<   2017年 07月 ( 2 )   > この月の画像一覧

子どもたちの夏 ~ 大暑の頃’17


梅雨明けが発表され本格的な夏の到来といいたいところですが、全国各地の記録的な集中豪雨による大きな被害の報道に連日のように接していると、果たして本当に梅雨は明けたのかと思ってしまう人も多いかもしれません。東京も日中は確かに真夏の陽気なのですが、明け方近く早朝の外の空気にはいまだ梅雨明け前の清涼感ある風の香りが漂います。朝型人間(になってしまった)私にはまだちょっぴりうれしい季節です。


****


まわりが夏休みモードに入る今頃の時期になると、時々ある人のことを思い出します。父の会社の社宅で暮らしていた私がまだ幼かった頃、同じ社宅に住んでいた夫婦の奥さまのことです。当時の社宅で唯一子どものいないご夫婦でした。子どもがいなかったため私たち子どもからは「~ちゃんのママ」「~ちゃんのお母さん」とは呼ばれずに、苗字を取って「いなむら(仮名)のおばちゃん」と呼ばれていました。私たちの親よりもひと世代ほど上のご夫婦で、とても穏やかで優しい方々でした。なかでも奥さまは、ほとんどが専業主婦である周囲の母親たちや学校の先生とは一味違う肌合いを持った大人の雰囲気があって、社宅の子供たちの間では人気がありました。

何かしら社宅内で会合や子供会などの集まりがあると、2人世帯でスペースに余裕があるためなのか、たいていはなにかとそのご夫婦宅にみんな集合したものでした。その際皆で持ちよる食べ物が出されるのですが、彼女が用意するものは、普段食べたことも見たこともないような料理やその頃はまだ珍しかった焼きたてパンにお菓子なのでした。世の中にこんな美味しいものがあったかしらと、ドキドキワクワクしながら他の食べ物には目もくれず、普段親からお小言を言われる小食や偏食が嘘のように、むさぼるように食べていたことを覚えています。

社宅のコミュニケーションや情報交換は子どもを通じてなされるのが常で、事情通はいつも子どもたち。親同士それほど会話はなくても、私たち子どもが情報流通の媒介者となって各家をお互いが飛び交っていたものです。職場の同僚ということで親たちは子供たちほど率直な関係を築くのは難しかったかもしれませんが、社宅全体が一つの家族、そんな雰囲気が普通の時代でもありました。そんな中、いなむらのおばちゃんだけは、周囲と良好な関係を保ちつつ、そうした空気から距離を置いた言ってみれば自由な雰囲気を持った方でした。

当時たいていの家庭には2人以上の子がいて、ひとりっ子はちょっぴり贅沢でわがまま、共働き親の子どもは鍵っ子などと言われ、親が面倒見れない気の毒な子というより、自宅の鍵を持ち歩けるちょっと自立した大人っぽいイメージといった感じで、今と比べるとずいぶんと素朴な家族の時代でした。そんな中、子どものいない夫婦はめずらしく、どんな事情があるのか分からないが、変わった夫婦かあるいはとても気の毒な人達、という眼で見られるのが常でした。彼女についても子供たちに人気があるのを知ってか知らずか、「でも子どもがいなくて、かわいそうなのよ。」「寂しいわよね。どうしてかしらね。」などと大人のひそひそ話がどことなく伝わってくると、思いやりの言葉の裏に憐れみと優越感相半ばするニュアンスを子供ながらにどことなく察知し、おばちゃんびいきゆえのちょっとした不信感を親たちに覚えたものでした。


****


いなむらのおばちゃんは、普段から子供たちに自宅を気軽に開放しており、仕事のため外出しない在宅時は、私たちがぶらっと立ち寄りドアのベルを鳴らすといつもこころよく招き入れてくれました。中に入れば、ここがウチと同じあの狭苦しい社宅の部屋かと思うほど清潔感のある快適な空間でした。質素ながらセンスのいい室内は、子持ち世帯にありがちな足の踏み場もなく物で雑然とあふれかえる空間とは別世界。室内にいつも漂うほのかないい香り、窓際に吊り下げられた小さな鳥かごで飼育されているインコのさえずり、食器棚のガラスからのぞく上品なティーセット、柱時計ではなく静かに時を刻む置時計のどれもが何やら特別で、なんともいえぬ居心地の良さを感じたものでした。

けれども本当に居心地が良かった理由は、いなむらのおばちゃんのお人柄ゆえだったでしょうか。決して過度に子どもである私たちにおもねるような態度や話題づくりをするでもなく、魅力的なお菓子で誘うでもなく、言葉少なげにあくまで私たちの過ごすままに、ただそばに一緒にいるという安心感と優しい眼差しを向け続けるそんな受容的な態度に、いつしか子どもからあれこれとしゃべり始め、それにもまた自分は家事を続けながら朗らかな笑みでじっと耳を傾ける。今にして思えば、彼女の作り出すそんななんとも包容力のある共感的な空間に私たち子供たちはさまざま反応していたのでしょう。

そこには他人の子どもであるという節度もあったにせよ、お互いが対等な存在としてのなんとも表現し難い穏やかな心のやりとりがあったように思います。大人たちのひそひそ憶測話しが醸し出す、「子」にまつわる無念や執着、さみしさとはなんら別次元の、彼女が示す自然体の子どもへの理解と態度がひたすら心地良かったのでした。


****


まぶしい夏の太陽の照りつける夏休みのある日の午後、社宅の庭で一人遊んでいると後ろから声をかけられ振り返ると、いなむらのおばちゃんは日傘をさしながら微笑んで立っていました。白地にブルーの花柄のワンピースというお出かけ支度の彼女はこれからちょっと仕事に行くのだと言います。

「美味しいメロンパン買ってくるわね。あとでいらっしゃい。」

 彼女は手を振って駅までのゆるやかな坂道を下っていきました。まぶしい陽光の中をスラリと背を伸ばし心なしか弾むように去っていく後ろ姿を見送りながら、おおぜいの子どもたちの黄色い声が飛び交う社宅で子供なく過ごす毎日は、ほんとうはとても寂しいのかな?ふとそんなことを思い、ああ、自分がおばちゃんのところの子だったらなぁ、と子どもにありがちなひと時の妄想にふけったものでした。結局その日なにやら夕方の外出を禁じられた私は、その素晴らしいメロンパンを口にすることはなかったのでした。


****


時に子どもは、褒められたくも叱られたくもなく、教わりたくも比較されたくもなく、ただ受け入れられたい、いることで満足したいと願うことがあるのでしょう。そして、そのことを知る大人が実は少ないのだという現実をいつの日か感じとってもいくものなのでしょう。実は私たち人間は、自分は周囲の世界をそこそこ客観的に正しく認識しているはずだ、そしてまた自分の意見や判断はごく普通なものであり、他人だってだいたい同じ考えを持っているはずだ、という素朴でちょっぴり自己中心的な認識傾向を持っていると言われています。カウンセリングの仕事をしていて時にひしひしと感じるのは、私たち大人とて本当は自分のことをよくわかってはおらず、親子だからといってお互いを一番理解しているというわけでもなく、また結婚し子供を産んだからこそ真の愛情を知り、子どもという存在を理解しているとは必ずしも言えないということです。そうした考えはひょっとすると、大人の都合のいいある種の思い込みであり錯覚かもしれません。

言えるのはただ、たとえお互いいくつ歳を重ねようと立場が変わろうとも、私たち大人が子どもを知っているのではない、子どもたちが大人を「知る」のだということです。どのような人生であれ「知っている」のは子どもであり、人生とはその繰り返しなのだということを日々教えられます。

「いなむらのおばちゃん」の部屋は、もしかすると私のカウンセリングルームの原点なのかな、とふと思うこともあります。

 子どもたちの夏休みは、今年もまだ始まったばかりです。



最後までお読みいただいてありがとうございます。

メンタルケア&カウンセリングスペースC²-Wave 六本木けやき坂

(※当ブログの各記事の中で言及されているエピソードや症例等については、プライバシー配慮のため、ご本人から掲載の許可を頂くかもしくは文章の趣旨と論点を逸脱しない範囲で、内容や事実関係について修正や変更、創作を加え掲載しています。)

d0337299_18423315.jpg





[PR]
by yellow-red-blue | 2017-07-23 18:37 | Trackback | Comments(0)

悩みの作法(Ⅱ)~ 小暑の頃’17


悩みの作法、つまり正しい悩み方の秘訣が、「姿勢」「力を抜く」「呼吸」にあると前回のブログで述べました。「姿勢を正し、肩の力を抜いて、呼吸を調える」ことが日常生活のさまざまな場面においてとても役立ってくれます。呼吸と姿勢という、誰もがこの世に生を受けて以来、毎日欠かすことなくおびただしい回数を繰り返してきた、人間にとって最も自然かつ基本的で、自律的・無意識的な営みを少しずつ見直すことができれば、それはすなわちストレスや悩みに傷ついている身体的・精神的健康の向上に直結する一番の近道、特効薬といえるのではないでしょうか。

またこれほど特別に時間やお金をかけることなく日々繰り返し練習することができ、生きること生活すること自体がそのままトレーニングといえる、したがってその他のどの方法より早く確実に成果が期待できる心身の健康法もないかもしれません。ジムやマッサージに通い、健康器具やサプリメントを試し、書店に並ぶ心理学や自己啓発の本を読み漁り、はたまた気分転換に旅行やレジャー、買い物に走らずとも、居ながらにして自分でいることだけで身につく、お手軽でしかし究極の健康法であるといえます。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、「呼吸と姿勢を制するものは人生を制す」かもしれません。

心身が穏やかに調うことによって、今まで八方塞がりのように思えてきた物事におのずと取るべき新たな方向や可能性が徐々に見えてくる。それに向かうエネルギーが自身の中から湧きあがってくる。自然と自分がただ「そうなっていく」あるいは「なにかむこうからヒョイとやってくる」というような感覚の体験に開かれていく。余計な考えや心配事がたとえ心に浮かんだとしてもそのことが負担とならずに、今現在やることにただ注意が向き集中できる、つまり自然体でいることができるようになる。呼吸と姿勢と聞くと簡単に誰もがすぐできそうなのですが、日常生活でいざ実践してみるとそう簡単なことではないことがわかります。それこそ呼吸と姿勢のくせのつき具合にも人それぞれに年季が入っているので、一朝一夕に変わるわけではないからです。ですが、長く実践し続けている人ほどさまざまな効果を実感します。実感できるのでその習慣がただ続いているともいえます。

このことはいわば「形(型)から入る」ことともいえます。私たちは自分の心の状態を上手にコントロールすることはなかなかできません。できないのなら身体に変化をつけ、まず形(型)に自分をはめ込んでしまうことによって、それに連動・刺激され心も整ってくるという方策をとるわけです。「形から入る」「形ばかりにこだわる」とちょっと聞こえは悪いですが実は効果があるのです。座禅やヨーガ、ストレッチやジョギングなどの姿勢とも共通するものです。


 ではその具体的な方法ですが、

①場所を確保する。

②安定した姿勢で座り、肩の力を抜き、呼吸を調える。

③常に姿勢と呼吸に穏やかに注意を向けただ座り続ける。

と、この3つだけです。以下にいろいろ説明をしていますが、大切なのは①~③のことをただ続けるだけです。姿勢と呼吸に関心と注意を払うかぎり正しいも間違いもなく、いつどのくらいの時間やらねばならないのかということもありません。姿勢をとる最中に心や身体の中で起きることいっさいに何ら評価や判断を加えたりまた否定的にならずに、ただあるがままに観察し受け入れ、そしてまた呼吸と姿勢へと戻ることを続ける。これにつきるということを覚えておいてください。


1.悩むにふさわしい居場所を準備・確保しましょう。

前回ブログにも書きましたように、悩みや不安を持つことにもっと敬意を払って、ふさわしい扱いをしましょうということです。できるだけ一人静かに落ち着けると感じる環境であれば、場所はどこでも構いません。自宅や仕事場、その他お気に入りの場所など屋内外問わずです。1か所でも複数でもいいのです。考え事や悩むにふさわしい場所について真剣に吟味して決めておきましょう(もちろんそこでしか悩んではいけないということではありません)。きちんと悩むことができる「特別な私の場所がある」という意識を持っておくことが大切なのです。

 

2.まっすぐの姿勢で座り、肩の力を抜き、呼吸を調えていきましょう。 

椅子に腰かけても座禅の要領で床に座っても構いません。椅子の場合には背もたれにはよりかからないように座りましょう。腕は膝の上など楽な場所に置きます。骨盤を軽く起こし、上半身が骨盤の上に自然と載って伸びているようなイメージで座ります。首と頭も肩のうえに自然に載ってるイメージを持ちます。よく言われる山のようにどっしり安定した感覚で座ります。正しい姿勢を作ろうと、無理に背筋や首筋を伸ばし、胸を張るなど上半身を操作しないようにしましょう。自分の身体を観察しながら、どこにも力の入っていない安定した姿勢をあせらずじっくり探っていきましょう。あわせて肩や腕から力を抜いていきます。

続いて呼吸です。呼吸についても、無理に腹式呼吸をしようとか、ゆっくり深く息をしようとする必要はありません。鼻や肺の中を空気が行き来している様子や、呼吸につれて上半身がかすかに上下している感覚など、自分なりに呼吸していることを実感・観察しやすい身体の動きにただ注意を向け続けます。今まで人生の多くの時間を同じように呼吸と姿勢で過ごしてきたならば、性急にそれを矯正することは逆に身体を痛めてしまうことにもなります。マイペースで少しずつじわじわと整った姿勢や呼吸をイメージしていきます。


3.引き続き安定して座り続けます

 安定した姿勢を保てるようになるとやがて呼吸もゆっくり安定して自然と調ってきます。体と心をできるだけリラックスした状態にし、自分の中にも周囲になんとなしに静けさを感じていくようにします。

やがて心のなかを様々な思いや感情が次々と押し寄せてくるかもしれません。それが普通なのです。今悩んでいること、昨日の出来事、今日の予定、将来の計画、慣れない座り方に感じる窮屈な身体、眠気、様々な願望・欲望など。そのように心が漂いそれに反応している自分をできるだけ自覚的に観察してみます。「ああ、今私は~ということを悩んでいる。」「また考えている。」「~に苛立っている。」「今身体が反応している。」大切なのは、思考や感情、身体反応の存在をただ認め、それ以上深く立ち入ることをせず、速やかにまた呼吸と姿勢へと注意を戻していくことです。やり始めるとわかりますが、これがなかなか簡単にはいきません。大切なのは、「うまくやる」ことでも「気持ちがスッキリ」することを実感することでもありません。何度心が呼吸と姿勢から離れても、また戻ることを穏やかに繰り返していくことだけです。それを行っているかぎり、それは正しい方法なのです。


ときに重く強いストレスや悩み、苛立ちがある場合には、私たちの心は窮屈になり、暗く狭い囲いの中に自分の執着や不安感情を追い込み、なにひとつ見逃さず何とか処理しなければと懸命になり、時に絶望的な気持ちにもなりがちです。そんな時にこそ自分を責めたりせず、優しくゆっくり息を吸い新鮮な空気をその囲いへ注ぎ込み優しく包み込むようなイメージを持ってみます。そして今度は優しく息をゆっくり吐きながら、限りなく広がる気持ちのいい広大な草原にそれらを解き放ち、あとはただ遠くから見守るイメージを保ちます。息を吸いながら優しい気づきで心や身体を満たし、息を吐きながらゆっくり自分を解放してあげる。これはあくまで例で、どんなイメージを抱いてもいいのです(たとえば空を流れていく雲、川を流れ去っていく葉や花、車窓から飛ぶように流れていく景色など)。またイメージがわかなければそれでもいいのです。自分なりの方法で悩みと呼吸とを上手に「からめて」いきます。できてもできなくても、また呼吸と姿勢に注意を戻していきます。


****


悩みの作法、存分に悩むとは、今そこで経験していることすべてに優しくオープンな気持でいることです。自分や他人、周囲の状況、あるいはまた過去や現在、未来について、常に推測・判断・評価することにエネルギーを注ぎ、消耗してきたことに気づき、それをやめ、すべてに等距離でフラットな姿勢でただ今に穏やかに集中できる心を身につけることで、同じ物事が今までとは違う光景に映ることをめざしていくものです。心があちこちさまざま揺れ動き、思考や感情が様々押し寄せることを止めようとしたり、自分を責め心配事を消し去ろうとすることではありません。姿勢や呼吸がうまくいかないと感じても、そう感じていることについて否定したりネガティブな感情を持たず、ただまた姿勢と呼吸への注意に戻っていくことを繰り返していきます。

こうしたことについて、つい真面目に完璧にやろうとか、~しなければならない、うまくいかなかった、などと考えないことです。問題の解消を早急に期待するような気持ちでやるとなかなかうまくいきません。悩みを消し去る方法ではなく、悩みを上手に抱えられる広く柔軟な心構えを身につける訓練を行っていると考えるといいでしょう。うまく姿勢が決まらないようなら呼吸だけでもいいのです。なにがなんでもその場所でなければならないこともありません。座ることができないのなら、立ったままでも歩きながらでもどれかひとつでもやってみます。時間がなければ移動中の電車やバスの中で、あるいはまたトイレの中でだっていいのです。全部はできなくてもたとえわずかな時間でもどれかはできます。

悩むことはそれがどんな内容であれ、生きる上でとっても必要で贅沢なひとときなのです。「これは自分のための時間、自分のための場所である」ことを自分自身に語り掛け、何がどうであれすべてに優しく寛大でいるよう心がけていきます。できてもできなくても、いまの自分がどうあろうと、です。


いつもお読みいただいてありがとうございます。

メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂


【その他参考までに】

*「笑顔」で悩む(#^.^#)

笑顔の形を作る、つまり口元(口角)を上げると不思議と穏やかな気分や明るい気分になり、目に表情もできてきます。顔面の筋肉の動きが脳と連動して感情も動くという、これも一種の「形から入る」です(「顔面フィードバック効果・仮説」といいます)。にこやかに悩むって難しいでしょう?笑顔を作りつつ悩むことは難しいのです。作り笑いや照れ笑いは、ダメージを軽減する自己防衛テクニックで、決して不謹慎でもないのです。気持ちを落ち着けようとする時、悩んでいる時だからこそ、あえて自分自身にちょっとニッコリしてみるといいかもしれません。ほんの少しできるだけでいいんです。

 *「鼻孔拡張テープ」を貼っで悩む(#^.^#)

鼻から息を吸って鼻から吐くのが理想の呼吸です。でもいろいろな理由から鼻の通りが充分でない人のほうが意外と多いそうです。普段の生活をしていて口でもつい呼吸しているな、よく眠れていないなと感じていたら、ドラッグストアなどで購入できる鼻孔拡張テープを、就寝時や悩みの作法実行時などに一度試してみて下さい。個人差はありますが、楽でスムーズな呼吸と深い睡眠が可能になります(個人的には結構おススメです)。


[PR]
by yellow-red-blue | 2017-07-06 19:15 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、カウンセラーとして、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。ブログのどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


by yellow-red-blue
プロフィールを見る