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おりがみ教室 ~ 霜降の頃’16    


体調を崩したり風邪をひいたりしている人が、私の周囲でも結構いらっしゃいます。10月に入り、朝晩かなり肌寒い日があるかと思えば、時折強い日差しの夏日が顔を覗かせたりと、猫の目のように変わる陽気に身体がなかなかついていけず、秋の花粉症の時期とも重なり、のどや鼻をやられてしまうようです。かく言う私も、最近は鼻をすすりながら身体のだるさや日中の眠気と闘っている有様です。ところが、秋の収穫の時期を迎える農家にとっては、この寒暖の差こそがまさに季節の恵みであるようです。信州で林檎農園を営む知り合いの方からは、「こうして夜寒く昼間暖かいという気温差が激しいほどリンゴは熟してきます。今年もおいしいと喜んでいただけるリンゴに育ちそうです。お身体にはお気をつけてくださいね。」などと返され、都会育ちの軟弱さに恥じ入りながら、かの地の澄み切った秋の青空に、林檎の赤や黄が色鮮やかに映える季節の到来の便りに、今年もまたあのりんごの味を待ち遠しく思ってしまいます。


さすがに紅葉にはまだ早いだろうなと思いつつ、2週間ほど前ふと思い立って箱根を訪れました。仕事の合間を縫うようなほんの短い一泊旅行。何やかにやと日常に忙殺され(流され)、結局休みを取ることもなく季節が2つ過ぎて行ってしまったためか、しばらく前から都会を離れて、ほんのいっときでもいいから自然の中に身を置きたいとのモヤモヤとした欲求がずっと自分の中にくすぶり続けていました。何か自分に足りないものへの欲求が自然とこみ上げてくる感情というのは、つくづく不思議というかありがたい私たち人間の体質といえるかもしれません。逆にそうした感情なり欲求が自然に出てこなくなったら、それが私たちの身体と心からのSOSサインなのかもしれません。

バスで箱根に向かいました。当初は観光などいっさいせずに、奥深い山中にひっそりとたたずむ旅館で温泉と食事を楽しむだけで、あとは部屋でゴロゴロ読書でも、の計画だったのですが、現地にいざ降り立ち、記憶の中にあった以上に険峻な山々と森の香り豊かな空気に包まれると、ついあちこち行ってみたいと欲が出てきてしまい、結局旅装を解くやいなや、とりあえず箱根登山鉄道へ乗り込むこととしました。東京から近いこともあって、一年を通じて観光客が絶えない箱根は海外からの観光客もとても多く、実際登山鉄道の車内は、日本に居住されているであろう方も含め外国の方がほとんどだったのにはちょっとびっくりでした。あたりの景観をじっくりと味わってほしいかのように、ゆっくりゆっくりと登っていく登山鉄道の車窓からは、やはりまだ紅葉には早かったものの、優しく色濃い緑一面の渓谷美がじっくり堪能でき、疲れが溜まっている目にとても心地よく映ります。

登山鉄道からケーブルカー、ロープウェイへと乗り継ぎ、火山の噴火によりしばらく立ち入りが規制されていた大涌谷へと向かいました。ロープウェイが次第に高度を上げ、周囲の箱根の山々を眼下に収めることができるあたりにさしかかり、東京からわずか数時間で随分と遠くまで来たような感覚を覚えていると、緑豊かだったあたりの山々の景色が一変、一切の木々が消え、荒々しく剥き出しの岩肌全体から硫黄を含んだ火山ガスがもうもうと吹上げる、まさしく地獄絵図と呼ぶにふさわしい大涌谷のダイナミックな景観が眼前に現れました。ほぼ無音の静けさだった最新式のロープウェイの車中も、その瞬間だけは乗り合わせた人々の驚嘆と感動の歓声が響きわたり、誰もが熱心にカメラやスマホのシャッターを切ったり映像に収めたりしていました。


帰りのロープウェイの車中は、大涌谷を堪能した後だけに多少の疲労感もあったのかいたって静かで、誰もが静かに去りゆく大涌谷を眺めていました。とそんな沈黙の中、なにやらごそごそと音がするのでふと横に目をやると、隣に座っていた日差し除けの帽子を目深にかぶった年配のご婦人が何やらバッグから取り出そうとしているようでした。ははぁ、疲れと硫黄ガス漂う空気のせいで、きっと関西で言うところの、『アメ(飴)ちゃん』でも出すのだろうと勝手な憶測で密かにほくそ笑んでいると、意外なことに彼女が取り出したのは、ビニール保存袋に入っている小さな折り紙の束なのでした。小柄なそのご婦人の手が大きくさえ見えてしまうような、普通のサイズよりもずっと小さい折り紙を袋から取り出し、わずかに震える手先で、慣れた調子で器用に折り始め出したのです。それこそあっという間に色とりどりの鶴や風船、うさぎに馬が出来上がっていきました。私たちにとっては子どもの頃から見慣れた光景とはいえ、なかなかの手つきについ感心して眺めていました。とふと目を上げ周りを見ると、窮屈なロープウェイ車中で身を寄せ合うように腰かけていた周囲の外国人観光客のほぼ全員の視線が、外の景色そっちのけに彼女の手先に集まっていたのでした。そして彼女は、出来上がった折り紙の作品をニッコリ微笑みながら黙って彼らに差し出していったのです。自分達の目の前で繰り広げられている細かで奇妙なパフォーマンスに、彼らの表情が戸惑いと好奇心から驚きと喜びへと変わる様は、何ともほほえましい光景でした。

ORIGAMI!」「Beautiful!」「So cute!」「ドウモアリガトウ!」の歓声が沸き起こり、旅先で出会ったささやかな感動を写真に撮る人、ツイート実況する人、大切に手帳に挟んでお土産にする人と、大いに盛り上がりを見せ、その即席のorigami教室は、ロープウェイを降りた後、強羅駅まで下るケーブルカー内でも繰り広げられたのでした。


その後の箱根登山鉄道車中まで、そのご婦人とずっと一緒だった私は、彼女から色々な話を聞くことができました。折り紙を始めたきっかけは、視力が弱くなり本を読むのが億劫になってきたための、暇つぶしと老化予防、そして手作業に集中することによる、日常の憂うつ感とストレスの解消のためだったといいます。ところが、会社を退職されたご主人と一緒にイスラム圏の国々を盛んに旅行で訪れていたある時、観光客に対して必ずしもフレンドリーではなく、むしろ慎重に距離を置きがちなイスラムの人々を前でその折り紙パフォーマンスを何度か披露したところ、皆一様に驚き喜び、以後とても親しく接してくれるようになったそうです。特に子供たちやそのお母さん達の反応と喜び様はどこへ行っても想像以上で、そのことをきっかけに彼女は言葉のいらないコミュニケーション手段としての『origami外交』にハマってしまったとのことした。年齢を重ね海外旅行へ行くこともなくなってしまった今でも、老人施設やボランティアなどの場面でそれはとても役に立っているとのことでした。

彼女によれば、自分はずっと専業主婦で、大した学歴も教養も持ち合わせていないし、ほとんどのことが人並みにはできない人だと言います。何もできない自分、生きることで精一杯だと思うと、自分に気疲れし虚しくなることもあったそうです。ところが、小さい頃からただ遊びのつもりで覚えていた折り紙が、こんなにも人を喜ばせ人と人を繋ぐ力を持っていることは、彼女にとって新たな発見であり出会いだったようでした。

「結局、人のために私ができることって、『気持ち』を差し出すことぐらいだから。」彼女のその率直な言葉と行動に、私は羨望を超えある種の嫉妬さえ覚えるほどの人間的な魅力を感じたのでした。


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最近、旅行やレジャーへ出かけると自然や観光資源よりも、むしろ出会う人により多くを魅せられることが多い気がします。今回の小旅行もそうです。自然に浸りたいとの思いから出かけた箱根でしたが、心に残るのはあの折り紙のお母さんとの出会い、バスに乗り合わせた仲良しおばさん3人組との交流、話好きのお宿の仲居さんとの尽きない会話だったりするのでした。いえ、むしろこうした人との繋がりを求めて旅に出てしまう、そんな気さえしてしまいます。私にとって秋とは「出会い」の季節でしょうか。何だか人恋しくなってしまう季節です。普段日常では結構な数の様々な人とお付き合いをこなし、言葉を交わすことも多いにもかかわらず、この人恋しさって何でしょう?何故でしょう?歳でしょうか?あるいはまた都会人の人間関係の貧困さゆえなのでしょうか?

 「出会い」とはまた、「少し勇気を出して行動してみること」の大切さを教えてくれることでもあるかもしれません。何をどれだけ深く重く思っていたとしても、行動に移さなければなかなか誰にも理解されないし、何も変わらない。そんな当たり前の事に背を向けてしまいがちな私の背中をちょっと後押ししてくれるのがこの季節かもしれません。会いたい人、ちょっと話しかけてみたい人はたくさんいます。たとえ少しずつでも、たとえ今日は駄目でもまた人に会いに出て行こう。人を理解し、自分を発見するということはつまりそういうことなのかもしれません。


何かにつけなかなか思い通りにいかない、気がつけばモヤモヤするばかりの日々が続くこともあるかもしれません。そんなときは思い切って旅へ出ましょう。ちょっと素敵な旅人を演じてみましょう。いつだってどこにいたって大空は私たちのものです。


いつお読みいただいてありがとうございます。

メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂

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by yellow-red-blue | 2016-10-23 21:23 | Trackback | Comments(0)

嘘でも『ありがとう』 ~ 寒露の頃’16


「早いですね、もう10月ですよ。残りあと3か月ということは、今年ももう4分の3が終わってしまったってことですから。」

「ええ、ほんとそうですよ。デパートの食品売り場なんかもうおせち料理の予約用サンプルがズラリです。」

「え、そうなんですか。そういえばハロウィーンキャンペーンなんか先月末にはもうあちこちで始まっていますし、それが終わればそれこそあっという間に街中クリスマスムードですよね。」

「来月になればそろそろ年賀状の心配もしないといけないし季節の移り変りはいいですけど、なんだかんだとせかされて早く歳とっていくみたいでイヤですね(苦笑)。」


 とまあ、このような当たり障りのない、でも和やかな会話でカウンセリングが始まることもしばしばです。言ってみればこれは、挨拶のような社交的なやりとりであり、たわいもない軽い表面的な会話といっていいでしょう。こうした交流は、円滑で良好な人間関係を築くために、またそのあと交わされるであろうもっと真剣な話の内容へとスムーズに移行するためのいってみれば潤滑油のような、でもとても大切な社会的儀式でもあるでしょう。お互い本音を言えば、そんな会話をする気分ではないかもしれないし、先の年末のことなどあまり関心はないかもしれない。でも、こうした儀礼的交流を一度通しておくことで、互いに好意を持ったり、場の雰囲気が柔らいだり、気持ちをラクにしてくれることもあるわけです。

 ところが、こと自分の配偶者(夫や妻)や付き合っているパートナー相手となると、こうした誰にでも自然と備わっているはずの何でもないコミュニケーションである会話すらままならず、悩みを抱え相談に訪れる相談者が世代を問わず少なくありません。日常生活の潤いある会話がほとんどないばかりか、口を開ければお互い喧嘩腰、非難中傷合戦に終始し、それでも顔を合わせ同じ屋根の下で暮らしていかなければならない毎日のストレスで息が詰まりそうなのだ、と訴える人々がいらっしゃいます。実際、冒頭の会話もまた、結婚後数年も経たないうちにご主人との不仲に悩むある女性と私とのいわば「普通の」会話です。

 元々の原因がハッキリしているケースもありますが、そんな関係にまでなってしまった時期的なものは概ね把握できるものの、そもそもなぜこうなってしまったのか双方よくわからないケースのほうが多いように思います。しばらく一つ屋根の下で暮らしていくうちに、いつしかさまざまな意味でお互いの思惑や感情のすれ違いが積み重なり、ついには修復不可能なまでにお互いの人間関係を悪化させてしまう、そんなふうに説明される方が多いのです。


妻:「なんだか最近体がダルい気がするのよね。」

夫:「気のせいだろ?ふだん家でゴロゴロしてるから。」

 あるいはまた、

夫:「きのう前の職場の人達と久し振りに会ってどうだった?」

妻:「別に


 当然のことながら、お互い視線は交わさずにスマホを眺めたり雑誌を眺めたりしながらの会話。よりオープンに会話を継続したい相手を拒否するかのような、なんの発展も表情もない返答で即終了。ひと言余計だったりそのひと言がなかったり。いちおうは相手の内容に反応はしているけれど、相手の気持ちを汲んでの会話とはなっていない。分かってほしい自分の気持ち、あるいは会話というやり取りを通じて親密さやいくばくかの気持ちを共有したい思いを遮断するかのような会話の見本です。


 あるいはもう少し長くこういうのはどうでしょうか?

妻:「ねえ、あしたの天気わかる?」

夫:「...」

妻:「ちょっと、天気のこと訊いてるんだけど、ひとの話聞いてる?」

夫:「なんだよ!?そんなこと自分で調べりゃいいじゃん。」

妻:「そういう言い方ないでしょ!? そっちがヒマそうにしているからただ聞いてみただけじゃない。」

夫:「だから、人に聞かないでネットでもなんでも調べろって!オレ気象予報士じゃないから。」

妻:「なによ、そうやっていつもすぐキレるんだから!信じられない!」

夫:「そっちでしょ、いつもキレるのは!そっちこそありえない!」


 問題箇所てんこ盛りの会話ですが、まぁこういう会話をしたことは誰にでも覚えがあるかもしれません。いずれも多少修正を加えた会話の実例なのですが、カウンセリングの場でこうした事例を呈示すると、皆さん揃ってひとこと「あ~これ分かる~、一緒です。」と返ってきます。そして間髪入れずに、「こんなのまだいいほうですよ...」とも。一言でも返ってくるだけまだましと言わんばかりの諦めにも似た苦笑顔に、こちらが切なくなることもしばしばです。

 やっかいなのは、こうしたことが日常で常態化してしまうと、もはやどう会話をつくっていけばよいのか、どう話しかければいいのかがだんだんとわからなくなり、嫌気がさしてきてしまうということです。また何か言えば相手が怒るかもしれない、あるいは無視されるかもしれない、はたまた自分からカッとなってしまうかもしれない。はなからこちらが求めているものを相手が出そうという気もないなら言っても仕方がない、そう思うともう相手とは向き合いたくないと思ってしまい、余計疎外感と無力感が募ってしまうものです。

よく言われていることですが、こうした問題については、どちらかが一方的に悪いのではないことが多いのです。自分は変わっていないと思い込んでいるが、実は自分も変わってきていることに気づいていないことも珍しくありません。ああ言えばこう言う、売り言葉に買い言葉ということもあるでしょう。様々な状況で応酬したくなる気持ちも理解できます。コミュニケーション手段としての会話のそもそもの役割における男女差(大雑把に言って、男性はある目的達成のための実際的な手段として会話をしようとする一方、女性にとっては会話することそのものが目的であり、それにより感情を共有したいとの欲求がより強いと言われています)もあるでしょう。しかし私たち人間は相手が悪いと思ったら最後、そのレッテルを取り下げることはなかなかできません。ましてや自分にも非があることなど認めようとはせずに、自分に有利な証拠集めに日々心を配ることとなります。こうして相手への不信と嫌悪はその人間本性にまで及ぶこととなり、やがては家庭内別居、離婚や別れを選択してしまうことにもなってしまうのです。


 さて、ではどうしたらいいかというと、はっきり言って一朝一夕で関係が改善するものではありません。ですが、上で挙げているような会話実例について客観的に見直し、実践につなげるコミュニケ―ショントレーニングはとても大切です。

・どちらが問題だと思うか?

・どこに問題があると思うか?

・言葉づかい、言葉の選択、言い方や声のトーン、表情はどうだろうか?

・どう変えれば円滑なコミュニケーションといえるか?


 そして、典型的な会話例の検討に続いて、クライエントに起きた実際の会話についても同じように検討していきます。交わされる言葉一語一語について丁寧に考えていきます。実際の場面を良く思い返してもらい、状況を冷静に振り返ってもらう。これを繰り返していくことにより、自然とよりおだやかな言葉の選択あるいは、どうしても無理な場合の対立を生まない態度(避ける、ほっておく、謝る、言いたくなるその一言をぐっと飲み込む)のコツを次第に身につけていくことができるのです。

こうした訓練を積み重ねることはとても大切なことなのです。何故ならば、当然不仲やコミュニケーション不調の原因は様々で複雑です。そのことを探ることも大切ですが、そうしたことにこだわっていると、なかなか先が見えてこない場合もしばしばです。ですから、根本原因は当面さておき、そうした問題の結果としてのアウトプットである会話そのものに変化を加えていることで、お互いの行き違いや隙間の感情を徐々に埋めていく、心のささくれを徐々に取り除いていくことに取り掛かるのも一つの方法なのです。私たちの脳は発せられる言動に敏感に反応します。それはネガティブな方向でもポジティブな方向でも一緒です。少し和らぐ、相手が変わる、いつもならこうなる会話がそうはならなかった、の積み重ねによって、徐々に私たちの脳にポジティブなイメージが上書きされていくことがあることを知っておくことは大切です。


訓練の積み重ねが大切であることのもうひとつの理由は、離婚や別れの原因としてしばしば登場する、「価値観の違い」、「人生観の違い」、「性格の不一致」といった一見もっともらしい言葉が、どうも説得力に乏しいように思えるからです。よくよく事情を聞いてみれば、価値観や人生観について説得力ある言葉をなかなか口にすることはできず、本当のところは日常のささやかなやりとりに生じる齟齬(そご)、相手への肯定的配慮の欠落や受容への無関心の積み重ねが、修復不可能なレベルまで達してしまい、その理由を一括り(ひとくくり)にする方便として、そうした言葉が用いられるにすぎないケースも多いと考えられるからです。価値観が違っても、仲良しのカップルだってたくさんいらっしゃるでしょう。不仲になることとは本来は全く違う次元であるべきなのです。何故ならば、私たちは元々価値観も人生観も性格も違う人間です。そうした違いを前提に2人どう寄り添って生きていくかが問われているのが夫婦でありカップルです。違いや不一致はもとからあり、いやそうだからこそ一緒になった場合だってあるにもかかわらず、何らかのきっかけでそれらが邪魔になり障害になったに過ぎない、というわけなのです。

 

「でもこっちがいくら頑張ったって、相手が直さないのではしょうがない。」そうなのです。いくら頑張っても相手がそのままだったら、ストレスはなかなか解消されません。夫婦やカップルが2人そろってカウンセリングを受けるケースもそうそうあるものではありません。しかし、相手に対し変化を諭しても相手を待っていてもらちが明かないのであれば、こちら側から変化をつけていくしかありません。夫婦の問題については、ほぼ両者に責任の一端があります。相手に変化を求めるならまず自分から、というのが何につけ共通する問題解決の近道なはずです。大切なのは目的です。相手に非があること、白黒ハッキリさせることにあるのではなく、どうしたら心の平和が訪れるかを忘れずに考え行動することが大切です。

そんな子供の国語の授業みたいなこと今さらできない、とおっしゃる方もいます。でもそういう方に限って自分が投げかけている言葉を客観的に受け止められなかったり、そう言われた相手の気持ちに鈍感だったりするものです。一人ではあるいは家庭ではなかなかできない分、支えてくれる誰かとレッスンするつもりでやると意外な発見があるものです。少なくともカウンセリング当日翌日あたりはぐっとこらえられた、となればそうそうその調子、です。そうやって一日一日少しでも気分がラクになる方法を見つけていくことも、全く意味のないことではないのです。繰り返しますが、大切なのは相手の態度に敏感になることよりも自分の目的を忘れないことです。


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 でもやっぱり、言うは易く行うは...ですね。その通りで、いま述べてきたトレーニングはあくまでカウンセリング時間内でやっていただくもので、それを普段の日常生活の場で実践することを求めているわけではありません。それはむしろずっと先で構わないと思っています。それには少し時間もかかるし余計な負担に気疲れしてしまい、結局長続きしないことにもなるからです。

ですから問題を感じている方には、日常生活で以下の比較的シンプルな3つのことを提案しています。

 

1.他の会話はなくとも、『ありがとう』『ごめんなさい』『おはよう』『おやすみ』の4つだけは、どんなことがあっても大切にする。


コミュニケーションに問題を抱えているカップルにほぼ共通していることは、この4つがおざなりになっていることです。逆を言えば、基本的な挨拶である「おはよう」「お休み」「ありがとう」「ごめんなさい」を相手に対して言わなくなったら(言えなくなったら)、現状どれほど仲が良くても、ある意味危険信号でもあります。考えてみれば、人として基本的な礼儀として小さな頃から言われたことができないのですから、そりゃ良好な関係は保つことは難しいのです。こうした基本的な言葉を口にすることを、関係が悪化したあとに改善していくのはなかなかに困難です。それほどこの4つの言葉は短いながら、相手の気持ちを和ませ、感情的反発を抑制し信頼感を生み出す力があるといえるのです。

何も『愛している』『あなた(君)といるとやっぱり幸せ』などという歯の浮くようなセリフをいきなり連発しなさいなどと言うつもりはありません。嘘でもいいから『ありがとう』なのです。それは、相手に向かってだけではなく、むしろ我慢して頑張っている自分に向けるつもりでさりげなく、でもできるだけほがらかに口にしてみることが大切です。

それから、『いってきます』『ただいま』『おかえり』の3つも大切な声掛けですので、できれば頑張ってみてください。これも相手に対してという意識はあまり持とうとはせずに、自分の住まいや自分自身に響かせるつもりでちょっとでも明るく振る舞うといいと思います。


2.決して発しない言葉を一つでいいから決めて実践する。


特定の相手を非難する言葉は使わない。相手の人格を傷つけるような、相手が一番嫌がるような言葉、セリフは使わないと決めることです。たとえば私は、3番目の文例でも出てくる「キレる」と言う言葉、あるいは「いつも~」「すぐ~」という、相手の行為を一般化普遍化して決めつけるような形容詞を使わないことなどをお勧めしています。これは相手に対してもそうですが、自分自身に対しても使わないようにします。私見ですが、「キレる」ほどイヤな言葉は最近ないと思っています。その言葉の持つニュアンスと含意は、それこそ切れ味鋭すぎるほどに相手の人格までも断定・否定し、ある種の欠陥性のレッテルを貼りつけ、言われた相手の感情を切り刻むものです。皆さんも経験がおありだと思いますが、喧嘩の最中はそうした相手を傷つけ、傷口に塩を擦り込むような陰険な言葉をお互いにここぞとばかり嬉々として投げつけがちです。こうした不快で汚い言動を投げかけられ、私たちの多くはそれで深く傷ついた経験はあるはずです。それでは良好な関係は築くことはできないのは明らかなのです。

 相手に何かを求めたいときは、自分からできることはさっさとやってしまう、ということは大切です。相手は相手、自分は自分、できることをやるだけです。問題がある状況では、相手を意識すればするほど腹立たしさと無力感は募るばかりです。まずは自分自身の中での変化に気づくことに集中することです。相手のことは気にせず、そうして努力している自分を積極的にねぎらい、いたわることです。できるだけ思いやりの言葉や行動で、自分の心を平和で満たしてあげることです。言葉はいつしか自分に返ってくるものだからです。


で、最後になりますがもうひとつ。

3.カウンセリングの場で、自分の中の不満を余すところなく吐き出してもらう。


 相手への不満やストレスを一気に吐き出してもらうことなのです。相手への配慮や思いやり、夫婦やカップルとしての情はひとまず脇にどけて、相手は人間でないぐらいの気持ちで、正直な自分を表現してもらうことです。意外やこれが相手がいないとなかなかできないものなのです。カウンセリングの間だけは、私とクライエントの二人で共犯関係を作り、相手への不満をぶちまけることに躊躇しないように伝えます。それを毎回必ずやる。でもそれはここ(カウンセリングルーム)だけにする。いったん吐き出した後は、きっぱりと切替えて自分のできることに集中する。相手がどうであろうと自分の本心ではなかろうと。これが一人でやるより、ずっとスッキリするものなのです。

 実はこれが一番大切なことかもしれません。新鮮な空気で胸を一杯に満たすには、まず息を吐き切らないと、ですね(^^


いつもお読みいただいてありがとうございます。

メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂



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by yellow-red-blue | 2016-10-08 22:01 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心安らぐ経験や出会いなど、時にカウンセラーとして、時に仕事から離れ、思いつくままつらつらと綴っています。


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