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ストレスと自己防衛・攻撃する人の心理 ②~ 処暑の頃'19


 ハラスメントやいじめなどのようになぜ人は時として他者を攻撃してしまうのでしょう?その理由を簡単に言えば、攻撃する人は相手から「攻撃」を受けたと感じているのでそれに対し反撃した、というシンプルなものです。

 けれども、これだけ聞くと被害を受ける側にとっては納得も理解できずたまったものではありません。こちらにはまったく身に覚えがないにもかかわらず、「お前がまずやってきたのだがら反撃したまでだ」と言われているようなものなのですから、理不尽きわまりないと考えるのも当然です。

 問題は、攻撃する側も自分の行為に至る過程を自覚・理解したうえで行っているわけではないところにあります。表面上はいろいろと理由を並べはするかもしれませんが、もっと深い本当のところについてはきちんと自分でも把握しておらず行動しているのです。けれども攻撃する・されることに自覚がない、あるいは無意識的に行っているからといって、それを加害者側の勝手な思い込みや言いがかりに過ぎないと単純に片付けてしまえば問題の本質が見えにくくなるばかりか、そうした理不尽な振る舞いへの対処方法も見えてこないことにもなります。

 私たち人間誰しもに自然と備わっている自己防御反応とも関係する攻撃する人の心理については、まだわかっていないこともありますが、少し話を分かりやすくするために今回はストレスとは何かということについて考えてみます。


 

 「ストレスが溜まる」「ストレスから身を守る」「人間関係のストレスから体調を崩した」などと、私たちはストレスという言葉を普段からよく使っています。けれども私たちはこの言葉の意味することを結構あいまいなままに使いがちで、こうした通俗的な使い方の言葉としてのストレスは、実は本来の意味からするとあまり正しくはありません。

 もともとストレスという言葉は、工学・物理の世界で使われていた専門用語を、ある生理学者が人間の生体の反応メカニズムを説明する用語として医学・生理学の世界に取り入れ今日的な意味を与えたのが始まりです。

 それによればストレスとは、生体外の環境からもたらされる何らかの刺激や衝撃、要求に対する生体側のさまざまな反応と定義されます。外からもたらされる刺激をストレッサー(ストレス要因)と呼びます。そしてそうしたストレッサーから自分の身を守り元の生体バランスを取り戻すために、ストレッサーを押し返そうあるいは解消しようと自然に発生する反発ないし抵抗する力がストレス(反応)なのです。つまり、私たちが普段ストレスと呼んでいるものの多くは、実はストレッサーの方であるといえます。細かなことのようですが、ストレスとはストレス(要因)に対する私たちが起こすさまざまな反応のほうであることを正しく理解しておくことは大切です。


 私たちは生きている以上、さまざまなストレッサーに囲まれ絶えず影響を受けます。夏の厳しい暑さや冬の寒さ、空腹、予期せぬショッキングな出来事や身体的痛み、労働や学習、煩雑な家事や通勤の混雑、複雑な人間関係や孤独、心理的な葛藤や圧力を含め様々なこれらの刺激はいずれもストレス要因(ストレッサー)であって、これらにさらされると私たち人間の側には当然のように様々な反応が引き起こされます。ストレッサーに対抗するため、人間の持つバランス回復機能装置として必要な力(反応)がストレスなのです。

 たとえば厳しい夏の暑さというストレッサーにさらされれば、私たちは苦痛を覚え、気分が悪くなったり、だるさや食欲不振、集中力の低下といった症状をストレスとして経験し、その反応をバランスを回復すべく様々な対処法を実行に移すためのシグナルとして具体的な行動へと変換していきます。体温を下げるため汗をかいたり、水分や塩分を欲求し、日陰で休みエアコンをつけ昼寝をして体力を温存したりします。このようにストレスは私たちが生きていく上で避けられない、必須なものです。むしろこのストレスを適切に発動できずにストレッサーのもたらす衝撃をそのまま受け取り圧迫されるままの状態に置かれたときは、肉体的精神的にとても危険な状態に追い込まれることを意味します。

 様々な事態に対処するために人は大概の場面においてむしろストレスを必要とする生き物であると考えれば、今の私たちがこの言葉を普段少しずれた意味で使っているかがわかるのではないでしょうか。


 

 同じように人を攻撃する行為とは、ある種の衝撃なり刺激に対する加害者なりのストレス反応であり、それが対人関係という場において起こるがゆえに、主に他者攻撃という形をとって現れてしまうのだと理解するとわかりやすいかもしれません。

 ただ難しいのは、物理工学の世界に比べて、私たち人間の生体あるいは精神世界で繰り広げられる、とりわけ対人関係におけるストレッサー・ストレス関係ははるかにわかりにくく、そしてそのバリエーションがあまりに多彩であることです。ストレッサー・ストレス関係の背後には、様々な個人差が存在します。まさに私たちの個性・人格や対人関係における力学は、指紋のように同じものはひとつとしてないといえます。ストレッサーの認識・受け止め方やそれに呼応するストレス反応とがバランスや抑制を欠くものであったり、相互に関連性が容易には見えないものとして表出することもしばしばで、何が引き金となって、なぜそのような目に逢ってしまうのか、他者にもまた自分自身にも理解し難しいものとなっているケースが多いのが実情のようです。

 次回は、私たち人に備わる自己防御反応について触れたいと思います。



最後までお読みいただいてありがとうございます。

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by yellow-red-blue | 2019-08-23 13:30 | Trackback | Comments(0)

むかし「嫁いびり」いまは「家事ハラ」・攻撃する人の心理 ① ~ 立秋の頃'19

 
 ハラスメントとは、特定の相手に対し嫌がらせやはずかしめ、いじめなどの行為を繰り返し執拗に行い、相手を悩ませ苦しめ困らせる行為で、セクハラ、パワハラ、モラハラなどよく知られている行為から、必ずしも明確な定義付けがなされているわけではないものも含め今やその種類たるや何十にも及ぶといわれています。

 ひと昔前までこうした行為の被害に対しては、おおやけにするにはばかり、被害を受ける側がひとり耐え忍ばざるを得ないタブー的扱いであったものが、今やハラスメントとして市民権を得る形でそれら理不尽性に対し堂々と「ノー」を突き付け、一部法的な罰則まで課せられる社会環境になってきたのは、ハラスメントの種類なり定義なりがあいまいなまま拡張解釈されうる問題もなくはないとはいいながら、健全な対人関係構築への好ましい前進と言えそうです。

 けれどもそんな増え続けるハラスメントのリストに接すると、ふとある疑惑が私の中で湧き上がってきてしまいます。自分は今まで生きてきた中で、執拗かつ繰り返しというところはさておき、こうしたハラスメントを誰かに対してただの一度もしたことはない、そんな対人関係とは無縁だった、とはたして断言できるのだろうか?あるいは直接の言動として行っていないにせよその実、心の中では何度となくこうした思考なり感情を抱いてはこなかったろうか?自分の身の潔白を信じているのはひとり自分だけなのではないだろうか、と。

 なぜかくも人はハラスメントやいじめ、差別などによって、誰かを「攻撃」してしまうのでしょう?これは冷静に考えなければならない問題かもしれません。人にそうした行為を繰り返しするような人間はまともではなく、そもそもそういう性格の持ち主だからなどと安易に決めつけるのは危険なことかもしれません。置かれた立場や状況で加害者にも被害者にもいかようにもなりうるのが私たち人間です。このブログでもたびたびこうしたことについては取り上げましたが、この問題についてしばらくの間、いま一度考えてみたいと思います。



 ひと昔前のハラメントの典型といえば姑による嫁いじめ、「嫁イビリ」だったでしょうか。けれども、核家族化が進み親と同居する世帯が減少しているようなとりわけ都市部の家庭においては、そうした嫁いびりが起きる状況は少なくなったともいわれます。代わって現代の日本の家族社会に登場した新たなハラスメントのひとつに、いわゆる「家事ハラ(スメント)」があるといわれています。家事ハラとは、嫁イビリと同様に家庭内人間関係で発生するハラスメントですが、嫁による夫いじめ、つまり「夫イビリ」という形で起こります。

 家事ハラは、夫が家事や子育てなど、家庭におけるさまざまな役割を手伝ったりこなしたりしようとする際、妻が些末な不手際や不十分さをことさらあげつらい、きつくあたり、家庭における夫の貢献なり協力の意思に対し、意図的あるいは無意識的に否定し低評価を下すような辛辣で攻撃的な言動を指します。子育てや教育方針についての夫の意見や提案などに対して剣もほろろ、なにもわかっていないのね的な態度を見せたりもします。こうしたことは、普段からあまり関係のよろしくない夫婦だけでなく、円満な家族生活を送っている夫婦の場合でも、また専業主婦の場合も共働きの家庭でも起こり得る現象といえます。


 シンプルでわかりやすい例としては、専業主婦世帯であれ共働き世帯であれ、普段家事や家庭の問題についてほとんど妻にまかせきりだったり、意見だけは言う無理解な夫への意趣返しあるいは報復として家事ハラが行われます。たまに夫が何か家事をするたびに、「私が言ったこと聞いてた?」「ほらみなさいよ。ここ汚れ落ちてないでしょ。ちゃんと見てやってる?」「結局また私が最初からやり直さなきゃいけないじゃない」「ねぇ、それをやる意味がわからないんだけど」などと辛辣な言葉を口にしそれが常態化します。 

 他にもたとえば夫が職を失い様々な理由から新しい仕事になかなかつけずに落ち込みひそかに苦しんでいるような状況で、家にいがちな夫に対し「いつになったら仕事が見つかるの?」「近所の目もあるから平日はいないでほしい」「家事を手伝うヒマがあったら仕事探しに行ってよ」「家事もちゃんとできないの?」などのきつい言動を繰り返したりしてしまいます。

 こうした言葉は、夫の行為そのものに対する「指摘」うんぬんでは済まずに、夫のあからさまな「監視」であり「人格」に対する攻撃に近いものです。自分を助けてくれるはずの夫の努力や苦しい事情に対して、本来すべき前向きで素直なコミュニケーションを感情的な報復に置き換え、相手に屈辱感を与えてしまうことを繰り返す結果、夫側のフラストレーションがついには爆発し夫婦関係をさらにいっそう悪化させてしまいます。それでなくても気に病み敏感になっている夫側にとっては、妻の言いようはさらに自分が責められているように受け取られてしまいます。


 いっぽう妻から夫へのハラスメントであることは同じでも、状況が全く逆のケースもあります。夫が日ごろから家庭のことにかかわってくれたり、家事もそこそこうまくこなせたりする場合、あるいは妻のほうが家事の切り盛りがもともとあまり得意でなかったり、どちらかといえば気配りが苦手なタイプのような場合にも家事ハラは起きます。専業主婦であれ共働きであれ、我が国では家庭のことは妻がまずもってすべきとの固定観念を持つ人は、男性側にも女性側にもまだ多いようです。とりわけまじめで几帳面な性格であったり自分に低評価を下しがちで自信を持てないタイプ、あるいは本来の自由奔放な気性に反するような厳格なしつけやエリート指向の養育方針を持つ家庭に育ってきたような女性の場合、相手に上手に甘える、譲る、感謝する、人間だからダメなこともある、などと柔軟に考え夫に伝えることが苦手なため、「女性」「主婦」としての自分の地位が脅かされている、こんなことでは妻として失格だ、家庭の気配りができないのは恥ずかしいなどと、寛大な夫、満点パパに対して無意識的に劣等感情と脅威を抱き、夫婦生活にある種の息苦しさを感じてしまうのです。仕事が休みのせっかくの週末でも特に不満もなく淡々と掃除していたり、てきぱきと家事や子供の面倒に気配りをしたりする夫の姿は、彼女にとってみれば「どうしてこんなことまだやってないの?」「平日あんなに時間があるのに洗濯が溜まっているのはどうして?」「もっとちゃんと子供のこと面倒みないと」という夫からのメッセージとして受け止められ、それに対する自己防衛的抵抗として夫のあらさがしを始めてしまうといったことが起きてしまうのです。



 問題の背景には、家事の出来不出来そのものというよりも、現在の夫婦家庭生活についてお互いが抱いている不満や期待のずれ、家庭以外での人間関係、結婚あるいは出産、家族関係など過去にまつわる心理的葛藤や将来への不安、自身のパーソナリティ傾向など様々な要因が複雑に絡み合っています。共通しているのは、本来の問題なり不満と直接向き合えないかまたは自覚できずにうまくコミュニケーションがとれないため、自身の心の葛藤を抱えきれず、相手に責任を転嫁し、いらだちや攻撃という形に置き換えてしまっていることにあるようです。なお、場合によってはハラスメント(他者攻撃)の形を取らずに自分の中に葛藤を押し込め逆に自分を傷つけるような行為、たとえば上で挙げた三つ目のケースなどでは、隠れてアルコール過剰摂取、過食嘔吐、性的逸脱行為などに及んでしまうこともあります。これもまた自分に対する「攻撃」であることには変わりないといえます。


 どうやら日ごろのコミュニケーションにおいて、まず自分の気持ちや感情の状態を見つめ、それを素直に伝えることの大切さにお互いが気付けていないところに根本の問題があるといえるようです。つい相手がどうだこうだと指摘や決めつけから入ってしまっているかもしれません。上で例にあげたような、失業し家にこもりがちな夫への妻のハラスメントの根底には、妻自身が抱く将来の生活への不安があるはずです。そうであるならば、必要なのは夫への非難よりも、まずもって自分も悩み不安に感じていることを夫に認めることです。「なぜあなたは~」では、自分の気持ちを語っておらず相手を責めることになっています。「私は~」という自他に対する素直さがとても大切になります。そして夫の苦境に寄り添い胸の内を明かしてもらいながら何ができるのかを共有しようとする姿勢こそが必要です。夫婦間の心理的な隔たりを埋めることが、こうした失業など社会生活上の問題の解決へのなにより大きな一歩です。

 相手の本当の事情や気持ちは相手にしかわからないし、自分の事情や気持ちも自分しかわからない、という当たり前のことを、私たちは近しい関係であるがゆえにかえってなかなか認めることができません。(私の気持ちは)当然わかっていてしかるべきだ、(自分と同じように)夫あるいは妻は感じるべきだ、こういう場合~するのが常識である(なのにできていない)という自分側の思い込みでまずもって相手を裁いてしまうようなズレたコミュニケーションの積み重ねが、夫婦間の不協和音を増幅させていきます。

 ときに恥ずかしくプライドが邪魔することがあっても、素直な気持ちを相手に伝えることは決して自分の負けや間違いを認めることではないのですが、私たち誰にでも備わる自己を守ろうとする生理的反応の柔軟な発動はなかなかに難しいことのようです。



最後までお読みいただいてありがとうございます。

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by yellow-red-blue | 2019-08-07 09:54 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、カウンセラーとして、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。ブログのどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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