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六本木、冬夜景 ~ 冬至の頃‘16


 「お久しぶりです。」

クリスマスを間近に控えたある夜、六本木駅交差点からほど近い書店の前で待ち合わせたのは知人のFさん。お会いするのは6,7年ぶりでした。ベージュのカシミアのセーターに真っ赤なオーバーコートに身を包んだその日のFさんは、寡黙で控え目な50代の女性という私の抱いていた印象とは随分と違って見えました。

「そのコート、今のシーズンにピッタリですね。よくお似合いですよ。」

「年齢に不釣り合いで派手でしょ。恥ずかしいけど。思い切って着てきちゃいました。なんたって六本木ですから。」と、少し恥ずかしそうに笑顔を返してきました。

「いえいえ、とってもお似合いですよ。すみません、遅れまして。」

「ぜ~んぜん。なんだか六本木が懐かしくて周辺少しウロウロしちゃった。思ったより変わっていなくてホッとしたかな。」

外見と同様に、以前とは随分と印象が異なる、陽気なトーンの口調や表情に少し驚きつつお店へと向かいました。


 

 席につき注文を済ませ、改めてお互い再会の挨拶をし、会話が始まりました。

 「なんかこんなところまで押しかけてしまったようでちょっと申し訳ないですね。」とFさん。

 「いえいえとんでもない。こちらこそいろいろとお世話になりながらなんのお返しもできなくて。今日は好きなもの何でも召し上がってくださいね。」

「え~でもそれは申し訳ないですよ。ここ高そうだし。でもすごくいい雰囲気のお店ですね。」

「大丈夫ですよ。そんなに高くないしとってもおいしいんです。地元だし知ったお店なのでご馳走させてください。」

「ヒヤ~六本木が地元なんて、カッコイイ~、あたしもそんなこと言ってみたい。今日はラッキーだな。」

やや濃いめのメークや身に着けているアクセサリーなども今までとは違う印象に拍車をかけていたようでした。久し振りの六本木の街がそうさせるかのようなFさんのプライベートな顔。人はいろいろな顔を持っているものだとつくづく感じました。

「そういえば、お仕事何をなさっていらっしゃるんでしたっけ」

「小さな出版社の契約社員よ。休みはあまりないし朝も早いし正直キツイです。でも昔やっていたことを何とか生かせる仕事だから」

 Fさんは独身の一人暮らしでご結婚の経験はありません。以前はプライベートなことについての会話はほとんどありませんでしたが、今回は料理とお酒が進むにつれ、Fさんの口はいっそう滑らかになり、こちらから話題を向けなくてもいろいろなお話をしてくださいました。何かそれを待ち望んでいたかのようにもわたしには感じられました。



「お住まいは?」

「所沢の奥の方。都落ちもいいとこね。通勤は大変だけど居心地はいいですよ。自然も多くて空気もおいしいし。ホッできるところね、でも」「でも?」

「今日六本木来てみて、やっぱりなつかしいというか違った意味でホッとしちゃった。」

「なんかお話聞いていると、本当に六本木がお好きなんですね。」

「好きというか、バブルの頃もその前からもなんか特別な街だったな。あの頃の東京の街はどの街もそれぞれが違っていて、街ごとに集まる人も目的というか役割がハッキリしていた。今はどこへ行っても同じような感じで、誰もかれもが行けるようなところばかりよね。」「あの頃はね、仕事終わって六本木へ繰り出して深夜まで騒いでいたものよ。一人でもよく行ったけどでもちっとも寂しくなかった。いつでもだれとでも知り合いっていう空気があったもの。なじみの店も何軒かあってね。古き良き時代の思い出だけれど。」

心なしかFさんの表情が生き生きと若々しく見えました。

Fさんは若い頃は広告代理店に勤務するごく普通のOLさんでした。バブルも終わろうかという頃、一念発起し自分のお店を開くという長年の夢を実現させました。友人と二人で、カフェを併設したアンティーク雑貨のお店を代官山の少し外れたあたりに構えたのでした。オープン当初はコンセプトの新しさと豊富なカフェメニューが評判を呼び、メディアなどでも紹介され、忙しくてうれしい悲鳴の毎日だったそうです。しかし、それも長続きせず、次第に客足は遠のき経営は苦しくなっていきました。それでも一度はつかんだ夢を手放すのは忍び難く、あらゆる努力やテコ入れに奔走したものの結局数年で店じまい、かなりの借金だけが残ってしまったそうです。借金返済のためOLにしばらく戻ったものの、無理とストレスが重なり、重い心臓病をわずらい長期の入院を余儀なくされたそうです。その後結局自己破産の手続きを取り、以降は知人に仕事を時々世話してもらいながら、何とか生活してきたことを打ち明けてくれました。

「でも、後悔はないのよ。つらいこともあったけれど、すごく楽しかったし、人生生きてるって感じだったから。OL時代には味わえなかった充実感があったから。」

「じゃ、その頃からも六本木にはよく来ていた?」

「お店やるようになってからはめったに来なかったけど。今じゃこんなところ来れる身分じゃないし。でも六本木でいろいろと学んだから自分のお店を出すことができたのは事実。だから六本木はいまも特別なのよ、私にとっては。」

Fさんの本当に意外な過去に内心驚きつつも、小柄で控え目な容姿には似つかわしくないのかつて抱いた人生への飽くなき情熱を垣間見た気がしてふっと心が和む思いでした。

「ずっと、独身だったのですか。お話聞いているとなんとなく結構男性にモテた感じが伝わってきますけど。」と、すかさず

「イヤ~、まあまあだったかな(笑)。結構付き合った男性はいたけど。でも結局いつも最後はフラれちゃった形かな~。」

「またそんなことないでしょう。ご自分から振ったほうじゃないですか。」

「え~、そう見える~?じゃそうしとく(笑)。ここのお料理本当においしいわね。こう見えて料理には詳しいからよくわかるのよ。感激だな~、こんなところもう滅多に来れないし。」

とにもかくにも楽しそうだったのでよかったな、と思っていると、まだ男の話は終わってはいなかったのでした。

「男運がなかったと言えばそうかもしれないけど。いつも同じような男性を好きになって希望を持つんだけど。」

「同じようなタイプって?」

「年上のオジサンよ。しかもたいていは家族持ち。」

それじゃ不倫じゃないですか、男運云々というより、とツッコミを入れたかったのですがそこはこらえました。

「そう、わかってるんだけど。なんだかそこに行っちゃうのよ。で、別れるのが怖いから相手のナマ返事にすがってズルズルとね。よくあるパターン。」と苦笑いするFさん。

「結構尽くすタイプだけどな、自分で言うものあれだけど。料理の腕にも自信あるし。」


「趣味は?」

「しいて言えば食器集めかな~、お店やったのも半分はそれ目的なところもあるし。昔からいろいろなお店覗いちゃ買いそろえるのが好きで。これで結構目も肥えているのよ。お店始めた時も一生懸命探し回ってそろえて。おかげでひと財産使っちゃったけど。すごく評判よかったな。」

借金返済に少しでも充てたかったが、愛着がわいてどうしても処分できず、大半は今でも自宅の押し入れに眠っているのだとか。

「相手もいないのに、将来の結婚生活夢見てペアのグラスやお皿もつい買いこんだりしてね。今でも本当に好きで、お金もないくせについ買ってしまうこともあって。使うあてなんてないのに...


「ご家族は?確か北海道のご出身ですよね。」

「3人兄妹の末っ子。両親はまだ元気みたい。でももう誰とも何十年も連絡とってない。あまりその話はしたくないなぁ。」

Fさんがその晩はじめてみせた、伏し目がちの硬い表情でした。

その後デザートまでは何とか明るい差し障りのない話題で乗り切り、陽気さを取り戻したFさん。

「いや~でも今日はなんだかラッキーだな。こんな美味しいイタリアンを食べるのも男性と一緒に食事するのも久し振りだし。なんかたまにはいいことがないとね。」

わずか数時間の間にめまぐるしくその表情を変えるFさんの姿は、少し酔っているせいもあったのでしょう、私の目には視点と時空間が複雑多面にからみ合うキュビズム画家の描く自画像のように映りました。


 

 気が付けばもうそろそろ日が変わろうかという時間になり、急ぎ地下鉄の入り口へ向かおうとお店を出ました。

「やっぱり六本木ね、いいな~。折角来たからもう一軒寄ってみたいところ思いついたんだけど、ちょっとだけつきあってもらえます?すぐ近くだから。」

 正直もう帰りたかったわたしでしたが、お酒の入ったディナーの後の寒い夜風は少々心地よく、心から嬉しそうなFさんの表情を見て、付き合うことを承諾したのでした。

 歩いてほんの5分ほど、細い路地裏に立つ雑居ビルの地下がFさんお目当てのお店。

 「やっぱりまだあった。ここここ。懐かしい~、マスターまだいるかなぁ?」

 お店のドアを開けると目の前に広がるのは、昭和のいかにもな雰囲気のバー。店内正面奥には馬蹄形の堂々としたカウンターがあり、その周囲にベロア地の様々な形のソファや、重厚な木製椅子とテーブルがいくつか並べられていました。お酒とたばこの匂いと穏やかに流れるジャズの音色の染みついた室内には2組のカップルがいるだけ。ごく控え目なシャンデリアの照明とカウンター奥にずらりと並べられた様々な色や形のボトルの輝きが、カウンター後ろの壁一面に張られたミラーに反射し、室内を実際よりより広くそしていかにもなムードたっぷりに演出していました。そしてそのカウンター後ろに一人立つバーテンさんの姿。

「いらっしゃいませ。」

暖かなもてなしを期待させる落ち着いて穏やかなトーンの声が耳にとても心地いい。わたしたちは無言でカウンターバーに腰かけました。Fさんを覗くと無言で、「そう、このマスターよ。」と目配せしてきました。

 「ずいぶん久し振りですね。お元気でしたか?」なんと声をかけてきたのはマスターのほうからでした。

 「びっくりした。え~覚えていてくれたんですか?」大きく目を見開いたFさんの驚きは相当なものでした。

 「もちろん覚えていますよ。もう10年以上お見えになっていないですよね。でもすぐわかりましたよ。」

 と優しく語るマスター。背が高く痩せていて白髪交じりの短髪をきれいに整え、彫の深い顔立ちにあごひげがよく似合う、まさにこれ以上ないほどの典型的なバーのマスター。何だろう、普通なら毛嫌いするはずのたばこと酒の混じった匂いにもかかわらず、この引き込まれるように和む感覚は?お酒がはいっていることもあるけどでも...

 「本当に?確かに良く通ったけれど。まさか覚えていてくれるなんて思ってもみなかった。」

 「よく来てくださってましたし、いつもとても楽しそうに会話してらっしゃいましたから。そういえば連れの男性も色々でしたよね。今日もまた違いますけど」とニヤリ。

 唖然とFさんを振り向くわたしを見て、「やだ~恥ずかしいな、全部バレてたか。」といいつつ、まんざらでもなさげな嬉しそうな表情で切り返します。


 ✽


 その後しばらくは、一軒目でわたしと交わした話題を繰り返したり、六本木の昔話をしたりで時間が過ぎて行きました。お店がつぶれ自己破産した段になると、マスターは本当に残念そうな表情を見せたのでした。

「お店始めたのは聞いていたけれど、どうしてもっと早く話してくれなかったの。いろいろ相談に乗れたし方法もあったのに。」

 「ゴメン、恥ずかしいやら落ち込むやらで気持ちの整理ができなくて。」

 「でもマスターはちっとも変わらないね。相変わらず素敵だな。」話題を変えるかのように、マスターをカウンター席から崇め呟きました。

 「冗談でしょう。もうすっかり歳とりました。実は偶然だけど今日で僕定年なんです。」

 「え、どういうこと?ここ辞めるの?」

 「ええ、もうかれこれ30年以上になりますから。朝になったら片付けてハイ終わりです。明日からは若い代わりが来ます。」

「ええ、そんなショック!」

「もういい加減こんなことやる年齢じゃないですよ。」

「じゃあでも、マスターの最後にここにまた来れたってこと?すごい偶然!感激!今日はなにもかもがラッキー。なんだかあたし何かに導かれているのかな?何かが変わる前兆かな。」

今日何回目かのラッキーと感激を口にするFさんのろれつは、すでにかなり怪しくなっていました。Fさんがよろよろと化粧室に立つのを見て、そろそろ帰らなければ、明日もまた仕事があるし、と思いつつ、残された二人でしばらくまた会話をしていました。いやそれにしても、マスターの話し上手聞き上手っていったらありません。なぜかしゃべりたくなってしまう、優しく導かれる、そんな感じでした。

「彼女遅いですね。」とマスター。そういえばかれこれ20分以上経つのにいまだにトイレから戻ってきません。トイレをノックしても返事はなし。もう少し大きなノックをして「大丈夫ですか?」と声を大きくすると、やっと小さな声で返答ともうめきともつかぬ声が返ってきました。

「大丈夫ですよ。もう少し待ちましょう。」

マスターが微笑みました。しかし、やはりいくら待っても出てこない。やむを得ずマスターが鍵を使ってゆっくりとドアを開けると案の定、酔っぱらったFさんはトイレの床の上に伸びていました。

「大丈夫ですか?どこか気分悪いですか?」

身体をゆすってもフニャフニャうめくばかりで起きようともしません。困ったなと思いつつ、既にもう時計は夜中の1時を回っています。ここは何が何でも起こさねばと思い、

「ほら、Fさん、もう起きましょう。もう帰らなきゃ。タクシー呼んであげますから。ね?さぁ起きましょう。」

少し強い口調でFさんに話しかけましたが、Fさんは目を閉じたままで反応はありません。やむを得ず彼女を抱きかかえるように少し起こしにかかろうとしたとき、Fさんが目を閉じたまま蚊の鳴くような声でつぶやいたのです。

「わたし寂しい」

「え?」わたしはハッとしました。

「帰りたくない。帰ったって誰もいやしない。寂しい」

「でもね、ここにはいられないですよ。もうやっぱり帰らないと。明日だってお仕事ですよね」

「どうしてそんなひどいこと言うの?ちっとも優しくないじゃない。これからわたしどうして生きていけばいいの?もう疲れた。わたし疲れた」

途切れとぎれに絞り出すようなFさんの声に、わたしはなすすべもなく固まってしまいました。少し汚れのついた赤いコートが化粧室の薄暗い照明に痛々しく映えます。

「わたしが面倒見ますよ。大丈夫。タクシー呼んできてもらえますか」

落ち着きはらったマスターが笑みを浮かべながらわたしの傍らに立っていました。マスターはそのまま倒れ込んでいるFさんの傍らに屈んで、右手をFさんの肩に優しく手をかけながら、囁くようにゆっくりと話しかけます。かける言葉はわたしと全く変わりません。しかし、その言葉にはFさんへの思いやりが滲み出る、心からの言葉がけでした。一方のわたしときたら、Fさんを気遣いつつも、早く帰らなければ、明日の仕事が待っている、が見え見えの二枚舌ゼリフに過ぎなかったのでした。だいぶ時間が経過した後、やっとFさんはもうろうとしながら私とマスターの肩を借りて立ち上がり、階段を上って無言のままタクシーに乗って帰っていきました。


 ✽


「お疲れ様でした。これどうぞ。」

バーに戻りカウンターに疲れたようにどっかと腰かけているわたしにマスターが差し出してくれたのは、いつの間に外で買ってきたのか缶コーヒーでした。しばらく2人して黙々とコーヒー缶を傾けていました。気が付けばもう時刻はまもなく午前3時。

「やっぱり彼女も歳をとったんでしょうか。昔はいつももっと明るく楽しい方でしたよ。」しみじみとマスターがつぶやきました。「残念ですね。もっと早く教えてくれれば本当に何とでもできたのに。」繰り返すマスターの言葉がわたしの胸にも痛々しく突き刺さりました。Fさん大丈夫だろうか、ちゃんと無事に家まで帰れるだろうか、明日の仕事は大丈夫だろうか?そんな気持を察したかのようにマスターは微笑みながら、

「大丈夫ですよ。明日になればほとんど覚えていないでしょうし、女性はああ見えてやっぱり強いんですよ。」「そうでしょうか。」

「切実な思いも時々ああやって吐き出してしまえば、その後は何事もなかったかのようにしっかりと生きていく人を何人も見てきましたから。本当ですよ。内心つらくてもそれを抱えていく力があるのは女性ですよ。それに比べたらわたしたち男なんて弱いですよ。弱音を吐く勇気すらない人がほとんどですから。」

「確かに。そうかもしれませんね。」そういうのが精一杯のわたしでした。

すっかり酔いは覚めましたが、早く帰られなければという思いはとっくになくなり、まだしばらくここにいたいと感じていました。

「本当に今日で最後なんですか?」

「ええ、そうです。」

「じゃ、寂しいでしょうね。思い入れもおありでしょう、六本木には。」

「いや思い入れなんて大してないですよ。」と意外な言葉を返すマスター。

「毎日、夕方に来てそのまま翌朝まで店で働いて、またバイクで帰るだけをずっと続けてきただけです。六本木のことだって本当はよくは知らないんです、ずっと店にいるわけですから。お客さんの話にいろいろと耳を傾けてきただけです。仕事と割り切って生きてきましたから。」

「じゃもうここへは来ないのですか?」

「もう来ないでしょうね、六本木には。来たい理由もないですし。帰るべき場所に帰るだけですね。子どもも独立してもう十分仕事したと言う感じですから。もう来なくてもいいんだと思うと、逆にうれしいぐらいです。」



「いろいろとお世話になりました。おやすみなさい。」

「こちらこそ。最後のお客さんがお二人でよかったです。どうかお元気で。」

 クリスマスシーズンの眠らない街とはいえ夜中の3時を回った六本木は、建物の中はともかく、少なくとも外は大夫静かで人通りも多くはありません。急に冷え込みが厳しくなり冷たい風が身に染みる中、とぼとぼと家路を急ぎました。Fさんとマスターのことを思うにつけ、結局六本木にひとりこれからも取り残されるのは自分であることになぜか気分が沈んでいきました。

また負けか...。ふとそう思ってしまったのでした。Fさんにも、そしてバーのマスターにも。最近負け多いかな、よりによってクリスマスにまた

随分と前、小さなライブハウスでのコンサートに友人に誘われて行ったことがありました。名前も聞いたこともない、老いてなおロックンローラーという感じの方の演奏でした。歌詞にしろ旋律にしろどこかで聴いたようなものばかりだし、曲より語りが多くなんだかひどく居心地が悪かったのですが、ただそのミュージシャンがこんなような言葉を言ったことをおぼろげに覚えていました。

「僕はね、いまだにギター一本だけ持ってよく海外を放浪するんです。で何しに行くかといったら、ひとことで言えば、人生負けに行くんですね。外へ行ったら誰も自分を知らないし、簡単には誰も助けてはくれない。おのれの小ささ、足りなさをいつも忘れないために放浪するんです。」

年甲斐もなくキザなセリフだな、と思ったものですが、何だかその言葉がその時身に染みてきたのでした。負けるのも学び。でも負け続けるのは誰でも正直しんどい。いつかまた必ず勝つと信じ生き続けるのも本当は難しくそして孤独であることを、Fさんを思うと痛感させられるのでした。

翌朝、Fさんからは精一杯明るく振る舞った謝罪と感謝のメールが届きました。今日も仕事に行ってます!と元気に書いてありましたが、あんなに遅く遠くまで帰ったFさんは、本当は仕事へ行っていないのでは、とも感じました。わたしも精一杯の気遣いを見せながらも無難なメールを返しました。当たり障りのないお互いのやりとり。もう二度と会うことはないだろうとお互い薄々感じるには充分なほどに。それはFさんをどうしてさしあげることもできないだろう、力にはなることはできないだろう自分と向き合うことに耐えられなかったわたしの選択でもありました。

あれからもう随分たちますが、なぜか時折まるで昨日のことのように思い起こすある冬の夜の出来事です。



 12月も半ばを過ぎ年末の街はクリスマスムード一色。大通りの並木は鮮やかなイルミネーションで彩られ、夜ともなればまぶしいばかりの色とりどりの光が街をロマンティックに演出します。通り沿いや巨大商業施設内に立ち並ぶお店も、クリスマスの買い物客を惹きつけようとアイディアの限りをつくしその魅力にいっそう磨きをかけることに余念がありません。そうした華やかさに吸い寄せられるように、街は夜遅くまで家族連れや観光客、会社帰りのグループやカップルであふれかえり、それが平日も週末も変わることなく続きます。

 これが六本木の今の姿です。六本木といえば夜の街、眠らない街、大人が遊ぶ街。いつも世相と景気とに敏感に反応し時代を映す鏡ともいえる界隈です。同時に年齢、職業、国籍、身分を問わず、人と価値観が混沌と交錯し集い、騒ぎ、そしてまた散っていく欲望と夢の街でもあるでしょうか。気がつけば、日々の暮らしでどっさりこびりついてしまっている心の垢を少しでも落としにやってくる場所。時に息詰まる毎日からほんのひと時逃避できるかのような、決してどこの街とも似ていない非日常の空間。美しいわけでも上品でもないし、時と場合によっては不穏かつ不快ですらあるのですが、でも多くの人々にとって普段省みることない隠された自己の一部と遭遇する場所なのかもしれません。

 そんな六本木もこの10年ほどの間に劇的に変わっていきました。六本木ヒルズ、東京ミッドタウン、新東京国立美術館、六本木一丁目再開発地区など、次々と新しく巨大な商業オフィス施設・レジャースポットが誕生していきました。これからも新たな新名所が次々と誕生を待つ六本木エリアは変化のとどまることを知らないようです。 

 非日常的空間に持ち込まれる巨大な日常と家族、観光レジャー、ベッドタウンライフスタイル。依然として深夜を迎えればそれらしいこの街も確実にその性格を変えようとしています。そのことをいいとも悪いとも思いません。常に時代を映し出す鏡でありながら、でも自らを決して変えることをしてこなかったこの街も、もはや変わっていかなければならないのでしょう。でも、「どこか他(の街)と同じように」変わっていってしまうことに少し寂しい思いがないわけではありません。

Fさんやバーテンさん、そしてこれを読んでいただいた皆さんにとって幸せ一杯の今年あと少しと新年になりますように。


(※当ブログの各記事の中で言及されているエピソードや症例等については、プライバシー配慮のため、文章の趣旨と論点を逸脱しない範囲で、内容や事実関係について修正や変更、創作を加え掲載しています。)

メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂

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by yellow-red-blue | 2016-12-23 23:26 | Trackback | Comments(0)

記憶と記録(Ⅱ)~ 大雪の頃’16

 『記録の王、記憶の長嶋』

昭和以前の世代の方ならこの言葉はよくご存知かもしれません。昭和のプロ野球黄金時代、9年連続日本一に輝いた読売巨人軍の二枚看板スターだった王貞治と長嶋茂雄の二人は、同時に一(いち)スポーツ選手としての存在を超え、戦後日本の国民的英雄として、時代を象徴する尊敬と憧れの的でした。しかし二人の個性は対照的でした。ストイックで誠実な人柄とたゆまぬ鍛錬によって完成した正確無比なバッティングで、圧倒的な記録を打ち立てた世界のホームランキング王貞治がまさに『努力の人』であったのに対し、どことなくひょうきんで喜怒哀楽豊かな表情やプレーぶりがクローズアップされ、ここ一番のチャンスに無類の強さを発揮するバッティングセンスで人々を魅了し続けた『天才肌』の長嶋茂雄。この二人が合い並び立ったればこその巨人V9だったわけですが、勝利への実質的な貢献や記録をみれば、むしろ圧倒的に王さんが上回っていたにもかかわらず、その人柄と独特のカリスマ性ゆえに王さん以上に人気のあったのが長嶋さんでした。野球少年や高校球児達が王貞治にあこがれる一方、多くの国民は今でも長嶋茂雄のハッスルプレーや人間的な魅力をより鮮明に記憶にとどめているようです。人柄といって、長嶋さんを一般の人間がよく知っていたわけもなく、せいぜい有名人としてのエピソードやテレビ中継などのプレーを通じてしか知ることはなかったにもかかわらずです。いえ、むしろそうであったからこそ、わたしたちは生きた時代の空気やそれぞれが抱く夢と願望とでそのすき間を埋め、自らが期待する人物像なりヒーロー像を彼らに投影させ、それぞれの胸に刻み付けていったのでしょう。王や長嶋は、実在する一人ひとりの人間でしかないにもかかわらず、彼らへの想いはそれこそ日本人の数だけ存在し、それぞれが記録や実像を超えた心の記憶としてわたしたちの心に深く刻み込まれ語り継がれていく存在だったのです。

前回のブログで紹介した2つのエピソードも同じです。昭和天皇の玉音放送を日本国民がこうべを垂れ、涙しながら聴き入ったというあの終戦の日は、その時代を生きた人々だけでなく以後の時代の人々にとっても、灼熱の太陽が照りつける、うだるような真夏の晴天の長い一日の出来事であるはずだったのでしょう。またわたしの祖母にとって、ネズミの大群の大移動という異様な光景は、関東大震災ほどの天変地異であったればこそ起きた出来事でなければならなかったに違いありません。こうしたことがたとえ事実や記録とは異なるものであったとしても、それらは心の真実、心の風景としてわたしたちの脳裏に深い痕跡となって刻まれてきたのでしょう。アメリカの映画監督で、「駅馬車」「荒野の決闘」「怒りの葡萄」「我が谷は緑なりき」など映画史上数々の名作を残した巨匠ジョン・フォードが発したある言葉が思い浮かんできます。

『真実か伝説かのどちらをとるかと問われれば、私は迷うことなく伝説を選ぶ。』



記録過多、すなわち情報過多の世の中では、ある種の「怖れ」の感情が心に棲みつきます。情報を知らないことへの怖れ、それを周囲の人と共有していないことへの怖れ、流行についていっていないことへの怖れ、仲間の輪から取り残されることへの怖れ。さらにはとにかく何かしなくてはならないのではないかという怖れ。またこうした世の中は、「今」を硬直したものとしてわたしたちの心を束縛します。「今」にがんじがらめになってそれを受け入れるだけで、物事の本質やあるべき姿とはどのようなものなのかを一度考えてみること、それを行動に移してみるということからわたしたちを遠ざけていきます。自分が考えている以上に主体性を持った思考や行動が阻害されているのに、わたしたちは「選択」していると錯覚し、そのことに気づかずに人生が進んでいってしまう。目に見える結果や解決策が簡単に素早く、しかも効率的に得られるものばかりに飛びつくことを強いられる。だから、必ずしも期待通りの結果に直接に結び付かない思考や行動の試行錯誤そのものに実は深い意味があるとは考えられず、それを試す心の余裕も時間もないと決めつけてしまう。一向に変わることのない経済優先社会の中で、物質的にはそこそこ満たされごく限られた内輪向きのための努力は惜しまないものの、外部からの入力情報をそのまま無条件的に受け取るばかりで、世俗的な価値観を相対化し複眼的に人生の意味や社会の在り方について考え、そして自らの内なる指針に心を割いて行動することへの無関心さがわたしたちの心に影を落としてはいないでしょうか。

記録することだってもちろん大切です。大切ではあるけれど、記憶し想像する力は、もっと大切にしなければならない人間の持つこころの機能です。情報交換の記号としての記録に頼るのではなく、記憶と想像がもたらす豊かな心象風景を自らの人生の語りとして大切に育むことが、私たち相互の心の理解と他者への共感を生み出だす大切な原動力となります。私たちが社会生活を営むうえでの基本ですら言える、と考えています。



「写真ないの?料理とかみんなの顔とか

つい先日の忘年会の後、都合でやむなく欠席した友人へ報告のメールを送ったところの、その不満顔が目に見えるような返信がこれ。いやしまった、と毎度のように後悔しつつ、普段から写真を撮る習慣のないわたしにとって、これができる様でなかなか難しいのです。

「大丈夫、撮ってるから送りま~す。」と、別の友人が割って入ってくれる。助かった。いや、でもいつの間にそんな写真を撮っていたのか...さっぱり覚えていないわたしなのに。

「ありがと~、楽しそうで残念。次絶対参加するから!」

記憶も結構だけど、こういう場合やっぱりまず記録かなぁ。なにかこうタイムリーに記録する癖をつけるいい方法やコツってないものでしょうか?これ結構真剣な悩みでもあるのです。

「その前に、そろそろスマホぐらい持ったら?」

そう言われるのがつい癪で、沈黙を守っているのですけれど。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

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by yellow-red-blue | 2016-12-14 14:34 | Trackback | Comments(0)

記憶と記録(Ⅰ)~ 大雪の頃’16

乾燥し冷たい木枯しが、路面を埋め尽くす枯れ葉をせわしなくかき乱し、葉が落ちきって寂しげな裸の街路樹の間をすり抜けていくようになりました。すっかり雪化粧を施された富士山の姿を眺めていると、ここ東京でも本格的な冬の到来と年の瀬を感じずにはいられません。年末に向け仕事のラストスパートにクリスマスや忘年会、正月の準備と、毎年変わらず慌ただしくそしてあっという間に過ぎ去る師走の始まりです。様々な物事にとりあえずは何とかひと区切りをつけ、すっきりした気持ちで新年を迎えたいと思うのもまた、わたしたちの自然な気持ちでなのしょう。カウンセリングルームも、カウンセリングを終える方もいらっしゃる一方、新たに相談に見える方など入れ替わりと変化が目立つ時期のような気がします。

相談といえば、最近カウンセリングで相談者の方がスマートフォンや携帯を持ち出す場面が多く見られるようになりました。と言っても、かかってくる通話やメールにカウンセリング途中に応対するということではなく、相談内容に関連したメール文や写真、文書などを画面に出し、それをわたしの眼前に差し出す場面が多くなった、という意味です。現在の状況や起きた出来事、あるいは今の心の状態など様々なことについて話し合っていくなか、考えを整理して言葉を口にするよりも、「あ、そうそう」とスマホを取り出しササーッと器用に指先を動かし、「そうです、コレコレ。」あるいは「というわけでなんす。で、どうしたらいいでしょうか?」とこられます。

言葉に出すよりも先に指先が動き、頭の中の記憶や思考よりも記録を探す作業に没頭するとでもいいましょうか。それ以上のことについて自分から何かこう話を発展させる様子のない人が少し目立つかな、と感じることがあります。口ではなかなか説明しづらいこと、正確に覚えていないこと、その時の事実関係や状況をリアルに表現する必要がある場合については、携帯やスマホは確かに頼りになる便利な道具と言えます。今さらながら世の中変わったものとつくづく感じます。



「記憶」って何でしょう?記憶とは脳の中に大きな情報の保管庫のようなものがあって、そこに過去の様々な記憶がそのままの形で貯蔵保管され、必要な時に検索して出し入れできる(ときには忘れてしまい記録が見つからない場合もあるでしょうけど)ものと考えていらっしゃる方がひょっとすると多いかもしれません。ところが実際はそうではないことが、様々な研究によって確認されています。アメリカの認知心理学者として記憶の研究に数々の業績を残したエリザベス・ロフタスの有名な言葉に、『記憶とは、水に溶けたミルクのようなもの』というものがあります。ミルクの一滴をひとたび水面に落としてしまえば、もう二度と水と分離させることはできないと同じように、記憶の内容について事実と想像とにはっきり分けることはできない、どこまでが事実の記録でどこまでが想像の働きによるものなのか区分することは不可能である、ということをロフタスの言葉は意味しています。記憶は様々な事実や情報をそのままの形で溜め込んでいるのではなく、感情の状態や動機、環境等の影響を受ける主観によって、無数の記憶の断片が都度再構成、意味づけされ、想起される(意識に上ってくる)ものであることがわかっています。

 つまりわたしたち人間は、事実をありのまま受け身的に見て積み上げるように記憶し、それらを出力しているわけでは必ずしもなく、見聞きした物事や情報を積極的に編集、脚色、取捨選択し、ときに見えるものを見なかったと信じ、見えないものを見てしまう、なんともやっかいというか不思議な生き物であることが分かってきたのです。もっと端的に言ってしまえば、わたしたちの記憶に限らず知覚、注意や意識はいとも簡単に「勘違いをする」のです。

これをよく示す有名なエピソードがあります。それは太平洋戦争が終戦を迎えた昭和20815日、昭和天皇によるいわゆる玉音放送のあった日についての記憶です。戦後から現在に至るまで実に多くの人々がこの日のことについてよく記憶しており、それによれば、『朝から真夏の太陽が照り付ける、とても暑い夏の一日』だった点ではほぼ共通しているそうです。ところが、終戦日の天気図や気象情報を調べて見てわかったことは、実際には日本列島の多くの地域が終戦日の当日は曇りで、陽の差した地域はごくわずかであったそうです。

また、わたしはかつて祖母から、大正12年関東を襲った関東大震災にまつわるエピソードを聞かされたことがありました。それによれば、祖母は地震の起きる直前、おびただしい数のネズミが、ものすごスピードで祖母の目の前の道路を横切ってどこかへ逃げていったのを目撃したというのです。その時わたしは、なるほど危険を察知する野生動物の予知能力とはそんなものか、と納得したものでした。どころが、ずっと後になって祖母は、いや、あれは大東亜戦争(太平洋戦争)の東京大空襲の際に見た出来事かもしれない、と前言を撤回し始めたのです。それどころか、果たしてそれを自分で見たものか記憶が定かでなく、あるいは誰かの伝聞だったかもしれない、などとあと後になってさらに言う始末でした。

 そういったことですから、現代のわたしたちが人間の脳に頼ることなく記憶機能をより確かな外部機器へ求め、作業をアウトソーシングするほうがより確かな社会生活を営むことができると考えるのも無理からぬことかもしれません。



みなさんのご自宅には、写真のアルバムがあるでしょうか。デジタル時代の今はそれこそ何百枚何千枚もわけなく撮影できる時代ですし、パソコンや記録媒体等に大量に保管している方も多いでしょう。ですがひと昔前までは、大概の家庭では撮った写真を幾冊かのアルバムや写真立て、額縁に収め、事あるごとに楽しかった過去の思い出に浸り、それを次世代へと受け継ぐという、家族の歴史と履歴書として永らく大切にされてきました。

もちろん今でもこうした習慣は消えることなく続いていますが、しかし考えてみれば、そうしたアルバムや写真立てなどに収められた写真は、実は長い過去の歴史のほんの特殊で例外的なエピソードの断片であることがわかります。自分がこの世に生を受けたばかりのまだ赤子の頃の写真、幼稚園へ上がった時の写真、学校の入学式や卒業式、家族や友人との楽しい休日や旅行、誕生会や結婚式など、いってみれば人生の特別で楽しいエピソードの思い出の寄せ集めです。しかし、わたしたちの実像とは、そうした非日常的な「点」としての出来事よりも、普段の何気なく淡々と繰り返され続けてきた「線」あるいは「面」としての日常、記憶にも記録にも残されることなく過ぎ去っていった当たり前の生活風景であったり、またときには、表には決して出ることもなく他人に明らかにはできない苦しい、つらい日々にこそあるとも言えるのではないでしょうか。事実や真実はひょっとすると、実は語られることのない、あるいは忘れ去られた中にこそあるのかなとも思えます。

人類の歴史にも同じようなことが言えるでしょう。わたしたちが学校の授業で学ぶ歴史と言えば、歴史の転換となるような非日常的でイレギュラーな出来事の寄せ集めです。1588年スペインの無敵艦隊がアルマダ海戦においてイギリス艦隊に敗れ、1789年にフランス革命が起き、1945年に広島と長崎に原爆が投下され、2001年には9.11同時多発テロが起き、2011年に日本は東日本大震災に見舞われた、などなど。しかし、こうしたさなかにおていも、実はわたしたちそれぞれの事情による日常の営みはけっして途絶えることはありませんでした。誤解を恐れずにいえば、いわゆる教科書の「歴史」は重要な事実であるとしても、それはまったくの「特殊事情の集まり」としての史実であり、一方わたしたち一人ひとりにとってみれば、それぞれに繰り返されてきた日常の営みや事象こそがわたしたちの「真実」であり、わたしたちの感情や思考、人格形成と深く結びついているのではと思うのです。



ひるがえって今の時代は、「記憶」よりも「記録」が優先される時代のようです。インターネット、クラウド、ビッグデータなど、絶えず連続的にすべてを「記録」し、無限に蓄積し、それを自由に検索取り出す世の中になりました。それはわたしたち個人の生活史においても言えることです。スマホで自分達の一日、食事の風景、友人との語らい、昼食のメニュー、通勤途中を撮影あるいは自撮りしそしてつぶやき、文字と映像を絶えずインターネット空間に載せ実況し共有する世の中です。日常、非日常関係なく、絶えず連続した私たちと今を明らかにし続けることができる世の中であり、記憶や想像、思考に頼ることなく、膨大な記録とその情報処理を自分とは切り離された外部装置に頼り、指でたたけばすぐに結果が出てくる世の中へと変わりました。いや実際、そのほうがいい場合だって役にたつことだってたくさんあるわけです。日常でもビジネスでも、人類の福祉や進歩、歴史に貢献する学術・研究分野などはとりわけそうです。ただ、こと人の心や人間関係についてそれでいいのだろうか?ふと考え込んでしまいます。

わたしは相談者の「語り」に注目しています。語りとは単なる事実や起きたことの申述や感想ではない、その行間に語る人の主観や感情、隠された欲求などさまざまな心象風景が込められている、言ってみれば相談者の豊かな自己表現手段といえます。事実や理屈はどうであれ、彼らの心情、彼らが心からそうであると信じていることは何であるのかに耳を傾け、その人となりや抱える問題の理解を深めていくことにつながる大切な手がかりが「語り」といえます。ですから、相談者の内面や考えていることを彼らがどのように口にして表現するのか、その頭の中身を知りたいわたしからすると、語るを通り越してスマホをサラサラと操作し、「ハイこれです。」と呈示されると、正直なんだか妙に肩透かしを食らったような感じがしてしまうのです。

「論より証拠」「百聞は一見に如かず」で、なまじっかな記憶よりも記録のほうが正確な事実関係を知ることができることもまた事実です。ただ、証拠、記録が残されているからといって、それらがわたしたちの「心の真実」をよく伝え表現するものであるかといえば、必ずしもそうとは言い切れないところが、人間の心の営みの複雑で難しいところなのです。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂

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by yellow-red-blue | 2016-12-09 20:11 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心安らぐ経験や出会いなど、時にカウンセラーとして、時に仕事から離れ、思いつくままつらつらと綴っています。


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