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夏は夜 ~ 処暑の頃‘16


「短い夏を楽しんでます。」

お盆を過ぎた頃になると、青森県に住むお友達のKさんから、段ボール箱一杯に朝採れたばかりのとうもろこし(「嶽きみ」というブランドなのだそうです)が届きます。毎年経験するそのあまりのおいしさに感激のメッセージを送る私のもとに返ってくる便りには、ふるさとの風景や夏祭り、スポーツ大会で奮闘する2人の我が子の成長する様子の写真とともに、冒頭の言葉が添えられていました。「あのね、お祭りは『観る』ものじゃなくて『する』ものよ。」とキッパリ言い切る彼女の勇ましくもすがすがしい言葉を思い出しながら、仕事に子育て、そしてお祭り(もちろんあの勇壮な『青森ねぶた』です。)など諸々の行事と活動に奮闘する間に過ぎていく、ただでさえ短い北国の夏への思いが、そのサラリとした言葉の中にギュッと詰まっているようで、大袈裟にも胸が一杯になります。


「お盆を過ぎれば、夜にはもうどこからか涼しい風が舞い込んできます。お空の方でも、どこにお盆がやってきたかわかっているのでしょうね。」

 栗で有名な長野県の小布施で、農園をご家族で営んでいらっしゃるTさんからは、厳しいながらも確かな恵みと日々の糧をもたらす大地と自然への愛着と感謝の気持ちがひしひしと伝わってくる素敵なメッセージをいつも頂きます。そのせいなのでしょう、Tさんの農園からやってくる桃や巨峰、りんごなどは本当にどれもがみずみずしく濃厚で、そしてとても懐かしい味がします。


 東京では、盛夏とも残暑とも区別のつかない暑さが9月に入ってもダラダラと続くという印象ですが、同じ日本とはいいながら季節のとらえ方感じ方はそれこそ地域によりさまざま、お盆を過ぎるとすでに秋の気配を実感するところも多いのでしょう。

 地球温暖化や異常気象が何かにつけ懸念される昨今ですが、処暑の今頃になるとキチンと台風がやってきたり、こうした地方からの便りに接していると、季節や暦(こよみ)はまだまだ生きており、むしろそうした自然の摂理や営みに逆らうようなちぐはぐな生活をひねり出しているのは都会に住む私たちなのかなと、ふと考えさせられます。

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 さまざまということに関して、東京のような都市部とその他の地域の一番の違いはといえば、ひょっとすると夜空の星の見え方かもしれません。最近は天体観測にまた人気が高まっているようで、都会の人々に星空をもっと身近に楽しんでもらおうと、都市近郊への天体観測ツアーや高層ビル屋上から眺めるイベントも多いと聞きます。でも、これまた長野県の山間の小さな村ご出身のIさんに言わせれば、「東京あたりの空は『星空』とは言わないですよ。だって真夜中だってなにも見えないも同然ですよ。」だとか。それはその通りで、ひとたび本当の「満天の星空」を体験してしまうと、郊外を含め都会の夜は、夜中でさえまったく「闇夜」とは程遠いことを実感します。それどころか、星が見えないということで言えば、都市部の夜は昼間の方にむしろ近い明るさなのでは、とさえ思えてしまうほどです。私が個人的に体験した、南国の宮古島と信州野辺山高原での夜空もまさに圧巻のひとこと。「宝石箱をひっくり返したような」という表現がまさにピッタリの「星だらけ」状態に、感動を超えショックを受けたものでした。自分の小さな頃は今と比べてそれなりに星はたくさん見えていたのになぁ、とのそれまでのおぼろげな認識と記憶が、宮古島や野辺山高原の漆黒の闇に繰り広げられる天空の星々の光の饗宴の前に、見事に打ち砕かれていったことを今でもよく覚えています。つまりは、少なくとも都会に暮らす私たちの多くが、本当の「夜」を知らずに人生を送っているようです。


  夏は夜

  月の頃はさらなり

  闇もなほ

  蛍のおほく飛びちがひたる

  又ただひとつふたつなど

  ほのかにうち光りてゆくもをかし

  雨など降るもをかし 


 『枕草子』の有名な一節夏の段ですが、はるか一千年もの昔の夜に思いを寄せるまでもなく、たぶん私たちは、安全や利便性、経済的繁栄という「今」とひきかえに、自然の摂理に呼応した古来からの人の営みや生き方を失ってきたのでしょう。本来見えるはずのものが見えていないか見えなくなってしまう、所詮私たちが現実に見ているものとはその程度のものなのかもしれません。そして失ってしまったものは今やわざわざ「見に行く」ものになってしまったその不自然さと、「得られるもの」はなんでもなかば貪欲に、なかば当然のごとく受け取ろうとする無理やりさ、そしてその陰で消えていった「失った」ものごとへの戸惑いとそっけなさが、とりわけ都市生活の営みの根底にあるのかもしれません。


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 「人はどこか無理をして生きている。」
(池田政俊 帝京大学文学部心理学科教授)

 「(人が)母胎から分かれ誕生した後に生き抜いていくための発達とは、まさに欲求が充足されないこと、すなわち欲求不満に対処していくための営みであるとさえいえる。」(大山泰宏 京都大学大学院 教育学研究科准教授)


 どこか無理をして生きるのが私たちの人生であり、欲求が充足されることは決してないのが私たちの人生である、と専門家の先生方に鋭く喝破されてしまうと、なんともやるせない気持ちにさせられてしまいますが、とりわけ都会に暮らす人間の営みは、はたから見れば随分と「無理をして」いるように見えてしまうのかもしれません。

 自然の理不尽さや猛威、危険と不自由さに対峙し、克服、コントロールしようと努力したその結果、私たちは確かに安心と安全を手に入れ、物質に溢れ、明るく眠らない街と多様なライフスタイルを享受することとなったのでしょう。ひるがえって冒頭の私の友人知人からのささやかな季節の便りからは、いまだ自然の営みにさまざま影響なり制約を受けながらも、同時にそれらがより大きな「枠」となって伝統や習慣、家族と地域社会の絆を育み、その地に生きる人や社会を包んでくれている場所があることを感じさせてくれます。

 こうした枠組みに守られているという安心感や、人生とはおおむねこう進んでいくものであると規定されることから距離を置き、さまざまな自由を獲得した現代社会に生きる私たちは、その対価として社会で生きるための自分の立ち位置や自我に対する問いかけ、つまり自分は何者であるかを自ら探し求めなくてはならなくなったのでしょう。


 「あ~それはムリムリ。本当の田舎暮らしなんて、都会育ちの人のあこがれとは程遠いものですよ。それすることのほうがかえって不自然で無理があるでしょ。」

 以前、「一度は田舎暮らしもしてみたいなぁ。」とふと漏らした私に、苦笑交じりに即座に返してきたのは先ほどのIさん。そんなIさんの夢は、憧れのカリフォルニアのサンタモニカ・ビーチ近くで暮らすこと。その目標に向けお仕事に英語習得にと奮闘する明るく成熟した大人の女性です。

「子どもの頃からいつも母に、『ここから出てもっと広い世界を見に行きなさい。』って言われていましたから。」

そんな素敵な夢、是非ともかなえて欲しいなと願わずにはいられません。

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どこか無理をし、満たされない欲求に悩みながら、それでもなんとか前向きに進んでいく方法を模索するのをお手伝いするのがカウンセラーの仕事といいながら、結局自身もどこか無理をして生きているのに違いない私は、ひどい夏カゼをひいてしまい、咳が止まらず声もガラガラ。仕事にも差し障りが出るし、睡眠不足になるなど散々のお盆でした。内心不満タラタラにやむなく仕事場近くの内科を受診、待合室でボーッとしていたところ、ふと子供用の絵本や婦人向け雑誌が並ぶマガジンラックの中の一冊の本に目が留まりました。その名も「雲のカタログ」。世界気象機関(WMO)によって分類された100種類あまりの雲の姿を素晴らしい写真とそれぞれの雲についてのでき方見分け方など、雲についての基本的な知識がコンパクトに読みやすくまとめられた、いわゆる図鑑です。ひとつ前のブログで空を見上げることが趣味と書いた私のこと、「あ~世の中にはこんな素敵な本もあるのだ」と、しばし体調のことなど忘れて思わず見入っていました。

「どこか無理をしなかったら、この本とは出会わなかったかなぁ。」かなりのいい加減な理屈で今回のブログは締めることにします。


【ご参考までに】

 ✽土屋農園(長野県上高井郡小布施町)http://www.dia.janis.or.jp/~mukumuk8/

 ✽「失われた夜の歴史」(ロジャー・イーカーチ著、樋口幸子他訳、㈱インターシフト、2015年)

 ✽「雲のカタログ(空がわかる全種分類図鑑)」(村井昭夫・鵜山義晃、草思社、2011年)


最後までお読みいただいてありがとうございます。

メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂





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by yellow-red-blue | 2016-08-24 22:48 | Trackback | Comments(0)

それでも夏空を仰ぎ ~ 立秋の頃‘16


 梅雨も明け、本格的な夏がやってきたと思えば暦の上ではもう立秋。秋の始まりということですから、少しずつ涼しさが増すとともに秋の気配もちらほらのはずですが、もちろんほとんどの地域ではまだまだしばらくは夏真っ盛りの厳しい暑さが続きます。

 「随分日に焼けてない?忙しいといっていたけど、もうどこか夏行ったの?」先日会った友人が、私の顔をしげしげと眺めながら、開口一番そう切り出しました。色白のせいで少し日焼けしても目立つだけでしょ、とサラリと受け流したものの、実際レジャーにいそしむ時間もなく、そうかといって炎天下の営業回りに汗かく仕事でも屋外スポーツに励むでもない自分が、何故日焼けしているのか言い訳がましく口ごもりながら、「だって今夏じゃないの、外に出ないでどうするよ。」と本音を言ったところで、なかなか理解してもらえないだろうなぁ、と思ったりします。

 8月生まれのせいか本当に夏が好きです。強烈な日差しと熱中症を気にするほどの猛暑、睡眠不足を誘う寝苦しい熱帯夜が続くにもかかわらず、仕事の合間にもちょっとのすきまの時間を見つけては、屋外に出て熱気に身をさらし、空を見上げ蝉の声を聴く、ブラブラすることが無上の喜びなのです(このあたりは以前のブログ『お寺の標語』でも少し触れました)。

 四季あるいは12ある月の中で、8月(葉月)ほど私たちの日々の営みと時や人生のうつろいとが密接に響きあう心象風景が、五感と記憶に強く訴えかけてくる季節はありません。時代が変わっても誰もが幾度となく経験し、心の片隅に大切にしまっておきたいこほどのいとおしさと懐かしさ、苦々しさを秘めた数々の想い出や記憶、そしてそれが今もって自分の周囲に変わらずに存在していることへの幸せを感じる季節が夏なのかもしれません。


 あきれるほど大きな入道雲と絶えることのない蝉の鳴き声、海の香りとプールの塩素系消毒剤の匂い、かき氷にスイカ、ラジオ体操に高校野球、花火やお祭の喧騒、旅先の山並みに草土の香り、肝試しと怪談、昼寝に風鈴の音、麦藁帽の友達から漂う汗とひなたの香り、街中に幾重にも鳴り響く夏休みを満喫する子どもたちの歓声と笑顔、蚊取り線香の煙に動きのにぶくなる蚊、お盆、広島、長崎、終戦記念日。エアコンの効いた屋内ではその多くを決して味わうことのできないこうした夏と夏休みの記憶は、いとおしくときに切なさが胸に迫り、そして自分の過去を想い、今を見つめる機会を与えてくれます。こうしたある種の感情体験は、個人的というよりも日本人に集団的集合的に繰り返し回帰してくる遠い彼方の無意識の記憶・情動といってもいいのかもしれません。

大きくなっていくにつれ休む暇もなく外に出ることも減り、受験や仕事、インターネット空間へどっぷりの生活に明け暮れ、普段と全く変わらぬ日々の延長にすぎなくなってしまったかつて夏休みとして過ごした日々を、なんとか忘れずにいつか取り戻したいと密かに願う、余裕を忘れた現代人のぼやきのようなものですが、こうした夏がもたらす、何やら胸疼く落ち着かない、でも例えようのないいとおしさこみあげる心情をいつまでも大切に忘れずにいたい、そんなはかない思いが、つい炎天下の外へと足を運ばせてしまうのでしょう。

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 仕事場の電話が鳴り、受話器を取ると、受話器の向こうからはかすかに耳に届く息遣いと重苦しい沈黙がしばし続きます。

「もう死にたいくらいつらいんでね...」「死んでしまえば本当は楽なんだけど...」と、絞り出すような声が聞こえてきます。

「それができないから、なおさらおつらいのですね。」と言葉を繋ぐのがやっとの私。

何の前置きも社交辞令的挨拶もなく、あたかも今までもずっと続いていた会話の途中であるかのように、沈黙と溜息まじりにぽつりぽつりと絞り出すほとんど聞き取れないような声、そんな電話が時折かかってきます。そんな電話は、一人暮らしの孤独な人間が、人の寝静まる深夜帯に眠れずにかけてくると想像される方もいらっしゃるかもしれませんが、そうとばかりともいえません。同居する周囲の目をはばかり、家の人が留守の間の昼間にこっそり受話器を取る人たちも多いのです。こころに沸き立つ疎外感や絶望感は、一人暮らしであろうとなかろうと、昼夜問わず私たちに忍び寄ってきます。

先日かかってきた電話もそうでした。年齢は判断がつきません。高齢のようでもあるしもっと若い女性であるかもしれません。生気がなくか細い声は前に出ないため、ほとんどの内容は聞き取れません。整理して話すこともなく、ただ今の自分の状況と気持ちの断片が脈絡なく語られていきます。ご主人のこと、戻ってきた息子さんのこと、日常の暮らしのこと、ご自身の大けがのこと。ご本人の中ではすべてがわかっているのですが、こちらではその内容のほとんどを想像するしかありません。話の内容や前後因果関係を知りたいと思う、もっと情報を整理したいと思う、でも、決してこの話の流れを遮断してはいけない、そんな直観から電話の先にいる女性の存在と気持ちを推し量るように息を殺して耳を傾けていきました。

聞けばかなり近所の、立派な家が立ち並ぶ界隈にお住まいのようです。ほんのわずかの質問に対するお答えと言葉の抑揚、こちらからの説明への理解度からは、しっかりした知性が感じられ、それがかえって切実な状況を物語って余計に胸に迫ってきます。さまざまな理由から現在の自分にほとんど何の希望も幸せも見いだせず、死にたいと思っていらっしゃるご様子でした。腰をかなりひどく怪我なさっていて(原因は教えていただけませんでした)時折通院しいろいろなことも医師にも訴えるのですが、安定剤を処方してもらう程度で気分もすぐれないようです。何もする気になれず、もちろん怪我から外出もままならない。犬を散歩にも連れていけず。気持ちも肉体も八方塞がりの様子がささやくような声から感じとれます。


「また電話してくれますか?またお話聞かせていただけますか?」

でも、電話はなかなかできないし家では話しづらい。こちらからお伺いすることも提案したみたものの、やはり家の人の目があって駄目。

「怪我の具合を見て先生からいいと言われたら、タクシーにでも乗っていければねぇ...」

「そうですね。まずはお怪我を治して前みたいに少し散歩でもできると随分違うかもしれませんね。お待ちしてます。ね?」

長い沈黙のあと、「はい、一度話を聴いてほしいなと思います...」それを最後にまたしばらくの沈黙の後、電話は切れていきました。


「あのお母さん、私のところをどこでお知りになりましたか?どなたからかご紹介ありましたでしょうか?」明らかにインターネットなど操る世代には感じられなかった私は、ふと電話の最後のほうで訊いてみました。

 「あの...新聞に入っていたチラシね、あれ見てね...あ~こんなところもあるんだと思って....

 それは、地元の印刷会社が発行する地域事業者用の小さな宣伝広告のことでした。新聞の折り込み広告として近隣地域内月に一度5万部ほどが配布されています。カルチャー教室や食品雑貨店、工務店に飲食店、町医者に葬儀屋さんなど、さまざまな業種の地元中小事業者のほんの小さな広告が、紙の両面に肩を寄せ合うようにして地味に掲載されている文字通りの「チラシ」。

 不動産や金融投資、ブランド品や輸入車、会員制高級スポーツジムからお受験進学塾など、豪華で上質な紙を用い、眺める人の関心を煽るかのような少々大袈裟なキャッチコピーやイラスト、写真が踊る多くの新聞広告の中にあって、ややもするとそんな広告が折り込んであることすら気づかれずに処分されそうなほど、質素でレトロな庶民的二色刷りの紙の両面には、多少の個性はありながらも本当に必要な情報が淡々と掲載されているだけです。でもそんな広告を見るたびに、なにやらホッとさせられつい手に取ることも多かった私は、いつの頃からか私のカウンセリングルームの広告も時折掲載していただくようになりました。正直なところその宣伝効果のほどは計り兼ねつつも、向こうから勝手に飛び込んでくる小さなチラシを私と同じような気持ちを抱いて、いっとき目を留める人が結構いらっしゃるのだなと、ときに驚かされることもあります。


たった一人残された年老いた肉親に暴力暴言を止められない会社重役、一人暮らしの寂しさを紛らわすことの叶わない年金生活の男性に中年キャリアウーマン、暴力を振るわれ中絶を強制されながらもどうしても恋人との関係を断ち切れず涙が止まらないまだほんの若いOLさん...インターネットへの万能感情が肥大する日常において、こんなにも小さな新聞折り込み広告の、またその中のほんの数センチ四方の宣伝に目を留め、あたかもそれが最後の頼みの綱であるかのようになんとか力を振り絞ってお電話をかけてこられたそのお声に接し、逆にこちらが何やら救われる思いがするとともに、かえってその追い込まれている心のつらさがしみじみ伝わってきます。

情報は満ちあふれている、多様なアクセスとネットワークがある時代だからといって、それが届く人たちもいればどうしたって届くことのない人たちもまたいる。そんな分かり切ったこととはいえ、経済格差や世代格差、情報格差などの一語では括ることのできない、根本的な人のこころのあり様と現代社会の渦のはざまに横たわるやるせない齟齬(そご)を痛感するのです。

 

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夏真っただ中、吸い込まれてしまいそうなほど抜けるような青い空に浮かぶ夏雲を見上げることは私の趣味です。そこに私のあの「夏休み」があるから。

いつも思います。物事って本当に全く自分の思うとおりには運ばない、生きるってやっかいでときにつらいものだと。それを味わうのもまた人生の意味なのかもしれません。でも、悲しい時、つらくさびしい時、そして本当に何もかもが絶望的に思えるそんな時、「空を見上げて」前へ進もう、と何とか心に言い聞かせることにしています。そこに私の「夏休み」があると信じて。

 どんな試練や苦しみも小さく思えるほどのスケールの大きさと無限の希望の広がりを時として感じさせてくれるのが大空であるならば、この空の下、電話をかけてきた女性と同じような悩みに苦しめられている多くの人がいることを思い起こさせるのもまたこの大空です。また電話をかけてきてほしい、そんな願いで夏空を仰ぐ日々が過ぎていきます。

 

最後までお読みいただいてありがとうございます。

メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂

(※当ブログの各記事の中で言及されているエピソードや症例等については、プライバシーに配慮し、ご本人から掲載許可を頂くか、もしくは文章の趣旨と論点を逸脱しない範囲で、内容や事実関係について修正や変更、創作を加え掲載しています。)


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by yellow-red-blue | 2016-08-07 12:10 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、カウンセラーとして、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。ブログのどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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