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「わたし」であるとは? ② ~ 小満の頃’20

 

 しばらく前、自宅で入浴の準備をしていたときのことです。いまどきの風呂の湯沸かしは全自動制御のため、希望温度を設定しボタンを押せばあとはただ待つだけという簡単さです。アラームが鳴ったので早速服を脱いで、つかる前の湯浴びを、と思わず「冷たっ!」と叫んでしまいました。おかしいと思い温度のデジタル表示を見るとあろうことかお湯の温度はまだ37℃。よく見もせずに低い設定のまま湯沸かしをしていたのでした。

 ぶつぶつ文句をいいながらも、服をすでに脱ぎ湯浴びで下半身も濡れていた手前、もう一度服を着て待つのも面倒だと、愚かにもやせ我慢を押してそのまま浴槽につかり、しばし冷たさに耐えながら温度が上がるのを待つという失笑ものの選択をした私でしたが、そんな中、ふとある疑問がわたしの心に湧いてきたのです。

 「なぜ自分はいまこの37℃を冷たいと感じるのだろうか?」と。考えてみれば、37℃といえば、人体でいうところの平熱(基礎体温)か微熱がある状態で、それは冷たいとは感じないはずだし、むしろちょっと熱っぽいという感じなのではないだろうかと...

 

 そんなことを考えていると、ふとまた過日見たテレビの天気予報番組での気象予報士のコメントが頭をよぎりました。「今日はところによっては36℃を超える予報となっています。これはもう人間の体温に近い大変な暑さ(!?)ですから...」

 いったいこれはどういう意味なのか?

 確かに、気温36℃といえば身体にこたえる耐えがたい暑さであるけれど、考えてみればそれは私たちの平熱そのものではないか!普段私たちの身体の中は36℃に保たれていても暑さなど感じないのに、どうして今のそれはそれほど耐え難いのかだろう?皮膚表面と体内の違い?気象予報士のたとえに、こりゃ今日は大変な暑さだと反射的に反応してしまったものの、その表現はひどく矛盾しているのではないか、などと考えだしたのでした。

 そこではたと気が付いたのは、つまりなぜだか私たちは、自分(の体温)については、「感じない」のだということ、あるいは実際には温度として「ある」のだが、なぜかそれは「ない」と「感じ」ているのだ、と。

 


 さらに不思議なことがもうひとつ。私たちが感じ「ない」のは、ほぼピンポイントの基礎体温の平熱のみであって、それからほんのわずかでもはずれた温度について、私たちは奇跡的にも「感じ分ける」ということです。

 私の平熱は36.3℃ですが、それよりゼロコンマ5高いだけの36.8℃を私は察知します。熱っぽさを覚えたり体調の違和感などをおぼえるのです。ほとんどの人も同じように基礎体温よりほんのわずかなズレを感じ取ることができます。

 さらに私たちは、自分や他者の額に手を当てて「熱があるね」などという行為を日常的におこなっていますが、よく考えればこれはちょっとすごいことではあるのです。なぜなら例えば気温や水温について私たちはそんな繊細な温度感覚を持ち合わせていないからです。気温15℃と15.7℃を区別することなんてまず不可能です。であるのに、体温についてはわれわれはきわめてセンシティヴな反応が可能なのです。これはひょっとすると超(絶的な)能力なのではないだろうか?

 

 これらはけっこう大きな問いかも知れません。こんなとき、詳しい専門家ならば説明はできるだろうし、知識を持たない私のような素人でもググってみれば正解は得られるかもしれませんが、それでは答えをただ知るだけで、そこにダイナミックな知的体験のチャンスはないかもしれません。前回ブログで幼少の私が抱いた疑問の数々に対してと同じように、いえ大人になった今だからこそ、普段何気ないものごとに素朴な疑問を感じたら、そこにしばしとどまってあれこれ思考を引き受けることはいっそう大切なようにも思えます。たとえ正解にたどり着かなかったとしても、そのプロセスはとても意味のあることだと考えたいのです。



 ヒトは、長い年月をかけ進化を遂げてきた動物です。厳しい環境のなかを生存し続け、子孫の繁栄・存続を維持するため必要なさまざまな能力を価値あるものとして選択し、進化させ今に至っています。

 つまり、私たちの身体に備わる構造や機能のそれぞれに環境適応的な意味や理由があって、とても役に立っているということです。そう考えると、さきほどの「ある」はずの基礎体温を私たちが感じることが「なく」、しかしそこからのわずかな逸脱については、逆に極めて繊細に察知するという能力の獲得にも、何らかの適応的な意味があり、何かに役立つ理由があると考えることは、けっして不自然ではありません。

 それではいったいそれは何のために進化したのでしょうか?その適応的な意味とは何なのでしょう?

 動物としては比較的弱小な身体骨格ですらあったわれわれヒトは、その身体を脳に代表されるように極めて複雑かつ精密な機能構造とメカニズムを持つ、まるで精密機械装置かコンピュータのように進化させてきた結果、他の動物を圧し食物連鎖の頂点に君臨する地上の支配者となるに至りました。しかし、そうした卓越した身体機能を維持するためには、きわめて繊細な制御が不可欠であって、ほんのわずかな変調が誤作動や不具合を起こしうるという代償をも伴うこととなったのです。

 きわめて精緻な身体メカニズムをうまく機能させるには、たえず適切な温度管理や熱量として十分な量のエネルギー供給と血流が欠かせません。そうした体の管理に問題が生じた場合、とても厄介なことが起こります。たとえば体温が一定程度低くなってしまうと免疫力が急速に衰え、細菌やウィルスなどの外敵の侵入や悪性腫瘍などの発生を簡単に許し、生命自体が脅かされることとになり、また逆に高温にふれてしまうと侵入者を死滅させることはできるが、逆に自分の健全な細胞や組織もまた深刻なダメージを与えてしまうことにもつながります。

 実は人間は、気温など周囲の環境のような(夏は暑く、冬は寒い。火は熱く水は冷たいなど)アバウトな変化や感じ方とは次元の違う細やかな制御が必要な、とほうもなく狭い温度の範囲内でしか生きることのできない脆弱な生き物である、ということがわかります。わずかな温度のズレが人体には深刻なダメージを与えてしまうのです。



 そう考えると、私たちがその基礎体温を感じ「ない」とはどういった進化なのかといえば、わずかな差異「あらゆるすべて」を異常として察知するための一番確実な状態、つまり普段をなにも感じ「ない」、「ゼロ状態」として知覚して「いる」ことを獲得した、ということなのです。そのゼロ点が平熱、基礎体温です。

 普段問題のない状態として感じ「ない」ことが、何か異常が「ある」ときを繊細に弁別できる最も確実な方法です。普段からたえず何らかの温度を感じていれば細かな区別は困難になってしまいます。本当は「ある」のだけれど「ない」ものと感じておくことで、その他の感じるすべてを精緻に見分ける能力を私たちは身につけるに至ったのです。

 もっとわかりやすいのは、私たちの味覚と唾液の関係かもしれません。私たちの味覚はとても繊細なもので、正常であればだれでもほんの小さな塩数粒でさえそのしょっぱさを知覚します。それを可能にしているのは、常に口内の環境を「ゼロ」設定としている唾液の機能といえます。口に入れたものが万が一ほんのわずかでも毒なり体に有害な物質が含まれていれば、即生命に重大な影響がでます。したがって私たち人間は、ほんのわずかな味覚のズレすべてにまんべんなく警報が出せるよう、実に繊細にチューニングがされているのですが、それには唾液で満たされた口内が無味無臭(実際には違うといわれていますが)なものとして常に「ゼロ知覚」されている必要があるというわけなのです。逆に常に何か味わっている状態の口内はなかなか想像することはできないかもしれません。

 簡単に説明してはいますが、この基礎体温や唾液にみられるような、「ゼロ状態」として知覚されずに「ある」ということは、私たちの複雑な人体機能を支える実に高度な「超(絶)」能力と言えるかもしれません。



 前回私の幼少の頃の素朴な疑問の話で、今回は大人の私の素朴な疑問について私の個人的な見解を述べてきましたが、本来のテーマは「わたし」であることについてでした。

 人間という存在は、身体と精神という2つの次元から成り立っています。身体が進化の産物であると同時に、私たちの心の働きもまた進化の産物であり、さまざまな精神機能も進化という淘汰圧によって選択獲得されてきた能力であるとすると、この「わたし」であるということの進化的な意味は何かとても気になるところです。

 次回そのことについて考えてみたいと思います。





最後までお読みいただいてありがとうございます。

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by yellow-red-blue | 2020-05-20 22:07 | Trackback | Comments(0)

「わたし」であるとは?① ~ 立夏の頃’20

 

 五月晴れ、とスッキリいかない空模様が連休明け以降の東京でも続いています。やや肌寒いどんよりとした日があるかと思えば、モヤッ(靄)とした真夏日の陽気が続いたりします。季節外れの散発的な雷雨に濡れる朝のアスファルトから立ちのぼる、自然と人工物が混ざったような何ともいえない匂いは、青々とした木々や色とりどりの初夏の花々のやさしい香りが大気中を伝染するようあたりにそこはかとなく漂う、まさしく「風薫る五月」の薫(かお)りとはだいぶかけ離れたものに感じられます。

 そんな中でも、今頃はほぼ早朝あたりに限られますが、朝日に照らし出される富士山のくっきり鮮やかな姿は格別で、いつもの五月を感じるようでホッとします。ただ例年ならそろそろ8合目あたりでも山肌がちらほら見えだすくらい少し透けたような白さなのに、今年はやはり気象が例年と違うのか、今(連休直後)でも7合目あたりまでマシュマロのように分厚い純白の雪化粧に覆われた山頂を望むことができ、周囲の初夏の青い山々に囲まれかえって例年以上にその美しさが際立ちます。


 

 かつて東京を含め関東や中部地域の各所では、今よりずっと簡単に富士山を眺められていたようです。「冨士見町」や「冨士見坂」「冨士見通り」といった、各地に残る冨士の名を冠した地名や場所はその名残りで、今でも都内にいくつも存在します。実際私が小さなころ暮らした界隈にも、富士山が見える場所がいくつかあったのを覚えていますが、今ではもはやそうした場所から拝むことはまずできなくなっているそうです。

 都心ながら富士の姿を楽しめるレアなスポットを近所にたまたま知っていて、ひそかな優越感を覚えていた私でしたが、先日知人から「私なんか毎日見てますよ。」と言われ、ありゃ、と思ってしまったのでした。

  よく考えてみれば、昨今増殖の一途をたどる高層のマンションやオフィスビルからは、場所によってはそれこそいつでも富士の姿を心行くまで眺めることができるわけですから、日常的に富士山観賞を楽しんでいる人の数は逆に増えているのかもしれません。浅はかな優越感に水を差され少々がっかりしながらも、いつの時代も富士山は、日本人にとって心の原風景であり続けているという意味で、まさしく「霊峰」に違いないのだと胸休まる思いもするのでした。


 

 まだ幼稚園児だったころの私にとって、「いったい富士山という山はいくつあるのだろうか?」は大きな疑問でした。

 素朴で幼稚な知性しか持ち合わせない幼年期にはありがちな、なんともほほえましいエピソードに過ぎないのですが、当時の私にとってみればまさしく大問題。なにせ子どもながらの言い分ならたっぷりとあったのですから。

 小学校の裏山のてっぺんからいつも見える富士山でしょ、この夏休みに乗った新幹線の中から見えたあの大きな富士山でしょ、去年訪問した田舎の親戚の家の近くの河川敷の土手からはるかに望む富士山などなど、「あそこにも富士山がある」し「今度も富士山をみつけた!」という確かなる実体験であり実感なのです。しかも、複数の「同じもの」なんて身のまわりのそこら中にあふれているではないか!幼稚園でみんなが座る椅子はみな同じ、おやつに出るクッキーやビスケットだって同じものがたくさんあるし、お出かけするときに乗る電車なんて何両もの同じ車両がいつも行ったり来たりしている、というわけです。親からあれこれ説明され、富士山は作り物ではないのだと言われ了解しつつも、どこかなかなか納得できずにいたものでした。

 同じように、「地球はいったいいくつあるのか?」もしばらく考えこんでいました。未熟で中途半端に聞きかじった海外や地球の知識と理解しか持たない私は、「確かに日本は地球だ(!?)で、そうすると、アメリカとか他の国は同じように『ほかの』地球にあるはずだ。そうすると、いったいどうやって他の国へ行くのだろう?あの暗い宇宙をロケットかなにかで飛んでいかなくてはならないのだろうが、これは随分と大変だなぁ」云々。

 これには小学校へ進級するときに買ってもらった地球儀を見て一応の解決をみたものの、大人から与えられた正解なり本当は...なのだ、に対してどこか納得しがたい微妙な感覚と湧き上がるさらなる疑問の数々は、富士山の数問題と同じようにかなり長い間私の頭を巡ることとなりました。

 こうしたつたない学習経験から想像交じりに導かれた問題への関心と現実の正解とのギャップに感じる違和感なり葛藤は、成長途上で誰もが経験する自分を取り巻く世界への知的関心の萌芽なのでしょう。


 

 この話にはさらに続きがあって、そしてここからが本題なのですが、幼い私の疑問は、そうした身のまわりについてのいわば世界観の話から、こんどは「自分」にまつわる疑問へも及んでいきました。

 幼少の個人的エピソードが続いて恐縮ですが、ある時テレビの子供向けアニメだかアクション娯楽番組で、主人公が自分のニセモノと対決するという場面を見ているときに、私はあれ、とまたも首をひねってしまったのでした。

 ここまでを読見知っているたいがいの人なら、おそらく今度も「ひょっとして、どこかにもうひとりの自分がいるのではないか」などと考えたのだろう、と思うかもしれません。ところが、当時私の抱いた疑問はもっとへんてこなもの、いわば全くの逆の考えでした。

 「どうして『僕はひとり』だと、僕は『知っている』のだろう?」

 自分は一人だということになぜ疑いを持たないのか、「僕はひとりだ」に疑問を感じずにいる「ぼく」とはいったいどういうことなのか、考え込んでしまったのです。

 それだけではない、「ぼく」だけではなく、なんと家族や友達、幼稚園の先生はみんなひとりだと、なぜか僕は「知っている」ではないか!しかしその「知っている」とはおかしくはないだろうか?このあいだのお休みの日に東京駅でばったり会った幼稚園の友達とお母さんはいつも幼稚園で会うあの友達や母親であって、富士山や地球のように「もうひとりの」友達だとは自分は決して思わなかった。でもその「確信」はなぜなのだろう?

 もちろん当時このように言葉でもって自分を整理できているわけではなかったのですが、私の中ではそんなモヤモヤが頭を占めていたのでした。

 バカバカしいようでもあり、禅問答のようでもあり、ひょっとすると哲学的と言えなくもないのかもしれません。けれども、唯一無二の個として「わたし」が存在していて、誰とも違うかけがえのない自分である「わたし」は、様々自由に考え、判断・選択し、決定を下し行動する存在。こうしたいわゆる自己感覚、あるいは自律性の感覚の原型のようなものは、想像以上に成長の早い段階で、いわばデフォルト的に私たち人間に備わってきたのかもしれません。

 私たちはその後成長する過程で、自己アイデンティティや自我、自己同一性や、自尊感情、自己肯定感といった様々な表現や言い回しによって「わたし」と向き合い「わたし」と葛藤することになります。そうしたことについては、さまざま研究が進み定義され知識として蓄積されてはいるものの、正直私にはどうもきちんと納得できていない、つまり理解していないのではとずっと感じてきましたし、今もってそれに変わりありません。

 日々のカウンセリングの対話の中でも、たびたびこの「わたし」「自分」にまつわる問題は世代を問わずテーマとして取り上げられます。たとえば、生い立ちやパーソナリティに端を発し、「健全なわたし」が十分育まれなかったり欠如したがために、精神的困難に陥ったり精神疾患を抱えながらその後の人生を生きなければならない人々がかなりの数いるとしても、そうした状態が意味するものについてやっぱり私には明確にできないのです。

 「自分は(自尊感情が低く)ネガティブ人間だ」「まわりのように自分にまったく自信が持てない」「自尊心ってなんですか?それって高められるのですかる?」「どうして私はこうなってしまったのか?」こうした切実な問いかけについて、当座の説明なり話し合いを通じ改善がそれなりに見られるにしても、本当のところそれでいいのだろうか、といつも葛藤を感じるのです。それらは実際にはどのような実態なり状態で、何がそうさせているのだろうか。あるいは逆に、健全(あるいは正常、普通と言われている)な人は、確かな「わたし」を実感しながら日々を過ごしているのだろうか?それについてちゃんと説明が可能で、またそれは誰にも必要で役立つものか?みなが同じく健全な「わたし」である必要があるのだろうか?


 *

 

 これらはとても難しい問題で結論などないのかもしれません。けれども私はこれから手探りでも、今ある知識や知見だけにとらわれずに、できるだけ自分の中も探りながら考えを深めていくことが大切だと最近考えるようになっています。「こころ」と「わたし」にまつわるさまざまな問いに対する答えというより、疑問を解くためのわかりやすいなにか「とっかかり」のようなものがないか、考えていきたいのです。

 次回は今回の続きの話を、幼稚園児の私ではなく、ごく最近の私の日常の体験からふと浮かんだ疑問から始めたいと考えています。



 ところで、お読みいただいている皆さんには小さいなころ、どんな素朴な疑問を抱いていましたでしょうか?それについてどう考えていましたか?それは今何か意味しているでしょうか?

少し思い出しながら考えてみませんか。




最後までお読みいただいてありがとうございます。

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by yellow-red-blue | 2020-05-10 08:47 | Trackback | Comments(0)

右のポケットに何がある?~ 清明&穀雨の頃'20



 桜の季節はとっくに過ぎたとは思えないほど、冬を思わせる気圧配置に伴う強い北西の風や雨が、新型コロナウィルス感染拡大の影響で社会を覆う不安と委縮の空気ただよう人もまばらな東京の街を吹き、寒さがけっこう身にこたえる日々がここしばらく断続的に続いています。

 世界的に猛威を振るい、人類共通の見えない敵となったこのウィルスに対抗する効果的な治療薬やワクチンを持たないいまの私たちは、その脅威と出口の見えない行く末に不安や焦りを感じています。著しく低下する社会経済機能、経済的困難に直面し絶望感に日々あえぐ人々、苛烈を極める医療や福祉、行政の現場で疲弊していく人々のことを考えるにつけ、いったいなぜこんなことになってしまったのか、そしてこれからいったいどうなるのか、答えの出ないいくつもの問いが頭をたえず巡り、なかなか冷静でいられない日々を送る人は思っている以上に多いかもしれません。

 突然降ってわいたような日常生活リズムの変化と、真偽定かでないものを含め時々刻々押し寄せる情報の洪水を処理することに疲れ始めている私たちにとって、ほんの少し前ならお決まりのうたい文句だったはずの「正しく怖れる」ことを冷静に実行することがもはやとても難しくなっている状況にも感じます。



 大地震や火山の大噴火といった大規模な自然災害を正確に予測することはまず不可能です。わかっているのはそう遠くはない将来、起こるのがほぼ確実であると考えられているものがいくつかあるということだけです。富士山は明日噴火するかもしれないし、南海トラフ巨大地震や関東直下型地震が週末やってこないという保証はどこにもありません。けれどもそうなら私たちはいったいどうするのでしょうか?

 そんな時私たちは、「いくらなんでも今日明日のうちはやってこないはずだ」と”たかをくくる”処理を心の中で無意識におこなうことによって、パニックや不安を感じたり注意と警戒とで常にピリピリすることなく、当面の正常な日常生活に没入することができます。たとえその態度に確たる根拠がなく、そうでない可能性だっておおいにあるにもかかわらず、ある程度のイレギュラーなり不穏な可能性は正常あるいは許容範囲内だよね、として処理しようとするのです。こうしたある種の錯覚や偏りある思考・判断、楽観的態度で日常をやり過ごすことで、無駄な労力とエネルギーを消費せず精神的安定を確保するという、人類が身につけた卓越した本能的な能力を正常性バイアスといいます。


 ところがこのバイアスはすぐれた能力でありながら、同時に強固で柔軟性に欠けるところがあるため、とくに日常から突然非日常的状態に投げ込まれたときに、私たちの思考や感情はしばしば誤作動を起こし状況にうまく対応する能力を欠いてしまいがちです。起きていることを認識しつつもつい日常運転に引っ張られ、とるべき適切な判断なり行動を実践することに抑制的な心理がさまざま働いてしまう結果、そのリスクを正しく見積もることをせず現実から目をそむけてしまうことがあるのです。

 またいっぽうで、一刻も早く異常事態を脱し日常に戻りたいというこのバイアスから来る無意識的欲求も働いてしまうため、適切とはいえない性急な行動を逆にとってしまいがちにもなります。真偽をよく確かめもしないまま、怪しい情報に容易に影響される傾向も現れやすくなります。買い占めに走る、他の病気の可能性を排除し体調が少しでも悪くなるとウィルスに感染したかもしれないと医療関係機関等に殺到する、病気に効果あるとの偽りの宣伝文句に容易にだまされ怪しい商品に手を出してしまう、といった行動がまさにこれにあたるでしょう。



 ユダヤの人々の間ではよく知られたこんなジョークがあります。

 町の通りである男性が、何か探し物をしているかのようにあたりをきょろきょろしたり、自分の服やかばんをさかんに探っています。探し物が見つからない様子でとてもあわてているようでした。

 通りがかりの人がその男性を見て尋ねます。

「落とし物かね?」

とその男性は、

「ええ、どうやら財布を失くしてしまったようです。確かに持って家を出たはずなんですが...」

「そりゃ、大変だ。よく探してみたかい?どっかにまぎれこんでいるなんてよくあるじゃないか?」

「ええ、そりゃもう何度も確かめましたよ。でもやっぱりどこを探しても見つからない。ああどうしたらいいんだ、あの中には僕の全財産が入っていたんだ!」

 いまや男性はすっかり途方に暮れた表情で、それでもずっと体のあちこちを探し続けることをやめません。

 その通行人はとても気の毒に思いましたが、ふとその男性が上着の右ポケットの中だけは探さないことに気が付きました。

「なあ、さっきから見ているとお前さん、右のポケットは一度も探してないがどうしてなんだい?そこにあるかもしれないじゃないか?」

 それを聞いた男性は、心底あきれたような表情でその通行人をまじまじと見つめこういいました。

「なにもわかっていませんね、あなたは!もし仮にですよ、この右ポケットを探してもやっぱり財布がなかったらいったいどうするんです?そうなったら、私はそれこそもう本当の本当に困ってしまうじゃありませんか!」



 もちろん、右ポケットの中を探り財布があるのかないのかをすぐに確認し、紛失したことがわかったら来た道を戻って別の場所を探す、警察に届ける、誰かに相談したりお金を借りる、といった次にとるべき行動を考えできるだけ早く実行に移すことが必要であることは明らかです。しかし、右ポケットというかすかな可能性をこころの支えに、財布を紛失したらしいという「現実」の確認を否定し、適切な判断・行動という「変化」を躊躇をするこの男性の態度は、まさに正常性バイアスの特徴を見事に示しています。これは笑い話ですが、私たちは実は日常生活でかなり似たような思考や行動にはまりがちなのです。



 右のポケットといえば、年配の方なら美空ひばりの『東京キッド』を思い浮かべる人も多いかもしれませんね。

 右のポッケにゃ夢がある 左のポッケにゃチューインガム...

 混乱と荒廃、貧困と絶望が暗い影を落とす戦後まもない時代に、日本列島に響き渡った稀代の名曲の中の「右のポッケ」もある意味ユダヤ人ジョークの右ポケットと同じ、根拠希薄な最後のこころのよりどころだったのかもしれません。

 夢といっても確たる根拠があるわけではなく、当然その後の奇跡的ともいえる経済復興と繁栄など考えも及ばず、むしろ現実的な状況は夢を描けるようなものとは程遠く、厳しく絶望的ですらあったけれど、すべてを失い傷ついた日本人誰しもの心に勇気と希望をあたえたのがこの歌だったのでした。

 時代は進み昭和の時代、一億総中流と言われた日本人がある意味幸せだったのは、そうした漠然とした希望なり夢が実現するかもしれない、厳しさの先にきっと右のポケットの中身はあるはずだと素朴に信じられていた時代だったからでしょう。すべての人に裕福で豊かな物資に恵まれた人生が待っているわけではない。けれども少なくともチャンスは誰にでもある。ある意味マイナス100からのスタート、失うものなどなくひたすらそれを信じて前へ前へ国民が没入していったことが日本の繁栄を支えてきたのでした。


 右のポケットという名の正常性バイアスに支えられ、世界第2位の経済大国へと昇りつめたわが国はしかし、高度経済成長期の後、ついに右のポケットの中を確かめることなく自滅的なバブルの道へと舵を切り、有形無形のツケを次世代へとまわし、その傷はいまもって完全に癒されているとはいえない状況にあるように思います。

 正常性バイアスは、私たち人間の精神活動に欠かせない頼りになるものでもありながら、同時に日常を捨てきれず、変化と非常時の意思決定を嫌う本能でもあるちょっとやっかいなものです。右のポケットをめぐって柔軟性ある思考と勇気を発揮する工夫や努力は、人生を通して私たちに求められている難しい課題といえます。



 何事かに成功をおさめたり困難を克服するために努力は欠かせないものです。そして残念なことに、すべての人にその努力が報われることはありません。けれどもその「報われない」の多くは、はじめ目標とし望んでいたものごとを達成することができなかった、という意味での「報われない」であって、積み重ねた努力なり苦労のいっさいが「無駄であった」と言えばそんなことはけっしてありません。

 むしろ、努力することそのものや結果としての失敗や挫折、後悔に何一つ無駄はなく、その一つひとつの経験なりプロセスにこそ意味があり、生きる糧となるものであって、何にも代えがたく、その人だけが持つ決して目に見えないが、かけがえのない強みであり財産です。右のポケットの中身を探るのもそこから目を背けるのも自分次第です。そのことに気づくことは簡単ではありませんし、その努力なり勇気を持つことに困難な事情を抱える人々もまたこの世の中には多く存在します。そうした人たちを支え、ときにポケットを探ってもまったく大丈夫なのだとそばで支え続けることが、ある意味わたしのような仕事を持つ人の役割でもあります。価値のない人生などありはしないし、価値のない人間もまた決してこの世に存在しません。さもなければどんな人生にも誰にも価値などあろうはずがないのです。




 今は多くの人にとって苦しい時期かもしれません。正常性バイアスを持つ私たちが慌て不安になり、いら立ち、何をすべきか迷うのは全く自然なことであって、そのこと自体を過度に気にすべきではありません。ただ、あまたもたらされる情報をわきに置いて周りを少し冷静に眺めれば、変わらぬ日常のほうがむしろ多いのだと気づくことができれば、心にバランス感覚と余裕を取り戻すこともできます。健全で適度に楽観的なこころの持ちよう(バイアス)は、非常時のただ中にあるいまの私たちにとってとりわけ大切なことだと感じています。


 


        東京キッド

(歌:美空ひばり 作詞:藤浦洸 作曲:万城目正 )

  歌も楽しや 東京キッド

  粋でおしゃれで ほがらかで

  右のポッケにゃ夢がある

  左のポッケにゃチューインガム

  空を見たけりゃ ビルの屋根

  もぐりたくなりゃ マンホール


       


  歌も楽しや 東京キッド

  泣くも笑うも のんびりと

  金はひとつもなくなっても

  フランス香水 チョコレート

  空を見たけりゃ ビルの屋根

  もぐりたくなりゃ マンホール

  (3番は省略)



 




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by yellow-red-blue | 2020-04-10 22:25 | Trackback | Comments(0)

9年目の彼方、置き去りにされるこころ ~ 啓蟄&春分の頃'20


 3月11日を前にするこの時期になれば、どうしたって数多くの犠牲者を出し国民すべてを恐怖と絶望のどん底へと追いやり、世界を震撼させた九年前に起きた大災害のことについて考えずにはいられません。

 この9年のあいだ、誰もが「決して忘れない」「頑張ろう」を表明し、「復興」「希望」「いのち」にまつわるあまたのドラマと思い出を語り出しているかのようです。そうした中には、無傷ではなかったにせよ安全と安心の此岸に留まってこれた側の楽観的でやや無神経な振る舞いにすぎないのではと感じられてしまうものも数多くある一方で、それは少し厳しすぎる見方かなとも思います。それほどまでに、あの体験は程度の差はあっても誰の心にも圧倒的な衝撃でした。何かをせずにはいられない、そうすることによってあの出来事を忘却しないまでも、前に進むに特段支障のない、健全な距離を保った過去の記憶としてとどめておきたいとの無意識的な欲求は、人として無理からぬものだからです。

 

 いっぽう、実際に被害に遭われ悲嘆と絶望の極に置かれた多くの方々のなかでも、無力だった自分と失われた尊い命、故郷への思いは尽きず、感傷や郷愁、自己憐憫に浸りながらも、その自身を外に向け隠さず振舞うことのできる人々はまだ幸運であるといえるかもしれません。それは遅々とした歩みであったとしても、圧倒的な喪失からゆるやかな回復軌道へと一歩一歩踏み出す力が芽生えている証であるといえるからです。

 しかしそのどちらにも属することのかなわない、抱えきれないほどの苦悩に押し潰されそうになりながらもひっそり誰にも知られることなく沈黙するまま、必死に地を這うように生きるほかない数多くの人々こそが、私たちが全神経を傾けて注視し忘れてはならない存在です。9年たった今こそ白日の下にさらされなければならないのは、そうした存在を拒む日常へと没頭しがちな私たちの心そのものです。





 人が他者を本当に理解するためには、他者が感じ方や行動、振る舞いの原則として抱えている準拠枠(前回ブログでも取り上げたスキーマもまさにそうです)からの視座で、自分たちも物事を見てみる、とらえようとしてみることは大切です。どう彼らと同じように内的に経験すればよいのかを考えるとき、私には忘れられないある本の一節があります。それは東日本大震災とはまったく関係のない、それよりも70年も前の第二次世界大戦中に起きたホロコーストを生き延びた人々についてのある精神分析医・心理学者の考察ですが、それはまさにこの東日本大震災を生き延びた人々の激越な苦しみの一端をかろうじてうかがい知る助けになると考えるからです。

 とりわけ、復興の「総仕上げ」という巧みな言葉のオブラートに包まれた、そろそろいい加減次のステップへ、正常軌道へとの無言の肩たたき圧力と「いつまでそうしているの?周りを見れば?」という無慈悲な空気とが、「忘れない」「被災地に寄り添う」の言葉とは裏腹にひときわ強烈さを増す9年たった今だからこそ。そして同じような苦悩が実は現代社会の私たちの周囲にもまたしばしばひそんでいるからこそ。

 

 

 

 “耐えることができないことを耐えるよう強いられた子供たちの恐るべき沈黙!彼らの苦悶はものを言わない。利用しうるすべての力を動員して彼らは、彼らに取り付いては離れぬ苦悩を、あまりにもむごいので口では言い表せぬ悲しみを魂の奥底に埋めてしまわなければならない。そしてこれは生涯変わることがない。あの破壊的な出来事が起きていたあいだだけではなく、それに引き続く戦争直後の時期だけでもなく、われわれ誰もがあの怨念、深い憂慮、怖れを言葉で言い表すのに苦労する児童期全体だけでもなく生涯にわたって、この種の傷口はその痛みがはなはだしく、広範囲にわたり、いつ、どこででも口を開くので傷を受けたとき以来全生涯が過ぎ去ったあとでさえ、それについて語ることは不可能であるようにように思える。その傷に苦しみ続ける人びとにとって、それは過去におきたことではない。その痛苦はそれが起きた日と変わらぬ現在性、現実性をともなって、あれから何十年たった今も持続する。一切の外見は正反対の様相を呈していても、これら過去の出来事の犠牲者たちにとって現在正常な生活を送ることは不可能なのである。

 “ひとびとが話すのをあれほど嫌がった理由の一つは、いかなる言葉も彼らの身に起こった出来事を表すのにふさわしくない、いかなることばもその経験を鎮めるのに無力であると彼らが信じきっていたことである。もっと深い理由は、他の人びとが彼らにその身に起きた恐るべき出来事と和解してほしいと願っていることに彼らが気づいている、少なくともそう思っている、しかもそれは不可能であることを彼らが知っている、ということである。彼らの話に聴き入る人たちは、犠牲者が受けた極限的な苦しみを理解しているつもりになっているが、犠牲者のほうは彼らが理解しているのはせいぜい事実だけであって、彼の苦悩の本質についてはまるでわかっていないことも知っている。とすれば、それについて話してどんな良いことがあるというのか。(中略)

 経験したとてつもない喪失が彼らに残した感情はこれらの犠牲者にとってあまりに圧倒的で、今にも彼らを呑み込もうとする。そして自分の悲しみによって溺死させられないように彼らが築いた防壁を崩壊させようとする。彼らはこのすさまじい破壊が終わった後みずからの生を作り出していくという困難な仕事を引き受ける能力を保持するために、こうした防壁を築かなければならなかった。それは骨の折れる努力を要したが、うまくいってもきわめて不確かな成果しか生まれたなかった。それゆえに、彼らはこころのバランスがくずれそうになるのがいやなのだ。

(ブルーノ・ベッテルハイム 『ホロコーストの子どもたち』 みすず出版、森泉弘次 訳「フロイトのウィーン」より)

 


 わが国は広島、長崎を経験したにもかかわらず、核のある世界をいまだ積極的に拒絶しようとはしません。わが国が誰に臆することなく世界に核廃絶を要求する資格のある唯一の存在であろうにもかかわらず。8月6日9日に毎年どれほど犠牲者を追悼し反戦と核廃絶を決意し平和を宣言をしようとも、そうした方針から脱却せずに済ませているのとおなじように、福島のあとでさえ私たちは原発NOを選択できませんでした。そうした意見を持つ人々は少なくないにもかかわらず。

 でもそうであるならば、せめてなぜそれを良しとしいまの生き方を続けていくのかについて、私たち一人ひとりが責任ある釈明を、自分自身と犠牲者に、そしていまだ彼方に置き去りにされたままの人びとに対して持たなければなりません。それが生かされた此岸にいる者の責務であり、「決して忘れない」という言葉の真の含蓄だと考えます。

 私たちが問われているのは、被災された方々に対して直接何ができるかということよりむしろ、私たちそれぞれの人生あるいは日常の暮らしや社会のあり方について何を感じ選択し、どう行動すべきなのかをあらためて真剣に考え直し、明確にしながら日々を生きることなのだと感じています。






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by yellow-red-blue | 2020-03-08 20:15 | Trackback | Comments(0)

非日常の日常・スキーマという呪縛③ ~ 雨水の頃'20


 人はみなそれぞれに違います。歩む人生もまたそれぞれです。もともと持って生まれた生物遺伝学的あるいは先天的な素因だったり、育った生活や環境の質の違い、幼い頃から親や家庭、周囲から受けてきた教育やしつけ、成長過程でのさまざまな学習・経験、日々体験する日常の出来事といった、さまざまな条件なり事情が網の目のように複雑に絡み合い関与しながら私たちの人格、パーソナリティは形成されていきます。したがって、それぞれの人生の過程で私たち個人に備わるスキーマもまたきわめて多彩多様です。  

 個人的スキーマは、自己や他者、世の中や人生についての動かしがたい信念や固定された概念であり、ときに絶対服従ともいうべき強固な人生ルール、疑問を挟む余地のない「事実」としてしみ込んでいるマイ・ルールといえます。

 人生においてそれなりに健全なスキーマを柔軟に行使しながら生きることが望ましいのでしょうけれど、前回もお話した通り、スキーマにはひどく柔軟性に欠けるところがあって、それは個人レベルでのスキーマもまた同じです。つまり、そうはなかなか上手に働いてくれないのが私たちが持つスキーマなのです。過度にポジティブだったりネガティブだったりして現実とはつり合わない非合理的で極端な思考や行動パターンを生み出してしまうような個人的スキーマが染みついてしまうと、人生を生きることがとてつもなく困難なことのように感じられてしまいます。



 

 とりわけ、過去において肉体的精神的虐待や情緒的なネグレクト、貧困といったトラウマになり得る逆境的困難や問題ある社会生活環境、対人関係に継続的にされされてきたような人々であったり、非日常的で異常な災害や事故、犯罪に巻き込まれるなどの強烈な被害体験をした人にとっては、そのあまりに過酷な体験に圧倒され深刻に傷ついてしまった自律心や自尊心、深く刻み込まれてしまった自己否定的感情や根源的恐怖心ゆえに、不適切で生きるにつらいスキーマが形成され、結果としてその後の人生において心身の健康や社会適応に悪影響がもたらされ、場合によっては情緒・認知面での深刻な疾病や障がいにつながるケースもあることが知られています。

 

 「人生は苦痛でしかない」「だれも信用できない」

 「失敗や叱責、間違いは決してあってはならない」

 「私は欠陥ある人間だ。だれも相手にしてはくれない」

 「安全な場所などない」「私は汚れた存在だ」


 個人的スキーマは客観的にはこのような表現として理解されますが、ほとんどの場合、本人が自覚して明確に言葉にできるようなものではなく、自動無意識的にこれらに沿った行動、判断、振る舞い、対人関係を通して「選択」されていきます。

 トラウマなどを受けたことによる根源的な恐怖、不安、恥辱感や自責感情と、そこから導き出されるスキーマを基底とする行動や振る舞いは、周囲からはしばしば理解しがたいものであり、本人もまたそうした不適切なマイ・ルールを持って生きていることを容易に自覚することはできません。こうしたマイ・ルールを持ちそれでもなんとか生きていくことは、絶えずブレーキを踏んでいることに気づかないままアクセルを吹かせ前に進もうと必死になるような苦しいものです。けれども本人にとっては、スキーマに基づいた不適切で場合によっては破滅的ですらある人生観や生き方のほうがむしろ当たり前の「日常」なのであって、そうしたことに疑問を持つことを知りません。そうすることは人生を生きる上でその人なりの精一杯の対処法であり、自分の身を護るためのもろいけれど偽らざる心の鎧だからです。

 非日常的な世界に対処するためのスキーマが当たり前になってしまった人の目には、他者が普通に受け入れている日常こそが「非日常」であり、そこには恐怖と不安、乗り越えるにはあまりに高いハードルが日々待ち構えているようにしか映りません。そして結局その日常にすら逃げ場がないとすれば、残された逃げ場は自分のこころの中にしかなく、そこへ退避しひたすら閉じこもることしか他に道は残されていないのです。

 

 

 カウンセリングを通して、私はこうしたスキーマにまつわる困難な状況に至るには、必ずしも今まで述べてきたような誰にもわかりやすいあまりにひどい体験や過去を経る必要はなく、普通に暮らしている(ように見える)多くの人もまた、その人なりのオリジナルな人生の事情なり体験からくる、他者から見て理解困難なスキーマを抱え悩んでいるのだということを知りました。

 人間である限り私たちは誰もがスキーマを持ち、そのすべてが健全なものであるとは限りません。そのことが意味するのは、社会を揺るがせ私たちを不安にさせる虐待やいじめ、ハラスメント、凶悪犯罪、ひきこもりといった痛ましい社会問題が根絶に程遠いのは、自分達とはまったく無関係でかけ離れた、まともでない人間の所業なのではなく、それらがまさに誰の運命にも起こり得る(た)共通の課題であり、被害者と加害者とはある意味混然あるいは同居しうるのだ、という目をそむけたくなる現実があるからなのだと感じます。

 社会に生きている以上、そこで起きるさまざまな現象の背景に私たち一人ひとりは直接的間接的に「加担」しています。そうである以上、今身の回りで起きている様々な問題について、表面上の異常性ゆえにそれは自分達とは無縁の特別事情でしかないと目を背けるのでなく、私たち自身の問題として真剣に受けとめるべき時にきていると考えています。


 *指輪ものがたり


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by yellow-red-blue | 2020-02-19 10:42 | Trackback | Comments(0)

事件の陰に...あり・スキーマという呪縛② ~ 立春の頃'20


 人間にはスキーマという認知機能上の枠組み、つまりものごとの見方や考え方、行動振る舞いの出発点、原則のような準拠枠がそなわっている、という話題を前回のブログでしました。スキーマは養育環境、教育やしつけ、人生のさまざまな出来事の経験や学習、社会文化環境を通じて獲得され、以降の私たちの思考、判断、行動などに深い影響を及ぼす、事前に組み込まれた情報に基づく心理的構え、あるいは思い込みのようなものです。

 

 ただ、思い込みというとなんだかネガティブな響きに感じられますが、スキーマは私たち人間にとってとても大切な能力です。私たちはスキーマを発動させることによって、身のまわりで起こっているさまざまな事態や対処すべき状況、人間関係といった周囲の情報や要求に対して短時間のうちに適切な判断や決定を下し、実行に移すことが可能になるからです。スキーマは重要な物事をそれなりに達成するための「とっかかり」としてのいわばコストパフォーマンにすぐれた方略であって、これを用いることで、私たちの脳という情報処理能力に限りあるシステムは、日常取り込む膨大な情報を破綻することなく処理しているのです。 

 このスキーマは、人類の長い進化の過程において、ヒトという動物が生き残り、種を存続させるうえで価値あるものとして獲得、継承されてきた知的能力のひとつであるとも考えられています。私たちは日常自分たちがそうしたスキーマを発動させ暮らしているなどとは意識しておらず、自分の持つスキーマに疑問をさしはさむようなこともまためったにありません。



 「人は見かけによらない」「人を見た目で判断してはいけない」こうした人生の助言は、私たちが少なくともなじみのない人や出来事について、まずもって見かけで判断し「がち」である事を意味しています。けれどもこれはスキーマという視点から見れば、まずもって見た目(外観や外形など)の情報あれこれを注視することは、対象や状況についての素早い判断が必要な場合にはとても安全かつ効率的な方法でもあるのです。自分の生命身体を守るうえにおいては、ときにうまくいかないこともあったにせよ、まずまずうまくいく方法なのだということを、人が経験上学んできたからにほかなりません。つまりは見た目にだってそれなりに一理はあるのだ、というわけです。 

 人は自分の身の回りをとりあえず「わかっている」状態におき安全を確保したい、自分の判断や考えが間違っていないと確認したい生き物ですが、残念ながら私たちの脳の処理能力には限界があります。すべての対象について都度詳細に検討・理解し、慎重かつ丁寧にかかわるほど私たちは万能ではないため、その能力をできるだけ節約しながら真に必要なものだけに振り向けるために私たちがスキーマを利用することはある意味とても適応的なスキルなのです。



 スキーマはこのようにすぐれたツールであるのですが、残念なことに大きな欠点もあります。柔軟性に欠けるのです。

 スキーマという機能とその発動は、もともと人類が厳しい環境を生き残り子孫繁栄を継続させるために進化の過程で受け継がれてきた、めったなことでは揺るがない強固な能力です。ですからこの長い年月をかけて組み込まれてきたスキーマについて、私たちが見直しや修正、変更を加えたりすることは実はストレスフルな体験であって、きわめて強い抵抗感を生んでしまいます。本能無意識的に現状維持を意図して抑制的になりがちで、新しい考えや秩序、多様な価値観を受け入れることがとても苦手なのです。

 ときにスキーマと合致しない情報や意見は無視され忘れられ、あるいはスキーマに適合するよう不適切に歪められ、情報の発信元(人)に不快感や敵意すら抱き排除しようとしてしまうこともあるのです。

 長大な進化の歴史スパンに比べれば極めて短い期間に劇的に変化し、すべてにおいて複雑多様化する社会環境に身を置く私たちにとって、かつて価値ある能力として重宝された強固なスキーマはときとしてかなり厄介な問題をかかえてしまうことになります。

 ほんの少し前まで有効に機能していたスキーマがすぐに役立たなくなり、今日の常識が明日には非常識になり得る状況や環境に適応することを絶えず求められる、とてもストレスフルな現状を今の社会は抱えてしまっています。

 現代の社会はなにかにつけスキーマのぶつかり合いの場のようなものです。さまざまな課題について既存のスキーマでは対処しきれず、社会の中に不安や緊張、軋轢、や対立を生み出していきます。まさに「事件の陰に女あり」ならぬ「事件の陰にスキーマあり」なのです。



 ただ、従来のスキーマあるいはそれを抱える人をただ単純に古く時代遅れのスキーマ、人間だとして断罪するだけでは、今社会が抱える問題は解決しないかもしれません。繰り返しになりますが、スキーマという機能とその発動は人にとってなくてはならないものであり、それは安定して強固である必要があります。そうした能力(他の知性も含め)を鍛え上げ洗練されたものにした結果、図抜けて進化繁栄してきたのがヒトという生き物なのです。

 けれども環境や時代が変わればそれは見直され新しいものが生まれる、そのスパンがどんどん短くなりつつあるということに私たちは注意しなければなりません。たとえ法律や制度上の規則やルールなどは時代に合わせて変わっていくとしても、わたしたちの意識の奥底にひそむスキーマはそう容易には変わらないのです。

 真に必要なスキーマの構築やスムーズなスキーマ間の移行が行われるためには、緊張状態にある相互のスキーマの意味理解の共有と友好的な歩み寄りが必要になってきます。非難でも美化でもなく、理解し教訓を得ることが大切です。私たちは人間である以上、ヒューマン・エラーから逃れることはできません。けれども同時に自己訂正を行うことを受け入れ、既存の信念に基づく古いバイアスを新たに理解しなおすことは可能だし、またそうあるべきです。強固なスキーマを堅持するのではなく、より柔軟なスキーマの発動と運用を学ばなければならない難しい時代を私たちは生きているのです。





 今まで見てきたスキーマは、歴史的あるいは社会文化的背景に基づく集団思考的に共有しがちなスキーマといえるのに対し、私のようなカウンセラーが日々扱うのは、相談にみえる方々が抱える悩みや問題の根底にひそむ、むしろよりパーソナルでオリジナルな個人的なスキーマであるといえます。次回はそのことについて触れます。





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by yellow-red-blue | 2020-02-04 12:16 | Trackback | Comments(0)

人は見かけによる?よらない?・スキーマという呪縛① ~ 大寒の頃’20

 

 大寒を過ぎても家の窓にいまだ結露が張る気配のないところをみると、やはり今年は暖冬なのでしょう。個人的にそれほど暖かいという実感はありませんが、暖冬の影響は列島各地で聞かれます。例年なら日常生活に支障をきたすうんざりするほどの積雪があるはずの豪雪地域ですら、積雪ゼロに近いところもあると聞きます。けれども、スキーや冬の雪観光で経済が潤ってきたような地域からすれば、雪のない冬は痛しかゆしを超えてまさに死活問題、今年は暖冬でよかったですね、などと能天気に済まされない切実な悩みなのです。

 数年ほど前、地球温暖化対策や省エネルギーの推進に関するある地元自治体の会合に出席したときのことです。猛暑の続く真夏のその日の議題のひとつとして、都心部の深刻化するヒートアイランド現象が取り上げられ、問題点や健康に与える影響、対策等が盛んに議論されました。コンクリートやビル、自動車、エアコンといった熱源から排出される大量の熱と、湾岸にそそり立つ高層ビル群が海からの自然の空気や風の流れを遮断する影響で、さながら直射日光にさらされ続ける金魚鉢状態に置かれる真夏の都心の不快さが身に染みていた私も、門外漢ながらその障害と早急な対策の必要性について少々意見したものでした。

 ところが、そんな議論を聞いていた専門家のある大学教授の委員から、そう話は単純ではないんですよとやんわり諭されたのでした。

 先生によれば、たとえばヒートアイランドは確かに問題ではあるが、そうした現象を引き起こす都市は、同時に高度に「蓄熱機能」を備えた街でもあり、それはすなわち、冬の時期には逆に保温と発熱の装置として気温の低下を抑え、結果として暖房費などのエネルギー消費を抑え省エネや地球温暖化防止に貢献していること、さらに、そうした暑い時期に発生する熱を冬期にエネルギー消費の著しい寒冷地に振り向けることができれば、人々の快適な暮らしに資すると同時に、これまたきわめて有効な省エネと地球温暖化対策になりうるのだということでした。

 地球温暖化と聞くと、東京のような地域に住む人間は蒸し暑く不快な夏にどうしても関心が向きがちですが、長い極寒の季節を過ごさねばならない多くの寒冷地を抱えるわが国の温暖化や省エネ対策は、冬の視点を忘れてはならないというわけです。自分の一面的な理解からくる誤解や認識不足を痛感したものでした。

 よく考えてみれば、日本は小さな島国にもかかわらず、亜熱帯の様相を呈する地域から世界屈指の豪雪地帯まで他国に類を見ないほど多様な自然環境の中で実際に人が暮らしている国。暖冬や昨今の世界的な異常気象や大規模森林火災の慢性化長期化といった、深刻化するかにみえる気候変動や地球温暖化の問題への取り組みには、実に複雑な背景が絡んでいることをあらためて思い知らされます。





 随分とむかしある方から、『上手な文章を書きたいなら児童文学作品を読んでごらん』と助言をいただいたことがありました。知的満足を得るための大人むけの格調高い文言や凝った表現にやたら塗りたくられたスタイルよりも、相手の心に届くシンプルな文章作りに努めなさないということで、いまだに反省させられっぱなしの私には実に耳の痛い話です。

 説明、講釈、説得よりも、誰にもわかりやすい言葉でシンプルに伝える大切さを味わう。大人目線だけでは決して通用しない子どもの世界を描く児童文学の作家は素晴らしいなと心から思います。そしてそれはとてもむずかしいことなのだとも思います。とりわけそれは、児童向けとはいいながら、大人目線のヒューマニズムや人権意識、教育意図が押しつけがましく感じられてしまう作品にしばしば出会うとき、いっそう強く感じてられてしまいます。

 そんなわけで、以前から児童文学作品を時折手にとることにしています。仕事であれ日常生活であれ、なにやらやっかいごとを抱え頭が疲れているようなときに読んだりすると、童心にかえり物語の舞台に自分もいるかのような気分になり、生き生きとした懐かしさと爽快感がよみがえり、文字通り身も心も癒される思いがするからです。


 


 先日も、図書館で偶然目にしたタイトルに惹かれ手に取り、そのまま最後までいっきに読んでしまった素敵なアメリカの児童文学作品がありました。読み終わった後に、本の著者が比較的若い世代の黒人(アフリカ系アメリカ人)女性の児童文学作家であることに、私は一瞬驚いてしまったのでした。作品の登場人物や舞台設定、話の内容からすれば容易に想像がつくにもかかわらず、一瞬であれ私が意外性を覚えてしまった背景には、私の意識の中に絵本や児童文学作家のイメージについて、ある一定の「思い込み」があったことがわかります。

 つまりたとえば、絵本や児童向けの作品の著者は「白髪交じりで眼鏡をかけ、いつも優しく微笑みかけているような、日本人か白人の年配女性」というイメージです。男性作家やアフリカ系、ヒスパニック系の作者も数多く存在することを知っていたにもかかわらず、そうしたある種の先入観を持って読んでいたために、「若手の」「黒人の」というところに無意識のうちに引っ掛かってしまったというわけです。

 こうした個人的な思い込みのもたらす日常の小さな驚きの経験は数知れません。主人公の黒人警官とその家族、コミュニティに暮らす雑多な人々が織りなす人間模様をリアルかつ抒情性豊かに描くギリシャ系アメリカ人作家、素晴らしい正統派フレンチを堪能後テーブルに挨拶に見えた若い女性シェフ、爽快で成熟、甘美極まりないマエストロ(巨匠)の音の響きを紡ぎ出す気鋭の女性指揮者と無名のオーケストラ、褐色の肌を持つ寿司職人、青い目の日本舞踊家、子どもを優しく巧みにリードしていく男性保育士、クラクションをやんわり鳴らし注意を促しながら狭い通りで大型ダンプを巧みに操る女性ドライバー、子育てや家事に手腕を発揮する主夫、外科医と紹介され、あとから医者は奥様の方だったことがわかったご夫婦、幸せそうに手をつないで街中をめぐる同性カップル。今どきこのような情景などめずらしくありませんが、それでもなおふと自分の中の常識と照らし合わせた際に一瞬ズレを感じるのは、それほど何らかの「思い込み」が「前提」として意識の奥底に残っていたからでしょう。言い換えれば、それらは今では常識になった、かつて自分にとっての「非常識」の痕跡なり名残りといえるでしょう。



 


 このように、私たちが普段なんらかの判断をしたり行動したりする際、オートマチックに前提として参照するような思考や認知の枠組みを専門用語でスキーマと呼びます。スキーマとは、経験や学習によって形成されてきた知識体系の構造で、ある種の「思い込み」「固い信念」「先入観」のようなものです。

 社会文化的背景を持った普遍的(多くの人が共有する)なスキーマもあれば、カウンセリングなどで取り扱うこともある、より私的精神的領域にとどまるスキーマもあります。誰もがこうしたスキーマを様々な形で持ち、影響を受けながら暮らしているといわれています。

 たとえば上で私の個人的な経験として挙げたさまざまな例は、主にジェンダーや性の多様性における典型的な社会文化的背景に基づいたスキーマからくるギャップといえそうです。

 ほかにも人種、民族、移民や宗教にまつわる偏見や差別、障がいや疾患を持つ人への誤解、世代間格差や貧富の格差の広がりといった、近年つとにクローズアップされる社会文化的課題の根底にも、このスキーマの問題は潜んでいます。そうした問題に対する社会的認知も対策や改善も進んでいる反面、変化はそう素早くは訪れず、逆に反動や揺り戻しの現象にも事欠きません。実はそれほどこのスキーマは堅固であり、容易に変化するものではないからです。

 けれども、こうしたスキーマについて、差別的前時代的発想だとして単純に悪者扱いにしたり、そうしたスキーマを持つことがあたかもその人の人間性の欠陥であるかのように決めつけることは正しいとはいえません。

 スキーマとはいったい何でどのような役割を持っているのか。なぜ私たち人はスキーマを持つのかを理解したうえで、よりよい社会を築くためのスキーマはどうあるべきなのかについて考えなくてはならないのです。

 次回は、そのスキーマについて述べたいと思います。






・リサ・クライン・ランサム『希望の図書館』松浦直美/訳 ポプラ社 2019

・ジョージ P ペレケーノス 変わらぬ哀しみは』 横山 啓明/訳 早川書房 2008

・ミェチスワフ・ヴァインベルク:交響曲第2番/第21番 《カディッシュ》

 ミルガ・グラジニーテ=ティーラ指揮、ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)

 クレメラータ・バルティカ/バーミンガム市交響楽団、グラモフォン 2018




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by yellow-red-blue | 2020-01-21 09:57 | Trackback | Comments(0)

歌うたいましょう ~ 冬至&小寒の頃'19


 間もなく90歳を迎えようかというHさんは、私の仕事場からほど近い特別養護老人ホームに入居されていました。彼女には身寄りもなく、行政や福祉担当の職員の方を除いて面会に訪れる人は誰もいませんでした。認知症が進み要介護5の認定を受けているHさんには事理を弁識する能力がなくコミュニケーションする能力もまた欠いていました。時折わずかにあーうーなどと反応がある程度が精一杯、たまに職員さんの押す車いすで施設内を移動する以外は一日のほとんどの時間をベッドで横たわって過ごされていました。その施設に来るまでは様々な事情から都内の病院を転々とする生活が続きましたが、今年に入りやっと空きができた地元の施設への入居が叶ったのでした。

 Hさんには行政の申し立てに基づき裁判所が指名する成年後見人がいらっしゃいました。日常生活と呼べるものがほとんどなく施設でただ一日一日が過ぎていくHさんの現状をみて、援助する者としてせめて何かできることはないかと、後見人と行政の担当者から私のもとに精神的援助の依頼があったのは、桜の季節ももう終わろうとしている4月の初旬の頃でした。

 心の支えとはいっても、通常のコミュニケーション能力を欠いたHさんに対して、私が普段仕事でおこなうカウンセリングや対話アプローチがほとんど用をなさないのは明らかでした。正直どのような接し方をしていけばよいのか定かでなかった私は、事前に関係する方々と話し合いの時間を持ちました。その中では、Hさんの健康状態に配慮しながら施設の活動や行事にできるだけ参加していくことなどを確認していきました。

 私が個人的に一番大切だと感じたのは、できるだけ一緒にいること、誰かと一緒にいる時間を増やすことのように思えました。それは普段なかなかかなわないことだからでした。施設の入居者であるHさんにはそれこそ様々な人がかかわります。施設職員の各担当の方、医療関係者、行政の担当者や後見人の方。けれどもみなそれぞれに役割や職務があり、処理しなければならないことは山積みで、配慮や援助を必要としている人はもちろんHさんひとりにとどまりません。できるだけの努力はしながらも、いつしかわずかな時間しか割くことがかなわずHさんを通り過ぎていく日常にならざるを得ません。そういったHさんの日々の生活を何とか少しでも変えようと考えていました。施設行事のある日時に合わせて柔軟に訪問回数を増やしたり、時間の許す限りできるだけ長く一緒にいるように気を配っていきました。

 もう一つ、Hさんが置かれている境遇に自分が置かれたらいったい何を一番欲するだろうかと考え、お天気と健康状態の許す限り散歩をしたり外気に当たり、季節を感じる機会を増やすことを意識しました。日々繊細に変わりゆく木の葉、木立を通り抜ける風の肌ざわり、見上げる空にまぶしくただよう雲のゆらぎをいま一度味わってほしい、そう思ったのです。

 


 ふだんのHさんの状態は様々です。表情に精気も気力も感じられず、おぼろげな視線が宙を舞いただひたすら沈黙する日もあれば、顔色もよく私ときちんと目を合わせたり、たまにうめきとも満足ともとれる声を発し、せわしげに手を動かすこともあります。私が首からぶら下げる施設入館証を意味ありげに凝視する様子などなかなかに表情豊かな日もあります。「おやおや、きょうは“めぢから”があるね。イイ感じだね」などと巡回医師から太鼓判を押される日もあれば、体調がすぐれないので施設から面会を控えるよう連絡が来ることもありました。

 それでも、ひたすら一緒の時を過ごすことを目標に施設通いを続けました。何か特別な変化を期待するわけでもなく、ただ表情や身体をうかがいながら一方的に私が話をしたりベランダに出て外の景色に眺めたり、施設内をひたすらぐるぐる回ったりするなどの日々が続きました。

 

 施設内のいろいろな催しや人々にほとんど反応を示さないHさんが唯一関心を示したように感じられたのは歌の時間でした。

 「一緒に歌いましょう。」定期的に施設を訪問されている音楽療法士の先生がある日そう言って誘ってくださったのは、先生のピアノ伴奏とボランティアの司会に合わせて入居者とその家族みんなで合唱する時間でした。

 「夏の思い出」「たき火」「ふるさと」「海」「ちいさい秋みつけた」...認知能力を著しく欠いたHさんでさえ、どこか懐かしい記憶がよみがえったのでしょうか、こうした懐かしい童謡や唱歌のいくつかが集会室に静かに響き渡りはじめると、Hさんはやがてせわしなく腕をうごかしたり、私が目の前に掲げる歌詞カードに必死に目をやったり、何事かうめき声を発し続けるのでした。それはまったく歌っているようにも感じられました。普段決して見ることのできないそうしたHさんが見せる身体反応は、たとえどのような精神状態であろうと、音楽や歌が聴く人の心を無条件に揺さぶり、奥底に眠る意識や遠い記憶の断片と情緒的に共鳴することを示すに十分な光景にも感じられました。

 


 そんなことで半年が過ぎていきましたが、少しずつHさんと心を通い合わせることができるようになったというほのかな感触がある一方で、Hさんの身体の衰えはその間にも確実に進んでいきました。夏を過ぎ秋が深まる頃から急速に衰えが目立つようになってきました。

 老衰のため食事をのどに通すことが難しくなってきました。血管を上手に確保することができないため、点滴による栄養補給ももはやままならない状態でした。目に見えて細く小さくなりながら、認知症ゆえにその自覚も苦痛も訴えないHさんを見る後見人や私にとって、なすすべなく衰えていくHさんの姿を見るのは辛い日々でした。他に選択肢などないことを理解しつつ、そうした事実をあまりに淡々と受け入れているように見えた施設職員さんや医師に対して、無知ゆえのどこか納得のいかない感情をつい抱いてしまったりもしました。


 12月に入ったある時、面会を終えいつものようにHさんにかがみこんでさよならを言おうとしたとき、Hさんが突然目を見開きあたかも苦痛に顔をゆがめたかのような表情を突然に見せたので、私は思わずぎょっとしてしまいました。どうしたものか戸惑ったのもつかの間、私の背中を忙しく通り過ぎようとしていた看護師の方がちらりとこちらを見ながら立ち止まり、「あら、Hさん嬉しそう。よかったね。いつもいっしょにいるので感謝しているんですよ。わかるんですね」笑いながらそう話してくださいました。それは私の存在を覚えていてくれているかもしれない感触を味わったほとんど唯一の出来事だったのでした。

 


 そんな言葉に勇気づけられ、また次に面会する日を心待ちしていたクリスマスを間近に控えたある日、Hさんはひっそりと息を引き取りました。さしたる兆候もなく穏やかな最期だったと職員の方は話してくださいました。90歳の誕生日まであと数日のことでした。 


 人の死によって唐突に「仕事」が終わるのを初めて経験した私は、それをどのように受け止めてよいのかわからず、何とも表現のしようのない喪失感に襲われました。仕事という意識が次第に薄れ、Hさんの最晩年、最も多くの時間を過ごし、一緒に移り行く季節を味わったのが、縁もゆかりもない赤の他人の自分であったことがそのことを余計に意識させました。

 そんな時私の心の中には、Hさんが本当のところどんな思いで最期の日々を過ごしていたのか、私のことをどう思っていたのかを知りたいという願望と、にもかかわらずそれが分かることはこれからも決してないのだという苦しさがあったのだと気づかされます。生きたことの証し、それはしょせん今はまだ生きている人間の側の欲にしかすぎないのかもしれません。

 誰もが死に臨んで生きている。誰もが生まれた瞬間からある意味死につつあるのが人生。人生で唯一確かなこととはいずれは誰もがいずれ死んでいくということ、Hさんも私も常に死にゆく瞬間瞬間をこれまで生きてきたということでは変わりのない存在なのだと思い知らされます。

 

 けれども死以外何も確実なことなどないのであれば、人生とはまた、無限の可能性の中に絶えざる希望の灯をともし続け前につき進むことしかないではないか、そしてそんな勇気が人に、自分にいつも可能だったらどんなにか素晴らしいことか...

 漠然とした不安とほのかな期待とがないまぜに胸に去来するとき、職業柄かどこかに自分もまた支えを求めているのでしょう、気がつけばしばしばHさんが好きだった(かもしれない)唱歌をひとりつぶやいてしまう。そうしてこの一年もまた過ぎようとしています。

 どうか素敵なクリスマスを、そしてよい新年をお迎えください。




 


 つまり、なるほど人間は死ななければならない。しかしだからと言って人間は、なにも死ぬために生まれてきたのではない。そうではなく、何か新しいことを始めるためにこそである。生まれてきた人間とともに世界にもたらされた真に人格的―人間的な基層が、生のプロセスによって摩滅してしまわないかぎりは、これが事実なのである。

  (ハンナ・アーレント「活動的生」(英題:人間の条件)森一郎訳、みすず書房)




 ギャッツビーは緑の灯火を信じていた。年々僕たちの前からあとずさりしてゆく底抜けの騒ぎの未来を信じていた。そのときになれば、肩透かしを喰うのだが、そんなことはかまわない―明日になればもっと速く走ろう、さらに遠くへ腕をさし伸ばそう。 ...そしてある晴れた朝―

 だから、過去のなかへ絶えずひき戻されながらも、僕たちは流れに逆らって船を浮かべ、波を切りつづけるのだ。

  (スコット・フィッツジェラルド「華麗なるギャツビー」大貫三郎訳、角川文庫)





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by yellow-red-blue | 2019-12-23 18:13 | Trackback | Comments(0)

大人はわかってくれない ~ 小雪&大雪の頃'19


 11月も終わりにさしかかり、北国から初雪や積雪の便りが届き始め冬の到来を告げつつ、身に応えるほどの本当の厳しい寒さはもう少し先になるまでのほんのつかの間の時間、小雪という節季名にはそんなニュアンスが込められています。東西に長い日本列島には紅葉もまだまだこれからが本番という地域も多いですが、東京あたりのそれはもうすでに終わろうとしてます。

 冷たい北西の風が吹き抜ける日に街路樹の落ち葉が宙をちらほら舞い、枯れ葉がかさかさと足元にまとわりつきながら行き過ぎる光景は、毎年見慣れたものとはいいながらそのそこはかとないもの寂しさと控えめな自然の美しさにしばし心ひかれて歩みもつい鈍くなりがちです。

 少し話題はそれますが、和歌の世界においてこの季節ならではの木々の葉の色や姿の変わりようにもの寂しさの趣を感じ取り、美意識として評価されるようになるのは中世鎌倉初期、藤原定家らが編纂する「新古今和歌集」あたりからというのが定説です。それよりずっと以前、古代万葉の時代では、紅葉のその色鮮やかな美しさとダイナミックでミステリアスな自然変化の霊威への感動が歌の主たるモチーフであったといわれています。けれどもそれはもちろん古代の日本人に「寂寥」や「寂寞」といった心理感情が欠如していたわけではありません。膨大な和歌を収める万葉集の中でも、わびしさや貧しさ、寒さ病、別れや恋慕といった人生の苦悩を、終わり流れゆく季節と重ね合わせながら歌われているのを目にします。寂寥や寂寞という言葉は、静かで孤独なもの寂しさだけでなく、言い尽くせぬどこか満たされないざわざわしたこころの揺らぎともまた無縁ではありません。晩秋から初冬にかけての今頃は、そうした複雑な思いが私たちの胸を去来する一年のうちでも特別な季節であることに今も昔も変わりはないのでしょう。

 

 先日、いつも何かとお世話になっている先生が主催する勉強会に出席しました。深刻な心身の病に苦しむケースから、日常の暮らしで起こりがちなさまざまな困難や葛藤、悩みに至るまで、人生のリアルをディスカッションする場として、文字通り勉強になる機会を定期的にいただいているものです。

 そこで取り上げられた事例のひとつに、高校生男子を子に持つ母親からの相談がありました。成績優秀で一流大学へと進学するものと期待されていた子どもが突然こともあろうに、大学へは進学せず料理人になるための修行がしたいと宣言したことへの戸惑いと両者の対立がその内容でした。子を持つどの家庭でも起こりうる親子間の葛藤、わが子の将来のこのことを考える現実的、社会配慮的願望を持つ親の立場と、さまざまに心が揺れ動き漠然としながらも夢を語りたいがうまく切り出せない思春期の青年の心との溝はなかなか埋めるには難しい問題です。両者の心のひだのうちや人生の背景を読み解きながらどのようなかかわりと対話を進めるのがいいのかをさまざま話し合いつつふと、私は自分が大学生の頃家庭教師のアルバイトでしばらく通っていた4人家族(父母兄妹)の家庭のことを思い出していました。

 私が勉強を見ていた下の女の子が無事志望高校に合格し、本人や両親に喜ばれつつアルバイトを終え数日ほどたったある日、母親から連絡があり「相談に乗ってほしいことがある」と切り出されました。大学受験を控えた上の兄が勉強にまったく熱を入れず、学校でも問題児扱いされ毎日ただふらふらしているので、いろいろと言い聞かせてほしい、親とはほとんど口も聞かず自分達にはお手上げなのだということなのでした。何事にも熱心に取り組むまじめな妹の成功を目にしたばかりの親からすれば余計に兄の現状にあせりや危機感もあったのでしょう。けれども細かな事情も分からぬ赤の他人でしかもその高校生の兄とさして年齢も変わらぬ二十歳そこそこの当時の私にいったい何を語れというのか、正直とても困ってしまったのでした。

 けれども、食卓のテーブルを囲み母親と兄、(なぜか)妹と私の四人での話し合いで今でも覚えているのが、他人である私を前にしての多少の誇張なり照れもあったにせよ、その心配な様子とは裏腹の母親の息子へのいわば紋切り型ともいえる決めつけ的な評価と兄の心情への想像力の欠如でした。決して家庭や親になにか特別問題があるようには思えず、暖かく良い雰囲気を持った普通の家族でありながら、なおあるその深いギャップにやや大げさながら愕然としてしまったのでした。優しく控えめですらあった母親は、心底途方に暮れている様子だったのです。

 迷った挙句に私がしたことは、兄に言って聞かせるのでも母親の見方に異を唱えるのでもなく、つい数年前にそうだった自分が何を考えどんな気持ちを味わい、何にあれこれ思い淀んでいたのかをただできるだけ率直に話すことでした。そしてそれは説得を期待していた母親からすればおそらくがっかりするものであり、一方終始一言もしゃべらず誰とも視線を合わせようとしなかった兄は、話の途中ただ一度だけ私に和やかな視線と表情を向けてくれたのでした。多少なりとも共感するところがあったかもしれないし、そうでもないかもしれないなどと思いつつ、あの一瞬垣間見せた表情を母親は見ていて何か感じてくれたろうかと、ただそう思ったものでした。





 勉強会からの帰り、地下鉄の途中の駅で若い母親と女の子が乗ってきて、立っている私の横の空席に仲良く腰を下ろしました。小学校低学年らしき女の子はどこかの学校の制服にきちんと身を包み、行儀のよい利発な子どもに見えました。二人はしばしひそひそ会話を交わし、その後何やら神妙な面持ちでスマホ画面に没頭し始める母親の横で女の子はおとなしく座っていました。その向かい私の背後では、私が乗り込む前から二人の幼稚園ぐらいの女の子とその母親たちが腰掛けていました。ふと気が付がつけば、周囲にはなんとも理解できない二人だけのお遊びを楽しげに繰り広げる子どもたちとその傍らで気心の知れた母親同士会話がはずんでいる様子を、どういうわけだか私の前に腰掛けている小学生の女の子はそれこそ息をひそめるかのようにじっと、しかもやがて私が地下鉄を降車する段になって以降もやむことなくずっと凝視し続けていたのでした。その姿にはどことなくはりつめた緊張があり、膝の上の両手はぎゅっと白く硬く握られているのがわかりました。それでいてその眼や口元の表情には羨望とも諦観とも淋しさともとれる真剣なせつなさが色濃く浮かんでおり、まだ幼い少女がこんなにも複雑で陰影に富んだ表情をするものかと思わず見入ってしまったほどでした。もちろん何が彼女の中で起きているのかなどは推測のしようもありませんが、職業柄のうがった見方に過ぎないと片付けられないほど後々まで考えさせられるなぜか緊迫感のただよう光景でした。

 ただその時私は、傍らのお母さんは何か大切なものを「見逃した」かもしれない、と感じていました。彼女がだから母親失格なのでもスマホに見入ることが悪いのでもなく、親子とは言いながらすべてを観察し理解できるはずもないことも重々承知しながらも、でも私はそう感じたのです。



 

 私たちは日々ささいで大切なにかを見逃していて、その積み重ねが人の人生をときに難しくしていくのだと感じることがあります。人生とはさまざまな出来事を体験し、経験や学習や知識をつみ積み重ね人として成長していくものだ、人生は足し算でありいいことも悪いこともけっして無駄にはならない、とよくいわれます。分からないではありませんが同時に、私たちは日々多くを見逃して生きています。日々失いながらそれについては無知だったり気がつこうとしなかったりしながらもまた人生は進んでいるのだ、ということはつい見過ごされがちです。それは私が学生時代に経験したあの親子のときも、勉強会の事例で取り上げられた親子でもそうだったのでしょう。今でも日々の仕事を通じた出会いでそれを感じることがあります。

 カウンセラーとして私が可能なかぎり直接面接相談の方針を重視するには、そこに多様で複雑な「見逃せない」今があると思うからです。たとえアナログ的であろうとそこを丁寧にすくい取っていかなければと考えるのです。私たちの心と身体は驚くほど多彩な機微や表情、そして情報を発しているものです。それを感じ取りながら対話を続けていくことはとても根気のいる作業です。子供や青少年の心情は、とくに私たち大人が考えている以上におどろくほど日々揺れ動き、そして変わっていくものですが、彼らがそれを自覚しうまく整理して周囲に発することはとても難しいことです。けれども誰かがそこを見逃してしまったらもう二度とチャンスはめぐってはこない、そんなことだって人生には起こっているのだ、とも日々考えさせられてしまいます。

 


 自戒も込めて言わなければいけないことですが、昨今なにかと頻繁に用いられる「向き合う」「寄り添う」「見守る」といった困っている人々に手を差し伸べる意味での説得力あるように思える言葉は、そう簡単に実践できることではありません。なぜならそれらにはとても時間と手間暇が必要になるからです。いまどきの便利でお手軽な手段や媒体を駆使したやりとりに頼るだけではけっして十分とはいえない、心のひだの奥底をあれこれ手繰り寄せるそんな手間と暇を惜しまないことにほかならないからです。  

 そうした言葉は、本来文字通りの意味で使われるべきです。「向き合う」は相手と直接に会って話し合うことであり、「寄り添う」は本当に隣にいて見守り対話することであり、「耳を傾ける」とは予断を持たずに相手の言葉の背後の世界をさまざま想像しときにそこへ深く浸ることであって、それらはすべては何かを見逃しているのではないかと疑い、時間と手間をかけ、繰り返し心を配ることにほかなりません。けれどもそれはとりわけ今の社会が一番不得意とするところのように思えます。さまざまな「大人の事情」がそれを許さないのです。本来力を持っているはずのそうした言葉が、どこか周囲で支える側の自己都合やタイミング、迅速な目標達成結果重視を満たす方便として耳ざわりがいいだけのものごとなり施策に変わっていってしまっている気がします。相手に共感し支えていくための「どうして?なぜ?」が容易に「どうして!なぜなの!」に変わってしまうものなのです。

 

 向き合うとは、寄り添うとは、見守るとは、「見逃さない」よう辛抱強く心を配ることです。不可能なこともあるでしょうけれど、そうした意識を強く辛抱強く持たない限り人は本当には動くことはできません。そしてそれはまずもってまだ幼かったり若いうちに、家族や近しい相手がすぐそばにいる間だからこそかかろうじてできることなのかもしれないのです。見逃さずにいられるチャンスは大人になっていけば次第に減っていき、やがてそれは周囲の他の人々にゆだねられていきますが、見逃すことに慣れてしまっているその後の社会関係においてあれこれ求めるのはやはり難しいことです。私たちのようなカウンセラーが存在する理由のひとつがそれです。子供に罪はありません。大人の世界ですらできないことを子供や若者には求めようとしたり、彼らに対しては何とかできるはずだと安易に思うことこそ、今まで「見逃して」きたことの証しでもあるのです。

 心配ない、時間なんてたっぷりあるから問題ない、そう胸張って誰しもに応えられる大人が多く生きる社会が本当に豊かな社会なのだと痛感します。誰だって人知れず誰かの助けを借り、誰かの手を煩わせ、誰かの不幸の原因にすらなりながら、それでも生きるのですから。



 

 地下鉄を降り夕刻の路地を歩いていると、後ろから次第に近づいてくる二人乗り自転車の親子の会話が乾燥した空気に乗ってよく響いてきました。

「今日どうだった?楽しかった?」

「うん楽しかった」

「お弁当全部食べた?」

「全部食べた」

 後ろ座席の子供の弾むような返事がこだまします。

「えらい!」「うん」

「で、お弁当美味しかった?」期待げなトーンでたたみかけるお母さんに

「...」

 期待したタイミングで期待した返事が返ってこずに母親ばかりか私もあれ?と同時に、私の横をすーっと通り抜けていくママチャリ。うしろ座席の男の子はがっくり肩を落としうつむく一方、それを背中に感じ取るお母さんも無言のまま。コメディのワンシーンを見るようなその絶妙な間に私は思わず笑いをこらえました。

 枯れ葉を舞い上げながら夕闇の家路を急ぎ軽快に疾走していくママチャリ親子の姿はほほえましく、素敵に見えました。

 今日はいろいろな親子からいろいろなことを教わった、そんな気がしていました。




 

「大人は判ってくれない」(フランス、1959年)

製作・監督:フランソワ・トリュフォー

脚本:フランソワ・トリュフォー、マルセル・ムーシー  

主演:ジャン=ピエール・レオ、パトリック・オルフェ





 “学齢期の子どもは、内心感じ考えていることを的確に表現する言葉をいまだ会得してはいない。

 表面上は子ども子どもして屈託なく、あるいは葛藤なく見えても、内面ではこの世の現実の何たるかを次第に知り、事の本質の光と影を次第に垣間見知って、言語化を十分できないながらも、生について、現実的にいろいろ感じ思いめぐらしている、それは今日とて同じであろう。”

 (『ジェネラリストとしての心理臨床家~クライエントと大切な事実をどう分かち合うか』 村瀬嘉代子 みすず書房)






最後までお読みいただいてありがとうございます。

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by yellow-red-blue | 2019-11-23 09:04 | Trackback | Comments(0)

ハラスメントへの対処・攻撃する人の心理⑥ ~ 立冬の頃'19


 私たちの誰もが、社会生活を送る中で人間関係に何らかの対立や緊張関係を経験します。意見が対立し相手に対し不満を口にしたり、ときには口喧嘩をすることもあるでしょう。内心激しい反感や敵意を抱くことだってあるかもしれません。これらもまた攻撃と言えるでしょう。けれどもその攻撃の程度が社会一般常識を著しく逸脱し、精神的肉体的に相手を著しく傷つけ辱め、追い込むような言動を繰り返す人がいます。深刻なハラスメントやいじめ、虐待、DV、モンスタークレーマーといったケースです。

 そうした極端な行為に及んでしまう背景の一因には、人類の元々持っている自分を守り生き抜こうとするさまざまな生理的防御反応が関係していると今まで述べてきました。そうした反応は、進化の過程で劇的な変化を見せてきた人類の集団的社会環境においては、次第に不要あるいは不適応なものとなってきたため、人は人生の成長過程における学習なり経験を通じて、それらを上手に調整しながら生きていくことが求められてきたのです。

 けれども精密機械のようにはできていない私たち人間の肉体的精神的メカニズムは、性格や気質、体質などの先天的あるいは遺伝的なものから、家族や社会生活環境などの後天的なものまでさまざまな要因に容易に影響を受けてしまう存在です。たとえ同じような出来事を経験したとしても、それをどのように体験、理解し、それがどのようにその後の個々の人格形成に影響を与えたのかについてはそれこそ無限のバリエーションが存在します。

 その無限のバリエーションゆえに私たち一人ひとりは豊かな個性と人間性を獲得し、社会の成長と繁栄が実現されてきたことは間違いありません。けれども世の中には、社会生活をうまく生きるため十分な学習経験を積むことのかなわない厳しい逆境的な環境の中成長せざるを得なかったり、過去の精神的傷つき体験から立ち直れず深刻なトラウマや心身の疾患を抱えながら生きてこざるを得ない結果、どうしても円滑な人間関係を築くことができずトラブルを抱え込んでしまう人々も大勢います。そのような人たちにとっては、いまもって世の中や人生は危険や緊張に満ちており、安全と安心には程遠いものに映っているのです。

 ここまでの連載で、嫁いびりや家事ハラに始まってハラスメントなど攻撃する人についてさまざま話題にしてきましたが、ではこうした理不尽な攻撃を向けられた場合、いったい私たちはどう対処したらいいのかでしょう。




 

 攻撃してくる相手に対してこちらからも具体的な対抗手段なり行動を起こすということになるとやはり慎重にならざるを得ません。相手が悪いからといって、一方的に敵視し公然と反抗すれば逆に事態を悪化させてしまうこともあるでしょうし、そんな表立った行動に出ることに躊躇してしまうことも多いでしょう。場合によっては対決をうまく回避したり、上手に立ち回って被害を最小限にとどめる方法も考えたほうが賢明な場合もあるので、ハラスメント対策にこれだという正解はなくケースバイケースで考えていかざるを得ないのが実際のところなのです。

 ただ大切なのは、相手どうこうよりもまずハラスメントについてこちら(自分)側にブレない心構えをきちっと作ってそれを維持することです。具体的に何をすべきか以前に、精神的に圧倒されずに精神的に優位な状態を維持し心に余裕を作ることが、ハラスメント対策の大切な大前提です。そのブレない心構えには2つポイントがあります。

 ポイントのひとつめは、ハラスメントのような理不尽な攻撃的な行為は、例外なく許されないものであることを「自分自身に」常に確認しておくことです。相手に言って聞かせることがもちろんなのでしょうが、それを言って収まるようであればそもそも問題にはなりません。彼らの多くはそうした行為を「せずにはいられない」事情なり背景をもった人々であるため、それが重大な問題であるという認識が希薄です。ですから私たち側でそこがブレてしまうと、相手の高圧的な態度や言動につい気後れしてしまい、「自分にも原因がある」「ああいうものの言い方をしてしまう人だけど本当は...」「周りは気にしていない」「相手は偉いから逆らえない」などとかえって自責的になってしまい、そうなると決して問題は解決しません。

 ハラスメントは、理不尽に相手を辱める精神的肉体的攻撃であり、相手の人間性に対する身勝手な決めつけや人格否定です。何か問題があるのであれば、そのことについてどのように解決すべきかを考えることを目的とするような、一般常識的な叱責や注意、指導、罰則とは別次元の行為であって、言葉はきつくなりますが、身勝手な欲求を満たそうとヒステリックに駄々をこね続ける幼児のふるまいに近いものです。

 注意しなければならないのは、攻撃する人はハラスメントとそれ以外の区別がつかないからそうした行為をしてしまうのですが、攻撃を受ける側にもそうした区別が明確にできていないと精神的にまず追い詰められてしまいます。相手の言動に注意しハラスメントと他のこととをしっかり区別し、ハラスメントは決して許されないという自分の気持ちを確認し維持することが大切です。たとえ自分の側に何らかの非があろうとなかろうと、状況がどうあろうが関係ありません。お互い様が社会であり人間関係なのです。間違いや意見の食い違いは誰しもにあり、人生や人となりはそれぞれなのだということをどこか拒否し、人を信用できずにいるところが、攻撃する人に共通している点です。




 

 ブレない心構えの二つめのポイントは、「攻撃する相手は実は恐れている」ということを押さえておくことです。攻撃する人の多くは、一見すると強く高圧的に自信たっぷりに見え、さも自分のほうこそ正しいとの正論や大義名分をさまざま言い立てます。けれどもそうした表面上の態度とは裏腹に、実は彼らの多くはかなり弱さを抱えている人々なのです。このことはこのシリーズを最初からお読みいただいているとなんとなくお分かりになるかもしれません。様々な背景から周囲を「恐れる」がゆえに、声や態度が大きくなるのです。威圧的な高慢さと臆病さとは紙一重の違いしかありません。すべてのケースに当てはまるわけではありませんが、彼らの多くは周りを威圧、否定し、常に自分にとって安心できる関係や環境を維持しなければという観念が極端な人で、そうすることでしか自分を保つことはできないと信じて生きて来ざるを得なかったなんらかの事情を抱えてきた自己否定感情の強い、本当は自信のないどこか深く傷ついてきた人たちといえます。

 脅威を過剰に認識する自己防御反応センサーを人生や社会生活のそこここに張り巡らし、ひたすら傷つかないためのマイルールで武装することでやり過ごしてきたために、自分があまりに硬直した考えにとらわれており、ほんのささいな出来事や違いや変化に耐えられず過剰に反応してしまうことに気づくことができません。社会には多様な考えや生き方をする人がいて、人生には成功も失敗も、うまくいかないことも納得できないこともある。そうしたいわば人生の大前提を柔軟に共有できないため、極端なマイルールに合致しないたいていの他人の存在と言動、社会状況は彼らにとってはそれだけで十分に脅威で、ときに自らを否定されているかのような衝撃として受け取ってしまいます。すべてを自分色に染めないと安心できないかのような一見身勝手なふるまいは、虐待やDV、ネグレクト(加害、被害者ともに)、モンスタークレイマーや危険あおり運転加害者といったケースの多くに当てはまる心理と言えます。

 

 

 今回述べたハラスメントに対処するために基本となる二つの心構えは理解するのは簡単ですが、心の中で実践するのはそうやさしいことではないかもしれません。けれども繰り返しになりますが、ハラスメントに適切に対処していくためには、まず精神的に圧倒されずにできるだけ心に冷静さと余裕を確保しておくための工夫に取り組むことが大切です。相手がなぜそんなことをしてくるのかといった、相手の事情についてあれこれ思い悩むべきではありません。そうしてしまう人はそうしてしまい、そうするほかないのです。ことハラスメントのような理不尽な攻撃に関しては、1たす1は2であることに何ら疑いを持たないのと同じように、こちらに一切の非はなく恐れる必要はない、恐れているのは相手の方であると信じることが、相手と対峙する際もパニックになったり隷従することなく、状況判断や対処の仕方に余裕と変化を生み出す力となります。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

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by yellow-red-blue | 2019-11-07 20:41 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、仕事について、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。記事のどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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