私たちの多くが経験上知る治療の主体は、処方された薬を服用したり注射をされたりするいわゆる「薬物療法」であることはお分かりと思います。

これは、精神的な不調や異常を訴える場合も基本的には同じです。(一般の医療機関に比べてまだまだ受診にためらいはあるとはいえ)精神科や心療内科などの専門機関を受診し検査診断を受ければ、その治療の基本となるのもやはり薬物療法です。

一般の病気が、何らかの臓器など身体器官の異常を原因とするものであると同じように、精神的異常ないし不調もまた「脳」という臓器の何らかの異常である、という生物学的精神医学の立場に基づいたこの薬物療法の有効性は高く、多くの精神疾患などには欠かせない治療法です。

けれどもそのいっぽうで、薬物による治療だけでは疾患の治療や精神的問題が解決しないのもまた事実です。心の働きが脳という臓器によって実行されるもので、薬物療法がその症状をコントロールするうえで大きな力を発揮するのは事実なのですが、私たちの心の悩みや葛藤そのものについては薬だけで必ずしも解消されるものではなく、生物医学的な立場だけでは語れないむずかしさを含んでいます。




そのむずかしさには二つあります。ひとつには、問題の起きている現場がいわば「身体」ではなく目に見えない「心」であるということ、そこがむずかしいところです。つまり、私たち人間の心の中で起きている人それぞれの「主観的な」体験や思考、感情を扱う必要があることから、一般の内科や外科で扱うような目に見える病気の治療とは違ったアプローチなり方法が必要なのです。

むずかしさの二つめは、精神的問題はさまざまな要因の複雑な相互作用によって起きるということです。先天的要因、幼児期の生活体験や、成長過程での学習や体験とその結果形成されたパーソナリティ、社会環境や養育環境、さまざまなライフ・イベントで直面するストレス状況など各種の要因がさまざまな割合で関与し、冒頭にも引用したように症状も含めそのバリエーションはまさに無限です。そうしたことについて心理的な視点も考慮に入れなければ、問題を理解することがむずかしかったり、薬物による治療効果が十分に発揮されないこともあり得ます。精神的な問題は、生物学的な治療法に100パーセント還元することのできない微妙で複雑な問題を含んでおり、そこに対処するのが「薬物」療法に対する「精神」療法、つまりカウンセリングです。カウンセリングは薬物療法と並んで精神的問題を治癒するため不可欠の柱であり、このふたつは車の両輪といえるようなものです。重い症状の人には薬物療法が、軽症の症状がカウンセリングである、などと一概に言うことはできません。精神的問題への対処はあらゆる点であくまで柔軟かつ慎重な姿勢が求められます。「精神科を受診したり精神病の薬を飲むのは嫌だから、代わりにカウンセリングで治せないか」などと誤った認識を持っている人もいますので、誤解のないよう丁寧な説明や正しい知識の伝達が大切です。




カウンセリングとは、心理的なコミュニケーション・対話を通じて相手の気持ちを支え楽にし、抱える問題や症状を治癒へと導く総称であり、数多くの技法や療法も存在し、すそ野の広い概念といえます。カウンセラーと呼ばれる職業の人々だけでなく、医療現場の医師やその他の医療従事者、社会の現場でさまざまな立場の人が行う教育や生活相談、生活指導なども心の治療といえます。たとえば信頼のおけるお医者さんから、丁寧でわかりやすい病状や治療方針についての説明を受け、「それはつらかったですね。でも必ず治りますからいっしょに頑張りましょうね」「まずは休養を十分とりましょう」などと優しく接してもらえれば、患者さんも不安な気持ちが和らぎ治療に前向きにもなれます。これも広義な意味での精神療法、カウンセリングといえます。単に専門のカウンセリング・ルームでカウンセラーと一対一で向かい合うことだけを意味するものでもありません。

そのカウンセリングが私たちの精神にさまざまな効果をもたらすことができる理由は、私たち人間が、親密なコミュニケーション関係を構築することによってきびしい環境を生き延び、進化してきた動物であり、そしてその長い間に培われてきた心を通わせるための経験と知恵がカウンセリングのルーツであるからだといえます。カウンセリングとは、そうした私たち人間に脈々と受け継がれてきた優れたポテンシャルを精神医学あるいは臨床心理学的な知見や技術に基づいて解釈し直し、より一層困難な問題解決に特化し洗練させたコミュニケーション技法といえます。相談者や患者がストレスや症状という「姿」を借りることなしに、その背後にある自分のもっと深いところの気持ちに気づいたり言葉で表現できるようさまざまお手伝いすること。そこがカウンセリングが単なる「お悩み相談」でないゆえんです。




ただし、カウンセリングはそうした学術的・科学的根拠などに基づくものではありながら、あくまで相談者やクライアントのためにあるものであり、わかりにくいプロセスであってはならないと思っています。カウンセリングの実践では、単に学んだ知識や技術の適用では解決できない予想外に困難な事態の連続です。今日の複雑な社会状況において私たちの抱える心理的ニーズは多様で、したがってよりきめ細やかで柔軟な対応が求められます。一見すると精神的分野とは異なる日常のさまざまな相談事がカウンセリングに持ち込まれることも珍しくありません。そうしたことにも丹念に耳を傾け相談者に安心を提供することもカウンセラーの大切な責務です。

 相談者の質問につい専門的知識や抽象的な表現に逃げてしまったり、心の問題は複雑であるからとして長期にわたるカウンセリングを安易に選択すべきではありませ。また、心という目に見えないものを扱うことで、相談者がカウンセリングやカウンセラーに何か非日常的、万能的な力の源泉を期待させるような言動の誘導も慎まなければなりません。

相談者が自分の状態やカウンセリングに関して、率直な疑問を口にしたり、納得のいく説明を求めたりすることのできる環境と信頼関係づくりに常に開かれているかどうかが、私たちカウンセラーに最も問われることだと思っています。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

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by yellow-red-blue | 2018-07-26 00:09 | Trackback | Comments(0)

「恐れる」私たち、「頑張る」私たち ~ 小暑の頃’18


活発な前線の影響がもたらす西日本を中心とする数十年に一度といわれる集中豪雨による甚大な被害は、すでに100名を超える死者行方不明者を数え、これを書いているちょうど七夕の日でもその数字は増える一方です。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、いまだ救出を待っている多くの方々に一刻も早い救いの手が差し伸べられ、また多くの避難されている方々に少しでも早く必要とされる救援物資が届けられ、もとの日常が戻るのをただ願うばかりです。


今回のような私たちの想定をはるかに超える自然災害の被害は、近年世界各地で起きています。それは温暖かつ安定した気候帯にあり、高度な土木・治水技術水準を備えた日本や欧米のような地域においてもまた例外ではありません。とりわけ、安全と安心がいわば当たり前のような国に住む私たちのような人間にとっては、こうした人智を超える圧倒的な自然の猛威に曝され予想を超える犠牲者が出ると、それに対するショックは逆に相当なものです。自然災害は避けられない現象であるにしても、少なくとも災害対策が進み防災意識もそれなりに高い国では、それはあくまで「対処可能な」現象で、滅多なことでは犠牲者など出ないし出さないことが当たり前のこととして受け止められてきたからでしょう。いつしか私たちは自然の脅威に対して、すでにおおむね「克服している」との過信と錯覚があるのかもしれません。

こうした異常気象が、温室効果ガスを原因とする地球温暖化にあるとされているのはよく知られています。しかし考えてみれば、原因が人為的なものであるにせよないにせよ、地球の歴史とはある意味大規模で不規則な気候変動の連続であり、それが同時に様々な生命の種の勃興と進化をもたらしてきたのです。ヒトもまた何度となくそうした試練を乗り越え、そして今の私たちがあるのですが、その乗り越えてきた試練とはすなわち、そこに至るまでのおびただしい数の命の犠牲にほかならなかったことを、今度の災害を目の当たりにしてあらためて痛感します。


ひょっとすると、日本列島というこの海に囲まれた小さな島国に生きてきた日本人は、とりわけこうした自然の猛威に人一倍神経質な民族だったといえるかもしれません。

日本列島は、本来稲作に適さない風土、気候だったと言われています。稲作の発祥は、日本よりずっと南の緯度に位置する中国南部の揚子江沿岸で、つまりより温かい地域に適した作物でした。稲作がその後中国大陸を徐々に北上し伝播されたとする縄文後期~弥生初期は、日本は今よりずっと寒冷な気候であったため、日本列島は稲作を中心とする定住農耕という生き方が馴染むには、かなりの困難が伴う風土であったのでしょう。今回の集中豪雨の被害のように、わずか数時間前までは何の異常もなかったのに、気が付けばあっという間に洪水の波にあたりすべてが押し流され身動きも取れなかった、という事態は、おそらくかつてはもっと日常的にあったはずです。そして私たちの暮らす今の社会と決定的に違うのは、ひとたびそうした事態が起これば、それはほとんど例外なく生命の危機を意味していたということです。立ちはだかる圧倒的な自然の脅威への恐怖は尋常ではなく、私たちの祖先は過去のほとんどの時代を、犠牲と恐怖、無力感とに打ちひしがれてきたのかもしれません。

日本の八百万(やおよろず)の神の信仰とは、いってみればそれほど数えきれない数々の自然の脅威にさらされてきたことの裏返しでもあります。そこから逃れることはできないことを悟った私たちの祖先の叡智であり、生き残っていくための救いの指針だったのでしょう。無力な人間がなんとか生き抜いていくために自然とどう「折り合い」を付けていくのか、自然を恐れ、明日への不安と隣り合わせの毎日に生きながら、同時に生きる恵みをもたらす生命の根源を神々として感謝し敬うことが、唯一の希望と拠り所であったに違いありません。

自然とともに生きるとはそういうことなのでしょう。自然と対峙し、それを探求し、科学し克服するという西欧的な考え方とはそもそも異なる自然観・宗教観が私たち日本人には備わっていると言われるのもうなずける話しです。

こうして、常に周囲と自然に敏感に気を配りながら生活をし、その脅威とどう折り合っていくかが生きる目的そのものですらあったかもしれない私たちの祖先達の深層心理には、精神的バックボーンとしての「恐れる」ことが深くに刻み込まれていったように思えます。そしてまた、社会的動物である人間にとってやがてその「恐れる」とは、自然との関係のみならず社会に共に暮らす人間同士の関係においてもまた必須の精神となり、今に受け継がれてきたと言えます。集団生活の中で生きていくしかなかった私たちの祖先達にとって、仲間外れにされることほどの「恐れ」はなかったからです。



その「恐れる」と並んで私たち日本人の持ついま一つの深層心理、それは「頑張る」ではなかったかと思っています。理由は「恐れる」とほとんど同じものです。つまり日本人の生きてきた小さな島々は、人が頑張らなければ生きるに困難な場所で、そしてこれからもずっとそうであり続けるということです。

 とても小さなわが島国は、そのほとんどが人の住むことの困難な山間部です。人が住めるのはほんの3割あるかないかです。そこに数多くの人間がひしめき合い暮らさなければなりません。地震や火山、大雪や頻繁にやってくる台風、ひっきりなしにやってくる自然災害・天災のオンパレードに加え、資源のほとんどない日本列島に生きてきた日本人にとって、残された資源・財産は人間、つまり頼れるのは人だけでした。懸命に「頑張る」ことそのものが唯一の資源・財産であったのです。「頑張る」は実に便利な言葉であり、私たち日本人はそこに多様な意味・思いを含ませ使ってきましたが、それこそが「頑張る」がまさに私たち日本人を支えてきた精神的支柱の証と言えるかもしれません。何もなく生きるに厳しい土地、だから人が頑張らなければならない、他者あっての自分。自然や人について「恐れ」「頑張」ることで何とか生き延びてきたのが私たち日本人なのかもしれません。


そうした私たち深くにある「恐れる」と「頑張る」がどのような形で現われるのか、人それぞれ、また時代の要請でもまたそれぞれでしょう。しかしそれらはことによると、ときに人をたやすく疲弊に追い込む心理かもしれません。

「頑張る」と「恐れる」の折り合いこそが今の日本人に必要なことなのでは、とも思います。なんとなく今の社会は、「頑張る」だけがその先に必ず進歩や豊かさであるとして、突出して優先・称賛される社会に思えるのです。豊かさや便利さ、進歩とは実際のところ何なのかをいったん考え直し、ときにあらため方向転換をし、どこで「恐れる」こととと折り合うのかを一人ひとりが考える。それらをすることなしにつき進めば、後日必ず同じくらい大きな災いが身に降りかかることとなるか、あるいはまた、すでにそうした犠牲がさまざま起きているのに見てみぬふりをすることになる。それは自然だけでなく人間の社会生活においてもまた同じだと思うのです。


昭和の有名な流行歌で水前寺清子さんの唄う「365歩のマーチ」の歌詞の中に、『三歩進んで二歩下がる』とあります。苦労もあるし失敗もある、だけれどもひたすらみんな頑張って前へ進もうよ。幸せはお金で買えると信じ、物質的豊かさと経済成長に向かってひたすら前進していった、昭和高度成長期の時代のムードそのままのような唄ですが、三歩進みながらほんとうに二歩「下がる」のであればある意味大変結構なことです。しかし実のところ、三歩進んで「二歩切り捨て」きたのが日本ではなかったかと、ふと思ってしまうのです。決して後戻りせず待たずに、三歩進むだけ進み、あとのことは後回しにする。そしてその負の遺産を押し付けられてきたのが、責任を取るべき者ではない他の誰か、将来の誰かであり続けるとするなら、よほど私たちは今の時代状況を憂慮すべきであると思うのです。



私たち一人ひとりは、いつの時代も「恐れる」と「頑張る」の両極のどこかに絶えず揺れ動きながら生きる存在です。人生を通してアクセルとブレーキを上手に使い分けることは予想以上に難しいことかもしれません。ひたすらアクセルを踏み続けようとする人、せっかく青信号なのにブレーキペダルから足を話せない人、アクセルとブレーキの両方を踏んでいることに気づかず、なぜ自分はうまくいかないのか悩む人。「頑張る」は過信と自他への配慮と思いやりの欠如をはらみ、「恐れる」は自尊心の低下や悲観的な思考感情と無縁ではありません。自然との共生や社会における共生とは何なのか。「頑張る」の意味を自ら問い直し、「恐れる」ことに無条件に配慮してみることが今求められているかもしれません。そして、そうした心の深層の現れとしてのさまざまな心理的課題を日々扱うのもまた、私たちカウンセラーの仕事です。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

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by yellow-red-blue | 2018-07-08 15:17 | Trackback | Comments(0)

シャボン玉飛んだ ~ 芒種&夏至の頃‘18


Yさんは古くからの知り合いで、そろそろ還暦を迎えようかという女性。いつもニコニコ、朗らかで落ち着きに満ちた物腰は、自分とはまるで正反対の「できた人」という感じで、何かと教えられることも多く、親しいながらもいつも少々気後れしてしまうような存在の方です。

 彼女の個人事務所は私の仕事場からまずまず近い距離にあることから、たまにぶらっと立ち寄らせていただくこともあるのですが、その仕事場もこれまた彼女のキャラクターにピッタリと言う感じの雰囲気。こじんまりとして落ち着いた色で統一され、無駄を省きすべてがきちっと整理整頓されている、清潔感と高級感溢れる企業の重役室さながらの、まさに大人の仕事場という感じのお部屋。これまた真逆の雰囲気をさらけ出している仕事場を持つ私にとっては、最初はいつも少し緊張感をおぼえてしまう場所です。

 先日そんなYさんとしばしの会話の後、失礼しようと席を立とうとしたとき、ふいに彼女の広いデスクの隅にぽつんと置かれていた妙なものに自然と視線の注意が向きました。ダーク調のウッディなお部屋の雰囲気には似つかわしくない、何ともカラフルで安っぽいというか子供っぽいおもちゃのような感じ。よく見ればソフトクリームの形をしたプラスティック製の小さな置物のようでした。



なんですか、それ?

「あ、ふふ、見られちゃったか」少し恥ずかしそうなYさん。

お孫さんにでももらったお土産のおもちゃかなにかみたい。

「ううん、この間近くの文房具屋さんに買い物に寄ったら、目に留まって自分で買ったのよ。これシャボン玉のおもちゃよ」

 シャボン玉、ですか?

「大人のくせして恥ずかしいわね。何だか妙に懐かしくて。昔みたいに近所の駄菓子屋さんや文房具屋さんなんてもう最近見なくなってるから。」

そういえば、むかしの近所の文房具屋さんって、小さなお店のなのに他にはない変なものをけっこう売ってたりしてましたね。駄菓子屋さんやおもちゃ屋さんを一つにした感じのような。

「そうそう、最近の大きなお店やインターネットとは違うわよね。そっちの方が安いし品数も多いし簡単に手に入るけど。ペン1本から自宅まで届けてくれるし。」

「でも近所にあって、隣近所の人が経営するお店にはやっぱり親しみやひいき感情が芽生えるでしょ。自分が生まれ育ち成長していくあいだのほんの一時期、ちょこんと脇役のようにいつも想い出の片隅にある存在のああいうお店ってなんだか特別な感じがあるものなのよ。」

成長とともに変わっていく、大きくなっていく自分に対していつも変わらぬ小さな姿で町なかにある文房具屋さんは、何ともいとおしい存在かもしれません。

「コンビニやインターネットはそれは便利な存在よ。大きなスーパーだってね。でも何かが欠けているような気がして。便利さだったりなんでも豊富に安く簡単に手に入れることだけの価値尺度では動けない自分がいることにふと考えさせられる。たぶん歳なのよね。」

 買い求めに出かけていく。見る、人と接し会話する。また出かけていく。町の中へ人の中へ。地元で味わうささやかなコミュニケ―ションが、世代を超えた良好な人間関係の絆を生んでいた時代があったのかもしれません。



それで、そのシャボン玉どうするんですか?

「もちろん、自分で吹くのよ。暇なときなんかにね。こんな感じで。」

 ソフトクリーム型のクリームの部分をひねるとスティック状のシャボン玉をふくらませる部分が出てきて、下のコーン部分のシャボン玉水につけてフッと吹く簡単なおもちゃ。Yさんは重役イスに少々のけぞりながら、そのおもちゃを吹くと、あっという間に数十個の色とりどりのきれいなシャボン玉が部屋中に飛び交います。

「ほら、結構楽しいでしょ、窓から乗り出して外へ向かって吹くとさらに楽しいのよ。とてもやっている姿を人には見せられないけどね」

そ、そうですか...

「最初は単に懐かしくて、童心に返る感じでひとりひそかにやっていたのだけれど。」

「なんだか最近は何につけ、時々シャボン玉飛ばすようになりましたよ。ストレス解消にはもってこいよ。」

 それはそうかもしれないですね。

「でもインターネットで調べてみたら、あの童謡の『シャボン玉飛んだ』ね、生まれてすぐ亡くなってしまった自分の子の魂をなぐさめる歌として作詞したという説もあるみたいよ。シャボン玉で無邪気に遊ぶ子供たちやふわふわ飛んでははかなく消えていくシャボン玉を、ほんの短い生涯だった自分の子やその命と魂に重ね合わせて作ったとかね。もしそうだったら本当は切ない歌なのかもしれないわね。」

 それは初耳でした。

「わたしの場合は、こころのモヤモヤを全部自分の中から出してシャボン玉に載せて遠くへ飛ばすように吹いていく感じかな。でも乱暴に吐き出すんじゃなくて、優しく、感謝してさよならするようにね。」

感謝してさよなら、ですか。

「だって、悩みだろうが嫌なことだろうが、言ってみれば自分の一部のようなものだから。自分の考えや気持ち、過去を七色のシャボン玉に見立てて、送り出していけば心が晴れやかになることもあるから。」

 そんなことを話すYさんがとても意外でした。

「でもごちゃごちゃ思うのは最初だけ。あとはただひたすら飛ばしてシャボン玉の行方を見送るだけよ。10分もやっているとね、気持ちが本当にスッキリするんだから。絶対お試しよ。本当に遠くまで飛んでいくのよ。」

 10分もですね...


「ね、どう?これいけるんじゃない?」

何がイケるんですか?

「現代人の心を癒す『シャボン玉セラピー』なんて、流行らせてみたら?」

 は!?

「考えてもごらんなさいよ。子どもだろうが大人だろうが誰もが机の引き出しやカバンやどこかにシャボン玉のおもちゃを忍ばせておいて、いつどこともなくシャボン玉を吹く。学校だろうがオフィスだろうがいつもどこかでシャボン玉が漂っているなんてちょっと素敵なじゃない。ふっと気持ちが和んで、邪魔だと思う人なんでいないと思うけど。あたしが流行らせようかしら」と一笑。




Yさんにさよならを告げ自分の仕事場へと戻りながら、ちょっと迷った挙句に近所の文房具屋に立ち寄り、結局シャボン玉を買い求めることに。さすがにそれだけ買うのは何とも恥ずかしく、必要のないノートやペンも一緒にレジに差し出したのでした。

 カウンセリングルームのバルコニーに出て早速、夕暮れの梅雨空にシャボン玉を飛ばしてみました。

や、これはイケる(何がイケるのだか正直よくわからないのですが)。本当になんだか心が和む。ゆらゆら飛んでいく大小さまざまなシャボン玉をみつめているだけで。そしてまた吹く。



 シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ

 屋根まで飛んで こわれて消えた

 風 風 吹くな シャボン玉飛ばそ

  (作詞:野口雨情作詞 作曲:中山晋平)



いつも誰かがどこかでシャボン玉を吹かせている。

つらいこと、悲しいこと、喜びや願いもシャボン玉にのせて

自分のために、ときにはまわりの人のために

それで何が変わるのではないとしても、ただ優しく見送るだけ


私も仕事場にいつもそれを忍ばせることに。

なにやら人生いつも教わることばかりです。



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by yellow-red-blue | 2018-06-10 10:57 | Trackback | Comments(0)

とても気になること ~ 小満の頃’18


“矛盾をはらんでいない文学はありえない、と言うのがわたしの信念だ。矛盾があるということは、文学はそれ自体が無意味なるものだということだ。作品が無意味なら、その作家の人生を知ることになんの意味がある?それだけじゃない。たいていの作家の人生は、ふつうの人間の人生と似たようなものだ。自分の欠陥や欠点を文章で補おうとしてむやみにあがく、その点が違うだけだろう。そんな人生、誰が見ても面白いわけがない” (デボラー・クロンビー『警視の死角』、西田佳子訳、講談社)

 

 なるほど文学や作家についてこのような見方もあるのかと一瞬ドキリとしつつ、しょせん文学作品は、その作者が自分の人生や人間性の欠陥を言葉でとりつくろうとした結果の矛盾に満ちた無意味な個人的たわごとに過ぎない、と言われると、でもやっぱりそうではないだろうと抵抗を感じてしまいます。

 言葉の持つ真の意味や重みをさまざま創造的に表現することによって、定量的な分析や統計的な数字データに基づく科学的検証では把握し難い人の心の深層の理解が、一層深くリアルな実感を伴って私たちに迫ることだってあるからです。



 私が「自殺」という言葉を本当の意味で理解したのは、医学専門図書を学んだからでも学校教育で教わったからでも、また保健行政機関が発行する啓発パンフレットで知ったからでもなく、随分と昔、文学作品中のある一節を読んだからでした。


“死んだつもりで生きていこうと決心した私の心は、時々外界の刺激で躍り上がりました。しかし私がどの方面かへ切って出ようと思い立つや否や、恐ろしい力がどこからか出て来て、私の心をぐいと握り締めて少しも動けないようにするのです。そしてその力が私にお前は何をする資格もない男だと押さえ付けるように云って聞かせます。すると私はその一言ですぐぐたりと萎れてしまいます。しばらくしてまた立ち上がろうとすると、また締め付けられます。私は歯を食いしばって、何で他の邪魔をするのかと怒鳴りつけます。不可思議な力は冷ややかな声で笑います。自分でよく知っている癖にと云います。私はまたぐたりとなります。

 波瀾も曲折もない単調な生活を続けてきた私の内面には、常にこうした苦しい戦争があったものと思ってください。(中略)

 私がこの牢屋の中にじっとしている事がどうしてもできなくなった時、必竟(ひっきょう)私にとって一番楽な努力で遂行できるものは自殺よりほかにないと私は感じるようになったのです。あなたはなぜと云って目を瞠る(みは)かもしれませんが、いつも私の心を握り締めにくるその不可思議な恐ろしい力は、私の活動をあらゆる方面で食い留めながら、死の道だけを自由に私のために開けておくのです。動かずにいればともかくも、少しでも動く以上は、その道を歩いて進まなければ私には進みようがなくなったのです。”   (夏目漱石「こころ」筑摩書房)


そこで私が理解したことは、自ら命を絶ってしまわれる方にいわゆる「(自殺)願望」などないということです。つらい、死にたいと思って自殺を選択するという「願望」なのではなく、それ自体がうつ病など精神疾患の症状であるということでした。いかんともしがたい症状の一つに過ぎず、結果として彼らはいやおうなく追い込まれるのです。インフルエンザにかかってしまったら高熱発症をとめることなど不可能であると同じように、それはただ起こることなのです。そこにもはや意思や体質、性格の入る余地はほとんどありません。精神医学や臨床心理学では、「希死念慮」といいますが、これはけっして「自殺願望」という言葉をマイルドなオブラートで包んだ言いまわしなのではなく、「自殺願望」という言葉が誤解を生むからなのです。

 したがって大切なのは、その希死念慮を本人や周囲がタブー視するのではなく、むしろ病気であれば無理からぬ症状として受け入れられるよう配慮することです。本人は生きていたくない、周りに迷惑をかけて自分などいないほうがいいのではないかと内心感じながら、そうしたことを人に言えず苦悩しているものです。「生きていることがつらいと思うことはありませんか」「でも、死にたいと思う気持ちはこの病気の症状として誰しもに起きることで、無理もないことをぜひ知っておいてください」「ですからあなた自身が本当に自殺したいわけではないのです」「治療していけば症状はなくなり必ず楽になりますから、一緒に頑張っていきましょうね」こうしたやり取りが本人の心の安堵に役立つことも知っておく必要があります。

うつ病の患者さんには、とかく「励まさない」「自殺のきっかけになるような話題は触れない」などと言われますが、症状経過を気づかいながら、正しい知識と気持ちに寄り添うような励ましはとても大切なのです。ところが...



「命を粗末にしてはいけない」「命の尊さを知って」「心の教育が大切」 

悲劇が起こるたびに、とりわけまだ若い児童青少年の痛ましい死の際に繰り返されるこうした主張。言葉の意図を重々承知しつつも、所詮生きている側の自己満足としか思えないなんと虚しい言葉であることかともときに思ってしまいます。訴える相手も言葉も違うのではないかと。これらは必要な励ましでも知識でもありません。むしろそういう言動の空気が彼らを精神的に追い詰めるのです。なにかいかにも死を選択せざるを得なかった人たち(そしてその何十倍もの数にのぼる未遂の人たちを含め)が、命を軽視してきたかのような物の言い方なり風潮が依然として根強いのには、強い抵抗を感じます。生きている側の人間、生きるに不都合を感じていない人からすれば、理性ではわかっていても共感することは難しいことかもしれません。「私たちだって思い悩みながらも精一杯生きている」「命を絶つ勇気をなぜ生きることに使わないのか?」

 

彼らだって死にたくはなかったのです。生きていたかったのです。命を大切に思い、死ぬことがどんなことか彼らほど痛切に感じていた人もまたいないのです。そして彼らほどその恐怖と闘った人もまたいないのです。それでも自死せざるを得なかった。そこまで追いつめられる人が何故かくも多いのかについて、私たち側がまず深く省みなければなりません。医療やメンタルケアの支援の充実は何よりですが、私たちが変わらなければ、それらの効果は限られたものとなってしまうからです。

私たちが命を大切に思うこころは、ただ命を自ら断つことはしない、できないという生物的防衛本能と、私たちがそれを「生きる中」で日々数えきれないほどの社会経験や情緒体験、学習を経て、血肉となって徐々に習得されてきたそれぞれの「感覚」であって、知識や理屈で教え込まれる類のものでもありません。生きる中に根ざさない、単なる上からの命と人権の教育が、一線を越えてしまうことを防ぐ効果的なストッパーになる保証はありません。「生きる中」のその中身が他を優先してきたがために貧相なものになってしまっている社会の現状こそ見つめ直さなければならないと思うのです。



参考ブログ記事(遠い夜明け

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by yellow-red-blue | 2018-05-21 13:48 | Trackback | Comments(0)

刺激ある人生、けれども... ~ 立夏の頃’18


ゴールデンウィークの後は、全国的に雨模様の肌寒い陽気へと逆戻りの予報が出されているようです。それでも、花粉や黄砂が舞いまだまだ冷たい春風に上着やコートが欠かせなかった(私にとって)つらい季節もようやく終わりを告げ、早朝から窓を開け放ち、爽やかでみずみずしい大気を思い切り室内に招き入れ、初夏の心地良さを日々味わえるようになったのは嬉しい限りです。

元気よくあちこち飛び交う小さなツバメの姿や、早朝の静かな空気によく響く野鳥の一風変わったさえずり、新緑を優しくなでるように流れるそよ風と柔らかな木洩れ日、お目当ての草花を求めてあたりをひらひらと舞う蝶の姿。初夏にふさわしいあたりの情景にふと気づかされると、せっかくのゴールデンウィークだからとレジャーに特別足を伸ばさずとも、なんだかもうそれだけで満ち足りた気分になってしまいます。


かくも安上がりにできている私ですが、ところで、人には外界からの刺激や社会環境に対する感受性の程度にかなりの個人差があることがわかっています。そしてこのことが私たちそれぞれの性格形成にも少なからず影響を与えています。

その感受性の程度の個人差をもう少しわかりやすい別の言葉で言い換えると、「刺激欲求」の個人差と言ってもいいでしょうか。刺激欲求とは、多様で新奇、刺激的な物事の経験や感覚を欲し、身体的、社会的、法的、経済的冒険を志向する傾向にある性格を意味します。ごく大雑把に言って、刺激欲求の強い人は外向的な性格傾向を持つ人、逆に刺激欲求の強くない人は内向的な性格傾向の人に近いと言われています(心理学では、人格やパーソナリティ、性格、気質など、人の性質を表す言葉をそれぞれにある程度定義されて使いますが、ここではより一般的、通俗的な使い方としてそれらをあまり区別することなく使っています)

この「刺激欲求」については、たとえば最近の研究から身体の神経システムにおける「最適覚醒水準」との関連性も示唆されています。つまりたとえば、刺激欲求の強い外向的な性格傾向を持つ人は身体の神経システムが興奮しにくく、強い刺激でないと当人が快適満足できる水準に達しない一方、内向的な人は、外向的な人が要求する水準の刺激では、神経システムが興奮しすぎ不快な覚醒の水準に至ってしまうというものです。

こうした神経システムにおける体質的な個人差と心理学的な性格の理論の関連性はまだはっきりとはわかっていませんが、私たちが外界刺激に対してそれこそ三者三様の感受性を持っていることは確かなようです。その一方で私たちはまた、自身を取り巻く複雑で多様な人間関係をはじめとする社会環境情報の処理をまずまず的確に行い、適応することを日々求められます。そうした社会的要求と自らの個性との間のバランスというか、さじ加減が実に難しく悩ましい時代に私たちは生きています。結果そのはざまで、精神的困難や変調に苦しむ多くの人々が存在しているのです。


“外界への関心と依存が高く、積極的に外に向けて行動する傾向で、社交的でポジティブな思考を持ち、物質的価値観や上昇志向が強く、興奮することや刺激を求めるエネルギッシュな特性で、自己表現が得意なある意味自信家でもあり...”

これがいわゆる外向的性格特性です。これだけを見れば、なるほど今の社会において、特に職業生活上の適性としては、まことに望ましいというか喜ばしい性格傾向といえるかもしれませんね。

けれども、私たちの性格や人格は、代表的な際立った1つの要素だけで説明なり決定されているわけではありません。内向性をはじめその他重要な様々な性格的要素がミックスされそれぞれに唯一無二の個性をかたちづくっています。それらは等しく価値があり、上手にバランスされているのが本来好ましい人間像と言えるべきなのですが、今の社会を見ていて、またカウンセリング現場で感じるのは、国の施策や企業活動が暗に求めている人物像が結局のところ、いわゆる刺激欲求の強い外向性に傾いた人に集約されているようにも思えてくることです。

また、私たちの性格は決して固定されているものではありません。持って生まれた気性のようなものはあるとは言いながら、それぞれの人生の過程で(特に若い世代においては)絶えず変容・成長するものであり、状況に適応する力もあります。ところが本来予想だにできない複雑で豊かな存在であるはずの生身の私たち人間の個性が、昨今話題のビッグデータやAIによる評価システムやプロファイリングによるデータ数値化された固定的人間像に取って代わり、そうした属性に基づいた個人の選別化、セグメント化が様々な分野局面において今後急速に進むことが予想されることについては、なにか強烈な違和感と危惧とを感じてしまいます。歴史的にまた現在においても、欧米的諸価値観の強い影響を受けながら、経済先進国として経済成長や企業利益確保がまずもって優先され、物質的価値至上主義がある意味本音であるような資本主義体制のわが国においては、無理からぬ時代のすう勢なのかもしれません。



本来、外向的な人間として真に価値があるのは、その特性が際立っているからなのではなく、他者理解や内的洞察の深みと複雑さ、思いやりと共感力の高さといった、内向性をはじめとするその他の人格的諸要素との間に豊かなバランスが備わっている場合に限ります。にもかかわらず、ややもするとたとえば内向性は単純に「外向的でない」性格ベクトルとしてネガティブなレッテルをとかく張られがちです。それは心理学におけるパーソナリティ評価であったり、インターネットなど各メディアでさまざま取り上げられる簡易で安直ともいえる性格判断や適性診断などでもそうした傾向があるようでとても気になります。外向性にも内向性にもとても素晴らしい素質がたくさんあり、本来は価値平等的に評価されなければならないはずです。多かれ少なかれ私たちは皆こうした多くの性格特性を何らかの割合で持っており、それらの特性が著しくバランスと柔軟性、適応性を欠き、持続的に精神的な苦痛を伴う場合に限って、パーソナリティの問題として慎重に考慮すべきなのですが、それをあまりに安易に色分けしたりレッテルを貼ったりするのは誤った判断といえます。

こうした偏った性格特性の重視や社会の精神性の在りかたには、必ずもう一方、足りないものへの要請なり揺れ戻しが、たとえば精神障害や格差社会、社会的弱者やハラスメントといった深刻な社会のひずみとなって表面化していきます。すでに十分すぎるほどのSOSを発している現状があると思うのですが、それらを国としての成長と繁栄のためにはやむを得ないコストであるとして暗に切り捨て見過ごすような社会の在り方は、とても健全なものとはいいがたく、むしろ病的ですらあるのでは、とふと考えてしまいます。

 

 ちょっと大げさな話になってしまいました。カウンセリングにおいてもまた、相談に訪れる方々の悩みと対峙しながら、それを単なる個人の問題に矮小化することなく、彼らの心の叫びの背後にある社会的文化的要因や国の舵取りへの深い問題意識や批判的精神が必要であることを日々痛感しています。

 


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by yellow-red-blue | 2018-05-06 21:59 | Trackback | Comments(0)

名前は魔法 ~ 穀雨の頃’18


先日出席したとある懇親会の会場で、荒井さんとおっしゃる方にお会いしました。苗字が私と同じなので、何やら親近感を覚え初対面ながらつい話し込んでしまったのですが、その折やっぱりこの方も私と同じく、日常のある小さな悩みを抱えていることを知ったのでした。

それはつまり、あまり正しく名前を覚えたり表記してもらえないという悩み。

これはもしからしたら難解な漢字や読み方のお名前をお持ちの方には、めずらしくないことなのかもしれませんが、荒井という比較的よくあると思われている苗字を持つ者にとってもそれなりの悩みはあるものです。

「荒井」はかなりしばしば「新井」と誤変換され、電子メールや郵便物・ハガキ、招待状や通知文などのあて名となり視覚的に私に伝えられます。もちろんたいがいはよくある変換ミスじゃないか、とさらっと済ませられるのですが、こうも頻繁に起きると正直あまり気分は良くないのです。これが知らない人や通販業者からの荷物やダイレクトメールのあて名ならまだしも、知らない間柄ではない方や重要な書類などに間違って表記されることもよくあるので少し悩ましいです。結構な知り合いからの、優しく気遣いのこもったメッセージの冒頭いきなり、「新井さんへ」などとされると、何だかその文面の誠実性まで疑ってかかりたくもなる気分にさせられてしまうことも。相手にはそんな意図がないことは百も承知ながら、「あなたにとっての私はその程度か」「またか」の一方的なひがみ根性を時として抱いてしまったりするのです。



また、電話をはさんでの氏名のやりとりなどで、「新(井)」ではなく「荒(井)」であることを相手に説明するのにもけっこう骨が折れます。

「荒井様の『あら』は新しいの『新』でよろしいでしょうか」

「いえ、そうではなくて」と伝えるやすかさず、

「あ、ではくさかんむりのほうですね。失礼いたしました」

ひと昔前なら、スムーズにこれで終わるのが普通でした。

ところが最近は「くさかんむりのほう」と言っても、その意味が分からない世代が多くなったのか、伝わらないことが多いのです。そこで、「荒川の『荒』です」「荒川区の『荒』です」などともうひと工夫凝らす必要がでてくるわけです。


しかし、そこでも大きな難関がさらに2つ立ちはだかるのです。ひとつは、「荒川」や「荒川区」は東京・関東近辺限定でなら通用するものの、他地域の人との電話口では「荒川?」と相手がわからないことも多いのです。

かくして、くさかんむりもダメ、荒川・荒川区も通じないとなると、お互い別の表現で意思の疎通を図らなければなりません。歴史上の有名人やスポーツ芸能人で広く一般的に知られている人がいればその名前を挙げればいいのですが、悲しいかなあいにくそのような「荒井」の覚えもない。そこで相手となにやらめんどうなやり取りがかわされることもあったりします。電話の向こう側の相手が引用する例えがまた傑作です。「荒ぶるの『荒』」「荒れくれ者の『荒』」「荒野の七人の『荒』」「荒っぽいの『荒』」など、聞いているこちらが思わずふきだしたりしてしまうのですが、名前の表記は意外とやっかいなものです。


そしていまひとつ立ちはだかるもっと深刻な問題が(しつこくてごめんなさい)、「『新』ではなく『荒』ですよ」問題をようやくクリアした後にやってきます。なぜか「荒」に続くのは「荒(井)」ではなく「荒(川)」であるとほぼ自動的に考える人が思いのほか多いことです。そして『「荒川」「荒川区」の荒です』と言ったが最後、以降私はいつのまにか「荒川さん」と認知され、その後荒川さん宛てのメールや郵便物が洪水のごとく押し寄せるのです、新井さんとおなじくらい。

当然のことながら直接「荒川さん」と呼びかけられることもしばしば。これが過去に1度や2度程度しか面識のない方に言われるのならまだしも、結構なお付き合いのある方からも、単なる言い間違いなのか完全に誤解しているのか判断しづらい程度に「荒川さん」を使われていると、これがなにやら今さら訂正しづらく、みずからのほろ苦い存在の軽さを味わったりします。

たとえばデータ上の氏名リスト上のような場合には、一度訂正すれば事足りるのですが、人間の認知においてはたとえ一度訂正が入ったとしてもそれがなかなか定着しないことがあるのでとてもやっかいなのです。

仕事やお付き合いの場面ではこうした間違いの連発は致命傷にもなりうるので、相手や状況によってはさりげなく訂正することもありますが、なんだかそんなことをいちいちあげつらうのも大人げないと思い諦めてしまいます。とはいいながら、なんだか基本的人間関係の入り口でまずもって誤解があるような気がして、何となく気分がすっきりしないのです。

冒頭で紹介したもう一人の荒井さんも、これら私と全く同じエピソードをお持ちで、慣れているとはいいながら、そのたびに心の中の苦笑を抑えられなかったのだそうです。



個人的な愚痴をたらたらと書いてしまいましたが、ある人と親しい関係になりたいと思う、あるいは良好な人間関係を築きたいと思ったら、その人の名前をできるだけ素早く覚え、さりげない会話の中で直接相手や相手の周囲に対して使うことは、とても大切な方策と言えます。誰でもないあなたという一人の人間に私は話しかけている、好意を持っている、信頼している、あの人は私を覚えていてくれる、自分を多少なりとも意識していてくれるなど、じつに豊かなニュアンスをこめたり、また感じることのできる名前は、私たち人間が元々持っている親和欲求を巧みに満たしてくれるいわば魔法の言葉です。状況や関係性を無視して、やたら人を親しげに名前で呼ぶのは逆効果ですが、たいがい悪い気はしないものです。人の名前を覚えることはそう簡単なことではありませんが、名前の上手な使い方を日常で少し意識すると、人間関係がより潤滑に進むことは覚えておいて損はありません。たとえば、名前は知らないのだけれど日常生活のちょっとした場面でしばしば出会い、挨拶や短い雑談を交わす程度の顔見知りの人の存在は誰にでもあるのではないでしょうか。そんなときは少し勇気がいるかもしれませんが、今度その人を見かけたらこちらから自己紹介してみる、もう少し長く話かけてみる、などはとてもいいトライかなと思います。たとえほんの少しの前進や積み重ねだったとしても、お互いの名前を知らずにいることと比べて随分と人間関係に幅が出るものです。


日本語の会話では、必ずしも主語は必要とされません。「私は」とか「~さんは」と言わなくても話は通じる場合が多いのですが、一方カウンセリングの対話場面では、できるだけ話の主体、主語をはっきりさせることを意識します。

「~さんはどう思いますか「「~さんが期待することはなんですか」「~さんがそう信じているのですね」確認と繰り返しがその思考感情や行為の主体は自分であることの意識付けになり、あらためて内省する機会をもたらすことにもなるのです。

たとえば、家庭内で暴力をふるってしまう人の中には、暴力や暴言の事実は認めることはできても、「私が~」というところは微妙に避けて表現する人がいらっしゃいます。自分が主体的に行っている行動であることから目を背けて、何かが(状況や他者)がそうさせているかのようなニュアンスを強調したり思い込んだりしてしまう。そこで「あなた自身が」ということに、優しくそして共感的に焦点を当て続けながら、さまざま対話をしていくことはとても大切なプロセスです。もちろん強引に相手に何かを認めさせるということは控えますが、あくまで主体はだれで何が目的なのかを探る、確認し続ける過程を通して、問題の背景や原因、良否の判断を導き出すのもカウンセリングの重要な役割なのです。



ところで名前について、過去に恥ずかしい失敗の思い出があります。夫婦関係の問題で相談に訪れていた女性とのカウンセリング中のことでした。長いカウンセリング期間の間にその方は結局離婚なさったのですが、離婚後もしばらく続いたあるカウンセリングの最中に、突然その方が私に訴えたのです。

「あの、すみません。先生わたしもう『鈴木』ではなく、『菊池』なんです。鈴木と呼ばれるのはちょっと...』

私は無神経にも、離婚後もそのまま婚姻時の姓で話しかけてしまっていたのです。

「ああ、申し訳ありません。配慮が足らず本当に申し訳ありません。」

見た目にも私はかなり落ち込んでいたのでしょう。

「大丈夫ですよ、先生。私もだいぶ強くなりましたから。」

今までに見たこともない明るい表情でそう話すその方が確実に立ち直りつつあることを、自分の失敗を通して気づかされたという、何ともほろ苦い思いです。

 

ちなみに、カウンセリングの場面では「先生」とよばれることが多いのですが、あくまで治療者と相談者は対等の立場での対話が基本の立場からすると、もっと気さくにお互いに名前で呼び合っても場合によってはいいのかなとも思わないではありません。お医者さんや学校教諭、政治家の方々と同じような呼び方をされるのがどうも苦手なのです。ただ、カウンセリングにおける関係は一般の人間関係とは異なり、治療という目的達成に焦点化された関係であって、相談者がその性質を親しい友人や家族関係の代わりのように過度にとらえることのないような配慮は必要です。問題解決への親密な協力関係を維持しながら、余計な感情や情緒と距離を置き、互いの立場を尊重するためには「先生」であることのほうがむしろいいのかもしれません。

でも本当は、名前で交流する方ずっと気が楽で嬉しいのです。『新井さん』や『荒川さん』ではちょっとつらいですが。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

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by yellow-red-blue | 2018-04-20 21:57 | Trackback | Comments(0)

外の世界、内の世界 ~ 清明の頃’18


桜前線は徐々に北上するため、日本列島全体で見れば桜を楽しめる時期は相当長い期間になります。でも私たち普通一般の人の認識は、桜の見ごろはあっという間に過ぎ去ってしまうというものでしょう。ある調査によれば、桜が開花する季節、お花見を目的としたレジャーで何らかの外出をする人は、全国で毎年およそ6000万人にも上ると推計されるのだそうです。つまりおおよそ日本人の2人に1人はお花見を目的にどこかへ出かけ、何らかの金銭的支出を行い、そこに莫大な経済効果が発生しているというのです。こんな情報に接すると、やっぱり日本人は桜が好きなんだな、それにしても凄い人数だ、と思うことでしょう。

ところがこれがもし、ニュースなどで淡々と次のように報道されたらどうでしょうか。「桜も満開の季節となりましたが、ある調査会社がおこなった花見に関する調査によれば、日本人の2人に1人、人口にして6000万人以上の人は、実は桜の季節になっても特にお花見などに出かけないという推計結果が出たそうです。」意味するところはまったく同じにもかかわらず、随分と受け取る印象が違ってくるのではないでしょうか。「へぇ、意外とどこにも行かない人もいるんだ」「そりゃそうだ。年度末で忙しいだろうし、私なんかも通勤途中でチラリ見るぐらいで済ませるよ」「来年もあるわけだから」「もう会社や自治会で花見なんて時代じゃないだろうしね」という具合に、接した情報の認識に沿う考えやエピソードが頭を占めることになります。



 私たち人間は、このようにあるものごとについての判断なり見方についての枠組みや切り口が変わることで、その対象への主観的価値や善悪の判断を容易に変えてしまう心のメカニズムを持つ傾向にあります。特に、インターネットやテレビなどといったメディアへの長期的あるいは反復的な接触は、私たちが想像する以上にその判断や行動に影響を与えます。つまりその人の現実認識を、メディアが描いているものに沿った形でいわば「培養」(心理学では『培養理論』などと言います)するのです。メディアである争点や話題が繰り返し、あるいは大きく取り上げられるほど、その争点やトピックを重要なもの、優先して取り組まれるべきもの、世の主流となっているもの、今世間の多くがそのように考え選択していると、意識的無意識的に信じてしまう傾向を持っています。結果私たちは、そうした普段接することの多い情報を、事実や実際の頻度とは異なるにもかかわらず、実例としてすぐ頭に思い浮かびやすいがゆえに、この世の中でよく起こっている「事実」であるとしばしば判断してしまうことになるのです。

 つまり人は、自分達を取り巻くさまざまな事象について、多様性ある視点から正しく認識解釈したうえで、じっくり腰を据えた意思決定や行動をおこなっていない可能性のほうがむしろ高いかもしれないのです。もちろん多すぎる選択肢は必ずしもベストな選択を生み出しはしないのですが、問題は、多様な情報媒体とネットワークを持ち、溢れんばかりの情報に接しているにもかかわらず(そしてそうであるがゆえに)、ある一方的な認識が自己増殖的に拡大していき、それでよしと考えさせていることになかなか気づけないでいることなのです。私たちを取り巻く広い意味でのネットワーク社会の最大の落とし穴はそこにあるといえるかもしれません。



でも人間である以上、こうしたかならずしも適切とはいえない認識傾向を持ってしまうのを避けられないとすると、いったい私たちはどうした方略を持って物事を判断しあるいは行動すればいいのでしょうか。

 世の中のすべての事象には必ず表と裏が同じくらいの量や割合で存在することを意識しておくことは簡単な一つの方略といえるかもしれません。私たち人間は、自分が望むポジティブなものには積極的に目を向ける一方で、同量の関心を払うべきネガティブ・ポテンシャルにはいわば盲目になってしまう心理傾向があります。どんなにバラ色に見え、いいことしか考えられないものごとでも、かならずプラスとマイナス、メリットとデメリット、光と影があるはずと認識することです。ITやAIのように素晴らしいポテンシャルを持ち、私たちの生活を変え劇的に変え得るものでさえ、やはり同じくらい深刻なネガティブ・ポテンシャルがあるのです。

 今日本では、海外や外国人の間で広がる日本人や日本文化伝統への高い評価がさかんにさまざま取りざたされていると聞きます。テレビやインターネットでもそうした情報や番組コンテンツに人気が集まるために、そうしたいわば「ニッポンは素晴らしい」的傾向に沿った情報が供給されることになります。日本人の私たちにとっては、自分が帰属する集団への周囲の高い評価に、自分を同一化させる機会が増えることになるため、とても気分が高揚しクセになる体験になってしまいます。それは悪いことばかりではありませんが、本当に私たちが関心を持つべきは、「クールでない」ジャパンという裏の視点への同量の配慮と関心かもしれません。これこそが真の国際化と相互理解と信頼の心理的基盤となるものです。

 たとえばクール・ジャパンの代表格である「おもてなしのこころ」の裏の顔とは、滅私奉公や空気を読めとの社会的同調圧が適正な限度を超え強く、精神文化的な凝集性が過度に高い社会が陰に陽に要求する、あうんの呼吸や細かすぎる他者への気遣いと過剰なまでのサービスや便利への忖度、日常社会生活における自己犠牲と耐えることへの暗黙の称賛の空気であり、そうした結果としての痛ましい過労死や自死、いじめやハラスメント、繰り返される企業や政官界の不祥事、低い労働生産性や疲弊する仕事現場での人手不足の悪循環などです。そこにはむしろ外面(そとづら)を維持するあまり、自分や自分にとって本当に重要な近しい関係の他者(たとえば家族や職場同僚や従業員など)を犠牲にする、いわば「釣った魚にエサはやらない」的な損得勘定の人間関係を無意識のうちに構築してしまう危険がひそんでいるといえます。



 もう一つの方略は、外からやってくる情報をときにシャットアウトし、内なる答えとじっくりと向き合うことをおそれないことです。今まで何ら疑問をさしはさむことなく事実として受け入れてきた、私たちを取り巻く社会や人間関係、あるいは自分についての考えや意見、抱く悩みや迷いについて、「本当にそうだといえるのだろうか」と、いま一度深く問い直してみることです。これはある意味勇気のいることですし、時間をかけ繰り返し問い直されなければ、長い間に私たちにしみついてきた「常識」なり「結論」は容易に覆りません。これはどちらが正しくてどちらが間違いなのかという問題ではありません。心から問い直すことによって、全く異なる考えもあるいはまた、最初の考えと同じくらい真実があるかもしれないという可能性に開かれているることが、私たちの心にとってとても重要なのです。今や「沈思黙考」と言う言葉がもはや死語となりつつある時代なのかもしれませんが、私たちをとりまく社会的な環境情報の処理に終始することに偏重し、自分の中に正しく判断するための能力や材料が元々あるにもかかわらず、その内なる世界へ関心と注意が向かわず、ものごとを根本から考え決断し、試行錯誤してみるという習慣を欠くような日々の精神活動は、自己信頼や自尊心といった健全な精神が育まれにくい心の素地を生み出してしまいます。外から入ってくる情報は所詮有限なものですが、私たち誰もが持つ内なる世界はある意味無限の可能性をも秘めているとも言えるのです

カウンセリングには様々な問題を抱えた方がおいでになりますが、結果としてシンプルに「もっと自信をお持ちになってよろしいのですよ」「あなたが悪い、間違っているというわけはないのですよ」というひと言がカウンセリングの入り口であり出口でもある場合が多いかもしれません。つまり今までそれぞれが抱いてきた常識や考えが本当であるかどうかについてよく見直していきましょうということでもあります。それは簡単なことではありません。問題を抱えているときは誰でもそんなこと考えられないし、ゼロから自信などは生まれません。自分の中にはネガティブなものしか思い浮かんでこなかったのが今までの普通だったからです。

私たちの人生とは、答えの見つからず見通しもつかず不安ばかりに圧倒されそうな現在や未来、そしてときには過去について、常に何らかの決定を迫られる過程そのものといえます。そうした只中にあって、相談者のこころに無条件に寄り添い、困難を転機に変える決して気休めではない実際の大きな力としての『希望』を説きつづけるのもまたカウンセラーの仕事です。心理専門職との対話、コミュニケーションを足がかりにして、内なる世界に広がるポテンシャルを引き出す過程を体験することもまた、日常生活にありがちなさまざまな問題解決の大きな一歩になりうると考えています。


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by yellow-red-blue | 2018-04-05 13:52 | Trackback | Comments(0)

寒空の向こう ~ 春分の頃’18


これを書いている今日(321日)は春分の日ですが、東京は季節はずれの雪が舞い、厳しい寒さにふるえるあいにくの一日。行きつ戻りつを繰り返しながら春へ向かうこの季節ならではの一日とはいえ、これほどの極寒の日になるとはビックリでした。祝日のこの日はカウンセリングも普段はお休みなのですが、片付けなければならない仕事があって、やむなく仕事場へと足を運びました。途中見かけるどの桜も2~3分咲きあたりで足踏みしているようでした。

それでも新しい季節は確実にそこまでやってきています。近くの公園を流れる小さな渓流のせせらぎは水量を増し、日の出はずっと早くなり、そよぐ風は朝夕などはまだ冷たさを感じさせながらもそのみずみずしさは春模様そのものです。

この時期は、学校や職場、ご近所などさまざまなシーンで別れと出会いの生まれる季節、来る人去る人が行き交い涙が似合う季節とも言われますが、冷静に考えてみればこの時期にそんな出会いや別れを経験するのは、日本人全体からすればむしろほんの一部の人に過ぎません。人生区切りの情報に接する機会が増える時期であるためそのような空気がありますが、実際私たちの多くにとっては、さしたる別れも出会いもない、いつもの普段通りの日々でなのでしょう。



そんな普通の人のひとりである私にも、今朝方はちょっとした出会いがありました。薄暗い仕事場の部屋の電気をつけようとスイッチに手を伸ばした時、ふと窓の外のバルコニーの手すりに気配を感じ、カーテンの窓越しによく見ると、そこに一羽の野鳥の姿がありました。もっと姿をよく見ようと、音を立てないよう抜き足差し足慎重に窓に歩み寄ると、それは冷たい風雪の中、雨宿りするかのようにじっと羽を休めていました。これからどこへ行こうか思案しているようでもあり、仲間とはぐれひとり途方に暮れ、雨空を遠く見つめているようにも見えました。灰色と白色が美しく交じった羽毛に包まれたかわいい姿は、あとで調べてみるとどうやらハクセキレイという名の野鳥でした。やがて何かを決断したかのように、雪の舞う寒空高く飛び去っていってしまいましたが、ごく近い距離でその姿に魅せられていたそのほんの10分という時間は、めったに体験のできない心休まるひとときでした。

これもまた出会いのひとつ。こんなことでもなければハクセキレイという名もこの小鳥のことについて知ろうとすることもなかったでしょう。またやってきてくれるかも、と小さな期待に心躍ることもなかったでしょう。たまにはこんな出会いもいい、休日出勤もよしとしよう、単純ですが気持ちが少し明るくなりました。


 

 いっぽう季節や時期を問わずいつも出会いと別れを繰り返し、常に涙する人と向き合うのが私のようなカウンセラーでありカウンセリングルームといえるかもしれません。

こんなに日常から涙する人々と接する仕事は、葬儀屋さんとカウンセラーぐらいだと、ある人に冗談まじりに言われたことがあります。確かに日々人の死と向き合うお仕事をなさっている方々同様、カウンセラーほど人の涙と出会う職業はないかもしれません。こんなにも人が哀しさやつらさを切々と語り、人生の辛さに向きあう場所は他にはないかもしれない、と自負めいた感慨がわき上がらないことも時にないではありません。けれどもそうした人の苦悩をしっかりと受け止め、正しくこたえていくのはとても大変であることも日々痛感してしまいます。つらく、こころ折れそうになることもしばしばです。そんな時私も、カウンセリングの只中でも、相談のメールを読んでいても、つい涙してしまいます。治療者が涙することはあまりほめられたことではないとする考え方もあります。でも「もらい泣き」するこころを忘れない人間でいたい、ひそかに私はそう思うのです。


“雲と小鳥と人の涙のあるところ、そこがすべてわが家なのです”

                       ローザ・ルクセンブルグ

 


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by yellow-red-blue | 2018-03-21 23:18 | Trackback | Comments(0)

感度の違い ~ 啓蟄の頃‘18


 桃の節句あたりからのどの痛みを訴えていたのですが、この時期になると毎年のように花粉症に悩まされている私は、またいつもの花粉症だろうと軽く考え、のどの症状をそのまましばらく放置していました。ところが、気が付けばすっかりひどいカゼを引いてしまったことに気づき、慌てて近所の病院へ駆けつけても時にすでに遅く、結局お医者さんから数々の感冒薬を処方され、しばらくの安静を指示されるはめになってしまいました。もっと早めに病院へ行っていれば、これほどこじらせて日常生活や仕事に支障をきたすことはなかったのです。おかげでブログの更新もすっかり遅れてしまいました。


何かと時間に追われ、なかなか休むということができない私(たち)は、こんなとき、「今カゼやインフルエンザも流行っているから、ひょっとするともっと重い症状かもしれない」「早めに医者にちゃんと診てもらおう」「大事をとって休むべきだ」などとは考えられず、「いつものまた花粉症だろう」「たいしたことない」「今休んだら周囲に迷惑をかける」「あと数日辛抱すれば週末で休めるから」などとつい自分をごまかしがちです。

個人的な願望や置かれている現状をできるだけ肯定的に解釈し、それを維持したい、変えたくないという思考傾向をもともと持っている私たち人間は、ものごとをいわば保守的な方向で推測、判断してしまいがちなちょっぴり(もしかしたらかなり)うしろ向きな生き物です。

心理学では、こんな私たち人間は元々ある種のバイアス(現状認識についての齟齬(そご)あるいはズレ)を有していると考えます。ちょっと難しいですが、たとえば以下に挙げるようなこころのメカニズムです。


✽正常性バイアス:

身の回りに起きるすべての事象について、同じように警戒注意レベルを保ち、正常異常を判断し区別するのは大変なので、ある程度の異常をも誤差の範囲内であると処理して、異常を無視すること

✽一貫性原理:

それまでとってきた行動や思考パターンを、直面する状況に応じすぐに変えることに抵抗を感じる傾向

✽現状維持バイアス:

現状を変えることは、良いことをもたらすより悪い結果へとつながる可能性を強調し、特別強い要因がない限り、変化を回避しようとする傾向

✽楽観性バイアス:

他者には起こっても、自分に限ってはそんなことにはならないだろうと、様々なリスクに自分が陥ることについて低く見積もろうとする傾向


その他にも、自分にとって耐えがたいあるいは直視しがたい事柄から生じる不快な情緒体験を回避するため、心の平穏とバランスを保とうと、自己防衛のための多くの心の対処方法を私たちはとることが知られています。精神分析学では「防衛機制」などといいますが、これもまたある意味類似するこころのメカニズムといえます。



けれども、こうした意識的あるいは無意識的なバイアスが、不適切で間違ったものであるとは必ずしも言えません。少し話は飛びますが、かつてまだヒトが弱肉強食、食物連鎖の環の一部であり、生きる糧をめぐり生存と獲物獲得競争を繰り広げ、厳しい自然環境の中生存と種の保存を確保するためには、周囲のあらゆる未知の危険を予知し回避し、対処する能力は必須のものでした。野生動物同様、リスクに敏感で警戒を怠らないことが、生き残るうえで常に必要とされていたわけです。けれどもその後数百万年もの長い進化の過程において、私たちヒトが獲得したのは、狩猟採集や定住農耕の効率を上げ、あるいはまた複雑な社会生活がもたらす様々な問題の解決に本当に必要な情報を適切に取捨選択するために、周囲の情報について時に適度に無視・回避し、逆にあることについては過度に警戒するという柔軟で効率的なこころのメカニズムでした。ましてや安全と安心がいわば日常的なものであり、めったなことでは生命や生存の危険を感じることのなくなった現代の私たちは、常時リスクを警戒する必要性から解放され、「安心して」さまざまなバイアスに身をゆだねることができるようになったのです。



もう少しわかりやすく言うと、私たちには火災報知器やガス警報器のような「こころのセンサー」が備わっており、日常生活や仕事、人間関係など社会生活全般において、注意や警戒、判断や意思決定が必要な事態に直面すると、警報を発し私たちがその後適切な行動や判断へと移れるよう合図を送ってくれているのです。ただし、その感度が敏感になりすぎたり、逆にほとんど反応しないことにならないよう、絶妙に調節されているのが本来の私たちの「こころのセンサー」なのです。

ところがこのこころのセンサーは、実はとても複雑で繊細なものです。さらにやっかいなことには、私たちはそのセンサーの発するメッセージに逆らうことがなかなかできません。センサーの判断を疑うことをしないのです。ときにちょっとおかしいかもしれないと感じつつも、心身はほぼ無意識的自動的にそれに従って反応してしまいます。もともと私たちのセンサーは、遺伝的要素や個人のパーソナリティ、それぞれの生育環境を構成する諸要素条件、学習や経験などが無限かつ複雑に絡み合って、それぞれがオリジナルな感度を持っています。極めて周囲の状況に敏感に反応するよう設定されている人もいれば感度が鈍く設定されている人もいます。センサーの設置環境(つまりは私たちの人生)にさまざまな変化が生じれば、センサーの働き方はおのずと変わってきます。長年の使用によって経年変化をきたすこともあれば、ときに誤作動を起こす可能性は誰のセンサーにもあるのです。

そうしたセンサーに微妙なズレが生じると、しばしば私たちは心のバランスを失い、人生や社会生活にさまざまな支障が生じます。それは例えていうなら、目玉焼きを食べようとキッチンで卵を調理しているだけなのに、センサーがそれを危険と判断し、火事だガス漏れだと過剰に警告を発し、その誤った警告を事実であると判断してしまうようなものです。ガス警報器や火災報知器と違い、このセンサーは私たちのさまざまな心のメカニズムと分かちがたく結びついているため、センサーのほうが誤っているとして無視することはなかなかできず、過剰に反応したり適切な反応を欠いてしまったりするのです。これが極端になると、「調理=危険」、「卵=危険」とまで受け取ってしまうばかりか、挙句には食べ物全般にまでその危険性と嫌悪感情を一般化し、料理することも食事もとれず、それどころかそこには住めない、といった比喩にも似たふるまいを、人生のさまざまな場面においてしてしまうことにもなりかねません。そしてセンサーの誤作動が原因であることに気づかず、ひたすら自分の性格や人間性を責めることに苦しむことになるのです。



私たちカウンセラーの仕事とは、ある意味において、こうした適切に作動していないかもしれないこころのセンサーの微調整あるいは点検・メンテナンスを行い、適度な鈍感さと柔軟性ある感度を維持すること、そしてカウンセリングを通じて、クライアント自らが自己調整できるよう導いていくことにあるといえます。残念ながら、センサーを新しいものに交換することはできませんが、センサーをほどよく調整し直すことは可能です。適切に点検・メンテナンスを行えば、私たちの一生の間まずまず破たんなく作動するようできているのです。

ここで大切なのは、あくまで問題はセンサーの感度に問題にあるのであり、決してその人本来の人間性や人格、社会的な能力とは何ら関係のないということを、自身もそしてとりわけ周囲の人も理解することです。これは私たち誰しもに起きることです。そしてひとたび起きれば自分でコントロールすることは難しいのです。つまり外から見てどうにも理解のできない行動や症状であっても、それは「無理からぬ」ことなのだという認識を持つことが重要なのです。心の不調は、目に見えたり原因物質を特定することもできないため、私たちはその症状だけをとらえ、その人の本質そのものと勝手にとらえ、時に精神的に弱い人間としていとも簡単に見下してしまうのです。インフルエンザや胃潰瘍を患っている人に対し、たとえそのことで周囲に何らかの迷惑がかかっていたとしても、「だからあいつはダメな人間だ」とか「何とか根性で乗り越えるべきだ」と言うことが、いかに理不尽なものかを考えればよくお分かりと思います。

本来はセンサーの感度の問題であるはずの症状に対して、お前(性格)に問題がある、他の人にそんなことは起きない、と決めつけることが、こうした悩みを抱え精神的困難に陥っている人々へ周囲が抱きがちなバイアスです。そしてそれは行き過ぎたバイアスであり、そうした考えを抱く人(こそ)が、こころのセンサーが不調なのかもしれない、ということに気付いて欲しいのです。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

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by yellow-red-blue | 2018-03-09 14:40 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、時にカウンセラーとして、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。ブログのどこかに、読む人それぞれの「わたし」を見つけてもらえたら、と思っています。


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