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歌うたいましょう ~ 冬至&小寒の頃'19


 間もなく90歳を迎えようかというHさんは、私の仕事場からほど近い特別養護老人ホームに入居されていました。彼女には身寄りもなく彼女を訪ねる人もいませんでした。認知症が進み要介護5の認定を受けているHさんには事理を弁識する能力がなくコミュニケーションする能力もまた欠いていました。時折わずかにあーうーなどと反応がある程度が精一杯、たまに職員さんの押す車いすで施設内を移動する以外は一日のほとんどの時間をベッドで横たわって過ごしていました。その施設に来るまでは様々な事情から都内の病院を転々としていたそうですが、今年に入りやっと空きができたため、かつて暮らしていた地元の施設への入居が叶ったのでした。

 Hさんには行政の申し立てに基づき裁判所が指名する成年後見人がいらっしゃいました。日常生活と呼べるものがほとんどなく施設でただ一日一日が過ぎていくHさんの現状をみて、援助する者としてせめて何かできることはないかと、後見人と行政の担当者から私のもとに精神的援助の依頼があったのは、桜の季節ももう終わろうとしている4月の初旬の頃でした。

 心の支えとはいっても、通常のコミュニケーション能力を欠いたHさんに対して、私が普段仕事でおこなうカウンセリングや対話アプローチがほとんど用をなさないのは明らかでした。正直どのような接し方をしていけばよいのか定かでなかった私は、事前に関係する方々と話し合いの時間を持ちました。その中では、Hさんの健康状態に配慮しながら施設の活動や行事にできるだけ参加していくことなどを確認していきました。

 私が個人的に一番大切だと感じたのは、できるだけ一緒にいること、誰かと一緒にいる時間を増やすことのように思えました。それは普段なかなかかなわないことだからでした。施設の入居者であるHさんにはそれこそ様々な人がかかわります。施設職員の各担当の方、医療関係者、行政の担当者や後見人の方。けれどもみなそれぞれに役割や職務があり、処理しなければならないことは山積みで、配慮や援助を必要としている人はもちろんHさんひとりにとどまりません。できるだけの努力はしながらも、いつしかわずかな時間しか割くことがかなわずHさんを通り過ぎていく日常にならざるを得ません。そういったHさんの日々の生活を何とか少しでも変えようと考えていました。施設行事のある日時に合わせて柔軟に訪問回数を増やしたり、時間の許す限りできるだけ長く一緒にいるように気を配っていきました。

 もう一つ、Hさんが置かれている境遇に自分が置かれたらいったい何を一番欲するだろうかと考え、お天気と健康状態の許す限り散歩をしたり外気に当たり、季節を感じる機会を増やすことを意識しました。日々繊細に変わりゆく木の葉、木立を通り抜ける風の肌ざわり、見上げる空にまぶしくただよう雲のゆらぎをいま一度味わってほしい、そう思ったのです。

 


 ふだんのHさんの状態は様々です。表情に精気も気力も感じられず、おぼろげな視線が宙を舞いただひたすら沈黙する日もあれば、顔色もよく私ときちんと目を合わせたり、たまにうめきとも満足ともとれる声を発し、せわしげに手を動かすこともあります。私が首からぶら下げる施設入館証を意味ありげに凝視する様子などなかなかに表情豊かな日もあります。「おやおや、きょうは“めぢから”があるね。イイ感じだね」などと巡回医師から太鼓判を押される日もあれば、体調がすぐれないので施設から面会を控えるよう連絡が来ることもありました。

 それでも、ひたすら一緒の時を過ごすことを目標に施設通いを続けました。何か特別な変化を期待するわけでもなく、ただ表情や身体をうかがいながら一方的に私が話をしたりベランダに出て外の景色に眺めたり、施設内をひたすらぐるぐる回ったりするなどの日々が続きました。

 

 施設内のいろいろな催しや人々にほとんど反応を示さないHさんが唯一関心を示したように感じられたのは歌の時間でした。

 「一緒に歌いましょう。」定期的に施設を訪問されている音楽療法士の先生がある日そう言って誘ってくださったのは、先生のピアノ伴奏とボランティアの司会に合わせて入居者とその家族みんなで合唱する時間でした。

 「夏の思い出」「たき火」「ふるさと」「海」「ちいさい秋みつけた」...認知能力を著しく欠いたHさんでさえ、どこか懐かしい記憶がよみがえったのでしょうか、こうした懐かしい童謡や唱歌のいくつかが集会室に静かに響き渡りはじめると、Hさんはやがてせわしなく腕をうごかしたり、私が目の前に掲げる歌詞カードに必死に目をやったり、何事かうめき声を発し続けるのでした。それはまったく歌っているようにも感じられました。普段決して見ることのできないそうしたHさんが見せる身体反応は、たとえどのような精神状態であろうと、音楽や歌が聴く人の心を無条件に揺さぶり、奥底に眠る意識や遠い記憶の断片と情緒的に共鳴することを示すに十分な光景にも感じられました。

 


 そんなことで半年が過ぎていきましたが、少しずつHさんと心を通い合わせることができるようになったというほのかな感触がある一方で、Hさんの身体の衰えはその間にも確実に進んでいきました。夏を過ぎ秋が深まる頃から急速に衰えが目立つようになってきました。

 老衰のため食事をのどに通すことが難しくなってきました。血管を上手に確保することができないため、点滴による栄養補給ももはやままならない状態でした。目に見えて細く小さくなりながら、認知症ゆえにその自覚も苦痛も訴えないHさんを見る後見人や私にとって、なすすべなく衰えていくHさんの姿を見るのは辛い日々でした。他に選択肢などないことを理解しつつ、そうした事実をあまりに淡々と受け入れているように見えた施設職員さんや医師に対して、無知ゆえのどこか納得のいかない感情をつい抱いてしまったりもしました。


 12月に入ったある時、面会を終えいつものようにHさんにかがみこんでさよならを言おうとしたとき、Hさんが突然目を見開きあたかも苦痛に顔をゆがめたかのような表情を突然に見せたので、私は思わずぎょっとしてしまいました。どうしたものか戸惑ったのもつかの間、私の背中を忙しく通り過ぎようとしていた看護師の方がちらりとこちらを見ながら立ち止まり、「あら、Hさん嬉しそう。よかったね。いつもいっしょにいるので感謝しているんですよ。わかるんですね」笑いながらそう話してくださいました。それは私の存在を覚えていてくれているかもしれない感触を味わったほとんど唯一の出来事だったのでした。

 


 そんな言葉に勇気づけられ、また次に面会する日を心待ちしていたクリスマスを間近に控えたある日、Hさんはひっそりと息を引き取りました。さしたる兆候もなく穏やかな最期だったと職員の方は話してくださいました。90歳の誕生日まであと数日のことでした。 


 人の死によって唐突に「仕事」というものが終わるのを初めて経験した私は、それをどのように受け止めてよいのかわからず、何とも表現のしようのない喪失感に襲われました。仕事という意識が次第に薄れ、Hさんの最晩年、最も多くの時間を過ごし、一緒に移り行く季節を味わったのが、縁もゆかりもない赤の他人の自分であったことがそのことを余計に意識させました。

 そんな時私の心の中には、Hさんが本当のところどんな思いで最期の日々を過ごしていたのか、私のことをどう思っていたのかを知りたいという願望と、にもかかわらずそれが分かることはこれからも決してないのだという苦しさがあったのだと気づかされます。生きたことの証し、それはしょせん今はまだ生きている人間の側の欲にしかすぎないのかもしれません。

 誰もが死に臨んで生きている。誰もが生まれた瞬間からある意味死につつあるのが人生。人生で唯一確かなこととはいずれは誰もがいずれ死んでいくということ、Hさんも私も常に死にゆく瞬間瞬間をこれまで生きてきたということでは変わりのない存在なのだと思い知らされます。

 

 けれども死以外何も確実なことなどないのであれば、人生とはまた、無限の可能性の中に絶えざる希望の灯をともし続け前につき進むことしかないではないか、そしてそんな勇気が人に、自分にいつも可能だったらどんなにか素晴らしいことか...

 漠然とした不安とほのかな期待とがないまぜに胸に去来するとき、職業柄かどこかに自分とて支えを求めているのでしょう、気がつけばしばしばHさんが好きだった(かもしれない)唱歌をひとりつぶやいている。そうしてこの一年もまた過ぎようとしています。

 どうか素敵なクリスマスを、そしてよい新年をお迎えください。




 


 われわれは、とにかく生きているかぎり、死を目の前にしながら実存することを、持ちこたえている。すなわち、われわれが生まれたとき自分の身に宣告された死刑判決が、最終的に執行されるのをただ待つだけというふうには、われわれは決してふるまっていない。この事実は、われわれが、結末を知らされていない物語に、緊張させられながらそのつど巻き込まれているということと、関連していよう。(中略)生の緊張とは、誕生とともに与えられた始まりの躍動とも言うべきものだが、それが、死に至るまで絶え間なく持続しうるのは、なぜか。その理由は、どんな物語もその意味が完全に開示されるのは、物語が終わりに達してはじめてだからであり、それゆえわれわれは、一生の間ずっと巻き込まれている物語の結末を、知らされていないからである。

  (ハンナ・アーレント「活動的生」(英題:人間の条件)森一郎訳、みすず書房)




 ギャッツビーは緑の灯火を信じていた。年々僕たちの前からあとずさりしてゆく底抜けの騒ぎの未来を信じていた。そのときになれば、肩透かしを喰うのだが、そんなことはかまわない―明日になればもっと速く走ろう、さらに遠くへ腕をさし伸ばそう。 ...そしてある晴れた朝―

 だから、過去のなかへ絶えずひき戻されながらも、僕たちは流れに逆らって船を浮かべ、波を切りつづけるのだ。

  (スコット・フィッツジェラルド「華麗なるギャツビー」大貫三郎訳、角川文庫)





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by yellow-red-blue | 2019-12-23 18:13 | Trackback | Comments(0)

「いま」について日々感じること、心動かされる体験や出会いなど、カウンセラーとして、また時に仕事から離れ、思いつくまま綴っています。ブログのどこかに、読む人それぞれの「わたし」や「だれか」を見つけてもらえたら、と思っています。


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