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カウンターが効く!? ② ~ 雨水の頃'19


 数年前、夕食に招待され知人宅を訪問した時のことです。中へ案内されると、そこには予想に反して、知人の勤務する企業の同僚の方6~7名も招待されていました。お互い自己紹介などを済ませ、しばし楽しい夕食の宴が進んだ後に、その知人がおもむろに、実は会社でちょっと困った問題があって意見をききたいのだ、という話を持ち出してきたのでした。

 聞くところによれば、先日会社であるプロジェクトがひと段落し、同僚社員や一緒に仕事をしてきた他社の仲良しのスタッフ十数名で、打ち上げの飲み会があったのだといいます。そこに、今年入社したある新人の女性職員も初めてその飲み会に加わったのだが、その席上、彼女に対して年輩の職員などからセクハラ行為があったのだというのです。

 付き合いの長い仲間に新たに加わる社会人一年目の新人へのある種の通過儀礼のような軽い冷やかし的な言動に始まり、お酒が進むにつれそれが次第にエスカレートし、ついには彼女の体にまで触れる行為もあり、最初は我慢していた彼女もしまいにその場で泣き出してしまい、一気にその場が気まずい雰囲気になってしまったということでした。その場はそれで収まったものの、翌日からハラスメント行為を受けたその女性はショックから会社を休んでしまう事態にまでなり、同席していた同僚の若手職員が会社に報告し問題が大きくなってしまっているということでした。

 今どきの会社内セクハラ問題で起こりがちな話ですが、彼女が受けたセクハラ行為については、私が呼ばれた席の全員が何らかの行為を目撃しているか、なかには実際に彼女にそうした行為を行ってしまった当人も混じっていました。つまりは、そこにいた男性女性含め全員が、いわば直接的であれ間接的であれ加担者側の人間で、私もそうした側の方から話を直接聞くのは初めての体験でした。

 話を聞いた限りでは、明らかにハラスメント行為であると断じられるものが多いように思えました。しばらく前の話なので、今ほど個人レベルでも企業レベルでもハラスメントに対する意識が高いものではなかったのかもしれませんが、私がお会いした人もみな一様に反省はしているようでした。が、何か今一つ納得がいっていないような空気もあったのでした。実際、その飲み会の席は男女含め幅広い世代が参加しており、意見は様々だったそうです。参加者のほぼ半数を占めた女性ですら意見が分かれたといいます。ただどちらかと言えば若い世代は男女ともにセクハラだと断じているのに対し、中年世代以降は意見は男女とも半々、さらに上の世代はそもそもセクハラという認識が薄いとのことのようでした。こうした場合、セクハラ行為に一切の言い訳は通用しません、それはあなたの単なる認識不足ですから必要なのは今時の常識と教育です、などとあっさり決めつけるだけでは決して問題は解決しないでしょう。またそのために呼ばれたのでもないとも思っていましたので、その場にいた方々の考えについて率直に話してもらうことにしました。

 彼らの意見をいろいろと聞いていると、2つに集約されているようでした。ひとつには、その場の空気や状況、参加者間の信頼関係などを抜きにしてその行為がハラスメントに当たるか当たらないか判断するのはどうか、というものでした。

 その場にいない冷静な立場で特定の場面だけ切り取れば確かに問題と判断されてしまうかもしれないが、定期的に開かれお互い勝手知った同士の飲み会のあの場の状況やお互いの話しっぷりや態度、雰囲気の進み具合を考えれば、これから長い間一緒に仕事を共にする仲間の一員に入るための通過儀礼的なフレンドリーな”イジリ”であって、新人でまだ慣れておらずひとりやや緊張気味の中とはいえ、そのあたりもう少し空気を「読んで」大人の振る舞いで接してもよかったのではないか、などというものでした。もちろんセクハラ行為には明らかに悪質な犯罪行為もあるが、一切そんな一線は超えておらず、徐々にお互いの反応をうかがいながら親しさの表現が増していった「場」があったのだというのです。実際同じようなイジリは他の若手職員も同様に受けていたものの、彼らは慣れもあってなのか、それなりに状況に合わせたりやんわり反撃するなりの振る舞いをしていたといいます。

 もうひとつは、セクハラ行為が、受けた側の主張のみで成立するその「恣意性」に納得がいかないというものでした。相手なりにそれこそ相手の好みや気分でそれはセクハラ、~さんだから問題ないなどといったら差別もいいところである。例えば文化的背景の異なる外国人の親しみを込めたスキンシップやハグをいきなりされても、それは(外国の人だからという状況を理解して)セクハラとは断じないではないか、などという主張なのでした。


 

 私たちには「内心の自由」が保証されています。自分一人の内側に思いがとどまる限りは、どのような想像や妄想、怒りや偏見であれそのことで罪に問われたり非難されたりはしません。けれども、それが何らかの形や表現をもって、ひとたび自分という領域を超え、いわば公共的な領域に持ち込まれ、第三者領域に踏み込んで投げ出されたときに、今度は「他者関係」という自分と異なる主観や感情の世界を持った相手の領域と対峙しているという認識を持つ必要があります。よくよく考えてみれば当たり前のことなのですが、そのあたりをしっかり線引きなり柔軟に切り替えることは意外や難しいのです。

 また、私たちは他者関係において、それぞれの人に対しある種の役割や行動・ふるまいのパターンを無意識に期待しています。親友は親友の、親は親の、会社の上司は上司としての役割や行動パターンを、自分に対して果たしてくれるはずだ、と(お互いが)無意識に期待しており、それがおおむねその通りになるから良好な人間関係を築くことができるといえます。ところが、そうした期待に反するような行動なり態度を相手が示してくる場合、私たちはそれに違和感あるいはもっとはっきりとした衝撃を受け拒否反応すら引き起こします。たとえば会社の上司であるという立場だけの関係の人間が、酒の席でいきなり部下の女性の体を触ってきたりペアでカラオケ熱唱を強要にされたりすれば、される側はそれはショックです。なぜならそうした女性は、上司と部下という関係性にそのような役割や行動パターンを期待ないし想定はしていないからです。もう一つたとえを挙げれば、電車内で座っていたところ、向かいの座席に腰掛けていた見ず知らずの人が自分に向かっていきなりプライバシーに関する質問をずけずけしてきたとしたらそれは確実にショッキングな出来事でしょう。なぜなら私たちは赤の他人に対しては、「自分のことは無視してほっておいてくれる存在」という役割と行動を期待、想定しながら日常生活を送っているからです。

 このように、相手への期待や予想を超えた行為に対しては人間は衝撃を受けるものですが、当然それには個人差があります。ちなみに今回の件で被害に遭われた女性は、お酒が飲めない方だったそうですが、そんな方に少なくないのが「酔っ払い」への苦手意識です。そうしたことも一因にあるのかもしれませんが、お酒の席における「人が変わってしまったような」酔っ払いの言動は、まさに上で述べてきたような、お互いの役割や行動パターンの期待に大きなギャップを生じさせてしまう状況まさにそのものでもあるのです。

 ここはハラスメントの定義やハラスメント対策のお話ではないのでこれ以上は詳しく説明しませんが、いずれにせよハラスメント行為とは、状況や関係がどうであれ、行う側が自分の領域にとどめておかなければならない期待を勝手に相手に押し付け、それが当然であるかのような行為にほかなりません。

 お互いの役割や振る舞いのパターンがお約束として共有されているからこそ信頼関係が築けるのであって、そのための手段がコミュニケーションなのです。ですから、ただお酒の席だから、上司と部下だから、先輩後輩だから、などというだけで、なんらかの信頼関係が築かれていると勘違いし、いとも簡単に相手の領域に踏み込む言動をするような人は、実はコミュニケーション力が貧弱な方なのです。本当のコミュ力とは、単に話し上手だったり、交際が幅広い、気配りが細かいなどで測れるものでは決してないことは知っておいていいと思います。

 しかしそうはいっても、やはりなかなか理屈では理解できるがやっぱり納得できないとおっしゃる方もいらっしゃいます。実はハラスメント行為とは、その場の状況や人間関係、行為の種別・程度の問題というより、むしろ理屈抜きの感情や感覚、主観の問題なのだということも知っておく必要があります。必要なのは理解ではなく、想像し感じる力といっていいかもしれません。そこで私は知人宅に集まっていた方々にこんな問いかけをしてみました。


 皆さんちょっと一度じっくり想像してみてください。(男性陣に向かって)もしあなたの大切なひとり娘や奥様、愛する恋人が他人の男性から(新人女性職員が受けたと)同じような行為を受けているところをあなたが目撃したとしたら、その瞬間どんな感じがしますか?どのような思いが頭をよぎりますか?(同じように女性陣に)、もし仮にあなたの大切な恋人やひそかに思いを寄せる素敵な男性が、飲み会の席上他の女性に対して同じような行為をしているところを目撃したら、その瞬間なにを感じるでしょうか?

 まず不快感を感じるでしょうか?あるいは胸がうずいたりざわつく感じがするでしょうか?もし一瞬でもそう感じたのなら、はずかしめを感じたのなら、やっぱりそれはセクハラ行為なんです。簡単なことです。後から状況や関係を加味して感じ方を修正する必要なんてないんです。セクハラはむしろ感覚・直観的に判断されるものだと思うのですがどう思いますか?

 

 この問いかけは、前回のブログで話題に取り上げた、カウンタークエスチョンのちょっとひねったバ―ジョンです。この場合普通考えるカウンタークエスチョンは、「もしあなたがその女性の立場だったら...」ですが、今まで上述してきた話の流れからからすると、それではあまり効果的なカウンター(パンチ)にはならないことは、何となくおわかりいただけるでしょうか。

 シンプルな問いかけ一つでしたが、「そう言われると確かに言葉がない。認識が違っていたかもしれない」とみなさんおっしゃっていただいたので、ある程度私の意図は伝わったようでした。

 ただし、こうしたカウンタークエスチョンは、決して他者を非難し間違いを断ずるためのスキルではありません。むしろ何かに悩み、怒り、不安な気持ちでいる自分や相手に向けて、説得力のある別の受け止め方や冷静で公平な視点という素敵な贈り物を届けるためのワザなのです。

 

 私たちの社会は「空気を読む」社会だといわれています。空気を読む力が重視される社会なのかもしれません。けれども、それはしばしば必要なコミュニケーションをおろそかにして「空気を押し付け」、「空気のせい」にすることで対人関係を済ます生き方にもなりがちです。空気とはすでにそこにある(はず)ものではなく、良好なコミュニケーションを通じて、互いの気持ちや期待を推し量りながら共有し尊重することによってはじめて成立する本当の「信頼」によって、都度作り出されるものなのではないでしょうか。



最後までお読みいただいてありがとうございます。

メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂

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by yellow-red-blue | 2019-02-17 14:50 | Trackback | Comments(0)

カウンターが効く!? ① ~ 立春の頃’19


 暦の上では春の始まりを告げる立春ですが、実際には冬ももうそろそろ終わりですよ、の暖かさなどみじんも感じられない日々が続く、寒さに身が縮む思いのする厳しい季節です。けれども、都心から望むこの時期の富士山の雪化粧姿は一年のうちでも最も美しく、神々しさすら覚えて朝に夕にとつい見入ってしまいます。

 そんな富士を眺めながらふと、大雪に弱い東京の人間のくせに、この冬はまだちゃんと雪が降ってないな、そろそろまとまってこないかななどと、北国の苦労をよそに勝手に子供じみた願望をつい抱いてしまいます。そんな自分の幼稚さにきついお叱りを受けているかのようなこの寒さ、これからまだしばらくは続きそうです。


 

 週末の土曜日、午後も遅い夕方近くの頃、仕事を終え帰りの準備をしているときにこんなお電話がかかってくることがしばしばあります。

「どうしても今日お願いしたいのですが。」

「実はもう今近くにいるのですが。」

「他をいろいろ当たりましたが、週末で休みか事前予約なしでは受け付けていないので。」

 事情を聞けば、

「嫌いな上司と仕事のことで口論となり、腹立ちまぎれに暴言吐いて会社を『辞める!』と飛び出してしまった。週明けの出勤を考えるだけでもうパニックなんです...」

「自分のウソがばれて先日会社を解雇されてしまったが、家族に打ち明けられずにいる...」

「妻に職場の同僚との浮気がバレてしまい、家を追い出された。妻は身重なんです...」

 週明けの月曜日までになんとかしなければ...そんな切羽詰まった思いが伝わってきます。


 カウンセリングに訪れる人のニーズは随分と多様化しています。かならずしも臨床的に診断される精神的病に苦しんでいる人や、病気とまではいえないが心身に同様の深刻な症状を訴える人ばかりではありません。むしろ、より日常の生活で起こりがちな問題への心理社会的なストレスに悩む人が相談に訪れることのほうが多いです。ただシンプルに人間的あるいは社会的常識に基づく助言や提案が必要な方もいれば、胸のつかえを洗いざらい告白することによって満たされ癒しを得て立ち直っていく人もいます。人生の意味や目標の喪失にどこまでも苦悩する方もいれば、単純に見えて実はとても複雑なもろもろが絡み合って、その全貌を理解することが難しいケースもあります。

 やや大雑把な言い方になりますが、長い間抱えて放置されてきた問題については、一定の効果や改善に限れば短期間で現れることも少なくはないものの、やはり解決や(病気や症状の)治癒にはそれなりに時間が必要となります。 

 反対に、比較的最近に起きた出来事がきっかけとなった日常社会生活に起きがちな問題についての相談については、短い期間でカウンセリングが終結することが多いように思います。一度の面接相談で終わる場合も珍しくありません。

 短期間で終結するには3つの理由が考えられます。まず何よりも相談者本人が早急な解決を望んでいることです。上でいくつか例として挙げましたが、一刻も早く答えが欲しい、今日明日という感じで訴えていらっしゃることが多いのです。2つめの理由は、まだ起こって間もないホットな出来事に関することなので、問題の背景や構造がシンプルで問題の焦点が絞りやすいということにあります。


 けれども、早く終結する一番大きな理由(3つめ)は、たいていの場合に「答えは本人が知っている」から、というものです。確信的であれ無意識的であれ、すべきことの選択肢はわかっているのだけれど、それをまだ現実的な解決方法なり決断として明確にできない、それを確信させるプロセスなり心の準備をどう整えればいいのかがわからない、悩みに圧倒されて広い視野を持つ心の余裕が持てない、という感じです。ゴールはわかっていても、そこまで走りきる体力も気力も今あるとはとても思えない自信喪失のスタート直前のマラソンランナーといったところでしょうか。「どうすればいいのか」を知ることにあせってしまい、「何が問題なのか」に目を向けることが難しいことは私たちによくあることです。

 

 カウンセラーは、そんな人に並走し励ましながらお互い一緒にゴールを目指すパートナーのようなものですが、ではそうした場合に実際何をするのかと言えば、相談者とじっくり「話し合うこと」につきます。勇気をもって相談にいらした方の決断と労に敬意を払い、本人の気持ちを十分すぎるほどに耳を傾けながら対話を重ねていくことが第一で、ここにじっくり時間をかけていくようにします。ですが、簡単なようでいてこれは実際には難しいことです。ただ通り一辺倒の悩みの内容を聴きそれを理解するだけならば、たいていはものの10~15分もあれば済んでしまうからです。そこでついその先のアドバイスや意見、具体的な対象方法などの話に移ってしまいがちですが、それでは相談者本人はしっかりと自分を受け止めてもらえたという実感が薄く、問題に対する受け身的な姿勢から脱却できないままです。

 ですからそこからさらに、それこそ微に入り細に入りて想像力をめぐらせながら、プライバシーを不必要に掘り起こすことは避けつつ、様々な切り口や表現を駆使して繰り返し言葉を重ね、相談者の気持ちや考えを引き出し共有していきます。その過程を共に体験していくことが次第に本人の意識の変化へとつながっていきます。

 カウンセリングは1回おおよそ60分(以内)が目安です。時には60分を大きく超える時間を話し合うケースもありますが、初めてカウンセリングを受けた方の多くの方が、「こんなに長い時間、自分のことについて他人と一緒に考えたり対話をした経験は今までなかった」という感想を持たれます。普段私たちはさまざまな会話をしても、自分と向き合うような話し合いを専門家と行いながら内省の機会を持つことは稀です。そんなまとまった時間を体験することそのものが、実はカウンセリングの一番の強みです。たとえ出される結論がご本人がうすうす感じていたことと変わらなかったとしても、一緒にそれを感じ取っていく過程をともにすることによって、本人の受け止め方が随分と落ち着いて前向きなものとなります。状況を受け入れながら解決を現実のもの、実行可能のものとして実感できるようになっていくのです。



 そして、何となく準備が整ったと感じたあたりで、私は以下のようなシンプルな質問をときにすることがあります。

「今どうしたら一番いいかなと考えていますか?」「どうしてそうなってしまったのかお考えがありますか?」

「もし、あなたにとってとても大切な人が同じ問題で悩んでいたとしたら、どんな言葉がけや助言をなさりたいですか?」

 十分な話し合いの後では、こうした質問に対して多くの人がしばらく考えた後に、たいていちゃんと回答することができます。そう、知っているのです。そしてその結論に対して、より冷静に気持ちが整理されていることに気が付かれます。あとはその内容について細かな確認や微修正を加えたり、相手の背中を上手に押すような助言なり話し合いをさらに重ねていきます。もちろんいつもそううまくはいくわけではありません。解決の糸口がみつからずに終始ギクシャクした対話で時間だけが経過するといった経験もします。私もまだまだ修練が必要ですが、そのあたりにカウンセラーとしての技量が問われるのでしょう。

 「どうしたらいいか」と聞いてきた相手に同じ質問を逆に投げかけてみたり、自分の問題をあたかも他人が抱えている問題として客観的な距離をおいて考えてみる、こうした問いかけを「カウンタークエスチョン」などと言います。「相手の身になって考える」「もしあなただったら」「こっちの身にもなってよ」「そう言われるこっちの気持ち考えたことある?」などとちょっと似ています。なんだそのくらい、と思われるかも知れませんが、このカウンタークエスチョンを上手に工夫するとそれは大きなパワーを持ちます。

 けれども、あくまでその前の「話し合うこと」がとても大切なプロセスです。そこをおざなりにした(カウンター)クエスチョンをいくら繰り出しても、それは効果的な(カウンター)パンチにはなりません。

 そんなカウンタークエスチョンが効果的に働いたちょっとしたエピソードを次回はご紹介したいと思います。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂

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by yellow-red-blue | 2019-02-04 19:25 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、カウンセラーとして、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。ブログのどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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