フランスの画家ジョルジュ・ルオー(1871-1958)は、敬虔なクリスチャンとしての深い信仰心から、貧困や社会矛盾にあえぐ人々の悲しみと苦悩、権力者や支配者階級の傲慢さと無関心の罪への怒り、そしてそうした不幸からの魂の救済と福音の到来への希求とに突き動かされ、苦悩する社会の現実と人間の真の姿を、厳しくも慈悲深い眼差しで描き続けた孤高の画家です。
古典絵画の巨匠や伝統的時代様式に学びながらもそれらと訣別し、しかし同時に、印象主義やポスト印象主義、フォービズム、キュビズムといった、同時代作家達による斬新な審美的視線による自然風景や人間の芸術表現からも距離を置き、対象の背後に隠されるグロテスクで矛盾をはらんだ人間や社会の真の姿を、自身の体験や情念を織りまぜ、独創的な世界観と芸術手法により表現していきました。
彼が描き出すのは、貧困と飢えに苦しむ労働者、失業者、母と子、あるいはまた根なし草のごとくさまよう移動見世物小屋やサーカスに生きる道化師や異形の芸人、ダンサーや娼婦といった、大都市パリ郊外のはずれのわびしくも貧しい場末で生き、社会の底辺であえぐ人々の苦悩と絶望、孤独であり、またそれらに無知無関心な支配者階級への痛烈な皮肉であり嘲笑です。
後年ルオーは、圧倒的な規模で繰り広げられた世界大戦の荒廃と犠牲、社会不安や経済大不況を目の当たりにし、それまでの苦悩する人間や社会の現実への厳しい視線を、罪の許しや神、自然への賛美へと転換させ、柔らかで色彩豊かなタッチで描く聖書やキリストをモチーフにした神秘的な田園郊外風景へと昇華させていくことになるのですが、私がより心惹かれるのは、かつての社会的弱者への徹底的な「共感者」としての彼の視線であり、とりわけ印象的な数多くの作品を残したサーカスの道化師など旅芸人達の肖像画です。
ルオーの生きた時代、街にやってくる粗末な見世物小屋や移動サーカスが提供する娯楽の世界は、社会の底辺で貧困と不幸の重圧にあえぐ場末の人々にとって、厳しい現実の日々からほんのいっとき逃避することのできる夢と救いの場であり、ルオー自身にとっての心のふるさとでもありました。
人々に笑いと興奮を与え続ける道化師たち旅芸人は、魂の救済をもたらす救世主であり福音の光である一方、しかし同時に彼ら自身も深く苦悩する人間であり、貧困と孤独の犠牲者でした。
ルオーは、滑稽で人目を引く化粧やきらびやかな衣装の下に隠された深い苦悩と悲しみを見、うわべの姿表情の内側に潜む葛藤する人間の真の姿を描き出していったのです。
“つねに隠されている精神的な側面にこそ、社会の重圧がもっとも加わるからである”(ダニエル・モリナリ「怒りから静けさへ」 パリ市立近代美術館所蔵 ルオー展、印象社 1998年)
ルオーの作品はいわば、わたしのカウンセラーとしての思いの原点であり、自身の心のよりどころです。
相談に訪れる方々のもの言わぬ顔や表情、日常にどう共感し、寄り添っていくのか、そして一歩踏み込みその苦しみを和らげるためいったい何ができるのか心惑う時、ルオーの作品群に登場する「場末の人々」に吸い寄せられていきます。
“その時私は、はっきり悟ったのです。道化師とはこの私、私たちのこと…ほぼわたしたちすべてのことだということを…この豪華なスパンコールをちりばめた衣装、それを私たちに着せるのは人生です。私たちはみな程度の差こそあれ道化師で、スパンコールをちりばめた衣装をまとっているのです。”
(エドゥアール・シュレへの手紙、George Rouault, Sur l’air etsur la vie,1971年、後藤新治訳)
(2015年6月24日)
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