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ニューシネマパラダイス! ~ 大雪の頃’18


 初夏を思わせるほどの暑苦しさで始まった今年の師走は、大雪の頃を境にようやく本格的な寒波が全国を覆い始めたようで、正常に戻ったことになぜかホッとするやら、でもやっぱりこの寒暖の差には辟易するやら、なんだか妙な気分の年の瀬の始まりとなりました。

 この季節になると、青森に住む友人から地元の農家から直接仕入れたおいしいリンゴがいつも山のように届きます。青森でも今週ようやく雪が降り始めたと思ったら、この週末はもうドカ雪の予報だそうです。

 毎年当たり前のように受け取ってきたリンゴですが、段ボールにぎっしり詰め込まれた赤い実を眺めながらふと、厳しい寒さと風雪があたりを覆いつくす長い冬、周囲の純白の銀世界とは鮮やかに対照的なリンゴの赤い色は、青森の人々にとってはずっと特別な色なのかもしれない、色や形は同じといえども、都心に暮らす私のような人間が、人工照明で照らされたスーパーの食品売り場で出会うリンゴとは随分と違う存在に映ってきたのかもしれない、そう思ったのです。

 その友人の二人の子供は今年そろって受験を控えていて、もういろいろと大変なのだとか。青森のリンゴの赤色は、そこに生きる人それぞれの人生さまざまな出来事や苦労の思い出と記憶とが塗り重ね合わさった赤なのかもしれません。



 私がたびたび自宅を訪問するクライエントにWさんがいらっしゃいます。一人暮らしが長い70代後半のWさんは、足がご不自由なため、私の方から定期的に自宅に出向いているのでした。そこでいろいろなお話をするのですが、必ず出てくる話題が映画です。かつては娯楽の中心だった映画にWさんは小さなころから慣れ親しみ、それこそ数えきれないほどの作品を鑑賞してきたのだそうです。それは今でも変わらず、テレビの横の棚には通販で購入したと思しき、映画のDVD名画全集がずらり。それもそのはず、かつて終戦後間もない一時期、Wさんのお父さんは、ある地方都市の繁華街で当時としては珍しい洋画専門上映館を経営なさっていたのだそうです。戦時中長らく禁止されていた敵国映画たる欧米映画が、敗戦国日本にどっと押し寄せてきた時代でした。戦争に敗れ一面焼け野原から裸一貫の出直しを始めて間もないこの国で、映画館の薄暗い場内のスクリーンに映し出される西洋映画の織りなす銀幕の世界は、文字通り別世界のことのようにWさんの脳裏に深く焼き付いてきたのでしょう。

 今でも世界中でたくさんの映画が作られており、劇場だけでなく気軽にDVDやインターネットを通じて数多くの古い名画も楽しめる時代になりました。思い出の名画ばかりでなく、新しい映画作品もよく見るというWさんですが、Wさんに言わせれば、かつて娯楽がほとんどなくまだまだ多くの日本人が貧しかった時代に見た映画の世界は、単なる娯楽や暇つぶしを超え、人生そのもの、人生における先生であり友人であり恋人でもあったといいます。

 たとえ今そうした映画を後年の世代が安楽に観ることができるようになったとしても、そこには冒頭述べたような、青森の人たちにとってのリンゴと私が経験してきた都会のリンゴほどの違いがあるのかもしれません。



 少し前の話になりますが、イギリスの国営放送BBCが、世界の映画専門家による投票をもとに選出された「映画史上最高の外国語映画100」と「映画史上最高のアメリカ映画100」をインターネット上で公開していました。両ベスト100中、上位10傑を以下に挙げてみます。


【映画史上最高の外国語映画100】(タイトル、製作年、監督名、国) http://www.bbc.com/culture/story/20181029-the-100-greatest-foreign-language-films

 第1位 七人の侍(1954)黒澤 明(日本)

 第2位 自転車泥棒(1948)ヴィットリオ・デシーカ(伊)

 第3位 東京物語(1953)小津安二郎(日本)

 第4位 羅生門(1953)黒澤 明(日本)

 第5位 ゲームの規則(1939)ジャン・ルノワール(仏)

 第6位 仮面(1966)イングマール・ベルイマン(スウェーデン)

 第7位 8 1/2 (1963)フェデリコ・フェリーニ(伊)

 第8位 大人は判ってくれない(1959)フランソワ・トリュフォー(仏)

 第9位 花様年華(2000)ウォン・カーワァイ(香港)

 第10位 甘い生活(1960)フェデリコ・フェリーニ(伊)


【映画史上最高のアメリカ映画100】(タイトル、製作年、監督名)

 http://www.bbc.com/culture/story/20150720-the-100-greatest-american-films

 第1位 市民ケーン(1941)オーソン・ウェルズ

 第2位 ゴッドファーザー(1972)フランシス・フォード・コッポラ

 第3位 めまい(1958)アルフレッド・ヒッチコック

 第4位 2001年宇宙の旅(1968)スタンリー・キュブリック

 第5位 捜索者(1956)ジョン・フォード

 第6位 サンライズ(1927)FW・ムルナウ 

 第7位 雨に唄えば(1952)スタンリー・ドーネン/ジーン・ケリー

 第8位 サイコ(1960)アルフレッド・ヒッチコック

 第9位 カサブランカ(1942)マイケル・カーティス

 第10位 ゴッドファーザーPartⅡ(1974)フランシス・フォード・コッポラ


 

 私も映画にはずいぶんと慣れ親しんできたつもりでしたが、100作品のうち見たことのある作品はせいぜい6~7割ぐらいで、知ってはいてもまだ見ていない作品も多かったです。また、数多くの日本映画がベスト100に入っていることは、ある程度予想されたこととはいえ、日本人としてやはり素直に誇らしく思えました。

 こうしたベスト100に数えられるような過去の名作を見ていて、特にここ最近20年くらいの映画(TV作品を含め)の多くが、いかに視覚上の刺激やスピード感、めまぐるしく変化する表面上のストーリー展開のみにその魅力の多くを負っているのかがよくわかります。常に何かが起きていないと、たえず刺激の侵入がないと耐えられない私たち。そんな私たちを飽きさせないものを供給しようとする映画製作者たち。ほんのわずかな隙間の時間ですらじっとしていられずに、思わずスマホの画面を操作してしまう現代人の姿がそれらとダブって見えてしまうのは決して偶然ではないのでしょう。

 

 もし、普段あまり映画にはなじみのない方や古い映画は見ないという方がいらっしゃったら、もうすぐやってくるクリスマスから新年にかけてのしばしの休み、このベスト100を参考に、名画の世界に浸るのも悪くないかもしれません。なにも1位から見る必要はありません。新しい製作年の新しい映画からでもいいし、タイトルや内容が面白そうだと思うものを選んでもいいでしょう。中には難解な作品もあります。退屈に感じたりすることもあるでしょう。映画が製作された時代背景や空気、作品の芸術的意義を理解したり、その時代を生きていなければ本当の良さは伝わってこないものもあるに違いありません。

 しかしWさんがおっしゃったように、映画とは友であり、教師であり、恋人でもあるかもしれません。彼らとの間、そこには常に学びだけでなく葛藤や孤独、苦悩がある。だからこそ、その先の人生に喜びと希望もまたあるのだと気づかされるのです。

 映画を純粋娯楽として割り切って楽しむことだってもちろん悪くありません。実際私もずっとそうしてきましたし、楽しみ方はそれぞれです。けれどもそれではなぜ人は、はるか遠い昔に創作された映画や音楽、文学や絵画といった諸芸術文化とその作品をいまだ愛してやまず、その輝きと価値を後世へと継承しようとするのか。それは私たち人間の「生」にとってそれらが確かになくてはならないものだからに違いない。だとするなら、ではそれはまたどうしてなのか。ときに考えてみるのもまた悪くないと思うのです。

 今年はどの映画を見て年末年始を過ごそうか、長いリストを見ながら久しぶりに今からちょっぴり楽しみです。


最後までお読みいただいてありがとうございます。


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by yellow-red-blue | 2018-12-07 15:59 | Trackback | Comments(0)

別れの予感 ~ 小雪の頃’18


 そういえば東京ではいまだ木枯らし一号が観測されていないようです。本格的な冬への扉が開く小雪の頃といえ、冬の始まり数歩手前で足踏み状態といったような陽気でしょうか。街中はまだ晩秋の趣が強く、紅葉がますます色濃く深みを増していくそんな日々が続いています。イチョウやポプラ、ケヤキにモミジといった公園や通りの並木におなじみの木々の紅葉は、私たちの目をとても楽しませてくれますが、個人的に一番紅葉が美しいと感じる木はソメイヨシノです。桜のクライマックスといえばもちろん春先なのでちょっと意外に思われるかもしれませんが、ソメイヨシノほど一年を通じて四季折々の美しさと多彩な色と姿で人を魅了する木はほかにないのでは、と思っています。

 場所や陽当たりの強さ角度によって紅葉と落葉の進み具合もさまざま、晩秋のやや力の落ちた陽光に照らされ五色鮮やかに輝くソメイヨシノの紅葉はとても美しいです。とくに、もうほとんど葉が抜け落ち裸同然となり、美しい桜の花には似つかないほど黒々武骨な木の幹や枝に、ほんのわずか数枚だけが寒風にさらされながら懸命に落ちまいと引っかかっている様子に、まもなく訪れる長く厳しい冬と、そこを経てやがて初々しいピンク色の花咲き乱れる待望の早春の到来へと想像を掻き立てられ、その自然の大胆なまでの変貌と神秘性にしばし心奪われてしまいます。



 

 私が物心ついて最初に体験あるいは実感した「別れ」は、幼稚園の卒園式の時でしょうか。年少組の時には年長組のお兄さんお姉さんが巣立っていくのを見ていましたが、卒園といっても近くの小学校(というところ)へ行くことは知っていましたし、住んでいるところもみな変わらず近所で一緒でしたから、あまり別れという感覚はなかったのが当然といえば当然かもしれません。けれども、自分がいざ幼稚園での生活に別れを告げようとする卒園式で、担任の先生がひとり目をはらしてひそかに涙している姿を見て、これでもう先生や友達の何人かとは会えないかもしれない、ああこれがお別れなのだとおぼろげに理解をしたのでした。

 人は人生の節目節目でさまざまな「別れ」を経験します。それはあらかじめ予期されたものもあれば唐突にやってくるものもあります。状況や対象によって、離別、訣別、喪失、分離そして死別など、様々な表現がなされるでしょう。人との別れや死、今まで有していた役割や身分、資格や境遇との別れ、所属したり帰属意識を持ってきた社会組織や場所、住み家との別れ、さまざまな物との別れ、さらには病気や事故、加齢など何らかの原因で自分の身体機能の一部や健康が損なわれることなど、考えてみればこれらすべてが「別れ」です。自らの意思で決断する別れもあれば、必ずしも望みはしないが、結局それはいずれやってくるもの、やむを得ないもの、避けがたく向こうからやってくるもの、それが別れであるといえます。いずれにせよ、別れの繰り返しとそこからの回復なり前進が人生そのものといえるかもしれません。

 けれども私たちの人生には、別れを告げたい、別れなければ前へ進むことができないことが分かっていながら別れることができない、一刻も早くそれを消し去りたい、忘れたいのにどうしても自分から「別れがたく」自分の中深くにとどまり続けるものもあります。葛藤や不安、執着や恐れ、欲望や願望といった、私たち人の心の中に湧き上がるように存在する複雑で扱いの難しい心の動揺とでもいうべきものです。巧みにそれを「心の渦」と表現される専門家の方々もいます。どうにも自分では受け止めきれない感情や思い、直視しがたい出来事の記憶、悲しみや悔恨、罪悪感といった、意識するとしないとにかかわらず心に沸き立つそうした渦は、私たちと分かちがたく存在し心深くに潜み、私たちの思考や感情、行動に強い影響力を持ち続けます。消し去りたいのは自分のほんの一部であるにもかかわらず、あまりにも長い間自分の中に存在しているがために、あるいはあまりに受けた心の傷が深かったために、それはあたかも自分と不可分のものとして実感・意識され、自分がすなわちそれに過ぎないとの意識が捨てきれないこともあります。なぜだか心の渦に限ってはコントロールすることが難しく、否定しようとすればするほどその渦は心をかき乱し、それを否定することはまさしく自分の価値や存在そのものの否定となり、時に自分がいなくなればいい、消えてなくなりたい、決して周囲と交流することはできない、と人知れず苦悩するしかない日々を送ることすらあります。

 その別れを告げたいものとは何なのか、離れがたく分かちがたい思いとは何であるのか、容易には言葉にできない気持ちを汲み取り、表面上の現象ばかりに振り回されることなく、その奥底にある深いこころに残っている渦に気づくことをお手伝いし、別れへの道を徐々に模索しながら一緒に進む「おくりびと」の役割が私たちカウンセラーにあるのでしょう。


 

 カウンセリングルームには常に別れがあります。しかし、ここでの別れはとても喜ばしいことです。相談に訪れる依頼者が、新たな希望へ向かう準備が完了したことの証しとしての別れだからです。抱えている悩みや問題、症状が解消した、あるいは少なくとも改善し、将来への展望が見えてきたからこその別れであり、そんな時には笑顔と時として涙でカウンセリングの終結が宣言されます。でも、そこに何とはなしに一抹の寂しさもこみ上げてしまうのも事実です。それはいろいろなことがあったにせよ、自分が指導し幾時を共に過ごした子ども達が無事に学びを終え巣立っていくことを毎年見送る学校の先生の思いにも似た心情からかもしれません。確かにカウンセリング終了後しばらくたって、元気である旨連絡をいただいたとき、そこで初めて嬉しさがこみ上げるということのほうが多いように思います。

 もちろんそうしてしっかりと終結が確認されるカウンセリングばかりではありません。理想的な別れで終了することのほうが少ないかもしれません。最初のカウンセリング後、もうやってこないのが薄々わかる場合もあります。じっくり話し合い、相談者が自分の思いのたけを存分に聞いてもらったことで満足を得ている感触が伝わる場合には、たとえ何の予告もなく来なくなっても驚きはありません。また明確に不満や怒りを示され、カウンセリングが中断になってしまうケースも、カウンセラーとしての力が足りずに反省すべきところはあれど、相手のメッセージが明らかなので受け入れやすく切り替えやすいので、これもまたむしろ前向きの別れだと思っています。

 悩ましいのは、こうしたいわば明るいお別れとは異なる別れにしばしば立ち会わなければならないことです。順調にカウンセリングが進み、本人も少しずつ手ごたえを感じていた(とこちらは思っていた)のに、唐突にやってこなくなる人。明らかに症状や悩みはいまだ深いままなのに、二度と来なくなってしまう人。カウンセリング予約の電話を何度もしながら結局一度も姿を見せない人。相手の状態が気がかりで、何がいけなかったのか悶々と自らに問う日々が続くこともあります。こうした唐突な別れは、正直やはりしんどいものでこれもまた心の渦との別れの難しいところです。


 

 しばらく前のある休日、仕事場から少し離れたスーパーの中で、かつての相談者の一人の姿を偶然に見かけました。二人の子供と夫と仲睦まじそうに買い物をしていたその相談者は、数年前に唐突なお別れを告げた依頼者の一人でした。

 かつて彼女は、様々な事情から出産と子育てを機に始まった、日常でのちょっとしたいさかいごとや対立が絶えない夫婦関係と、自分の生来の神経質で完璧主義的な性格が今後子どもに及ぼす影響がとても心配で専門的な立場からの意見と性格を見直したいとカウンセリングに訪れていらしゃった若い母親でした

 厳格なしつけが支配的だった養育環境に育ち、すべての面において優等生的そうしたエリート指向的人生に努力を傾けることに慣れてきた反面、囲の評価や今の社会で支配的な価値観に敏感で、常に比較・競争意識を持って生き、周囲をその尺度で判断してきた自分がときにいやでたまらず、近しい人に対しかえって余計に不快感情や不信感をあらわにしてしまうことがとても不安だったのでした。社会的身分も高く優秀なキャリアウーマンの典型といった風情の彼女は、その自信と硬質な態度の下に、しかし涙で時折言葉が詰まるシーン見せるよう、自信なさげな不安定さが同居しており、そうした時の表情はむしろ自然、素直な印象に私の目には映りました。本来はどちらかといえば内気で、内的世界と向き合うことに長けたとても感情豊かな人柄だったにもかかわらず、そうした自分の感情や願望を素直に出すことを自分に許してこなかった、許されないと信じてきた、そんな生き方をしてきたことが話し合いの中からわかってきたのでした。そして、彼女は数回のカウンセリングの後、何の前触れも予告もなく姿を見せなくなったのでした。

 久しぶりに見かけた彼女の印象にさしたる変化はありませんでした。あれほど心配していた二人の小さな姉妹はとても明るく楽しそうで、ご主人とじゃれ合っている姿がほほえましい普通の家族でした。

 以前も垣間見えた少し神経質な彼女の目の表情を見て、一瞬不安がよぎりました。けれども、駆け出す二人の子供とそれに追いつこうとする夫から少し距離を置きながら、心なしか弾むようなステップでゆったりとついていくかつての相談者の後ろ姿に、どことない朗らかさと余裕を感じた私は、すぐに少しホッとしたのでした。


 

 この相談者は私とのカウンセリングに失望し別れを告げたのかもしれないし、少し勇気づけられたから別れたのかもしれません。別れは「それでも私は進む覚悟を決めた」ことの証しでもあるのでしょう。心に沸き立つ渦は今もって消えてないかもしれないが、それを抱えながら生きていくすべを何とか探し当てようと模索することもまた、私たちの人生そのものなのかもしれません。

 「心の渦」は、他の別れのように消えることはなく、どころかついに別れはやっては来ないものなのかもしれません。それもまた自分の一部として引き受けながら、人生を歩んでいくことに手を差し伸べるために、私ができることとはいったい何なのだろう、そして今まで自分は何ができてこなかったのだろう。

 普通の家族4人の姿を目で追いながら、私は自分に問いかけていました。

あなたの心に深く刻まれている「別れ」はどんなものでしょう?あなたにひっそりと寄り添う心の渦は?



最後までお読みいただいてありがとうございます。

メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂

サザエでございます

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by yellow-red-blue | 2018-11-22 21:57 | Trackback | Comments(0)

ふたりの老人 ~ 立冬の頃‘18



以前のブログ(『パワースポット(Ⅱ)』)でも触れた、個人的にお気に入りの散歩コース途中にある運河沿いのとあるベンチに久し振りに腰掛けしばしくつろいでいた先日のことです。やはりお散歩の途中とおぼしきひとりのご老人が、ゆっくりとこちらのベンチに向かってくるのが目に入りました。年の頃85は下らないように見えた細身の方で、ステッキをつきながら足元が少々おぼつかない様子でゆっくり一歩一歩を踏みしめ、ここよろしいですか、とご丁寧に会釈をしてこれまたゆっくりとベンチへ腰を降ろしたのでした。そろそろ立冬を迎えようかという、おだやかながらやや冷たい秋風の吹け抜ける休日の運河の景色を眺めながら、しばしの会話が始まりました。

 近くの高層マンションに奥様とお二人で暮らしており、中学を卒業すると同時に遠い田舎から上京し、すぐに地下鉄マンとして就職し長年働き、定年後を含め、かれこれ60年以上もずっとここ芝浦に暮らしてきたとのことでした。

「いい時代でしたよ。まだ右も左もわからない田舎者に、仕事も住まいもお給料も何から何まで世話してもらったようなものでね。一人ぼっちだった私でしたが、いい先輩や同僚にも恵まれて皆が家族のようでしたから。仕事は大変でしたが皆がそんな時代でしたからね。幸せでしたよ。」ゆっくりと丁寧な言葉遣い一語一語に過去の日常への郷愁を織り込むかのような話振りは、自分なりに想像する老人の過去へと私を心地よく引き込んでいきます。

最近の大規模再開発を機に住み慣れた自宅から高層集合住宅への移住を余儀なくされたとのこと。では随分とこの辺りも変わってしまったのでちょっとお寂しいのでしょうねと話しを向けると、

「いやいや、そんなことないですよ。あまりに規模が大きいのでちょっと戸惑うこともありますが、とても立派だし快適なので感謝してますよ。みんなよくしてくれますし。1階なのでこの辺りは土地が低いですから、いざ大地震が来たときが心配なことぐらいですか。まぁこの年だからいざという時さっとにげるわけにもいかないでしょうからあきらめてますけど」ととてもあくまで和やかです。

そばの運河に沿った遊歩道を、小さな姉弟がペットの犬を散歩に連れて通りかかると、顔見知りなのかお互いに挨拶を交わしていました。

「知り合いでもないのに、ここに腰かけているだけで、ああやって私のような老人にも声かけてくれるしね。やっぱり恵まれているんでしょうね、私は。」

ふと気づけば、季節にピッタリの柿渋色の暖かそうなニットセーターに、今どき珍しい赤が基調のタータンチェック柄のハンチング帽にボーダー柄マフラーがとてもよく似合っていらっしゃいました。奥様の見たてかあるいはお子さんやらお孫さんからのプレゼントなのでしょう。驕奢は感じさせない庶民性がありつつ、どことない品の良さを感じさせる方でした。会話の中の言葉遣いや初対面の私へのそれとない気遣いからその人柄と言葉通りの幸せな人生が伝わってきたのでした。

「さて、寒く成りましたらそろそろ引き上げますか。」いま、家には家内の友人がいましてね。二人集まるとこれが結構なおしゃべりになるので避難してきたようなもので。でも散歩が唯一の楽しみのようなものですからね。ここはいいところですよ。ゆっくりゆっくりと立ち上がって軽い会釈とともに遊歩道をまた来た方向へとゆっくりと戻っていきました。そんな後ろ姿に私はつい見入ってしまったのでした。



 「ああ、失礼、ここいいですか?」

突然そう言われてハッと振り向くと、やはり一人のご老人が隣のベンチに腰掛けようとしたところでした。ビックリしたような私の顔をしばしねめつけながら、どっかと腰をおろし、座るやいなや懐からたばこをやおら取り出して一服。心地よさそうに煙をはき出してから、「ああ、煙草構わないかな?」とひと言。

 先ほどのご老人とほぼ同じ世代に見えましたが、こちらは対照的にやや恰幅のいいガッチリとした体格の赤ら顔の方で、足元はやや弱っているようでしたが、杖もつかず堂々としている雰囲気。一見して値の張る衣服に身を包んだその方の、あきらかな若輩者の私への言葉遣いのトーンはざっくばらんなものでした。企業でそれなりの地位まで上り詰めたかご自身で会社を経営なさっていた方、あるいは職人の親方さんのようでもあり、人を率いたり指示することに慣れてきた人のような、引退してなお壮健なお人柄が漂ってきました。

辺り一帯があきらかに喫煙NGの環境のようでしたがが、ええ、どうぞと気にしない風を装うと、それをも察知してか、「最近は落ち着いてたばこを吸う場所もないんだからね」と美味しそうに煙を出しながらもかなりの不満顔をしていらっしゃったのでした。

 そうですねと、今どきの喫煙者の肩身の狭さに同情するコメントをすると、

「自宅でもそうだからね。ベランダの喫煙はもちろんだが、自分の家の中で吸ってもそれが外にちょっと漏れると文句言ってくる人もいるしね。」聞けば住んでいるところは、さきほどのご老人と同じくすぐ近くの高層マンションのひとつ高層階。立派なところにお住まいですね。

「いや、まぁまぁだよ。でも見た目よりいろいろと不便だね。風も強いし。近所の騒音音やペットなんか結構気になるね。もうちょっとご近所迷惑を考えてもらいたいんだが、今どきの人はあんまりそういうことには...」と最後はぶつぶつ声に。

最初のご老人が自分の過去やよき思い出の話を柔らかく語っているのとは対照的に、この方は過去や自分のことはほとんど触れることなく、どちらかといえば変わってしまった今の世の中に何か納得がいっていないかのようなトーンに終始していたのでした。私のプライベートな話にもあまり興味がないご様子でした。

 すぐ前の運河沿いの遊歩道をジョギングする人が行き交います。

「休日なのにああやってせかせか走って。みんなマラソンでも走るのかね。」そういう人も結構いらっしゃるみたいですよ。最近は健康志向の方も多いですしね。

「そんなことわざわざやらなくったって、わたしなんか何もやってこなかったが、この通り身体は丈夫だし元気だけどね。ただ豊かになって食い物や生活がぜいたくになったせいなんじゃないかね。」とちょっと手厳しいですが、たしかに本当にお元気そうです。

犬を何匹か連れスマホに見入っている若い今どきのご夫婦が通り過ぎるのを眺めていたかの老人は、「うちの近所にもいるけどさ。最近多いね。何匹も飼っていたり、文字通り猫かわいがりというんかさ。ペット飼わずに子ども作れと言いたくもなるよ。」「なんというか、もうちょっと今の人が世の中や社会のこと考えればいいんだが...」


そんなご自分のお考えに同意を求めるかのような苦笑顔を向けられ、当たり障りのない同意の言葉を向けると、そんな私もまた自分とは違う側の世代であることに気が付いたかのように、「いや、そんなこと言うとまた文字通り煙たがられるかな」とたばこをまた深々と一服し、しばし無言の後、「じゃ失敬」といきなり席を立ち、また来た遊歩道を足早に戻っていったのでした。

ゆっくりくつろぐつもりで来たのに、私が相手ではお役不足、折角の散歩が台無しにされたかのようなせっかちな歩みに勝手ながら私には思えてしまったのでした。ただ、ぶっきらぼうながら悪い感じはしなかったのは、その方がある意味表裏のない率直な方であったように感じられたからかもしれません。

ほぼ同時代、同じ場所で生きたであろうお二人が、同じ風景を目の前にしてこんなにも対照的な物事のとらえ方、お話しをなさるのかと思うと、今さらながらそして当たり前のことながら、私たちはそれぞれが本当に「ただ違う」のだ、と改めて思い知らされます。



その後もしばし私はそのままベンチに腰掛けながら、何だか一人その場に取り残されたかのような、ちょっと不思議な感覚を覚えてしまいました。しいて言えば、ポツンとあるベンチが舞台設定の演劇か何かに出ているかのようなそんな感覚です。

出演者:老人A、老人B、そして中年男C、以上。

さしずめ、舞台に最後一人残された私は、なにがしかの気の利いたセリフでこの舞台を締めなければならないか、あるいはラスト幕が降ろされる間際に天上から聞こえてくるささやきめいたメッセージはどんなものか、などと勝手な思いが頭をよぎります。


『おまえもいずれ老人だ。それで一体お前はどちらの老人になるのだ?』

『いやいや、結局どちらもお前なのだ。そうではないか?』

『いろいろと勝手なことを妄想しているようだが、当の老人たちには、今のお前はいったいどんな人間に映ったのだろうな?』



 穏やかで謙虚、自分が周囲の助けや犠牲のもとで生かされてきたことに素直に感謝できる人もいれば、頑固一徹に一人道を切り開いて必死に生きてきたと信じている人もいる。現実に妙に逆らったり疑問を感じたりせず、受け入れ流れに任せる人もいれば、現実からの距離が取れて、世俗的な価値観を相対視することができたり、周囲をありのままをそっくりそのまま受け入れるのではなく、自らの価値基準と正義感覚を保ち続け、納得のいかないことには異議申し立てもいとわない人もいる。そして、結局そのどちらがより悪くてより好ましいというものではないのでしょう。そんなふうに考える私もまた歳を重ね衰えゆく年代にさしかかったのだと気づかされます。


一個人をどこまでも他に例を見ないひとりとして肯定し、理解し、支え続けること、そして周囲からはどう見えようとも、あなたの、わたしの事情や気持ちそれはそれで十分にくみ取る価値のあるものであって聴くに値するものである、との姿勢をメッセージとして送り続けることがなにより大切なのだということを、今の仕事を通じて少しずつ学んでいるように思います。そしておそらくそれは、私たち一人ひとりの人生においてもまた同じなのではないか。とにもかくにも元気そうなお二人を見てなぜかそんなことをふと考えさせられたのでした。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

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by yellow-red-blue | 2018-11-08 16:02 | Trackback | Comments(0)

All Rise ! ~ 霜降の頃’18


少しひんやりとした澄んだ空気と青空のはるか先に、雪化粧をまとった富士山の姿が美しく映えるのがとても印象的です。そのすぐ傍らを、大きな夕陽が西の山々に沈む情景を眺めていると、秋もいよいよ深まってきたことを感じます。

実り・食欲の秋、読書・芸術の秋、スポーツの秋などとさまざまな表現がなされる通り、秋は人の感性を静的にも動的にも一層刺激する季節なのかもしれません。

そのスポーツの秋といえば、日本だけでなく、世界各地でも多くのスポーツ競技がまさに熱戦の佳境を迎える季節です。海の向こう、野球の本場アメリカでは、メジャーリーグ(MLB)がいまちょうど、各地区・各リーグのチャンピオンチーム同士がNO.1の座をめぐって激しい戦いを繰り広げるポストシーズンの真っ只で、シーズン最高潮の盛り上がりを見せています。普段ほとんどテレビを観ない私ですが、メジャーリーグは昔からのファンで、特にポストシーズンを迎えるこの時期は、普段部屋の隅に追いやられている小さな液晶テレビを引っ張り出して、その熱戦につい見入ってしまいます。



 ところで、昨シーズンメジャーリーグの名門ニューヨーク・ヤンキースに一人の若者がすい星のごとくデビュー(正確には一昨年の途中のデビュー)し、いきなりの華々しい活躍とずば抜けた成績で話題となりました。アーロン・ジャッジ選手です。2メートルを超える巨体から繰り出される桁違いのパワーと高いバッティングスキルでホームランを量産、ヤンキースの快進撃をけん引し、圧倒的な支持を得て見事昨年の新人賞を獲得しました。その圧倒的なパフォーマンスもさることながら、若者らしからぬ謙虚で清々しい立ち振る舞いで、ファンの間でも絶大な人気を誇り、2年目の今シーズンは、もはやヤンキース不動の看板打者であるばかりか、まさに新世代メジャーリーガ―の象徴としての存在感すら漂わせる選手なのです。

 けれどもその彼が人々を強く惹きつけてやまないのは、そのパフォーマンスだけでなく、その名前(姓)であるジャッジ(judge)にもあることがわかります。その第一義的意味は、裁判官あるいは判事。苗字としてはアメリカでもやはり珍しい部類に入るようで、特別な響きと余韻をアメリカの人々にも与えるようです。法と正義の名の下公正な裁判を主催し、犯罪と悪を裁き審判を下す善良なる魂の守護者、絶対権力者である裁判官という名は、勝負を決める一発で相手を葬り去る男、ここ一番に決定的な仕事をする頼れるバッターとしてのイメージと完璧にマッチするのでしょう。

 ヤンキースの本拠地ヤンキーススタジアムのライトスタンドの一角には、彼の活躍を応援しようと、Judge's Chamber(裁判官室)という名の観戦エリアがチームによって特別に設けられ、試合中そこに座る観客がフェイクの法衣やかつら、木槌で仮装し、All Rise!(全員起立!)と書かれたボードを振りかざし、ジャッジ選手の打順が来るたびに熱狂する光景が繰り返しテレビで映し出されるのがお約束になっているほどです。それほどジャッジ(judge)という言葉には、どこか人を惹きつける威厳ある決定的な響きがあるのでしょう。



つい、好きな野球のことで熱弁をふるってしまいましたが、この単語judgeは私たち日本人にもお馴染みで、司法あるいは法律的文脈で用いられるだけでなく、一般的な意味合いとしての裁く、判断する、断定するという意味でも日常的に用いられる言葉です。そして、人間である以上私たちの誰もが実は毎日、というか瞬間瞬間ごとに行っている認知的作業がこのジャッジ(ジャッジメント)なのです。私たちはジャッジすることなく生きることはできないと言っていいほどです。ジャッジすることでいわばその後の自分の行動や振る舞い、感情が決定されていく。ジャッジその連続がまさに生きることに他ならない、といってもいいかもしれません。私たちの感覚知覚機能に取り込まれたり喚起されるすべての情報や出来事、記憶について何かにつけ常に私たちは裁いて(ジャッジ)しているのです。これは人間にとって生きるに当然かつ必要な行為であって、オートマチックに実行している作業なのでそう簡単にやめることはできません。やめることの方が不自然でしんどいくらいなのです。



ところがこれを常に正しく安定して機能させることはなかなかに難しいことのようです。私たちは時としてというかかなりしばしば、「ジャッジしすぎ」てしまうのです。他者を、自分を取り巻く状況や社会を、そしてとりわけ自分自身を。そしてそのジャッジメントをそのままあたかも事実、真実であるとして許容し続けてしまうというリスクを負って生きています。

本当かどうなのか事実か定かでないことに決定を下してしまう。うまく説明のつかないことに対して苦し紛れの都合のいいジャッジを相手に押し付けてしまったりする。勝手なジャッジ同士をぶつけあいすれ違いや摩擦を生んでしまう。もう過ぎ去った遠い過去に下したジャッジでいまだかたくなに自分や周囲を裁き続け、苦しんだり苦しめたりし続けてしまう。どうなるのかわからない未来のことに不要なジャッジを下して、不安に思い途方にくれたりする。私たち人間はそんな生き物といったらいいでしょうか。ジャッジしてしまうがために、自分と周囲に起きている変化を感じとれず乗れ越えられず、考え過ぎてストレスを溜め込んだり、過剰に自己防衛に走ったり、却って窮屈な生き方を背負い込んでしまいがちな人が多いことに気づかされます。

ジャッジするという行為そのものが悪いわけではありません。前述しましたがジャッジしてしまうのが私たち人間なのですから。ジャッジがひとつの判断なり評価に過ぎないことを超えて、それを動かしがたい事実、決して覆ることのない真実としてオートマチックに信じてしまい、そこにがんじがらめになることが、私たちの日常にとっていかに有害なものかについて、ひとり気づくことはかなり難しい、というところがとても悩ましいのです。それがあたかも当たり前のこととして私たちは受けとめているからです。ジャッジしているなどとはなかなか自省することのできないのが、残念なことに私たち人間と言えるかもしれません。



カウンセリングは言ってみれば、そうした相談者が下してしまっているジャッジとはどのようなものであるのか、そしてそれはどうしてなのか、ジャッジそのものを止めようと躍起になったり、ジャッジしたくなる気持ちを否認するのではなく、どうすればそのジャッジを手放すことができるのかを一緒になって考えていく作業でもあります。

考えてみれば、カウンセラーも常に相談者とその相談者が抱える問題をあらぬ方向へと裁いてしまうリスクを常に背負っていると言えます。憶測や偏見、過去の学習や経験、専門的知識などへと逃げる形で。そうしたことはときに避けられないとしても、その流れに完全に乗ってしまう前にその外へと一歩踏みとどまり、まずもって相手の気持ちや言葉に対して無条件に肯定的に寄り添ってみること、そしてつねに下されがちなジャッジを意識しつつ、それをひとまず脇に追いやり、相手の話す世界そのものに入っていこうとする姿勢は、カウンセラーだけでなくすべての人間関係に本来必要な心構えなのかもしれません。「無条件に肯定的に寄り添う」といっても、それは相手の考えや意見に同意することでも、またそうしたことに自分を合わようとしたりすることでもありません。相手の言わんとしていることはまさに相手側の事情であり、そのように相手が実際に受け止め感じていること自体には偽りはないのであるから、そこにこちら側の事情や価値判断のフィルタを持ち込まずに、まずもってただそっくりあるがままに真摯に受け止め、理解しようとする態度が大切だというわけなのです。

とはいいながら、精神医学や臨床心理の世界でさかんに言われるこうした「無条件の肯定的な配慮」であるとか「執着を上手に手放す」という態度は確かに立派ですが、正直なところそれが本当にどのような意味を持つのか、どうすればそんな姿勢を維持し続けることができるのか、私にもちゃんとはわかっていないのだと思うのです。

日々のカウンセリングの中で一人ひとりの相談者と向き合って、私の、あなたのそれぞれのジャッジをていねいに辛抱強くたどっていく精一杯の姿勢が、今の自分にできる数少ないことのひとつだと感じています。

優しく、信頼されるAll Rise!をいつも心に響かせることができるよう。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

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イチローさん

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by yellow-red-blue | 2018-10-24 23:57 | Trackback | Comments(0)

生きるは芸術 ~ 寒露の頃’18


仕事場の窓の外にある手すりに最近トンボが止まっているのを、ふとよく目にするようになりました。街中でもあちこちさまよう姿を時折見かけます。近くの通り沿いに立ち並ぶけやきの木のいくつかの葉がほんのりと色づき始めたのを眺めながら、こうして東京にも秋の気配が徐々に深まりつつあることに気づかされます。街中ではすでにハロウィンの気配が濃厚な一方、日本各地では稲刈りも終わり、秋の実りも収穫の時期を迎え、本格的な紅葉の便りが各地から聞かれ始めるそんなこの頃はまた、今年も残すところいくらも残されていないことにふと少し寂しく気づかされる季節でもあります。



先日、俳優の國村隼さんが、ある国際映画祭の審査員を務めた折に次のような発言をしたと、インターネット上のニュースが伝えていました。


「人々には今起きている葛藤や苦痛の中で生きるよりも、明るい未来の希望や温かい過去の記憶が必要だ。だから、なぜ今このように厳しい状況になっているのかが知りたいから、多くの映画が作られているのではないか」

 

 このシンプルなコメントは、映画に限らずすべての芸術や創作表現活動の根底に共通する本質的な問い、なぜ人間にとって芸術や文化が必要不可欠な営みなのか、に対するひとつの答え(あくまで一面についてですが)として、とてもしっくりくるように私には思えました。なぜなら、私たちにはそれらが必要であり、社会においても人間が生きるにおいても不可欠のものであると感じてはいながら、それはいったいどうしてなのかということについては、あまりよくわからずにきたからです。

考えてみれば、私たち人間が、身のまわりに起きている物事や存在する対象について、現実的、即物的な意味以上の何かを感じとる必要がないとしたら、そうした芸術や文化は必要ないでしょう。そんな面倒なことは考えずに、目に映る世界をただありのままのものとして捉え、実際起きたり見えている事物や関係、客観的な数字やデータだけに目を向け生きていくだけでいいではないか、その方が世の中はずっとうまく流れるかもしれず、少なくとも物質的には恵まれた世界を作ることができるであろう、という考えもある意味悪くはありません。

けれども、なぜか私たちは、文学を単に「インク」+「文字」+「紙」とは考えないし、絵画とはキャンバスに塗りたくられた絵具の複雑なパターンとは考えられない。さまざまな楽器の発する音の重なりに、わざわざ「音楽」という感動と精神的高揚までも植え付けようとする。私たちは、そこに客観や事実以上の捉えがたい何かしら深い意味やメッセージを込めたり読み取る作業過程を通じて、私たちの人間性や社会、文化がより豊かで洗練されたものに鍛えあげられていくと信じているのです。つまり、芸術や文化のような創作表現活動の価値が、現実や事実とは次元の異なる、いってみればさまざまなフィクションや錯覚、バイアスによって支えられているにもかかわらず、私たちはそれを渇望すらする不思議な生き物ものなのです。

もしかするとそれは、私たち人間が、自分の身の回りの現実である外側の世界だけでなく、内的な世界の存在をどこか信じて疑わず、それに生きることもまた必須であることを本能的に「わかっている」からなのかもしれません。心的な世界は限りなく広く、私たち一人ひとりが独自の宇宙を持っている。それは他者からは伺い知れないことはもちろん、自分ですら自分の本当の世界について全てを知っているわけではない。そうした内の世界と外の世界、自分と周囲との間の架け橋あるいは媒介として、知的で情緒的な相互作用を創生する役割を芸術や文化が担っているとするなら、実は私たち一人ひとりは、同じ人類という種でありながら、実はそれぞれがまったくの別種ほどの個体差を有している存在ではないのかと感じるのです。



ところで、冒頭で引用した國村隼さんのコメントは、そのままカウンセリングに訪れる人の心境といえるかもしれません。人は今起きている葛藤や苦痛の中で生きるよりも、未来に明るい希望を抱き、過去の温かな記憶を生きる糧としたいと願っている。だれもがストレスのない人生に憧れる。だから、今の厳しい状況をなんとかしたい思いカウンセリングにやってくる、のですから。映画や芸術より一歩踏み込んで、それぞれ具体的に救われる方法を求め問題を解消したい、といったほうが正しいかもしれませんが、だからと言って、カウンセリングもまた芸術であるとは到底言うことはできません。けれども、両者に共通あるいは類似することはいくつかあるようにも感じます。

カウンセリングでは、客観的事象だけでなく、相談者の心の働きや内面世界に意識を向け、そこで起きていることを探りながら、現実社会との調和を図るための様々な働きかけを相談者に対して行っていきます。物事の客観的な理解や科学的なデータや数値では把握し得ない心の世界や、葛藤や苦悩の奥深くを相談者ごとに個別具体的な形で表現(対話・コミュニケーション)していくという点では、両者の類似性はわかりやすいと言えるかもしれません。

もう一つは、これも先に述べましたが、芸術同様カウンセリングもまた、見たままの事実や対象とは異なるフィクション、錯覚に目を向けているということです。カウンセリングでは、それは相談者の主観的判断や決定、評価であり、バランスを欠いた思い込みであったり、物事のとらえ方や言動の偏り、極端な執着などと言い換えられるかもしれません。しかし、本人にとってはそれはとてもリアルな実感です。安易にそれは間違っている、思い過ごしだ、客観的事実とは異なるなどと決めつけてしまうのは正しい接し方とは言えない、というところに周囲が気づいていくこともまた大切です。不安や悩みを抱えている人にとっては、自分の思いや感情の状態はとても自然で自明であり、それは疑問を差し挟む余地のない実体・真実として映っているので、そうなってしまうには実は無理からぬ理由があり思いもよらない心理的因果関係が絡んでいる可能性に、ひとり気づくことはとても難しいことなのです。「私は私について一番よく知っている」「これが私の人間性なのだ」という実感が、一種の錯覚かもしれないというわけです。そこに分け入って、複雑に絡み合った問題の糸を丁寧にほぐしていくお手伝いをするのがカウンセリングです。

 もちろんネガティブに働く錯覚やバイアスばかりではありません。根拠に薄かったとしても、健全な楽観性や自信やポジティブな思考、それらに基づいて起こす行動は、時として個人や社会にとっていい結果をもたらす活力ともなり得るからです。そこもまた芸術との共通点といえるかもしれません。



 私たち一人ひとりの人生そのものが芸術(作品)である、とはよく言われることです。それがたとえどのようなものであったとしても、人生という唯一無二の物語を完成させる過程をたどることそのものが人生の意味であり目的であり、そのために私たちは生きているのだ、という確信は、人生において直面するさまざまな困難や悩みにたとえどれほどの時間やエネルギーを費やし、精神的辛苦を味わおうとも、そのことが決して無駄でも失敗でも挫折でもないことを教えてくれます。カウンセリングを通じてそれが決して安易な気休めの言葉ではないことを体験するとき、ほんのつかの間、私は素直に幸せを感じます。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

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by yellow-red-blue | 2018-10-10 20:19 | Trackback | Comments(0)

「家族」という事情 ~ 秋分の頃’18


数か月ほど前のある日、毎日のように届けられる封書手紙や荷物にまじって、小ぶりな郵便物ひとつが届いていました。差出人もあらためずつい無造作に封を切ると、中には大きめの手帳サイズぐらいの薄い本1冊が入っていました。同封の手紙や説明案内書きもなし。本のタイトルは、「歌集 欅(けやき)の広場」とありました。そんな本を注文した覚えのない私は、そこではじめて差出人をあらためると、それは私の伯父(父の兄)からでした。さらによく見れば、歌集の著者もまた伯父その人でした。ごく普通に会社に勤め家族を養ってきた伯父が、文化芸術に深い造詣と愛着を抱く人であり、仲の良かった弟である私の父もそれに深く影響を受けていたことを何となく知っていた私は、さもありなんと思いつつしばしその歌集に見入っていました。ごく身内向けのいわば私家版として出版し配った旨があとがきとして添えられていたその歌集は、自らも年を重ね、老いと病に向き合いながら過ごすここ何年かの日々の日常を、季節と家族、音楽や文学を織り交ぜ綴ったものでした。

その多くの歌の中に、3年ほど前に肺病でこの世を去った弟である私の父を歌ったものがあることに気づきました。「永遠の別れ」と題された数首の短歌俳句ののうちの一首にはこう歌われていました。


「疲れ果てたよ」独りで耐え来たこの言葉鮮烈なるか弟の声


亡くなるまで56年に及ぶ一人暮らしの病気療養生活を送り、老いてしまった自分を自虐まじりに多少卑下するところはあったものの、私たち子には、弱音や気弱なところを決して見せなかった父が、自分の兄にだけはその絶望にも似た悲痛な心の叫びを吐露していたことに、深いショックを受けたのでした。

幼くして早々に両親を失くし、貧しい中助け合い支え合って生きてきた父の兄弟4人のあいだには、私たち子に伺い知れない深い絆があったであろうことは理解できます。それでもやはり、私の中にはなんとも行き場のない戸惑いと後悔、苛立ちのようなものが沸き上がるのを抑えられなかったのでした。多少離れているとはいえ、病気になってからもできるだけ父のもとへ顔を見せ、会話をし、気づかいと支えになってきたつもりであったのに、せめてひと言私たちにそれを告げてくれなかったのか?

歳を重ねても親は親で、親であるからこそ打ち明けられなかった。実生活でも面倒かけていた分、それ以上の弱音を聞いて欲しいとは求めづらかったかもしれません。でも本当のところは、上述の「~つもりであった」の通り、私たちの思いとはこちら側の勝手な解釈でしかなく、私たちに打ち明けたとして何が変わるわけではないことのあきらめが父にはあったのではなかったか、と思うのです。結局私は父に対し、その兄弟ほどには信頼も安心も与えることができなかったことを悟ったのでした。



今も昔も、家族にまつわる問題や相談をカウンセラーが扱うことは多いかもしれません。相談者自身の悩みの主訴はまったく別のところにあるようでいて、結局掘り下げれば自分の家族(原家族や現家族)に行きつくということは珍しくありません。また、たとえ悩みが家族以外の全く別のところにあったとしても、真の意味で家族の支えがあったなら、それら抱える問題の負担はずっと軽いものとして受け止められたり、何とか対処する見通しも立てられるものです。私たちの社会が「人間関係」で成り立っている以上、その最も基本的で重要な関係が家族であることは疑いもなく、だからこそ家族は私たち一人ひとりの人格形成にどこまでも深い影響を与え続けるのです。

家族はまさに「有り」難い、つまり他にはない稀有な存在といえます。有難いその理由の一つは、生きる上に何よりも誰よりも一番頼りになる(はずの)存在だからです。家族とは、たとえどんなことが起きようとも、どんな結果がもたらされようとも、決して見捨てることなく一人にはしない、自分の側にいてくれる、どのような言葉や気持でも無条件に受け止めるよというメッセージを送り続ける、他の人間関係では決して経験されることのない「根源的」な安心と相互信頼そのものです。私たちは別個の人格でありながら家族はひとつであり、不可分一体の存在として意識しているものなのです。



けれども、家族はそれほどまでに近しい存在であるがゆえに、同時にまた厄介な存在でもあることが、「有り難い」存在であるもう一つの理由でしょうか。お互いが自分との区別、それぞれの領域に境界線を引きにくい存在であるがゆえに、ありとあらゆることにおいて、「他人事」ではいられない、という意味でまた稀有な関係です。

だからこそ、実は一番相談しづらく打ち明けづらく、自分を明らかにすることができない存在と感じる人もまた多いのです。迷惑をかけたくない、きっと悩む、言ったら家族がもっと困るだろう。そんなことに向き合う勇気はとても持てない。もっと多いのが、話してもむなしく(返ってくる言葉や反応があらかじめ予測がつくから)、結局ひとり自分で解決するしか方法はないと信じているから、という思いが心のどこかに潜んでいるのかもしれません。

一方、他人事でないがために、自身の心配や不安の解消、期待や願望の実現に執着してしまい、悩んでいる本人に向かってあれこれ求め、管理しようとしていることに気づくことがなかなかできない周囲にいる私たちは、つい妥協なき辛口コメンテーターや評論家と化してしまいます。悩んでいる本人の欠点や弱みを平気であげつらい傷つけるかと思えば、ただ無責任に励ましたり勇気づけたり、優しさたっぷりの愛情表現をしたり、ときに誇ったりもする。本人以上に深刻に悩みそれは自分の責任に違いないと苦悩を深めたりもする。そして、何もできないことが分かると途方に暮れてしまう。ちょうど私が経験した「~してきたつもりなのに...」のように。


そうした言葉や行動は、悩んでいる当の本人にしてみれば結局のところ、つまりあなたの悩みは分からなくもないが、それはやっぱりあなたのほうが間違っている、あなた自身の問題なのだ、そして私たちは家族に「過ぎない」、と突き放されているようなものかもしれません。だからつい自分にこもってしまう。世間体や周りの状況、社会的正論、家族の都合という条件付きの愛情で説得され、返り討ちに合うことがあまりにも自明だから、何も言えないのかもしれません。傷つき、敗北感を味わうことが分かっている相手に勇気を振り絞って心を開くことに、わざわざ無駄なエネルギーは使いたくないのです。

つまり、周囲の人々が何とかしなければのあまり、無条件にただ「聴いて」あげていないのです。悩む本人に、無条件に受け入れられ安心できる存在として家族が映っていないのです。あまりに長い間、私たちはただ「家族でいた」ために、安心と信頼の関係が、親子だからという理由だけでオートマチックにいつでも発動されるわけではなく、そうしたメッセージをお互いが受け取るためのそれなりの配慮や努力が欠かせないことに気づくことができないのかもしれません。ただ「家族でいる」それだけでは十分ではないのでしょう。


どうしたらいいのでしょう?

家族にできることの選択肢は多くはないかもしれません。ただ家族にしかできないことがあります。それが少し上で書いた、根源的な安心と信頼そのものである「有り難い」存在のままでいることです。

私たちは、コメントも質問も解決策も口にせず、ただ、「打ち明けてくれてありがとう」「ごめんね」「ゆっくりでいいんだ」「勇気がいったね」と穏やかに寄り添うことができるでしょうか。辛抱強くただ聴き続けること、本当の気持ちが表れるまで、本人が納得のいくまで聴き続けることができるでしょうか。何度かせいぜい数十分のところ話し合いを求め、その後は疑問への回答を求める質問の雨嵐。ひとたび言葉に詰まれば、思いやり半分にありがちな正論という名の条件付き愛情の表現をちりばめてはいないでしょうか?それらは、単なる予期された回答への説得でしかないかもしれません。


 無条件に受けとめられ安心できる存在として、悩んでいる本人に家族が映り始めるには、時間がかかるかもしれません。そんなときの一番の近道は、自分達もまたしくじり間違いを犯す存在であり、だから失敗しても実はまったく構わないのだと、心の底からまず認めることかもしれません。本人よりもまずは自分達の心に問いかけることが大切なのだと思います。まずもって自分達が開かれているからこそ相手も開かれる。悩む本人がかたくなであるなら、それは自分達もまた開かれてこなかったことを意味します。親子は、夫婦は、家族とは似た者同士なのです。

家族のことは自分が一番よくわかっているという幻想を捨て話しを聴くこと。たとえ周囲からはどのように映ろうとも、本人にとってはリアルな実感であることを認め、気持ちや苦しさに寄り添い想像する努力をしてみること。そして家族だからこその心からのありがとうや謝罪、支えの言葉を口にできる素直さは誰しにも必要なのではないでしょうか。たとえ今は、自分達には何の問題もなくよい家族だと思えるとしても。誰しもにいつかは訪れるであろう、家族の危機のときを乗り越えていくために。



伯父から「欅の広場」を送られてからというもの、カウンセリングを終え相談者の背中を見送るたび、果たして私にあの人達の相談に乗る資格があるのだろうか、との疑念が頭をよぎります。家族という存在のあり難さとむずかしさとの複雑なアンビバレンツのはざまで揺れ動き、思い悩む人々と日々向き合い、そうしたことを日頃痛いほど分かっているはずなのに、何のことはない、自分とその家族のことには全くの無知蒙昧であったのかと思うと、気持ちが萎えてくるのです。

けれども同時にまた、自分がカウンセラーを職業として選択したことを、父に深く感謝する気持ちがなぜかふと沸き上がってもきます。私もまた複雑でアンビバレントなただの人間でしかないのだと気づかされます。

人はどうしてかくもややこしい存在なのか?きっとそれが分かったとき、私が相談者の背中を見送ることをやめるときなのでしょう。

それがまだはるか遠い先の事のように思えてしまうのが少し悲しいです。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

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信号待ちの母子 ~ 冬至の頃‘17

メランコリィな9月 ~ 白露の頃’17

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by yellow-red-blue | 2018-09-23 11:10 | Trackback | Comments(0)

「最近何となく...」になってしまったら ~ 白露の頃’18


 ようやく暑い夏が過ぎ去ったかと思ったら、一気に朝晩を中心に冷え込む地域も多いようです。長袖上着が欠かせない季節が一気にやってきてしまった印象ですが、それにしても最近の気候の極端な様子には戸惑ってしまいます。

 9月に入って私の周囲の会話でよく聞かれるのが、「何となく~」というフレーズです。何となく最近「だるい」「疲れている」「気持ちがふさぐ」「落ち着かない」等々。ハッキリとした原因やさしたるきっかけに覚えがないというところが、この「何となく病」のやっかいなところでしょうか。これがしばらくほっておいて、1~2週間経ち気が付けば解消されていた、ということであれば問題はないのですが、それ以上か場合によっては数ヶ月たってもまだもやもやするとなれば、だれでも心配になってしまいます。でも、この感じは意外と多くの人が経験しているようです。

 それぞれの個人的な事情もあるでしょう。目まぐるしく変わる季節と天候に体のバランスを崩すということもありがちです。また、かつて経験したことのないような異常気象や深刻な自然災害の頻発、人々の不安を喚起させるような痛ましく凶悪な犯罪や事件のニュースなど、人々の不安を喚起させる情報が洪水のごとく、私たちの日常の中にいやおうなく侵入してくれば、それらは確かに私たちの心身に微妙な影響を及ぼし、「気疲れ」も起こすかもしれません。

 でも、そんなときどうしたらいいのでしょう?原因やきっかけをあれこれ追究しても確たる回答は得られないとなると、いったいどうしたらいいのでしょう?そんなときにもしかすると役立つかもしれない簡単な方法をご紹介します。簡単とは書きましたが、方法はシンプルなのですが、人によってはちょっと苦手と感じるかもしれません。ちょっとした言葉の遊び程度に思って試してみてください。もしかすると意外な発見があるかもしれません。


 

 心や身体の不調とは、簡単に言ってしまえば、私たちが普段意識することなく自然にしてしまっている「無理」です。無理なのですが、本人にその自覚があまりないため「なんとなく~」になってしまいます。こういう場合にありがちなのは、経験や見聞などを参考にしてあれこれ試してみる、つまり物事を新たに取り入れてみるというものですが、それはあまり効果がないかもしれません。どこかに「無理」があるのですから、何事かをさらにプラスして無理をすることよりもむしろ、何事かを控え諦め、緩めることがむしろ役にたつかもしれません。私たちが自分に課してしまっているなんらかのルールの縛りを変更することが求められるのです。

 できればそのあたりを自分自身に慎重に問い直してみたいところです。ところが、私たち人間はそうしたフレッシュな問い直しが実はあまり得意ではありません。私たちの頭は実によく回転はしてくれるのですが、頭の中でさまざま思い巡らせているばかりでは、思考という機能が勝手に先走り、あることないことさまざまなストーリーであふれかえってしまうことになります。

 そこで、頭からいったん取り出して、思考というジェットコースターからいったん降りてみます。私たちが今までの人生で学んできたり経験したりしたこと、こうあるべきだと思っている「自分」に尋ねずに、あくまで自然体、何の縛りも制限も常識もなく、無防備のまま心がおもむくままにまかせてみます。



 

私たち一人ひとりが、いったいどんなルールにしばられているのかを探り出す簡単な方法、それは意外なことかもしれませんが、「紙に書いてみる」です。

前述の「思考」でも触れましたが、頭の中にだけため込んであれこれと思いを巡らせるのは精神衛生上あまりよくありません。モヤモヤを吐き出すように我慢せずに言葉にしてオープンにするのはなかなか気持のよい体験であるように、文章にして具体的な表現で外に書き出してみると、私たちの中に意外な変化が起きます。

文字に集中すると勝手な思考が抑えられ、より奥深くに迫れることがあります。じっくりと時間をかけ、沸き上がってくる言葉を待つようにします。実際には考えること(思考)を止めることなんて不可能ですが、気にする必要はありません。ただ、自分に素直に、なにも弁解も防衛もしようとせず、ただありのままに沸き上がってくるどんなものでも待って書き留めるようにします。

たとえば、「最近なんとなく気持ちが沈んでしまう」と考えていたら、紙でもノートにでもこう書いてみます。


わたしは、最近なんとなく気持ちが沈んでいる。

なぜなら、わたしは、「         」だから。

 

そして、しばらくじっと眺めながら、空欄に入る言葉を思い浮かべてみます。コツは、書いてすぐ頭に浮かんだことを記入するというより、じっくり言葉がやってくるのを待ってみることです。文章を自分で考え出そうとするのではなく、文章の方から勝手にやってくるような感覚を大切にします。あくまでイメージですが、頭のあたりに浮かんでくる、頭上から考えがやってくるというよりも、下からじわじわ上がってくる、体の中から広がってくる感覚の方を拾ってみます。難しく考える必要はありません。イメージするのが得意でない人は気にせず、すぐに浮かんだ言葉でもいいから書いてみてください。

 二行目はいろいろな表現が考えられます。それは、「~したい(したくない)から」や「~する必要があるから」かもしれないし、誰か他の人についての気持ちかもしれません。主語が「私」ではないかもしれません。なんだかしっくりくる、気になる表現が見つかればとりあえず書いておいて、後で見直します。正しいか間違いかを問う必要はありません。

 

 

 たった一つの文章が浮かぶこともあるし、いくつも浮かぶことともあるでしょう。気にしないで、でも、とにかく「書く」こと、そして書いたことを眺めることがとても大切です。そしてそれが今の自分にしっくりくるかどうかを見守ってみてください。どんなに理不尽で現実的でない内容でも構わないのです。根拠を探さそうとせず、自分の中の常識や学習経験で「検閲」しようとしないでください。

 紙を眺める状況や作業する日で違った言葉が浮かんでくるかもしれません。それでも構わずになんとなく一番しっくりくるような表現を最終的に選んでみますが、無理に一つに絞ろうとしないで構いません。後で別の言葉がよりふさわしいと思ったら変えて構いません。何か唐突な、思ってもみなかった言葉が妙にハマっていくかもしれません。

 


私は、最近何となくやる気が起こらない。

なぜなら、私は、「時計を見たくない」から

なぜなら、私は、「家族が嫌い」だから

なぜなら、私は、「海が見たい」から

なぜなら、私は、「寂しい」から


すぐには納得できないかもしれないが、そこに何か気になるものがあったとしたら、さきほどと同じように、言葉の意味について考えようとするのではなく、言葉から語り掛けてくるような感覚を大切にします。それはどのようなメッセージなのかを好奇心を持って待ちます。

うまくいかないと感じたら、その二行目を一行目に持ってきてもう一度問い直してみてもいいかもしれません(しなくてもいいのです)。


 私は、最近時計を見たくない(と考えている)。

 なぜなら、私は(       )だから。

 

 あるいは、次の文章をさらに加えてみてもいいかもしれません。

 だから、私は(       )したい(したくない)。

 

 

 完全な文章が浮かばない場合のほうが多いかもしれません。述語(動詞)は浮かぶのだけれど、「何が」がよくわからない場合です。


 私は、最近何となくやる気が起こらない。

 なぜなら、(私は)嫌だから。

 なぜなら、怖いから。

 なぜなら、知りたいから。

 なぜなら、足りないから。


 無理やり結論をひねり出そうとしないことです。自分をやさしくいたわるようにたずねていきます。以下のように続けてみてもいいかもしれません(しなくてもいいのです)。

 

 私は、嫌だ(と感じている)。

 私が嫌なのは、(      )だ。

 だから、私は(      )したい(したくない)。

  

 

上で挙げたような作業はあくまで例です。これが決まった方法だなどというものはありません。自分なりにアレンジして取り組んでOKです。ただ、文章構造はシンプルな方がよりいいでしょう。そうやって、じっくりと自分と対話していきます。すべて書き出してみます。うまくいかないこともあるでしょう。何だかへんてこな文章になるかもしれません。でも、書き出してみる、待ってみることにチャレンジしてみます。日を変えて、あるいは同じ問いをあらためて繰り返してもいいです。結論が出なかった、何だか混乱してきた、と感じたらそのまましばらく放置しておいて構いません。何か実行可能なものと思えたら少しだけでも行動に移してみます。でも、できてもできなくても、どのような選択をしようとOKです。

 

このような話になると、根拠のない心理理論やスピリチュアルな体験などと混同されるかもしれません。そうではなく、こうあるべき、これが普通一般常識、世の中ははこうなのだから、と頭でっかちになっている普段の私たちのこころと生き方について、たとえ根拠があろうとなかろうと、もう少し自分の中にあること、内からわいてくる「感覚」や「気持ち」にもっと信頼を置いてみるのも悪くないということです。大切なメッセージはいつも外から、他人からやってくるとは限らないからです。結論を出すことが大事なのではありません。大切なのはただ「なんとなく」を問い直すしてみること、そして「自分の」人生を生きようとすることです。「誰かの」でも「社会みんなの」でも、そして「世の常識」という人生でもなく。

私たちの日常行っている「思考」だったり「選択」は良くも悪くもない、一つの可能性に過ぎないと時として考えることができれば、私たちのこころの自由はいっそう広がります。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

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夏期短期終結カウンセリングの実施について

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by yellow-red-blue | 2018-09-10 21:30 | Trackback | Comments(0)

かべ工場(こうば)~ 立秋&処暑の頃’18


 40℃に達しようかという連日の灼熱の陽気に、立秋という表現がなんだか虚しくうつろに感じられてしまいます。夏の暑さは気にはなるけれど、つい窓を開け放ったり外へ出かけたりして、時を急ぐかのように幾重にも鳴り響く蝉の音に耳を傾けるのが毎夏のささやかな楽しみでしたが、さすがに今年ばかりはそのような気持ちにもなれずに、エアコンの人工的な涼しさと送風音の中に引きこもりがちな日々が続いています。

ところで蝉の鳴き声もそうですが、夏は花火や風鈴の音、かき氷を削る音や盆踊りの歌声、テレビから漏れ聞こえる夏の甲子園の応援と歓声など、私たちそれぞれの記憶深くに刻み込まれ、さまざまな感情体験を思い起こさせる特別な「音」の行き交う季節といえるかもしれません。

私にも、夏といえばなぜか思い出す遠い昔の「音」の記憶があります。


 

 横浜の戸塚は、かつては東海道の宿場町で、今でも町の中心部を旧東海道がJR東海道線と交差するように走っています。駅前再開発の波が押し寄せている昨今ですが、周辺にはまだ昔日の面影をしのばせるたたずまいもちらほらと散見されます。駅前をちょっと離れた周辺は低い山や丘陵が多く、そこを切り開き斜面や高台に沿って住宅やアパートが幾重にも立ち並び、バイパス高速道路がその間を縫うように走る緑と坂の多い町です。

 昭和40年代がもう終わるという頃、まだ幼かった私が暮らしていた父の会社社宅も、そんなゆるやかな坂道に沿って団地や住宅がずらり建ち並ぶ地域にありました。駅からだいぶ離れていたためかとても閑静な住宅地で、それでいてすぐ近くには清水湧き出る小山や水田もあり、子供にとってはたくさんの遊び場のある恵まれた環境でした。

 小学校へ入学した当初は駅近くの小学校に通っていましたが、半年してほどなく、社宅近くの山を切り開き歩いてもほんの数分という距離に新しい小学校が完成し、以来そこへ通うこととなりました。社宅のすぐ前の道路はアスファルト舗装の結構な幅の道でしたが、当時はまだ車を持っている家はとても限られていたせいもあって、車の通行はまばらで静かで安全な界隈でした。その道路は緩やかな坂道でそのまま新しい小学校の方角へ伸びており、道路向かって左側は私の住んでいたような会社社宅や独身寮などがずらり並ぶ一方、反対の道路右側にはコンクリートや大谷石を積み上げた長い壁がそそり立ち、その上には快適な一軒家が立ち並び、そのまま丘陵に沿うように上へ上へと段々に住宅が並ぶ地区でした。学校とは反対方向に坂を下ればほどなくバス通りである旧鎌倉街道へと突きあたり、交差点あたりにはお肉屋さんや食品雑貨など小さなお店がいくつか固まる昔よくあったストアが1件あるだけ。それ以外周辺にさしたる施設もなく戸塚の中心街はそのずっと先で、私の住んでいた社宅周辺はいたって静かな郊外住宅地でした。

 そんな住宅地にどうしたわけか、その小さな工場(こうば)はただ1軒ぽつんとありました。1軒ぽつんとという言い方はちょっと違っていて、その工場は、社宅前の道路をはさんですぐ反対側の、上には住宅が立ち並ぶ、コンクリートで塗り固められた灰色のごつごつとした高い石壁の中に埋め込まれるようにしてあったのでした。すりガラスの入った一間分の木製の引き戸と工場の名前が書かれた小さな木製看板があるだけ。一見すると物置小屋の扉のようだし、知らない人だったらそのまま通りすぎてしまいそうなほど、壁に溶け込んでいるほんの小さなまち工場。そんな工場が小さかった私のお気に入りの場所でした。まだ小学校低学年だった私は、夏休みともなればそれこそ一日の大半を社宅内の庭や公園、近くの山野などいくつかお決まりの遊び場で友達と一緒に過ごしていたものでしたが、かべ工場はそんな遊び場のひとつでした。暑い昼下がり時の蝉の鳴き声以外はひっそりとした中、その工場の引き戸の奥からはいつも規則正しいガチャンガチャンという独特の機械音が心地よく響いていました。

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 古い引き戸を少しだけガラッと開け首だけをのぞかせる。いきなり増幅された機械音が耳に飛び込んでくる。と同時に、機械油と錆びた金属を削ったような独特の匂いが私たちの鼻をつく。いつも一番手前に座り汚れた作業着を着た、無精ひげを生やした色黒のおじさんが一瞬手を休めてこちらを向き、白い歯をのぞかせニヤッと笑いながらうなずく。私たちもニヤッとうなずく。お互いなぜだか無言。音がうるさいため声など聞こえないとお互いわかっているからだったかもしれません。そして素早くみな中へ入り戸を閉める。

中はかなり薄暗く作業場全体が銅褐色一色に包まれ、天井も低くエアコンもなくとても蒸し暑い環境でした。大抵2~3人の大人が作業をしていて工場はほぼそれで満杯という狭さ。丈夫そうな古い木製の机の上に機械や部品やらが雑然と置かれ、おじさんたちは手元だけ眩しくライトを照らしながら機械を操作し、プラスチックを加工した成形部品のようなものを次々と作っていく、そんな本当に小さな下請けのそのまた下請けのような工場。

私たち子どもは体を摺り寄せるようにして立ち、おじさんたちの仕事ぶりを後ろからしばらく見学します。見飽きるとまたニヤッと顔をお互い見合わせ、私たちはさよならして無言で出ていく。ほんのひと時何か別世界に紛れ込んだかのような秘密の社会科見学。


「ほら、これ」たまにおじさんが帰りがけに作っているプラスチックの部品をくれたりする。琥珀色のちょっと分厚いプラスチック部品。何なのかわからないけれどなんとなく内緒のおみやげみたいで嬉しかったのです。

 外へ漏れる機械音はごく控えめでしたが、朝早くから一日中、学校の登下校時もそばを通るといつもその機械の音がしていました。おじさんたちが工場へ入ったり帰るところを見たことは一度ありません。いつ来ていつ帰るのかしら?お昼はどうするんだろ?あそこトイレはあったっけ?ひょっとしてあそこに住んでいるのかな?でも奥にドア何かなさそうだし。いろいろと疑問を持ちつつも一度も尋ねたことはなく、知らないほうがなんだか謎めいて自分達だけの秘密の場所という感じがしたのでした。お互い何もしゃべらない。おじさんたちは黙々と機械を操作して部品を作っていく。私たちはただそれをじっと眺めている。その繰り返し。時間はほんの10分くらい。でもそれだけでなぜかとても楽しいひと時。引き戸をぴしゃんと閉め、再び陽光を浴びながら深呼吸、楽しい映画を観終わって映画館から出てきたような満足感をいっとき覚えつつ、次の遊び場へと駆け出していったものでした。


 当時は、工場のおじさんたちに限らず、私たち子どもたちの周りには日常身近なところにいつも働くおじさんやおばさんがいました。野菜売りのトラックに豆腐屋さん、チリ紙交換屋さんに郵便屋さん、そして酒屋さんに交番のおまわりさん。彼らが毎日のようにやってきては仕事をこなす間、短時間ながら私たちの話し相手になることで、大人の世界をほんのちょっぴり垣間見せてくれたものです。それは私たち子どもにとっては学校では学ぶことのできないとても貴重でワクワクするような経験だったのです。



私はしばしば一人でも時には下校途中ランドセルを背負ったままで工場へ遊びに行きました。工場へ遊びに行っていることは親には内緒にしていました。最初工場のことを話した時、危ないからと叱られたからでしたが、もっと嫌だったのは、工場の話が出るたび工場のすぐ真上の立派な家に住む家族の話を何度となく聞かされていたからでした。一流高校に合格した長兄をはじめ、勤勉で秀才ぞろいの子どもたちの話を羨ましそうに話す母を見ると、何故だか落ち着かない気分になったものでした。

タイミングの悪いことに、私は夏休みに入る直前の春学期、成績が下がり散々叱られお小遣いまで下げられる始末で、今度成績下がったら塾へ行かせるなどと凄まれ、どうしてそんなに勉強しなければならないのだろう、怖い顔して母に言われるたびになんだか暗い気持ちになったものでした。思えば、右肩上がりの経済成長が続く一億総中流社会と言われた昭和のこの頃は、一方で学歴・偏差値偏重社会を象徴する受験戦争や受験地獄、教育ママ、モーレツ社員などの言葉があたりまえのことのように受け入れられていた時代でした。

さらにそのころ私を憂鬱にさせていたのは、来春には社宅を引っ越すと両親から高らかに宣言されていたことでした。両親が念願の一戸建てを買ったため他県へ引っ越すことになっていたからです。いつかは社宅や借り住まいを出て一戸建て、というのが当時の家族(親)の夢であり目標でした。住み慣れ親しんだ町と友達と離れるのが絶対に嫌だった私でしたが、喜ぶ両親の表情を見て何も言えず、つい自分も楽しみに振る舞いながらも密かに悩んでいたものでした。


 

 そんな夏休みも終わったある日の朝、いつものように登校し工場の近くまで来た時のこと。工場の前に何人かの大人が立って大声でしゃべっている姿が見えました。良く見ると工場のおじさんと1人の女性が激しく口論しており、その横にもう一人中学生くらいの男の子がなにか所在なげに立っていました。見ればその女性にそっくりで、ぶ厚い黒ぶち眼鏡をかけ神経質そうな感じの子でした。

私は、そこで初めて工場のおじさんの姿を屋外で見ることになりました。思ったより背が高く、色黒でがっしりとした体格。陽の光に照らされた作業着は工場の中で見るよりもずっと汚れてくたびれて見えました。私は緊張しながら道路の反対側を通り過ぎて行きました。


「冗談じゃないわ。毎日毎日朝から夜遅くまで騒音巻き散らして。受験を控えて今が一番大事な時なのにもういい加減にしてよ、ウチの息子は半分ノイローゼなのよ」

「奥さんどうか落ち着いてください」

 落ち着かせようと冷静な口調でした。そういえばおじさんの生声をはっきりと聞いたのもはじめてでした。おじさんがなだめようとして手を伸ばそうとしました。

「すぐに機械を止めて!もう我慢の限界よ。いい加減ここから出て行って。受験に失敗したらどう責任とるつもり?早く止めなさい!」

「よくわかります、でもすぐには無理です。とにかく話し合いましょう」

「なにのんきなこと言ってるの。この子の将来がかかっているのよ!」


 朝の静かな住宅地にヒステリックな金切り声が響き渡りました。登校途中の私たち小学生は立ち止まりはしないものの、何が起きたかと喧嘩の方へと視線が釘付けでした。私にはショックでした。あれは前に母が話していた工場のすぐ上に住む家の母親と子どもに違いないと。

僕らのおじさんが困っている!責められている!どうしてそんな...言い争いをしているおじさんと母親、そしてその横の少年の姿を見たとき私の頭を直感のようなものがよぎりました。あのおばさんはまるでうちの母さんみたいだ。そしてその横の少年、きっとあれは僕なのだと。いつか将来、引っ越したら、大きくなったらああなるんだ。変わってしまうのだと。どうやっても僕はおじさんの側にいられないのだ。何か自分の秘密が明らかにされてしまうような恥ずかしさを覚え、おじさんと目を合わすことができずうつむいたままそこを通り過ぎました。やっぱり引っ越しなんかイヤだ。このままいたい、また昼下がりのあの工場へ行きたい…そう心の中で叫んでいました。

 ひょっとしたら、あの工場は上の家と何らかの関係があったのかもしれません。工場が場所を借りていたとかご主人の会社関係の工場だったとか。記憶は定かではありませんが、その後工場の前を通っても機械音のしない時がありました。朝もあまりしなくなったように思います。壁に埋め込まれそのまま上から押しつぶされそうなそんな引き戸を見るたび、おじさんたちはどうしているのか、中へ入りたい衝動にかられました。でもどうしてもできませんでした。そしてその後二度とその戸をあけて中を覗くことなく、やがて私は戸塚を離れました。いつまでも何か自分がおじさんを責め立てたそんな気がしていました。

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あれから何十年も経ちますが、そんな今でも私はごくたまにふっと懐かしさがこみあげ、戸塚へとぶらりひとり足を運ぶことがあります。戸塚駅前は大規模な再開発がおこなわれ、かつてアメ横を思わせる雑然とした賑わいを見せていた駅前の商店街は、そのほとんが姿を消していきました。駅からあんなに遠いと思っていた社宅周辺も歩いて15分くらい。あたりの閑静な雰囲気は昔とさほど変化はないものの、全てが小さく感じられそしてやはり古くなっていました。ずらっとならんでいたかつての社宅や独身寮は姿を消し、いくつかのマンションと立体駐車場へと変わっていました。社宅前の道路は記憶の中よりもずっと狭く、今ではそこを車がひっきりなしに通ります。

今ではもう新しいマンションが建ってしまいましたが、何年か前までは私の住んでいた社宅はそのまままだありました。すでに取り壊しが決まっていたのか、入口に立ち入り禁止の黄色い看板が立てかけられていました。その奥にひっそりと立つ4階建てのコンクリート社宅はこんなにも小さかったのかと思うほど弱々しい姿でした。


驚いたことに、道路反対側の斜面に立ち並ぶ家々は、私が小さな頃とその印象と大きさにほとんど変わりはありません。今でも快適そうでした。建て替えた家もあまりなく、私がいたころのままの懐かしい住宅がそのまま残っています。何人かのクラスメートの家々もそのままです。決して豪華な邸宅ではありません。そこそこの土地に端正な住宅と庭がバランスよく配置され、入口の門の通路の先にドアが見えるそんな幸せそうな普通の家々。でももはや都市部ではほとんど見ることができなくなってしまった普通の家たち。私たちは一体あれから本当に幸せになったのかしら?ふと考え込んでしまいます。

そして高台の住宅の下、かベ工場の跡は今も残っています。入口の引き戸だった場所には、物置小屋か車のガレージのような使われ方をしているかのような小さなシャッターが下ろされているだけ。そこではかつて、朝から晩までガチャンガチャンと音をたてて、数人の職人が働くだけのちいさな町工場があったことをうかがい知る形跡はありません。覚えている人ももうあまり残っていないでしょう。


 

私はそこを訪れるたびに、いつの日かここを訪れることもなくなるときが来るのだろうか、それともやっぱりまたふらっと来てしまうのか、などとぼんやりと考えてきました。そこで暮らした日々は、私の人生で一番素敵な時代だったのかもしれません。悩みや不安はそれなりにあるものの、皆に愛され、将来に限りない夢と希望を抱く、好奇心あふれる単純で幼い日々だったからでしょう。  

 人には皆帰るべき場所や日々があるといいます。自分の原点、人格形成に深く影響を与えた日々や想い出や出来事、そうしたものは私たちが生き、成長する上で愛すべき大切なものなのかもしれません。しかし、それらは所詮もはや帰らざる日々なのだと痛感することもまた人生なのでしょう。過去の延長線上に今の自分があるとは限らない。また、今現在の自分がこれから1020年後の未来の自分へと続いているかどうかは実は定かではない。あの頃の私は今の私とは全く違う自分。今は今、明日は明日。過去は事実であっても今の自分にとっては必ずしも真実でなく、私たちの明日はどのようにも変化し、今ある自分が明日の自分であると断言はできないとするなら

 だから人生とは、ただ前に進むこと、そのものなのでしょう。 

 そしてそれがいつもできるのなら、私たちはどんなに幸せでしょう。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

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by yellow-red-blue | 2018-08-07 14:31 | Trackback | Comments(0)

カウンセリングとはなんですか? ~ 大暑の頃’18



『人間の発達過程において認知的、情動的、行動的機能に影響を及ぼし得る遺伝と環境の相互作用の多様性は、事実上、無限の広がりを見せている。』

 (「DSM-5精神疾患の診断・統計マニュアル」米国精神医学会編、染矢俊幸 他訳、医学書院、2014年)

私たちは長い人生を生きていく中、日常生活のさまざまな場面でストレスを感じる出来事や問題に直面し、悩みや不安を抱えます。そうした状況に継続的あるいは常態的に置かれれば、さまざまなストレス症状や病気を発症することもあります。うつ病などに代表される精神疾患は、今やがん、脳卒中、急性心筋梗塞、糖尿病とともに、国民に広く関わる疾患として、国として重点的に対策が必要とされる5大疾病のひとつにまでかぞえられるようになりました。

今日の社会において、私たちは目まぐるしく変化し多様化する社会環境や人間関係への適応と自己のアイデンティティの見直しを絶えず迫られつつあります。それなりに努力を重ね身につけてきたはずの過去の経験や学習が、十分生かされないまま時は進み、それらはすぐ役割を終えて過去のものとなってしまう時代といえるかもしれません。かつて私たち一人ひとりが当たり前のように頼り、支えられてきたはずの家族血縁や地域社会、伝統規範などの精神的絆の求心力が急速に衰える中、変化に耐え順応することを求める社会の流れに心理的な抵抗や不安を抱えながら生きる人びとが世代を超えて増えているのが実情と言えます。ストレス社会と言われる今の世の中では、むしろ何のストレスも抱えずに生きている人の方が少ないのでしょう。

症状の重い精神疾患から、学校・友人関係、親子・夫婦関係などの家庭問題、結婚や離婚、職場や仕事、病気や経済的問題といった、日常生活の中で起こりがちな困難から来るストレス性のメンタルの不調まで、症状の程度の差こそあれ精神的に苦痛を感じ生きている人は少なくないでしょう。またストレスは誰にでもあることだとして、つい私は大丈夫だ、あいつも大丈夫だろう、あるいは気にはなるが相談しづらい、などと判断を誤ってストレスフルな状態を放置すれば、より症状が深刻化し日常生活にもさまざまな影響が出てしまうリスクにも直面します。

そのような精神的困難の問題解決の一役を担うのが、カウンセラーでありカウンセリング(精神療法、心理療法、セラピーなど、治療対象や使う立場、療法などで呼び名・定義はそれぞれですが、ここではカウンセリングという言葉を主として使うことにします。)と呼ばれるものなのですが、ではそもそもカウンセリングはどのようなものなのでしょう。なぜそれが必要だと言われているのでしょう。あらためてカウンセリングについて少し考えてみたいと思います。




私たちが何らかの体調不良や身体的に異常を覚えたら、まず内科や外科などお医者さんへ行きます。専門の医師などから問診や検査を受け、なんらかの診断病名を伝えられ必要な治療を受けます。その治療方法といえば、病気によっては入院手術ということもあるでしょうが、私たちの多くが経験上知る治療の主体は、処方された薬を服用したり注射をされたりするいわゆる「薬物療法」であることはお分かりと思います。

これは、精神的な不調や異常を訴える場合も基本的には同じです。(一般の医療機関に比べてまだまだ受診にためらいはあるとはいえ)精神科や心療内科などの専門機関を受診し検査診断を受ければ、その治療の基本となるのもやはり薬物療法です。

一般の病気が、何らかの臓器など身体器官の異常を原因とするものであると同じように、精神的異常ないし不調もまた「脳」という臓器の何らかの異常である、という生物学的精神医学の立場に基づいたこの薬物療法の有効性は高く、多くの精神疾患などには欠かせない治療法です。

けれどもそのいっぽうで、薬物による治療だけでは疾患の治療や精神的問題が解決しないのもまた事実です。心の働きが脳という臓器によって実行されるもので、薬物療法がその症状をコントロールするうえで大きな力を発揮するのは事実なのですが、私たちの心の悩みや葛藤そのものについては薬だけで必ずしも解消されるものではなく、生物医学的な立場だけでは語れないむずかしさを含んでいます。




そのむずかしさについては二つのことが言えると思います。ひとつには、問題の起きている現場がいわば「身体」ではなく目に見えない「心」であるということ、そこがむずかしいところです。つまり、私たち人間の心の中で起きている人それぞれの「主観的な」体験や思考、感情を扱う必要があることから、一般の内科や外科で扱うような目に見える病気の治療とは違ったアプローチなり方法が必要なのです。

むずかしさの二つめは、精神的問題はさまざまな要因の複雑な相互作用によって起きるということです。先天的要因、幼児期の生活体験や、成長過程での学習や体験とその結果形成されたパーソナリティ、社会環境や養育環境、さまざまなライフ・イベントで直面するストレス状況など各種の要因がさまざまな割合で関与し、冒頭にも引用したように、症状も含めそのバリエーションはまさに無限です。そうしたことについて心理的なアプローチを加えることによって、問題の根本原因に迫れることもあれば、薬物による治療効果がより発揮されることもあり得ます。特に精神的な問題は、生物学的な治療法に100パーセント還元することのできない微妙な問題を含んでおり、そこに対処するのが「薬物」療法に対する「精神」療法、つまりカウンセリングです。カウンセリングは薬物療法と並んで精神的問題を治癒するため不可欠の柱であり、このふたつは車の両輪といえるようなものです。重い症状の人には薬物療法が、軽症の症状がカウンセリングである、などと一概に言うことはできません。精神的問題への対処はあらゆる点であくまで柔軟かつ慎重な姿勢が求められます。「精神科を受診したり精神病の薬を飲むのは嫌だから、代わりにカウンセリングで治せないか」などと誤った認識を持っている人もいますので、誤解のないよう丁寧な説明や正しい知識の伝達が大切です。




カウンセリングとは、心理的なコミュニケーション・対話を通じて相手の気持ちを支え楽にし、抱える問題や症状を治癒へと導く総称であり、数多くの技法や療法も存在し、すそ野の広い概念といえます。カウンセラーと呼ばれる職業の人々だけでなく、医療現場の医師やその他の医療従事者、社会の現場でさまざまな立場の人が行う教育や生活相談、生活指導なども心の治療といえます。たとえば信頼のおけるお医者さんから、丁寧でわかりやすい病状や治療方針についての説明を受け、「それはつらかったですね。でも必ず治りますからいっしょに頑張りましょうね」「まずは休養を十分とりましょう」などと優しく接してもらえれば、患者さんも不安な気持ちが和らぎ治療に前向きにもなれます。これも広義な意味での精神療法、カウンセリングといえます。単に専門のカウンセリング・ルームでカウンセラーと一対一で向かい合うことだけを意味するものでもありません。

そのカウンセリングが私たちの精神にさまざまな効果をもたらすことができる理由は、私たち人間が、親密なコミュニケーション関係を構築することによってきびしい環境を生き延び、進化してきた動物であり、そしてその長い間に培われてきた心を通わせるための経験と知恵がカウンセリングのルーツであるからだといえます。カウンセリングとは、そうした私たち人間に脈々と受け継がれてきた優れたポテンシャルを精神医学あるいは臨床心理学的な知見や技術に基づいて解釈し直し、より一層困難な問題解決に特化させたコミュニケーション技法といえます。こんにちの私たちが抱えるストレスや問題、願望は様々ですが、そうした課題の多くは、私たちが人生を送る中でそれぞれが自然と身につけてきた実践知(経験・学習知)に頼るだけでは対処しきれなかったり理解することが難しいものです。それらを上手に乗り越えていくためのより洗練されたツールとしてカウンセリングがあると考えていただけるとわかりやすいかもしれません。相談者や患者がストレスや身体症状という「姿」を借りることなしに、その背後にある自分のもっと深いところの気持ちに気づいたり言葉で表現できるようさまざまお手伝いすること。そこがカウンセリングが単なる「お悩み相談」でないゆえんです。




ただし、カウンセリングはそうした学術的・科学的根拠などに基づくものではありながら、あくまで相談者やクライアントのためにあるものであり、わかりにくいプロセスであってはならないと思っています。カウンセリングの実践では、単に学んだ知識や技術の適用では解決できない予想外に困難な事態の連続です。今日の複雑な社会状況において私たちの抱える心理的ニーズは多様で、したがってよりきめ細やかで柔軟な対応が求められます。一見すると精神的分野とは異なる日常のさまざまな相談事がカウンセリングに持ち込まれることも珍しくありません。そうしたことにも丹念に耳を傾け相談者に安心を提供することもカウンセラーの大切な責務です。相談者の疑問に対して誠実に向き合わずに、つい専門的知識や抽象的な表現に逃げてしまったり、心の問題は複雑であるからとして長期にわたるカウンセリングを安易に選択してしまうことのないようカウンセラーは十分な配慮をする必要があります。また、心という目に見えないものを扱うことで、相談者がカウンセリングやカウンセラーに何か非日常的、万能的な力の源泉を期待させるような言動の誘導も慎まなければならないことも言うまでもありません。

相談者が自分の状態やカウンセリングに関して、率直な疑問を口にしたり、納得のいく説明を求めたりすることのできる環境と信頼関係づくりに常に開かれているかどうかが、カウンセラーに最も問われることだと思っています。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

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by yellow-red-blue | 2018-07-26 00:09 | Trackback | Comments(0)

恐れる私たち、頑張る私たち ~ 小暑の頃’18


活発な前線の影響がもたらす西日本を中心とする数十年に一度といわれる集中豪雨による甚大な被害は、すでに100名を超える死者行方不明者を数え、これを書いているちょうど七夕の日でもその数字は増える一方です。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、いまだ救出を待っている多くの方々に一刻も早い救いの手が差し伸べられ、また多くの避難されている方々に少しでも早く必要とされる救援物資が届けられ、もとの日常が戻るのをただ願うばかりです。


今回のような私たちの想定をはるかに超える自然災害の被害は、近年世界各地で起きています。それは温暖かつ安定した気候帯にあり、高度な土木・治水技術水準を備えた日本や欧米のような地域においてもまた例外ではありません。とりわけ、安全と安心がいわば当たり前のような国に住む私たちのような人々にとっては、こうした人智を超える圧倒的な自然の猛威に曝され予想を超える犠牲者が出ると、それに対するショックは逆に相当なものです。自然災害は避けられない現象であるにしても、少なくとも災害対策が進み防災意識もそれなりに高い国では、それはあくまで「対処可能な」現象であって、滅多なことでは犠牲者など出ないし出さないことが当たり前のこととして受け止められてきたからでしょう。いつしか私たちは自然の脅威に対して、すでにおおむね「克服している」との過信と錯覚があるのかもしれません。

こうした異常気象が、世界で排出される温室効果ガスを原因とする地球温暖化による影響が大きいとされていることはよく知られています。けれども考えてみれば、原因が人為的なものであるにせよないにせよ、地球の歴史とは、ある意味大規模で不規則な気候変動の連続であり、それが同時に様々な生命と種の勃興と進化を促進してきたと言えます。人類もまた何度となくそうした試練を乗り越え、そして今の私たちがあるのですが、その乗り越えてきた試練とはすなわち、ここに至るまでのおびただしい数の命の犠牲にほかならないということを、今度の災害を目の当たりにしてそのことをあらためて痛感します。



ひょっとすると、日本列島というこの海に囲まれた小さな島国に生きてきた日本人は、とりわけこうした自然の猛威に人一倍神経質な民族だったといえるかもしれません。

日本列島は、本来稲作に適さない風土、気候だったと言われています。稲作の発祥は、日本よりずっと南の緯度に位置する中国南部の揚子江沿岸で、つまりより温かい地域に適した作物でした。稲作がその後中国大陸を徐々に北上し伝播されたとする縄文後期~弥生初期は、日本は今よりずっと寒冷な気候であったため、日本列島は稲作を中心とする定住農耕という生き方が馴染むには、かなりの困難が伴う風土であったのでしょう。今回の集中豪雨の被害のように、わずか数時間前までは何の異常もなかったのに、気が付けばあっという間に洪水の波にあたりすべてが押し流され身動きも取れなかった、と似通った非常事態は、おそらくかつてはもっと日常的にあったはずです。そして私たちの暮らす今の社会と決定的に違うのは、ひとたびそうした事態が起これば、それはほとんど例外なく生命の危機を意味していたということです。立ちはだかる圧倒的な自然の脅威への恐怖は尋常ではなく、私たちの祖先は過去のほとんどの時代を、犠牲と恐怖、無力感とに打ちひしがれてきたのかもしれません。

日本の八百万(やおよろず)の神の信仰とは、いってみればそれほど数えきれない数々の自然の脅威にさらされてきたことの裏返しでもあります。そこから逃れることはできないことを悟った私たちの祖先の叡智であり、生き残っていくための救いの指針だったのでしょう。無力な人間がなんとか生き抜いていくために自然とどう折あっていくのか。自然を恐れ、明日への不安と隣り合わせの毎日に生きながら、同時に生きる恵みをもたらす生命の根源を神々として感謝、敬い、そして祈ることが、唯一の希望であり生き伸びるための条件だったに違いありません。

自然とともに生きるとはそういうことなのでしょう。自然と対峙し、それを探求し、科学し克服するという西欧的な考え方とはそもそも異なる自然観・宗教観が私たち日本人には備わっていると言われるのもうなずける話しです。

こうして、常に周囲と自然に敏感に気を配りながら生活をし、その脅威とどう折り合っていくかが生きる目的そのものですらあったかもしれない私たちの祖先達の深層心理には、精神的バックボーンとしての「恐れる」ことが深くに刻み込まれていったように思えます。そやがてその「恐れる」とは、自然との関係のみならず社会に共に暮らす人間同士の関係においてもまた必須の精神となり、今に受け継がれてきたと言えます。集団生活の中で生きていくしかなかった私たちの祖先達にとって、仲間外れにされ疎外感と孤独を味わうことほどの「恐れ」はなかったであろうからです。行き過ぎた周囲への配慮と空気を読めの圧力に始まり、昨今世界的にも注目されているとしてさかんにもてはやされている、おもてなしの精神やきめ細やかな日本式サービスの精神に至るまで、肉体労働でも頭脳労働でもない、「感情労働」化が著しい社会現場でのこうした日本独特の配慮の根底にあるのは、案外この「恐れ」なのかもしれません。



その「恐れる」と並んで私たち日本人の持ついま一つの深層心理、それは「頑張る」ではなかったかと思っています。理由は「恐れる」とほとんど同じものです。つまり日本人の生きてきた小さな島々は、人が頑張らなければ生きるに困難な場所で、そしてこれからもずっとそうであり続けるということです。

 とても小さなわが島国は、そのほとんどが人の住むことの困難な山間部です。人が住めるのはほんの3割あるかないかです。そこに数多くの人間がひしめき合い暮らさなければなりません。地震や火山、大雪や頻繁にやってくる台風、ひっきりなしにやってくる自然災害・天災のオンパレードに加え、資源のほとんどない日本列島に生きてきた日本人にとって、残された資源・財産は人間、つまり頼れるのは人だけでした。懸命に「頑張る」ことそのものが唯一の資源・財産であったのです。「頑張る」は実に便利な言葉であり、私たち日本人はそこに多様な意味・思いを含ませ使ってきましたが、それこそが「頑張る」がまさに私たち日本人を支えてきた精神的支柱の証と言えるかもしれません。何もなく生きるに厳しい土地、だから人が頑張らなければならない、他者あっての自分。自然や人について「恐れ」「頑張」ることで何とか生き延びてきたのが私たち日本人なのかもしれません。


そうした私たち深くにある「恐れる」と「頑張る」がどのような形で現われるのか、人それぞれ、また時代の要請でもまたそれぞれでしょう。しかしそれらはことによると、ときに人をたやすく疲弊に追い込む心理かもしれません。

「頑張る」と「恐れる」の折り合いが今の日本人にとりわけ必要なことなのでは、とも思います。なんとなく今の社会は、「頑張る」だけがその先に必ず進歩や豊かさであるとして、突出して優先・称賛される社会に思えるのです。豊かさや便利さ、進歩とは実際のところ何なのかをいったん考え直し、ときにあらため方向転換をし、限界を見定め、どこで「恐れる」こととと折り合うのかを一人ひとりが考える。それらをすることなしにつき進めば、後日必ず同じくらい大きな災いが身に降りかかることとなるか、あるいはまた、すでにそうした犠牲がさまざま起きているのに見てみぬふりをすることになる。それは自然だけでなく人間の社会生活においてもまた同じだと思うのです。


昭和の有名な流行歌で水前寺清子さんの唄う「365歩のマーチ」の歌詞の中に、『三歩進んで二歩下がる』とあります。苦労もあるし失敗もある、だけれどもひたすらみんな頑張って前へ進もうよ。幸せはお金で買えると信じ、物質的豊かさと経済成長に向かってひたすら前進していった、昭和高度成長期の時代のムードそのままのような唄ですが、三歩進みながらほんとうに二歩「下がる」のであればある意味大変結構なことです。しかし実のところ、三歩進んで「二歩切り捨て」きたのが日本ではなかったかと、ふと思ってしまうのです。決して後戻りせず待たずに、三歩進むだけ進み、あとのことは後回しにする。そしてその負の遺産を押し付けられてきたのが、責任を取るべき者ではない他の誰か、将来の誰かであり続けるとするなら、よほど私たちは今の時代状況を憂慮すべきであると思うのです。



私たちは、いつの時代も「恐れる」と「頑張る」の両極のどこかに絶えず揺れ動きながら生きる存在です。人生を通してアクセルとブレーキを上手に使い分けることは予想以上に難しいことかもしれません。ひたすらアクセルを踏み続けようとする人、せっかく青信号なのにブレーキペダルから足を離すことのできない人、アクセルとブレーキの両方を踏んでいることに気づかず、なぜ自分はうまくいかないのか悩む人。「頑張る」は過信と自他への配慮と思いやりの欠如をはらみ、「恐れる」は自尊心の低下や悲観的な思考感情と無縁ではありません。自然との共生や社会における共生とはいったい何なのか。「頑張る」の意味を問い直し、「恐れる」ことに無条件に配慮してみることが今求められているかもしれません。

人とは、常に最善を嬉々として期待しながら、それでいて最悪につい身構えてしまう生き物であり、人生とは、良くも悪くも、なにごとも決して思い描いた通りに運ばないことを知ることなのでしょう。心の深層から立ち現れるそうした人間や人生のさまざまな課題に取り組むのもまた、カウンセラーの仕事なのかもしれません。


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by yellow-red-blue | 2018-07-08 15:17 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、カウンセラーとして、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。ブログのどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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