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指輪ものがたり(Ⅲ) ~ 雨水の頃 ‘16


『自分はダメな人間だ。』

『自分は情けない人間だ。』

『自分は誰からも愛されない人間だ』


こうした自分自身に対して下した全面否定的な信念は、さらにそんな自分がこれからの長い人生を、そうした自分の本性と自信の欠如が露呈することなく生き抜くための実践法として、様々な厳しいルールを編み出しAさん自らに課していくことになります。

・人生は成功しなければならない(失敗は許されない)。

・常に努力しなければ、人に認められない。

・人前で恥をかくようなことはできない(他者に助けを求めることはできない)。

・常に優秀で他人より秀でなければならない。

・本当の自分を知られてはならない(ダメな自分が曝露されるくらいならそこを避けるべきだ)。


 こんな具合です。本人がこうしたルールを意識することもまたほとんどありません。

 おわかりと思いますが、これを実行し人生を送るには常に困難が付きまといます。人生に完璧などあり得ないからです。Aさんのような人は、その成長の過程で人生は失敗や挫折を経ながら成長していくものだということを十分に理解していながら、しかし同時にかつて彼が自分に下した「最終結論」はゆるぎないもので、「本当の自分」が曝露されるような事態を恐れるのです。それが動機となり、必死にそして過剰に頑張る行動様式が定着します。結果を残し、称賛され成功を収めることもしばしばです。そのような姿勢は社会的に高く評価される資質でもあり、それなりに達成感や喜びも味わえることになります。

 

 しかしそれらは、真の自己実現や人生の醍醐味、目標に向けてのチャレンジとモチベーションとを味わうこととは異なる意味をもつかもしれません。それらはひたすら罰への恐怖、本当の自分が知られてしまうことに対する恐怖から逃れるための性格防衛的な努力と、それによって辛うじて得ることのできる成果にすぎないかもしれません。低い自尊心と自己否定的信念がベースにあるこうした努力やもたらされる結果は、自身に対する不適切な信念や評価が正しいことをあらためて確認、維持・強化するものでしかなく、結局自己批判と自信喪失の悪循環が心の奥底で果てしなく続くというリスクをはらんでいます人生の様々な局面においてこうした人々に残された選択肢は、必死に努力しその有能さと社会的有益性を証明し続けるという補償的構えを続けるか、あるいは全く逆に劣等コンプレックスとして逃避を選択する(行動を回避するため、自分の信念やルールが果たして正しいのかどうか確かめることができず、同じ歪んだ認知・行動パターンを繰り返す)かのどちらかしか残されかねません。こうした自己否定的信念に基づく完璧主義的習性はまた、自分自身を「監視」するだけでなく、他者の「監視」も怠りません。周囲に対しても同じ心構えを期待し、それが実現しない状況に苛立ち、他者を一方的な思い込みや価値観で判断してしまうという副作用ももたらします。Aさんは後になって、仕事を辞めたことも、こうした完璧主義を演ずることができなくなりエネルギー枯渇状態に陥ったことが原因でもあると打ち明けてくれましたが、これでは誰でも苦しいのは当たり前なのです。


 Aさんのお話からは、様々な可能性と彼ならではの個性とを持ちながら、それらを大切に育む周囲のバックアップを受けられず、結果として自らの意思を健全に発達させることなく流されていった過去の人生に対する悔悟も伺えました。比較と競争とに明け暮れ、常に優秀であること、よい人であることを家族や周囲から期待され続ける中で形づくられていったAさんの無意識の中の信念は、彼の生きた時代の精神、共通した価値基盤であり、極めて社会的に好ましい性質でもあったでしょう。それが行き過ぎであり間違ったことかもしれないと成長していくAさんの理性や自我は理解しても、内なる声は絶えず自分と周囲とを比較し、他者や所属集団、社会的な配慮が評価軸となり、あるがままの自分固有の価値と選択を認めることのできない体質を今日まで存続させていたようです。


こうした自滅的な思考パターンと行動パターンの見えざる悪循環は、そのほとんどがまだ人間的に未熟な人生早期(幼少~思春期)においてそれぞれに起きた、様々な体験と学習とにそのルーツがあると考えられています。世間の目、周囲との比較と競争にさらされる人生の中で受ける周囲からの絶えざる叱咤激励は、たとえその動機が子への愛から出たものだとしても、あるがままの自己を受け入れることや自分の力で環境をコントロールしていく自己達成感の萌芽と促進が不十分な子どもにとって、そうとは受けとめることはできないかもしれません。そこには、自分なりの努力や進歩、成長を認められることなく、どこか心の底でいつも「十分でない」と自分を責め重箱の隅をつつくようなあら探しを繰り返し、雪だるま式に増え続ける自己批判の渦をみずから引き起こし続ける自信のない子どもを生み出す危険性もはらんでいます。人生早期にはありがちなちょっとしたつまずきや傷つき、親の口癖や皮肉、純粋素朴な好奇心や発展途上ゆえの浅慮、欲望から生まれた罪なき行為に対する大人目線的、後知恵的な否定や不信の眼差しは、以後決して消えることのない残像として子どもの心に奥深く刻まれるかもしれません。

私たち人間には、誇りと尊厳が必要であり子どももまた同じです。子どもは温かな愛情と関心、励ましを受けることが必要で、それを通じ自分自身であることそれだけで十分受け入れられている存在であることを確認していきます。親は子どもにとって常に安心と安全を保証するこころの安全地帯であることが求められます。悪い行いや失敗を叱責しても、人格そのものを否定するような言動は慎まなければなりません。


誰が悪い、間違っていると決めつけることではありません。互いの心のやり取りのすれ違い、思い違い、とらえ方の温度差は私たちが人間として生きていく以上避けられないものです。成長の過程で、あるいは治療やカウンセリングを通してそれらを克服することも可能です。ですが自分に対する誤った信念と、その信念が生み出す生きるための様々なルールという見えないハンディを背負いながら生きることは、ブレーキを踏みながら同時にアクセルをふかし前に進むことのように、人より何倍もの精神的負荷を日々味わうことでもあるのです。Aさんは教養も社会的分別も備え、人生の何たるかを年齢相応に十分に承知し生きていらっしゃる明るく素直な性格の持ち主です。しかし同時に、心の奥底にある全く背反する歪んだ思い込みが当然のごとく頭をもたげ、その両者の内なる葛藤に常に悩み続けてきたと感じました。


 カウンセリングのアプローチはまさに抱える問題や相談者の症状などにより本当にケースバイケースです。ごく常識的なアドバイスや対処法を提案することや、悩みの胸の内を徹底的にさらけ出すことで何らかの解決をみる比較的シンプルなものから、何度もカウンセリングを重ねる必要のあるケースまで様々です。また、問題の根底にあるものが何であるのかが判明した(クライエントとカウンセラーとの間で了解と理解を共有できた)としても、それを消去するための心理的療法を重ねることが常によいとは限りません。

 Aさんの無意識的な構えが続いてきたのには、そこに過去において確かにメリットと意味があったからであり、彼が頑張ってきた人生の証であり能力の高さともいえるからです。いわばAさんのお人柄や存在そのものと不可分の関係です。そのことをあたかも間違いであるとして治療的に変えるようなことは、中年期を生きるAさんの今後にとってはマイナス面が大きい可能性もあります。


 Aさんのような悩みや症状は、決して健常者と質的に区別されるような別次元の病理ではなく、状況や環境に応じその適応性のレベルに偏りが出てしまうといった捉え方のほうがよりわかりやすいかもしれません(だからといってそれがあまり深刻なものではない、という意味ではありません)。わたしたちは多かれ少なかれ何事かについて、適応的だったり不適応だったり、耐性があったり脆弱になるものです。わたしたちの中にある「正常」と「正常でない」部分とは、連続性のあるいわば同一レール上の繋がりであり、その状況は誰でも常に変わり得るという認識を持つことも必要です。


 このあたりは確かに微妙です。問題がすべてスッキリ解決するわけではないが、むしろそれをあえて引きずっていけるエネルギーが芽生えてくることが大切です。私はカウンセリングを通じAさんにはその力と意志があると感じました。彼の人格や知性、無意識との折り合いへの理解は、私よりずっと優れているとさえ感じていたからです。

 過去を悔やみ、将来を不安に思い、今という現状に悩み、人生の意味や目標の喪失にあらためて苦しむ代わりに、過去を許し、未来に目標と希望を思い、今はできることをただ「する」ことに集中する。簡単なことではありませんが、Aさんの表情には少し安堵と希望が見えたように思いました。


最後に私は一つだけ提案をしました。

「ご自身で指輪をもう一度なさってみてはいかがですか?」

 あらためて新しい指輪を奥様とご一緒に選ぶことを楽しむことだっていいかもしれません。

 そこに特別な意味付けはありません。単に「指輪をする」ただそれだけです。あなたはあなたなのですから。


指輪は何かを達成しやり遂げたご褒美でもなければ、人生勝ち組としてのステータスの証でもありません。たとえ満足していなくても、苦しい状況であっても、自分から目を背けず等身大の自分がまさに尊く価値ある存在であることを認め、そして受け入れること。指輪は決してその足かせではなく、そう思えるきっかけを逆に与えてくれるものであることを、今のAさんなら理解しているに違いないと感じたのです。


(※当ブログの各記事の中で言及されているエピソードや症例等については、プライバシーに配慮し、ご本人から掲載許可を頂くもしくは文章の趣旨と論点を逸脱しない範囲で、内容や事実関係について修正や変更、創作を加え掲載しています。)

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by yellow-red-blue | 2016-02-19 19:55 | Trackback | Comments(0)

指輪ものがたり(Ⅱ)~ 立春の頃 ‘16


 ― 女性の場合は問題ないのですよね?つまり女性の指輪を見ても大丈夫ということですね?

「はい、そうですね。」とAさん。

― 変な話ですけど外国の方、例えばアメリカ人男性の指輪を見ていかがでしょう?やっぱりダメでしょうか?

Aさんはしばらく考えて、「それは大丈夫ですね、たぶん。」

― そうですか。ではAさんのお父さんのような高齢の男性が指輪をしてらっしゃる場合はどうでしょうか?いらっしゃいますよね、おじいちゃんでも指輪なさっている方が。いかがですか?

Aさんはまたしばらく考えて、「ええ、それも気にならないかもしれないです。」


― ところでなぜ女性は大丈夫なのでしょうね?どう思いますか?

Aさんのお答は、「それはやっぱり女性ですから。女性が結婚したら指輪をするのはごく普通で当たり前ですよね。むしろ指輪はしているべきかなと。ですからそれについて何も感じることはありませんね。」

― なるほどそうですか。では外国人男性についても大丈夫なのはどうしてだと思います?

「だって指輪をするという習慣がもともとは欧米のものでしょう?あちらでは誰でも当然指輪をするし、しない方がおかしいと思われますよ。」

― だからなんの嫌悪感もない、と?

「ええ、たぶんそういうことだと思います。」

― ではおじいちゃんはどうなんでしょう?どう思われますか?

「う~ん、よくわからないのですが、やっぱり人生の先輩である目上の方の手と指輪には、なんというか人生の年輪と落ち着きを感じさせる何かがあるような気がするからでしょうか...」

― なにやらこう納得させられる感じ?従うべき気持ちにさせられるといった感じがあるでしょうか?

「そうですね、なんとなく。」


― そうするとAさんとほぼ同年代あたりかそれより若い世代の男性の指輪が苦手ということなんですね?

 「ええ、そうだと思います。」

 ― あらためてそれはなぜだと思いますか?

「え?」

― 彼らに対して特別に感じることは何かありますか?何かとっさに心に浮かぶ感情のようなものがあるでしょうか?


Aさんはこのとき初めて言葉に詰まったように私には感じました。

― 女性も外国人もかなり年配の方も問題なく、問題なのはそれ以外の成人の男性世代の場合だけなんですね。それは何か意味するものがあるでしょうか?

Aさんはしばらく考え「競争相手、とか。でもちょっと違う気がする。」

― ライバルというか、「比較する(される)相手」と言う感じですか? それともかつてのあるいは今の自分自身が重なる感覚でしょうか?

「ええ、そういった感じかもしれないです。うまく言えないですが。」


この後もしばらく会話は続きます。

 ― ご自分でも指輪なさっていませんね。いつ頃からか覚えていらっしゃいますか?

「はい、それは転職後に結婚しましたが、新しい仕事では指輪が邪魔になるので、外して出かけていたのが始まりで純粋に仕事上の都合でしたね。いつごろから他人の指輪が苦手になったかどうかははっきりしませんが、その後しばらくたってからでしょうか。」

 ― ご自分であらためて指輪をしてみようと思いませんでしたか? もし自分で指輪をしたらどうでしょう?何を感じるでしょう?

 Aさんはここで再び言葉に詰まりました。

 ― ずっと拒絶感とか嫌悪感と言う言葉をお使いになられていますが、もっと別の感情というかお気持ちはないでしょうか?他の表現や言葉で思い当たるものはないか考えてみてもらえますか?たとえばもし拒否したいのが指輪ではないとしたら、どんな感情や気持ちを本当は「拒絶」「嫌悪」したかったのでしょうか?たとえばご自分で指輪をしたとしてどんな感情が浮かぶでしょうか?」

 こうした問いかけは、正直自分でもよくわからないで発したものだったのですが、しばらくしてAさんの口から徐々に出た言葉は、「不安」「焦り」「恐れ」そして「挫折」というものでした。


 実はAさんのカウンセリングはかなり長くかかりました。くわしくご紹介することはできませんし、また対話がこのよう順調に進んでいるわけではなく、その都度いろんな方向へと向かい行きつ戻りつを繰り返しながら、様々展開していきました。あらかじめ考えていたり意図した質問項目もあるわけではなく、その場その場で心に浮かんだことを中心に対話を繋いでいくというニュアンスですので、上でも白状しておりますが、自分でもよくわからない雲をつかむような感覚の語りかけをしてしまうこともしばしばでした。


他人(男性)の指輪を見ることへの嫌悪というAさんの悩みの根底には、ご自身の人間性や存在価値に対するある種の悲観的な思い込みが存在していました。無意識の奥底に存在する、自己否定的な思い込みのゆがみとそこから導き出される完璧主義的な世界観と思考パターンが、その後の自分の人生やキャリアについて折に触れ自らダメ出しを行い、あたかも人生の敗北者としてのレッテルを貼り続け、そんな中、自分に「指輪をはめることを許さない」という苦しい選択をしてきたのでした。自身が指輪をしないということは、自分を恥ずかしく思い、他者に比べ劣っている(と信じている)過去や現状に対する劣等コンプレックスが引き起こす結婚前の若い時代への退行感情からの行動とも言えます。他男性の指輪への思いはそこに自分自身を見るがゆえの感情に感じられました。


Aさんが原因と考えていた苦手の上司のことについても、上司との相性そのものよりも、上司が実は家族思いの父親であり、その優秀さゆえにその後も順調なキャリアを積んでいたという事実が裏付けする、Aさんの上司への「見立て違い」から来る苦い敗北感や恥辱感、自己嫌悪が、この悩みの引き金になったというべきかもしれません。そして、その後の辞職という挫折と転職によるキャリア再スタートの不安とがAさんご自身のご結婚の時期と重なったことも、本人のこうした想いに拍車をかける結果となったようです。転職やその後の進路についてはAさんご自身の熟慮の結果の納得の判断でした。しかし常に他者目線や周囲との比較が自分の価値を決定してしまうというAさんのいわば体質が、理由はどうであれ一流企業での順調なキャリアや成功の約束された人生からのドロップアウトであり、それは人生における「汚点」「失敗」であり、決して他者に打ち明けることのできない「恥」であるとの烙印を密かに自らに押してしまうこととなったのです。


Aさんには(そしてこれは誰しもに言えることですが)、幼少の頃から両親や周囲から受けた様々な言動を通じて経験、学習し、その後の発達成長の過程で、彼のパーソナリティに組み込まれてしまうまで繰り返し強化され続けてきた、物事のとらえ方の根底を支える強烈な思い込みがありました。それは言ってみれば、かつてまだ発展途上の幼いAさんが、自身の人間性や価値観について自らに下した揺るぐことのないファイナルジャッジであり最終的な結論のようなものです。その小さなしかし確固たる思い込みの断片は、人格の一部となって心の隅に棲みついていきました。決して意識に上ることはなく、自分の意志や理性とは一致しない、何らかのこころの作用があると気づくことなく、自分の人生の様々な局面に不快な影響をおよぼしてきたようです。そうした思い込みから抜け出すことなく、それら歪んだ認知はその後の人生のことあるごとに顔を出し、それが以降Aさんの思考や行動パターンを決定づけ、確認・強化を繰り返し、ときとしてより適切な自己変革と成長を阻んでいった可能性があると考えられます。


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by yellow-red-blue | 2016-02-12 19:00 | Trackback | Comments(0)

指輪ものがたり(Ⅰ)~ 立春の頃 ‘16


その男性の悩みは、「結婚(婚約)指輪をする男性にいらだつ」というものでした。正確には指輪への嫌悪感と結果指輪をする男性の拒絶です。まさに『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』の感情といってよいでしょうか。


文句のないご経歴を持ち、幸せな家族生活を営む物腰穏やかで誠実なこの中年男性(Aさん)が密かに抱き続けるこの悩み、いったいなぜ自分はこうも指輪をする男性に激しい嫌悪感を催すのか、Aさんご本人にもさっぱり見当がつきません。

指輪嫌いもさることながら、結婚指輪をしているのかしていないのかで、その人の良し悪しを反射的に判断するなどということが、いかに馬鹿げた、全く根拠のない見下げた偏見であるのかも重々承知の上で、しかし心の奥底に秘めたそれへのアレルギー的拒否反応をどうしても認めざるを得ない、というのがAさんのお気持ちでした。

もちろん良識も常識も持ち合わせるAさん、私生活あるいは仕事上指輪をはめている男性を不当に扱ったりいじわるをしたり、また付き合いを拒否するなどということは決してしたこともなく、いかなる場面でもそれを口にしたことはありません。でもだからなおのこと辛い。温和で優しい表情の中には想像以上に苦悩があるようでした。これはちょっと厄介な悩みです。


指輪をはめている男性に対しそうした歪んだ感情を何故自分は持っているのだろうか?指輪を容認できないその苛立ちは何なのか?そうした感情を持つ自分への苛立ち、何故そのような偏見を持つに至ったのか、この相手とは心の底からは親しくはなれそうもないなどと反射的に思ってしまうのかAさんにはその原因がわからない。奇妙なことに、「指輪をすること」自体には全く何の感情も持っておらず、指輪をするかしないかは全くの自由だと心から思っていらっしゃるご様子でした。そりゃ結婚しても様々な理由(仕事上の都合、その他大した理由もなく、結婚して時間が経過したためなんとなく)でしなくなる人もいれば、一生続ける人もいるのは当たり前ですよ、とおっしゃいます。ところが、いつ頃からか接する男性の薬指に指輪があるのを見ると何故か背筋がゾクっとするものを感ずるのを禁じ得ない。


Aさんにとって一番つらいのは、そんな考えは間違っているということを心から思っているにもかかわらず、いうなれば「身体が受け付けない」ような感覚です。歪んだ感情が沸き上がることを止めることは難しく、相手男性への不快感もさることながらそうした自分への自己嫌悪の感情が一番こたえる。Aさんの中で理性と不必要な自己防衛反応との葛藤が永遠に続いているかのようでした。


カウンセリングでは、苦悩の背後にある問題を浮き彫りにしていくということに重きを置く場合もあることは言うまでもありません。カウンセラー個人の持つ知識や経験、背景に基づく主観的見たてや読みも欠かせないのですが、同時にまた、カウンセラーが自らの経験や過去事例などから勝手な道筋を思い描き、過剰な予断をもって相手に接したり、あるいは判断に行き詰まりつい専門的な理論や知識、職業的権威に逃げ込み、結局、仮説(自説)検証的色彩の濃いカウンセリングで相談者を誤った方向へと導くことは極力慎まなくてはなりません。

と、偉そうなことを言っていますが、現実にこうしたお話を伺えば、無責任ながらもいろんな可能性がちらほらと思い浮かんでしまうものです。

例えば、

・金属アレルギーあります?

・単純な趣味趣向やファッションの好き嫌い、ライフスタイルの問題なのでは?

・「男のくせに(指輪なんて)!」とか「欧米か!?」のようなある種の日本人的な気質傾向?

のように、比較的シンプルといいますかわかりやすい原因から、

・過去に指輪をはめている人間からひどいことをされたなどの経験がトラウマとして残っている

・男性の薬指に輝く指輪が過去の恋愛上の失敗の経験等を思い起こさせる

・自分の結婚生活の潜在的な不満やストレスが幸福な結婚生活の象徴としての指輪にいらだち、自分の結婚生活を直視することを忌避したい

など、より深い心理的葛藤のあげくの感情ということで挙げればそれこそキリがなくなりそうです。


 私たちはたいがい、自分の悩みや疑問に対する回答が自分ですでにわかっている場合が少なくありません。虚心坦懐に自己を見つめてみると、悩みの根源やすべきことなどは自分がとっくにわかっている。でもそこへ踏み込む勇気がちょっぴり足りないため、わかっていながらそれを直視できず他にその原因を求めようとしたりする。私なんかも経験があります。他人の欠点や問題点を指摘することだって、実はそうした同じ欠点を自分でかかえていたり、過去に同じ経験をしているからこそ他人のことがよく見えたりすることと一緒です。


 そしてAさんは、物事に対して冷静な見方や柔軟な思考ができ、ただ悩むだけではなくちゃんと自己分析ができる方でした。そしていろいろと話をしていくなかで過去のある出来事を思い出したのでした。

 それは、彼が学校を卒業後新人社員として入社した会社の上司のことでした。その上司は優秀な人で、社内の人間関係でトラブルを起こしたり、イジメやパワハラをするようなことはなかったそうです。ですが、個性的というかややクセのある性格で、人の好みがはっきり分かれ、そうしたことをあまり隠すことなく周囲にもらしたり、なんとなく態度に表れたりするタイプの人であったようです。逆にいえば表裏のあまりない率直な性格の人といえるかもしれませんが、時々新人職員を見下したり皮肉くるような言動もあり、そのあたりでどうにもAさんにとっては「ソリがあわず苦手なタイプ」だったようです。Aさん自身はこの上司から特別嫌われたりキツイことを言われた経験はなく、むしろ淡々とした関係だったようなのですが、あまり好かれてはいないなという感触は伝わってきたそうです。席はすぐ隣でしたが、結局親しく付き合うこともなく、しばらくしてその人は出向元の職場に戻り、そこではとても重要なポストに就いて活躍なさったそうです。


そして、その上司の薬指にはゴールドの指輪がいつも輝いており、Aさんの席からは常に目に入っていたことを思い出したそうです。そりの合わないタイプの上司があまりに近くにいるので直接目を合わせたりできない伏し目がちの日常を送っていくうちに、いつの間にか相手の手元に視線がいく習慣が出来上がってしまい、それが目に焼き付いたということのようでした。

「その方はとても家族思いで、職場でもよく家族の話をなさっていました。そして家族の話になるととても機嫌が良かったのを覚えています。いただく年賀状でも必ず家族の集合写真を使っていました。家庭ではいいお父さんなのだと思うと、逆に会社での人柄とのギャップに違和感が増し、それが結局指輪アレルギーにつながったのかなとわかったんです。」

その後Aさんはその会社を辞め転職したのですが、それはその上司の件とは関係ない理由だそうで、実際その後の新たな上司や周囲との関係も良好で充実していたとのこと。指輪への拒否感情はその後数年経過したあたりから始まり、ほかに思い当たる出来事や特別な状況はないとのこと。やっぱりそれが原因ですね、とAさんは一応納得顔のご様子。


でもそれくらいであるなら、昔のほろ苦い思い出でも済みそうです。Aさんの落ち着いたお人柄や大人らしい言動とにしばらくの間接していた私には、数十年今もって続いていることには少し無理があるかな、そう感じられてしまったのです。それでスッキリしますか?

「ええ、原因がわかったわけですから。」とちょっと自分に言い聞かせる様なAさん。心から納得されていないのではと思いました。なぜならたとえ原因はわかったとしも、相変わらずの指輪と指輪をする男性への拒絶感が消えなかったからでしょう。きっかけはAさんの見立て通りかもしれませんが、そうした思いを今日まで存続させる、後押しする強力な感情体験があると考えてもいいのでは。背後にいるボスキャラのような存在をどうしても意識してしまいます。


 特別な出来事に限らず、ある何かがある人にとって直視できない過去や事実、自分の感情を思い起こさせるから、拒絶や嫌悪が起きるのだとすると、Aさんの場合はそれが果たして何であるのでしょうか。それが何であるのかが解消されないと、不快感は消えないままかもしれません。

 本人のなかで口に出すことには憚られるが、薄々感じ取っていることがあるなと感じた時には、そこにはあえて深く踏み込みません。さらっと流している中にこそある思いが秘められている可能性もあります。また、本人が気づいていないところになにがしかの手がかりがあるかなと見立てた場合には、できるだけ時間をとって踏み込むことにしています。素朴な疑問や質問を通じたやりとりの過程でお互い何かに気づいたり思い当たることがしばしば出てくるからです。

 ふと私はAさんが、「指輪をする人がダメ」と言っているのではなく、「指輪をする男性がダメ」だと言っていることに気づきました。問題の上司が男性だったわけですから当たり前とも言えますが、少し引っかかるものがあり、そこでいくつかの疑問が浮かんできました。

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by yellow-red-blue | 2016-02-05 19:52 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心安らぐ経験や出会いなど、時にカウンセラーとして、時に仕事から離れ、思いつくままつらつらと綴っています。


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