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旅のおみやげ話 ~ 秋分の頃'15

 

 たまに会って食事しながら、お互いの近況やよもやま話に花を咲かせる古い友人の娘さんとしばらく前にお会いしたときのことです。
 学生時代の留学経験を含め、海外経験豊富で旅慣れしていて一人でどこへでも行くという彼女が、忙しい仕事の合間を縫って、ちょっと早い夏休みを海外で過ごすという計画を実行に移した旅行での顛末を話してくれたのでした。
 いささか凝り性のところもある彼女がインターネットや書物で徹底的にリサーチし、検討した結果今回選んだのは、カナダの大自然をめぐる(彼女にしては珍しく)パッケージツアーでした。
 とにもかくにも島国の日本では味わえないような異次元体験の話が聴けるのでは、と期待に胸を膨らませ話に聞き入ったのでした。

 ところが今回の旅は、最初からトラブルとはいかないまでも予想外の事態や期待を裏切る事態てんこ盛り状態だったそうで、普段は気ままな一人旅の彼女が危惧していた様々な事態が浮き彫りとなりました。

ここでは詳しい内容は省きますが、確かに話を聞けばそれは散々な旅でしたね、ひょっとして安いツアーだった?などと不平不満オンパレードで話が終始しそうな気配だったのですが、あにはからんや当の彼女からは、どことなく楽しげなトーンが伝わってきたのです。


 どうやらその理由は、ツアーに参加した日本人の方々にあったようでした。
 みな優しく素晴らしい出会いだったとかそういうこととはちょっと違って、それどころかフタを開けてみれば、彼女を除いてほぼ全員が高齢の方ばかりの、いかにもな日本人観光客ツアーだったといいます。
 うんちくと知識の披露の多い旅行慣れを自認する老夫婦、海外に来ても日本の日常をどっさり持ち込み注文の多いマイペースおばちゃんグループ、いつも突拍子もない行動に走り、周囲をやきもきさせられる不思議キャラなお一人様参加のご婦人、洋食が苦手なのか食事を和風に勝手にアレンジし、いつもその匂いを周囲に漂わせる(しばしば彼女の衣服にまでまき散らす)会社社長の男性などなど。

 彼女にとって、いってみればできるだけ距離を置きたい人たちとのツアーだったわけで、ひとりずっと若く単独参加した彼女は、案の定というか予想通りなにかと好奇心と質問攻めのターゲットになるは、いっぽうで世話役・通訳兼案内役のような立場にもなったり、ときにあたふたと空港をホテルを街をと右往左往する始末。他のツアー参加者が、夕食後夜の街に嬉々として出かけていくのを横目に、ひとりホテルの部屋でぐったりもしばしばだったそうです。

 それでも、彼女がじわじわと実感したのは、日本人であることの良さ、暖かさだったようです。
 ツアーに参加した方々が、常にマイペースで無理したり背伸びしたりするわけでもなく、それこそ自分らしさを惜しげもなくさらけ出しながら、不慣れと不便さに自然体で向き合い、不満や不安をときに口にしつつも、それらすら旅の一部として受け入れ泰然と振る舞い、笑顔を絶やさなかったのを見て、次第に彼らの高齢と人生経験ゆえの柔軟さや鈍感さ、たくましさに惹かれていったようです。

「あれ、何だかがっかりだわねぇ」
「なんとかなるものよね、フフフ。」
「なにはともあれよかったじゃないの」
「あなた、いろいろと世話になったわねぇ」

 すでに豊かになり海外旅行など珍しくもなくなった時代になっても、様々な過去の時代を生き、今があるこうした世代の方々にとって、もしかすると海外旅行は何度経験してもありがたい『憧れのハワイ航路』のままなのかもしれません。

 ツアーの最後あたり、気が付けば彼女は皆さんと一緒にいることに不思議な心地よさと安心感を味わっていたそうです。
 忙しさの合間にやっと取ることのできた休暇、「海外を、非日常を思い切り楽しまなくちゃ、何か新しい発見がきっとあるはず。」と肩に少し力が入り、ちょっと構えるようにバカンスに臨んでいた自分に気付かされたかのようでした。
 今回の海外旅行が彼女にもたらしたものは、期待に胸膨らませたカナディアンロッキーの圧倒的な大自然でもバンクーバーの美しい街並みでもなく、自分とツアー参加者とで何やら共有する日本人であることへの感謝のような気持ちだったのでした。
 日本を脱出してはじめて味わう、そんなものなのかもしれませんね。

 そして彼女が下した今回の旅の総括は以下のようなものでした。
 「慌ただしく、予想を裏切ることばかりで散々だった旅。でも、このままずっと続いてほしかった」

 『旅は道連れ世は情け』
 何となくわかる気がしませんか?不思議なものですね。

 でもやっぱり(折角の海外旅行だったから)食事はもっと美味しいほうが良かったかなぁ~
 そこのところは、わたしたち二人の間で確かな意見の一致をみたのでした。
 2015923日)

 
メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave麻布十番ウェブサイト
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by yellow-red-blue | 2015-09-23 10:02 | Trackback | Comments(0)

お寺の標語(Ⅱ)~ 白露の頃'15


           子は親の思うようには育たない
           子は親のするように育つのだ

 こちらもどこかのお寺の掲示板で見かけ、深く印象に残っている言葉です。
 「親の背を見て子は育つ」「子は親の鑑」と同じ含蓄ですが、子どもの頃の親や大人の接し方が、子どものその後の人生や人格形成に深い影響を及ぼすことが心理学の世界では知られています。
 それに気づくことなく成長し、以降の人生においてさまざまな壁に当たり、なぜ自分はこうも悩み苦しむのか自らを責め続ける人も少なくありません。


 子も人間なら親も人間、大人とて間違いも犯すし、未成熟な部分や欠点も当然あります。
 反面教師としての親も受け入れ学びつつ、同時に親への変わらぬ尊敬の念と深い情愛を抱き、何のわだかまりも屈託もなく、すくすくと大人への階段を昇っていく、というのが理想かもしれません。
 しかし現実には、子どもの頃からそのように高く安定した自己をもって生きることは、なかなか容易なことではありません。

 何故ならば、子どもはやっぱり子どもだからです。
 生きていくうえで絶対的な支配力を持つ親に対して、幼い子どもはとても不安定で無力な存在です。
 どのような形であれ、その親から否定されるようなメッセージを子どもなりに受け取ってしまうと、成長途上にある幼い子どもの心には、生き物としてその生存を脅かされるほどに根源的な強い恐怖や不安が深く刻まれるかもしれません。

 それが間違っていようと根拠なきものであろうと、そんな思い込みがよもやその後の自分のものの考え方、生き方の根底にあるなどとは、もちろん思いもつきません。
 こうしてその後子どもが成長し、経験を積んだ大人になったこんにちにおいても、そうしたメッセージは様々なネガティブな思い込みとなって、日々存続・強化されわたしたちの前に立ちはだかります。
 それを直していくのはやはり容易ならざることなのです。

 大人は、子ども(たとえいくつになっても)はあらゆる面において親に依存していることを忘れてはなりません。
 足早に大人扱いし大人目線の言動で接したり、過度の期待や課題、周囲との比較を課し、なにがしかの条件をクリアしなければ本当の愛を受け取ることができない、と子どもが誤ったメッセージをこころに染み込ませることのないよう、常に慎重にならなければなりません。
 
 こうしたカウンセリングの専門的な領域のお話に行きつくほど、このごく短い標語は、前回の繰り返しにもなりますが、何ともありがたくもわたしたちに多くを考えさせる一言です。

 ところで、お寺の標語ということでウンチクある言葉を紹介しましたが、そもそも、気晴らしにウロウロするという行動を選択しなければ、こうしたありがたい言葉を知ることはなかったと思うと、なにはともあれ、ちょっぴり大袈裟ですがやっぱり行動するって大事かなぁ、と思うのです。
 たとえ、そこから期待していたこととは別のことが起きたり起きなかったりしたとしても、行動になにがしかの変化を与えるということは、私たち自身にもなにがしかの意味あることをもたらすことに違いない気がしています。(
201597日)

  
メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 麻布十番
メンタルヘルスウォーキング

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by yellow-red-blue | 2015-09-07 10:43 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、カウンセラーとして、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。ブログのどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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