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歌うたいましょう ~ 冬至&小寒の頃'19


 間もなく90歳を迎えようかというHさんは、私の仕事場からほど近い特別養護老人ホームに入居されていました。彼女には身寄りもなく彼女を訪ねる人もいませんでした。認知症が進み要介護5の認定を受けているHさんには事理を弁識する能力がなくコミュニケーションする能力もまた欠いていました。時折わずかにあーうーなどと反応がある程度が精一杯、たまに職員さんの押す車いすで施設内を移動する以外は一日のほとんどの時間をベッドで横たわって過ごしていました。その施設に来るまでは様々な事情から都内の病院を転々としていました。今年に入りやっと空きができたため、かつて暮らしていた地元の施設への入居が叶ったのでした。

 Hさんには行政の申し立てに基づき裁判所が指名する成年後見人がいらっしゃいました。日常生活と呼べるものがほとんどなく施設でただ一日一日が過ぎていくHさんの現状をみて、援助する者としてせめて何かできることはないかと、後見人と行政の担当者から私のもとに精神的援助の依頼があったのは、桜の季節ももう終わろうとしている4月の初旬の頃でした。

 心の支えとはいっても、通常のコミュニケーション能力を欠いたHさんに対して、私が普段仕事でおこなうカウンセリングであったり対話アプローチはほとんど用をなさないのは明らかでした。正直どのような接し方をしていけばよいのか定かでなかった私は、事前に関係する方々と話し合いの時間を持ちました。その中では、Hさんの健康状態に配慮しながら施設の活動や行事にできるだけ参加していくことなどを確認していきました。

 私が個人的に一番大切だと感じたのは、できるだけ一緒にいること、誰かと一緒にいる時間を増やすことのように思えました。それは普段なかなかかなわないことだからでした。施設の入居者であるHさんにはそれこそ様々な人がかかわります。施設職員の各担当の方、医療関係者、行政の担当者や後見人の方。けれどもみなそれぞれに役割や職務があり、処理しなければならないことは山積みで、配慮や援助を必要としている人はもちろんHさんひとりにとどまりません。できるだけの努力はしながらも、いつしかわずかな時間しか割くことがかなわずHさんを通り過ぎていく日常にならざるを得ません。そういったHさんの日々の生活を何とか少しでも変えようと考えていました。施設行事のある日時に合わせて柔軟に訪問回数を増やしたり、時間の許す限りできるだけ長く一緒にいるように気を配っていきました。

 もう一つ、Hさんが置かれている境遇に自分が置かれたらいったい何を一番欲するだろうかと考え、お天気と健康状態の許す限り散歩をしたり外気に当たり、季節を感じる機会を増やすことを意識しました。日々繊細に変わりゆく木の葉、木立を通り抜ける風の肌ざわり、見上げる空にまぶしくただよう雲のゆらぎをいま一度味わってほしい、そう思ったのです。

 


 ふだんのHさんの状態は様々です。表情に精気も気力も感じられず、おぼろげな視線が宙を舞いただひたすら沈黙する日もあれば、顔色もよく私ときちんと目を合わせたり、たまにうめきとも満足ともとれる声を発し、せわしげに手を動かすこともあります。私が首からぶら下げる施設入館証を意味ありげに凝視する様子などなかなかに表情豊かな日もあります。「おやおや、きょうは“めぢから”があるね。イイ感じだね」などと巡回医師から太鼓判を押される日もあれば、体調がすぐれないので施設から面会を控えるよう連絡が来ることもありました。

 それでも、ひたすら一緒の時を過ごすことを目標に施設通いを続けました。何か特別な変化を期待するわけでもなく、ただ表情や身体をうかがいながら一方的に私が話をしたりベランダに出て外の景色に眺めたり、施設内をひたすらぐるぐる回ったりするなどの日々が続きました。

 

 施設内のいろいろな催しや人々にほとんど反応を示さないHさんが唯一関心を示したように感じられたのは歌の時間でした。

 「一緒に歌いましょう。」定期的に施設を訪問されている音楽療法士の先生がある日そう言って誘ってくださったのは、先生のピアノ伴奏とボランティアの司会に合わせて入居者とその家族みんなで合唱する時間でした。

 「夏の思い出」「たき火」「ふるさと」「海」「ちいさい秋みつけた」...認知能力を著しく欠いたHさんでさえ、どこか懐かしい記憶がよみがえったのでしょうか、こうした懐かしい童謡や唱歌のいくつかが集会室に静かに響き渡りはじめると、Hさんはやがてせわしなく腕をうごかしたり、私が目の前に掲げる歌詞カードに必死に目をやったり、何事かうめき声を発し続けるのでした。それはまったく歌っているようにも感じられました。普段決して見ることのできないそうしたHさんが見せる身体反応は、たとえどのような精神状態であろうと、音楽や歌が聴く人の心を無条件に揺さぶり、奥底に眠る意識や遠い記憶の断片と情緒的に共鳴することを示すに十分な光景にも感じられました。

 


 そんなことで半年が過ぎていきましたが、少しずつHさんと心を通い合わせることができるようになったというほのかな感触がある一方で、Hさんの身体の衰えはその間にも確実に進んでいきました。夏を過ぎ秋が深まる頃から急速に衰えが目立つようになってきました。

 老衰のため食事をのどに通すことが難しくなってきました。血管を上手に確保することができないため、点滴による栄養補給ももはやままならない状態でした。目に見えて細く小さくなりながら、認知症ゆえにその自覚も苦痛も訴えないHさんを見る後見人や私にとって、なすすべなく衰えていくHさんの姿を見るのは辛い日々でした。他に選択肢などないことを理解しつつ、そうした事実をあまりに淡々と受け入れているように見えた施設職員さんや医師に対して、無知ゆえのどこか納得のいかない感情をつい抱いてしまったりもしました。


 12月に入ったある時、面会を終えいつものようにHさんにかがみこんでさよならを言おうとしたとき、Hさんが突然目を見開きあたかも苦痛に顔をゆがめたかのような表情を突然に見せたので、私は思わずぎょっとしてしまいました。どうしたものか戸惑ったのもつかの間、私の背中を忙しく通り過ぎようとしていた看護師の方がちらりとこちらを見ながら立ち止まり、「あら、Hさん嬉しそう。よかったね。いつもいっしょにいるので感謝しているんですよ。わかるんですね」笑いながらそう話してくださいました。それは私の存在を覚えていてくれているかもしれない感触を味わったほとんど唯一の出来事だったのでした。

 


 そんな言葉に勇気づけられ、また次に面会する日を心待ちしていたクリスマスを間近に控えたある日、Hさんはひっそりと息を引き取りました。さしたる兆候もなく穏やかな最期だったと職員の方は話してくださいました。90歳の誕生日まであと数日のことでした。 


 人の死によって唐突に「仕事」というものが終わるのを初めて経験した私は、それをどのように受け止めてよいのかわからず、何とも表現のしようのない喪失感に襲われました。仕事という意識が次第に薄れ、Hさんの最晩年、最も多くの時間を過ごし、一緒に移り行く季節を味わったのが、縁もゆかりもない赤の他人の自分であったことがそのことを余計に意識させました。

 そんな時私の心の中には、Hさんが本当のところどんな思いで最期の日々を過ごしていたのか、私のことをどう思っていたのかを知りたいという願望と、にもかかわらずそれが分かることはこれからも決してないのだという苦しさがあったのだと気づかされます。生きたことの証し、それはしょせん今はまだ生きている人間の側の欲にしかすぎないのかもしれません。

 誰もが死に臨んで生きている。誰もが生まれた瞬間からある意味死につつあるのが人生。人生で唯一確かなこととはいずれは誰もがいずれ死んでいくということ、Hさんも私も常に死にゆく瞬間瞬間をこれまで生きてきたということでは変わりのない存在なのだと思い知らされます。

 

 けれども死以外何も確実なことなどないのであれば、人生とはまた、無限の可能性の中に絶えざる希望の灯をともし続け前につき進むことしかないではないか、そしてそんな勇気が人に、自分にいつも可能だったらどんなにか素晴らしいか...漠然とした不安とほのかな期待とがないまぜに胸に去来するとき、職業柄かどこかに自分とて支えを求めているのでしょう、気がつけばしばしばHさんが好きだった(かもしれない)唱歌をひとりつぶやいている始末。そうしてこの一年もまた過ぎようとしています。

 どうか素敵なクリスマスを、そしてよい新年をお迎えください。



 

 ギャッツビーは緑の灯火を信じていた。年々僕たちの前からあとずさりしてゆく底抜けの騒ぎの未来を信じていた。そのときになれば、肩透かしを喰うのだが、そんなことはかまわない―明日になればもっと速く走ろう、さらに遠くへ腕をさし伸ばそう。 ...そしてある晴れた朝―

 だから、過去のなかへ絶えずひき戻されながらも、僕たちは流れに逆らって船を浮かべ、波を切りつづけるのだ。

  (スコット・フィッツジェラルド「華麗なるギャツビー」大貫三郎訳、角川文庫)


 

 人間とは、端的に「死すべき者たち」である。すなわち、そもそも可死的である唯一の存在である。人間が動物と違うのは、人間は、動物のように類の一員として実存し、当の類の不死性が生殖によって保証されている、という仕方にのみ実存するのではないからである。可死性は、次の厳然たる事実のうちに含まれている。つまり、人間の場合、生物学的な生命プロセスをはみ出して、見分けのつく生涯の物語を伴う個人の一生がそれぞれ実ってくる、という事実がそれである。個人ごとのこの生涯の物語が、他のすべての自然プロセスと違うのは、それが直線的に進み、生物学的生命の循環運動をいわば切断するからである。

  (ハンナ・アーレント「活動的生」(英題:人間の条件)森一郎訳、みすず書房)




 (※当ブログの各記事の中で言及されているエピソードや症例等については、プライバシー配慮のため、ご本人から掲載の許可を頂くかもしくは文章の趣旨と論点を逸脱しない範囲で、内容や事実関係について修正や変更、創作を加え掲載しています。)


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ある日の出来事

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by yellow-red-blue | 2019-12-23 18:13 | Trackback | Comments(0)

大人はわかってくれない ~ 小雪&大雪の頃'19


 11月も終わりにさしかかり、北国から初雪や積雪の便りが届き始め冬の到来を告げつつ、身に応えるほどの本当の厳しい寒さはもう少し先になるまでのほんのつかの間の時間。小雪という節季名にはそんなニュアンスが込められています。東西に長い日本列島には紅葉もまだまだこれからが本番という地域も多いですが、東京あたりのそれはもうすでに終わろうとしてます。

 冷たい北西の風が吹き抜ける日に街路樹の落ち葉が宙をちらほら舞い、枯れ葉がかさかさと足元にまとわりつきながら行き過ぎる光景は、毎年見慣れたものとはいいながらそのそこはかとないもの寂しさと控えめな自然の美しさにしばし心ひかれて歩みもつい鈍くなりがちです。

 少し話題はそれますが、和歌の世界においてこの季節ならではの木々の葉の色や姿の変わりようにもの寂しさの趣を感じ取り、美意識として評価されるようになるのは中世鎌倉初期、藤原定家らが編纂する「新古今和歌集」あたりからというのが定説です。それよりずっと以前、古代万葉の時代では、紅葉のその色鮮やかな美しさとダイナミックでミステリアスな自然変化の霊威への感動が歌の主たるモチーフであったといわれています。けれどもそれはもちろん古代の日本人に「寂寥」や「寂寞」といった心理感情が欠如していたわけではありません。膨大な和歌を収める万葉集の中でも、わびしさや貧しさ、寒さ病、別れや恋慕といった人生の苦悩を、終わり流れゆく季節と重ね合わせながら歌われているのを目にすることができるからです。寂寥や寂寞という言葉は、静かで孤独なもの寂しさだけでなく、言い尽くせぬどこか満たされない思いや感情と無縁ではありません。晩秋から初冬にかけての今頃は、そうした両者を複雑に揺れる思いが私たちの胸に去来する一年のうちでも特別な季節であることに今も昔も変わりはないのでしょう。

 

 先日、いつも何かとお世話になっている先生が主催する勉強会に出席しました。深刻な心身の病に苦しむケースから、日常の暮らしで起こりがちなさまざまな困難や葛藤、悩みに至るまで、人生のリアルをディスカッションする場として、文字通り勉強になる機会を定期的にいただいているものです。

 そこで取り上げられた事例のひとつに、高校生男子を子に持つ母親からの相談がありました。成績優秀で一流大学へと進学するものと期待されていた子どもが突然こともあろうに、大学へは進学せず料理人になるための修行がしたいと宣言したことへの戸惑いと両者の対立がその内容でした。子を持つどの家庭でも起こりうる親子間の葛藤、わが子の将来のこのことを考える現実的、社会配慮的願望を持つ親の立場と、さまざまに心が揺れ動き漠然としながらも夢を語りたいがうまく切り出せない思春期の青年の心との溝はなかなか埋めるには難しい問題です。両者の心のひだのうちや人生の背景を読み解きながらどのようなかかわりと対話を進めるのがいいのかをさまざま話し合いつつふと、私は自分が大学生の頃家庭教師のアルバイトでしばらく通っていた4人家族(父母兄妹)の家庭のことを思い出していました。

 私が勉強を見ていた下の女の子が無事志望高校に合格し、本人や両親に喜ばれつつアルバイトを終え数日ほどたったある日、母親から連絡があり「相談に乗ってほしいことがある」と切り出されました。大学受験を控えた上の兄が勉強にまったく熱を入れず、学校でも問題児扱いされ毎日ただふらふらしているので、いろいろと言い聞かせてほしい、親とはほとんど口も聞かず自分達にはお手上げなのだということなのでした。何事にも熱心に取り組むまじめな妹の成功を目にしたばかりの親からすれば余計に兄の現状にあせりや危機感もあったのでしょう。けれども細かな事情も分からぬ赤の他人でしかもその高校生の兄とさして年齢も変わらぬ二十歳そこそこの当時の私にいったい何を語れというのか、正直とても困ってしまったのでした。

 けれども、食卓のテーブルを囲み母親と兄、(なぜか)妹と私の四人での話し合いで今でも覚えているのが、他人である私を前にしての多少の誇張なり照れもあったにせよ、その心配な様子とは裏腹の母親の息子へのいわば紋切り型ともいえる決めつけ的な評価と兄の心情への想像力の欠如でした。決して家庭や親になにか特別問題があるようには思えず、暖かく良い雰囲気を持った普通の家族でありながら、なおあるその深いギャップに愕然としたのでした。優しく控えめですらあった母親は、心底途方に暮れている様子だったのです。

 迷った挙句に私がしたことは、兄に言って聞かせるのでも母親の見方に異を唱えるのでもなく、ただつい数年前にそうだった自分が何を考えどんな気持ちを味わい、何にあれこれ思い淀んでいたのかをただできるだけ率直に話すことでした。そしてそれは説得を期待していた母親からすればおそらくがっかりするものであり、一方終始一言もしゃべらず誰とも視線を合わせようとしなかった兄は、話の途中ただ一度だけ私に和やかな視線と表情を向けてくれたのでした。多少なりとも共感するところがあったかもしれないし、そうでもないかもしれないなどと思いつつ、あの一瞬垣間見せた表情を母親は見ていて何か感じてくれたろうかと、ただそう思ったものでした。彼がその後どうなったのか知ることはありませんでした。





 勉強会からの帰り、地下鉄の途中の駅で若い母親と女の子が乗ってきて、立っている私の横の空席に仲良く腰を下ろしました。小学校低学年らしき女の子はどこかの学校の制服にきちんと身を包み、行儀のよい利発な子どもに見えました。二人はしばしひそひそ会話を交わし、その後何やら神妙な面持ちでスマホ画面に没頭し始める母親の横で女の子はおとなしく座っていました。その向かい私の背後では、私が乗り込む前から二人の幼稚園ぐらいの女の子とその母親たちが腰掛けていました。ふと気が付がつけば、周囲にはなんとも理解できない二人だけのお遊びを楽しげに繰り広げる子どもたちとその傍らで気心の知れた母親同士会話がはずんでいる様子を、どういうわけだか私の前に腰掛けている小学生の女の子はそれこそ息をひそめるかのようにじっと、しかもやがて私が地下鉄を降車する段になって以降もやむことなくずっと凝視し続けていたのでした。その姿にはどことなくはりつめた緊張があり、膝の上の両手はぎゅっと白く硬く握られているのがわかりました。それでいてその眼や口元の表情には羨望とも諦観とも淋しさともとれる真剣なせつなさが色濃く浮かんでおり、まだ幼い少女がこんなにも複雑で陰影に富んだ表情をするものかと思わず見入ってしまったほどでした。もちろん何が彼女の中で起きているのかなどは推測のしようもありませんが、職業柄のうがった見方に過ぎないと片付けられないほど後々まで考えさせられるなぜか緊迫感のただよう光景でした。

 ただその時私は、傍らのお母さんは何か大切なものを「見逃した」かもしれない、と感じていました。彼女がだから母親失格なのでもスマホに見入ることが悪いのでもなく、親子とは言いながらすべてを観察し理解できるはずもないことも重々承知しながらも、でも私はそう感じたのです。



 

 私たちは日々ささいで大切なにかを見逃していて、その積み重ねが人の人生をときに難しくしていくのだと感じることがあります。人生とはさまざまな出来事を体験し、経験や学習や知識をつみ積み重ね人として成長していくものだ、人生は足し算でありいいことも悪いこともけっして無駄にはならない、とよくいわれます。分からないではありませんが同時に、私たちは日々多くを見逃して生きています。日々失いながらそれについては無知だったり気がつこうとしなかったりしながらもまた人生は進んでいるのだ、ということについてはつい見過ごされがちです。それは私が学生時代に経験したあの親子のときも、勉強会の事例で取り上げられた親子でもそうだったのでしょう。今でも日々の仕事を通じた出会いでそれを感じることがあります。

 カウンセラーが可能なかぎり直接面接相談の方針を重視するには、そこに多様で複雑な「見逃せない」今があるからです。たとえアナログ的であろうとそこを丁寧にすくい取っていかなければと考えるのです。私たちの心と身体は驚くほど多彩な機微や表情、そして情報を発しているものです。それを感じ取りながら対話を続けていくことはとても根気のいる作業です。子供や青少年の心情はとくに私たち大人が考えている以上におどろくほど日々揺れ動き、そして変わっていくものですが、彼らがそれを自覚しうまく整理して周囲に発することはとても難しいことです。けれども誰かがそこを見逃してしまったらもう二度とチャンスはめぐってはこない、そんなことだって人生には起こっているのだ、とも日々考えさせられてしまいます。

 


 自戒も込めて言わなければいけないことですが、昨今なにかと頻繁に用いられる「向き合う」「寄り添う」「見守る」といった困っている人々に手を差し伸べる意味での説得力あるように思える言葉は、そう簡単に実践できることではありません。なぜならそれらにはとても時間と手間暇が必要になるからです。いまどきの便利でお手軽な手段や媒体を駆使したやりとりに頼るだけではけっして十分とはいえない、心のひだの奥底をあれこれ手繰り寄せるそんな手間と暇を惜しまないことにほかならないからです。  

 そうした言葉は、本来文字通りの意味で使われるべきです。「向き合う」は相手と直接に会って話し合うことであり、「寄り添う」は本当に隣にいて見守り対話することであり、「耳を傾ける」とは予断を持たずに相手の言葉の背後の世界に共感することであって、それらはすべては何かを見逃しているのではないかと疑い、時間と手間をかけ、繰り返し心を配ることにほかなりません。けれどもそれはとりわけ今の社会が一番不得意とするところのように思えます。さまざまな「大人の事情」がそれを許さないのです。本来力を持っているはずのそうした言葉が、どこか周囲で支える側の自己都合やタイミング、迅速な目標達成結果重視を満たす方便として耳ざわりがいいだけのものごとなり施策に変わっていってしまっている気がします。相手に共感し支えていくための「どうして?なぜ?」が容易に「どうして!なぜなの!」に変わってしまうものなのです。

 

 向き合うとは、寄り添うとは、見守るとは、「見逃さない」よう辛抱強く心を配ることです。不可能なこともあるでしょうけれど、そうした意識を強く辛抱強く持たない限り人は本当には動くことはできません。そしてそれはまずもってまだ幼かったり若いうちに、家族や近しい相手がすぐそばにいる間だからこそかかろうじてできることなのかもしれないのです。見逃さずいられるチャンスは大人になっていけば次第に減っていき、やがてそれは周囲の他の人々にゆだねられていきますが、見逃すことに慣れてしまっているその後の社会関係においてあれこれ求めるのはやはり難しいことです。私たちのようなカウンセラーが存在する理由のひとつがそれです。子供に罪はありません。大人の世界ですらできないことを子供や若者には求めようとしたり、彼らに対しては何とかできるはずだと安易に思うことこそ、今まで「見逃して」きたことの証しでもあるのです。

 心配ない、時間なんてたっぷりあるから問題ない、そう胸張って誰しもに応えられる大人が多く生きる社会が本当に豊かな社会なのだと痛感します。誰だって人知れず誰かの助けを借り、誰かの手を煩わせ、誰かの不幸の原因にすらなりながら、それでも生きるのですから。



 

 地下鉄を降り夕刻の路地を歩いていると、後ろから次第に近づいてくる二人乗り自転車の親子の会話が乾燥した空気に乗ってよく響いてきました。

「今日どうだった?楽しかった?」

「うん楽しかった」

「お弁当全部食べた?」

「うん、全部食べた」

 後ろ座席の子供の明るい弾むような返事がこだまします。

「えらい!」「うん」

「で、お弁当美味しかった?」期待げなトーンでたたみかけるお母さんに

「...」

 期待したタイミングで期待した返事が返ってこずに母親ばかりか私もあれ?と同時に、私の横をすーっと通り抜けていくママチャリ。うしろ座席の男の子はがっくり肩を落としうつむく一方、それを背中に感じ取るお母さんも無言のまま。コメディのワンシーンを見るようなその絶妙な間に私は思わず笑いをこらえました。

 枯れ葉を舞い上げながら夕闇の家路を急ぎ軽快に疾走していくママチャリ親子の姿はほほえましく、素敵に見えました。

 今日はいろいろな親子からいろいろなことを教わった、そんな気がしていました。






「大人は判ってくれない」(フランス、1959年)

製作・監督:フランソワ・トリュフォー

脚本:フランソワ・トリュフォー、マルセル・ムーシー  

主演:ジャン=ピエール・レオ、パトリック・オルフェ


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by yellow-red-blue | 2019-11-23 09:04 | Trackback | Comments(0)

ハラスメントへの対処・攻撃する人の心理⑥ ~ 立冬の頃'19


 私たちの誰もが、社会生活を送る中で人間関係に何らかの対立や緊張関係を経験します。意見が対立し相手に対し不満を口にしたり、ときには口喧嘩をすることもあるでしょう。内心激しい反感や敵意を抱くことだってあるかもしれません。これらもまた攻撃と言えるでしょう。けれどもその攻撃の程度が社会一般常識を著しく逸脱し、精神的肉体的に相手を著しく傷つけ辱め、追い込むような言動を繰り返す人がいます。深刻なハラスメントやいじめ、虐待、DV、モンスタークレーマーといったケースです。

 そうした極端な行為に及んでしまう背景の一因には、人類の元々持っている自分を守り生き抜こうとするさまざまな生理的防御反応が関係していると今まで述べてきました。そうした反応は、進化の過程で劇的な変化を見せてきた人類の集団的社会環境においては、次第に不要あるいは不適応なものとなってきたため、人は人生の成長過程における学習なり経験を通じて、それらを上手に調整しながら生きていくことが求められてきたのです。

 けれども精密機械のようにはできていない私たち人間の肉体的精神的メカニズムは、性格や気質、体質などの先天的あるいは遺伝的なものから、家族や社会生活環境などの後天的なものまでさまざまな要因に容易に影響を受けてしまう存在です。たとえ同じような出来事を経験したとしても、それをどのように体験、理解し、それがどのようにその後の個々の人格形成に影響を与えたのかについてはそれこそ無限のバリエーションが存在します。

 その無限のバリエーションゆえに私たち一人ひとりは豊かな個性と人間性を獲得し、社会の成長と繁栄が実現されてきたことは間違いありません。けれども世の中には、社会生活をうまく生きるため十分な学習経験を積むことのかなわない厳しい逆境的な環境の中成長せざるを得なかったり、過去の精神的傷つき体験から立ち直れず深刻なトラウマや心身の疾患を抱えながら生きてこざるを得ない結果、どうしても円滑な人間関係を築くことができずトラブルを抱え込んでしまう人々も大勢います。そのような人たちにとっては、いまもって世の中や人生は危険や緊張に満ちており、安全と安心には程遠いものに映っているのです。

 ここまでの連載で、嫁いびりや家事ハラに始まってハラスメントなど攻撃する人についてさまざま話題にしてきましたが、ではこうした理不尽な攻撃を向けられた場合、いったい私たちはどう対処したらいいのかでしょう。




 

 ハラスメントなどの攻撃に対するこれだという効果的な対策や処方箋はありません。攻撃してくる相手に対してこちらからも具体的な対抗手段なり行動を起こすということになるとやはり慎重にならざるを得ません。相手が悪いからといって、一方的に敵視し公然と反抗すれば逆に事態を悪化させてしまうこともあるでしょうし、そんな表立った行動に出ることに躊躇してしまうことも多いでしょう。場合によっては対決をうまく回避したり、上手に立ち回って被害を最小限にとどめる方法も考えたほうが賢明な場合もあるので、これが正解だという解決方法はなくケースバイケースで考えていくしかありません。

 ただ大切なのは、相手どうこうよりもまずハラスメントについてこちら(自分)側にブレない心構えをきちっと作ってそれを維持することです。具体的に何をすべきか以前に精神的に圧倒されずにメンタル的に優位な状態を維持し心に余裕を作ることが、ハラスメント対策の大切な大前提です。そのブレない心構えには2つポイントがあります。

 ポイントのひとつめは、ハラスメントのような理不尽な攻撃的な行為は、例外なく許されないものであることを「自分自身に」常に確認しておくことです。相手に言って聞かせることがもちろんなのでしょうが、それを言って収まるようであればそもそも問題にはなりません。彼らの多くはそうした行為を「せずにはいられない」事情なり背景をもった人々であるため、それが重大な問題であるという認識が希薄です。ですから私たち側でそこがブレてしまうと、相手の高圧的な態度や言動につい気後れしてしまい、「自分にも原因がある」「ああいうものの言い方をしてしまう人だけど本当は...」「周りは気にしていない」「相手は偉いから逆らえない」などとかえって自責的になってしまい、そうなると決して問題は解決しません。

 ハラスメントは、理不尽に相手を辱める精神的肉体的攻撃であり、相手の人間性に対する身勝手な決めつけや人格否定です。何か問題があるのであれば、そのことについてどのように解決すべきかを考えることを目的とするような、一般常識的な叱責や注意、指導、罰則とは別次元の行為であって、身勝手な欲求を満たそうとヒステリックに駄々をこね続ける幼児のふるまいに近いものです。

 注意しなければならないのは、攻撃する人はハラスメントとそれ以外の区別がつかないからそうした行為をしてしまうのですが、攻撃を受ける側にもそうした区別が明確にできていないと精神的にまず追い詰められてしまいます。相手の言動に注意しハラスメントと他のこととをしっかり区別し、ハラスメントは決して許されないという自分の気持ちを確認し維持することが大切です。たとえ自分の側に何らかの非があろうとなかろうと、状況がどうあろうが関係ありません。お互い様が社会であり人間関係なのです。間違いや意見の食い違いは誰しもにあり、人生や人となりはそれぞれであるということをどこか拒否してしまい、人を信用できずにいるところが攻撃する人に共通している点です。




 

 ブレない心構えの二つめのポイントは、「攻撃する相手は実は恐れている」ということを押さえておくことです。攻撃する人の多くは、一見すると強く高圧的に自信たっぷりに見え、さも自分のほうこそ正しいとの正論や大義名分をさまざま言い立てます。けれどもそうした表面上の態度とは裏腹に、実は彼らの多くはかなり弱さを抱えている人々なのです。このことはこのシリーズを最初から呼んでいるとなんとなくお分かりになるかもしれません。様々な背景から周囲を「恐れる」がゆえに、声や態度が大きくなるのです。威圧的な高慢さと臆病さとは紙一重の違いしかありません。すべてのケースに当てはまるわけではありませんが、彼らの多くは周りを威圧、否定し、常に自分にとって安心できる関係や環境を維持しなければという観念が極端な人達で、そうでしか自分を保つことはできないと信じて生きて来ざるを得なかったなんらかの事情を抱えてきた自己否定感情の強い、本当は自信のないどこか深く傷ついている人たちといえます。

 脅威を過剰に認識する自己防御反応センサーを人生や社会生活のそこここに張り巡らし、ひたすら傷つかないためのマイルールで武装することでやり過ごしてきたために、自分があまりに硬直した考えにとらわれており、ほんのささいな出来事や違いや変化に耐えられず過剰に反応してしまうことに気づくことができません。社会には多様な考えや生き方をする人がいて、人生には成功も失敗も、うまくいかないことも納得できないこともある。そうしたいわば人生の大前提を柔軟に共有できないため、極端なマイルールに合致しないたいていの他人の存在と言動、社会状況は彼らにとってはそれだけで十分に脅威で、ときに自らを否定されているかのような衝撃として受け取ってしまいます。すべてを自分色に染めないと安心できないかのような一見身勝手なふるまいは、虐待やDV、ネグレクト(加害、被害者ともに)、モンスタークレイマーや危険あおり運転加害者といったケースの多くに当てはまる心理と言えます。

 

 

 今回述べたハラスメントに対処するために基本となる二つの心構えは理解するのは簡単ですが、心の中で実践するのはそう簡単なことではありません。けれども繰り返しになりますが、ハラスメントに適切に対処していくためには、まず精神的に圧倒されずにできるだけ心に冷静さと余裕を確保しておくための工夫に取り組むことが大切です。相手がなぜそんなことをしてくるのかといった、相手の事情についてあれこれ思い悩むべきではありません。そうしてしまう人はそうしてしまい、そうするほかないのです。ことハラスメントのような理不尽な攻撃に関しては、1たす1は2であることに何ら疑いを持たないのと同じように、こちらに一切の非はなく恐れる必要はない、恐れているのは相手の方であると当然に思えるような気持ちを維持できるようになることが、相手と対峙する際もパニックになったり隷従することなく、状況判断や対処の仕方に余裕と変化を生み出す力となります。


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by yellow-red-blue | 2019-11-07 20:41 | Trackback | Comments(0)

「同じ」を恐れる・攻撃する人の心理⑤ ~ 寒露&霜降の頃'19


 古代ギリシャの哲学者アリストテレスはその著書『形而上学』の冒頭、「すべての人間は生まれつき見ることを欲する」と述べています。彼は人間の存在の本質として見たいという欲求が潜んでおり、哲学的探求の起源をそうした人の在り方に見出そうとしました。

 「見たい」という欲求の背後に「見えない」ことへの不安や恐れがあるように、「知りたい」という欲求の背後にも「知らない」ことへの不安や恐れが潜んでいます。

 私たち人間にとって、「知らない」ということは、知覚的に「見えない」「聞こえない」と同じくらいに不安定な状態です。あらかじめ知っておきたい、理由や原因について定見を得ておきたい、自分は周りとはズレていない、孤立していないことを確認したい。こうした自然の欲求と現代人のネットやSNSへの依存的傾向とは無縁ではないのかもしれません。

 「違い」ゆえの「わからない」ことに不安を感じる生き物である私たちは、ときにそうした「違い」に耐えられず、安心と安全を確保するために事情がよく分からない相手に対し攻撃の手を伸ばし、攻撃される側は困惑します。このあたりは前回までに述べた内容です。



  

 ところが前回のブログで予告しましたように、私たちは「違い」に衝撃を受けるだけでなく、まったく逆の「同じ」であるということにも衝撃を受け、ときに排除しようとする振る舞いを見せてしまうことがあります。これは「同じである」「なじみのある」「すでに知っている」ということに安心や安全を見出したいと欲する人間の生理的欲求からすると矛盾しているようにも思えます。

 この場合の「同じ」は別の表現に言い換えると、「他者に『自分』を見ること」といえます。ある人の存在や振る舞い、行動、置かれた状況に、今現在やかつての自分、あるいは自分が望んだ(現実そうはなっていない)「自分」を見たり、自分が経験した精神的苦痛や挫折の記憶が重なるような場合には、私たちはその状態や相手に対して拒絶反応を起こしてしまう場合があるのです。

 相手がどこかいまだ受け入れられず癒されていない「自分」を呼び起こさせる存在として映り、それに耐えられず相手を責めてしまうのです。




 


 私たちがまだ小学生や思春期の頃、好意を寄せている異性のクラスメートなどに対して冷たく接したりいじわるしてみたり、優しくできなかったりした経験はなかったでしょうか。好きな人に対して本心と裏腹なことを言ったり、その思いと正反対の行動をとるとった経験をした人がいるのではないでしょうか。

 これは「異性を意識する」という児童や少年少女にとってまだ新鮮で経験の少ない感情的な衝撃に圧倒され、素直になれない状態といえます。

 相手に八つ当たりしても何もならないし元々そうした意図もないにもかかわらず、異性という存在に魅了された「自分」という新たな衝撃をつい受け入れられず、その感情を抑圧し自分をどうかするかわりに無意識的に正反対の行動、つまり好きであるはずの相手につらくあたるなどに置き換わってしまう状態です。ただこの程度のことは「攻撃」というほどの深刻なものではありませんし、誰しもが経験する思春期の素直になれない気恥ずかしさや意地っ張りのようなものです。

 けれども、現実社会のハラスメントにはしばしばこうした相手(異性)への恋愛的な感情を抱く自分という衝撃に向き合えず、相手を痛烈に攻撃してしまうケースも少なくありません。

 学業の指導をめぐり自分とは孫ほども年齢の離れた女子学生に対してパワハラを繰り返していたある大学教授が、しまいにその行動を性的嫌がらせにまでエスカレートさせていったようなケースは、ある意味パワハラやモラハラの形をとるセクハラといってよいかもしれません。こうなると「かわいさあまって憎さ百倍」という言葉では済まされない深刻なハラスメントです。




 

 


 相手に自分を見るがゆえに攻撃してしまうこんなケースもあります。以前30代のある女性管理職の方から職場の人間関係で相談を受けたことがありました。最初は、職場の部下職員の社会人としての自覚の足りなさや仕事の進め方などの悩みなどをうかがっていたのですが、カウンセリングを進めるにつれ、特定のタイプの複数の同性社員に対して敵意やいらだちを抱いてしまうこと、それが不適切であることを自覚しながら感情を抑えられずにハラスメントを繰り返してしまっていることがわかってきました。

 そのタイプというのは、若くやや派手めな服装で女性らしさを振りまき、プライベートでも職場でも男性との交流や付き合いに積極的(にみえる)な、仕事もそれなりにできる女性社員、といったものでした。プライドの高さとは無縁でむしろあっけらかんとしており、素の自分を堂々と表に出せるそんな開放的な彼女たちにいら立つのだともいいます。

 まじめで責任ある立場である管理職の相談者からみれば、自分とは真逆の人生観や価値観を体現しているようなタイプの若い女性たちへのいらだちのようにも思えるのですが、実際はもう少し複雑でした。

 その管理職の女性は、裕福で厳格なしつけが支配的な家庭養育環境とエリート学校教育のなかで育ちましたが、両親の間には喧嘩が絶えず、父親も外にたびたび女性を作り家庭を顧みず家族は崩壊状態だったそうです。学業にも優秀で真面目で目立たない存在だった相談者はそんな家庭に嫌気がさし、家出を繰り返し生活は次第に乱れ始めました。派手な装いをまとい不適切な異性関係を繰り返したり薬物にも手を出し何度も警察沙汰になるなど、一時期破滅的な人生を送ってきた過去があったのです。

 今の控えめで清楚な印象からはかけ離れた過去を持つ相談者は、攻撃の対象となった女性職員たちの姿に、ひそかにかつての「自分の姿」を見ていました。彼女たちにうらやましさと共感を覚えながらも、しかしそれを肯定することは、破滅的な生活から立ち直り苦労して生きてきた自分の人生を否定することともなってしまう。そんな無意識の葛藤が彼女をハラスメント行為に走らせていたようでした。

 相談者自身も魅力的な容姿をお持ちで、しばらく接しているとその硬いイメージとは裏腹に彼女が敵視する女性たちとさまざま共通する部分も多い方のように見えました。実際社会人になってからも男性からの誘いや交際は何度となくあったにもかかわらず、けっして長続きしなかったといいます。自分には愛情あふれた男女関係は長続きするはずがなく、やがて相手から嫌われるに違いない。嫌われるのが怖いからそれなら自分から別れよう、そんな関係を繰り返してきたと言います。

 

 

 家庭内暴力やネグレクトといった虐待行為が、ときとして親から子へとその連鎖が受け継がれていくことはよく知られています(すべてのケースに当てはまるわけではありません)。虐待を受けてきた子どもが大人になり、親に立場を変え今度は自分の子供に対し同様の虐待行為を行ってしまう背景には、自分が受けた虐待や精神的なトラウマの傷が十分に癒されておらず、健全な自尊感情や自己肯定感が不足していることや、被害を受けてきた側にもかかわらず自責感情が根強いため、自分の子どもにかつてのひたすら罰せられる「ダメな自分」を見る以外に親子の情愛関係を築くことが難しい、といった心理的な事情があります。そういう自分に耐えきれず役割を変え虐待側にまわることによって自分を救おうとしたり、自責感情が癒えていないため子ども側にも責められて仕方ないのだとの罪悪感から抜け出すことができないでいる場合があるのです。

 

 他にも相手に自分を見る結果として、他者への攻撃という形ではなく自分を傷つけてしまうようなケースもあります。本当であれば憎んだり、関係を断ち切るべき相手を好きだ愛していると引きずってしまう場合もあります。これは相手の存在に、他人を憎むという言語道断の自分の姿を見て、そうした自分を拒絶、罰しようとする行為といえます。同じように、他者に対して過度に自己犠牲と奉仕の行為に走ってしまう人がいますが、これは苦悩する他者の存在に比べ、利己的で快楽的な一面(それは誰しもがも持っており責められるべきものではないのですが)を持つ自分の存在に過度の罪悪感を見てしまうための反動的な行動といえます。



 

 相手に対しなんらかの自分を見る、自分との共通点を見てそのことに衝撃を受け、無意識に拒絶しようとするあまり、相手への強烈な攻撃という間違った選択をしてしまう。カウンセリングでは、被害を受けた人だけでなく、相手を攻撃してしまう人達の苦悩と向き合う場合も少なくありません。ハラスメントは決して許される行為ではありませんが、人はときとして思いもつかぬ反応と行動へと走ってしまう生き物であることも痛感せずにはいられません。

 次回、攻撃する人についてのお話の最終回をお伝えします。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

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「同じ」を恐れる・攻撃する人の心理⑤ ~ 寒露&霜降の頃\'19_d0337299_18131627.jpg


by yellow-red-blue | 2019-10-12 15:14 | Trackback | Comments(0)

「違い」を恐れる・攻撃する人の心理④ ~ 秋分の頃'19


 はるか太古の昔に私たち人類が自然界で生存し続けるため身につけたさまざまな自己保存のための生理反応は、進化という歴史を経てもはや生きるか死ぬかの闘いの必要性が薄れてきた今では、むしろ絶えまない変化と多様化を見せる社会環境や対人関係という「場」において発動されるようになっていきます。そうした「場」が進化上の時間的スパンから見ればきわめて短期間のうちに劇的な変化を遂げてきたにもかかわらず、私たち自身は相変わらず「ヒト」という種のままでいるというギャップが、私たちをさまざまに悩ませてきたといえます。

 人は、人間関係という外からの刺激や要請をときに驚愕や動揺、恐れなどといった感情を伴う「脅威」や「危険」として受け止め、排除しようと様々なストレス反応を起こすようになります。

 けれども相手もまた人間である以上、「脅威」や「危険」を察知したからといって、生命を奪ったり目の前から排除するような直接的攻撃がもはや許されない社会生活に適応しなければならない私たちは、相手に精神的というより間接的な「攻撃」で脅威に対処し、欲求を満たそうとします。精神的に圧力をかけ屈服させ、あるいは優位に立つことによって、みずからの立場の安心・安全を確保しようと欲するのです。

 問題は、自然からもたらされるものは誰にとっても明らかな脅威なり危険であるのに対して、人間関係は、必ずしも誰にでも同じように脅威や危険を意味するのものではないということです。むしろある特定の人や状況において、「脅威」「危険」として「受け取られ」てしまうところに事の難しさがあるのです。

 と、ここまでは前回までのブログの内容をあらためてまとめてみたものです。



 

 では、相手を深く傷つけ、苦しめるほどの非常識な攻撃をしてしまう人が、もはや命のやりとりなどほとんど皆無といってさしつかえない日常の社会生活や人間関係において、「脅威」や「危険」であると反応してしまうほどの生理的なインパクト(衝撃、刺激)とはどういったものをさすのでしょう?


 その正体のひとつが、「違い」というとてもシンプルなインパクトです。

 様々な意味において相手が自分とは違う、異なる、あるいは単に知らない、新しい(相手)であるという状況は、本来人にとっては十分に衝撃的です。

 人間には元々、同じであること、似ていること、いつもと変わらぬこと、ということに安心と安全、親近感を持つ動物であり、それはたいていの生き物も同じといえます。危険であるかそうでないかを区別するうえで最初で最も基本的な情報は、相手が自分と同じであるか、知っているか、慣れ親しんでいるかあるいはそうでないかということであって、そうしたことに私たちはとても敏感です。これは、前回お話した「コントロール欲求」という自己防御反応と同じと考えてもいいものです。

 したがってどのような理由であれ、自分とは何らかの点で違う、異なる、あるいは普段の状況とは様子が異なるということを察知すると、とたんに心の警報が鳴り響きます。相手や周囲を警戒し緊張するようにできているのです。

 そうした生理反応なり習慣が依然私たちに根強く残っています。違うもの、未知のもの新しいもの、今までに経験したことがないものという形の「違い」に注目・警戒します。そうした根源的な「違い」によってもたらされるインパクトは、現代社会が進むにつれてさまざまな思考感情へと置き換わり、そのバリエーションを増やしていくこととなります。

 容姿や年齢、見た目や性差、言葉や文化的背景に始まり、考え方や意見、話し方に行動様式、価値観・倫理観、周囲からの評価や反応、出自学歴、能力や健康状態など、社会生活における自分とは違う、異なるという衝撃のバリエーションはそれこそ多彩です。こうしたことに対処するすべを、私たちは経験や学習、養育環境や周囲の協力などの力を借りながら人生で学んでいくのですが、これはかなり難しい課題であることは今までも指摘してきました。衝撃を違和感や不満程度になんとか収めつつやり過ごすことができればいいのですが、なかには過剰に衝撃を受けとり「違い」に耐えられず、相手をやり込めなければ気が済まない、攻撃(彼らにしてみれば自己防衛)という圧力をかけ続けなければ自分の警戒感や不安は解消されないと信じているかのように振舞ってしまう人たちがいるのです。

 

 

 世界で起きている民族間の紛争や宗教対立、人種差別や障害や病気を持っている人に対する根強い差別や偏見が消えることのない根底には、相手をよく「知らない」「未知」という形の「違い」のインパクトがもたらす「不安」と「不信」を消すことができないという葛藤が隠されています。


 「転校生いじめ」「新入生いじめ」などは昔からよく聞きますが、でもそもそもなぜ彼らがいじめられるのか実際のところよくわからないことのほうが多いのです。いじめる側の人間性の問題だなどというばかりでは、この昔から続く攻撃を説明することはむずかしいかもしれません。これも同じように、「新しく」やってきた人、「なじみのない」人、「変わっている」と見なされる人が自分のそばにやって来たという「違い」は、ある人たちにとっては未経験という「不安」や「いらだち」として表現されてしまうのです。もちろんいじめる本人たちにそうした自覚はほとんどないといっていいでしょう。


 「自分よりすぐれている」という「違い」もある人にとってはインパクトが大きいものです。学歴や能力、人気や人望、容姿、収入身分の差など、そうした自分との「違い」のもたらすインパクトは、容易に嫉妬や劣等感、敗北感に置き換わり、ハラスメントへと移行するエネルギーとなっていきます。


 人には言えない苦労や失敗や挫折を重ねながらも必死に頑張って現在ある地位を得てきたような人にとっては、同じような艱難辛苦(かんなんしんく)を味わってこなかったり、そうした思いを軽視するかのように振舞う人間の存在は、その「違い」の落差ゆえに十分な脅威です。そのインパクトは、自分が大切にしてきた価値観を共有せず生き方を否定されているかのような「侮辱」や「怒り」に置き換わり、ハラスメントに発展するエネルギーとなっていきます。先輩‐後輩関係、上司‐部下、指導教育者‐生徒関係にみられる、いじめやしごき、パワハラ・モラハラなどにもよく見られます。


 自分が耐えたり我慢していること、必死に努力してもうまくいかないことに対して、正反対の結果や反応を示す「違い」を持った人に対しても、同じよう屈辱と侮辱が生まれます。頑張ってダイエットして食事を制限してもなかなか痩せられない人にとって、細身でスタイルのよい人から、「ダイエットなんてできないし経験がない。むしろもっと太りたいぐらい。」などと笑って言われれば思わずムカッとしてしまいますね。

 かのマリー・アントワネット王妃が、生活と飢えに苦しむ庶民の境遇に接し、「パンがないならお菓子を食べればいいのに」と言ったといいますが、こうした無神経な言葉の背景にある階級格差という「違い」のインパクトが民衆の激しい屈辱と憎悪をかきたて、やがてフランス革命へと突き進んでいったことは周知のとおりです。


 さらに、自分とは単に異なる意見や考えを持ったひとの存在、あるいは議論することに意欲的な人の存在だけでも、ある人にとっては十分な衝撃であり攻撃のターゲットになり得ます。何故なら「異を唱える」「議論する」という形で表現される「違い」を、そうした人は「自分にたてついている」「自分は否定されている」という形でのインパクトとして受け取ってしまいがちだからです。自分を守りたい人は、異なる考えを持つ人をやっきになって否定しようとハラスメントのターゲットと見なしてしまうのです。

 

 セクハラの場合はどうなのでしょう。自分の人間関係上に、予想外に身近な存在として異性が現れた(会社で上司部下の関係になった、電車内での痴漢行為や飲み会の席上でのセクハラ行為など)という、いままでにはなかった状況という「違い」が、自分の潜在的な性的欲求やその他の日常生活上のフラストレーションを刺激したという点では、共通しているところがあるといえます。そして、相手を無視し、性的な欲望を無理やり実現させたいとの身勝手かつ理不尽な要求なり行動は、れっきとした相手に対する攻撃に他なりません。しばしば痴漢などわいせつ行為を行ったのは、相手の服装が派手ないし挑発的だったことを理由にする人もいるのですが、これもまたそうした外見の「違い」に衝撃を受けた結果の、性的な行為という形を借りたゆがんだ攻撃的報復であると考えてよいかもしれません。

 

 

 今回は、人が「違い」からいかにインパクトを受けるか、ある人にとってはそれがいかに耐えがたいものになり得るかについて説明しましたが、実はもうひとつ人にはときに受け入れがたいインパクトが存在します。

 それが実は「違い」とは正反対の「同じ」であるというインパクトです。なんだか矛盾しているようですが、それについては次回触れたいと思います。


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by yellow-red-blue | 2019-09-24 14:37 | Trackback | Comments(0)

「脅威」に備える・攻撃する人の心理③ ~ 白露の頃'19


 人が他人を攻撃する理由は、攻撃する側の人が相手から攻撃を受けたと感じているからそれに対して反撃するのだ、と述べました。攻撃する人にとっては、何らかの形で自分に向けられた「脅威」「危険」が存在し、したがってそうした脅威なり危険から自分を守るために相手を攻撃したのだ、ということになります。こうした考えや行動の背景に、自己を防御しようとする生理的反応のようなものがかかわっていると前回述べましたが、これについて少し詳しく説明してみます。



 

 かつて人類(ヒト)は、恐ろしい巨大爬虫類や猛獣、自然災害といった外的脅威に対して今の私たちよりずっと脆弱で弱い生き物でした。したがってヒトも他の動物と同様、いかにそうした脅威から自分の生命を守り生き抜くかということがすべてに優先されました。自分の生命を守るための方策として獲得した自己を防御するための生理的反応のひとつに、語呂合わせ的にわかりやすく「闘争か逃走か(fight or flight)反応」と言われるものがあるといわれています。相手が危険であるとわかれば一目散に逃げ、捕食される危険を「回避」なければならないし、戦えるあるいは戦わざるを得ないと判断されれば、相手に立ち向かい危険を「排除」しようとするわけです。

 いまひとつの自己防御反応が、まわりの状況に対する「コントロール欲求(反応)」です。これは素早く的確に「闘争か逃走か(反応)」を導き出せるよう、身の回りをできるだけ自分にとってクリアでわかりやすい環境(世界)として理解しておきたいとする生理的な欲求です。できるだけ安心を味わい安全であることを確認したい私たちヒトは、「あの生き物はおとなしく害はない」「あそこの草むらには危険な生物がひそんでいる」などとリスク評価をおこない、状況を自らのコントロール下に置きたい、その後の「闘争か逃走か反応」を正しく導きたいたいとする欲求が強いのです。

 では、かつてヒトが生きのびるに必須であったこうしたワイルドな本能的生理反応が、その後の進化の過程でヒトが食物連鎖ピラミッドの頂点に君臨するに至り、不要となり消えていってしまったのかといえば必ずしもそうとも言い切れません。そうした自己防御反応を発動させる新たな対象として、自然界の脅威に取って代わって出現するのが、大規模に形成されてきた「社会」や「対人関係」という脅威なり危険です。

 もはや生命身体の危険を感じる必要性のないはずの日々の社会生活上の問題や他人が取る何らかの行動、ふるまいについて、実際にそうであるかは別にして私たちは「脅威」なり「危険」として受け取ってしまいがちなのですが、これは何故なのでしょう?


 

 霊長類である私たちヒトは、およそ六百~七百万年ぐらい前に他の類人猿と分岐して以来、長期にわたる狩猟採集生活を経て一万年ほど前から定住農耕生活を始めました。実はヒトはもうすでにその時点で遺伝子的にいうと現代人と変わらない身体的知的ポテンシャルを有していたそうです。私たちの身体や脳、あるいは精神のメカニズムは、実はその進化上の歴史のほとんどの期間を占めた狩猟採集時代を生きるために長い間かけて完成したものであり、以降それらにはさしたる変化はありません。  

 それが意味するものとは、数百万年という実に長い間かけて出来上がったこのヒトの心と身体は、それに比べれば時間にしてほんの一瞬であるといってもいい、たかだかここ二百年ぐらいの間に起きた目まぐるしいスピードで変化する社会経済環境や生活習慣、対人関係といういわば「大変動期」にリアルタイムに適応するようにはもともとできていない、ということなのです。

 七百万年の進化の過程の末の身体・脳と、わずか二百年足らずの間に急激に変化し今後さらにその変化のスピードは加速度的に上がっていくと考えられる現実の社会環境とのギャップというかミスマッチを、現代の私たちはせいぜいが百年というその短い生涯における発達や学習経験によって必死に埋め合わせ、変化に適応していかなければならなくなったのです。けれども、それにはもともと少し無理があるのです。頭では理解できても体はついていかない、そんな感じなのです。適応の程度に至ってはそれこそ人によって千差万別であることは言うまでもありません。

 私たち人間を様々な負担から解放し、快適で豊かな社会を実現するはずのさまざまな科学技術や経済の急速な発展を背景とする社会環境が、逆にこうしたミスマッチを拡大させ、常にどこか無理して生きることを余儀なくされる社会の出現を許してしまうという皮肉な現実があるようです。人間をとりまく社会環境がそれに適応するには種が変わってもおかしくないほどの劇的な変化を短期間に遂げてきたにもかかわらず、私たちは相変わらず「ヒト」のままでいることが問題の根本にあるといえるかもしれません。



 

 なんだか大げさな話になってしまいましたが、簡単にまとめてみます。ヒトにはもともと外的な脅威に対して回避するか排除するかを判断するための「闘争か逃走か反応」と「コントロール欲求反応」という自己防御のための機能を持っており、その脅威となる対象は主に対人関係に置き換わりはしたものの、今もってわたしたちが日々の生活で駆使しているものなのです。

 けれども、そうした機能を現代の社会環境に柔軟に合わせ発動させ脅威に対処するのは、私たちが「ヒト」である以上実はかなり困難なことでもあって、ときに不適切でバランスを欠いた「闘争か逃走か反応」と「コントロール欲求」を他者に対して発動してしまうのですが、そのことになかなか気づくことができません。こうした事情が相手を「攻撃」してしまう背景にはあり、現代社会に生きる私たちの対人関係における悩ましい現象の根底にあると考えられます。

 次回は、では攻撃する人が考える今の時代における「脅威」とは何なのか。何が他の人と違ってどうとらえているのかを具体的に見ていきます。


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by yellow-red-blue | 2019-09-08 17:53 | Trackback | Comments(0)

ストレスと自己防衛・攻撃する人の心理 ②~ 処暑の頃'19


 ハラスメントやいじめなどのようになぜ人は時として他者を攻撃してしまうのでしょう?その理由を簡単に言えば、攻撃する人は相手から「攻撃」を受けたと感じているのでそれに対し反撃した、というシンプルなものです。

 けれども、これだけ聞くと被害を受ける側にとっては納得も理解できずたまったものではありません。こちらにはまったく身に覚えがないにもかかわらず、「お前がまずやってきたのだがら反撃したまでだ」と言われているようなものなのですから、理不尽きわまりないと考えるのも当然です。

 問題は、攻撃する側も自分の行為に至る過程を必ずしも自覚・理解したうえで行っているわけではないところにあります。表面上はいろいろと理由を並べはするかもしれませんが、もっと深い本当のところについてはきちんと自分でも把握しないまま行動しているものなのです。けれども攻撃する・されることに自覚がない、あるいは無意識的に行っているからといって、それを加害者側の勝手な思い込みや言いがかりに過ぎないと単純に片付けてしまえば問題の本質が見えにくくなるばかりか、そうした理不尽な振る舞いへの対処方法も見えてこないことにもなります。

 私たち人間誰しもに自然と備わっている自分を守ろうおする生理的反応に関係する攻撃する人の心理については、まだわかっていないこともありますが、少し話を分かりやすくするために今回はストレスとは何かということについて考えてみます。


 

 「ストレスが溜まる」「ストレスから身を守る」「人間関係のストレスから体調を崩した」などと、私たちはストレスという言葉を普段からよく使っています。けれども私たちはこの言葉の意味することを結構あいまいなままに使いがちで、こうした通俗的な使い方の言葉としてのストレスは、実は本来の意味からするとあまり正しくはありません。

 もともとストレスという言葉は、工学・物理の世界で使われていた専門用語を、ある生理学者が人間の生体の反応メカニズムを説明する用語として医学・生理学の世界に取り入れ今日的な意味を与えたのが始まりです。

 それによればストレスとは、生体外の環境からもたらされる何らかの刺激や衝撃、要求に対する生体側のさまざまな反応と定義されます。外からもたらされる刺激をストレッサー(ストレス要因)と呼びます。そしてそうしたストレッサーから自分の身を守り元の生体バランスを取り戻すために、ストレッサーを押し返そうあるいは解消しようと自然に発生する反発ないし抵抗する力がストレス(反応)なのです。つまり、私たちが普段ストレスと呼んでいるものの多くは、実はストレッサーの方であるといえます。細かなことのようですが、ストレスとはストレス(要因)に対する私たちが起こすさまざまな反応のほうであることを正しく理解しておくことは大切です。


 私たちは生きている以上、さまざまなストレッサーに囲まれ絶えず影響を受けます。夏の厳しい暑さや冬の寒さ、空腹、予期せぬショッキングな出来事や身体的痛み、労働や学習、煩雑な家事や通勤の混雑、複雑な人間関係や孤独、心理的な葛藤や圧力を含め様々なこれらの刺激はいずれもストレス要因(ストレッサー)であって、これらにさらされると私たち人間の側には当然のように様々な反応が引き起こされます。ストレッサーに対抗するため、人間の持つバランス回復機能装置として必要な力(反応)がストレスなのです。

 たとえば厳しい夏の暑さというストレッサーにさらされれば、私たちは苦痛を覚え、気分が悪くなったり、だるさや食欲不振、集中力の低下といった症状をストレスとして経験し、その反応をバランスを回復すべく様々な対処法を実行に移すためのシグナルとして具体的な行動へと変換していきます。体温を下げるため汗をかいたり、水分や塩分を欲求し、日陰で休みエアコンをつけ昼寝をして体力を温存したりします。このようにストレスは私たちが生きていく上で避けられない、必須なものです。むしろこのストレスを適切に発動できずにストレッサーのもたらす衝撃をそのまま受け取り圧迫されるままの状態に置かれたときは、肉体的精神的にとても危険な状態に追い込まれることを意味します。

 様々な事態に対処するために人は大概の場面においてむしろストレスを必要とする生き物であると考えれば、今の私たちがこの言葉を普段少しずれた意味で使っているかがわかるのではないでしょうか。


 

 同じように人を攻撃する行為とは、ある種の衝撃なり刺激に対する加害者なりのストレス反応であり、それが対人関係という場において起こるがゆえに、主に他者攻撃という形をとって現れてしまうのだと理解するとわかりやすいかもしれません。

 ただ難しいのは、物理工学の世界に比べて、私たち人間の生体あるいは精神世界で繰り広げられる、とりわけ対人関係におけるストレッサー・ストレス関係ははるかにわかりにくく、そしてそのバリエーションがあまりに多彩であることです。ストレッサー・ストレス関係の背後には、様々な個人差が存在します。まさに私たちの個性・人格や対人関係における力学は、指紋のように同じものはひとつとしてないといえます。ストレッサーの認識・受け止め方やそれに呼応するストレス反応とがバランスや抑制を欠くものであったり、相互に関連性が容易には見えないものとして表出することもしばしばで、何が引き金となって、なぜそのような目に逢ってしまうのか、他者にもまた自分自身にも理解し難しいものとなっているケースが多いのが実情のようです。

 次回は、私たち人に備わる自己防衛反応(本能)について触れたいと思います。



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by yellow-red-blue | 2019-08-23 13:30 | Trackback | Comments(0)

むかし「嫁いびり」いまは「家事ハラ」・攻撃する人の心理 ① ~ 立秋の頃'19

 
 ハラスメントとは、特定の相手に対し嫌がらせやはずかしめ、いじめなどの行為を繰り返し執拗に行い、相手を悩ませ苦しめ困らせる行為で、セクハラ、パワハラ、モラハラなどよく知られている行為から、必ずしも明確な定義付けがなされているわけではないものも含め今やその種類たるや何十にも及ぶといわれています。

 ひと昔前までこうした行為の被害に対しては、おおやけにするにはばかり、被害を受ける側がひとり耐え忍ばざるを得ないタブー的扱いであったものが、今やハラスメントとして市民権を得る形でそれら理不尽性に対し堂々と「ノー」を突き付け、一部法的な罰則まで課せられる社会環境になってきたのは、ハラスメントの種類なり定義なりがあいまいなまま拡張解釈されうる問題もなくはないとはいいながら、健全な対人関係構築への好ましい前進と言えそうです。

 けれどもそんな増え続けるハラスメントのリストに接すると、ふとある疑惑が私の中で湧き上がってきてしまいます。自分は今まで生きてきた中で、執拗かつ繰り返しというところはさておき、こうしたハラスメントを誰かに対してただの一度もしたことはない、そんな対人関係とは無縁だった、とはたして断言できるのだろうか?あるいは直接の言動として行っていないにせよその実、心の中では何度となくこうした思考なり感情を抱いてはこなかったろうか?自分の身の潔白を信じているのはひとり自分だけなのではないだろうか、と。

 なぜかくも人はハラスメントやいじめ、差別などによって、誰かを「攻撃」してしまうのでしょう?これは冷静に考えなければならない問題かもしれません。人にそうした行為を繰り返しするような人間はまともではなく、そもそもそういう性格の持ち主だからなどと安易に決めつけるのは危険なことかもしれません。置かれた立場や状況で加害者にも被害者にもいかようにもなりうるのが私たち人間です。このブログでもたびたびこうしたことについては取り上げましたが、この問題についてしばらくの間、いま一度考えてみたいと思います。



 ひと昔前のハラメントの典型といえば姑による嫁いじめ、「嫁イビリ」だったでしょうか。けれども、核家族化が進み親と同居する世帯が減少しているようなとりわけ都市部の家庭においては、そうした嫁いびりが起きる状況は少なくなったともいわれます。代わって現代の日本の家族社会に登場した新たなハラスメントのひとつに、いわゆる「家事ハラ(スメント)」があるといわれています。家事ハラとは、嫁イビリと同様に家庭内人間関係で発生するハラスメントですが、嫁による夫いじめ、つまり「夫イビリ」という形で起こります。

 家事ハラは、夫が家事や子育てなど、家庭におけるさまざまな役割を手伝ったりこなしたりしようとする際、妻が些末な不手際や不十分さをことさらあげつらい、きつくあたり、家庭における夫の貢献なり協力の意思に対し、意図的あるいは無意識的に否定し低評価を下すような辛辣で攻撃的な言動を指します。子育てや教育方針についての夫の意見や提案などに対して剣もほろろ、なにもわかっていないのね的な態度を見せたりもします。こうしたことは、普段からあまり関係のよろしくない夫婦だけでなく、円満な家族生活を送っている夫婦の場合でも、また専業主婦の場合も共働きの家庭でも起こり得る現象といえます。


 シンプルでわかりやすい例としては、専業主婦世帯であれ共働き世帯であれ、普段家事や家庭の問題についてほとんど妻にまかせきりだったり、意見だけは言う無理解な夫への意趣返しあるいは報復として家事ハラが行われます。たまに夫が何か家事をするたびに、「私が言ったこと聞いてた?」「ほらみなさいよ。ここ汚れ落ちてないでしょ。ちゃんと見てやってる?」「結局また私が最初からやり直さなきゃいけないじゃない」「ねぇ、それをやる意味がわからないんだけど」などと辛辣な言葉を口にしそれが常態化します。 

 他にもたとえば夫が職を失い様々な理由から新しい仕事になかなかつけずに落ち込みひそかに苦しんでいるような状況で、家にいがちな夫に対し「いつになったら仕事が見つかるの?」「近所の目もあるから平日はいないでほしい」「家事を手伝うヒマがあったら仕事探しに行ってよ」「家事もちゃんとできないの?」などのきつい言動を繰り返したりしてしまいます。

 こうした言葉は、夫の行為そのものに対する「指摘」うんぬんでは済まずに、夫のあからさまな「監視」であり「人格」に対する攻撃に近いものです。自分を助けてくれるはずの夫の努力や苦しい事情に対して、本来すべき前向きで素直なコミュニケーションを感情的な報復に置き換え、相手に屈辱感を与えてしまうことを繰り返す結果、夫側のフラストレーションがついには爆発し夫婦関係をさらにいっそう悪化させてしまいます。それでなくても気に病み敏感になっている夫側にとっては、妻の言いようはさらに自分が責められているように受け取られてしまいます。


 いっぽう妻から夫へのハラスメントであることは同じでも、状況が全く逆のケースもあります。夫が日ごろから家庭のことにかかわってくれたり、家事もそこそこうまくこなせたりする場合、あるいは妻のほうが家事の切り盛りがもともとあまり得意でなかったり、どちらかといえば気配りが苦手なタイプのような場合にも家事ハラは起きます。専業主婦であれ共働きであれ、我が国では家庭のことは妻がまずもってすべきとの固定観念を持つ人は、男性側にも女性側にもまだ多いようです。とりわけまじめで几帳面な性格であったり自分に低評価を下しがちで自信を持てないタイプ、あるいは本来の自由奔放な気性に反するような厳格なしつけやエリート指向の養育方針を持つ家庭に育ってきたような女性の場合、相手に上手に甘える、譲る、感謝する、人間だからダメなこともある、などと柔軟に考え夫に伝えることが苦手なため、「女性」「主婦」としての自分の地位が脅かされている、こんなことでは妻として失格だ、家庭の気配りができないのは恥ずかしいなどと、寛大な夫、満点パパに対して無意識的に劣等感情と脅威を抱き、夫婦生活にある種の息苦しさを感じてしまうのです。仕事が休みのせっかくの週末でも特に不満もなく淡々と掃除していたり、てきぱきと家事や子供の面倒に気配りをしたりする夫の姿は、彼女にとってみれば「どうしてこんなことまだやってないの?」「平日あんなに時間があるのに洗濯が溜まっているのはどうして?」「もっとちゃんと子供のこと面倒みないと」という夫からのメッセージとして受け止められ、それに対する自己防衛的抵抗として夫のあらさがしを始めてしまうといったことが起きてしまうのです。



 問題の背景には、家事の出来不出来そのものというよりも、現在の夫婦家庭生活についてお互いが抱いている不満や期待のずれ、家庭以外での人間関係、結婚あるいは出産、家族関係など過去にまつわる心理的葛藤や将来への不安、自身のパーソナリティ傾向など様々な要因が複雑に絡み合っています。共通しているのは、本来の問題なり不満と直接向き合えないかまたは自覚できずにうまくコミュニケーションがとれないため、自身の心の葛藤を抱えきれず、相手に責任を転嫁し、いらだちや攻撃という形に置き換えてしまっていることにあるようです。なお、場合によってはハラスメント(他者攻撃)の形を取らずに自分の中に葛藤を押し込め逆に自分を傷つけるような行為、たとえば上で挙げた三つ目のケースなどでは、隠れてアルコール過剰摂取、過食嘔吐、性的逸脱行為などに及んでしまうこともあります。これもまた自分に対する「攻撃」であることには変わりないといえます。


 どうやら日ごろのコミュニケーションにおいて、まず自分の気持ちや感情の状態を見つめ、それを素直に伝えることの大切さにお互いが気付けていないところに根本の問題があるといえるようです。つい相手がどうだこうだと指摘や決めつけから入ってしまっているかもしれません。上で例にあげたような、失業し家にこもりがちな夫への妻のハラスメントの根底には、妻自身が抱く将来の生活への不安があるはずです。そうであるならば、必要なのは夫への非難よりも、まずもって自分も悩み不安に感じていることを夫に認めることです。「なぜあなたは~」では、自分の気持ちを語っておらず相手を責めることになっています。「私は~」という自他に対する素直さがとても大切になります。そして夫の苦境に寄り添い胸の内を明かしてもらいながら何ができるのかを共有しようとする姿勢こそが必要です。夫婦間の心理的な隔たりを埋めることが、こうした失業など社会生活上の問題の解決へのなにより大きな一歩です。

 相手の本当の事情や気持ちは相手にしかわからないし、自分の事情や気持ちも自分しかわからない、という当たり前のことを、私たちは近しい関係であるがゆえにかえってなかなか認めることができません。(私の気持ちは)当然わかっていてしかるべきだ、(自分と同じように)夫あるいは妻は感じるべきだ、こういう場合~するのが常識である(なのにできていない)という自分側の思い込みでまずもって相手を裁いてしまうようなズレたコミュニケーションの積み重ねが、夫婦間の不協和音を増幅させていきます。

 ときに恥ずかしくプライドが邪魔することがあっても、素直な気持ちを相手に伝えることは決して自分の負けや間違いを認めることではないのですが、私たち誰にでも備わる自己防衛反応の柔軟な発動はなかなかに難しいことのようです。



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むかし「嫁いびり」いまは「家事ハラ」・攻撃する人の心理 ① ~ 立秋の頃\'19_d0337299_11434147.jpg


by yellow-red-blue | 2019-08-07 09:54 | Trackback | Comments(0)

夏の海に寄せて ~ 大暑の頃'19

 

 Мさんは絵がとてもお上手です。趣味だという水彩画の腕はそれこそ玄人はだしともいっていいもので、どんな風景も手慣れた筆致でていねいに描き上げます。海を描いたものが多いです。逗子にある自宅からは海がほど近く、たいていの穏やかな天気の日は折りたたみ椅子と画材一式、奥様が用意するお弁当を車に詰め込み、周辺の海辺を巡ってはいい場所を探し何時間もそこで過ごしあたりを描くといいます。仕事を引退した今ではそれが一番の楽しみと話している今この時も、自宅から車で二十分ほど出かけた小さな港の隅にある公園でスケッチをしています。

 Мさんは建築士事務所を長年営んできました。建物の設計デザインがお仕事なので絵が上手なのもうなずけます。今と違って便利なコンピュータやソフトなどなく、設計図から何から何まで自分で線を引き手書きをするのが当たり前の時代は、建築家を目指すたいていの人はみなデッサンや絵が巧みだったねとお話になります。

 瀬戸内の小さな港町に生まれ育ったМさんは、苦学のかいあって東京の一流大学に合格、建築家を目指し勉学に励み、大学卒業後はゼネコンの名門に就職、やがて一級建築士の資格も取得しました。本当は画家になりたかったといいますが、画家では食べてはいけないだろうと建築家をめざすことにしたのでした。戦後高度経済成長期のただ中、建設ラッシュと好景気に支えられ誰もがうらやむエリート街道を進むことを約束されたかのようなМさんは、家族親族の希望の星であり、小さな田舎町である郷土の誉れですらあったといいます。大げさに思われるかもしれませんが当時はそんな時代だったでしょう。二十代半ばには結婚もし、周囲からすべてが順調に行っているように見られていました。



 

 けれども、職場の労働環境は入社当初から厳しいものでした。一級建築士の資格を取得してからはさらに苛烈を極め、主任技術者として早朝から夜遅くまでの建設現場での勤務、その後会社に戻り残務処理などの業務に追われ、休日には住宅販売の営業業務もやる毎日。毎晩帰宅は深夜の一時か二時。それでも翌朝六時には自宅を出て建設現場へと戻る毎日でした。現場では日々様々な工事遂行上の困難や作業従事者に関するトラブルが立ち上がり、それらへの対応の難しさからくるストレスに疲れ果て、次第に精神的に追い込まれていきました。

 会社には俗に過労死(待機)リストなるものが存在していたそうです。それは公然の秘密で誰もがそれを知っていました。周囲では多くの人が過労死や精神的破綻に追い込まれていきました。けれどもМさんの働く業界でそれは珍しくないことであり、そうしたことに対する根本的な疑問の空気はほとんどなかったといいます。それが当時の会社だったのでした。

 やがて自分の名前がリストの筆頭に上がったことを同僚のうわさで聞かされたМさんは、会社や周囲から強い説得や引き留めもあったものの、悩んだ挙句に退職し独立開業の道を選びました。本当にもう限界でした。自分がまだそうした決断ができる精神状態であったことがせめてもの救いだった、そうお話になります。

 

 独立開業後は好景気にも支えられ、仕事を依頼してくれる人もいて何とか続けていくことができました。けれども実際仕事が軌道に乗るまでは厳しい道のりでした。ただ設計していればそれでというものではなく、現場作業の管理に加え、現場作業員をかき集めたり、給与報酬の交渉もひとりでやらなければならないこともあったそうです。トラブルも珍しくなかったといいます。ある時、施工依頼主から作業が止まっているとクレームがあったのでМさんがあわてて現場へ行ってみると、現場の棟梁が突然消えてしまい工事がストップしていました。このまま契約の履行がなされなければ莫大な賠償金を個人で負担しなければならなくなってしまうことから、とにかくその日のうちに代わりを探さなければいけなくなったМさんは、山谷のいわゆるドヤ街まで出かけ、簡易宿泊施設を回り夜遅くまで代わりの職人を必死に探し回ったそうです。他に頼る人もいないため、Мさんの奥様も同行し手伝ったそうですが、当時山谷は女子供が安心して行けるような場所ではなく、奥様は内心とても怖かったそうです。



 

 Мさんが会社を去るにあたって一番つらかったことといえば、会社を辞めることを知った身内からの非難と無理解でした。自分の将来をどぶに捨てるような決断をして後できっと後悔する、誰もが我慢して頑張っているのに、なんて弱い情けない人間だとさんざんにののしられました。挙句、非難の矛先はМさの奥さにまで及びました。きっとあの嫁にたきつけられたに違いない、都会育ちの嫁がいらぬ入れ知恵をした、子ども作らず好きに生きているあの女Мさんをダメにした、など根拠のない辛辣な陰口をささやかれたそうです。

 実際は、Мさんのことを理解し支え続けたのは奥さまだけでした。彼女がいたからこそ何とかここまでやってこれたとМさんは言います。それでもそんな身内や知人からの仕事の依頼で助けられたこともあったから、文句もいえなかったといいます。家族とはありがたくもあり迷惑なものでもあるとМさんは苦笑しながら当時を振り返ります。

 あの時の選択が正しかったのか間違っていたかはわからない。別の人生もあったかもしれないし自分も若かったからもう少し器用に生きてこれたかもしれない。でも今がまあまあ幸せと感じているのだから、正しかったでやっぱりいいでのはないか。そうМさんは考えています。



 

 ところで『安全第一』の意味知ってる?とМさんが質問をしてきました。はて、建設の現場などでよく看板表示されているお馴染みの標語だとすれば文字通りそのままの意味、危険と隣り合わせの工事現場での事故防止と安全な工事実施を徹底しますとの近隣住民への配慮と現場作業従事者の自覚を宣言したものではないでしょうか、といった感じで答えると普通はそう思うよね、でも本来の意味は違うんだよ、とМさんは説明します。

 『安全第一』は、もともとアメリカの鉄鋼王のカーネギー(それはМさん記憶違いで、実際は有力鉄鋼製鉄企業USスティールのトップだったエルバート・ゲイリー)が宣言した『safety first』の翻訳で、劣悪で危険な労働環境で犠牲者も多かった二十世紀初頭の時代に、彼はそれまでの利益第一主義、安全は二の次だった経営方針を転換して、安全第一、利益や生産性はあくまでその次との新方針をはっきりと打ち出したのが始まりだといいます。

 つまり安全第一という標語は本来、会社にとって最重要なのは従業員の安全であり、企業利益や生産性はあくまでそれが達成される限りにおいて追求します、という経営者の労働者に対する「誓い」だったのです。「安全第一」の看板は工事現場ではなく、社長や重役達の部屋に掲げられるべき言葉なのだと。それがいつしか時代とともに形骸化し、その他にもいろいろな標語がやたら編み出され、結局現場の作業員を律するような合言葉みたいになってしまったところはいかにも日本的といえるのかもしれません。

 

 その後もしばらく話は続きます。絵を描きたいと思うようになったのは、独立を決めて東京を離れてこっちへ引っ込んで随分と経ってからだよ。絵を描いているとき何を考えているかって?何も考えない、本当に何も考えずにただ描くんだ。自分が設計した建物への愛着?もうあまり覚えていないよ。でも自宅だけはやっぱり愛着あるかな。仕事場は六本木? あのあたりでも昔ビルや建物を設計したね。古いけど今でもあるんだろうか。機会があったら行ってみたいけど。でも無理かなもう。趣味がない?そりゃいけないな。なんでもいいから持つといい。忙しすぎるのもダメだがヒマもいけないよ。(私の職業について)そんな職業当時もあったかもしれないが、いやそれでもなんともならなかったかな。それが異常なことだという認識や空気が会社や現場ではなかったから。『それが会社だ』って時代だったからね...


 来年東京ではオリンピックが開かれる。建設ラッシュ、新しい施設や景観と経済効果への期待、興奮と感動、未来への希望。五十五年前の東京オリンピックのときとなにも変わりはしない。多くの人の汗と努力の結晶だと人はまた言うだろうね。けれどもそんな言葉は、所詮は後年まだ生きている人達の自己満足の感傷にすぎないよ。犠牲となっていった人々やその家族は、昔も今もそしてこれからも語られないままなのさ。


 

 Мさんの絵はとても穏やかです。パワーは感じられないが力が抜けている。心に負った何かをだましだまし癒すかのようにゆっくり描いていきます。

 最後にМさんは言いました。

 「そのうち絵を送るよ。たくさん描いても貰ってくれる人もいないからねぇ。」




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by yellow-red-blue | 2019-07-23 16:27 | Trackback | Comments(0)

私たちの七夕 ~ 小暑の頃'19


 全国的にあいにくの梅雨空、七夕の空に天の川を拝むことはどうやらかなわないようです。長雨や鬱陶しいどんよりムシムシとしたお天気も考えてみれば梅雨の時期ならではの空模様なのですから、いかにもらしい季節を味わっているともいえるのですが、大きな災害をもたらすほどの荒天の報に日々接すると、やっぱり異常気象の言葉が頭に浮かび、そうのんきに穏やかな気分でもいられません。

 七夕といえば年にたった一度、織姫と彦星が会うことのかなう日であることにちなんで、それぞれが願いを込めた色とりどりの短冊で笹の葉を飾りこの日を祝うことはよくご存じのとおりです。仙台の七夕祭りのように地域を挙げ盛大に催されるお祭りもあり、夏至を過ぎ小暑のちょうど今頃、本格的な夏の始まりを告げる風物詩でもあります。

 悲しくもロマンチックな織姫・彦星伝説は、中国の古いおとぎ話がそのもとになっていますが、歴史上中国文化の影響を強く受けてきた日本では、七夕伝説も古代の頃から親しまれていました。今ではひたすら自らの願望の実現を祈るイベントのような扱いにもなっていなくもありませんが、古代の日本人にあっては、この七夕伝説の逸話そのものが時節季節を問わず折にふれ意識され、感情を強くゆさぶるものであったようです。


 和歌の名手として三十六歌仙のひとりに数えられる万葉歌人、大伴(中納言)家持はこんな歌を残しています(横書きだとちょっと違和感がありますね)。


 かささぎの 渡せる橋に おく霜の

 白きを見れば 夜ぞ更けにける


(歌意)

 カササギが群れをなし翼を広げ天の川に架けた橋のように、宮中御殿を結ぶ階段には真っ白な霜が降りている。その白さを見ると、夜もすっかり更けてしまったと感じられることだ。

 

 厳しい冬の寒さの情景を描いたものでありながら、実はこの歌には七夕伝説が巧みに織り込まれています。中国の伝説では七夕の日、かささぎが群れをなし翼を広げて連なり、天の川に架ける橋となって、織女(織姫)を牽牛(彦星)のもとへと渡し、二人の逢瀬を助けるのです。カササギは漆黒のカラス科の鳥ですが、お腹と肩のあたりだけが白いのが特徴です。

 アーチ状にかかる宮中の橋に降りた真白な霜のあまりの美しさに、七夕伝説のカササギを連想し、暗く寒い深夜であることも忘れ感動しているさまがありありと伝わってきます。小倉百人一首にも選ばれているこの名歌からは、万葉人の七夕伝説に寄せる思いが色濃くうかがい知ることができます。

 それほどまでに古代日本の万葉の夜空は美しく、人々は壮大な天の川を身近に感じ、それこそ時節季節を問わず見上げていたことでしょう。いつの頃からかほの暗さを嫌うようになっていった私たちが暮らす世の夜では、例外はあるにしろそれはすでに極北のオーロラを見るがごとく困難なものになってしまいました。漆黒の夜空にきらめく無数の星々の姿を見失ってしまった自分と日常にふと気づかされるのが、ある意味現代の七夕なのかもしれません。令和と命名された時代にはるか一千数百年前の万葉人のたおやかな心に憧れるのも、ロマンチックなようでもまた皮肉なようでもあります。


                     *

 

 先日近所で用事を済ませての帰り、普段何気なく通り過ぎる小さな公園の前でおや、と歩を緩めました。ただでさえ子どもの遊び場が不足がちな都心にあって、ほんのわずかな住宅地の隙間に設けられたその公園は、いつも遊びに夢中な子どもたちがそれこそギュウギュウ詰めに歓声も絶えないのですが、梅雨の晴れ間のしかも週末にもかかわらず、だれもおらずひっそりと静まりかえっていることにふと気づいたからでした。

 よく見れば、老朽化が進み安全性に問題のある遊具の撤去通知の看板と、立ち入り禁止の黄色いテープが遊具の周囲をぐるりと張り巡らされていました。最近しばしば見かける光景です。ブランコや滑り台、シーソーやジャングルジムといった公園や学校の校庭によくある遊具には、大人であれば誰しもがちょっぴりノスタルジーの情を覚えてしまうもの。幾世代何十年ものあいだ、子どもたちに使われた遊具が時代に取り残され用済みになり、撤去を待っているそんな光景にふと切ない思いがこみあげてきてしまいなくもありません。

 そんな事情を知らずにやってきたのでしょう、公園の前には所在なげにたたずむお父さんと小さな子供のうしろ姿がありました。ふたりの背中からは、落胆と去りがたい思いとがありありとうかがえます。けれどもその淋しげな背中の下で、大きな手に優しく包み込まれた小さな手は、古き時代は去り行くけれど、親子の情や絆はいつの時代も変わらずにある、そうであってほしいと願うには十分なほど愛おしく私の目に映りました。

 


 昨今、家族や親子にまつわるやるせなさを超えなにか殺伐とした陰鬱な話題に接することが多いと感じられるかもしれません。そうしたある意味日常を逸した異常な出来事を日ごとさまざま報道するのが情報メディアの仕事であることを思えば、そうした事態にばかり私たちの注意と関心が行ってしまうのは無理からぬことなのかもしれません。それらが社会で起きている現実の氷山の一角に過ぎない、というやるせなさも真実である一方で、だがしかし、盛んに報道されるからといってそうした出来事が増えている、常態化している、だから世の中は真っ暗である、とまでも言い切れません。人は、とりあえず身近にあるいは頻繁にもたらされる情報を受け取ることが習慣化することによって、思考や判断の際にそうした偏った情報にのみアクセスしやすくなる認知ルートが出来上がってしまいうというやっかいなバイアスをの持つ生き物なのです。つまり、概して我々が抱いている「実感」と「事実」とには大きな隔たりがあるものなのです。

 不幸な人は不幸な側面を見、幸福な人は幸福な側面を見がちで、結果世の中もそうしたものに違いないというバランスを欠いた認知を素朴に持ってしまいがちなのかもしれません。どちらととるかは人や事情でそれぞれでしょう。ただ世を騒然とさせる事件や痛ましい出来事は私たちの社会の投影であり、両者は抜きがたく結びついていることもまた確かなことのように思えます。決して自分とは無縁ではなく、いえむしろ私たち一人一人が社会の構成員であるように、様々な出来事なり現象に、私一人一人は直接的にしろ間接的にしろ加担しているのだ、という批判的で観照的な視野と態度を忘れないことが、複雑で変化に富んだ厳しい今の時代だからこそ私たち一人ひとりに求められているのだと感じます。




                    *

 

 ところで、後ろ手に握りあう公園の親子の姿を見てある映画を思い出しました。秀逸なパントマイム芸でその名を知られた舞台コメディアンのジャック・タチが監督・脚本・主演をした映画『僕の伯父さん』(仏,1958)です。私の最も好きな映画のひとつです。 

 セリフらしいセリフは最小限(主演のタチが扮する伯父さんはたった一言だけ喋るシーンがある)で、ストーリーもあるようでなく、日々の逸話の重なりといった奇妙で個性的な映画は、けれども風変わりな社会風刺コメディという表層に隠れつつ、私たち一人ひとりそれぞれに豊かなメッセージをもたらし、いとおしさと静かな感動で心満たされる映画史上の傑作なのです。

 2時間を超える長尺の映画は、テンポも遅くプロット(変化に富み入りくんだ筋立て)もなく、したがってなにも起きているようには思えず(戦後の小津安二郎の映画にどこか似ていなくもありません)、現代の映画やテレビシリーズ作品に慣れている人にはその意味を図りかね、退屈にすら映るかもしれません。

 けれどももしそう感じたのなら、そう感じている自分と向き合ってみる逆に良いチャンスかもしれません。この映画が自分にもたらすものは何か。もしかするとそれは今の自分がどこかへ置き忘れ忘れていたもの、本当は求めているもの、今こそくみ取る価値のあるものかもしれません。文化芸術のすぐれていいところはそうしたところにあるのではないでしょうか。

 鬱陶しい梅雨空が続く中、どうせならしばし家にこもり、60年あまり前に作られたこの映画を楽しんでみてはいかがでしょう。「後ろ手の親子」の意味もきっとわかります。




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素晴らしい出会いがたくさんありますように

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by yellow-red-blue | 2019-07-07 00:04 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、カウンセラーとして、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。ブログのどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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