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「同じ」を恐れる・攻撃する人の心理⑤ ~ 寒露&霜降の頃'19


 古代ギリシャの哲学者アリストテレスはその著書『形而上学』の冒頭、「すべての人間は生まれつき見ることを欲する」と述べています。彼は人間の存在の本質として見たいという欲求が潜んでおり、哲学的探求の起源をそうした人の在り方に見出そうとしました。

 「見たい」という欲求の背後に「見えない」ことへの不安や恐れがあるように、「知りたい」という欲求の背後にも「知らない」ことへの不安や恐れが潜んでいます。

 私たち人間にとって、「知らない」ということは、知覚的に「見えない」「聞こえない」と同じくらいに不安定な状態です。あらかじめ知っておきたい、理由や原因について定見を得ておきたい、自分は周りとはズレていない、孤立していないことを確認したい。こうした自然の欲求と現代人のネットやSNSへの依存的傾向とは無縁ではないのかもしれません。

 「違い」ゆえの「わからない」ことに不安を感じる生き物である私たちは、ときにそうした「違い」に耐えられず、安心と安全を確保するために事情がよく分からない相手に対し攻撃の手を伸ばし、攻撃される側は困惑します。このあたりは前回までに述べた内容です。



  

 ところが前回のブログで予告しましたように、私たちは「違い」に衝撃を受けるだけでなく、まったく逆の「同じ」であるということにも衝撃を受け、ときに排除しようとする振る舞いを見せてしまうことがあります。これは「同じである」「なじみのある」「すでに知っている」ということに安心や安全を見出したいと欲する人間の生理的欲求からすると矛盾しているようにも思えます。

 この場合の「同じ」は別の表現に言い換えると、「他者に『自分』を見る」といえます。ある人の存在や振る舞い、行動、置かれた状況に、今現在やかつての自分、あるいは自分が望んだ(現実そうはなっていない)「自分」を見たり、自分が経験した精神的苦痛や挫折の記憶が重なるような場合には、私たちはその状態や相手に対して拒絶反応を起こしてしまう場合があるのです。

 相手がどこかいまだ受け入れられず癒されていない「自分」を呼び起こさせる存在として映り、それに耐えられず相手を責めてしまうのです。




 


 私たちがまだ小学生や思春期の頃、好意を寄せている異性のクラスメートなどに対して冷たく接したりいじわるしてみたり、優しくできなかったりした経験はなかったでしょうか。好きな人に対して本心と裏腹なことを言ったり、その思いと正反対の行動をとるとった経験をした人がいるのではないでしょうか。

 これは「異性を意識する」という児童や少年少女にとってまだ新鮮で経験の少ない感情的な衝撃に圧倒され、素直になれない状態といえます。

 相手に八つ当たりしても何もならないし元々そうした意図もないにもかかわらず、異性という存在に魅了された「自分」という新たな衝撃をつい受け入れられず、その感情を抑圧し自分をどうかするかわりに無意識的に正反対の行動、つまり好きであるはずの相手につらくあたるなどに置き換わってしまう状態です。ただこの程度のことは「攻撃」というほどの深刻なものではありませんし、誰しもが経験する思春期の素直になれない気恥ずかしさや意地っ張りのようなものです。

 けれども、現実社会のハラスメントにはしばしばこうした相手(異性)への恋愛的な感情を抱く自分という衝撃に向き合えず、相手を痛烈に攻撃してしまうケースも少なくありません。

 学業の指導をめぐり自分とは孫ほども年齢の離れた女子学生に対してパワハラを繰り返していたある大学教授が、しまいにその行動を性的嫌がらせにまでエスカレートさせていったようなケースは、ある意味パワハラやモラハラの形をとるセクハラといってよいかもしれません。こうなると「かわいさあまって憎さ百倍」という言葉では済まされない深刻なハラスメントです。




 

 


 相手に自分を見るがゆえに攻撃してしまうこんなケースもあります。以前30代のある女性管理職の方から職場の人間関係で相談を受けたことがありました。最初は、職場の部下職員の社会人としての自覚の足りなさや仕事の進め方などの悩みなどをうかがっていたのですが、カウンセリングを進めるにつれ、特定のタイプの複数の同性社員に対して敵意やいらだちを抱いてしまうこと、それが不適切であることを自覚しながら感情を抑えられずにハラスメントを繰り返してしまっていることがわかってきました。

 そのタイプというのは、若くやや派手めな服装で女性らしさを振りまき、プライベートでも職場でも男性との交流や付き合いに積極的(にみえる)な、仕事もそれなりにできる女性社員、といったものでした。プライドの高さとは無縁でむしろあっけらかんとしており、素の自分を堂々と表に出せるそんな開放的な彼女たちにいら立つのだともいいます。

 まじめで責任ある立場である管理職の相談者からみれば、自分とは真逆の人生観や価値観を体現しているようなタイプの若い女性たちへのいらだちのようにも思えるのですが、実際はもう少し複雑でした。

 その管理職の女性は、裕福で厳格なしつけが支配的な家庭養育環境とエリート学校教育のなかで育ちましたが、両親の間には喧嘩が絶えず、父親も外にたびたび女性を作り家庭を顧みず家族は崩壊状態だったそうです。学業にも優秀で真面目で目立たない存在だった相談者はそんな家庭に嫌気がさし、家出を繰り返し生活は次第に乱れ始めました。派手な装いをまとい不適切な異性関係を繰り返したり薬物にも手を出し何度も警察沙汰になるなど、一時期破滅的な人生を送ってきた過去があったのです。

 今の控えめで清楚な印象からはかけ離れた過去を持つ相談者は、攻撃の対象となった女性職員たちの姿に、ひそかにかつての「自分の姿」を見ていました。彼女たちにうらやましさと共感を覚えながらも、しかしそれを肯定することは、破滅的な生活から立ち直り苦労して生きてきた自分の人生を否定することともなってしまう。そんな無意識の葛藤が彼女をハラスメント行為に走らせていたようでした。

 相談者自身も魅力的な容姿をお持ちで、しばらく接しているとその硬いイメージとは裏腹に彼女が敵視する女性たちとさまざま共通する部分も多い方のように見えました。実際社会人になってからも男性からの誘いや交際は何度となくあったにもかかわらず、けっして長続きしなかったといいます。自分には愛情あふれた男女関係は長続きするはずがなく、やがて相手から嫌われるに違いない。嫌われるのが怖いからそれなら自分から別れよう、そんな関係を繰り返してきたと言います。

 

 

 家庭内暴力や虐待が、しばしば親から子へとその連鎖が受け継がれていくことはよく知られています。虐待を受けてきた子どもが大人になり、親に立場を変え今度は自分の子供に対し同様の虐待行為を行ってしまう背景には、自分が受けた虐待や精神的なトラウマの傷が十分に癒されておらず、健全な自尊感情や自己肯定感が不足していることや、被害を受けてきた側にもかかわらず自責感情が根強いため、自分の子どもにかつてのひたすら罰せられる「ダメな自分」を見る以外に親子の情愛関係を築くことが難しい、といった心理的な事情があります。そういう自分に耐えきれず役割を変え虐待側にまわることによって自分を救おうとしたり、あるいは自責感情が癒えていないため子ども側にも責められて仕方ないのだとの考えから抜け出すことができないでいる場合があるのです。

 

 他にも相手に自分を見る結果として、他者への攻撃という形ではなく自分を傷つけてしまうようなケースもあります。本当であれば憎んだり、関係を断ち切るべき相手を好きだ愛していると引きずってしまう場合もあります。これは相手の存在に、他人を憎むという言語道断の自分の姿を見て、そうした自分を拒絶、罰しようとする行為といえます。同じように、他者に対して過度に自己犠牲と奉仕の行為に走ってしまう人がいますが、これは苦悩する他者の存在に比べ利己的で快楽的な一面を持つ自分に過度の罪悪感を見てしまうための反動的な行動といえます。



 

 相手に対しなんらかの自分を見る、自分との共通点を見てそのことに衝撃を受け、無意識に拒絶しようとするあまり、相手への強烈な攻撃という間違った選択をしてしまう。カウンセリングでは、被害を受けた人だけでなく、相手を攻撃してしまう人達の苦悩と向き合う場合も少なくありません。ハラスメントは決して許される行為ではありませんが、人はときとして思いもつかぬ反応と行動へと走ってしまう生き物であることも痛感せずにはいられません。

 次回、攻撃する人についてのお話の最終回をお伝えします。


最後までお読みいただいてありがとうございます。

メンタルケア&カウンセリングスペース C²-Wave 六本木けやき坂

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by yellow-red-blue | 2019-10-12 15:14 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、カウンセラーとして、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。ブログのどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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