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 ハラスメントやいじめなど人はなぜ他者を攻撃するのでしょう?その理由をごく簡単に言ってしまえば、攻撃する人は、(相手から)攻撃を受けたと受け取っているから(それに対して反撃した)、というシンプルなものです。

 けれども、これだけ聞くと被害を受ける側にとっては納得も理解できずたまったものではありません。こちらにはまったく身に覚えがないにもかかわらず、「お前がまずやってきたのだがら反撃したまでだ」と言われているようなものなのですから、理不尽きわまりないと考えるのも当然です。

 問題は、攻撃する側に自分の行為に至る認識過程を自覚・理解したうえで行っているわけではないところにあります。表面上はいろいろと理由を並べはするかもしれませんが、もっと深い本当のところについてはきちんと自分でも把握しておらず行動しているのです。けれども攻撃する・されることに自覚がない、あるいは無意識的に行っているからといって、それを加害者側の勝手な思い込みや言いがかりに過ぎないと単純に片付けてしまえば問題の本質が見えにくいばかりか、そうした理不尽な振る舞いへの対処方法も見えてこないことにもなります。

 前回のブログで触れた、私たち人間誰しもに備わる自分を守ろうとする防衛本能にも関係してくるのですが、攻撃する人の心理についてはわかっていないことも多く、私にもちゃんと説明する自信はありません。ですが少し話を分かりやすくするために、今回はストレスとは何かということについて考えてみます。


 

 「ストレスが溜まる」「ストレスから身を守る」「人間関係のストレスから体調を崩した」などと、私たちはストレスという言葉を普段からよく使っています。けれども、この言葉の意味することを結構あいまいなままに使いがちで、実はこうした通俗的な使い方の言葉としてのストレスは、本来の意味からするとあまり正しくはありません。

 もともとストレスという言葉は、工学・物理の世界で使われていた専門用語を、ある生理学者が人間の生体の反応メカニズムを説明する用語として医学・生理学の世界に取り入れ今日的な意味を与えたのが始まりです。

 それによるとストレスとは、生体外の環境からもたらされる何らかの刺激や衝撃、要求に対する生体側のさまざまな反応と定義されます。外からもたらされる刺激をストレッサー(ストレス要因)と呼びます。そしてそうしたストレッサーから自分の身を守り元の生体バランスを取り戻すために、ストレッサーを押し返そうあるいは解消しようと自然に発生する反発ないし抵抗する力がストレス(反応)なのです。つまり、私たちが普段ストレスと呼んでいるものの多くは、実はストレッサーの方であるといえます。細かなことのようですが、ストレスとはストレス(要因)に対する私たちが起こすさまざまな反応のほうであることを正しく理解しておくことは大切です。


 私たちは生きている以上、さまざまなストレッサーに囲まれ絶えず影響を受けます。夏の厳しい暑さや冬の寒さ、空腹、予期せぬショッキングな出来事や身体的痛み、労働や学習、煩雑な家事や通勤の混雑、複雑な人間関係や孤独、心理的な葛藤や圧力を含め様々なこれらの刺激はいずれもストレス要因(ストレッサー)であって、これらにさらされると私たち人間の側には当然のように様々な反応が引き起こされます。ストレッサーに対抗するため、人間の持つバランス回復機能装置として必要な力(反応)がストレスなのです。

 たとえば厳しい夏の暑さというストレッサーにさらされれば、私たちはそれに対処するため苦痛を覚え、気分が悪くなったり、だるさや食欲不振、集中力の低下といった症状をストレスとして経験し、それらをバランスを回復すべく様々な対処法を実行に移すためのシグナルとして具体的な行動へと変換していきます。体温を下げるため汗をかいたり、水分や塩分を欲求し、日陰で休みエアコンをつけ昼寝をして体力を温存したりします。このようにストレスは私たちが生きていく上で避けられない、必須なものです。むしろこのストレスを適切に発動できずにストレッサーのもたらす衝撃をそのまま受け取り圧迫されるままの状態に置かれたときは、肉体的精神的にとても危険な状態に追い込まれることを意味します。

 人は大概の場面においてむしろストレスを必要とする生き物であると考えれば、今の私たちがこの言葉を普段いかにずれた意味で使っているかがわかるのではないでしょうか。


 

 同じように人を攻撃する行為とは、ある種の衝撃なり刺激に対する加害者なりのストレス反応であり、それが対人関係という場において起こるがゆえに、主に他者攻撃という形をとって現れてしまうのだと理解するとわかりやすいかもしれません。

 ただ難しいのは、物理工学の世界に比べて、私たち人間の生体あるいは精神世界で繰り広げられる、とりわけ対人関係におけるストレッサー・ストレス関係ははるかにわかりにくく、そしてそのバリエーションがあまりに多彩であることです。ストレッサー・ストレス関係の背後には、様々な個人差が存在します。まさに私たちの個性・人格や対人関係における力学は、指紋のように同じものはひとつとしてないといえます。ストレッサーの認識・受け止め方やそれに呼応するストレス反応とがバランスや抑制を欠くものであったり、相互に関連性が容易には見えないものとして表出することもしばしばで、何が引き金となって、なぜそのような目に逢ってしまうのか、他者にもまた自分自身にも理解し難しいものとなっているケースが多いのが実情のようです。

 次回は、いくつか例を挙げながら引き続きこの問題について考えてみます。



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by yellow-red-blue | 2019-08-23 13:30 | Trackback | Comments(0)
 
 ハラスメントとはご存じの通り、特定の相手に対し嫌がらせやはずかしめ、いじめなどの行為を繰り返し執拗に行い、相手を悩ませ苦しめ困らせる行為で、セクハラ、パワハラ、モラハラなどよく知られている行為から、必ずしも明確な定義付がなされているわけではないものも含め今やその種類たるや何十種類にも及ぶといわれています。

 ひと昔前までこうした行為の被害に対しては、おおやけにするにはばかり、結局被害を受ける側がひとり耐え忍ばざるを得ないタブー的扱いであったものが、今や「ハラスメント」として市民権を得る形でそれら理不尽性に対し堂々とノーを突き付け、一部法的な罰則まで課せられる社会環境になってきたのは、ハラスメントの種類なり定義なりがあいまいなまま勝手に拡張解釈されうる問題もなくはないとはいいながら、健全な対人関係構築への好ましい前進と言えそうです。

 けれどもそんな増え続けるハラスメントのリストに接すると、ふとある疑惑が私の中で湧き上がってきてしまいます。自分は今まで生きてきた中で、執拗かつ繰り返しというところはさておいて、こうしたハラスメントを誰かに対してただの一度もしたことはない、そんな対人関係とは無縁だった、とはたして断言できるのだろうか?あるいは直接の言動として行っていないにせよ、その実、心の中では何度となくこうした思考なり感情を抱いてはこなかったろうか?自分の身の潔白を信じているのはひとり自分だけなのではないだろうか、と。

 なぜかくも人はハラスメントやいじめ、差別などによって、誰かを「攻撃」してしまうのでしょう?これは冷静に考えなければならない問題かもしれません。人にそうした行為を繰り返しするような人間はまともではなく、そもそもそういう性格の持ち主だからなどと安易に決めつけるのは危険なことかもしれません。置かれた立場や状況で加害者にも被害者にもいかようにもなりうるのが私たち人間です。このブログでもたびたびこうしたことについては取り上げましたが、今一度考えてみたいと思います。



 ひと昔前のハラメントの典型といえば姑による嫁いじめ、「嫁イビリ」だったでしょうか。けれども、核家族化が進み親と同居する世帯が減少しているとりわけ都市部の家庭においては、そうした嫁いびりが起きる状況は少なくなったともいわれます。代わって現代の日本の家族社会に登場した新たなハラスメントのひとつに、いわゆる「家事ハラ(スメント)」があるといわれています。家事ハラとは、嫁イビリと同様に家庭内人間関係で発生するハラスメントですが、嫁による夫いじめ、つまり「夫イビリ」という形で起こります。

 夫が家事や子育てなど、家庭におけるさまざまな役割を手伝ったりこなしたりしようとする際、妻が些末な不手際や不十分さをことさらあげつらい、きつくあたり、家庭における夫の貢献なり協力の意思に対し、意図的あるいは無意識的に否定し低評価を下すような辛辣で攻撃的な言動をいいます。子育てや教育方針についての夫の意見や提案などに対して剣もほろろ、なにもわかっていないのね的な態度を見せたりもします。こうしたことは、普段からあまり関係のよろしくない夫婦だけでなく、円満な家族生活を送っている夫婦の場合でも、また専業主婦の場合も共働きの家庭でも起こり得る現象といえます。


 シンプルでわかりやすい例としては、(専業であれ共働きであれ)普段家事や家庭の問題について何もせず妻にまかせきりだったり、意見だけは言う無理解な夫への意趣返しあるいは報復として家事が行われます。たまに夫が何か家事をするたびに、「私が言ったこと聞いてた?」「ほらみなさいよ。ここ汚れ落ちてないでしょ。ちゃんと見てやってる?」「結局また私が最初からやり直さなきゃいけないじゃない」「ねぇ、それをやる意味がわからないんだけど」などと辛辣な言葉を口にしそれが常態化します。 

 他にもたとえば夫が職を失い様々な理由から新しい仕事になかなかつけずに落ち込みひそかに苦しんでいるような状況で、家にいがちな夫に対し「いつになったら仕事が見つかるの?」「近所の目もあるから平日はいないでほしい」「家事を手伝うヒマがあったら仕事探しに行ってよ」「家事もちゃんとできないの?」などのきつい言動を繰り返したりしてしまいます。

 こうした言葉は、夫の「行為」そのものに対する指摘うんぬんというよりも、夫の「監視」であり「人格」に対する攻撃に近いものです。自分を助けてくれるはずの夫の努力や苦しい事情に対して、本来すべき前向きで素直なコミュニケーションを感情的な報復に置き換え、相手に屈辱感を与えてしまうことを繰り返す結果、夫側のフラストレーションがついには爆発し夫婦関係をさらにいっそう悪化させてしまいます。


 いっぽう妻から夫へのハラスメントであることは同じでも状況が全く逆のケースもあります。夫が日ごろから家庭のことにかかわってくれたり、家事もそこそこうまくこなせたりする場合、あるいは妻のほうが家事の切り盛りがもともとあまり得意でなかったり、どちらかといえば気配りが苦手なタイプのような場合にも家事ハラは起きます。専業主婦であれ共働きであれ、我が国では家庭のことは妻がまずもってすべきとの固定観念を持つ人は、男性側にも女性側にもまだ多いようです。とりわけまじめで几帳面な性格であったり自分に低評価を下しがちで自信を持てないタイプ、あるいは本来の自由奔放な気性に反するような厳格なしつけやエリート指向の養育方針を持つ家庭に育ってきたような女性の場合、相手に上手に甘える、譲る、感謝する、人間だからダメなこともある、などと柔軟に考え夫に伝えることが苦手なため、「女性」「主婦」としての自分の地位が脅かされている、こんなことでは妻として失格だ、家庭の気配りができないのは恥ずかしいなどと、寛大な夫、満点パパに対して無意識的に劣等感情と脅威を抱き、夫婦生活にある種の息苦しさを感じてしまうのです。仕事が休みのせっかくの週末でも特に不満もなく淡々と掃除していたり、てきぱきと家事や子供の面倒に気配りをしたりする夫の姿は、彼女にとってみれば「どうしてこんなことまだやってないの?」「平日あんなに時間があるのに洗濯が溜まっているのはどうして?」「もっとちゃんと子供のこと面倒みないと」という夫からのメッセージとして受け止められ、それに対する自己防衛的抵抗として夫のあらさがしを始めてしまうといったことが起きてしまうのです。



 問題の背景には、家事の出来不出来そのものというよりも、現在の夫婦家庭生活についてお互いが抱いている不満や期待のずれ、家庭以外での人間関係、結婚あるいは出産、家族関係など過去にまつわる心理的葛藤や将来への不安、自身のパーソナリティ傾向など様々な要因が複雑に絡み合っています。共通しているのは、本来の問題なり不満と直接向き合えないかまたは自覚できずにうまくコミュニケーションがとれないため、自身の心の葛藤を抱えきれず、相手に責任を転嫁し、いらだちや攻撃という形に置き換えてしまっていることにあるようです。なお、場合によってはハラスメント(他者攻撃)の形を取らずに自分の中に葛藤を押し込め逆に自分を傷つけるような行為、たとえば上で挙げた三つ目のケースなどでは、隠れてアルコール過剰摂取、過食嘔吐、性的逸脱行為などに及んでしまうこともあります。


 けっきょく日ごろのコミュニケーションにおいて、まず自分の気持ちや感情の状態を見つめ、それを素直に伝えることの大切さにお互いが気付けていないところに根本の問題であるといえるかもしれません。つい相手がどうだこうだと指摘や決めつけから入ってしまっているかもしれません。上で例にあげた失業し家にこもりがちな夫への妻のハラスメントの根底には、妻自身が抱く将来の生活への不安があるはずです。そうであるならば、必要なのは夫への非難ではなく、自分も悩み不安に感じていることをまず夫に認めること、そして夫の苦境に寄り添い胸の内を明かしてもらいながら何ができるのかを共有しようとする姿勢なのです。夫婦間の心理的な隔たりを埋めることが、この失業問題解決へのなにより大きな一歩なのです。

 相手の本当の事情や気持ちは相手にしかわからないし、自分の事情や気持ちも自分しかわからない、という当たり前のことを、私たちは近しい関係であるがゆえにかえってなかなか認めることができません。(私の気持ちは)当然わかっていてしかるべきだ、(自分と同じように)夫あるいは妻は感じるべきだ、こういう場合~するのが常識である(なのにできていない)という自分側の思い込みでまずもって相手を裁いてしまうようなズレたコミュニケーションの積み重ねが、夫婦間の不協和音を増幅させていきます。

 ときに恥ずかしくプライドが邪魔することがあっても、素直な気持ちを相手に伝えることは決して自分の負けや間違いを認めることではないのですが、私たち誰にでも備わる自己を守ろうとする本能の柔軟な発動はなかなかに難しいことのようです。



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by yellow-red-blue | 2019-08-07 09:54 | Trackback | Comments(0)

  Мさんは絵がとてもお上手です。趣味だという水彩画の腕はそれこそ玄人はだしともいっていいもので、どんな風景も手慣れた筆致でていねいに描き上げます。海を描いたものが多いです。逗子にある自宅からは海がほど近く、たいていの穏やかな天気の日は折りたたみ椅子と画材一式、奥様が用意するお弁当を車に詰め込み、周辺の海辺を巡ってはいい場所を探し何時間もそこで過ごしあたりを描くといいます。仕事を引退した今ではそれが一番の楽しみと話している今この時も、自宅から車で二十分ほど出かけた小さな港の隅にある公園でスケッチをしています。

 Мさんは建築士事務所を長年営んできました。建物の設計デザインがお仕事なので絵が上手なのもうなずけます。今と違って便利なコンピュータやソフトなどなく、設計図から何から何まで自分で線を引き手書きをするのが当たり前の時代は、建築家を目指すたいていの人はみなデッサンや絵が巧みだったねとお話になります。

 瀬戸内の小さな港町に生まれ育ったМさんは、苦学のかいあって東京の一流大学に合格、建築家を目指し勉学に励み、大学卒業後はゼネコンの名門に就職、やがて一級建築士の資格も取得しました。本当は画家になりたかったといいますが、画家では食べてはいけないだろうと建築家をめざすことにしたのでした。戦後高度経済成長期のただ中、建設ラッシュと好景気に支えられ誰もがうらやむエリート街道を進むことを約束されたかのようなМさんは、家族親族の希望の星であり、小さな田舎町である郷土の誉れですらあったといいます。大げさに思われるかもしれませんが当時はそんな時代だったでしょう。二十代半ばには結婚もし、周囲からすべてが順調に行っているように見られていました。


 

 けれども、職場の労働環境は入社当初から厳しいものでした。一級建築士の資格を取得してからはさらに苛烈を極め、主任技術者として早朝から夜遅くまでの建設現場での勤務、その後会社に戻り残務処理などの業務に追われ、休日には住宅販売の営業業務もやる毎日。毎晩帰宅は深夜の一時か二時。それでも翌朝六時には起床して建設現場へと戻る毎日でした。現場では日々様々な工事遂行上の困難や作業従事者に関するトラブルが立ち上がり、それらへの対応の難しさからくるストレスに疲れ果て、次第に精神的に追い込まれていきました。

 会社には俗にいう過労死(待機)リストなるものが存在していたそうです。それは公然の秘密で誰もがそれを知っていました。周囲では多くの人が過労死や精神的破綻に追い込まれていきました。けれどもМさんの働く業界でそれは珍しくないことであり、そうしたことに対する根本的な疑問の空気はほとんどなかったといいます。それが当時の会社だったのでした。

 やがて自分の名前がリストの筆頭に上がったことを同僚のうわさで聞かされたМさんは、会社や周囲から強い説得や引き留めもあったものの、悩んだ挙句に退職し独立開業の道を選びました。本当にもう限界でした。自分がまだそうした決断ができる精神状態であったことがせめてもの救いだった、そうお話になります。

 

 独立開業後は好景気にも支えられ、仕事を依頼してくれる人もいて何とか続けていくことができました。けれども実際仕事が軌道に乗るまでは厳しい道のりでした。ただ設計していればそれでというものではなく、現場作業の管理に加え、現場作業員をかき集めたり、給与報酬の交渉もひとりでやらなければならないこともあったそうです。トラブルも珍しくなかったといいます。ある時、施工依頼主から作業が止まっているとクレームがあったのでМさんがあわてて現場へ行ってみると、現場の棟梁が突然消えてしまい工事がストップしていました。このまま契約の履行がなされなければ莫大な賠償金を個人で負担しなければならなくなってしまうことから、とにかくその日のうちに代わりを探さなければいけなくなったМさんは、山谷のいわゆるドヤ街まで出かけ、簡易宿泊施設を回り夜遅くまで代割の職人を必死に探し回ったそうです。他に頼る人もいないため、Мさんの奥様も同行し手伝ったそうですが、当時山谷は女子供が安心して行けるような場所ではなく、奥様は内心とても怖かったそうです。


 

 Мさんが会社を去るにあたって一番つらかったことといえば、会社を辞めることを知った身内からの非難と無理解でした。自分の将来をどぶに捨てるような決断をして後できっと後悔する、誰もが我慢して頑張っているのに、なんて弱い情けない人間だとさんざんにののしられました。挙句、非難の矛先はМさんの奥さんにまで及びました。きっとあの嫁にたきつけられたに違いない、都会育ちの嫁がいらぬ入れ知恵をした、子どもも作らず好きなように生きているあの女Мさんをダメにした、など根拠のない辛辣な陰口をささやかれたそうです。

 実際は、Мさんのことを理解し支え続けたのは奥さまだけでした。彼女がいたからこそ何とかここまでやってこれたとМさんは言います。それでもそんな身内や知人からの仕事の依頼で助けられたこともあったから、文句もいえなかったといいます。家族とはありがたくもあり迷惑なものでもあるとМさんは苦笑しながら当時を振り返ります。

 あの時の選択が正しかったのか間違っていたかはわからない。別の人生もあったかもしれないし自分も若かったからもう少し器用に生きてこれたかもしれない。でも今がまあまあ幸せと感じているのだから、正しかったでやっぱりいいでのはないか。そうМさんは考えています。


 

 ところで『安全第一』の意味知ってる?とМさんが質問をしてきました。はて、建設の現場などでよく看板表示されているお馴染みの標語だとすれば文字通りそのままの意味、危険と隣り合わせの工事現場での事故防止と安全な工事実施を徹底しますとの近隣住民への配慮と現場作業従事者の自覚を宣言したものではないでしょうか、といった感じで答えると普通はそう思うよね、でも本来の意味は違うんだよ、とМさんは説明します。

 『安全第一』は、もともとアメリカの鉄鋼王のカーネギー(それはМさん記憶違いで、実際は有力鉄鋼製鉄企業USスティールのトップだったエルバート・ゲイリー)が宣言した『safety first』の翻訳で、劣悪で危険な労働環境で犠牲者も多かった二十世紀初頭の時代に、彼はそれまでの利益第一主義、安全は二の次だった経営方針を転換して、安全第一、利益や生産性はあくまでその次との新方針をはっきりと打ち出したのが始まりだといいます。

 つまり安全第一という標語は本来、会社にとって最重要なのは従業員の安全であり、企業利益や生産性はあくまでそれが達成される限りにおいて追求します、という経営者の労働者に対する「誓い」だったのです。「安全第一」の看板は工事現場ではなく、社長や重役達の部屋に掲げられるべき言葉なのだと。それがいつしか時代とともに形骸化し、その他にもいろいろな標語がやたら編み出され、結局現場の作業員を律するような合言葉みたいになってしまったところはいかにも日本的といえるのかもしれません。

 

 その後もしばらく話は続きました。絵を描きたいと思うようになったのは、独立を決めて東京を離れてこっちへ引っ込んで随分と経ってからだよ。絵を描いているとき何を考えているかって?何も考えない、本当に何も考えずにただ描くんだ。自分が設計した建物への愛着?もうあまり覚えていないよ。でも自宅だけはやっぱり愛着あるかな。仕事場は六本木? あのあたりでも昔ビルや建物を設計したね。古いけど今でもあるんだろうか。機会があったら行ってみたいけど。でも無理かなもう。趣味がない?そりゃいけないな。なんでもいいから持つといい。忙しすぎるのもダメだがヒマもいけないよ。(私の職業について)そんな職業当時もあったかもしれないが、いやそれでもなんともならなかったかな。それが異常なことだという認識や空気が会社や現場ではなかったから。『それが会社だ』って時代だったからね...


 来年東京ではオリンピックが開かれる。建設ラッシュ、新しい施設や景観と経済効果への期待、興奮と感動、未来への希望。五十五年前の東京オリンピックのときとなにも変わりはしない。多くの人の汗と努力の結晶だと人はまた言うだろうね。けれどもそんな言葉は、所詮は後年まだ生きている人達の自己満足の感傷にすぎないよ。犠牲となっていった人々やその家族は、昔も今もそしてこれからも語られないままなのさ。


 

 Мさんの絵はとても穏やかです。パワーは感じられないが力が抜けている。心に負った何かをだましだまし癒すかのようにゆっくり描いていきます。

 最後にМさんは言いました。

 「そのうち絵を送るよ。たくさん描いても貰ってくれる人もいないからねぇ。」




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by yellow-red-blue | 2019-07-23 16:27 | Trackback | Comments(0)

 全国的にあいにくの梅雨空、七夕の空に天の川を拝むことはどうやらかなわないようです。長雨や鬱陶しいどんよりムシムシとしたお天気も考えてみれば梅雨の時期ならではの空模様なのですから、いかにもらしい季節を味わっているともいえるのですが、大きな災害をもたらすほどの荒天の報に日々接すると、やっぱり異常気象の言葉が頭に浮かび、そうのんきに穏やかな気分でもいられません。

 七夕といえば年にたった一度、織姫と彦星が会うことのかなう日であることにちなんで、それぞれが願いを込めた色とりどりの短冊で笹の葉を飾りこの日を祝うことはよくご存じのとおりです。仙台の七夕祭りのように地域を挙げ盛大に催されるお祭りもあり、夏至を過ぎ小暑のちょうど今頃、本格的な夏の始まりを告げる風物詩でもあります。

 悲しくもロマンチックな織姫・彦星伝説は、中国の古いおとぎ話がそのもとになっていますが、歴史上中国文化の影響を強く受けてきた日本では、七夕伝説も古代の頃から親しまれていました。今ではひたすら自らの願望の実現を祈るイベントのような扱いにもなっていなくもありませんが、古代の日本人にあっては、この七夕伝説の逸話そのものが時節季節を問わず折にふれ意識され、感情を強くゆさぶるものであったようです。


 和歌の名手として三十六歌仙のひとりに数えられる万葉歌人、大伴(中納言)家持はこんな歌を残しています(横書きだとちょっと違和感がありますね)。


 かささぎの 渡せる橋に おく霜の

 白きを見れば 夜ぞ更けにける


(歌意)

 カササギが群れをなし翼を広げ天の川に架けた橋のように、宮中御殿を結ぶ階段には真っ白な霜が降りている。その白さを見ると、夜もすっかり更けてしまったと感じられることだ。

 

 厳しい冬の寒さの情景を描いたものでありながら、実はこの歌には七夕伝説が巧みに織り込まれています。中国の伝説では七夕の日、かささぎが群れをなし翼を広げて連なり、天の川に架ける橋となって、織女(織姫)を牽牛(彦星)のもとへと渡し、二人の逢瀬を助けるのです。カササギは漆黒のカラス科の鳥ですが、お腹と肩のあたりだけが白いのが特徴です。

 アーチ状にかかる宮中の橋に降りた真白な霜のあまりの美しさに、七夕伝説のカササギを連想し、暗く寒い深夜であることも忘れ感動しているさまがありありと伝わってきます。小倉百人一首にも選ばれているこの名歌からは、万葉人の七夕伝説に寄せる思いが色濃くうかがい知ることができます。

 それほどまでに古代日本の万葉の夜空は美しく、人々は壮大な天の川を身近に感じ、それこそ時節季節を問わず見上げていたことでしょう。いつの頃からかほの暗さを嫌うようになっていった私たちが暮らす世の夜では、例外はあるにしろそれはすでに極北のオーロラを見るがごとく困難なものになってしまいました。漆黒の夜空にきらめく無数の星々の姿を見失ってしまった自分と日常にふと気づかされるのが、ある意味現代の七夕なのかもしれません。令和と命名された時代にはるか一千数百年前の万葉人のたおやかな心に憧れるのも、ロマンチックなようでもまた皮肉なようでもあります。


                     *

 

 先日近所で用事を済ませての帰り、普段何気なく通り過ぎる小さな公園の前でおや、と歩を緩めました。ただでさえ子どもの遊び場が不足がちな都心にあって、ほんのわずかな住宅地の隙間に設けられたその公園は、いつも遊びに夢中な子どもたちがそれこそギュウギュウ詰めに歓声も絶えないのですが、梅雨の晴れ間のしかも週末にもかかわらず、だれもおらずひっそりと静まりかえっていることにふと気づいたからでした。

 よく見れば、老朽化が進み安全性に問題のある遊具の撤去通知の看板と、立ち入り禁止の黄色いテープが遊具の周囲をぐるりと張り巡らされていました。最近しばしば見かける光景です。ブランコや滑り台、シーソーやジャングルジムといった公園や学校の校庭によくある遊具には、大人であれば誰しもがちょっぴりノスタルジーの情を覚えてしまうもの。幾世代何十年ものあいだ、子どもたちに使われた遊具が時代に取り残され用済みになり、撤去を待っているそんな光景にふと切ない思いがこみあげてきてしまいなくもありません。

 そんな事情を知らずにやってきたのでしょう、公園の前には所在なげにたたずむお父さんと小さな子供のうしろ姿がありました。ふたりの背中からは、落胆と去りがたい思いとがありありとうかがえます。けれどもその淋しげな背中の下で、大きな手に優しく包み込まれた小さな手は、古き時代は去り行くけれど、親子の情や絆はいつの時代も変わらずにある、そうであってほしいと願うには十分なほど愛おしく私の目に映りました。

 


 昨今、家族や親子にまつわるやるせなさを超えなにか殺伐とした陰鬱な話題に接することが多いと感じられるかもしれません。そうしたある意味日常を逸した異常な出来事を日ごとさまざま報道するのが情報メディアの仕事であることを思えば、そうした事態にばかり私たちの注意と関心が行ってしまうのは無理からぬことなのかもしれません。けれども、盛んに報道されているからといってそうした出来事が増えている、常態化している、だから世の中は真っ暗である、とまでは言い切れません(もちろんそれらが氷山の一角に過ぎないという可能性も常にあります)。人は、とりあえず身近にあるいは頻繁にもたらされる情報を受け取ることが習慣化することによって、思考や判断の際にそうした偏った情報にのみアクセスしやすくなる認知ルートが出来上がってしまいうというやっかいな特徴をバイアスとして持っています。つまり、概して我々が抱いている「実感」と「事実」とには大きな隔たりがあるものなのです。

 不幸な人は不幸な側面を見、幸福な人は幸福な側面を見がちで、結果世の中もそうしたものに違いないというバランスを欠いた認知を素朴に持ってしまいがちなのかもしれません。どちらととるかは人や事情でそれぞれでしょう。ただ世を騒然とさせる事件や痛ましい出来事は私たちの社会の投影であり、両者は抜きがたく結びついていることもまた確かなことのように思えます。決して自分とは無縁ではなく、いえむしろ私たち一人一人が社会の構成員であるように、様々な出来事なり現象に、私一人一人は直接的にしろ間接的にしろ加担しているのだ、という批判的で観照的な視野と態度を忘れないことが、複雑で変化に富んだ厳しい今の時代だからこそ私たち一人ひとりに求められているのだと感じます。




                    *

 

 ところで、後ろ手に握りあう公園の親子の姿を見てある映画を思い出しました。秀逸なパントマイム芸でその名を知られた舞台コメディアンのジャック・タチが監督・脚本・主演をした映画『僕の伯父さん』(仏,1958)です。私の最も好きな映画のひとつです。 

 セリフらしいセリフは最小限(主演のタチが扮する伯父さんはたった一言だけ喋るシーンがある)で、ストーリーもあるようでなく、日々の逸話の重なりといった奇妙で個性的な映画は、けれども風変わりな社会風刺コメディという表層に隠れつつ、私たち一人ひとりそれぞれに豊かなメッセージをもたらし、いとおしさと静かな感動で心満たされる映画史上の傑作なのです。

 2時間を超える長尺の映画は、テンポも遅くプロット(変化に富み入りくんだ筋立て)もなく、したがってなにも起きているようには思えず(戦後の小津安二郎の映画にどこか似ていなくもありません)、現代の映画やテレビシリーズ作品に慣れている人にはその意味を図りかね、退屈にすら映るかもしれません。

 けれどももしそう感じたのなら、そう感じている自分と向き合ってみる逆に良いチャンスかもしれません。この映画が自分にもたらすものは何か。もしかするとそれは今の自分がどこかへ置き忘れ忘れていたもの、本当は求めているもの、今こそくみ取る価値のあるものかもしれません。文化芸術のすぐれていいところはそうしたところにあるのではないでしょうか。

 鬱陶しい梅雨空が続く中、どうせならしばし家にこもり、60年あまり前に作られたこの映画を楽しんでみてはいかがでしょう。「後ろ手の親子」の意味もきっとわかります。




最後までお読みいただいてありがとうございます。

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素晴らしい出会いがたくさんありますように

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by yellow-red-blue | 2019-07-07 00:04 | Trackback | Comments(0)

 「生まれました!すごくかわいいんですよ。しかも四羽も!」

 カウンセリングルームへ入ってくるなり、息を弾ませながらそう報告するHさんの笑顔を見たのはもう何か月ぶりかのことでした。何のことかと戸惑っている私に、「ツバメです。ほら、教えてもらった巣です。ずっと空っぽだったからどうしたのかなと思っていたら、今日は小さな巣にギュウギュウ詰めで元気に鳴いているんです。なんだかうれしくて...」

 何の折りだったか仕事場近くのビルの駐車場の屋根の軒先の隅に偶然発見したツバメの巣と周囲を飛び交うツバメの姿の事を何気なく話題にしたところ、さんはどうやらそれ以来、カウンセリングに来る道すがらその巣を観察するのをひそかな楽しみとするようになったそうです。都心の空や街中を飛翔するツバメの姿が最近めっきり減ったようにも感じられ、巣作りや雛が孵る時期も随分後の季節にまでずれ込み気味なのも気になっていたものでしたが、思わぬ近所でのツバメの巣の発見という私的な興奮がHさんにも伝染したようでした。


 

 カウンセリング中はいつもどちらかと言えばふさぎがちで涙の止まらないこともめずらしくないさんが、かつて経験した戦慄の出来事とその後歩まなければならなかった人生の苦悩の複雑さについて考えるとき、そうしたことが実は誰しもの身にも起こりうることであり、私たちの多くが普段何ひとつ疑いもなく享受している生活や人生、ときに厳しくほろ苦くもそれなりに充実している日常が実は、それほど当たり前なことでも努力と才能でひとり勝ち得たものでもなく、ほんのちょっとした運命なり偶然のいたずらやすれ違いによってかろうじて支えられているものでもあり、したがってそれらは実はどうとでも転びうるものであったに違いない、というやるせない現実を私に常に突き付けてきます。

 カウンセリングの場面では珍しくないこうしたことについて、私たちが普段思いを巡らせることはまずほどんどないでしょう。というよりそうであるとは信じたくないのが私たち人間というものです。以前ブログで以下のようなことを書きました。


 『いつだって誰にでも起こりうることなのだ、運命なり偶然がそうした人々につらく当たっただけで、そして次は自分の番かもしれない。そうは考えたくはない私たちは、この世の中は公正な世界であって、よい人にはよいことが起こり、悪い人には不幸が起こるはずであるという因果応報的な世界観を堅持したい傾向にあります。自分はこんなにも頑張っている、正しく生きようとしているのだから、自分は違う、自分の身の回りには起こらないはずだと。したがって、こうした信念が脅威にさらされるような異常な事件やあまりに悲劇的な事柄に直面した時、私たち人間は同じようなことが自らに起こる可能性を拒否し、さまざま原因のあら探しを始め、ときに被害者に何らかの非があり自業自得なのではないかとすら考え、何とか自分達の信念を守ろうとしてしまいがちです。』

 

 これは私たち人間が無意識に持っていると言われる心理的バイアスのひとつですが、同時に心の安定に寄与する安全装置でもあります。この安全装置が機能することなく耐えがたい苦痛を現実に味わってしまった衝撃をどうすれば消し去ることができるのか、ありきたりでもいいから普通の人生を送ってみたい、そう日々苦闘し続ける人々もまた私たちのすぐそばにいるのだということをせめて知ってほしい。それで何が変わるのでもないと知りつつも、ついそうした願いが私の頭をよぎります。




 起きてしまったことはなしにはできないから辛いものです。「起きてしまったことは忘れなさい。起きてもいないことをくよくよ考えるのはやめなさい。」一番シンプルな人生の教訓かもしれませんがそれが簡単にできるのなら私のような仕事は必要ありません。ではなんとかとりあえずでも楽になる方法はないか、あるいは過去に振り回されない方法はないか、と問われることもしばしばですが、けれどもこの二つが心の問題で一番の難問です。がっかりさせてしまうことも多いのですが、実は私にもはっきりと明確な答えを出すことはできないことのほうが多いです。

 「これこれ(原因)をやったから楽(結果)になった」という単純な点と点の因果関係を経験することはほとんどないように思います。むしろなんとも頼りない言い方ですが、「とにかくあれこれ進んでいくうちに、いろんな変化が起き、治っていく」が実感なのです。

 そして、結局のところカウンセリングの最後のよりどころは、それでも素敵な人生は誰にだって可能なのだ、人生には確かにそれぞれの生きる意味があり、歩む価値のあるものだ、とブレることなく信じていくことしかありません。そう人が信じ続けられるよう支え続ける工夫の連続の積み重ねの先に「変わっていく、治っていく」ことがカウンセリングでありそれが問題解決の一番の近道なのだと感じます。




 いつもとあまり変わらない調子に終始したカウンセリングを終えたさんは、それでも最後に明るく微笑みながら、「今日は家へ帰ってお祝いします。あんな素敵な光景に出会えたのだから。」とルームを後にしていきました。来週も今日のように少しまた笑顔がみられるだろうか?ツバメの雛たちのように偶然出会うささやかな日常の喜びがいくばくかの生きる力になることもある。そして来週はもうそうは思えなくなっているかもしれない。それでも私たちはとにかく前へ進んでいく。一緒に。



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by yellow-red-blue | 2019-06-10 01:56 | Trackback | Comments(0)

 先日ひさしぶりに東北へ旅行に出かけた時のことです。日中昼間にはほどんど人通りのないひなびた風情の小さな町中をしばしぶらぶらした後、どこかでひと休みしようかとあたりをきょろきょろしていると、東京ではお馴染みのグリーンが基調のカフェの看板が目の前に唐突に現れました。ありがたいやら、でもせっかく東京からこんなに遠くに来てまで、とがっかりするやらなんとも身勝手な気持ちにさせられる一方で、今やこんなのどかで懐かしささえ覚える日本の原風景のような小さな町にまでスタ〇があるのかと少々驚かされました。ほんの数年前、地方都市に住む友人の誕生日に、たまにはちょっと風変わりなものでもと今どきのカフェで使えるプリペイドカードやマグカップを贈ったところ、「東京じゃあるまいし、そんなこじゃれた店こっちにあるわけないよ」と一笑に付されたことがもうはるか昔のことのように感じられます。



 

 シアトルという名前で何を思い浮かべるでしょうか?

 アメリカ太平洋岸の北西部ワシントン州の大都市であることは多くの人がご存じのことでしょう。また、ボーイングやマイクロソフト、アマゾン、任天堂、ベンチャーITといった今時のグローバルトレンド企業の誕生の地でもあることでも有名です。野球に詳しい方なら、イチローが現在でも在籍するシアトルマリナーズの本拠地としてお馴染みでしょう。

 加えてシアトルの名を最も有名にしたのは、冒頭旅先で私が出くわしたスターバックスやタリーズ、シアトルズベストといった、いわゆる“シアトル系”といわれるカフェ文化の発祥の地であることかもしれません。都市部を中心に今や世界中いたるところにあるこうしたカフェに、いい香りの飲み物と自分だけのくつろぎの時間、あるいは勉強・仕事の場を求め多くの人々が日々集まっています。 


 80年代後半から90年代頃のアメリカにおいて、シアトルという街や言葉の響きには、従来のアメリカの政治経済文化の中心である東海岸でもまたカリフォルニア西海岸でもない、新たな生活や生き方を予感させるトレンドとしての象徴的ニュアンスがあったように記憶しています。"ライフスタイル"という言葉がさかんに使われトレンディな表現として定着したこともこのいわばシアトルスタイルと無縁ではなかったでしょう。今では日本でもごく日常的にとかく便利使いされる言葉です。


 そのシアトルという地名が、かつてこの土地で暮らしていたアメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン)の族名であることを知る人は少ないかもしれません。インディアンといえばアメリカ西部のほんの一部の地域に暮らしていた少数先住民と思っている人もいるかもしれませんが、実はかつてアメリカ全土隅々までたくさんの先住民族が存在し、それぞれが独自の伝統文化を持ち暮らしていました。彼らの多くがやがてヨーロッパから大挙押し寄せてきた白人によってその生命や住み慣れた土地を奪われ、先祖代々受け継がれてきた誇り高い精神性と伝統文化までもが野蛮なものであるとして否定され、強制的な同化政策をはじめとするアイデンティティのはく奪という悲劇が長い時代続いたことは周知の歴史的事実です。

 シアトル族の人々もそうした歴史の例外ではなく、19世紀の半ばアメリカ政府との条約締結によって、代々住み慣れた豊かな土地からの強制退去と不毛な居留地への強制移住を余儀なくされたといいます。

 母なる大地を追われたシアトル族の人々にとって後の人生に残されたのが、白人国家支配をただ生き延びるためだけのライフスタイルだったとしたら、それは悲劇以外のなにものでもなかったでしょう。現代のライススタイル発祥の地シアトルが、かつてアメリカ先住民の素朴で深遠な精神生活を営む暮らしが根こそぎにされたその地であったことは何とも皮肉な話といえるかもしれません。



  

 私たちもまた、急速な時代と環境の変化に耐えそれに素早く順応することを陰に陽に強く要請される社会に生きているといえます。そうした要請に対し心理的な抵抗感や疎外感をひそかに抱えながら生きている人が世代を超え数多く存在しているという実感を私は仕事を通じて持っています。すべてを時代や社会のありかたのせいにすることは安易でありフェアではないとしても、やはりそこにはただ生き延びるためだけに送らざるを得ない苦悩の人生が看過しがたいほどの切実さをもって現実の私たちの周囲に横たわってはいないか?そのこととアメリカンネイティブの辿った道とになにがしかの共通項を見出すのはあまりに無茶苦茶な絵空事だとは頭では理解していながら、それでも何かもやもやとしたものを捨てきれずにいます。本当はそうとも言えないのではないか、と。

 

 旅の途中で見かけた日常ありふれた看板からふととめどもなく思いがめぐっていく。日常を離れ、離れたいと願えばこそかえってその日常が別の道をたどりやがて自分に迫ってくる。それもまた旅することの意義であり得難い魅力なのかもしれません。


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by yellow-red-blue | 2019-05-21 22:50 | Trackback | Comments(0)

 例年にも増して天気と空模様が日ごとめまぐるしく変わる4月のようです。初夏を感じさせるまばゆい陽光の汗ばむ日があるかと思えば、季節外れの北西の冷たい季節風があたりに散る桜の名残りを空高く舞い上げ、衣替えを後悔するような日があったり、雲が低く垂れこめうっとおしい梅雨空と見まがう日もあれば、朝晩冷え込んでいた空気を朝日が急に温め、春霞があたりをぼんやりと覆い、その湿気を含んだ空気に新緑が濃厚に香る日もあります。予測のつかないこの頃の天候のゆらぎに、体調管理や衣服の選択などつい日常に煩わしさを覚えてしまいますが、同時にあたかも季節が平成最後の春を惜しむかのように足踏みしながら、新時代へと急ぐ私たちに日ごとちょっぴり贅沢な自然の息吹きのうつろいをサービスしてくれているようにも感じられます。



 過去にカウンセリングにいらした方々のことを何かの拍子にふと思い出すことがあります。随分と前のことだったり、たった一回お会いしてもうそれっきりの方だったりといろいろなのですが、そんな人達に思い巡らせていると、それから幾日も経たないうちに今度はその方々から急に連絡がある、という経験を過去に何度かしています。それらは単なる偶然なのですが、でもやっぱり不思議な感じもします。久しぶりにお会いして挨拶代わりにそのことを告げると、みなさん一様に驚かれたり、やっぱりまたここに来たのは正しかったかもしれない、来るべき時期だったのかもしれない、などとちょっとしたこの偶然体験になにがしかの意味を探すようなものの言い方をされます。心身に悩みや不調を訴えていらっしゃるからこそまた訪ねてこられるわけですから、そんな時人はどこか偶然では片づけてはいけない希望のようなものを見出したい気持ちになるのかもしれません。



 以前相談に訪れていたМさんから、彼女が体験したある不思議な出来事について話をうかがったことがありました。Мさんはしばらく前から原因不明の体調不良を訴え病院通いをしていたのですが、ある時病院でいつものように診察の順番を待っていると、案内の看護師が待合スペースにやってきて周囲を見渡しながら「~さんお入りください」と呼んだのです。その名前を聞いたМさんは一瞬はっとなりました。なぜならそれはさんの父親の名前だったからでした。Мさんの父親はすでに数年前に他界されていました。こんな偶然もあるものだと驚いたものの、考えてみれば同姓同名などはそれほど珍しいことでもないかと思い直し、それでも自分の父と同じ名前の人とはどんな人なのかとそれとなくきょろきょろあたりを見回していました。ところが、看護師の掛け声に応える人は誰もいませんでした。看護師が何度か名前を繰り返したり、それほど広くないクリニック施設内をあちこちきょろきょろ探すのですが、やっぱり該当者は現れません。なにかの理由で席を外してしまったとか途中で帰ってしまったとか、あるいは事前予約をした時間に来られなかったであるとか、普段なら気にも留めないところですが、父親の名前などその死後耳にすることなどなかったその時のМさんは、何かとても落ち着かないものを感じたのでした。

 しばらくしてふたたび自分の父親の名前が呼ばれ、でもやはり誰も姿を見せないため戻っていく看護師の後ろ姿を見て、どうしても事情を知りたくなったМさんは、受付に歩み寄り担当と思しきその看護師の方に話しかけたそうです。

「あのすみません。呼ばれていた(父親の名前)のことですが」

「はい、~さんは?ご家族の方ですか?」

「いいえそうじゃないんですが、その名前は~で間違いありませんか?」

 それを聞いてけげんそうな表情をした看護師さんでしたが、念のため名前をチェックしようと手元の書類に目を落としました。けれどもしばらくするとあれ、という表情に変わり、そのうちきょろきょろあたりを探し始めたそうです。その後急ぎ足で診察室にも入っていったのですが、しばらくして首をかしげながら戻ってきました。どうやらほんの数分前に呼んだ名前の元となる書類やカルテ、保健証といった記録のたぐいがどこを探しても見つからなかったというのです。では自分はいったい何を見てその人の名前を呼んだのか、その看護師もキツネにつままれたような表情だったといいます。

 その時なぜかМさんの頭を、遠い故郷の老人ホームにひとり暮らす高齢の母親のことがよぎったそうです。施設に連絡を入れお母さんの無事を確認し安堵したものの、その日はその後もずっと父親の名前が頭から離れず、結局急に思い立って母親に会いに田舎へ戻ったのでした。Мさんの母親が突然体調の不調を訴え入院し、そのまま亡くなったのはそれからほんの数日後のことだったそうです。久しぶりに母親としばし一緒の時間を共にし最期を看取れたことがせめてもの救いだった、と話してくれたМさんは、実は自分は母親に対して引け目のようなものをずっと感じてきたことを告白してくれました。父に先立たれ一人寂しく暮らす母親をひとり残したまま自分は都会暮らし。忙しさにかこつけたまの休みにしか顔を見せずろくな話し相手にもならず、それどころかただ自分の生活の都合を優先して老人ホームに押し込めるように入居させてきてしまったことをずっと心の奥底に罪悪感として抱えていたのでした。あの病院での出来事は亡き父親からのメッセージのようなものだったかもしれない、としみじみお話してくださったのでした。Мさんの原因不明の体調不良はしばらくして徐々に消えていきました。



 Wさんは、娘夫婦とお孫さんと暮らす80代の女性。長年連れ添ったご主人と死別して数年がたちます。Wさんのご主人は、亡くなる数年前に認知症を発症し症状はその後急速に進行、たった一人で身の回りの面倒を見てきたWさんは、肉体的にも精神的にもほとんど限界まで追い込まれていたそうです。亡くなってしばらくは、悲しみと様々な重荷から解放された安堵感とが複雑に入り混じった状態だったものの、周囲にはむしろ冷静に夫の死を受け止めていたかに映っていたWさんでしたが、数年が経った頃からかえって夫がいなくなったことの強烈な喪失感と悲しみの感情がWさんを襲うこととなりました。旺盛だった食欲もめっきり衰え、ふさぎがちで日常生活から次第に気力と活力が失われていきました。私は心配した家族の相談を受け、しばらくご自宅に伺って話し相手のようなものをしていましたが、半年ほど経過しても状態にさしたる改善は見られませんでした。


 ところがそれからしばらくたったある時、Wさんのお部屋にお邪魔すると、いつもはただぼーっとテレビを見ていたり何もせずに遠くを見ていたWさんが、せっせと部屋のタンスを開け身の回りの衣服の整理をしていたのです。私が声をかけると、振り返り挨拶するWさんの表情はいつになく明るく声にも元気があったのでとても驚きました。何かあったのかと尋ねると、私にお茶を淹れながらさんが最近体験したあるエピソードを嬉しそうに話してくれたのでした。


 その日もいつものようにボーっとテレビを見ながら過ごし、夜中も過ぎる頃になってそろそろ寝なければと、部屋の明かりを消そうとしたときのこと。突然あたりに強烈な臭気が漂ってきたそうです。Wさんはすぐに、それが夫を介護していたつらい日々、毎日のように部屋に漂い嗅いできた夫のおむつの排泄物の匂いであることに気が付いたのでした。今のWさんにとってそれは、介護する日々には決して思いすることのなかったほどの、懐かしく恋しい夫の存在の証しである「香り」でした。はじめは孤独を感じるがゆえの気のせいかと思っていたそうですが、その翌日もほぼ同じ時間に確かに匂いが漂ってい来ることを経験したさんは、ご主人が会いに来てくれたのだと、匂いそのものに癒されるようになっていったそうです(後で気が付いたそうですが、においが漂ってくる時間はご主人のなくなった時刻あたりだったそうです)。その後ご主人の匂いは次第に消えていったそうですが、Wさんは夫がけっして自分を忘れたまま逝ってしまったのではなく、今でもそばに寄り添い続けてくれていると信じられるようになった、それで十分と笑顔で語ってくださいました。悲しみは消えることはないけれど、そんなことをきっかけとして自分と折り合いをつけ少しずつ元気を取り戻していったのでした。



 不思議とも思えるこうした出来事を合理的にさまざま説明することはできるでしょう。心理学的な解釈も可能です。けれども私たちが人生において実感する真実とは、事実や世の常識とはまた別に存在し、私たちそれぞれに価値あるものとして受けとめられていくものです。それが偶然であろうと錯覚であろうと思い過ごしであったとしても、そうした体験は、時として私たちの心に科学や常識、知識を超え得難いものをもたらし、悲しみや苦しみの底から回復する手掛かりすら与えてくれることがあります。カウンセリング技法がなにやら小手先の言葉の遊びにすら感じさせ、データや科学に基づく人間理解の限界に出くわす瞬間でもあります。けれどもそれは決して無力感にさいなまれる瞬間なのではなく、無限で自由な可能性に常に開かれている存在としての人間の価値を改めて確認する瞬間でもあると感じます。



 

 間もなく終わろうとしている平成の時代は、インターネット革命と急速なデジタル化の時代でした。それに続く令和の時代はさらに進んでAI社会へとひたすら疾走するかのようです。AIが急速に進みGAFAと言われる巨大プラットフォーマーの出現によって近年私たちがようやく気付きつつあるのは、平成の時代から盛んに言われてきたインターネットで広がる自由で無限のネットワーク社会などというのは実は甘い幻想でしかなく、私たちが日常接し利用しているインターネット情報やサービスは必ずしも中立・公正・多様なものではないということです。

 私たちのありとあらゆる個人の情報は、インターネット利用により提供される無料サービスの対価として、毎日絶えず企業等に提供され利益を生み出すための道具として無尽蔵に利用されています。ITAIが収集する膨大な情報を利用したプロファイリングやスコアリングによって、内心や動機、個人的信条といった絶対不可侵であるはずのプライバシーまでも含めた私たちの人格・パーソナリティが、私たちのあずかり知らぬ間に推定、格付けされ、それらが果たして私たち人としての存在の真実であるのかどうかなどほとんど考慮されることなく、ひたすらデータにより推断されたもう一人の「わたし」が社会で独り歩きする時代がすでに到来しつつあります。そして、そのプロファイリングされたもう一人の私をターゲットに、その私が好み求めるであろう、あるいは利用する側の目的にかなう、予測され、視野の狭い、恣意的で一面的な世界の情報が日々供給され、それをひたすら受け取り反応することにのめり込む人々の塊の社会が生まれつつあります。そこに果たして、ランダム性や偶然性に満ちた自由、主体性や自立性がもたらす可能性といった人間に真に必要な価値や理性ある存在としての尊厳の居場所などあるのだろうか、とふと不安も感じてしまいます。

 AIの時代が後年、結局はまわりまわって人間の得難い価値への尊厳に気づき、それを再び取り戻すもうひとつその先の時代への必然的プロローグに過ぎなかった、と評価されるような未来社会の到来をひそかに願わずにはいられません。

 


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by yellow-red-blue | 2019-04-22 17:38 | Trackback | Comments(0)

 あたりが一日の始まりの喧騒で騒がしくなる前のまだ静かな早朝、自宅のベランダで外の空気にしばしぼーっとあたっていると、ときおりゴーというかすかな地鳴りのような音が響いてくるのを聞き分けることがありました。朝のトラックや清掃車、ゴミ回収車といった車両音のたぐいかなとずっと思っていたそれが、実は東京湾上空を羽田空港から離陸していく旅客機のジェットエンジン音だと気が付いたのはほんの最近のことです。はるか遠くに小さなピンのようにしか見えないあの旅客機の音がこんなにはっきりと響いてくることに驚きながら、それが空気という見えないものがあたりに満ちているがためその振動として伝わってくるのだということ、つまりあたりは無(真空)ではない証拠であるということを今更ながら実感したのでした。確実にそれは存在しているのだけれども実際には目にすることはない、意識しなければ気付かないような物事が、私たちの身の回りには実はたくさんあるのだということにしばしば気づかされます。

 少し話は飛びますが、たとえば先日現役野球選手からの引退を表明したイチロー選手は、生涯3089本ものヒットを打ちました。けれどもその陰で、その数倍もの打席数の凡退、つまり「見えない」失敗と負けがあったことの重要性を彼は強調します。野球では3割を超えれば強打者と言われるわけですが、よく考えてみればそれはつまり残りの7割近くは常に「負け」ているということです。その負けがあっての一流選手の証しということならば、私たちの人生にもまた失敗や無駄、遠回りなどない、と考えることだってけっして間違いではありません。



 身の回りにたくさん存在するのだけれども、見えていない、見ようとしないことといえば、この時期、受験という勝負と競争、試練に立ち向かいながら、望みをかなえることのかなわなかったたくさんの人々の存在もそうと言えるかもしれません。桜咲く春の到来のよろこび、卒業という新たな希望への旅立ちというお決まりの情景に隠れて、たくさんの落胆と苦悩があるのもまた現実です。定員10人の学校を100人が受験したなら、90人もの受験生は不合格となっているはずです。けれども私たちが普段見聞きそして注目するのは、結局のところずっと多いはずの「見えない」落胆と喪失体験ではなく、わずか10人の歓喜と笑顔ばかりなのかもしれません。

 私たちの生きている社会には、見えていないがいるはずの多くの人々、世に言われ信じられているものとは別の物事なり事情がある、ということにできるだけ繊細な感受性や優しい眼差し持っていたいなと私は思います。それはいつしか自分がそうした立場に身を置くこととなってしまったそんなとき、きっと素直にまずもって自分に、そしてだからこそ他者にも優しく寛大になれるはずだし、そうあるべきと考えるからです。



失敗して落ち込んで、後悔している自分へ

周囲の人間よりダメな人間だとしか思えない自分へ

周囲の人すべてがうらやましく思えてしまう自分へ

どうすればいいのか、よかったのか考えると胸が苦しくなってしまう自分へ

もう一度初めからなんて、こりごりだと思う自分へ

ひとりでいたいのか、誰かといたいのかわからない自分へ

卒業式なんか出たくない、桜が咲こうが咲くまいがどうでもいいと思っている自分へ

やっぱりいつもこうだと思ってしまう自分へ

泣きたいのほどなのに泣けないのはどうしてだろうと考えている自分へ

虹を見てもただ悲しく、むなしくなってしまう自分へ

ひとりぼっちだと思ってしまう自分へ


 どこへ逃げ込んだって、ふさぎ込んだって不機嫌でもまったく構わないのです。義務やら常識、前向きな思考やまわりの迷惑なんて、下品な言い方ですがクソくらえです。

 ただ、できることならせめて自分の気持ちに対してだけは素直でいたいです。自分が苦しんだりしていることに言い訳なんていらないし、理由を明確にする必要なんてありません。ただ、「ごめんね。今とってもつらいんだ。」そうつぶやくだけで十分です。誰かに、さもなければ自分自身に。エネルギーが枯渇しているときは、明日への明るい見通しや希望なんて描ける力など残っているはずがありません。それがつまづいた人々に与えられた特権であり、社会における役割であるべきです。

 いつか助けや救いはどこからか、あるいは自分の中からきっと必ずやってくるものだと素朴に信じられる世の中こそが真に豊かな社会なのだと痛感します。人生には、悲劇の主人公になることだって時に必要なのですから。



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青春のとき

イチローさん

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by yellow-red-blue | 2019-03-22 14:09 | Trackback | Comments(0)

世界と私 ~ 啓蟄の頃'19

 ああ、やっぱり今年もこの季節がやってきてしまった。もちろんやってくることはとっくの昔にわかっていたことだけれど。もう先月はじめあたりから徐々にその気配は濃厚で覚悟はしていたが、本格的シーズンに入ってくると毎年のことながらやっぱりそのつらさが身にしみ気分も滅入るのだ...春がもうすぐそこまで来ているというのに、桜の花咲く季節もやってくるというのに、外出し友人と会いたい季節なのに、もろもろの願望を見事に打ち砕いてくれるこの微細な粒子どもは私にとってのまさに天敵だ。

 花粉やPM2.5が大量に飛散するこの季節は、おおげさなようだが地獄の苦しみの日々。これでも医者に言わせれば「あなたは軽症ですよ」だそうだが、バカも休み休み言えと心の中でつぶやいてしまう。

 まわりで、「どうやら今年ついに自分も花粉症デビューしたみたいです」などと半ば嬉しそうに(ついそう見えてしまうのだ)陽気につぶやかれると、なんだかその無神経さにむしょうに腹が立つ。そんな人に限ってわずか数年で「気がついたら今年は治ってましたよ」って、そんなの絶対に花粉症じゃない。単なる鼻かぜかそうでなければ気のたるみだ。あなたにつらさがわかろうはずがない、との暴言の数々をぐっとこらえることになるのだ。

 実際、花粉症対策に費やすお金や時間とエネルギーは毎年相当なもの。しかも仕事をはじめ日常生活におけるほとんどすべての活動に深刻な悪影響が出る。鼻づまりで口でしかほとんど呼吸できない状況では睡眠が十分に取れないし、夜中に起きると口内はカラカラ。日中も頭がボーっとしたり睡魔が襲ってくる。マスクをしたり処方薬を飲んでいると体のだるさや鈍い頭痛だってひっきりなしにやってくる。マスクをつけ続ければ、肌に合わないと顔がかぶれたりできものだって出来てしまう。まったくもってやっかいだ。というかほとんど疫病神に近い...

 花粉症対策は巨大なビジネスポテンシャルを有しており、我が国の経済に多大な貢献すらしているそうだがそんな話など聞きたくもない。大勢の人が花粉症にかかってしまうことによる悪影響やら経済的な停滞やら損失のほうがよほど甚大(実際にあちこちでそういう試算が出されているらしい)に違いない。これは十二分に深刻な国家的な損失であり、国を挙げ率先して取り組むべき喫緊の大問題だ、などと叫びたくなってしまう。

 ようやく寒い冬も終わりに近づき、徐々に暖かさとみずみずしさが戻ってきたあたりの空気と陽の光を満喫しながら、花粉・微粒子など存在していないかのように、花のように笑い、陽気に言葉を交わす家族連れやカップル、友達グループを見かけながらつい頭をよぎるのは、「(花粉症であることで)私の過去奪われた大切なときをどうしてくれるのだ」「これがなかりせば私の人生はもっと違うものになったのではないか」「いったい私の人生のどこがいけなかったのか」という聞くだになんともむなしい泣き言ばかり...


 

 毎年のようにひそかに私がつぶやいてしまうこうした鍵カッコ付きの嘆きは、事情は全く違えどかなりの頻度で相談にいらっしゃる方々が、どこかのタイミングで実際に言葉として発せられるか感じていらっしゃるものです。抱えてきた精神的病や悩みについて、将来に向かっては何とか取り組みあるいは対処しようもあるけれど、それでは過去に自分が背負い辛酸舐めてきた苦悩の日々と人生はいったいどうしてくれるのか、そして(自分を含め)誰がそれを返しあるいは癒してくれるのか。そうした切実な心の訴えが痛いほど伝わってきます。戻ってくることはないとは知りつつも、そうした思いを完全に断ち切ることができないいわばかなり後ろ向きな動物が私たち人間であるといえるかもしれません。

 残念ながら、私はそうした心をいやす魔法の言葉を持っていません。せいぜいが可能な限りその思いを精一杯理解し、自分なりの言葉でもって表現し返すことぐらいです。そんなことですぐに人が自分の苦悩を前向きに受け入れることなどはできようはずもありません。ただ、昔読んだ吉本ばななさんの小説のなかに出てきたあたりまえのような言葉がずっと妙に心に引っ掛かっていて、今でも時折カウンセリングの場面で触れることがあるのです。


「どちらがいいのかなんて、人は選べない。その人はその人を生きるようにできている」


 私たちはある意味、それぞれが感じる幸せや心地よさの域を出ないよう教わり学び生きてきたに過ぎません。だから人間という命ある生物として、自分を守るために常にそれなりに最善(あるいは最適)を選んできたのだと言えます。そうせざるを得ないのです。他の可能性なり選択肢があって、あのときもっと努力していれば、もう少しだけ我慢していれば、助言に耳を貸していれば、あるいは勇気があったなら、きっと違ったことになっていたはずだ、というのは幻想的な後知恵でしかありません。冷静に慎重に過去を振り返りこころを探っていけば、あるのはただ、その時その時の、そしてそれぞれの、他人には決してくみ取り尽くせない事情やこころの状態であって、決して他の選択はありえなかった、という真実に行き当たるものです。

 後ろ向きな私たちは、「私は常にその時点でベストを尽くしてきた」と納得したり公言することは(たとえそうと感じていたとしても)許されないとおおむね感じて生きています。けれども、どんなことがあったにせよ精緻な因果論や原因究明は概してうまくいかないものです。なぜならば、当たり前のようですがシンプルに、「自分ひとりのために世界が動いているわけではない」のだから。分かっていてもひとりそれを受け入れるのは容易なことではありません。どうしたらそのお手伝いができるのかを日々模索しているわけですが、そんなときふと、冒頭のように花粉症にああだこうだと恨み節に悶々とする自分が被ってきてしまいます。もうまもなく春一番が吹きそうな気配ですが、喜ばしいやら悲しいやら...



“世界は別に私のためにあるわけじゃない。だから、いやなことがめぐってくる率は決して、変わんない。自分では決められない。だから他のことはきっぱりと、むちゃくちゃ明るくしたほうがいい(中略)

 そのころの私には、その言葉の意図はつかめたけれど、ぴんとこなくて「楽しさってそういうものなのかな」と思ったのを覚えている。でも今は、吐きそうなくらいわかる。なぜ、人はこんなに選べないのか。虫ケラのように負けまくっても、ごはんを作って食べて眠る。愛する人はみんな死んでいく。それでも生きてゆかなくてはいけない。”   (吉本ばなな『満月-キッチン2-』角川書店)



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by yellow-red-blue | 2019-03-06 11:10 | Trackback | Comments(0)

 数年前、夕食に招待され知人宅を訪問した時のことです。中へ案内されると、そこには予想に反して、知人の勤務する企業の同僚の方6~7名も招待されていました。お互い自己紹介などを済ませ、しばし楽しい夕食の宴が進んだ後に、その知人がおもむろに、実は会社でちょっと困った問題があって意見をききたいのだ、という話を持ち出してきたのでした。

 聞くところによれば、先日会社であるプロジェクトがひと段落し、同僚社員や一緒に仕事をしてきた他社の仲良しのスタッフ十数名で、打ち上げの飲み会があったのだといいます。そこに、今年入社したある新人の女性職員も初めてその飲み会に加わったのだが、その席上、彼女に対して年輩の職員などからセクハラ行為があったのだというのです。

 付き合いの長い仲間に新たに加わる社会人一年目の新人へのある種の通過儀礼のような軽い冷やかし的な言動に始まり、お酒が進むにつれそれが次第にエスカレートし、ついには彼女の体にまで触れる行為もあり、最初は我慢していた彼女もしまいにその場で泣き出してしまい、一気にその場が気まずい雰囲気になってしまったということでした。その場はそれで収まったものの、翌日からハラスメント行為を受けたその女性はショックから会社を休んでしまう事態にまでなり、同席していた同僚の若手職員が会社に報告し問題が大きくなってしまっているということでした。

 今どきの会社内セクハラ問題で起こりがちな話ですが、彼女が受けたセクハラ行為については、私が呼ばれた席の全員が何らかの行為を目撃しているか、なかには実際に彼女にそうした行為を行ってしまった当人も混じっていました。つまりは、そこにいた男性女性含め全員が、いわば直接的であれ間接的であれ加担者側の人間で、私もそうした側の方から話を直接聞くのは初めての体験でした。

 話を聞いた限りでは、明らかにハラスメント行為であると断じられるものが多いように思えました。しばらく前の話なので、今ほど個人レベルでも企業レベルでもハラスメントに対する意識が高いものではなかったのかもしれませんが、私がお会いした人もみな一様に反省はしているようでした。が、何か今一つ納得がいっていないような空気もあったのでした。実際、その飲み会の席は男女含め幅広い世代が参加しており、意見は様々だったそうです。参加者のほぼ半数を占めた女性ですら意見が分かれたといいます。ただどちらかと言えば若い世代は男女ともにセクハラだと断じているのに対し、中年世代以降は意見は男女とも半々、さらに上の世代はそもそもセクハラという認識が薄いとのことのようでした。こうした場合、セクハラ行為に一切の言い訳は通用しません、それはあなたの単なる認識不足ですから必要なのは今時の常識と教育です、などとあっさり決めつけるだけでは決して問題は解決しないでしょう。またそのために呼ばれたのでもないとも思っていましたので、その場にいた方々の考えについて率直に話してもらうことにしました。

 彼らの意見をいろいろと聞いていると、2つに集約されているようでした。ひとつには、その場の空気や状況、参加者間の信頼関係などを抜きにしてその行為がハラスメントに当たるか当たらないか判断するのはどうか、というものでした。

 その場にいない冷静な立場で特定の場面だけ切り取れば確かに問題と判断されてしまうかもしれないが、定期的に開かれお互い勝手知った同士の飲み会のあの場の状況やお互いの話しっぷりや態度、雰囲気の進み具合を考えれば、これから長い間一緒に仕事を共にする仲間の一員に入るための通過儀礼的なフレンドリーな”イジリ”であって、新人でまだ慣れておらずひとりやや緊張気味の中とはいえ、そのあたりもう少し空気を「読んで」大人の振る舞いで接してもよかったのではないか、などというものでした。もちろんセクハラ行為には明らかに悪質な犯罪行為もあるが、一切そんな一線は超えておらず、徐々にお互いの反応をうかがいながら親しさの表現が増していった「場」があったのだというのです。実際同じようなイジリは他の若手職員も同様に受けていたものの、彼らは慣れもあってなのか、それなりに状況に合わせたりやんわり反撃するなりの振る舞いをしていたといいます。

 もうひとつは、セクハラ行為が、受けた側の主張のみで成立するその「恣意性」に納得がいかないというものでした。相手なりにそれこそ相手の好みや気分でそれはセクハラ、~さんだから問題ないなどといったら差別もいいところである。例えば文化的背景の異なる外国人の親しみを込めたスキンシップやハグをいきなりされても、それは(外国の人だからという状況を理解して)セクハラとは断じないではないか、などという主張なのでした。


 

 私たちには「内心の自由」が保証されています。自分一人の内側に思いがとどまる限りは、どのような想像や妄想、怒りや偏見であれそのことで罪に問われたり非難されたりはしません。けれども、それが何らかの形や表現をもって、ひとたび自分という領域を超え、いわば公共的な領域に持ち込まれ、第三者領域に踏み込んで投げ出されたときに、今度は「他者関係」という自分と異なる主観や感情の世界を持った相手の領域と対峙しているという認識を持つ必要があります。よくよく考えてみれば当たり前のことなのですが、そのあたりをしっかり線引きなり柔軟に切り替えることは意外や難しいのです。

 また、私たちは他者関係において、それぞれの人に対しある種の役割や行動・ふるまいのパターンを無意識に期待しています。親友は親友の、親は親の、会社の上司は上司としての役割や行動パターンを、自分に対して果たしてくれるはずだ、と(お互いが)無意識に期待しており、それがおおむねその通りになるから良好な人間関係を築くことができるといえます。ところが、そうした期待に反するような行動なり態度を相手が示してくる場合、私たちはそれに違和感あるいはもっとはっきりとした衝撃を受け拒否反応すら引き起こします。たとえば会社の上司であるという立場だけの関係の人間が、酒の席でいきなり部下の女性の体を触ってきたりペアでカラオケ熱唱を強要にされたりすれば、される側はそれはショックです。なぜならそうした女性は、上司と部下という関係性にそのような役割や行動パターンを期待ないし想定はしていないからです。もう一つたとえを挙げれば、電車内で座っていたところ、向かいの座席に腰掛けていた見ず知らずの人が自分に向かっていきなりプライバシーに関する質問をずけずけしてきたとしたらそれは確実にショッキングな出来事でしょう。なぜなら私たちは赤の他人に対しては、「自分のことは無視してほっておいてくれる存在」という役割と行動を期待、想定しながら日常生活を送っているからです。

 このように、相手への期待や予想を超えた行為に対しては人間は衝撃を受けるものですが、当然それには個人差があります。ちなみに今回の件で被害に遭われた女性は、お酒が飲めない方だったそうですが、そんな方に少なくないのが「酔っ払い」への苦手意識です。そうしたことも一因にあるのかもしれませんが、お酒の席における「人が変わってしまったような」酔っ払いの言動は、まさに上で述べてきたような、お互いの役割や行動パターンの期待に大きなギャップを生じさせてしまう状況まさにそのものでもあるのです。

 ここはハラスメントの定義やハラスメント対策のお話ではないのでこれ以上は詳しく説明しませんが、いずれにせよハラスメント行為とは、状況や関係がどうであれ、行う側が自分の領域にとどめておかなければならない期待を勝手に相手に押し付け、それが当然であるかのような行為にほかなりません。

 お互いの役割や振る舞いのパターンがお約束として共有されているからこそ信頼関係が築けるのであって、そのための手段がコミュニケーションなのです。ですから、ただお酒の席だから、上司と部下だから、先輩後輩だから、などというだけで、なんらかの信頼関係が築かれていると勘違いし、いとも簡単に相手の領域に踏み込む言動をするような人は、実はコミュニケーション力が貧弱な方なのです。本当のコミュ力とは、単に話し上手だったり、交際が幅広い、気配りが細かいなどで測れるものでは決してないことは知っておいていいと思います。

 しかしそうはいっても、やはりなかなか理屈では理解できるがやっぱり納得できないとおっしゃる方もいらっしゃいます。実はハラスメント行為とは、その場の状況や人間関係、行為の種別・程度の問題というより、むしろ理屈抜きの感情や感覚、主観の問題なのだということも知っておく必要があります。必要なのは理解ではなく、想像し感じる力といっていいかもしれません。そこで私は知人宅に集まっていた方々にこんな問いかけをしてみました。


 皆さんちょっと一度じっくり想像してみてください。(男性陣に向かって)もしあなたの大切なひとり娘や奥様、愛する恋人が他人の男性から(新人女性職員が受けたと)同じような行為を受けているところをあなたが目撃したとしたら、その瞬間どんな感じがしますか?どのような思いが頭をよぎりますか?(同じように女性陣に)、もし仮にあなたの大切な恋人やひそかに思いを寄せる素敵な男性が、飲み会の席上他の女性に対して同じような行為をしているところを目撃したら、その瞬間なにを感じるでしょうか?

 まず不快感を感じるでしょうか?あるいは胸がうずいたりざわつく感じがするでしょうか?もし一瞬でもそう感じたのなら、はずかしめを感じたのなら、やっぱりそれはセクハラ行為なんです。簡単なことです。後から状況や関係を加味して感じ方を修正する必要なんてないんです。セクハラはむしろ感覚・直観的に判断されるものだと思うのですがどう思いますか?

 

 この問いかけは、前回のブログで話題に取り上げた、カウンタークエスチョンのちょっとひねったバ―ジョンです。この場合普通考えるカウンタークエスチョンは、「もしあなたがその女性の立場だったら...」ですが、今まで上述してきた話の流れからからすると、それではあまり効果的なカウンター(パンチ)にはならないことは、何となくおわかりいただけるでしょうか。

 シンプルな問いかけ一つでしたが、「そう言われると確かに言葉がない。認識が違っていたかもしれない」とみなさんおっしゃっていただいたので、ある程度私の意図は伝わったようでした。

 ただし、こうしたカウンタークエスチョンは、決して他者を非難し間違いを断ずるためのスキルではありません。むしろ何かに悩み、怒り、不安な気持ちでいる自分や相手に向けて、説得力のある別の受け止め方や冷静で公平な視点という素敵な贈り物を届けるためのワザなのです。

 

 私たちの社会は「空気を読む」社会だといわれています。空気を読む力が重視される社会なのかもしれません。けれども、それはしばしば必要なコミュニケーションをおろそかにして「空気を押し付け」、「空気のせい」にすることで対人関係を済ます生き方にもなりがちです。空気とはすでにそこにある(はず)ものではなく、良好なコミュニケーションを通じて、互いの気持ちや期待を推し量りながら共有し尊重することによってはじめて成立する本当の「信頼」によって、都度作り出されるものなのではないでしょうか。



最後までお読みいただいてありがとうございます。

メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂

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by yellow-red-blue | 2019-02-17 14:50 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、カウンセラーとして、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。ブログのどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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